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2011年05月08日 (日) | 編集 |
蝉は何年間も地中で成長し、やっと地上に出て成虫になると、僅か七日で死ぬという。
仲間が皆死に絶える中、もしも生き残った「八日目の蝉」がいたとしたら、それは蝉にとって幸せな事なのだろうか?不幸なのだろうか?
不倫相手の娘を誘拐した女の逃避行と、やがて成長した娘の愛を巡る葛藤を描いた角田光代の同名小説を、井上真央と永作博美のダブル主演で映像化したハードな人間ドラマだ。
奥寺佐渡子による脚色が素晴らしく、演技者として驚くべき成長を見せた井上真央と、既に名優の域に達したと言っても過言ではない永作博美の好演もあって、実に見応えのある秀作となった。
成島出監督作品としても、過去最高の出来栄えと言える。
1995年、東京地裁。
誘拐犯・野々宮希和子(永作博美)に懲役6年の刑が言い渡される。
彼女は会社の上司で家庭のある秋山丈博(田中哲司)と恋に落ち、授かった命を諦めて堕胎しなければならなかった。
秋山の妻・恵津子(森口瑤子)が、女の子を出産した事を知った希和子は、衝動的に秋山の家に忍び込み、赤ん坊を誘拐してしまう。
希和子は、秋山の娘・恵理菜を“薫”という名で呼び、4年に及ぶ逃亡生活の末に、小豆島のフェリー乗り場で逮捕されたのだ。
16年後、成長した恵理菜(井上真央)は21歳の大学生になっており、嘗ての希和子と同じように岸田孝史(劇団ひとり)という男性と不倫関係にある。
自分が妊娠した事を知った恵理菜は、過去の事件について調べているというフリーライターの安藤千草(小池栄子)と共に、野々宮希和子と過ごした空白の四年間埋める旅に出る・・・・
小説の物語構造を、極めて映画的に再解釈した脚本が見事だ。
原作はプローグの第0章と、 野々宮希和子と誘拐された“薫”を描く第一章、成長した秋山恵理菜の物語である第二章の三章構成となっているが、映画は過去の希和子と現在の恵理菜の物語を平行して描き、後半で失われた記憶を探す恵理菜の旅と16年前の逃避行をシンクロさせる事で、二人の主人公の人生をより象徴的に描写し、ドラマチックな効果を上げている。
近年では細田守監督のアニメ作品や「パーマネント野ばら」など、秀作を連発する奥寺佐渡子が、またしても卓越した構成力で、複雑な人間ドラマを纏め上げている。
劇中、タイトルの“八日目の蝉”に言及するシーンが二箇所ある。
どちらも井上真央演じる恵理菜と小池栄子演じる千草との会話の流れの中で出てくるのだが、最初二人は八日目の蝉は可哀想だと言う。
皆が七日目で死んでしまっているのに、一匹だけ生き残っても、寂しいだけではないか、と。
この様な言葉が出てくるのは、この物語の登場人物達が、皆心の中に虚無感を抱えた八日目の蝉だからに他ならない。
その基点となっているのが、20年前の誘拐事件だ。
希和子が恵理菜を連れ去った間に、赤ん坊だった恵理菜は4歳の少女に成長している。
事件が解決して家に帰ってきても、そこに待つ実の両親は見知らぬおじさんとおばさんであり、彼らの愛がストレートに恵理菜に届く事は無い。
ようやく我が子を取り戻した実母の恵津子は、4年間を奪った希和子の影を常に娘の中に感じ、苛立ちと後悔を隠す事が出来ず、希和子の愛を一身に受けて育った恵理菜は、そんな母の悲しみを敏感に感じて心を開く事ができない。
事件の原因を作った父の丈博は、そんな母娘の葛藤の前に余りにも無力だ。
結局、事件解決以降16年を費やしても、彼らは本当の家族に成り切る事は出来ないのである。
成長し、21歳の大人になった恵理菜は、そんな特殊な状況から逃げるように、大学生にして自立した生活を送っているが、図らずも愛した人は嘗ての希和子と同じく家庭のある人。
自分はいつの間にか、希和子の歩んだ道を無意識に選択しているのではないか、そんな思いに囚われた彼女の前に現れるのが、フリーライターの千草だ。
最初、過去を蒸し返される事に警戒感を隠せない恵理菜だが、千草の持つ強引なような柔らかなような、不思議な距離感によって徐々に打ち解けて行くのだが、後半に彼女もまた心に大きな傷を負った八日目の蝉である事が明らかになる。
20年前、逃亡の途中に希和子は、一時期エンジェルホームという宗教団体に身を寄せる。
“エンジェルさん”という神がかりの女性に率いられたその団体は、虐待などによって行き場を失った女性を多く受け入れているが、高い塀に囲まれた隔離された施設で育った子供たちは、純粋培養されて大人の男性に対する恐怖心を教え込まれる。
