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※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
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2011年06月26日 (日) | 編集 |
スピルバーグ世代のノスタルジー。
1年前にティーザートレイラーが公開されてから、世界中の映画ファンの間で話題を呼んでいたJ・J・エイブラムスとスティーブン・スピルバーグのコラボ作、その名も「SUPER8/スーパーエイト」!
これは、1966年生まれという、正にスピルバーグ世代ど真ん中の、元8ミリ少年エイブラムスが、偉大な先輩への大いなるリスペクトを込めて作り出した“愛すべき小品”である。
オハイオ州リリアン、1979年。
鉄工所の事故で母を亡くしたジョー・ラム(ジョエル・コートニー)は、悲しみを拭い去るかのように、幼馴染のチャールズ(ライリー・グリフィス)たちと作っている8ミリ映画に情熱を燃やしている。
密かに恋心を抱いているアリス(エル・ファニング)が、ヒロイン役を演じてくれる事も決まり、ますます映画にのめりこむ様になる。
だが、深夜に家を抜け出して、無人駅で撮影していた時、突然一台のピックアップトラックが空軍の物資を積んだ貨物列車に衝突、大爆発を起こす。
命からがら逃げ出したジョーたちだが、実は彼らのカメラには、ある恐るべき秘密が写りこんでしまっていた・・・・
タイトルの“スーパー8”とは、米国のコダック社が1965年に発表した、8ミリフィルムの規格である。
8ミリには他にも、日本の富士フィルムによるシングル8、1930年代に作られた古い規格であるダブル8があり、カメラに互換性が無かったので、当時8ミリ映画を作ろうとすると、カメラとフィルムの選択に皆頭を悩ませたものだ。
それぞれの規格の中でも色々なフィルムの種類があるのだが、一般にスーパー8は柔らかで暖色の再現性に優れ、シングル8はシャープで寒色が美しく出るといった特徴があった。
日本ではスーパー派とシングル派がほぼ拮抗していたが、コダックの母国が舞台の本作では、やはり8ミリと言えばスーパー8という事になるのだろう。
何でも、エイブラムスはアマチュア時代からスピルバーグと縁があったらしい。
82年に当時15歳だったエイブラムスは、ある8ミリ映画際に作品を出品、新聞でその記事を読んだアンブリンのキャスリーン・ケネディに、スピルバーグが少年時代に撮った8ミリ映画の修復を依頼されたのだそうな。
自分と同年齢の頃のスピルバーグの作品に触れたエイブラムスは、その稚拙さを見て大いに自信をつけたというから大物だ(笑)
なるほど、70年代末を舞台に展開するSFアドベンチャーは、確かにエイブラムスの映画的記憶にあるスピルバーグ映画の香りで満たされている。
宇宙人に纏わる少年少女たちの物語は、「未知との遭遇」と「E.T.」だし、田舎街が怪物に襲われるのは「グレムリン」、少しづつ恐怖の対象が姿を見せる小出しのテクニックは「JAWS」、地底の冒険は「グーニーズ」と、70年代から80年代初頭にかけてのスピルバーグ監督・プロデュース作にあった要素をごちゃ混ぜにした上で、一本に再構成したような作品である。
ディテールでも、画面の質感や音楽のタッチはもちろん、「E.T.」や「ポルターガイスト」で印象的だった、丘の上から見下ろした住宅地の夜景カットや、「未知との遭遇」の満点の星空の下を走るピックアップトラックのカットを再現している他、当時のスピルバーグ映画で特徴的だった横に伸びるブルーのレンズフレアまで再現しているのには驚いた。
面白いのは、スピルバーグへのラブ&リスペクトを全面に出しながら、実は同時代の作家であるジョージ・A・ロメロ対してもかなりの偏愛っぷりをみせている事だ。
劇中で8ミリ映画の監督をしているチャールズの部屋には、ホラー映画のポスターがベタベタと貼られ、何より撮っているのがゾンビ映画なのである。
本作の年代設定が「未知との遭遇」の1977年でも、「E.T.」の1982年でもなく、なぜ1979年なのかという事も、ロメロとの関連を考えると納得がゆく。
