2011年03月16日 (水) | 編集 |
「塔の上のラプンツェル」は、ディズニー長編アニメーションの記念すべき第50作目にして、伝統のプリンセス物としては初の3DCG作品だ。
ベースとなっているのは、グリム童話の「髪長姫」だが、髪の長い少女が塔に幽閉されている事以外、殆どオリジナルと言って良いほどに脚色されており、もちろん原作初版にある様なちょっとエッチな描写も無い。
変わって、ここで描かれるのは、庇護された世界からの自立という、ティーンエイジャー誰もが経験する普遍的な葛藤の物語だ。
さすがディズニーと思わされる、美しい映像に、素晴らしい音楽、楽しいキャラクターたちが御伽噺の世界を彩り、ダイナミックなカメラワークと濃厚な空気感を伴った立体効果はCGならでは。
キャラクターの設定も現代的だが、手描き時代のスタッフが数多く参加している事もあり、全体の雰囲気は良い意味で古典的なプリンセス物に近く、クラッシックとモダンの理想的なマリアージュを見る事が出来る。
ラプンツェル(マンディ・ムーア)は、深い森の中の高い塔に住む、驚くほど長い髪を持つ17歳の少女。
彼女の髪をはしご代わりにして、塔に出入りする母のゴーテル(ドナ・マーフィ)には、外の世界は恐ろしく、この塔からは決して出てはいけないと言い聞かされている。
だが彼女は、毎年自分の誕生日に、夜空に現れる沢山の光に気付いていた。
一体あの光は何だろう?自分と何か関係があるのだろうか?
18歳の誕生日を二日後に控えたある日、ラプンツェルは兵隊に追われて塔に逃げん込んできた泥棒のフリン(ザッカリー・リーヴァイ)と出会う。
初めて見る男性に警戒心を隠せないラプンツェルだったが、フリンは空の光は生後直ぐに行方不明になったプリンセスのために、国王夫妻が毎年空に飛ばすランタンだと語る。
ラプンツェルは、フリンを案内役に塔を抜け出して、それを見に行く事にするのだが・・・・
原作では、妊娠中の母親が、魔女の庭に生えているラプンツェル(野菜の野ぢしゃ)を食べた事で、生まれた娘を奪われてしまうが、映画では天界から降ってきた奇跡の花を、魔女のゴーテルが隠している。
この花は、あらゆる怪我や病気を治す不老不死の力を持ち、そのおかげでゴーテルは数百年もの間若い姿を保っているのである。
ところが妊娠中の王妃が病気になり、奇跡の花を探す兵士によって、花は持ち去られてしまう。
王妃は、その花を煎じて飲む事で助かり、無事に女の子を出産するが、奇跡の力は生まれた娘の髪の毛に宿っており、ゴーテルが不老不死でい続けるために彼女を攫ったという設定だ。
髪の毛に宿る奇跡の力とは、なかなかミステリアスだが、更にこの魔力は髪を切ると消えてしまうと言う設定が加えられており、終盤の重要な伏線になっている。
全体にロココ調でまとめられたビジュアルは文句なしの素晴らしさで、神秘的な森やカラフルな街はファンタジーの楽しさに溢れている。
特に、無数の孔明灯が空も湖も埋め尽くすランタン祭のシーンは息を飲む美しさだ。
三国志の小道具を、こんな風にロマンチックに使うとは、正にアニメーションならではのセンス・オブ・ワンダーである。
キャラクターデザインも、80年代以降のディズニーの手描きテイストを、非常に上手くCGキャラクターに置き換えている。
CGによる人間のキャラクターの表現というのは、その黎明期からトライ&エラーが繰り返されてきたが、これは手描きアニメ調のキャラクターとしては、現時点でのベストと言って良いのではないか。
大きな目でクルクルと表情の変わるラプンツェルは、キュートで魅力的だし、優男のフリンや彼らを助ける荒くれ者たち、魔女のゴーテルらもそれぞれ特徴的でなかなかに良い造形だ。
お約束の動物のお友だちは、カメレオンのパスカルと馬のマキシマス。
彼らはある程度擬人化されているものの、いつものディズニーキャラの様に喋ったりはしない。
その代わりに、コミックリリーフとしての絶妙なギャグや、迫力満点のアクションで魅せてくれる。
特に馬のマキシマスとフリンとの追っかけこは、まるで「未来少年コナン」や「ルパン三世」のルパンと銭形など、宮崎アニメを思わせるコミカルな物で、過去のディズニー作品とは一線を画する楽しさがある。
