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「スリーデイズ」は、冤罪で囚われた妻を救い出す為に、夫が綿密な脱獄計画を練り上げるフレッド・カバイエ監督のフレンチ・サスペンス映画「すべて彼女のために」を、「クラッシュ」で知られる才人ポール・ハギスがハリウッドでリメイクした作品だ。
オリジナルでヴァンサン・ランドンとダイアン・クルーガーが演じた夫婦は、ラッセル・クロウとエリザベス・バンクスにバトンタッチ。
ストーリーラインや個々の描写まで、驚く程オリジナルに忠実ながら、最終的な作品の印象はかなり異なる。
ハリウッド屈指の名脚本家、ハギスならではの脚色術が光る秀作だ。
ピッツバーグに住む大学教授のジョン(ラッセル・クロウ)は、愛する妻のララ(エリザベス・バンクス)と一人息子のルーク(タイ・シンプキンス)と共に、幸せな日々を送っている。
ところがある朝、突然踏み込んできた警察によって、ララは殺人容疑者として逮捕されてしまう。
3年後、長い裁判の末に控訴は棄却され、絶望したララは刑務所で自殺未遂を起こす。
傷つき、憔悴したララを見たジョンは、密かに彼女を脱獄させる計画を練り始める。
ようやく計画に目処が付きそうになった頃、ジョンはララが遠く離れた刑務所に移送される事を知る。
移送までに残された時間は、僅かに3日間。
焦ったジョンは計画を前倒しする為に、自ら銃を握るのだが・・・
基本的な物語は殆ど同じ。
シーンによってはカット割やアングルまで同一の所も少なくない。
先を読ませない事が前提のサスペンス映画で、この作りはある意味冒険だ。
普通はここまで忠実にリメイクすれば、少なくともオリジナルを観て筋書きを知っている観客にとって、どう考えても新鮮な体験にはなり得ないはずである。
実際、殆どフルコピーに近いオープニングを観た時は失望を禁じえなかった。
にもかかわらず、映画が終わった時、私は深い感慨と共に素晴らしい映画体験をした喜びに浸っていた。
いや、これは凄い。フレッド・カバイエには大変失礼な事は承知だが、これは言わばオリジナルの脚本に対して、ハギス先生が赤ペンを入れてベターな模範解答を示した様な作品である。
映画の上映時間は、オリジナルの96分に対して、133分と30分以上も伸びている。
実は、この時間の大半を費やして、ハギスが描いているのは、登場人物の「感情」だ。
オリジナルは、人物描写を必要最小限に抑え、テンポ良く現象を繋いでゆく事で、非常にコンパクトで引き締まったサスペンス映画の佳作となっていたが、ハギスは現象そのもの以上に、人間の感情こそがサスペンスを生むと考えている様である。
例えば逮捕される前の夫婦のちょっとしたやり取りや、ジョンが息子のルークと交わす日常の会話の数々。
映画自体が寡黙で、あくまでも行動を中心に現象を描くオリジナルに対して、リメイク版はかなり饒舌なのだが、これらの細やかな感情描写のおかげで、夫婦がいかに愛し合っているか、ルークの存在がどれほどかけがえの無い物なのかがしっかりと伝わり、家族が引き裂かれる事への痛みが増幅されるのである。
オリジナルの原題は「Pour elle(彼女のために)」だが、こちらは息子ルークの存在感が強く、ジョンの行動原理はむしろ「家族のために」という伝統的ハリウッド映画の価値観に倣っているのも興味深い。
もっとも、殆ど同じとは言っても、リメイクに当たって改変されたポイントも幾つかある。
先ずは事件の本当の犯人は誰かという点である。
オリジナルでは妻が冤罪の犠牲者という事は、全く疑いの余地無しの事実として描かれるが、リメイクは少々ニュアンスが異なるのだ。