彼の代表作であり、世界中で大ヒットした「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)は、1979年の5月24日に夏休み映画としてアメリカで公開されており、ちょうど本作の描いている時期と一致し、チャールズの部屋にもちゃんとポスターが貼ってある。
さらに、小さな田舎町が軍隊によって封鎖される描写は「ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖」を思わせるし、舞台となるリリアンの地場産業が鉄鋼という設定も、ロメロが元祖鉄鋼の街である地元ピッツバーグに拘り続けている事と無関係ではあるまい。
スピルバーグとロメロというと、一見対照的に見えるが、SFとホラーという括りの中で当時の8ミリ少年の間では結構ファン層が被っていたりする。
まあ今回はスピルバーグがプロデュースしている事もあり、あくまでも彼に対するオマージュを押し出しつつも、言わば表スピルバーグと裏ロメロという構造にしているあたり、わかるわかると頷いている観客も多いのではないだろうか。
もっとも、本作は単に過去の映画の再現をやって、おっさんたちを懐かしがらせるための作品ではない。
エイブラムスはスピルバーグ映画の要素を慎重に取捨選択しながら、パズルの様に組上げる過程で、しっかりと独自性を盛り込む事を忘れていない。
スピルバーグは、彼自身が母子家庭だった事もあり、父親不在(「E.T.」)あるいは父親が家族から去る(「未知との遭遇」)の設定を好むが、こちらでは逆に、去って行くのは母親であり、二つの父子家庭が描かれる。
そして親子間の葛藤は、スピルバーグ映画では殆ど前面に出ることの無いスパイスに過ぎなかったが、本作におけるジョーとジャック、アリスとルイスの両親子の間では、葛藤が衝突として描写され、その事がやや弱いながらも物語を展開させる動力になっている。
物語の結末で、主人公の抱える喪失感が克服されているのは同じだが、エイブラムスはよりはっきりと喪失とその結果としての葛藤を描くのである。
そして、スピルバーグ映画、特に監督作には決して出てこなかった要素、“初恋”が物語に色を添える。
ファニング姉妹の妹、エル・ファニングのキャスティングが、本作に奇跡の映画的瞬間をもたらした。
劇中劇で刑事の妻を演じるシーンの、とても撮影当時12歳とは思えない色香と、劇中の少年達と現実の観客を同時に黙らせる圧倒的な演技力。
ジョーがアリスにゾンビメイクを施しながら感じていたドキドキは、彼の肩に残された真っ赤なリップの跡と共に、観客の心に思春期の甘酸っぱさを蘇らせる。
これほど愛おしく思えるゾンビは、間違いなく映画史上初めててであろう(笑
親友と同じ女の子を好きになってしまった時の、切ない心の痛みも含めて、恋と冒険はセットとなって、少年達を大いに成長させるのである。
実際、8ミリ映画を作ってた男の子は、一度は好きな子に出てもらった事があると思うし(笑
「SUPER8/スーパーエイト」は、J・J・エイブラムスとスピルバーグという、ちょうど一世代違う二人の映画作家による、ある種の創作の循環を見る事の出来るユニークな作品だ。
とは言っても、2011年という時代を代表する作品とか、映画史に残る傑作というのとはちょっと違う気がする。
これは言わばハリウッド版のSFチックな「虹の女神 Rainbow Song」であって、ある特定の世代の映画的記憶に根ざした、ノスタルジックな映画へのラブレター。
エイブラムスとほぼ同世代の私にとっても、まるで自分の少年時代のアルバムを覗く様な、妙なこそばゆさを感じる作品だ。
観に行った劇場では何と上映終了後に拍手が起こってたが、こういう世代の共有意識というのも、映画の持つ大きな魅力かもしれない。
もちろん、決してそれだけに留まらず、元ネタを知らない観客に対しても、面白さはきっちりと担保されており、スピルバーグもロメロも一本も知らない人でも十分楽しめるだろう。
このあたり、さすが超一流同士のコラボレーション作品である。
エンドクレジットでは、劇中で子供達が作っている8ミリ映画“The Case”の本編が上映されるので、直ぐに席を立たない様に!