同じ事は悪役であるゴーテルの設定にも言え、彼女は魔女とは言っても、特に魔法を使える訳でもなく、ラプンツェルの髪の毛のお陰で不老不死でいるだけ。
彼女の持つ最大の力は、要するに人を陥れる“ウソ”であり、それ故に絵空事の世界を超えて、悪役としてのリアリティを感じさせるのである。
全体に、本作は過去のディズニープリンセス物と比べると、世界観やキャラクターデザインは古典的だが、個々のキャラクター設定や描写は、若干モダンかつリアリズム寄りになっており、それは作品のテーマを考えれば納得がいく。
生後直ぐに攫われたラプンツェルは、ゴーテルが実の母親だと信じ込んでいて、塔に閉じ込める事で邪悪な外の世界から守っているというゴーテルの言葉に疑いを持たない。
本作の脚本家が、グリム兄弟の原作以上に影響を受けていると思われるのが、レイ・ブラッドベリの短編小説、「びっくり箱」だ。
まあ、この作品自体が「髪長姫」の再解釈なのだが、こちらでは世界が邪悪で満ちていると信じる母親が、塔の様な家に12歳の息子を監禁している。
息子はその家こそが“世界”であり、外へ出れば死んでしまうと教えられて育つのだが、母親の死を切っ掛けに“世界”は崩壊し、彼は初めて本物の生へと歩み出し、歓喜するのである。
ここで描かれるのは、母親に吹き込まれた偽の世界の殻を破り、自由で自立した世界へと踏み出す葛藤と喜びであり、ロマンス要素の強い原作よりも本作に近い。
ブラッドベリの小説と本作が異なるのは、主人公を閉じ込めているのが、狂気の母性愛ではなく、利己的な偽りの愛であり、解放の切っ掛けが母親の偶然の死でなく、自立を求める自然な成長であるという点だ。
物語の前半は、ラプンツェルがゴーテルの本当の狙いを知らないので、庇護者のゴーテルと巣立って行こうとするラプンツェルの親子的な対立が軸となり、ラプンツェルの脱出は自立のための冒険と言えるだろう。
そして全てが明らかになる後半は、自分のために他人を犠牲にするゴーテルのエゴイズムと、お互いを想うラプンツェルとフリンの自己犠牲的な愛という、明確な対立点が作り出されて、物語を盛り上げるのである。
「塔の上のラプンツェル」は、歴史を継承しつつも、現代的なセンスと最新のテクノロジーで作り上げられた、21世紀に相応しい新時代のデジタル・ディズニー・プリンセス物の秀作だ。
「カーズ」 「ボルト」などを手がけたダン・フォーゲルマンの脚本はシンプルかつ丁寧で、バイロン・ハワードとネイサン・グレノの演出は伝統に裏打ちされたアニメーション技術に、新しいスパイスを絶妙にブレンドしている。
古典的な“プリンセス物の常識”を逆手にとった洒落っ気のあるラストなど、思わずニヤリとさせられた。
老若男女誰にでもお勧めできる一本であるが、願わくばこの元気が出る物語を、東北の被災地の子供達に見せてあげたい。
今はまだ難しいだろうが、もう少し被災地の環境が落ち着いたら、例えばNGOに委託する形でブルーレイによる巡回上映など出来ないものだろうか。
世界の人々に夢を与え続けてきた、ディズニーにしか出来ない貢献だと思うのだが。
今回は、ディズニー・プリンセスの第一号、白雪姫の名を持つカクテル、「スノー・ホワイト」をチョイス。
氷を入れたグラスにアップルワイン30mlとウォッカ15mlをシェイクして氷を入れたグラスに注ぎ、スプーン一杯のグレナデン・シロップを加える。 リンゴのスライスを添えても良い。
甘くて酸っぱいリンゴの風味が爽やかに広がる、大人の入り口にちょうど良いロマンチックなカクテルだ。
ちなみに、ディズニーの公式サイトによると、本作のラプンツェルは白雪姫から数えて10人目のディズニー・プリンセスに当たるのだそうな。
もっとも、リストを見ると別にプリンセスじゃないムーランが含まれていたり、動物や半分実写キャラだからなのかプリンセスなのに「ロビン・フット」のマリアンや「魔法にかけられて」のジゼルが省かれていたり、イマイチ基準が良くわからないけど。
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
