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2011年08月12日 (金) | 編集 |
死にゆく兵士から託されたのは、妻から届いた「一枚のハガキ」だった・・・・。
これは、戦後一貫して庶民の戦争を描いてきた齢99歳の新藤兼人監督が、自らの体験を元に戦争への怒りをストレートに描いた作品だ。
監督自ら「映画人生最後の作品」と語る様に、彼の80年近い映画人生のまさに集大成であり、敗戦の八月に観賞するに相応しい、今を生きる我々に向けた、老巨匠からの極めてパワフルなメッセージである。
太平洋戦争末期。
中年ながら一兵卒として召集された松山啓太(豊川悦司)は、ある日戦友の森川定造(六平直政)から、自分が死んだら手紙を読んだ事を妻に伝えてくれと言われ、一枚のハガキを託される。
兵士の配属先は、年下の上官のくじ引きで決められ、予科練の宿舎の掃除部隊に配属された啓太は生き残り、フィリピンへの陸戦隊へ配属された定造は戦死した。
戦後、復員して家に帰った啓太は、自分が死んだと思い込んだ父と妻が駆け落ちした事を知り愕然とする。
全てを捨ててブラジルへの移民を決意する啓太だったが、定造との約束を思い出し、ハガキに書かれていた彼の家を訪ねる。
するとそこには、戦争で全ての家族を亡くした未亡人の友子(大竹しのぶ)が一人で暮らしていた・・・
物語の発端となる、友子が定造に送ったハガキには、たった一文「今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません。 友子」とだけ記されている。
受け取った定造も返事を書こうとはしない。
何を書いても軍の検閲で消されてしまうから、自分の率直な気持ちを伝える事は出来ないからだ。
だからこそ定造は、もしも自分が死んだら、ハガキを受け取って読んだ事を伝えてくれ、と啓太に頼む。
そんな彼らの生死を分けるのは、なんと籤である。
しかも自分で引けるわけではなく、“上官様”が引いてくださる籤によって、生き残れるかどうかが決まる。
100名の部隊のうち、60名は陸戦隊となりフィリッピン戦線へ送られ、戦地へたどり着く前に船が撃沈されて戦死、30名は潜水艦の乗員となりこれまた戦死、残り10名だけが予科練の宿舎の掃除部隊となる。
その10名も、掃除が終われば再び籤によって次の配属先が決まり、4名は海防艦に乗り戦死、結果最後まで掃除をしていた6人だけが生き残る。
人の命が籤運によって左右される、何ともバカバカしい状況だが、これは昭和19年に32歳で召集された新藤兼人自身が、実際に体験した事だという。
遥かに年下の上官に、クズと蔑まれ殴られ続けた体験は、新藤の助監督だった山本保博が、新藤自身を証言者にして2007年に発表した、半ドラマ半ドキュメンタリーの異色作「陸に上がった軍艦」に詳しい。
人間から人間性を奪い去り、思考を許されないただのモノとして、その生殺与奪すら籤運任せとなる、戦争と言う恐るべき非日常と、そんな時代を受け入れてしまった日本人。
そして啓太の様に生き延びたとしても、精神的にも物理的にも苦難の戦後が待っている。
父と妻が出奔し、村中の笑いものになった啓太は、抜け殻の様になった自分自身に嫌気がさして、新天地を求めブラジルへの移民を決意する。
一方、定造の未亡人である友子もまた、戦争によって壮絶な運命に向き合う事を余儀なくされる。
元々極貧の家の出だった彼女は、女郎に売られる寸前に、幼馴染の定造に救われ、以降慎ましくも幸せな生活を送ってきた様である。
それが突然の召集によって、夫は戦死。
夫の弟と再婚して家に残るも、その弟も直ぐに招集され、沖縄戦で戦死してしまう。
年老いた義父はショックから亡くなり、義母はその後を追う様にして自殺。
残された友子は、彼女に想いを寄せる村の実力者である吉五郎の誘惑もきっぱりと断り、世捨て人の様にたった一人で生きている。
籤運によって生き残った一人の兵士と、籤運によって全てを失った一人の女。
この二人は、男と女、海に暮らす漁師と山里の農民と対照的な存在ながらも、それぞれに戦争によって家族を失い、未来へと続く道を見失ってしまった人間だ。
過去となった戦争に、肩をつかまれたまま歩み出せなくなってしまったのである。
本作は、そんな二人が、亡き友であり亡き夫である定造の残した一枚のハガキによってめぐり合い、希望を再生し、共に戦後を歩む覚悟を決める物語なのだ。
新藤兼人は、シンプルなプロットの中に極めて率直にテーマを盛り込み、徹底的に戦争とそれに絡めとられてしまった人間をカリカチュアする。
可能な限り不要な要素をそぎ落とし、絞り込むことで戯画化された作品世界は一歩間違えば本当に漫画となってしまうギリギリの見切りで成立している。
