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1月公開の前編では、奥浩哉のユニークなコミック世界を見事に映像化していたが、原作の方はまだまだ連載中。
大胆にも「GANTZ : PERFECT ANSWER」と銘打った後編では、幾つかのモチーフを借り受けつつも、原作とは異なる映画オリジナルの物語が展開する。
※完全ネタバレ注意
加藤(松山ケンイチ)の死から五ヶ月後、玄野(二宮和也)は仲間と共に星人との戦いに生き残っていた。
都内で頻発する破壊事件を追う公安警察の重田(山田孝之)は、謎の黒服の男たちと接触、玄野が事件の鍵を握ると知らされる。
同じ頃、モデルの鮎川映莉子は、ポストに入っていた小さな黒い玉に操られる様に次々に人を殺し、殺された人々はGANTZに召還される。
彼らは玄野たちと共に、新たなミッションに挑むのだが、初心者にしてはあまりにも戦い慣れしている事に自らも戸惑う。
実は、鮎川に殺されて召還されたのは、以前GANTZによって生き返り、100点をとって記憶を消されて解放された過去のメンバーだったのだ・・・
原作から離れるのだから当たり前だが、「GANTZ : PERFECT ANSWER」は、前編の世界観を留めつつも、かなり異なるムードを持つ作品となった。
前編では、突然理不尽な世界に放り込まれた、玄野と加藤という対照的な二人の主人公が、お互いに葛藤しつつも、生死を賭けた状況下で、それぞれの“戦う理由”を見つけてゆく物語だった。
観る前は、既に提示された様々な“謎”の答えを見つけつつ、玄野がより強大な星人を倒して、加藤を復活させる話になるのかと思っていたが、実はそうではない。
散りばめられた謎に答えを出すどころか、本作は冒頭から新たなる謎を次々に広げて行くのである。
シンプルだった前編に比べて、今回はストーリーラインも複雑だ。
星人との何時終わるとも知れぬ戦いを続けながら、恋人(?)の小島多恵と加藤の残された弟との穏やかな日常という二重生活を送る玄野の物語、GANTZ事件を追う公安刑事の重田正光と彼に情報を提供する謎の黒服集団の物語、過去にGANTZに召還され、その後100点をとって解放されたメンバーを、再びGANTZ部屋に連れ戻す鮎川映莉子の物語。
大雑把に言って、前半部分は謎が謎を呼ぶ形でこれら三つの物語の流れが平行し、逆に前作のウリであった星人との戦いは全く描かれない。
正直、最初の三十分くらいは、せっかくのカッコ良いバトルスーツの見せ場も無く、謎の風呂敷が広がり続けるだけなので、正直言って少々冗長。
これはチョイ厳しいかなあと思っていると、何と今度は死んだはずの加藤がピンピンして玄野の前に姿を現すのである。
訳もわからず喜ぶ玄野だが、GANTZの死亡者リストには相変わらず加藤が載ったままで、それどころか次なるターゲットとして指名されたのは、何故か星人ではなく玄野にとって誰よりも大切な小島多恵なのだ。
ここに来て、三つの流れは急激に一つに収束し、物語は一気呵成に動き出す。
要するに、今までやられっ放しだった星人サイドが反撃に出て、GANTZ部屋を探し始めたのである。
加藤も黒服集団も、正体は寄生獣の様に姿を自在に変えられる新手の星人で、自分の身が危ないとわかったGANTZは、過去に高得点を出した戦闘能力の高いメンバーを、その一人である鮎川映莉子を使って殺害する事で再召還したという訳だ。
だが、指令を伝えるためにGANTZが鮎川に送った、まるでミニチュアのGANTZの様な通信装置が、最後の召還予定者である小島多恵を呼ぶ前に、ニセ加藤の手に渡ってしまう。
これは予定の人物を全て召還(つまり殺害)した段階で、部屋に通じる鍵となるために、もしもニセ加藤が小島多恵を殺せば、彼にGANTZ部屋の場所がバレてしまうのである。
その為に、GANTZはメンバーにニセ加藤よりも先に、多恵を殺せという指令を出したという訳だ。
追い討ちをかけるように、GANTZの“電池”である玉男の寿命が尽きようとしており、もしもそうなれば、GANTZによって生かされているメンバーも消滅するという事実が明かされる。
児島多恵を殺した者に与えら得る点数は100点。
電池切れになる前に解放されるために、小島多恵を殺そうとするメンバーとそれを阻止しようとする玄野。
復活させた本物の加藤、前編ではあまり目立たなかった田口トモロヲ演じる鈴木ら、ごく僅かの仲間と共に、多恵を他のメンバーから守ろうとするが、そこに襲い掛かるのが黒服集団と彼らのボスキャラであるニセ加藤(どうやら前編の千手観音の中の人らしい)だ。
そう、今回のクライマックスは、人間VS人間VS星人という三つ巴の戦いなのである。
星人といっても、以前の田中星人やおこりんぼう星人とは違って、形やサイズは基本的に人間と変わらず、武器も日本刀なので、見た目のユニークさは劣るものの、スピーディな戦闘シーンはなかなかにパワフルな仕上がり。
戦う場所は、閉鎖された地下鉄の車中と、逆にバトルスーツの能力を最大限に生かした空中の逃走劇という、二つの対照的な舞台が用意されており、星人のボスキャラであるニセ加藤VS玄野と本物の加藤というビジュアル的なクライマックスも良く出来ていて、後半は見せ場の連続で飽きさせない。
アクションを支えるVFXは、十分に世界レベルのクオリティで、相変わらず日本映画離れした画作りを成功させており、ハリウッド映画を観慣れた目にも遜色を感じさる事は無い。
しかしながらテーマ的にも、(答えは殆ど描かれないにせよ)人類はなぜ戦うのかと言った問いかけや、生死を巡るエゴイズムと自己犠牲といった、シリアスな側面が強まった結果、星人たちのルックスも含めて、前編にあったようなとぼけたユーモアが失われてしまったのは少々残念だ。
そして遂にGANTZ部屋に星人が侵入し、最後の決戦の後に愛する者を失った玄野が、死にゆくGANTZに対して提案する究極の解決法とは・・・。
そう、この作品における「PERFECT ANSWER」とは、我々観客に向けて全ての答えを開示するという意味ではなく、あくまでも本作の主人公である玄野にとっての“完璧な解”であると受け止めるべきだろう。
謎解きという点では、そもそもGANTZとは誰が何のために作り、なぜ死者を召還するのかが全く明らかにならないし、敵である星人の正体も謎のままだ。
星人というからには異星人なのだろうけど、どこから来て地球で何をしているのか、なぜGANTZによって敵視されるのか、我々が知りたい殆どの“謎”に対して、本作は何の“ANSWER”も示してくれないのである。
ぶっちゃけると、単に広げすぎた風呂敷を畳めなくなって、ひたすら希薄化した内容を、何とか玄野に収束させたとも言えるのだが、本作をあくまでも不条理な状況に置かれた玄野計の物語と考えるならば、謎の部分はあえて放りっぱなしもアリかなあとは思う。
ただ個人的には、スケールの大きなSFアクションとして、前作に引き続き十分楽しめたが、「PERFECT ANSWER」というタイトルに対しては「う~ん、60%ANSWER位じゃないの?」という印象だ。
まあ全ての謎を映画で解いてしまうと、連載中の漫画の方が困ってしまうのかも知れないけれど。
前編では黒繋がりで「東京ブラック」を合わせたが、この二部作は広く海外でも公開されるらしい。
今回は公開が決まっている国一つ、ビールの本場ドイツから「ケストリッツァー シュヴァルツビア」をチョイス。
黒ビールらしい豊かでまろやかなコクと、適度な苦味を味わえる、ヨーロッパを代表する黒ビールの逸品だ。
美味しいドイツ料理と共にいただきながら、残された謎を語らいたい。
(ヒソヒソ)ところで、この映画の理屈だと、玄野の命が尽きる時に、生き返った人たちも結局皆消えちゃうんだよねえ?それとも彼らは解放された事になるのかな?

