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2011年03月28日 (月) | 編集 |
セピア色の世界に住む少女と、モノクロの世界に住む中年男の、20年間以上に渡る不思議な絆を描いた異色のクレイ・アニメーション。
「メアリー&マックス」は、2003年の短編、「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー賞を受賞したオーストラリアの鬼才、アダム・エリオット監督の初めての長編作品で、5年もの制作期間とインディーズ作品としては破格の6億円のバジェットを費やして完成した。
独特の世界観とアニメーション技術には更に磨きがかかり、決して可愛いとは言えない粘土人形たちが織り成す切なくてちょっぴりダークな物語は、過去に作られたどんな作品にも似ていない。
2009年度のアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、オタワ国際アニメーションフェスティバル作品賞など、世界各国で高い評価を受けた傑作だ。
1976年のオーストラリア。
メルボルン郊外に住む少女メアリー(トニ・コレット)は、ある日ふとアメリカ人と友達になりたいと思い、郵便局の住所録に載っていたニューヨークのマックス(フィリップ・シーモア・ホフマン)に手紙を送る。
肥満体の中年男のマックスは、突然届いたオーストラリアからの手紙に戸惑いつつも、返事を送り、お互いに似た部分を感じた二人は、やがて国籍も性別も年齢をも超えた友達となり、深い絆で結ばれる事になる。
だがある時、突然マックスからの手紙が届かなくなり・・・・
アダム・エリオットの作品はリアルだ。
もちろん世界観やキャラクターデザインは、アニメーションならではのカリカチュアされたものなのだが、そこに描かれている物語は驚くほど現実感に富み、ゴツゴツした粘土人形たちは、どんな実写映画よりも人間らしく見える。
それはエリオットの作品が、常に人間の内面をフォーカスし、登場人物たちが何らかの障害やコンプレックスを抱えた不完全な存在として描かれているからだろう。
このスタンスは、自伝的要素の強い「Uncle」「Cousin」「Borther」の初期三部作から、オスカーを受賞した「ハーヴィー・クランペット」を経て、初の長編となった本作まで一貫しているが、エリオット自身がゲイという性的なマイノリティであり、病理震顫という時折体の一部が痙攣する障害を抱えている事と無関係ではあるまい。
二人の主人公のうち、オーストラリアに住む8歳のメアリーは、“泥の水溜り色の瞳”を持つ孤独な少女。
額にはウンコ色の痣があり、学校ではイジメられている。
アル中の母親は万引きの常習者で、ティーバッグ工場に務める父親の趣味は鳥の剥製作りで、メアリー曰く「死んだ鳥と遊ぶのが好き」(笑
好奇心旺盛なメアリーは、アメリカ人と友達になろうと思い、たまたま住所録で見たマックスに手紙を出す。
一方のマックスはニューヨークに住む44歳の中年男性。
過食症の肥満体で、アスペルガー症候群のために人の感情を読み取れず、他者との円滑な関係が築けないため、今までに色々な仕事を転々としている。
口の臭い片目の猫ハル、インコのMr.ビスケット、何度も代替わりする金魚のヘンリーが家族だ。
メアリーからの予期せぬ手紙を受け取ったマックスは、メアリーの様々な問いかけに彼なりの言葉で誠実に答え、全く対照的な二人による海を超えた文通が始まるのである。
手紙という、物理的なモノの持つ重みが良い。
ヴァーチャルなデータに過ぎない電子メールと違い、手紙は常に現実世界に残る。
コミュニケーションの証が実在する事の重要さは、クライマックスに繋がる重要な伏線でもあるのだが、何度かの中断を経て20年以上に渡ってやりとりされた手紙は、そのまま二人の人生の軌跡となる。
彼らの文通を通じて浮かび上がるのは、人と人が繋がる事の大切さ、そして難しさ。
幼かったメアリーは文通を続けるうちに成長し、やがて痣の除去手術を受けてコンプレックスを克服する。
精神医学の道に進んだ彼女は、マックスも自分と同じ様にアスペルガー症候群を克服すべきコンプレックスと感じていると信じ、無断でマックスを研究対象にした本を書いてしまうのである。
ところが、マックスはアスペルガー症候群も自分の一部であり、個性として捉えている。
困難は抱えているものの、彼の人生はそれ程孤独でも不幸でもなく、メアリーの行為は彼にとっては裏切りに他ならない。