刑務所の面会室で、口論となったジョンに対して、ララは「私が本当に犯人とは思わないの?」と迫る。
事件の証拠を調べ直すジョンのイメージでは、ララが冤罪である場合と、彼女が実は犯人である可能性のビジョンを両方見せる。
これは、ジョンの中で彼女を信じたい自分と、どこかで疑っている自分の葛藤が深まっている事を意味し、後で自分の母親がララを疑っている事にジョンが激昂するシーンの裏付けともなっているのである。
更に、オリジナルでは1シーンしか出てこない、ルークの同級生の母親のキャラクターを、オリビア・ワイルド演じるシングルマザーとルークの友達となる娘のキャラクターに膨らませているが、これは物語の終盤に、逃亡するジョンとララがルークを迎えに来ると、皆で動物園に遊びに行ってしまっているという状況を作り出すためだ。
追っ手が迫る中、二人は子供か自由かの二者択一、究極の選択を迫られるのだが、これもそれまでの物語で、家族の絆を取り戻したいという主人公の感情が深く描かれているからこそ効いてくる。
困難な状況がキャラクターの心と絡み合う事で、よりサスペンスフルなシチュエーションが作り出されるのである。
同じ事は、妻を救うためとは言え、犯罪に自ら犯罪に手を染める事になるジョンの戸惑いにも言える。
ごく普通の市民であるジョンは、脱獄の計画を進めながらも、当初はおっかなびっくりだ。
偽造パスポートの手配を依頼した男に、「お前は焦りすぎだ。きっと失敗する」と言われたり、刑務所で合鍵を試して捕まりそうになり、思いっきりビビッて嘔吐してしまったり、ジョンの中の恐れを丁寧に描く事で、観客に感情移入させるのと同時に、この人物が警察を出し抜くなんて出来そうも無いと思わせるのである。
そして、ここはオリジナルと同じだが、移送前にララを奪還するために、急遽大金が必要になったジョンは、麻薬ディーラーを襲って殺してしまう。
無実の妻を救うために、結果的に夫は本物の人殺しになってしまうというアイロニー。
覚悟を決めたジョンは、計画を完璧にするために更なる工夫を凝らしてゆくのだが、逃亡のプロセスにはリメイク版オンリーの設定が多く、オリジナルを観ていても頭脳派犯罪者ならではの騙しのテクニックに唸らされるだろう。
もう一つの大きな改変ポイントは、主人公たちを追う警察サイドの描写が増えている事だ。
追う者、追われる者のコントラストがあってこそ、追撃戦の面白さは増し、逃げ切る事への映画的カタルシスも増幅される。
観客は既にどっぷりとジョンに感情移入しているから、たとえ結末はわかっていても、彼らに逃げて欲しい、逃げ切って欲しいと思わせる感情が押し寄せ、極上のスリルを生み出すのである。
必至に逃げるジョンを見て、3年前の事件を担当した刑事が見せるある行動の描写など、前記した誰が真犯人かという疑問ともリンクして秀逸。
逃亡先が反米のチャベス大統領がいるベネズエラという辺りも皮肉が効いているが、ここでも主人公がスペイン文学の教授であるという設定が生きている。
警察が疑うハイチはフランス語圏、対するベネズエラは勿論スペイン語圏だ。
脚色で増えた設定は、最終的に全て意味ある物として回収されているのである。
勿論、優れたオルジナルがあってこそ、この映画が生まれたのは間違いないが、大技小技を満遍なく効かせたハギスの脚色テクニックの見事さには脱帽するしかない。
ハギスは、本作において、ハリウッド流のドラマツルギーの中核とは、登場人物の感情描写であるという事を完璧に示してみせた。
脚色で物語りに付け加えた全ての要素が、ジョンやララの人間性を深め、彼らの葛藤が伝わる事で、単なる現象によるサスペンスにプラスして、よく出来た心理劇としての側面を与えているのである。