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監督はジャッキー・チェン主演の「アクシデンタル・スパイ」で知られるテディ・チャン。
建て込みに実に8年を費やしたと言う、20世紀初頭の香港を再現した迷宮の様な巨大オープンセットを舞台に展開するのは、義士たちが織り成す熱血の人間ドラマと、敵味方入り乱れての怒涛の攻防戦。
ドニー・イェンとレオン・ライの素晴らしい功夫アクションもあり、見所満載、お腹一杯の139分だ。
1906年、英国領香港。
豪商のリー・ユータン(ワン・シュエチー)は、革命組織の幹部で旧友のチェン社長(レオン・カーフェイ)から、日本に滞在していた孫文が香港にやって来るという知らせを聞く。
腐敗した清朝に対する一斉蜂起の計画を、各地の組織の幹部たちと作り上げるためだ。
だが、カリスマの孫文を殺せば、革命運動は頓挫する。
帝国の支配者、西太后によって香港に送り込まれた暗殺団から孫文を守るために、急遽護衛の義士団が結成される。
暗殺団のスパイだった警官、名誉回復を願う元少林寺の僧、父の仇討ちを誓う少女・・・様々な理由で名乗りを上げた8人の義士たちが、それぞれの信念を胸に、絶望的な戦いに挑む・・・
物語は孫文到着の数日前から始まり、ザックリ言えば前半が義士団の結成を描く人間ドラマ編、後半がノンストップのアクション編という様な構成で、ちょっと黒澤明の「七人の侍」を思わせる。
面白いのは視点が特定の人物に固定されず、シークエンスごとに主役が入れ替わる様な特殊な語り口。
これによって短時間の間に、それぞれのキャラクターの抱える葛藤や背景が濃厚に描かれ、観客の感情移入を誘う仕組みである。
普通この用に視点がコロコロ変わると観難くなってしまうものだが、本作では義士団を集める話の中心に、豪商のリーという重厚なキャラクターを重石として置き、彼と息子であるチョングアンの親子の葛藤を物語の縦軸とする事で、とっちらかった印象になることを上手く防いでいる。
黒澤明は七人のキャラクターを描ききるのに4時間を費やしたが、139分と言う内容を考えれば比較的コンパクトな尺の中で、8人の義士たちに加えて悪役サイドまでキャラクターをしっかりと描写する作劇の技術は、なかなかに見事な物だ。
義士たちの戦う理由が、自由主義革命の理想という単純な物でなく、皆バラバラである事も良い。
何しろ彼らの中には、自分たちが命がけで守る、孫文とは何者かを知らない者までおり、彼らはそれぞれの秘めたる動機によって戦いに身を投じる。
ドニー・イェン演じる功夫の達人シェンは、博打で身を持ち崩し、彼を見放した妻はリーと再婚している。
シェンは最初暗殺団のスパイとして働いているのだが、やがてリーが養育しているのが、自分の実の娘である事を元妻に知らされ、葛藤の末に父親としての誇りをかけて、義士団に加わる。
だから彼が守るのは孫文ではなく、娘の育ての親であるリーなのだ。
ワン・ポーチエ演じる、リーの息子のチョングアンは、偉大な存在である父に自分を認めさせ、自分の足で人生を歩むために、孫文の影武者という危険な任務を引き受ける。
ニコラス・ツェー演じるアスーは、主人であるリーへの忠誠とチョングアンとの友情のために、クリス・リー演じる紅一点のファン・ホンは、暗殺団に殺された父の復讐のために、見た目も強烈なメンケ・バータル演じる巨漢の少林僧ワンは、自らの名誉のために。
そして、高貴な生まれでありながら、禁断の愛に人生をかけてしまい、路上生活者に身を落としたリュウ若君は、いわば自らの死に場所を定めるために戦いに加わる。
要するに、天下国家のために孫文を守ろうとしているのは、元々革命家であるリーやチェン社長だけ。
しかも、実際に義士団が守るのは本物の孫文では無く、彼が組織の幹部達と密会する間、敵の目を逸らし時間稼ぎするのために仕立てられた影武者のチョングアンである。
その場にいない孫文のために、敵味方が命を懸けて戦うという皮肉。
見方によっては、リーたちが革命と言う自らの大儀のために、義士たちを利用したとも言えるのである。
たとえ自らを慕う者たちを犠牲にしたとしても、その命で国を変える。
何で読んだのか忘れたが、「歴史を作るのは物言わぬ大衆ではなく、覚悟を決めた少数の過激派である」という言葉を思い出した。
個人では抗し難い巨大なうねりが、名も無き市井の人々である義士たちの人生を飲み込んでゆく様は、歴史の残酷さを感じさせる。
登場人物それぞれの異なる想いが複雑に絡み合い、物語を重層的にしているが、人間関係の葛藤は悪役サイドまで及んでおり、現場で義士団を率いるチェン社長が、暗殺団のボスキャラであるヤン将軍と師弟関係にあり、暗殺団もまた別種の大儀を掲げているあたり、単純な勧善懲悪に陥る事無く、物語の格調とリアリティ高めている。
そして、全ての役者が揃い、孫文が香港に到着し、彼を乗せた人力車が走り出すと、見せ場満載のアクション編の幕が開く。
孫文暗殺の謀は実際に何度もあったらしいが、本作はあくまでもフィクション。
巨大なセットは複雑な迷宮の様に入り組んでおり、あの手この手で襲ってくる刺客達との戦いは多分にゲームライクで、疾走する人力車に引っ張られるように、アクションもノンストップで一気に加速してゆく。
矢が雨の様に降り注ぐ中、通行人や獅子舞に紛れ込んだ敵がワラワラと襲い掛かり、進路には爆薬が仕掛けられている。
激しい戦いの中で、義士たちも一人、また一人と倒れて行くのである。
ユニークなのは、彼らが死ぬ毎に、亡骸の描写に合わせ、まるで実在の人物であるかのように、「○○(名前)、○○年~○○年、○○出身」という字幕が出るのだ。
ちょっとズルイ手法ではあるが、キャラクターの存在により現実感が出て、観客のシンパシーを誘うのは確かだろう。
後半1時間に及ぶ、長大なアクションシークエンスの中でも、個人技の大きな見せ場は二箇所。
ドニー・イェンVS敵の中ボスの、超気合の入った功夫バトルと、レオン・ライ演じるリュウ若君の鉄扇を使った流麗な立ち回りだ。
基本的に人力車を追って動きながらの戦いが基本となる本作だが、この二人の戦いはじっくりと腰をすえて描かれており、アクションのフルコースのメインディッシュとして、素晴らしい仕上がりである。
そして、この革命を巡る熱く重厚な物語のクライマックスに、テディ・チャンは驚くべき仕掛けを用意している。