希和子と恵理菜は、外に正体がばれそうになった事から施設を逃げ出すのだが、千草は幼い頃にエンジェルホームで恵理菜と共に育った少女だったのだ。
今も男性恐怖症を克服できない彼女は、自らの育った施設の関係者を取材する事で、自分の過去と向き合おうとしている女性なのである。
猫背で荷物を抱えた片方の肩を落とし、足を引き摺る様に歩く、ネガティブパワー全開の小池栄子が良い。
本作では全ての登場人物に象徴的な役割が与えられているが、特に脇のキャラクターは彼女を含めてビジュアル的にも特徴付けられているのが印象的だ。
エキセントリックなヘアスタイルに、天使語?の通訳をつけて喋る余貴美子のエンジェルさんの奇怪なキャラクターや、まるで時が止まったかの様な写真館の店主を田中泯が演じ、16年前の過去と現在を結びつける役回りと成っているのは、実に映画的な、面白い効果を生んでいた。
やがて自らの妊娠を知った恵理菜は、自分が第二の希和子にも、恵津子にもならないために、煮え切らない言動を繰り返す岸田と別れ、一人で子供を産む決意を固める。
そしてそれは、嘗て自分が母と呼び、今も複雑な感情を感じている希和子との、封印された記憶と向き合う機会となるのである。
千草と共に、嘗ての逃亡の足跡を辿る旅に出た恵理菜は、今はもう廃墟となったエンジェルホーム、そして逃避行の終焉の地となった小豆島の風景の中で、徐々に形を取り戻す記憶に戸惑う。
希和子は、自分の人生を滅茶苦茶にした憎い誘拐犯のはずだった。
だが、恵理菜の心の中で蘇る希和子は、精一杯の愛を自分に与え、この世界のキレイを沢山教えてくれた優しい“ママ”に他ならないのだ。
愛は人それぞれによって形を変え、誰かの愛は別の誰かにとっては憎しみとなる。
20年前に起こった事は、恵理菜の実の両親と希和子の複雑に入り組んだ愛憎の結果だが、彼ら全員からピュアな愛だけを受けていたのは、実は恵理菜ただ一人なのである。
自らの過去と向き合う長い旅路の果に、恵理菜は遂に希和子を、そして恵津子を受け入れる。
同時にそれは、女という性の中に受け継がれ、自らの中にも確実に存在する“母性”とは何かを理解する事でもある。
物語の後半、恵理菜と千草が再び“八日目の蝉”の話をするが、この時には解釈が大きく変わっている。
八日目の蝉は不幸ではなく、他の蝉よりもこの世界のキレイをたくさん見る事の出来る、幸運な蝉なのだと。
そして、その境地に達した恵理菜が、全ての感情を解き放って口にする最後の台詞は、正に心に染み入る名台詞。
きっと恵理菜は、嘗て希和子がしてくれた様に、生まれてくる子供にこの世界のキレイをたくさん見せてあげるのだろう。
そして今まで苦しみの中にあった恵津子にも、今度は彼女からたくさんの愛が送られるはずだ。
恵理菜が再び希和子に会うことがあるかどうかはわからないが、二人にとっての4年間は、共通のかけがえの無い記憶になった事は間違いない。
時を隔てた本作の二人の主人公を演じた井上真央と永作博美にとっては、共にこれは代表作と言える作品となった。
子役出身で、実は既に20年のキャリアを持つ井上真央は、この役に出会って演技者として大きく成長し、完全に一皮向けた印象である。
きっと彼女が尊敬すると語る、杉村春子の様な大女優に育って行く事だろう。
対する永作博美は正に今が旬、油の乗り切った演技は貫禄すら感じさせる。
時系列が違うから当たり前だが、二人の主人公が直接顔を合わせるシーンは一切無い。
それにも関わらず、最後の最後で二つの時空、二人の女性の中にある感情は確実に繋がった。
このクライマックスの映画的カタルシスを感じるだけでも、本作の147分という長尺は決して長く感じない。
少々気が早いが、2011年の日本映画を代表する一本である事は間違いないと思う。
今回は物語の重要な舞台となる香川県小豆島の酒、森國酒造の純米吟醸「ふわふわ」をチョイス。
やわらかな口当たりと、瀬戸内の海を思わせる芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
この蔵の酒は「ふふふ」とか「びびび」とか、味わいを感覚で表した様な不思議な銘が特徴的だが、中身の方は奇を衒わない正攻法の日本酒だ。
良い意味で技巧を尽くし、誠実に作られた映画に相応しい一本と言えるだろう。
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仲間が皆死に絶える中、もしも生き残った「八日目の蝉」がいたとしたら、それは蝉にとって幸せな事なのだろうか?不幸なのだろうか?