因みにこの映画、実際にストーリーを作ったのは出演している子供達だそうで、適度なくだらなさがいかにもな感じでとても良い。
そう言えば自分が始めて撮ったのは超能力物(当時クローネンバーグの「スキャナーズ」が流行ってた)だったなあ・・・・なんて事も思い出してしまったよ。(笑
今回は、宇宙人繋がりで、“宇宙酒”をチョイス。
正式には「土佐宇宙酒 玉川 安芸虎 純米大吟醸」と言うが、もちろん宇宙で醸造された訳ではない。
高知県の蔵元有志によって推進された、日本酒の酵母を宇宙に送るプロジェクトから生まれた日本酒なのだ。
高知県産の酵母は2005年に国際宇宙ステーションに運ばれ、8日間を宇宙で過ごして帰還。
この宇宙酵母を使って、各銘柄で醸造されているのが、土佐の新名物宇宙酒という訳だ。
お味の方はごく普通に美味しい純米酒で、正直言われなければわからないが、夏の星空を眺めながら冷で飲めば、未知なる世界へのロマンが広がるだろう。
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1年前にティーザートレイラーが公開されてから、世界中の映画ファンの間で話題を呼んでいたJ・J・エイブラムスとスティーブン・スピルバーグのコラボ作、その名も「SUPER8/スーパーエイト」!
これは、1966年生まれという、正にスピルバーグ世代ど真ん中の、元8ミリ少年エイブラムスが、偉大な先輩への大いなるリスペクトを込めて作り出した“愛すべき小品”である。
オハイオ州リリアン、1979年。
鉄工所の事故で母を亡くしたジョー・ラム(ジョエル・コートニー)は、悲しみを拭い去るかのように、幼馴染のチャールズ(ライリー・グリフィス)たちと作っている8ミリ映画に情熱を燃やしている。
密かに恋心を抱いているアリス(エル・ファニング)が、ヒロイン役を演じてくれる事も決まり、ますます映画にのめりこむ様になる。
だが、深夜に家を抜け出して、無人駅で撮影していた時、突然一台のピックアップトラックが空軍の物資を積んだ貨物列車に衝突、大爆発を起こす。
命からがら逃げ出したジョーたちだが、実は彼らのカメラには、ある恐るべき秘密が写りこんでしまっていた・・・・
タイトルの“スーパー8”とは、米国のコダック社が1965年に発表した、8ミリフィルムの規格である。
8ミリには他にも、日本の富士フィルムによるシングル8、1930年代に作られた古い規格であるダブル8があり、カメラに互換性が無かったので、当時8ミリ映画を作ろうとすると、カメラとフィルムの選択に皆頭を悩ませたものだ。
それぞれの規格の中でも色々なフィルムの種類があるのだが、一般にスーパー8は柔らかで暖色の再現性に優れ、シングル8はシャープで寒色が美しく出るといった特徴があった。
日本ではスーパー派とシングル派がほぼ拮抗していたが、コダックの母国が舞台の本作では、やはり8ミリと言えばスーパー8という事になるのだろう。
何でも、エイブラムスはアマチュア時代からスピルバーグと縁があったらしい。
82年に当時15歳だったエイブラムスは、ある8ミリ映画際に作品を出品、新聞でその記事を読んだアンブリンのキャスリーン・ケネディに、スピルバーグが少年時代に撮った8ミリ映画の修復を依頼されたのだそうな。
自分と同年齢の頃のスピルバーグの作品に触れたエイブラムスは、その稚拙さを見て大いに自信をつけたというから大物だ(笑)
なるほど、70年代末を舞台に展開するSFアドベンチャーは、確かにエイブラムスの映画的記憶にあるスピルバーグ映画の香りで満たされている。
宇宙人に纏わる少年少女たちの物語は、「未知との遭遇」と「E.T.」だし、田舎街が怪物に襲われるのは「グレムリン」、少しづつ恐怖の対象が姿を見せる小出しのテクニックは「JAWS」、地底の冒険は「グーニーズ」と、70年代から80年代初頭にかけてのスピルバーグ監督・プロデュース作にあった要素をごちゃ混ぜにした上で、一本に再構成したような作品である。
ディテールでも、画面の質感や音楽のタッチはもちろん、「E.T.」や「ポルターガイスト」で印象的だった、丘の上から見下ろした住宅地の夜景カットや、「未知との遭遇」の満点の星空の下を走るピックアップトラックのカットを再現している他、当時のスピルバーグ映画で特徴的だった横に伸びるブルーのレンズフレアまで再現しているのには驚いた。
面白いのは、スピルバーグへのラブ&リスペクトを全面に出しながら、実は同時代の作家であるジョージ・A・ロメロ対してもかなりの偏愛っぷりをみせている事だ。