悩んだマックスは、愛用のタイプライターから「M」のキーを取り外すと、メアリーに送りつける。
「M」はメアリーとマックスの共通の頭文字であり、このキーを外すという事は、もう手紙は書かないという決別の宣言だ。
てっきりマックスが喜んでくれると思い込んでいたメアリーは、自分のしてしまった事の意味にようやく気づき、愕然とする。
アダム・エリオットには、実際に長年に渡って文通しているニューヨーク在住のペンパルがおり、本作のプロットは彼の実体験がベースになっている。
ペンパルはマックスと同じ様にアスペルガー症候群で、マックスが彼だとするとメアリーがエリオットという事だろう。
自分のキャラクターを女の子にしたのは、より対照的なキャラクターにした方が映画としてわかりやすいという事だろうが、本作にはメアリーの他にもエリオットの自己投影と思われるキャラクターが存在する。
それはメアリーの幼馴染のダミアンだ。
彼は一時的にメアリーと夫婦になるのだが、ニュージーランドの男性ペンパルと恋に落ち、メアリーを捨てて出て行ってしまうのである。
ダミアンはエリオット同様にゲイであり、吃音という障害を抱えている。
人は皆違い、完璧な人間などどこにもいない。
エリオットは、本作を作った理由の一つが、アスペルガー症候群に関する誤解を解く事だと語るが、同時に障害や性癖など「人と違った事」を偏見で見ず、一つの個性として受け入れる事を説ている。
実際にエリオット自身も、病理震顫による痙攣を自分の創作スタイルに生かし、それは彼の作品の個性として認められているのである。
他人の心の中は本当は誰にもわからない、だからこそ自分の尺度で計るのでなく、他者を尊重し気持ちを思いやる事が大切なのだ。
因みにエリオットは現実のペンパルに対しては、きちんと映画を作る事を知らせて、了解をとっているそうだが、彼は自分の事が映画になる事に、全く関心を示さなかったという。
映像のクオリティは、文句なしに素晴らしい。
全体のタッチはいつものエリオット作品と変わらないが、その完成度は圧巻のレベルだ。
色彩設計はオーストラリアのメアリーの世界を土をイメージさせるセピア色に、ニューヨークのマックスの世界をコンクリートのモノクロ調に描写し、キーアイテムに赤などの強い色を使う事で浮かび上がらせている。
キャラクターはかなりカリカチュアされて造形されているが、基本的に描写はリアルだ。
太ったマックスは、いかにも重そうに動くし、決してマンガチックなウソの動きはしない。
この辺りの抑制も映画の世界のリアリティを高めている。
そして、丁寧にアニメートされたキャラクターたちに最終的に命を吹き込むのは、オーストラリアを代表する名優たち。
成長したメアリーをトニ・コレット、ダミアンをエリック・バナというビッグネームが演じているが、圧巻はやはりフィリップ・シーモア・ホフマンの熱演だろう。
彼は、灰色の巨漢マックスの心の機微を、繊細な演技で生身の人間キャラクター以上に完璧に演じ切り、オスカー俳優のさすがの貫禄を見せ付ける。
多くの観客は、マックスのぎこちない笑顔を忘れる事が出来ないだろうが、それはアニメーターと俳優が完全に心を一つにした結果なのである。
「メアリー&マックス」は、端的に言ってしまえば地味な人間ドラマだ。
映画としての完成度は極めて高いが、世間一般が“アニメーション”という言葉に期待する、カラフルで楽しげなイメージとはかなり異なった作品だろう。
だが私は、この決して可愛いくない、見方によっては不細工とも言える人形たちの物語に、笑い、怒り、哀しみ、ついには涙腺が激しく決壊してしまった。
彼らには、間違いなく本物の心が宿っている。
実はこの映画を観て、私が一番連想したのは、過去のアニメーション映画ではなく、21世紀に入ってからの、クリント・イーストウッド監督の一連の作品だ。
人と人との本当の絆を描いた本作は、今の日本に何よりも必要とされている作品だと信じる。
アニメーション映画史に残る、珠玉の一本である。
さて、メアリーの住む南部オーストラリアはワインどころとしても知られる。
今回は、メルボルンから程近いヤラ・ヴァレーに、ワイン評論家のジェームス・ハリデーが創設したワイナリー、コールドストリームヒルズの「シャルドネ 2007」をチョイス。
ややクセのある映画とは異なり、爽やかで非常に飲みやすい万人受けする上質のシャルドネで、メアリーの涙の様な優しい味わい。
コストパフォーマンスも高く、オーストリア旅行のお土産にもお勧めの一本だ。