不倫相手の娘を誘拐した女の逃避行と、やがて成長した娘の愛を巡る葛藤を描いた角田光代の同名小説を、井上真央と永作博美のダブル主演で映像化したハードな人間ドラマだ。
奥寺佐渡子による脚色が素晴らしく、演技者として驚くべき成長を見せた井上真央と、既に名優の域に達したと言っても過言ではない永作博美の好演もあって、実に見応えのある秀作となった。
成島出監督作品としても、過去最高の出来栄えと言える。
1995年、東京地裁。
誘拐犯・野々宮希和子(永作博美)に懲役6年の刑が言い渡される。
彼女は会社の上司で家庭のある秋山丈博(田中哲司)と恋に落ち、授かった命を諦めて堕胎しなければならなかった。
秋山の妻・恵津子(森口瑤子)が、女の子を出産した事を知った希和子は、衝動的に秋山の家に忍び込み、赤ん坊を誘拐してしまう。
希和子は、秋山の娘・恵理菜を“薫”という名で呼び、4年に及ぶ逃亡生活の末に、小豆島のフェリー乗り場で逮捕されたのだ。
16年後、成長した恵理菜(井上真央)は21歳の大学生になっており、嘗ての希和子と同じように岸田孝史(劇団ひとり)という男性と不倫関係にある。
自分が妊娠した事を知った恵理菜は、過去の事件について調べているというフリーライターの安藤千草(小池栄子)と共に、野々宮希和子と過ごした空白の四年間埋める旅に出る・・・・
小説の物語構造を、極めて映画的に再解釈した脚本が見事だ。
原作はプローグの第0章と、 野々宮希和子と誘拐された“薫”を描く第一章、成長した秋山恵理菜の物語である第二章の三章構成となっているが、映画は過去の希和子と現在の恵理菜の物語を平行して描き、後半で失われた記憶を探す恵理菜の旅と16年前の逃避行をシンクロさせる事で、二人の主人公の人生をより象徴的に描写し、ドラマチックな効果を上げている。
近年では細田守監督のアニメ作品や「パーマネント野ばら」など、秀作を連発する奥寺佐渡子が、またしても卓越した構成力で、複雑な人間ドラマを纏め上げている。
劇中、タイトルの“八日目の蝉”に言及するシーンが二箇所ある。
どちらも井上真央演じる恵理菜と小池栄子演じる千草との会話の流れの中で出てくるのだが、最初二人は八日目の蝉は可哀想だと言う。
皆が七日目で死んでしまっているのに、一匹だけ生き残っても、寂しいだけではないか、と。
この様な言葉が出てくるのは、この物語の登場人物達が、皆心の中に虚無感を抱えた八日目の蝉だからに他ならない。
その基点となっているのが、20年前の誘拐事件だ。
希和子が恵理菜を連れ去った間に、赤ん坊だった恵理菜は4歳の少女に成長している。
事件が解決して家に帰ってきても、そこに待つ実の両親は見知らぬおじさんとおばさんであり、彼らの愛がストレートに恵理菜に届く事は無い。
ようやく我が子を取り戻した実母の恵津子は、4年間を奪った希和子の影を常に娘の中に感じ、苛立ちと後悔を隠す事が出来ず、希和子の愛を一身に受けて育った恵理菜は、そんな母の悲しみを敏感に感じて心を開く事ができない。
事件の原因を作った父の丈博は、そんな母娘の葛藤の前に余りにも無力だ。
結局、事件解決以降16年を費やしても、彼らは本当の家族に成り切る事は出来ないのである。
成長し、21歳の大人になった恵理菜は、そんな特殊な状況から逃げるように、大学生にして自立した生活を送っているが、図らずも愛した人は嘗ての希和子と同じく家庭のある人。
自分はいつの間にか、希和子の歩んだ道を無意識に選択しているのではないか、そんな思いに囚われた彼女の前に現れるのが、フリーライターの千草だ。
最初、過去を蒸し返される事に警戒感を隠せない恵理菜だが、千草の持つ強引なような柔らかなような、不思議な距離感によって徐々に打ち解けて行くのだが、後半に彼女もまた心に大きな傷を負った八日目の蝉である事が明らかになる。
20年前、逃亡の途中に希和子は、一時期エンジェルホームという宗教団体に身を寄せる。