敵のボスが、遂に影武者のチョングアンの乗った人力車に迫る時、車夫を失った人力車はスローモーションで階段を転げ落ちてゆくのである。
このシーンがエイゼンシュテインの歴史的傑作、「戦艦ポチョムキン」におけるオデッサ階段のシーンをモチーフとして描かれているのは明らかだ。
1905年に起こったポチョムキン号の反乱を、ロシア革命の前章として描いた偉大な先人への、辛亥革命の前章として本作を作り上げたチャン監督からの大いなるオマージュであろう。
また原題の「十月圍城」とは「十月の包囲された街」という意味だが、物語の中では特に季節が意味を持つことは無いので、これもまたポリシェヴィキによる10月革命を描いたエイゼンシュテインの「十月」(原題:Октябрь)を意識した物と見る事が出来るだろう。
そう、本作のキーワードは“革命”なのだ。
この物語はフィクションだが、実際の革命の裏でも、様々権謀術策によって多くの血が流れたに違いない。
テディ・チャンは、時代の巨大なうねりの中、孫文というアイコンに振り回され、戦いの中で命を落としてゆく人々を通して、歴史の無情とそれでも自らの生き様を突き詰めるしかない人間存在の儚さを見事なコントラストに描き出した。
これは正に中国映画界にしか作れない、正統派娯楽映画の傑作だが、中東でジャスミン革命が火を噴いた2011年に観ると、次なる革命の時代の胎動を予告した作品の様にも思えてくるのである。
孫文と言えば神戸縁の人物でもあり、今回は灘の泉酒造から「仙介 特別純米酒」をチョイス。
泉酒造は250年以上の歴史を持つ酒蔵で、多分酒豪であったという孫文も飲んだ事だろう。
仙介は、米の甘みと適度な酸味を持つまろやかな酒で、冷でも良いが少し暖めたぬる燗にすると美味い。
この蔵は阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、長く委託醸造状態だったが、漸く4年前に自家醸造を再開した。
不屈の闘士は孫文に通じる部分がある?

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とはいっても、これは単に舞台の内容を撮影した記録映画ではない。
映画監督・周防正行は、本来の2幕20場の舞台を1幕13場に再構成し、メイキングとの2部構成として、フィルムというタイムカプセルの中に永遠に封じ込め、極めて風変わりな、しかし宝石の様に美しい創造の物語として結晶させている。
2009年7月。
東宝撮影所で一本の映画がクランクインする。
タイトルは「ダンシング・チャップリン」で、バレエの演目を再構成、映画化するという前代未聞の企画である。
だがクランクインを迎えるまでには、紆余曲折があった。
監督の周防正行は作者であるローラン・プティと演出を巡って葛藤し、東京のリハーサルスタジオでは、舞台と勝手の違いにダンサーたちが戸惑う。
果たして、予定通り撮影する事はできるのだろうか・・・・?
私はバレエに関しては殆ど門外漢だが、それでも巨匠ローラン・プティの名前と、彼の代表作の一つである「チャップリンと踊ろう」のタイトル位は知っている。
これは、二十世紀前半を代表する喜劇王、チャーリー・チャップリンと彼の傑作映画群をモチーフに、バレエとして新たに創作された作品である。
主演に選ばれたのはルイジ・ボニーノ。
プティはボニーノのためにこの作品を作り、世界で唯一彼だけに踊る事を許して来た。
本作は、初演以来170回も踊り続けて来たボニーノが還暦を迎えて、このままでは幻の舞台になる事を危惧した周防監督が、映画として後世に残そうと考えた事から企画がスタートしたと言う。
映画は、前半が「アプローチ」と名付けられたメイキング、後半が「バレエ」パートの二部構成となり、二つの合間には観客の気持ちをリセットさせる為に5分間のインターミッションが挟まれる。
本番の前に、あえて創作の過程を見せてしまうというアイディアが秀逸だ。
「アプローチ」では、チャップリン晩年の地であるスイスを訪ね、オリジナルの舞台の作者であるプティと話し合い、映画化への戦略を構想する周防監督の姿と、東京でのダンサー達の入念なトレーニングの様子を交錯させ、それぞれの闘いが描かれる。
バレエ作品を映画化すると行っても、事はそう簡単ではない。
普通にステージをカメラで記録するだけでは、単なる舞台中継と変わらなくなってしまう。
あくまでも映像作品として再構成したい周防監督は、映画ならではの演出として、警官の出てくる舞台の一部を実際の公園で撮影したいとプティに提案する。
チャップリンにオマージュを捧げ、これが単なる記録ではなく、一本の独立した“映画”である事を示したかったのだろう。
だが、ダンサーの踊りにフォーカスして欲しいプティは「それならボクはやらない」となかなか首を縦に振らない。
この辺りはオリジナル作者の拘りと、彼の仕事を最大限リスペクトしつつも、あくまでも映画を撮ろうとする監督との創造の鬩ぎ合い、産みの苦しみである。
一方、東京ではダンサーたちが、ただでさえ難易度の高い振り付けを、クローズアップを含む映画として成立させなければならないという困難なハードルに立ち向かう。
遠くの客席から観る舞台なら気にならない様な、身体のちょっとしたふらつきが、映画になると致命的に目立ってしまう。
一発勝負の舞台と違い、監督がOKするまで繰り返し同じ動きを演じなければならないという問題もある。
ヒロインを演じる草刈民代をリフトする役の若いダンサーが、どうしても彼女を上手く支えられず、急遽代役がヨーロッパから呼び寄せられるが、残された日数はわずか数日!
これら様々な葛藤が描かれる「アプローチ」では、その問題の解は明確には示されず、映画はクランクインの日を迎えてしまうのである。
そして、五分間の暗転の後に、バレエ「ダンシング・チャップリン」が始まる。
このプロジェクトが多くの問題を抱えていた事を、「アプローチ」によって知らされている観客の期待と興味は既に十分に高まっている。
大苦戦していたリフトの動きは大丈夫なのだろうか?
「警官と公園と女性がいれば映画は撮れる」というチャップリンの言葉から、舞台のクローズドな空間を、映画的に開放したいという周防監督の願いは、プティに認められたのだろうか?