例えば、新兵の出征のシーンでは、フィックスの引きの画で勇ましい出陣の行進を見せ、まったく同じ構図でからっぽの白木の箱となっての無言の帰還するシーンを連続して描写する。
死にに行くとわかっていても喜んで見せ、死んで帰ってきてもやっぱり喜んで見せる。
これだけで戦争の無情と滑稽さがはっきりと感じ取れる、簡潔かつシニカルな演出である。
豊川悦司と大竹しのぶは、何もそこまでという位に感情を体に出し、メソッド的なリアリズムとは無縁の、所謂絶叫芝居で己が心の内を吐露し、激しくぶつけ合う。
籤によって夫が死に、啓太は生き残った事を知った友子が、「何であんたは生きてるの!?」と詰め寄るシーンは圧巻だ。
舞台劇の様なオーバーアクションは全編を貫き、時には大杉漣演じる吉五郎が頬かむりをして友子をストーカー(?)するシーンや、啓太と吉五郎が彼女を巡って喧嘩するシーンの様なユーモアとなり、時には壮絶なまでの戦争への怒りとなって噴出する。
物語の終盤、戦争とその時代によって徹底的に破壊された啓太と友子の人生は、“不幸の家”と共に焼け落ち、その跡には小さな麦畑が作られる。
未来を共に歩む事を決めた二人は、黙々と小川の水を桶に汲み、天秤棒で運び上げるのだが、それまでの饒舌が嘘の様に、静かに淡々と描写されるこの再生のシークエンスは、瀬戸内の小島で生き抜く家族を描いた、新藤監督の代表作「裸の島」を思わせる。
命の水を運ぶ啓太と友子の姿が、あの映画の殿山泰司と乙羽信子の夫婦に重なるのは、おそらく意図的であろう。
悲しければ泣けば良い。苦しければ叫べば良い。
どれだけ時代や社会によって人生を踏みにじられようとも、人間はその過去と向き合い、未来を見て生きて行くしかない。
大地に根を張り、たわわに実る金色の麦は、生きる事への希望が、二人の中で再生した事を、力強く示唆するのである。
いやはや監督、こんなエネルギッシュな映画が最後の作品だなんてご冗談を。
100歳の映画監督、十分いけるのではないですか?
今回は、麦繋がりで新藤監督の出身地広島県の玉扇酒造の麦焼酎「O.Henry(オー・ヘンリー)12年」をチョイス。
実際の醸造は奥能登で行われている様だが、まるで洋酒の様な名前とボトルもユニークで、長期熟成された味わいは清涼かつまろやか。
少し冷やしたストレートかロックがお勧めだ。
そう言えばオー・ヘンリーと言えば、市井の人々の悲哀をヒューマニティ溢れるタッチで描き、じんわりと心に残る数々の物語を残した名手。
どこか、新藤監督の映画にも通じるではないか。
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これは、戦後一貫して庶民の戦争を描いてきた齢99歳の新藤兼人監督が、自らの体験を元に戦争への怒りをストレートに描いた作品だ。
監督自ら「映画人生最後の作品」と語る様に、彼の80年近い映画人生のまさに集大成であり、敗戦の八月に観賞するに相応しい、今を生きる我々に向けた、老巨匠からの極めてパワフルなメッセージである。
太平洋戦争末期。
中年ながら一兵卒として召集された松山啓太(豊川悦司)は、ある日戦友の森川定造(六平直政)から、自分が死んだら手紙を読んだ事を妻に伝えてくれと言われ、一枚のハガキを託される。
兵士の配属先は、年下の上官のくじ引きで決められ、予科練の宿舎の掃除部隊に配属された啓太は生き残り、フィリピンへの陸戦隊へ配属された定造は戦死した。
戦後、復員して家に帰った啓太は、自分が死んだと思い込んだ父と妻が駆け落ちした事を知り愕然とする。
全てを捨ててブラジルへの移民を決意する啓太だったが、定造との約束を思い出し、ハガキに書かれていた彼の家を訪ねる。
するとそこには、戦争で全ての家族を亡くした未亡人の友子(大竹しのぶ)が一人で暮らしていた・・・
物語の発端となる、友子が定造に送ったハガキには、たった一文「今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません。 友子」とだけ記されている。
受け取った定造も返事を書こうとはしない。
何を書いても軍の検閲で消されてしまうから、自分の率直な気持ちを伝える事は出来ないからだ。
だからこそ定造は、もしも自分が死んだら、ハガキを受け取って読んだ事を伝えてくれ、と啓太に頼む。
そんな彼らの生死を分けるのは、なんと籤である。
しかも自分で引けるわけではなく、“上官様”が引いてくださる籤によって、生き残れるかどうかが決まる。
100名の部隊のうち、60名は陸戦隊となりフィリッピン戦線へ送られ、戦地へたどり着く前に船が撃沈されて戦死、30名は潜水艦の乗員となりこれまた戦死、残り10名だけが予科練の宿舎の掃除部隊となる。
その10名も、掃除が終われば再び籤によって次の配属先が決まり、4名は海防艦に乗り戦死、結果最後まで掃除をしていた6人だけが生き残る。
