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軽蔑・・・・・評価額1500円
2011年06月06日 (月) | 編集 |
若い男女の愛のドラマは、極めて日本的な土着の情念を巻き込んで、破滅への道を突き進む。
映画「軽蔑」の原作は、和歌山を舞台にした一連の“紀州サーガ”で知られる芥川賞作家、中上健次の最後の長編小説。
主演の高良健吾と鈴木杏は熱演で、熊野という古の地を舞台にした物語も濃密な意欲作だが、一方で映画全体に奇妙な違和感が付きまとう。

歌舞伎町で自堕落な生活を送る青年カズ(高良健吾)は、ポールダンサーの真知子(鈴木杏)に恋をする。
ある時、ヤクザの下請け仕事で真知子の勤めている店を潰したカズは、そのまま彼女を強引に連れ出して、故郷の熊野へと舞い戻る。
しかしカズの実家は土地の名家で、いくら二人が愛し合っていても、家柄にあわない真知子は招かれざる客だった。
やがて真知子は東京へと戻り、彼女を忘れられないカズはバカラ賭博の胴元の山畑(大森南朋)に巨額の借金を重ねていた・・・


主人公のカズは、どうしようもないダメ人間だ。
この映画を一言で言えば、ダメ人間がダメ人間たる所以を、延々と見せられるような作品である。
もっとも、太宰治の人気が衰えない様に、たとえ他人から見て酷い人生を送っていても、徹底的に自分の生き方に拘って突っ張る人間は、それはそれで魅力的に見えるもの。
本作の場合は、対照的な境遇に生まれた男女が、あくまでも自分たちの愛を貫く事がそれにあたるのだろうが、どうも焦点がボケてしまう。
ダメ人間の端くれを自認する私としては、身につまされる話でもあるのだが、それにしても登場人物の誰一人として感情移入できず、行動原理が理解出来ないのだ。
多分、この映画の評価を難しくしているのは、映画を構成する多くの要素が、ボタンの掛け違いによるミスマッチを起こし、まるで異なるパズルのピースを強引に組み合わせた様な違和感を感じさせてしまう事だと思う。

奥寺佐渡子の脚本は、相変わらずきっちりと構成されているが、意図的なのだろうか、まるで現代の香りがしない。
92年に出版された原作は未読だが、主人公のカズは明らかに中上健次本人がモデルだろう。
1946年生まれの彼が、東京に出てきたのは60年代後半。
もしも廣木隆一監督が当時を意識したのであれば、なるほどこのタッチも納得がいく。
破滅に向かって突き進むダメ人間というモチーフは、ゴダールの「勝手にしやがれ」の主人公を思わせるし、ヌーベルバーグに対するオマージュとしてはありかもしれない。
しかしながら、本作に用意された21世紀という器に、このクラッシックなタッチはどうもそぐわない様に思う。
熊野という土地の、いかにも和の情念を掻き立てる土着性も加わって、何とも奇妙な味わいになってしまい、第一のミスマッチを引き起こす。

私の父は中上健次同様に和歌山の出で、かの地には親戚も多いので、あの独特の濃い田舎の人間関係も理解できるが、本作に登場するキャラクターはあまりにも類型的で、古臭い印象だ。
勿論、家柄に拘ったりする因習は今でも残るし、田舎が都会より保守的なのも確かだが、普通の人が殆ど出てこないだけに、ステロタイプに古い部分だけを抜き出したように感じてしまうのである。
いっその事、舞台を60年代、せめて原作が出版された92年に設定した方がよかったのではないだろうか。
属する社会の規範とは別の次元で、若い二人が自分たちの世界を確立しようと足掻く物語は、何も現代でなくても成立するだろう。

もう一つの作劇上の問題は、周囲の理解を得られない二人の愛と、カズのギャンブル癖による借金という、本作のドラマを形作る二つの葛藤が、今一つ上手く絡み合わない事だ。
おそらく、この二つは真知子の視点からは一続きなのだが、物語の目線を形作るカズの中では真知子との愛は両親との問題、借金は山畑との問題として、別々の要素のまま最後まで持っていってしまっているので、ラストの収束点がバラけてしまっており、何となく消化不良のまま終わってしまうのである。

主演の高良健吾鈴木杏は、激しいベッドシーンも含めて大変な熱演だ。
だが、残念ながら彼らのキャスティングが、更なるミスマッチを引き起こしている。
この映画は地方出身のボンボンであるカズが、東京から垢抜けたトップレスダンサーを掻っ攫って来る事で、田舎町を舞台に様々な葛藤が起こるのだが、どうしても二人の関係が逆に見えてしまう。
失礼ながら、鈴木杏には都会の大人の女の色気が感じられない。
ステージでボリュームたっぷりの外国人ダンサーと踊るシーンなどを見てしまうと、幼児体形が余計に目立ってしまい、申し訳ないが店のナンバー1には見えないのである。
逆に高良健吾は、現代的な顔立ちも含め、キャラクターがシャープすぎて、田舎出の青臭いボンボンのイメージとは程遠い。
これが都会に揉まれながら頑張っている地方出身の女に、東京出身の男が恋をする話なら何の問題も無いのだけど、本作はそうではない。
設定と実際のキャラクターにギャップがありすぎるから、なぜカズが真知子をそれほど好きなのか、なぜ真知子はダメダメなカズに愛想を尽かさないのかがよく分からないのだ。
「愛している」という言葉の裏づけとなるエピソードを描かないなら、真知子は男が一目惚れする色香を放つ女でなければならないし、カズにはもっと朴訥な魅力が必要だろう。
それが無理ならば、逆に物語はもっと語らねばなるまい。

人間は社会的な動物であり、決して周囲と無関係には生きられない。
だが、その縛りからあくまでも自由でありたいと願う者の行動は、自分が属する社会の規範から逸脱していたとしても、決して“軽蔑”出来るものではないという本作のテーマは理解できるし、本作が映画として面白いか面白くないかと聞かれれば、私は面白いと答える。
演出、脚本、演技、どれも単体で見ればクオリティは高く、感情移入できなくとも、観客の目は自然にスクリーンに惹きつけられ、印象的なシーンや台詞も多い。
挑戦的な映画であり、2時間16分という長尺を、私は長いとは感じなかった。
ただ個人的には、感情移入出来ないダメ男と、彼となぜ一緒にいたいのかを理解出来ない女の物語を、もう一度観たいとは思わないのもまた事実。
実は先日、長年連れ添った夫婦が崩壊してゆく様を描いた、アメリカ映画の「ブルー・バレンタイン」を観た時も似た様な感想を持った。
あの映画も世評は極めて高かったので、多分に好みの問題なのかもしれない。

今回は、私的にも馴染みのある紀州が舞台という事で、和歌山の代表的な地酒、田端酒造から「羅生門 龍寿 大吟醸」をチョイス。
紀州の酒は温暖な気候ゆえか、日本海側や東北の様な端麗辛口というよりは、フルーティでコクとまろやかさを重視した酒が多い。
本作でもバーベキューをしているシーンがあったが、羅生門ブランドの酒はバランスに優れ、肉料理などとの相性もとても良いので、これからの季節ならクーラーで冷やしてアウトドアで飲むのも美味しい。

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