2011年05月27日 (金) | 編集 |
九州新幹線の博多・鹿児島中央間が開業する日、「奇跡」が起こる・・・・
そんな噂を信じた子供達の、セカイとジブンを巡る小さな冒険を描いたロードムービー。
ゼロ年代に数々の傑作を放った是枝裕和監督の最新作は、偶然にも3.11を経験した日本人にとって、大いなる問いを投げかける作品となった。
子供お笑いコンビ「まえだまえだ」の前田航基、前田旺志郎の兄弟を初め、出演する子供達のナチュラルな演技は是枝演出の真骨頂だ。
まるでその場の空気を切り取ったかの様な、九州各地のロケーションも美しい。
※完全ネタバレ注意報
両親の離婚によって、母の実家の鹿児島で暮らす航一(前田航基)は、福岡にいる父と弟の龍之介(前田旺志郎)の事が気になってならない。
いつか再び家族四人で暮らせる事を願う航一は、ある日同級生から不思議な噂を聞く。
それは、3月12日に全線開業を迎える九州新幹線の、博多から南下する「つばめ」と鹿児島から北上する「さくら」の一番列車がすれ違う瞬間を見た者には、願い事がかなう奇跡が起こるという物だった。
段々と家族の気持ちが離れて行く事を感じていた航一は、同級生や福岡の龍之介を巻き込んで、奇跡が起こる地である熊本を目指す旅に出るのだが・・・・
是枝監督は、たぶん日本で一番子供の演出の上手い人だろう。
ドキュメンタリー出身の冷静かつ暖かな視点は、所謂子役芝居とは無縁のナチュラルさを子供達から引き出す。
それは本作も、当時14歳だった柳楽優弥を日本人初のカンヌ映画祭男優賞に輝かせた「誰も知らない」も変わらない。
主人公を演じる前田兄弟を初めとして、登場する子供達は皆大人の俳優もビックリな等身大のリアルさを持ち、日本の何処かに彼等が存在する事に疑念を抱かせないが、子供達が自然に役に同化出来るように、脚本的にも演出的にも様々な工夫がされている。
前田兄弟の役が大阪から引っ越してきたという設定なのは、無理せずに彼らの素の大阪弁を生かすためだろうし、年少の子供はあえて役名と本名が同じに設定されているのも、芝居中に考えさせ過ぎないための配慮だろう。
実際に、脚本もキャスト決定後に柔軟に修正されていったという。
物語的には、しっかり者の兄、航一を演じる前田航基が、主演俳優の貫禄たっぷりに展開を牽引し、天真爛漫な弟、龍之介を演じる 前田旺志郎が、不確定要素を作り出して物語にメリハリをつける役割だ。
更に二人の同級生達や周囲の大人達のエピソードが、ある種の群像劇の様に絡んでくる事で、物語を重層化している。
ロックの街、福岡に暮らすのはミュージシャンへの夢を諦めきれない父、オダギリジョー。
そんな父に心を残しつつも、火山灰降りしきる鹿児島に出戻る母には大塚寧々。
母の実家の祖父母を橋爪功と樹木希林、その友人に原田芳雄と大ベテランを配し、学校の先生役に阿部寛と長澤まさみ、元女優のスナックのママに夏川結衣と主役級の実力者が脇を固める豪華な布陣。
前半は、そんな大人達に見守られた、鹿児島と福岡での子供達の日常の風景と、将来への夢が丁寧に描かれる。
嘗ての母と同じ女優の道を夢見る少女、スポーツ選手に成りたいという愛犬家の少年、絵の才能に目覚めようとしている少女。
彼・彼女らの未来は、無限大の可能性で満ちている。
そして、後半はそんな願いを叶えるために、奇跡の瞬間を見ようとする小さな冒険旅行だ。
ところが、何とかお金を作って熊本までやって来たものの、新幹線は殆どが高架の為にすれ違う所を見られる場所が見つからない。
日は西に沈み、刻々と迫るその瞬間を、彼らは見る事が出来るのだろうか、という興味が観客を惹きつける。
まあ彼らに立ちはだかる問題は、いかにも本作に相応しい“奇跡”によって解決されるのだが、この映画に登場する大人達は皆哀しみを抱えているが故に暖かい。
是枝裕和監督にとって、これは都会の片隅で忘れられた子供達を描いた「誰も知らない」の対であり、「この世界にキレイはあるか?」という「空気人形」の問いかけたテーマに対するセルフアンサー的な物語なのかもしれない。
そして、制作時期から言ってもこれは偶然だろうが、本作は3.11以降の日本人にとって極めて象徴的な意味を持つ作品となった。
九州新幹線の開業は、今年3月12日であり、あの未曾有の大災害の翌日だ。
しかも、本作の中で航一が当初願っていた“奇跡”とは、桜島の大噴火によって九州南部に人が住めなくなる事なのである。
鹿児島脱出となれば、家族四人が再び共に暮らせるはず、という事なのだが、結果的に彼はこの願いを封印する。
「なぜ、奇跡を願わなかったのか?」と訝しがる龍之介に、航一は「家族より、世界をとってしまった」と言うのだ!