例えバレエと言う芸術に馴染みがなくても、それまでの1時間に一つの作品を創りあげる戦いを見てきた観客は、すっかり舞台に向き合う準備はできているのである。
やがてフィルムが再び回りはじめ、漆黒の世界に光が差し、主人公であるチャップリンが現れると、そこからはもうあっという間。
ダンサーの肉体が躍動し、嘗て観た映画の名シーンが、次々と美しいバレエの演目となって蘇り、映画ファンもバレエファンも等しく魅了される1時間10分の夢空間が広がる。
面白い事に、バレエの振り付けとしてカリカチュアが強められたチャップリンの動きは、まるで20年代初期のカートゥーン・キャラクターそのものだ。
実は、アメリカン・カートゥーン史上最初のスーパースターである“フェリックス・ザ・キャット”の作者、オットー・メスマーは、1923年の「Felix in Hollywood」の中で、チャップリンをキャラクターとして描き、フェリックスと共演させている。
メスマーは、この時にチャップリンのコミカルな動きを徹底的に研究し、後にフェリックスの演技に生かしたそうである。
だから、チャップリンの動きをベースとした本作の振り付けが、カートゥーンチックになるのは必然なのだ。
余談の余談になるが、チャップリンをモデルにしたフェリックスの演技にインスピレーションを得て、今度はその大袈裟な動きを自らのギャグに取り入れたのがアクション派の喜劇王、バスター・キートンである。
「ダンシング・チャップリン」は、チャップリンからプティ、そして周防正行へと受け継がれた創作の連鎖の、現時点での最も幸福な終着点となった。
単なる記録ではなく“映画としてのバレエ”という困難なテーマは、年齢を重ねたルイジ・ボニーノがチャップリンその人に重なり、舞台と映画が一体化するラストシーンに見事に結実していると言えるだろう。
それにしても、飛び、回転し、持ち上げ、圧倒的な肉体の迫力を伝えてくるダンサーたちの若いこと!
ボニーノが60歳なんて、何かの冗談に思えてくる。
そして本作は、周防監督の愛妻でもある、草刈民代のバレエダンサーとしての引退の花道ともなった。
チャップリンに愛されたヒロインを、一人で全て演じた彼女はとても魅力的に描写され、カメラを通しても深い愛情が伝わってくる。
色々な意味でご馳走様な、素晴らしく気持ちの良い“映画”である(笑
今回は周防監督がクランクインの前に観直したというチャップリンの代表作から「ライムライト」をチョイス。
材 料ドライジン30ml フランボワーズリキュール6ml オレンジジュース18ml レモンジュース適量をシェイクしてグラスに注ぐ。
最後にマラスキーノチェリーを飾って完成。
柑橘類のフルーティなフレーバーを、ジンがしっかりと支える、フレッシュで爽やかな味わいだ。
日本人、鈴木国明氏によって30年ほど前に考案されたカクテルで、ここにも創作の連鎖がある。

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「300 スリーハンドレッド」 「ウォッチメン」で知られる映像派の俊英、ザック・スナイダー監督による、超異色の秋葉系アクションアドベンチャー大作。
現実と妄想の入り混じったファンタジーワールドで、五人の美女たちの自由への戦いが描かれる。
今まで原作物ばかりを手がけてきたスナイダーにとっては、自身による初のオリジナル脚本作品だが、よくぞここまでと思うほどにヲタク的な趣味性炸裂の映像世界に、かなり好みは分かれそうだ。
継父によって、妹殺しの罪を着せられたベイビードール(エミリー・ブラウニング)は、精神病院に送られて、5日後にロボトミー手術を受けることになる。
ベイビードールは、同じ境遇の患者達と力を合わせ、病院を脱出するために、ファンタジーの世界に飛び込んで、必要な五つのアイテムを探す事になるのだが・・・
原題は“不意の一撃”という意味を持つ「Sucker Punch」だが、suckerにはマヌケとかおめでたい奴、或いは人を騙すという意味もあり、本作を観賞した後にニヤリとさせられる。
物語は劇中劇の中に更に劇中劇があるという三層構造になっており、あらすじを説明するのが難しい映画である。
オープニングでいきなりベイビードールの母親が死亡し、巨額の遺産を狙う継父によって、妹殺しの罪をでっち上げられて精神病院に送り込まれるまでが一気に描かれる。
継父は病院のスタッフのブルーという男に金を掴ませ、ベイビードールにロボトミー手術を受けさせようとするのだが、その手術の瞬間、突然世界が変わる。
実はそこは、監禁されたダンサーたちが売春婦として客を喜ばせる秘密クラブで、それまでの顛末はステージで演じられているパフォーマンスだったというのである。
そして、この店に売られてくるのが、天才的なダンスの才能の持ち主であるベイビードール。
彼女は五日後に店のパトロンである大富豪に処女を捧げる事になっているが、ベイビードールはスイートピー、ロケット、ブロンディ、アンバーという四人のダンサー仲間達と脱出計画を練り上げる。
計画は、ベイビードールのダンスを見ると、誰もが魅了されてその場から動けなくなってしまう事を利用して、彼女がダンスで人目を惹きつける間に、他の女達が脱出に必要なアイテムを一つ一つ盗み出すという物だが、そのシークエンスがベイビードールの踊りからイメージされる、ファンタスティックな妄想の世界として描かれるのである。
脱出に必要な五つのアイテムは“地図”“火”“ナイフ”“鍵”そしてもう一つは不明のまま。
妄想の冒険のステージとなるのは、半分頭のネジが飛んじゃった様な、混沌とした異世界だ。
巨大なロボット侍が待ち受ける戦国時代の日本の様な世界から始まって、ドイツ軍のゾンビ兵士が跋扈する戦場、ドラゴンが待ち受ける「LOTR」チックなファンタジーワールド、未来都市が輝く外宇宙の惑星など、夫々のアイテムを手に入れる戦いは、凝りに凝った世界観の中で展開し、シャープな映像感覚は正にスナイダー節が全開。
しかもこの世界に入ると、なぜかベイビードールはミニスカのセーラー服に変身し、武器は背中に背負った日本刀なのである(笑
これはもちろん実写映画にもなった日本のアニメーション、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」へのオマージュだろうし、背中に蒸気タンクを背負って赤い目が光るゾンビ兵士は押井守のケルベロス・サーガに登場する兵士のイメージにそっくりだ。
スナイダー本人によれば、この映画は「マシンガンを持った不思議の国のアリス」なのだそうだが、少なくともビジュアル的に一番偏愛が滲み出ているのは、キャロルと言うよりも日本製のコミックやアニメーションであろう。