劇中で8ミリ映画の監督をしているチャールズの部屋には、ホラー映画のポスターがベタベタと貼られ、何より撮っているのがゾンビ映画なのである。
本作の年代設定が「未知との遭遇」の1977年でも、「E.T.」の1982年でもなく、なぜ1979年なのかという事も、ロメロとの関連を考えると納得がゆく。
彼の代表作であり、世界中で大ヒットした「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)は、1979年の5月24日に夏休み映画としてアメリカで公開されており、ちょうど本作の描いている時期と一致し、チャールズの部屋にもちゃんとポスターが貼ってある。
さらに、小さな田舎町が軍隊によって封鎖される描写は「ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖」を思わせるし、舞台となるリリアンの地場産業が鉄鋼という設定も、ロメロが元祖鉄鋼の街である地元ピッツバーグに拘り続けている事と無関係ではあるまい。
スピルバーグとロメロというと、一見対照的に見えるが、SFとホラーという括りの中で当時の8ミリ少年の間では結構ファン層が被っていたりする。
まあ今回はスピルバーグがプロデュースしている事もあり、あくまでも彼に対するオマージュを押し出しつつも、言わば表スピルバーグと裏ロメロという構造にしているあたり、わかるわかると頷いている観客も多いのではないだろうか。
もっとも、本作は単に過去の映画の再現をやって、おっさんたちを懐かしがらせるための作品ではない。
エイブラムスはスピルバーグ映画の要素を慎重に取捨選択しながら、パズルの様に組上げる過程で、しっかりと独自性を盛り込む事を忘れていない。
スピルバーグは、彼自身が母子家庭だった事もあり、父親不在(「E.T.」)あるいは父親が家族から去る(「未知との遭遇」)の設定を好むが、こちらでは逆に、去って行くのは母親であり、二つの父子家庭が描かれる。
そして親子間の葛藤は、スピルバーグ映画では殆ど前面に出ることの無いスパイスに過ぎなかったが、本作におけるジョーとジャック、アリスとルイスの両親子の間では、葛藤が衝突として描写され、その事がやや弱いながらも物語を展開させる動力になっている。
物語の結末で、主人公の抱える喪失感が克服されているのは同じだが、エイブラムスはよりはっきりと喪失とその結果としての葛藤を描くのである。
そして、スピルバーグ映画、特に監督作には決して出てこなかった要素、“初恋”が物語に色を添える。
ファニング姉妹の妹、エル・ファニングのキャスティングが、本作に奇跡の映画的瞬間をもたらした。
劇中劇で刑事の妻を演じるシーンの、とても撮影当時12歳とは思えない色香と、劇中の少年達と現実の観客を同時に黙らせる圧倒的な演技力。
ジョーがアリスにゾンビメイクを施しながら感じていたドキドキは、彼の肩に残された真っ赤なリップの跡と共に、観客の心に思春期の甘酸っぱさを蘇らせる。
これほど愛おしく思えるゾンビは、間違いなく映画史上初めててであろう(笑
親友と同じ女の子を好きになってしまった時の、切ない心の痛みも含めて、恋と冒険はセットとなって、少年達を大いに成長させるのである。
実際、8ミリ映画を作ってた男の子は、一度は好きな子に出てもらった事があると思うし(笑
「SUPER8/スーパーエイト」は、J・J・エイブラムスとスピルバーグという、ちょうど一世代違う二人の映画作家による、ある種の創作の循環を見る事の出来るユニークな作品だ。
とは言っても、2011年という時代を代表する作品とか、映画史に残る傑作というのとはちょっと違う気がする。
これは言わばハリウッド版のSFチックな「虹の女神 Rainbow Song」であって、ある特定の世代の映画的記憶に根ざした、ノスタルジックな映画へのラブレター。
エイブラムスとほぼ同世代の私にとっても、まるで自分の少年時代のアルバムを覗く様な、妙なこそばゆさを感じる作品だ。
観に行った劇場では何と上映終了後に拍手が起こってたが、こういう世代の共有意識というのも、映画の持つ大きな魅力かもしれない。
もちろん、決してそれだけに留まらず、元ネタを知らない観客に対しても、面白さはきっちりと担保されており、スピルバーグもロメロも一本も知らない人でも十分楽しめるだろう。
このあたり、さすが超一流同士のコラボレーション作品である。
エンドクレジットでは、劇中で子供達が作っている8ミリ映画“The Case”の本編が上映されるので、直ぐに席を立たない様に!