だからこそ、「脱獄は容易だが、逃げ続けるのは難しい」という事実を、言葉ではなく心で見せる物語のラストがズーンと胸に突き刺さる。
本作の邦題は「スリーデイズ」だが、原題は「The next three days」である。
夫の犯した罪を知らず、幸せそうに眠る妻と子を見ながら、苦悩の表情を浮かべるラッセル・クロウのアップに続いて、このタイトルが表示される。
映画で描かれた“the last three days”は何とか上手く行ったが、次の3日間をどう逃げるか、そしてその次の3日間は・・・。
冤罪から家族を取り戻すために、本物の罪人となった男には、もはや安息は永遠に訪れないのである。
今回は、警察と逃亡者の追いかけっこに引っ掛けて「トム&ジェリー」をチョイス。
ベネズエラと言えばラムが有名だが、これはダークラムを使ったホットカクテルで、名前は勿論世界一有名な猫と鼠の宿敵コンビから。
タマゴ一個を黄身と卵白に分けて泡立て、黄身の方に砂糖をスプーン2杯ほど加えて更に泡立て、卵白と混ぜる。
ラム30mlとブランデー15mlを加えてステアし、最後にタンブラーに移して適量の熱湯を加え、ステアして完成。
冬の寒い日にありがたいカクテルだが、疲れ切った体の元気回復にも効く。

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いかにも訳アリな影のある主人公と、薄幸そうな少女との物語という事で、「レオン」的な作品を想像していたが、全く違っていた。
これは韓国らしい“恨(ハン)”の文化が生み出した、コリアン・ハードボイルド。
主演のウォンビンがとにかくカッコ良く、クライムアクション映画としても一級品だ。
哀しい過去を持つ男の贖罪の物語は、おばさまファンに独占させておくにはもったいない、暗い情念渦巻く漢の映画である。
監督・脚本はこれが二作目となる新鋭イ・ジョンボム。
古ぼけたビルで質屋を営むテシク(ウォンビン)は、天涯孤独。
客以外はたまに隣の部屋に住む少女、ソミ(キム・セロン)が訪ねてくる程度。
ある夜、外出していたテシクが店に戻ると、見知らぬ男たちがいて、ソミの母親から預かったバッグを渡せと言う。
クラブダンサーをしている母親が、組織から麻薬を盗んだのだと言う。
薬を取り戻した男たちは、母親とソミを拉致して逃走する。
テシクの常人とは思えない身のこなしや、銃にも動じない態度に興味を持った組織のボス、マンソク兄弟(キム・ヒウォン、キム・ソンオ)は、ソミを人質にしてテシクに麻薬の運び屋をさせようとするのだが・・・
ウォンビンによるウォンビンのための映画。
ポン・ジュノ監督の「母なる証明」では、殺人容疑をかけられる知的障害者の青年という、今までとは一味違ったキャラクターを演じ、演技派としても高い評価を受けたウォンビンだが、今回は久々の主演作でスターオーラ全快だ。
もちろん、単にカッコ良いだけではなく、彼が非常に上手い俳優だという事も改めて実感した。
よく目の演技と言うが、本作の場合ポーカーフェイスであまり表情の変わらないキャラクターにも関わらず、繊細な内面の感情をほとんど瞳の表情だけで表現しているのだから恐れ入る。
彼は本作で、韓国映画界最高の栄誉である大鐘賞主演男優賞を受賞したが、それも納得の名演である。
そう言えば「母なる証明」の時も、ウォンビンの役柄は“小鹿の様な純粋な目を持つ青年”と表現されていたが、ピュアな透明感と底なしの虚無を同時に感じさせる圧倒的な目力は、彼の俳優としての最大の武器だろう。
本作でウォンビンが演じるのは、古ぼけたビルで細々と質屋を営む男、テシク。
厭世的な雰囲気のある謎めいた男だが、なぜか隣に住む少女ソミだけは、彼を“アジョシ”と呼んで懐いている。