大切な人達との日常と、小さな冒険を通して、航一は人、自然、そして時の営みが作り上げる、この世界のキレイをたくさん見過ぎてしまった。
家族はもちろん大切、でもそれは例え離れ離れになったとしても、絆が無くなる訳ではない。
しかし、もしも桜島が大噴火したら、彼の見たキレイは全て消えてしまうのである。
航一は、世界とはいわば森羅万象全ての繋がりである事を、幼いながらに経験を通して感じているのだ。
時代に呼ばれる作品、という物がある。
私は、「奇跡」というタイトルを持つ映画が、今この時代に生まれたのには、やはり運命的な必然を感じる。
3.11は天災であり、同時に人災だと思う。
桜島の大噴火は航一の自制心のおかげ(?)で起こらなかったが、福島では人間の手によって作られた核の惨禍が、自然の猛威と共に暴走し、本当に人が住めない土地になってしまったではないか。
小学生の子供が、切なる想いを封印してまで守りたいと思った世界を、大人たちは自ら破壊してしまったのだ。
本作の劇中、突然タッチがドキュメンタリーのインタビュー映像の様になる部分がある。
それは、子供達が奇跡に絡めて自分の将来の夢を語るシーン。
私は、リアルとも演技ともつかない、朴訥とした口調で、「いつか成りたい自分」を語る彼等を見て、思わず涙腺を決壊させてしまった。
そう、本当の“奇跡”とは、この世界が、私達が存在する事。
奇跡の一部である私達は、この世界を次の世代へと継承する義務があるにもかかわらず、大切な世界の一部を過ちによって壊してしまった。
“世界”は、私達にどの様な償いを求めるのだろうか。
今回は九州が舞台の映画ながら、観終わって福島の事を考えてしまったので、会津の地酒ほまれ酒造の「ならぬことはならぬものです 純米原酒」をチョイス。
アルコール度数は高いが、酸味は程々で、原酒にありがちな刺々しさは上手く抑えれれており、まろやかで飲みやすい。
この奇妙な銘は、会津藩が若い藩士を育成するために、「してはならない事」を示した「什(じゅう)の掟」の最後の一節から採られている。
正に、とり返しのつかない事をしてしまった日本人よ、せめてこの酒を飲んで福島を応援しよう。
因みに、震災の直後に話題になった九州新幹線の開業を告げる素晴らしいテレビCM、タイミング的にてっきり本作とリンクした企画かと思っていたのだけど、スタッフに確認したところ直接関係は無いらしい。
あのCMの中に、本作の子供達がいたりしたら素敵なのになあ。
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そんな噂を信じた子供達の、セカイとジブンを巡る小さな冒険を描いたロードムービー。
ゼロ年代に数々の傑作を放った是枝裕和監督の最新作は、偶然にも3.11を経験した日本人にとって、大いなる問いを投げかける作品となった。
子供お笑いコンビ「まえだまえだ」の前田航基、前田旺志郎の兄弟を初め、出演する子供達のナチュラルな演技は是枝演出の真骨頂だ。
まるでその場の空気を切り取ったかの様な、九州各地のロケーションも美しい。
※完全ネタバレ注意報
両親の離婚によって、母の実家の鹿児島で暮らす航一(前田航基)は、福岡にいる父と弟の龍之介(前田旺志郎)の事が気になってならない。
いつか再び家族四人で暮らせる事を願う航一は、ある日同級生から不思議な噂を聞く。
それは、3月12日に全線開業を迎える九州新幹線の、博多から南下する「つばめ」と鹿児島から北上する「さくら」の一番列車がすれ違う瞬間を見た者には、願い事がかなう奇跡が起こるという物だった。
段々と家族の気持ちが離れて行く事を感じていた航一は、同級生や福岡の龍之介を巻き込んで、奇跡が起こる地である熊本を目指す旅に出るのだが・・・・
是枝監督は、たぶん日本で一番子供の演出の上手い人だろう。
ドキュメンタリー出身の冷静かつ暖かな視点は、所謂子役芝居とは無縁のナチュラルさを子供達から引き出す。
それは本作も、当時14歳だった柳楽優弥を日本人初のカンヌ映画祭男優賞に輝かせた「誰も知らない」も変わらない。
主人公を演じる前田兄弟を初めとして、登場する子供達は皆大人の俳優もビックリな等身大のリアルさを持ち、日本の何処かに彼等が存在する事に疑念を抱かせないが、子供達が自然に役に同化出来るように、脚本的にも演出的にも様々な工夫がされている。
前田兄弟の役が大阪から引っ越してきたという設定なのは、無理せずに彼らの素の大阪弁を生かすためだろうし、年少の子供はあえて役名と本名が同じに設定されているのも、芝居中に考えさせ過ぎないための配慮だろう。
実際に、脚本もキャスト決定後に柔軟に修正されていったという。
物語的には、しっかり者の兄、航一を演じる前田航基が、主演俳優の貫禄たっぷりに展開を牽引し、天真爛漫な弟、龍之介を演じる 前田旺志郎が、不確定要素を作り出して物語にメリハリをつける役割だ。
