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コクリコ坂から・・・・・評価額1700円
2011年07月20日 (水) | 編集 |
上を向いて歩くのは、希望の未来を見据え、哀しみの涙を零さないため。
「コクリコ坂から」は、東京オリンピックを翌年に控えた1963年の横浜を舞台にした、スタジオジブリによる青春アニメーション映画。
高度成長の熱気に溢れ、古き物が棄てられ、新しい物が歓迎される時代。
おんぼろクラブハウスの取り壊しを巡る学園闘争を背景に、16歳の少女と17歳の少年の初々しい恋を描いた作品だ。
デビュー作の「ゲド戦記」が散々な評価に終わった宮崎吾朗監督だが、今回はあえて父・宮崎駿とタッグを組み、世代交代を象徴する冒険的な快作を作り上げた。
船乗りだった亡き父のために、信号旗を揚げ続ける主人公の少女・海に長澤まさみ、彼女と恋におちる少年・俊を岡田准一が好演している。
※一部ネタバレ注意

1963年。
横浜の外れにある、コクリコ坂に暮らす松崎海(長澤まさみ)は16歳の高校生。
船乗りの父とは幼い頃に死別し、海は留守がちな学者の母を助け、祖母と妹と弟、二人の下宿人を含めた大所帯を切り盛りしている。
彼女の日課は、毎朝亡き父のために、航海の安全を祈る信号旗を掲げる事。
そんなある日、海の通う学園のシンボルであるクラブハウス、“カルチェラタン”の取り壊し計画が持ち上がり、彼女はひょんな事から存続を訴える新聞部の風間俊(岡田准一)とつきあう様になる。
だが、海の家で下宿人の送別会があった日、彼女の父の写真を見た俊は、急によそよそしい態度をとる様になる。
問い詰める海に、俊が語ったのは、二人の出生に関するある秘密だった・・・


主人公の海が、俊に恋する瞬間の何と映画的な事か!
正直なところ、全く映像で物語る事が出来ていなかった「ゲド戦記」と、同一人物の作品とは信じられない。
同じ事は、企画・共同脚本でクレジットされている宮崎駿にも言える。
21世紀の入ってから、ぶっ壊れてゆくばかりだった人が作ったとは思えないほど、物語がロジカルに構成されている事に驚く。

1980年に、雑誌「なかよし」に連載された佐山哲郎、高橋千鶴による同名漫画が原作である。
ストーリーのコアの部分はキープされているが、キャラクター設定や細部の筋立ては大幅に脚色され、物語の舞台も原作執筆時点の“現代”である80年から、63年へと変更されている。
もっとも、これは止むを得ないだろう。
原作は、良くも悪くもあの時代の典型的な連載少女漫画で、主人公の心象風景の描写が多くを占め、行き当たりばったりの展開、浮世離れしたキャラクター、掘り下げられていない世界観は時代性も希薄で、とてもそのままで映画化に耐えうる物ではない。
作中から比較的しっかりと描き込まれている海と俊のラブストーリー部分を抽出し、その他の要素はきちんとバックボーンを作り、設定の意味付をした上で再度組み込まれているが、この作業は物語に現実世界へと繋がる“リアル”を与えている。

面白いのは、本作のリアルは、アニメーションならではのものだという事である。
題材的には一見すると実写でも出来そうだが、いざ生身の役者が演じて、セットを組んで、CGで風景を再現してとなると、実際にはどんどんとリアルは失われてゆく。
この50年ほど前の、微かに人々の記憶に残る程度の過去というのは、一番再現のさじ加減が難しく、手を抜けば安っぽくなり、逆に究極的にやると「ALWAYS 三丁目の夕日」の様な箱庭的世界になってしまう。
本作は映像的ディテールは極めて細密ながら、決して写実的すぎない絵柄によって、上手く観客の記憶にあるイメージを利用して、時代を活写する事に成功しているのである。

脚色の作業は、物語の世界に“歴史”を付与するという、明確な目的意識をもって行われている。
原作では漠然としか描かれない海の父の死の真相も、海軍出身の父が朝鮮戦争に“従軍”し、接雷して戦死した事が語られ、海と俊の出生の秘密も、死が日常だった戦争の時代の止むに止まれぬ事情であった事が定義される。
そしてカルチェラタンである。
学園闘争は原作でも描かれていたが、モチーフは制服の自由化だった。
これは既に日本人が社会変革の意欲を失った時代の、パーソナルな闘争である。
映画は、これをカルチェラタンと呼ばれる古いクラブハウスの、存続か取り壊しかを巡る闘争へと変えている。
明治の終わり作られたカルチェラタンは、重厚な建物だ。
モデルとなっているのは、庄内の致道博物館にある明治の名建築、旧西田川郡役所だろうか。
色は違えど、時計台を有するデザインは良く似ている。
この建物の内部は、過去に学園で学んだ多くの卒業生の活動と思い出が蓄積された、文字通り学園の知の殿堂である。
新聞部部長として取り壊しに反対する俊は、集会で「古い物を壊すのは、過去の記憶を捨てる事と同じだ」と説く。
そう、映画の闘争は単に個人の自由を問う物ではなく、社会(学園)のあり方に対する戦いなのである。