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「メアリー&マックス」は、2003年の短編、「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー賞を受賞したオーストラリアの鬼才、アダム・エリオット監督の初めての長編作品で、5年もの制作期間とインディーズ作品としては破格の6億円のバジェットを費やして完成した。
独特の世界観とアニメーション技術には更に磨きがかかり、決して可愛いとは言えない粘土人形たちが織り成す切なくてちょっぴりダークな物語は、過去に作られたどんな作品にも似ていない。
2009年度のアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、オタワ国際アニメーションフェスティバル作品賞など、世界各国で高い評価を受けた傑作だ。
1976年のオーストラリア。
メルボルン郊外に住む少女メアリー(トニ・コレット)は、ある日ふとアメリカ人と友達になりたいと思い、郵便局の住所録に載っていたニューヨークのマックス(フィリップ・シーモア・ホフマン)に手紙を送る。
肥満体の中年男のマックスは、突然届いたオーストラリアからの手紙に戸惑いつつも、返事を送り、お互いに似た部分を感じた二人は、やがて国籍も性別も年齢をも超えた友達となり、深い絆で結ばれる事になる。
だがある時、突然マックスからの手紙が届かなくなり・・・・
アダム・エリオットの作品はリアルだ。
もちろん世界観やキャラクターデザインは、アニメーションならではのカリカチュアされたものなのだが、そこに描かれている物語は驚くほど現実感に富み、ゴツゴツした粘土人形たちは、どんな実写映画よりも人間らしく見える。
それはエリオットの作品が、常に人間の内面をフォーカスし、登場人物たちが何らかの障害やコンプレックスを抱えた不完全な存在として描かれているからだろう。
このスタンスは、自伝的要素の強い「Uncle」「Cousin」「Borther」の初期三部作から、オスカーを受賞した「ハーヴィー・クランペット」を経て、初の長編となった本作まで一貫しているが、エリオット自身がゲイという性的なマイノリティであり、病理震顫という時折体の一部が痙攣する障害を抱えている事と無関係ではあるまい。
二人の主人公のうち、オーストラリアに住む8歳のメアリーは、“泥の水溜り色の瞳”を持つ孤独な少女。
額にはウンコ色の痣があり、学校ではイジメられている。
アル中の母親は万引きの常習者で、ティーバッグ工場に務める父親の趣味は鳥の剥製作りで、メアリー曰く「死んだ鳥と遊ぶのが好き」(笑
好奇心旺盛なメアリーは、アメリカ人と友達になろうと思い、たまたま住所録で見たマックスに手紙を出す。
一方のマックスはニューヨークに住む44歳の中年男性。
過食症の肥満体で、アスペルガー症候群のために人の感情を読み取れず、他者との円滑な関係が築けないため、今までに色々な仕事を転々としている。
口の臭い片目の猫ハル、インコのMr.ビスケット、何度も代替わりする金魚のヘンリーが家族だ。
メアリーからの予期せぬ手紙を受け取ったマックスは、メアリーの様々な問いかけに彼なりの言葉で誠実に答え、全く対照的な二人による海を超えた文通が始まるのである。
手紙という、物理的なモノの持つ重みが良い。
ヴァーチャルなデータに過ぎない電子メールと違い、手紙は常に現実世界に残る。
コミュニケーションの証が実在する事の重要さは、クライマックスに繋がる重要な伏線でもあるのだが、何度かの中断を経て20年以上に渡ってやりとりされた手紙は、そのまま二人の人生の軌跡となる。
彼らの文通を通じて浮かび上がるのは、人と人が繋がる事の大切さ、そして難しさ。
幼かったメアリーは文通を続けるうちに成長し、やがて痣の除去手術を受けてコンプレックスを克服する。
精神医学の道に進んだ彼女は、マックスも自分と同じ様にアスペルガー症候群を克服すべきコンプレックスと感じていると信じ、無断でマックスを研究対象にした本を書いてしまうのである。
ところが、マックスはアスペルガー症候群も自分の一部であり、個性として捉えている。
困難は抱えているものの、彼の人生はそれ程孤独でも不幸でもなく、メアリーの行為は彼にとっては裏切りに他ならない。
悩んだマックスは、愛用のタイプライターから「M」のキーを取り外すと、メアリーに送りつける。