因みにこの映画、実際にストーリーを作ったのは出演している子供達だそうで、適度なくだらなさがいかにもな感じでとても良い。
そう言えば自分が始めて撮ったのは超能力物(当時クローネンバーグの「スキャナーズ」が流行ってた)だったなあ・・・・なんて事も思い出してしまったよ。(笑
今回は、宇宙人繋がりで、“宇宙酒”をチョイス。
正式には「土佐宇宙酒 玉川 安芸虎 純米大吟醸」と言うが、もちろん宇宙で醸造された訳ではない。
高知県の蔵元有志によって推進された、日本酒の酵母を宇宙に送るプロジェクトから生まれた日本酒なのだ。
高知県産の酵母は2005年に国際宇宙ステーションに運ばれ、8日間を宇宙で過ごして帰還。
この宇宙酵母を使って、各銘柄で醸造されているのが、土佐の新名物宇宙酒という訳だ。
お味の方はごく普通に美味しい純米酒で、正直言われなければわからないが、夏の星空を眺めながら冷で飲めば、未知なる世界へのロマンが広がるだろう。

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![]() すべて徹底した手作りの酒。従来の概念を覆す…【玉川 安芸虎】 土佐宇宙酒 純米大吟醸 720... |
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2011年06月26日 (日) | 編集 |
一人旅に出るときは、行き先を誰かに告げておきましょう・・・。
今年のアカデミー賞戦線を賑わせた話題作の中で、実質最後発での日本公開となったのが、「スラムドッグ$ミリオネラ」のダニー・ボイル監督が、実際に起こった遭難事故を描いた「127時間」だ。
この奇妙なタイトルは、主人公が事故に巻き込まれてから、奇跡の生還を果すまでの経過時間。
結末のわかっている物語で、主人公は一点から全く動けないという特殊な状況と、映画化の難しい条件が見事に揃っている中で、果たして鬼才ボイルはどう仕上げた?