これによって、東京オリンピック前年の1963年という時代設定も生きる。
色々な意味で、日本が古きを捨てて、新しい時代に突入するするターニングポイントだ。
またこの年の高校生は、戦時中生まれと戦後のベビーブーマー、所謂団塊の世代が混在するという意味でも象徴的である。
この映画は、第一義的には、少年と少女を主人公に、人が人を愛するピュアな気持ちを描いたラブストーリーだ。
だが彼らの出生に秘められた、親の世代の切なる気持ちが表すように、一人一人の人生にも、積み重ねられ受け継がれて来た歴史がある。
カルチェラタンを巡る闘争は、根底の部分で海と俊の切ない初恋の葛藤ともリンクし、我々が忘れてはいけない、記憶の継承の大切さを思い起こさせるのである。

カルチェラタンを映画史に置き換えても面白い。
「ラムの大通り」のえいさんが指摘する様に、この映画の作り出すイメージは、当時の日活青春映画そのもので、大いなるオマージュと言っても良い。
60年代の僅かの期間に、その黄金時代を築いた日活青春路線は、浜田光夫や吉永小百合と言ったスターの名で記憶されているものの、個々の作品としては多くが忘れられつつある。
いや、これは日活に限った話ではなく、日本における古い映画へのアクセシビリティは欧米と比べてもかなりお粗末であり、文化遺産の継承という点において、日本映画史の多くの部分は本作のカルチェラタンと同じ境遇にあるのだ。
触れられる者が誰もいなければ、継承は行われないのである。

また本作には、ジブリ映画の歴史も埋め込まれている。
88年に作られた宮崎駿の代表作、「となりのトトロ」は50年代の世界を舞台としている。
海と空の姉妹は、あの映画に描かれたサツキとメイと同世代であり、これはある意味彼女らの成長した姿を描いた物語とも観て取れる。
そして物語の終盤、父達の親友に自らの出生の秘密を聞いた海と俊が、ダグボートで去ってゆくシーンは、カット割からも明らかにスタジオジブリの第一作、「天空の城 ラピュタ」に対するアンサーシーンになっている。
あの映画のラストで、亡き父の想いに答えた少年は、愛する少女と共に空の彼方へと旅立って行く。
ちょうど四半世紀後に宮崎吾朗が描いたのは、父が消えた海から、愛する少年と共に帰還する少女の姿だ。
その時に彼女は、自分の家と風になびく信号旗、つまり亡き父に見て欲しいと思い続けた光景を、初めて自分自身で海の上から見るのである。
父はもう帰らないが、その想いは彼女の中に生き続け、彼女と共に家へ帰るのだ。
世代の移り変わりを象徴する感動的なシーンであり、宮崎吾朗は覚悟を決めたと思った。

私はアニメーション制作においては、チームに重きを置くピクサーのスタイルがベストだと思っている。
宮崎駿という一人の天才に頼り、ポスト宮崎もまた宮崎という、世襲制みたいな事は組織論としては好ましくないのは確かだ。
だがそれでも、本作に見られる創作の継承の鮮やかさは素直に認めざるを得ない。
まあまだ細かく観察すれば、不必要なカットを入れてリズムを崩してしまっている部分もみられるし、キャラの動かし方に疑問符がつくシーンも幾つかある。
しかし、細かな欠点をいくら論っても、この映画の魅力と独自性を消し去る事は出来ない。
昭和30年代を舞台に、日活青春映画にオマージュを捧げたアニメーションなど、今の日本で企画が通り、全国規模での公開が可能なのは、スタジオジブリという鉄壁のブランド以外にはあり得ないだろう。
結ばれるべきは結ばれ、守られるべきは守られるという、娯楽映画の正論を貫いているのも良い。
価値観が揺らぐ時代にあって、作り手はどうしても世界を斜に構えて捉えたくなる。
登場人物の葛藤に素直に感情移入し、この世界に生き、こんな青春を過ごしてみたいと思わされるストレートな物語というのは、結構難しいものである。

今回は、映画の主な舞台となる「ヨコハマ」の名を持つカクテルを。
ドライ・ジン20ml、オレンジ・ジュース20ml、ウォッカ10ml、クレナデン・シロップ10ml、パスティス又はアブサン1dashを、氷を入れたシェイカーでシェイクしてグラスに注ぐ。
かなり甘口で、世界的にも有名なカクテルをだが、名前の由来には諸説あり、正確なところはわからない。
ただ、元々は外国人が考案して日本人に広めたレシピであった様で、港ヨコハマらしい一杯である。

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