彼のアメコミ愛の結晶が、「ウオッチメン」だとすると、こちらは日本のサブカルへの愛にターボがかかっており、あの漫画やこのアニメをオレ的センスで映像にしてみたいなあ・・・というスナイダー自身の超ヲタク的な妄想を全て詰め込んで、壮大なスケールで実現してしまった一本と言えるかもしれない。
まあ説明しにくいとは言っても、物語そのものは現実(と認識してる世界)でベイビードールが踊ると、妄想世界での冒険が始まるという単純なものなので、決して難解という訳ではなく、むしろ元ネタ的な押井守の映画などよりもずっとわかりやすい。
計画がばれるかもしれないという現実世界でのスリルが、妄想の冒険の内容ともリンクして相乗効果を生んでいるあたり、「マトリックス」的な構造の面白さもあり、また辛く厳しい現実世界からファンタジーの世界に飛んで戦うというのは、「パンズ・ラビリンス」を思わせる。
スナイダーの映画的、漫画的、アニメ的記憶をメルティングポットにぶち込んだ様なこの映画、ぶっちゃけ、物語の整合性や繊細さという点では、かなり豪快に破綻しているのだけど、何しろ元になる現実世界すら、精神病院と秘密クラブと、どちらが本物なのか惑わせるような作りになっているので、もはや破綻が破綻なのかも良くわからないのである(笑
閉鎖された空間からアイテムを集めて脱出するという基本コンセプは、殆どRPGみたいなものだから、物語をきっちり追おうとせずに、流れに身をゆだねておけば、勝手にラストまで連れて行ってくれる。
冒険の末に、尊い犠牲を出しながらも五つのアイテム中四つを集めたベイビードールとアンバーは、クラブ脱出を決行する。
だが、最後のアイテムは謎のままだ。
最後の最後で、窮地に陥ったベイビードールが導き出した、ラストアイテムの正体とは・・・・。
心の世界を描いた映画とは言っても、本作は決して「カッコーの巣の上で」の様な人間存在の深みには立ち入らない。
精神病院から始まり、いつしか現実と妄想が入り混じり、その境界が失われたファンタジーワールドは、あくまでもスナイダー自身の妄想を成立させるための装置に過ぎない。
したがって、物語の結末で描き出されるテーマは、「えええ~!結局そう言う事なの?」と驚く位にありきたりで教条的な物だ。
だがそれは、この映画の魅力をスポイルする事にはならないだろう。
これは映像から物語の構造に至るまで、ザック・スナイダーの仕掛けたギミックを楽しむ映画なのである。
異世界でのVFXバリバリのアクションシークエンスは、もちろん本作の最大の売り物だが、精神病院の世界と秘密クラブの世界の関係性など、ストーリーテリングの手法としてもユニークで、作家映画としてなかなかに興味深い一本である。
今回は、美女達が大活躍する目にも嬉しいファンタジー大作と言う事で、目でも舌でも楽しめる美しいカクテル、「エンジェルズ・デイライト」をチョイス。
グラスにグレナデン・シロップ、クレーム・ド・バイオレット(パルフェ・タムール)、ホワイト・キュラソー、生クリームの順番で、15mlづつ静かに重ねてゆく。
スプーンの背をグラスに沿わせて、そこから注ぐようにすれば崩れにくい。
虹を思わせる四色の階層が比重の違いで生まれ、美しい縞模様を先ず目で味わい、口の中で味が溶け合う感覚を楽しむ事ができる。
比重が異なれば、他の材料を組み合わせたり、色を増やしてもOKだ。

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この義援金記事は、今後4月11日の日付に今後しばらく置きますが、募集を終了する団体も出てくると思いますので、リンク先の情報が消える事も考えられますからご注意ください。
今回の震災の義援金受付先をまとめました。
義援金は一番確実な貢献の手段です。
このような事態では詐欺も横行しますので、とりあえず信頼できそうな団体、企業のみ掲載しましたが、最終的な判断はご自身でなさってください。
また、アカウントが必要なところもあるので注意してください。
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追記:今回の震災は阪神とは異なり、自治体の機能が破壊されているため、物資および人手も足りていないようです。
もちろんお金は有効な支援ですが、物理的な支援が可能な方はそちらの方法も考えてみてください。
以下の記事が非常に詳しく、支援団体の連絡先も載っています。
佐々木俊尚公式サイト 被災地に救援物資を! いま私たちに求められていること


二股どころか五股をかけて、男たちを手玉にとっている女性が、友人の結婚に触発されて、自分が本当に幸せになれる相手を探し始めるライトなラブコメディ。
主人公を演じるのは、最近ノリにノッている吉高由里子。
彼女の五人の彼氏たちを、人気インストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」の浜野謙太、加瀬亮、榎本孝明、青木崇高、吉村卓也ら個性的な面々が演じる。
監督は、自主映画で注目を浴び、これが長編劇場用映画デビュー作となる前田弘二だ。
24歳のOLのチエは、実は五人の彼氏と同時に付き合っている。
仕事の愚痴を聞いてくれるバツイチのミノル(加瀬亮)、リッチな中年美容師のミヤケ(榎本孝明)、可愛い年下の大学生のケンジ(吉村卓也)、趣味人のミチオ(青木崇高)、そしてパン工場で働くタナシ(浜野謙太)。
「人生、限られた時間を有効に使わなきゃ。いろんな人と、いろんな体験をしたほうが絶対トク!」
がポリシーのチエだったが、親友のトシコ(杏)が結婚した事に触発され、五人の彼氏を査定し始める。
とりあえず、一番査定の低いタナシを切ることに決めて、別れを告げるのだが、逆にタナシに「なんで?俺たち付き合ってないじゃん」とあっさり言われてしまう。
まさかの展開にショックを受けたチエは、プライドを賭けてタナシに仕返しをしようとするのだが・・・
実は、しばらく前に本作の前日譚となる携帯ドラマ、「婚前特急―ジンセイは17から―」のDVDを観た。
一話が5分程度のショートショートなのだが、シンプルな構成の中にも適度なドラマ性を楽しめるセンスの良い佳作で、本編を楽しみにしていた。
チエを演じる吉高由里子がいい。
美人で五人の男に愛されるのも当然と思っている高慢ちきな女性でありながら、友人の突然の結婚に動揺し、更にブサイクで将来性も無いと思っていたタナシに、実はセフレ扱いされていた事を知って大ショック。