“エンジェルさん”という神がかりの女性に率いられたその団体は、虐待などによって行き場を失った女性を多く受け入れているが、高い塀に囲まれた隔離された施設で育った子供たちは、純粋培養されて大人の男性に対する恐怖心を教え込まれる。
希和子と恵理菜は、外に正体がばれそうになった事から施設を逃げ出すのだが、千草は幼い頃にエンジェルホームで恵理菜と共に育った少女だったのだ。
今も男性恐怖症を克服できない彼女は、自らの育った施設の関係者を取材する事で、自分の過去と向き合おうとしている女性なのである。
猫背で荷物を抱えた片方の肩を落とし、足を引き摺る様に歩く、ネガティブパワー全開の小池栄子が良い。
本作では全ての登場人物に象徴的な役割が与えられているが、特に脇のキャラクターは彼女を含めてビジュアル的にも特徴付けられているのが印象的だ。
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やがて自らの妊娠を知った恵理菜は、自分が第二の希和子にも、恵津子にもならないために、煮え切らない言動を繰り返す岸田と別れ、一人で子供を産む決意を固める。
そしてそれは、嘗て自分が母と呼び、今も複雑な感情を感じている希和子との、封印された記憶と向き合う機会となるのである。
千草と共に、嘗ての逃亡の足跡を辿る旅に出た恵理菜は、今はもう廃墟となったエンジェルホーム、そして逃避行の終焉の地となった小豆島の風景の中で、徐々に形を取り戻す記憶に戸惑う。
希和子は、自分の人生を滅茶苦茶にした憎い誘拐犯のはずだった。
だが、恵理菜の心の中で蘇る希和子は、精一杯の愛を自分に与え、この世界のキレイを沢山教えてくれた優しい“ママ”に他ならないのだ。
愛は人それぞれによって形を変え、誰かの愛は別の誰かにとっては憎しみとなる。
20年前に起こった事は、恵理菜の実の両親と希和子の複雑に入り組んだ愛憎の結果だが、彼ら全員からピュアな愛だけを受けていたのは、実は恵理菜ただ一人なのである。
自らの過去と向き合う長い旅路の果に、恵理菜は遂に希和子を、そして恵津子を受け入れる。
同時にそれは、女という性の中に受け継がれ、自らの中にも確実に存在する“母性”とは何かを理解する事でもある。
物語の後半、恵理菜と千草が再び“八日目の蝉”の話をするが、この時には解釈が大きく変わっている。
八日目の蝉は不幸ではなく、他の蝉よりもこの世界のキレイをたくさん見る事の出来る、幸運な蝉なのだと。
そして、その境地に達した恵理菜が、全ての感情を解き放って口にする最後の台詞は、正に心に染み入る名台詞。
きっと恵理菜は、嘗て希和子がしてくれた様に、生まれてくる子供にこの世界のキレイをたくさん見せてあげるのだろう。
そして今まで苦しみの中にあった恵津子にも、今度は彼女からたくさんの愛が送られるはずだ。
恵理菜が再び希和子に会うことがあるかどうかはわからないが、二人にとっての4年間は、共通のかけがえの無い記憶になった事は間違いない。
時を隔てた本作の二人の主人公を演じた井上真央と永作博美にとっては、共にこれは代表作と言える作品となった。
子役出身で、実は既に20年のキャリアを持つ井上真央は、この役に出会って演技者として大きく成長し、完全に一皮向けた印象である。
きっと彼女が尊敬すると語る、杉村春子の様な大女優に育って行く事だろう。
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このクライマックスの映画的カタルシスを感じるだけでも、本作の147分という長尺は決して長く感じない。
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やわらかな口当たりと、瀬戸内の海を思わせる芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
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