ベースとなっているのは、グリム童話の「髪長姫」だが、髪の長い少女が塔に幽閉されている事以外、殆どオリジナルと言って良いほどに脚色されており、もちろん原作初版にある様なちょっとエッチな描写も無い。
変わって、ここで描かれるのは、庇護された世界からの自立という、ティーンエイジャー誰もが経験する普遍的な葛藤の物語だ。
さすがディズニーと思わされる、美しい映像に、素晴らしい音楽、楽しいキャラクターたちが御伽噺の世界を彩り、ダイナミックなカメラワークと濃厚な空気感を伴った立体効果はCGならでは。
キャラクターの設定も現代的だが、手描き時代のスタッフが数多く参加している事もあり、全体の雰囲気は良い意味で古典的なプリンセス物に近く、クラッシックとモダンの理想的なマリアージュを見る事が出来る。
ラプンツェル(マンディ・ムーア)は、深い森の中の高い塔に住む、驚くほど長い髪を持つ17歳の少女。
彼女の髪をはしご代わりにして、塔に出入りする母のゴーテル(ドナ・マーフィ)には、外の世界は恐ろしく、この塔からは決して出てはいけないと言い聞かされている。
だが彼女は、毎年自分の誕生日に、夜空に現れる沢山の光に気付いていた。
一体あの光は何だろう?自分と何か関係があるのだろうか?
18歳の誕生日を二日後に控えたある日、ラプンツェルは兵隊に追われて塔に逃げん込んできた泥棒のフリン(ザッカリー・リーヴァイ)と出会う。
初めて見る男性に警戒心を隠せないラプンツェルだったが、フリンは空の光は生後直ぐに行方不明になったプリンセスのために、国王夫妻が毎年空に飛ばすランタンだと語る。
ラプンツェルは、フリンを案内役に塔を抜け出して、それを見に行く事にするのだが・・・・
原作では、妊娠中の母親が、魔女の庭に生えているラプンツェル(野菜の野ぢしゃ)を食べた事で、生まれた娘を奪われてしまうが、映画では天界から降ってきた奇跡の花を、魔女のゴーテルが隠している。
この花は、あらゆる怪我や病気を治す不老不死の力を持ち、そのおかげでゴーテルは数百年もの間若い姿を保っているのである。
ところが妊娠中の王妃が病気になり、奇跡の花を探す兵士によって、花は持ち去られてしまう。
王妃は、その花を煎じて飲む事で助かり、無事に女の子を出産するが、奇跡の力は生まれた娘の髪の毛に宿っており、ゴーテルが不老不死でい続けるために彼女を攫ったという設定だ。
髪の毛に宿る奇跡の力とは、なかなかミステリアスだが、更にこの魔力は髪を切ると消えてしまうと言う設定が加えられており、終盤の重要な伏線になっている。
全体にロココ調でまとめられたビジュアルは文句なしの素晴らしさで、神秘的な森やカラフルな街はファンタジーの楽しさに溢れている。
特に、無数の孔明灯が空も湖も埋め尽くすランタン祭のシーンは息を飲む美しさだ。
三国志の小道具を、こんな風にロマンチックに使うとは、正にアニメーションならではのセンス・オブ・ワンダーである。
キャラクターデザインも、80年代以降のディズニーの手描きテイストを、非常に上手くCGキャラクターに置き換えている。
CGによる人間のキャラクターの表現というのは、その黎明期からトライ&エラーが繰り返されてきたが、これは手描きアニメ調のキャラクターとしては、現時点でのベストと言って良いのではないか。
大きな目でクルクルと表情の変わるラプンツェルは、キュートで魅力的だし、優男のフリンや彼らを助ける荒くれ者たち、魔女のゴーテルらもそれぞれ特徴的でなかなかに良い造形だ。
お約束の動物のお友だちは、カメレオンのパスカルと馬のマキシマス。
彼らはある程度擬人化されているものの、いつものディズニーキャラの様に喋ったりはしない。
その代わりに、コミックリリーフとしての絶妙なギャグや、迫力満点のアクションで魅せてくれる。
特に馬のマキシマスとフリンとの追っかけこは、まるで「未来少年コナン」や「ルパン三世」のルパンと銭形など、宮崎アニメを思わせるコミカルな物で、過去のディズニー作品とは一線を画する楽しさがある。