いかにもクールでタカピーそうなルックスと、予期せぬシチュエーションに翻弄されて焦りまくるギャップが可愛い。
まあ、お話としては、他愛ないと言えば他愛ない。
五人の彼氏たちのうち四人は、それぞれ一長一短あるものの、ルックスも将来性もまずまずなのに対し、タナシだけキャラがまるで違う。
ブサイクで貧乏、なのに異様な自信家でKYの天然である。
チエは何でわざわざこの男と付き合っているのか?もうこの時点で、彼女の運命の相手がタナシであるのはバレバレだ。
他の彼氏とは旅行に行ったり、相手の家で会ったりしているのに、なぜかタナシだけはチエの家の鍵を持っていて、毎日の様に風呂に入りに来ているのも、チエの中でタナシが特別な存在な事を示唆している。
面白いのは、チエもタナシも互いに遊びだと思っていて、自分が本当に好きなのは誰なのか気付いていない事。
要するに、この二人はルックスこそ美女と野獣だが、実は似たもの同士のボケ役と突っ込み役で、ジンセイを自己中に過ごしてきて、同じ様に打算しているだけなのだ。
これは、周りを巻き込んだ恋の鞘当を通じて、二人が自分の素直な気持ちに気付き、それを受け入れるプロセスを描く物語なのである。
そもそも、チエが結婚を考え始めるのは、友人のトシコの幸せそうな結婚生活を目の当たりにしたから。
彼女のお相手は、特にイケメンでも金持ちでもなく、どちらかと言えば冴えない普通の男だが、二人の間のまったりした空気は何とも幸せそう。
つまりチエは、ルックスや金が幸せをもたらす訳ではない事に、もう気付いているのだけど、彼女の心の目を曇らせているは、少々高すぎるプライドだ。
今まで上から目線で世間や男を見てきたので、どうしても“自分の価値に見合った相手”というバイアスによって物事を見てしまう。
ところがそんな彼女のささやかなプライドは、よりにもよって自分が査定で最低ランクをつけたタナシによって木っ端微塵に打ち砕かれてしまうのである。
このままでは終われないと思ったチエの復讐計画は、タナシを何とか自分に思いっきり惚れさせて、気持ちがピークに達したときに振る事(笑
相手を自分に振り向かせようとする事自体、彼女の気持ちが既にタナシに奪われている事の証なのだけど、あくまでも復讐だと思おうとするチエはまだ気付かない。
しかも、時を同じくして他の彼氏たちにも少しずつ問題点が発覚し、チエは彼らの事も本当の相手とは思えなくなって、運命の相手を巡る苦悩は深まるばかりだ。
だが、そんなチエの葛藤をよそに、タナシは自分の勤めているパン工場の社長の娘、ミカに惚れてしまい、なぜかチエはタナシの恋を成就させる手伝いをさせられてしまう。
この場に及んでプライドを捨てられないチエは、最後に残っていた五股彼氏の一人ミノルを従えて、タナシとミカとのダブル食事会に挑むのだが、ここで遂に気持ちのコントロールを失って、ぶっ壊れた、いや初めて素直な行動に出るのである。
プライドの鎖から解放され、漸く自分の気持ちに気付いたチエが出来るのは、その場から逃げ出すことだけ。
そして一方のタナシもまた、自分の中に沸き起こる強い感情に戸惑いながらも、行動を抑える事が出来ず、物語は一気にスラップスティック調になり、正に特急列車のごとく怒涛のスピードで突き進む。
まあ観ている方としては、もうちょっと早く気付けよと思わなくも無いが、プライドも打算も無くなった二人に訪れる、出来すぎなくらい幸せな物語の結末は気持ちの良いものだ。
「婚前特急」は、新鋭前田弘二監督の軽妙なセンスが光る、なかなかに楽しい佳作となった。
17歳の頃からジンセイの幸せを追求していたチエの恋の物語はひとまず終わったが、とりあえず一番ブサイクで将来性も無いタナシを選んでくれたのは、イケメンでも金持ちでもない私としても喜ばしい。
天災や人災で神経が磨り減る今だから、こういう肩肘張らない娯楽映画には救われる気分になる。
ちなみに最後に彼らが乗って行く婚前特急ならぬ新婚ローカル線は、茨城県のひたちなか海浜鉄道湊線。
残念ながら今回の震災で被害を受け、復旧にはしばらくかかるらしい。
なお、本作には「婚前特急―ジンセイは21から―」なる前日譚もあるが、こちらは残念ながら未見。
そのうちDVDが出たら観賞してみよう。
久しぶりの日本映画なので、今回は結婚式で飲みたい東北の酒。
岩手県を代表する地酒「南部美人 大吟醸」をチョイス。
吟醸酒らしい複雑な香りと、やや酸味を抑えた米の豊かな味を十分に味わえる一本だ。
東日本大震災では、多くの酒蔵も被災し、中には陸前高田市の酔仙酒造の様に津波で蔵ごと流されてしまった所もある。
今酒飲みが出来る事は、自粛ムードに逆らって、東北の酒を飲み続ける事だ。
花見はもちろん、結婚式でもデートでも映画の後でも、上手い酒を飲んで、日本酒王国東北に復活してもらおう。

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複雑に入り組んだ家族の葛藤を、マーク・ウォールバーグ、クリスチャン・ベール、メリッサ・レオら名優たちが味わい深く演じ、リアルに作りこまれた迫力のボクシング・シーンは目が離せない。
監督は「スリー・キングス」のデビッド・O・ラッセル。
本年度のアカデミー助演男優賞・助演女優賞をダブル受賞した話題作だ。
ミッキー(マーク・ウォールバーグ)は、道路舗装の仕事をしながらチャンピオンを目指してボクシングに打ち込んでいる。
彼の兄のディッキー(クリスチャン・ベール)も、将来を嘱望された天才ボクサーだったが、いつしか落ちぶれ、ジャンキーたちの巣窟に屯する日々を送っている。
そんな不肖の兄でもミッキーにとっては信頼するトレーナー。
マネージャーの母アリス(メリッサ・レオ)らと共に、アメリカンドリームを夢見ている。
だがある時、ウェイトの違う相手との試合をディッキーが安請け合いしてしまったことで大敗し、兄に対する不信感を抱くようになるミッキーの元に、大手ジムからの引き抜きの話が持ち込まれる。
焦ったディッキーは、ミッキーを引きとめる金を作るために犯罪に手を染めてしまい、遂に刑務所送りになってしまう。
恋人のシャーリーン(エイミー・アダムス)にも説得されたミッキーは、今度こそ家族と手を切って、ボクサーとして自立を目指すのだが・・・
舞台となるのは、ボストンから車で一時間ほど北西に位置するマサチューセッツ州ローウェル。
19世紀に繊維産業で栄えたこの街は、最盛期には多くの新移民を迎え入れ、特にアイルランド系の移民が多く流入した。
本作も、そんなアイルランド系大家族を巡る物語である。
兄ディッキーは、嘗て“ローウェルの誇り”と謳われた天才ボクサーだったが、意思の弱さからドラッグに溺れ、今は落ちぶれている。