2003年4月25日の金曜日深夜、僻地の冒険旅行を趣味にしているアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、ユタ州のキャニオンランズ国立公園に向けて、誰にも行き先を告げずに出発。
翌日はMTBと徒歩で目的地のブルー・ジョンを目指し、途中で知り合ったクリスティ(ケイト・マーラ)とミーガン(アンバー・タンブリン)のガイドを買って出て、峡谷に出来た自然のプールで楽しい時を過ごす。
パーティーで再会する約束をして二人と別れ、一人で狭い谷間を通っていた時に事故は起こる。
足を滑らせたアーロンは、たまたま落ちて来た岩に右手を挟まれてしまったのだ。
通常のトレイルからは遠く離れた独自ルートを通っていたために、大声で助けを呼んでも誰にも届かない。
何とか岩を動かすか、砕くか出来ないかと試行錯誤するものの、びくともせず、残された水は僅かボトル一本のみ。
最悪の事態を覚悟したアーロンは、ビデオカメラで自らの最期の日々を記録しはじめるのだが・・・・
私は米国に住んでいた頃、国立公園のトレッキングが趣味で、映画の舞台となったキャニオンランズにも何度か歩きに行った事がある。
忘れもしない18年前の初夏、私はここで遭難しそうになった。
奥地のトレイルを目指していたのだが、いつの間にか道を見失い、見渡す限りの岩の荒野を延々とさ迷う事になってしまった。
キャニオンランズは海抜こそ高いが、砂漠気候で夏場の最高気温は摂氏40度近くになる事もある。
行けども行けども人っ子一人見えず、段々と減ってゆく水と脱水症状の恐怖と戦いながら、24時間歩き続け、漸く本来のトレイルに出て、たまたま歩いてきた人に水を分けてもらえた時の気持ちは、本当にフニャフニャと力が抜けて、そのまま倒れてしまいそうだった。
思えば、一人旅の行く先を、必ず誰かに告げるようになったのは、この時からだ。
私は幸運にも歩き続ける事ができたが、主人公のアーロンは文字通り抜き差しなら無い状況に陥ってしまう。
右手を完全に岩に挟まれ、身動きが殆どとれない。
しかも普段から誰も知らないルートを開拓するのが大好きな彼は、もちろん今回も地図に乗っているトレイルなんかを歩いてはいない。
ヨセミテなど都市に近いメジャーな国立公園なら兎も角、ユタの奥地まで来ると観光客自体の数が極端に少ないし、必然的にパークレンジャーの数も少ない。
つまり、誰かがそこを通って、気付いてくれる可能性は限りなくゼロなのだ。
当初は何とか岩を削って脱出を試みるものの、削れば削るだけ岩は自分の右手にのしかかり、状況は悪化するだけ。
一日が経つころには、血の通わない指の感覚は無くなり、壊死が始まる。
ダニー・ボイルは、この最悪の状況に陥った主人公の、サバイバル劇と心理劇を物語の両輪として展開する。
左手一本で僅かな装備に創意工夫を巡らして、一日でも長く生き延びる努力。
ハーネスで体を支えて体力の消耗を防ぎ、ザイルで簡易クレーンの仕組みを作り、岩を僅かでも持ち上げようとする。
水が底を付くと、尿をバッグに溜め、悪臭(脱水症状の人間の尿は臭くなる)に耐えながらそれを飲みほす。
苛酷な生への戦いの最中、死に直面したからこそ感じる、この世界の恵もある。
一日中暗い峡谷の底へ、毎朝僅か15分間だけ差し込む日光の温かさ。
毎日同じルートで飛ぶワタリガラスのシルエットが、まだ生きている事を実感させてくれる。
アーロンは、そんな自分の戦いを、遺言としてビデオに残す事で、自分自身を奮い立たせるのである。
やがて、肉体の消耗と共に、走馬灯の如く蘇ってくる過去の人生の幻影。
幼い頃に父が見せてくれた、壮大な自然から受けたインパクト。
仲の良かった妹と、一緒にピアノの練習をした大切な思い出。
しかし何時しか家族との関係も変わり、母からの電話には出なくなり、妹の結婚式まで欠席してしまった事への小さな後悔。
アーロンは、良く言えば自由奔放、悪く言えば傍若無人に人生を謳歌し、それは何時しか畏敬の念を抱いていたはずの、自然に対するスタンスにも反映されていたのである。
現実と幻想、主観と客観、ミクロとマクロが入り混じり、スプリット・スクリーンなども駆使した外連味たっぷりの映像テックニックで、テンポ良く繋いでゆくあたりはダニー・ボイルの真骨頂。