同じ事は悪役であるゴーテルの設定にも言え、彼女は魔女とは言っても、特に魔法を使える訳でもなく、ラプンツェルの髪の毛のお陰で不老不死でいるだけ。
彼女の持つ最大の力は、要するに人を陥れる“ウソ”であり、それ故に絵空事の世界を超えて、悪役としてのリアリティを感じさせるのである。
全体に、本作は過去のディズニープリンセス物と比べると、世界観やキャラクターデザインは古典的だが、個々のキャラクター設定や描写は、若干モダンかつリアリズム寄りになっており、それは作品のテーマを考えれば納得がいく。
生後直ぐに攫われたラプンツェルは、ゴーテルが実の母親だと信じ込んでいて、塔に閉じ込める事で邪悪な外の世界から守っているというゴーテルの言葉に疑いを持たない。
本作の脚本家が、グリム兄弟の原作以上に影響を受けていると思われるのが、レイ・ブラッドベリの短編小説、「びっくり箱」だ。
まあ、この作品自体が「髪長姫」の再解釈なのだが、こちらでは世界が邪悪で満ちていると信じる母親が、塔の様な家に12歳の息子を監禁している。
息子はその家こそが“世界”であり、外へ出れば死んでしまうと教えられて育つのだが、母親の死を切っ掛けに“世界”は崩壊し、彼は初めて本物の生へと歩み出し、歓喜するのである。
ここで描かれるのは、母親に吹き込まれた偽の世界の殻を破り、自由で自立した世界へと踏み出す葛藤と喜びであり、ロマンス要素の強い原作よりも本作に近い。
ブラッドベリの小説と本作が異なるのは、主人公を閉じ込めているのが、狂気の母性愛ではなく、利己的な偽りの愛であり、解放の切っ掛けが母親の偶然の死でなく、自立を求める自然な成長であるという点だ。
物語の前半は、ラプンツェルがゴーテルの本当の狙いを知らないので、庇護者のゴーテルと巣立って行こうとするラプンツェルの親子的な対立が軸となり、ラプンツェルの脱出は自立のための冒険と言えるだろう。
そして全てが明らかになる後半は、自分のために他人を犠牲にするゴーテルのエゴイズムと、お互いを想うラプンツェルとフリンの自己犠牲的な愛という、明確な対立点が作り出されて、物語を盛り上げるのである。
「塔の上のラプンツェル」は、歴史を継承しつつも、現代的なセンスと最新のテクノロジーで作り上げられた、21世紀に相応しい新時代のデジタル・ディズニー・プリンセス物の秀作だ。
「カーズ」 「ボルト」などを手がけたダン・フォーゲルマンの脚本はシンプルかつ丁寧で、バイロン・ハワードとネイサン・グレノの演出は伝統に裏打ちされたアニメーション技術に、新しいスパイスを絶妙にブレンドしている。
古典的な“プリンセス物の常識”を逆手にとった洒落っ気のあるラストなど、思わずニヤリとさせられた。
老若男女誰にでもお勧めできる一本であるが、願わくばこの元気が出る物語を、東北の被災地の子供達に見せてあげたい。
今はまだ難しいだろうが、もう少し被災地の環境が落ち着いたら、例えばNGOに委託する形でブルーレイによる巡回上映など出来ないものだろうか。
世界の人々に夢を与え続けてきた、ディズニーにしか出来ない貢献だと思うのだが。
今回は、ディズニー・プリンセスの第一号、白雪姫の名を持つカクテル、「スノー・ホワイト」をチョイス。
氷を入れたグラスにアップルワイン30mlとウォッカ15mlをシェイクして氷を入れたグラスに注ぎ、スプーン一杯のグレナデン・シロップを加える。 リンゴのスライスを添えても良い。
甘くて酸っぱいリンゴの風味が爽やかに広がる、大人の入り口にちょうど良いロマンチックなカクテルだ。
ちなみに、ディズニーの公式サイトによると、本作のラプンツェルは白雪姫から数えて10人目のディズニー・プリンセスに当たるのだそうな。
もっとも、リストを見ると別にプリンセスじゃないムーランが含まれていたり、動物や半分実写キャラだからなのかプリンセスなのに「ロビン・フット」のマリアンや「魔法にかけられて」のジゼルが省かれていたり、イマイチ基準が良くわからないけど。

記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
![]() ニッカ アップルワイン 720ml |
スポンサーサイト
| ホーム |