弟のミッキーは、努力型で地道に力をつけて来たが、いつも兄によって足を引っ張られ、チャンスを生かせないでいる。
この見事なまでに対照的な二人を軸に、アメリカンドリームへの挑戦と、家族の絆の再確認を描いた正統派のハリウッド映画だ。
今、イッちゃってるキャラクターを演じさせたら天下一の、クリスチャン・ベールの怪演がとにかく目立つ。
彼が演じるディッキーは、カリスマ性があり目立つ事が大好き。
ボクシングの実戦から遠ざかっている今も、自分を取材に訪れたケーブルテレビのスタッフを引き連れて、「ハリウッドが俺の映画を作ってるんだ!」とスター気分で街を練り歩く。
実はそれは薬物汚染の深刻さを啓蒙するためのドキュメンタリーで、堕ちた偶像としてディッキーを取材しているだけなのだが、ドラッグと家族と言う逃げ込める場所のある彼にとっては、そんな世知辛い現実はどうでも良いのだ。
一方のミッキーは、そんな兄の陰に隠れた地味キャラで、彼もまた閉塞感を感じつつも、兄と袂を別つ事が出来ない。
ディッキーに憧れてボクシングを始めたミッキーは、自分の実力を信じられず、兄がいないとダメだと、自ら刷り込みをしてしまっているのである。
面白いのはそんな二人の関係が、映画の印象にもそのまま現れている事で、物語の主人公は明らかにミッキーなのに、観ているとどうしてもエキセントリックで派手なキャラクターのディッキーに目が行ってしまう。
アカデミー賞で、助演男優賞を受賞したベールに対して、主演のウォールバーグがノミネートもされなかったのも何となく納得だ。
もっとも、ウォールバーグは華が無いとは言え、受身のキャラをきっちりと演じており、ちょっとかわいそうな気もするが。
そして、同じくアカデミー賞で助演女優賞を受賞したのが、子離れできないモンスターママ、アリスを演じるメリッサ・レオ。
彼女はステージママならぬリングママとして、ずっと二人の息子の試合を仕切っている。
どうやらこの一家は女系家族で、二人の息子と父の他は、覚え切れないくらいの小姑軍団が同居しており、彼女らは働きもせずに家に屯してずっとグダグダと文句を言っている。
要するに、父以外の家族全員がミッキーのファイトマネーにたかっているという構図なのである。
マザコンでブラコンのミッキーは、そんな状況にずっと甘んじていたのだが、自分の将来よりも目先の金を優先する兄や母の態度に、徐々に不信感を募らせ、遂に決定的な事件が起こる。
ミッキーを地元に引き止めるために、ディッキーはあろう事が警察に化けて窃盗を働き、現行犯逮捕されてしまうのだが、その時にディッキーを助けようとしたミッキーも、ボクサーの命とも言うべき拳を負傷してしまうのである。
モンスターママのアリスにも気迫で負けない、気の強い恋人のシャーリーンと父の後押しもあって、ミッキーは漸く街の警官のオキーフをトレーナーに、実業家のサルをマネージャーに新チームを作り上げ、途端に連勝街道を突き進み始める。
それまでディッキーやアリスの理不尽さを見せ付けられているからこそ、やっと家族から離れ自らの運命を切り開き始めたミッキーは、誰もが好感を抱く等身大のヒーローだ。
だから出所したディッキーが、再びミッキーのトレーナーをやりたいと言い出した時には、観客は「頼む、ミッキーは十分お前らに尽くしたじゃないか、もう放っておいてくれ!」と懇願する様な気持ちになるのである。
ところが、ミッキーもオキーフやシャーリーンとの軋轢を承知で、あっさりとディッキーの申し出を了承してしまうのだ。
もっとも、これにはちゃんと理由があって、いかに落ちぶれたとは言え、ディッキーは天才と謳われた元ボクサー。
対してオキーフは、誠実な人物だが決して一流のトレーナーとは言えない。
実際に、弱い相手の時には楽に勝てても、上位選手相手にオキーフの作戦は通用せず、刑務所で面会の時に聞いたディッキーのアドバイスによって、辛勝したというエピソードを踏まえての決断なのだ。
結果的に、ラストチャンスを与えられたディッキーもドラッグと手を切る決意をし、ミッキーの周りにいる全ての人々が、漸く心を一つにしたところで、クライマックスのWBUタイトル戦へと雪崩れ込んでゆく。
正に終わり良ければ全て良しで、揉めに揉めたグチャグチャの家族ドラマは、以前よりベターな関係となり、修復されるのである。
まあ散々ミッキーに対する家族のエゴを見せられた観客からすれば、「何だよ結局お前らだけで仲直りして!こっちは置き去りかよ!」と言いたくもなるのだが、結果的にミッキーを含めて全員が幸せになったのだから、これで良いのだろう。
テーマ的な決着がついてからのタイトル戦のシーンは、テレビの中継カメラの視点を上手く使ったドキュメントタッチの迫力ある物で、結末がわかっていても手に汗握る。
格闘技映画としても、水準以上の仕上がりだ。
ブルーカラーの貧しい白人社会が背景にあり、尚且つ家族関係が物語のキーであるあたり、本作はダーレン・アロノフスキーの「レスラー」を思わせる。
実は本作の監督として、デビッド・O・ラッセルの前に雇われたのはアロノフスキーであり、当初の決定稿が上がったのは彼が監督だった時点で、最終的にはエグゼクティブ・プロデューサーの一人として製作チームに残っている。
「レスラー」では、主演のミッキー・ロークの人生をドラマの内容と被らせていたが、こちらでは実話をベースにし、映画のラストに本物のミッキーとディッキーを登場させるなど、現実と虚構との関連性を含め、完成作品にもコンセプトは似た部分がある。
デビット・O・ラッセルはもちろん堅実な良い仕事をしているが、もしもアロノフスキーが監督していたら、プロレス映画、ボクシング映画、更にある意味スポーツであるバレエ映画を連続で撮っていた事になり、それはそれで観てみたかった気もする。
今回は、アイルランド系のかなり濃い家族の話なので、アイルランドをルーツに持つ濃厚な黒ビール「ギネス・エクストラ・スタウト」をチョイス。
クリーミーな泡とコクの塊の様な味わいはギネスならでは。
こんなビールは、やはり冬が寒く、狭い家の中で大家族が密接な関係を築いていた文化ならではのものだろう。
ちなみに、英国人の選ぶ「過去四十年間の最も重要な発明」は、ギネスの缶ビールに入っている泡立ちを良くするための小さなボールなのだそうな(笑)

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絶海の孤島で起こった、凄惨な大量殺人事件。
犯人は島で生まれ育った一人の女性、キム・ボンナム。
一体、犯行の動機は何なのか、ボンナムはなぜ“悪魔”になってしまったのか?