あまりにも単純で、長編映画にはなりそうもない素材を、見事に極上のエンターテイメントとして昇華させる辺りはさすがである。
そして、肉体が限界に達し、最期の時が迫る中、アーロンは過去ではなく、ある“未来の可能性のビジョン”を見て、最後の力を振り絞って究極の行動に出る。
クライマックスの展開は、まあ観る前からわかってはいたけど、肉体的にも精神的にも相当にイタタな物だ。
ボイルもここはイメージに逃げることはせずに、思いっきり彼の痛みを強調する演出をしているので、観客にも受け止めるための相当な覚悟が必要だろう。
そして、物語の終わりに、過去を描く映画という虚構が、未来の現実と出会った時、物語はスクリーンの枠を超えた広がりを獲得するのである。
思うに、アーロンにとっての不幸中の幸いは、4月という季節だろう。
キャニオンランズの気候では、あと一ヶ月早ければ凍死もあり得るし、逆に一ヶ月遅ければあの量の水では持たず、早々に脱水症状で死んでいたはずだ。
彼の身に起こった事故と奇跡の生還も含めて、壮大な自然の理の一部であり、その事を誰よりも実感したからこそ、彼は今でも冒険を続けているのではなかろうか。
今回は、大自然のトレッキングの後に飲みたい酒という事で、「ミラー ライト」をチョイス。
カラッとした砂漠気候では、ヨーロピアンな本格エールは重すぎ、こういう水の様に軽いアメリカンラガーがとても良く合うのである。
案外と、アサヒのスーパードライなども合うのではないかと思っているのだが、残念ながら未だに試した事はない。
今度アメリカでトレッキングする時に、街で買って持って行ってみよう。
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今年のアカデミー賞戦線を賑わせた話題作の中で、実質最後発での日本公開となったのが、「スラムドッグ$ミリオネラ」のダニー・ボイル監督が、実際に起こった遭難事故を描いた「127時間」だ。
この奇妙なタイトルは、主人公が事故に巻き込まれてから、奇跡の生還を果すまでの経過時間。
結末のわかっている物語で、主人公は一点から全く動けないという特殊な状況と、映画化の難しい条件が見事に揃っている中で、果たして鬼才ボイルはどう仕上げた?
2003年4月25日の金曜日深夜、僻地の冒険旅行を趣味にしているアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、ユタ州のキャニオンランズ国立公園に向けて、誰にも行き先を告げずに出発。
翌日はMTBと徒歩で目的地のブルー・ジョンを目指し、途中で知り合ったクリスティ(ケイト・マーラ)とミーガン(アンバー・タンブリン)のガイドを買って出て、峡谷に出来た自然のプールで楽しい時を過ごす。
パーティーで再会する約束をして二人と別れ、一人で狭い谷間を通っていた時に事故は起こる。
足を滑らせたアーロンは、たまたま落ちて来た岩に右手を挟まれてしまったのだ。
通常のトレイルからは遠く離れた独自ルートを通っていたために、大声で助けを呼んでも誰にも届かない。
何とか岩を動かすか、砕くか出来ないかと試行錯誤するものの、びくともせず、残された水は僅かボトル一本のみ。
最悪の事態を覚悟したアーロンは、ビデオカメラで自らの最期の日々を記録しはじめるのだが・・・・
私は米国に住んでいた頃、国立公園のトレッキングが趣味で、映画の舞台となったキャニオンランズにも何度か歩きに行った事がある。
忘れもしない18年前の初夏、私はここで遭難しそうになった。
奥地のトレイルを目指していたのだが、いつの間にか道を見失い、見渡す限りの岩の荒野を延々とさ迷う事になってしまった。
キャニオンランズは海抜こそ高いが、砂漠気候で夏場の最高気温は摂氏40度近くになる事もある。
行けども行けども人っ子一人見えず、段々と減ってゆく水と脱水症状の恐怖と戦いながら、24時間歩き続け、漸く本来のトレイルに出て、たまたま歩いてきた人に水を分けてもらえた時の気持ちは、本当にフニャフニャと力が抜けて、そのまま倒れてしまいそうだった。