「M」はメアリーとマックスの共通の頭文字であり、このキーを外すという事は、もう手紙は書かないという決別の宣言だ。
てっきりマックスが喜んでくれると思い込んでいたメアリーは、自分のしてしまった事の意味にようやく気づき、愕然とする。
アダム・エリオットには、実際に長年に渡って文通しているニューヨーク在住のペンパルがおり、本作のプロットは彼の実体験がベースになっている。
ペンパルはマックスと同じ様にアスペルガー症候群で、マックスが彼だとするとメアリーがエリオットという事だろう。
自分のキャラクターを女の子にしたのは、より対照的なキャラクターにした方が映画としてわかりやすいという事だろうが、本作にはメアリーの他にもエリオットの自己投影と思われるキャラクターが存在する。
それはメアリーの幼馴染のダミアンだ。
彼は一時的にメアリーと夫婦になるのだが、ニュージーランドの男性ペンパルと恋に落ち、メアリーを捨てて出て行ってしまうのである。
ダミアンはエリオット同様にゲイであり、吃音という障害を抱えている。
人は皆違い、完璧な人間などどこにもいない。
エリオットは、本作を作った理由の一つが、アスペルガー症候群に関する誤解を解く事だと語るが、同時に障害や性癖など「人と違った事」を偏見で見ず、一つの個性として受け入れる事を説ている。
実際にエリオット自身も、病理震顫による痙攣を自分の創作スタイルに生かし、それは彼の作品の個性として認められているのである。
他人の心の中は本当は誰にもわからない、だからこそ自分の尺度で計るのでなく、他者を尊重し気持ちを思いやる事が大切なのだ。
因みにエリオットは現実のペンパルに対しては、きちんと映画を作る事を知らせて、了解をとっているそうだが、彼は自分の事が映画になる事に、全く関心を示さなかったという。
映像のクオリティは、文句なしに素晴らしい。
全体のタッチはいつものエリオット作品と変わらないが、その完成度は圧巻のレベルだ。
色彩設計はオーストラリアのメアリーの世界を土をイメージさせるセピア色に、ニューヨークのマックスの世界をコンクリートのモノクロ調に描写し、キーアイテムに赤などの強い色を使う事で浮かび上がらせている。
キャラクターはかなりカリカチュアされて造形されているが、基本的に描写はリアルだ。
太ったマックスは、いかにも重そうに動くし、決してマンガチックなウソの動きはしない。
この辺りの抑制も映画の世界のリアリティを高めている。
そして、丁寧にアニメートされたキャラクターたちに最終的に命を吹き込むのは、オーストラリアを代表する名優たち。
成長したメアリーをトニ・コレット、ダミアンをエリック・バナというビッグネームが演じているが、圧巻はやはりフィリップ・シーモア・ホフマンの熱演だろう。
彼は、灰色の巨漢マックスの心の機微を、繊細な演技で生身の人間キャラクター以上に完璧に演じ切り、オスカー俳優のさすがの貫禄を見せ付ける。
多くの観客は、マックスのぎこちない笑顔を忘れる事が出来ないだろうが、それはアニメーターと俳優が完全に心を一つにした結果なのである。
「メアリー&マックス」は、端的に言ってしまえば地味な人間ドラマだ。
映画としての完成度は極めて高いが、世間一般が“アニメーション”という言葉に期待する、カラフルで楽しげなイメージとはかなり異なった作品だろう。
だが私は、この決して可愛いくない、見方によっては不細工とも言える人形たちの物語に、笑い、怒り、哀しみ、ついには涙腺が激しく決壊してしまった。
彼らには、間違いなく本物の心が宿っている。
実はこの映画を観て、私が一番連想したのは、過去のアニメーション映画ではなく、21世紀に入ってからの、クリント・イーストウッド監督の一連の作品だ。
人と人との本当の絆を描いた本作は、今の日本に何よりも必要とされている作品だと信じる。
アニメーション映画史に残る、珠玉の一本である。
さて、メアリーの住む南部オーストラリアはワインどころとしても知られる。
今回は、メルボルンから程近いヤラ・ヴァレーに、ワイン評論家のジェームス・ハリデーが創設したワイナリー、コールドストリームヒルズの「シャルドネ 2007」をチョイス。
ややクセのある映画とは異なり、爽やかで非常に飲みやすい万人受けする上質のシャルドネで、メアリーの涙の様な優しい味わい。
コストパフォーマンスも高く、オーストリア旅行のお土産にもお勧めの一本だ。

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