本作のチャン・チョルス監督は、名匠キム・ギドク監督の助監督として修行を積んだ人物だが、チェ・クァンヨンの凝りに凝った脚本を得て、圧巻の演出力を見せ付ける。
「ビー・デビル」は海外タイトルで、原題は「キム・ボンナム殺人事件の顛末(김복남 살인 사건의 전말)」という直球な物。
これは衝撃的な事件の顛末を通して、人間の秘められた感情と現代社会の暗部を暴く問題作。
孤島と言う限定された舞台、製作費6000万円ほどの小品ながら、チープさを逆手にとったリアリズムが緊張感を持続させ、一気呵成の115分だ。
※完全ネタバレ注意
ソウルの銀行に勤めるヘウォン(チ・ソンウォン)は、都会の生活に疲れ、子供の頃を過ごした無島にやってくる。
迎えてくれたのは幼馴染で、20年ぶりに再会するボンナム(ソ・ヨンヒ)だ。
彼女は、生まれてからこの小さな島を一度も出た事がない。
ヘウォンには明るい顔を見せるボンナムだが、島の年寄りからは奴隷の様にこき使われ、夫と義弟からは日常的に虐待を受け続ける絶望の日々を送っていた。
ある日、夫が娘に性的虐待をしている事を知ったボンナムは、遂に耐えかねてヘウォンに「ソウルへ連れて行って欲しい」と言うのだが・・・
作劇の妙が光る映画である。
物語は、大都市ソウルで暮らすヘウォンの日常から始まる。
独身の銀行員である彼女は、猜疑心の塊の様な事なかれ主義者だ。
面倒になりそうな客には断固融資を拒否し、婦女暴行事件の被害者に助けを求められても見て見ぬふりをする。
挙句の果には、目撃者として警察に呼ばれ、犯人が誰か気付きながらも証言を拒否する始末。
しかし、そんな性格では当然ながら嫌われ者キャラで、逆にトラブルを呼んでしまい、強制的に休暇をとらされ、心身をリセットするために舞台となる無島へとやってくる。
ところが、ここから映画はガラリと視点を変える。
てっきりヘウォンが主人公だと思っていると、彼女は島へ着いて以降、ロハスな時間を過ごす以外に殆ど何もしない、というかあまり画面にすら出てこなくなる。
代わって、物語がフォーカスして行くのが、タイトルロールであるボンナムの日常だ。
まるで100年前にタイプスリップしたかの様な、過疎の島の住民はボンナムを含め僅かに9人。
一人娘のヨニ、夫、義弟、島の年寄りの婆さん達四人、ボケてしまっている爺さん、あとは島と本土を繋ぐ唯一の足である渡し舟の船頭が出入りする程度。
若い女性はボンナム一人だけといういびつな人口構成から、既に事件の香りはプンプンするが、最初のうちは単に田舎にありがちな保守的なコミュニティーにしか見えない。
しかし、ボンナムの夫と娘のヨニが夜釣りに言った後、ボンナムが義弟によって犯され、それを夫が知っている事が示唆される辺りから、急速にこの島の奇妙さとボンナムの辿ってきた地獄の様な人生が露になってくる。
要するに、この島は超男尊女卑の掟によって支配され、ただ一人の若い女性であるボンナムは、昼間は老人達にありとあらゆる労働を押し付けられてこき使われ、夜は島の男たちによって性奴隷として共有されているのである。
そんな事を知らないヘウォンは、ボンナムと子供の頃に水浴びした泉に出かけるが、ここでボンナムはいきなりヘウォンの乳房を掴み、彼女の肌の白さ、美しさを褒め称え、ソウルへの憧れを口にする。
実はこの時点でボンナムは、ヘウォンが島へ来た理由について、大きな勘違いをしているのだが、それはまだ明かされず、後半の伏線として機能している。
このシーンもそうだが、本作には何かちょっと引っかかる、何かがおかしいが・・・というシーンがいくつもある。
例えばソウルでの冒頭のシークエンス、婦女暴行事件へのヘウォンの対応、彼女にかかってくる電話、無造作に捨てられる手紙、こういったさり気無いディテールが観客の心に違和感のある記憶として残り、物語の展開と共に改めて意味を持ってくるのである。
伏線を目立ちすぎず、しかし確実に忘れられない様に、きっちりと描写する演出力はとても新人とは思えない繊細さだ。
地獄の日々に耐えるボンナムにとって、憧れのソウルに住む“ただ一人の友達”であるヘウォンは最後の希望。
実は娘のヨニは夫の実の娘ではなく、彼がヨニに性的虐待を加えている事を知ったボンナムは、ヘウォンにその事を打ち明け、「ソウルに連れて行って欲しい」と懇願するのだ。
ところが、例によって面倒を嫌うヘウォンは、ボンナムの言葉を信じようとせずに拒絶。
思い余ったボンナムはヨニを連れて自分達だけで逃げようとするが、夫に捕まってしまい、暴行の末にヨニは殺されてしまう。
島にやってきた警察官に、夫がヨニを殺したと訴えるボンナムだが、島の住人たちは口裏を合わせて、ボンナムの行動が招いた事故だと言い張る。
そしてここでも最後に証言を求められたのはヘウォン。
縋るような目で見つめるボンナムの前で、彼女は「寝ていたので知らない」と言い放つのである。
この瞬間、ボンナムの中で何かが壊れる。
全ての希望を絶たれ、もはや人間として生きる意味を失った彼女の選択は、“ビー・デビル”悪魔となり、彼女にとっての世界である島を滅ぼす事しかなかったのだ。
鎌を手に、一人また一人と島の住人を殺戮して行くボンナムの顔は、まるで「告白」の松たか子の様に、すべての感情が噴出した末の達観した表情をしている。
自然豊かな島の濃厚な緑の中で展開するスプラッターは、下手なハリウッド映画顔負けの強烈さだが、こちらは韓国独自の“恨”が背景にあるだけに、非常にウエットでドロドロした切ない情感が残る。
そしてボンナムが最後に狙うのは、本来部外者のはずのヘウォン。
ここからの展開は物語のクライマックスであるだけでなく、それまで綿密に張り巡らせた伏線を一気に回収してゆき、この作品の狙いが遂に明らかになる。
実は、ボンナムはヘウォンが自分を救いに来てくれたと思っていたのだ。
なぜなら、彼女は救いを求める手紙を、繰り返しヘウォンに送っており、夫の目を盗んで電話も何度もかけているのである。
封を切らずにゴミ箱に直行する何通もの手紙、途中で切られる電話・・・、ここへ来て冒頭のソウルのシークエンスが再び意味を持ち、この物語におけるヘウォンというキャラクターの意味付けが漸く明らかとなる。
因習に囚われ、儒教の解釈が歪曲されて抑圧に利用されている無島は言わば韓国のネガティブな過去のカリカチュアであり、煌びやかなソウルからやって来るヘウォンは自由な現代韓国の象徴と言えるかもしれない。
それ故にヘウォンの予想外の冷酷な振る舞いは、二重の裏切りとしてボンナムを打ちのめすのと同時に、他人を思いやる事を忘れ、事なかれ主義が蔓延る現代社会に対する痛烈な批判として、心のどこかにヘウォンを抱える我々観客の胸に突き刺さるのである。
猟奇スリラーの大傑作「チェイサー」で殺人鬼の餌食となる悲しき売春婦、ミジンを演じたソ・ヨンヒが、今度は大量殺戮を繰り広げる事になる、タイトルロールのボンナムを好演。
対照となるヘウォンは、「ハーモニー 心をつなぐ歌」が記憶に新しいチ・ソンウォンが演じる。
幼少時代の秘められた記憶が、ヘウォンの脳裏に蘇った時、やっと自分が何をしたかを理解した彼女は、漸くボンナムの心を受け入れるのだが、それはお互いにとってあまりにも遅過ぎる救済となってしまう。
全てが終わったラスト、横たわるヘウォンがあるものにオーバーラップするイメージは、作品のテーマを象徴して秀逸だ。
はたしてボンナムの魂は、悪魔ではなく人間として涅槃に旅立つ事が出来たのだろうか。
今回は、韓国の清酒「清河」をチョイス。
韓国酒というとやはり焼酒(焼酎)のイメージが強いが、米と米麹を原材料にした日本酒に近い醸造酒も少数ながら造られている。
「清河」はそのブランドの一つで、正直日本酒ほどのコクや深みは無いが、端麗ですっきりとした味わいなので、焼肉などコッテリした物を食べた時などにピッタリの一本だ。
まあ本作を見た後に焼肉はちょっと遠慮したいが、かなり濃い味の映画の後にもちょうど良いだろう。

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