更に二人の同級生達や周囲の大人達のエピソードが、ある種の群像劇の様に絡んでくる事で、物語を重層化している。
ロックの街、福岡に暮らすのはミュージシャンへの夢を諦めきれない父、オダギリジョー。
そんな父に心を残しつつも、火山灰降りしきる鹿児島に出戻る母には大塚寧々。
母の実家の祖父母を橋爪功と樹木希林、その友人に原田芳雄と大ベテランを配し、学校の先生役に阿部寛と長澤まさみ、元女優のスナックのママに夏川結衣と主役級の実力者が脇を固める豪華な布陣。
前半は、そんな大人達に見守られた、鹿児島と福岡での子供達の日常の風景と、将来への夢が丁寧に描かれる。
嘗ての母と同じ女優の道を夢見る少女、スポーツ選手に成りたいという愛犬家の少年、絵の才能に目覚めようとしている少女。
彼・彼女らの未来は、無限大の可能性で満ちている。
そして、後半はそんな願いを叶えるために、奇跡の瞬間を見ようとする小さな冒険旅行だ。
ところが、何とかお金を作って熊本までやって来たものの、新幹線は殆どが高架の為にすれ違う所を見られる場所が見つからない。
日は西に沈み、刻々と迫るその瞬間を、彼らは見る事が出来るのだろうか、という興味が観客を惹きつける。
まあ彼らに立ちはだかる問題は、いかにも本作に相応しい“奇跡”によって解決されるのだが、この映画に登場する大人達は皆哀しみを抱えているが故に暖かい。
是枝裕和監督にとって、これは都会の片隅で忘れられた子供達を描いた「誰も知らない」の対であり、「この世界にキレイはあるか?」という「空気人形」の問いかけたテーマに対するセルフアンサー的な物語なのかもしれない。
そして、制作時期から言ってもこれは偶然だろうが、本作は3.11以降の日本人にとって極めて象徴的な意味を持つ作品となった。
九州新幹線の開業は、今年3月12日であり、あの未曾有の大災害の翌日だ。
しかも、本作の中で航一が当初願っていた“奇跡”とは、桜島の大噴火によって九州南部に人が住めなくなる事なのである。
鹿児島脱出となれば、家族四人が再び共に暮らせるはず、という事なのだが、結果的に彼はこの願いを封印する。
「なぜ、奇跡を願わなかったのか?」と訝しがる龍之介に、航一は「家族より、世界をとってしまった」と言うのだ!
大切な人達との日常と、小さな冒険を通して、航一は人、自然、そして時の営みが作り上げる、この世界のキレイをたくさん見過ぎてしまった。
家族はもちろん大切、でもそれは例え離れ離れになったとしても、絆が無くなる訳ではない。
しかし、もしも桜島が大噴火したら、彼の見たキレイは全て消えてしまうのである。
航一は、世界とはいわば森羅万象全ての繋がりである事を、幼いながらに経験を通して感じているのだ。
時代に呼ばれる作品、という物がある。
私は、「奇跡」というタイトルを持つ映画が、今この時代に生まれたのには、やはり運命的な必然を感じる。
3.11は天災であり、同時に人災だと思う。
桜島の大噴火は航一の自制心のおかげ(?)で起こらなかったが、福島では人間の手によって作られた核の惨禍が、自然の猛威と共に暴走し、本当に人が住めない土地になってしまったではないか。
小学生の子供が、切なる想いを封印してまで守りたいと思った世界を、大人たちは自ら破壊してしまったのだ。
本作の劇中、突然タッチがドキュメンタリーのインタビュー映像の様になる部分がある。
それは、子供達が奇跡に絡めて自分の将来の夢を語るシーン。
私は、リアルとも演技ともつかない、朴訥とした口調で、「いつか成りたい自分」を語る彼等を見て、思わず涙腺を決壊させてしまった。
そう、本当の“奇跡”とは、この世界が、私達が存在する事。
奇跡の一部である私達は、この世界を次の世代へと継承する義務があるにもかかわらず、大切な世界の一部を過ちによって壊してしまった。
“世界”は、私達にどの様な償いを求めるのだろうか。
今回は九州が舞台の映画ながら、観終わって福島の事を考えてしまったので、会津の地酒ほまれ酒造の「ならぬことはならぬものです 純米原酒」をチョイス。
アルコール度数は高いが、酸味は程々で、原酒にありがちな刺々しさは上手く抑えれれており、まろやかで飲みやすい。
この奇妙な銘は、会津藩が若い藩士を育成するために、「してはならない事」を示した「什(じゅう)の掟」の最後の一節から採られている。
正に、とり返しのつかない事をしてしまった日本人よ、せめてこの酒を飲んで福島を応援しよう。
因みに、震災の直後に話題になった九州新幹線の開業を告げる素晴らしいテレビCM、タイミング的にてっきり本作とリンクした企画かと思っていたのだけど、スタッフに確認したところ直接関係は無いらしい。
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