人の命が籤運によって左右される、何ともバカバカしい状況だが、これは昭和19年に32歳で召集された新藤兼人自身が、実際に体験した事だという。
遥かに年下の上官に、クズと蔑まれ殴られ続けた体験は、新藤の助監督だった山本保博が、新藤自身を証言者にして2007年に発表した、半ドラマ半ドキュメンタリーの異色作「陸に上がった軍艦」に詳しい。
人間から人間性を奪い去り、思考を許されないただのモノとして、その生殺与奪すら籤運任せとなる、戦争と言う恐るべき非日常と、そんな時代を受け入れてしまった日本人。
そして啓太の様に生き延びたとしても、精神的にも物理的にも苦難の戦後が待っている。
父と妻が出奔し、村中の笑いものになった啓太は、抜け殻の様になった自分自身に嫌気がさして、新天地を求めブラジルへの移民を決意する。
一方、定造の未亡人である友子もまた、戦争によって壮絶な運命に向き合う事を余儀なくされる。
元々極貧の家の出だった彼女は、女郎に売られる寸前に、幼馴染の定造に救われ、以降慎ましくも幸せな生活を送ってきた様である。
それが突然の召集によって、夫は戦死。
夫の弟と再婚して家に残るも、その弟も直ぐに招集され、沖縄戦で戦死してしまう。
年老いた義父はショックから亡くなり、義母はその後を追う様にして自殺。
残された友子は、彼女に想いを寄せる村の実力者である吉五郎の誘惑もきっぱりと断り、世捨て人の様にたった一人で生きている。
籤運によって生き残った一人の兵士と、籤運によって全てを失った一人の女。
この二人は、男と女、海に暮らす漁師と山里の農民と対照的な存在ながらも、それぞれに戦争によって家族を失い、未来へと続く道を見失ってしまった人間だ。
過去となった戦争に、肩をつかまれたまま歩み出せなくなってしまったのである。
本作は、そんな二人が、亡き友であり亡き夫である定造の残した一枚のハガキによってめぐり合い、希望を再生し、共に戦後を歩む覚悟を決める物語なのだ。
新藤兼人は、シンプルなプロットの中に極めて率直にテーマを盛り込み、徹底的に戦争とそれに絡めとられてしまった人間をカリカチュアする。
可能な限り不要な要素をそぎ落とし、絞り込むことで戯画化された作品世界は一歩間違えば本当に漫画となってしまうギリギリの見切りで成立している。
例えば、新兵の出征のシーンでは、フィックスの引きの画で勇ましい出陣の行進を見せ、まったく同じ構図でからっぽの白木の箱となっての無言の帰還するシーンを連続して描写する。
死にに行くとわかっていても喜んで見せ、死んで帰ってきてもやっぱり喜んで見せる。
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豊川悦司と大竹しのぶは、何もそこまでという位に感情を体に出し、メソッド的なリアリズムとは無縁の、所謂絶叫芝居で己が心の内を吐露し、激しくぶつけ合う。
籤によって夫が死に、啓太は生き残った事を知った友子が、「何であんたは生きてるの!?」と詰め寄るシーンは圧巻だ。
舞台劇の様なオーバーアクションは全編を貫き、時には大杉漣演じる吉五郎が頬かむりをして友子をストーカー(?)するシーンや、啓太と吉五郎が彼女を巡って喧嘩するシーンの様なユーモアとなり、時には壮絶なまでの戦争への怒りとなって噴出する。
物語の終盤、戦争とその時代によって徹底的に破壊された啓太と友子の人生は、“不幸の家”と共に焼け落ち、その跡には小さな麦畑が作られる。
未来を共に歩む事を決めた二人は、黙々と小川の水を桶に汲み、天秤棒で運び上げるのだが、それまでの饒舌が嘘の様に、静かに淡々と描写されるこの再生のシークエンスは、瀬戸内の小島で生き抜く家族を描いた、新藤監督の代表作「裸の島」を思わせる。
命の水を運ぶ啓太と友子の姿が、あの映画の殿山泰司と乙羽信子の夫婦に重なるのは、おそらく意図的であろう。
悲しければ泣けば良い。苦しければ叫べば良い。
どれだけ時代や社会によって人生を踏みにじられようとも、人間はその過去と向き合い、未来を見て生きて行くしかない。
大地に根を張り、たわわに実る金色の麦は、生きる事への希望が、二人の中で再生した事を、力強く示唆するのである。
いやはや監督、こんなエネルギッシュな映画が最後の作品だなんてご冗談を。
100歳の映画監督、十分いけるのではないですか?
今回は、麦繋がりで新藤監督の出身地広島県の玉扇酒造の麦焼酎「O.Henry(オー・ヘンリー)12年」をチョイス。
実際の醸造は奥能登で行われている様だが、まるで洋酒の様な名前とボトルもユニークで、長期熟成された味わいは清涼かつまろやか。
少し冷やしたストレートかロックがお勧めだ。
そう言えばオー・ヘンリーと言えば、市井の人々の悲哀をヒューマニティ溢れるタッチで描き、じんわりと心に残る数々の物語を残した名手。
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