思えば、一人旅の行く先を、必ず誰かに告げるようになったのは、この時からだ。
私は幸運にも歩き続ける事ができたが、主人公のアーロンは文字通り抜き差しなら無い状況に陥ってしまう。
右手を完全に岩に挟まれ、身動きが殆どとれない。
しかも普段から誰も知らないルートを開拓するのが大好きな彼は、もちろん今回も地図に乗っているトレイルなんかを歩いてはいない。
ヨセミテなど都市に近いメジャーな国立公園なら兎も角、ユタの奥地まで来ると観光客自体の数が極端に少ないし、必然的にパークレンジャーの数も少ない。
つまり、誰かがそこを通って、気付いてくれる可能性は限りなくゼロなのだ。
当初は何とか岩を削って脱出を試みるものの、削れば削るだけ岩は自分の右手にのしかかり、状況は悪化するだけ。
一日が経つころには、血の通わない指の感覚は無くなり、壊死が始まる。
ダニー・ボイルは、この最悪の状況に陥った主人公の、サバイバル劇と心理劇を物語の両輪として展開する。
左手一本で僅かな装備に創意工夫を巡らして、一日でも長く生き延びる努力。
ハーネスで体を支えて体力の消耗を防ぎ、ザイルで簡易クレーンの仕組みを作り、岩を僅かでも持ち上げようとする。
水が底を付くと、尿をバッグに溜め、悪臭(脱水症状の人間の尿は臭くなる)に耐えながらそれを飲みほす。
苛酷な生への戦いの最中、死に直面したからこそ感じる、この世界の恵もある。
一日中暗い峡谷の底へ、毎朝僅か15分間だけ差し込む日光の温かさ。
毎日同じルートで飛ぶワタリガラスのシルエットが、まだ生きている事を実感させてくれる。
アーロンは、そんな自分の戦いを、遺言としてビデオに残す事で、自分自身を奮い立たせるのである。
やがて、肉体の消耗と共に、走馬灯の如く蘇ってくる過去の人生の幻影。
幼い頃に父が見せてくれた、壮大な自然から受けたインパクト。
仲の良かった妹と、一緒にピアノの練習をした大切な思い出。
しかし何時しか家族との関係も変わり、母からの電話には出なくなり、妹の結婚式まで欠席してしまった事への小さな後悔。
アーロンは、良く言えば自由奔放、悪く言えば傍若無人に人生を謳歌し、それは何時しか畏敬の念を抱いていたはずの、自然に対するスタンスにも反映されていたのである。
現実と幻想、主観と客観、ミクロとマクロが入り混じり、スプリット・スクリーンなども駆使した外連味たっぷりの映像テックニックで、テンポ良く繋いでゆくあたりはダニー・ボイルの真骨頂。
あまりにも単純で、長編映画にはなりそうもない素材を、見事に極上のエンターテイメントとして昇華させる辺りはさすがである。
そして、肉体が限界に達し、最期の時が迫る中、アーロンは過去ではなく、ある“未来の可能性のビジョン”を見て、最後の力を振り絞って究極の行動に出る。
クライマックスの展開は、まあ観る前からわかってはいたけど、肉体的にも精神的にも相当にイタタな物だ。
ボイルもここはイメージに逃げることはせずに、思いっきり彼の痛みを強調する演出をしているので、観客にも受け止めるための相当な覚悟が必要だろう。
そして、物語の終わりに、過去を描く映画という虚構が、未来の現実と出会った時、物語はスクリーンの枠を超えた広がりを獲得するのである。
思うに、アーロンにとっての不幸中の幸いは、4月という季節だろう。
キャニオンランズの気候では、あと一ヶ月早ければ凍死もあり得るし、逆に一ヶ月遅ければあの量の水では持たず、早々に脱水症状で死んでいたはずだ。
彼の身に起こった事故と奇跡の生還も含めて、壮大な自然の理の一部であり、その事を誰よりも実感したからこそ、彼は今でも冒険を続けているのではなかろうか。
今回は、大自然のトレッキングの後に飲みたい酒という事で、「ミラー ライト」をチョイス。
カラッとした砂漠気候では、ヨーロピアンな本格エールは重すぎ、こういう水の様に軽いアメリカンラガーがとても良く合うのである。
案外と、アサヒのスーパードライなども合うのではないかと思っているのだが、残念ながら未だに試した事はない。
今度アメリカでトレッキングする時に、街で買って持って行ってみよう。

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