ソミに父親はおらず、クラブダンサーの母親はヒモの様なチンピラと付き合っている。
彼女を見つめるテシクの瞳には、いつも哀しみが浮かんでいる様に見えるが、彼の心の中にある闇が何なのか、まだここでは見えない。
ところが、麻薬組織がソミと母親を拉致し、テシクに運び屋をさせて罪を着せようとした事から、物語は一気に動き出す。
テシクの正体は、嘗て軍の秘密部隊の隊員として数々の潜入工作や暗殺任務で活躍し、存在そのものが国家機密である戦闘の超エキスパート。
彼はソミを救い出すために、その秘めたる能力を駆使して、少しずつ組織の中核に迫ってゆくのである。
たまたま犯罪者が狙った相手が、実はその道のプロフェッショナルだったというのは、やや都合が良過ぎる気もするが、先日公開された「悪魔を見た」や「96時間」などとも被る、ある意味サスペンス映画の王道パターンの一つだ。
ウォンビンの鍛え抜かれた肉体もその説得力を増し、バイオレンス描写も容赦が無い。
イ・ジョンボム監督のアクションのディテールに対するこだわり、例えばテシクが銃をオーダーする時に、「(装弾数の少ない)コルトやトカレフでなく10連発以上の半自動拳銃を・・・」と言ってグロックを手にする辺りも、その後の描写とリンクしてリアリティを生み出している。
たった一人で組織に乗り込んだテシクが、十数人もの敵を鮮やかな殺陣で倒してゆくクライマックスは、ハリウッド映画も真っ青の圧巻の迫力だ。
そして物語が進むに連れて、テシクが抱える哀しい過去も明らかになってくる。
彼は数年前、敵の報復攻撃によって妊娠中だった妻を殺され、自らも銃撃によって重症を負っていたのだ。
テシクがソミを見つめる哀しい瞳は、彼女を通して天国にいる妻と生れる事の出来なかった我が娘に向けられた物だったのである。
それ故に彼は、ソミと過剰に馴れ合うのを当初は恐れている様に見える。
物語の序盤に、テシクは通りの真ん中でカバンを盗んだと警察に疑われているソミに出くわす。
母親の連絡先を教えろと言われたソミは、テシクをパパだと指差すのだが、テシクは黙って立ち去ってしまう。
このシーンは二人の関係を象徴して、極めて印象的だ。
例え自分を見捨てたとしても、「アジョシを嫌いになれない」というソミの言葉に、何も返すことが出来ないテシク。
我が子を愛することの出来なかったテシクと、父の愛を知らないソミが惹かれあうのは必然なのである。
ソミを演じるのはウニー・ルコント監督の「冬の小鳥」でデビューしたキム・セロン。
ナチュラルな存在感と豊かな感情表現は、天性の才能を感じさせ、実際の出番は決して多くないにも関わらず、強い印象を残す。
敵のボスキャラであるマンシク兄弟には、キム・ヒオンとキム・ソンオ。
頭脳派の兄と切れキャラの弟は、子供たちを集めて麻薬の精製工場で働かせ、使い物にならなくなると臓器ドナーにして殺してしまうという、なんともえげつない悪役を好演している。
この全く同情の余地のない二人を、戦いの覚悟を決めて身なりもパリッとしたテシクが、圧倒的な戦闘力で追い詰めてゆく終盤は、まさにノンストップ。
兄弟の最後も、いかにも卑劣漢らしく、映画的カタルシスを感じさせるお見事な死にっぷりだ。
悪役サイドで彼ら以上に存在感があるのが、殺し屋ロワンを演じたタヨナン・ウォンタラクンだろう。
坂本順治監督の「闇の子供たち」にも出演していたタイの俳優だが、悪玉でありながら儀を果すという、いかにもアジア的美徳を感じさせる美味しいキャラクター。
テシクとのナイフを使った一対一の壮絶な格闘は、クライマックス中でも闘争本能を刺激される本作屈指の名シーンである。
そして激しい戦いの末に、テシクは遂にソミを助け出すのだが、このシーンは前半のソミが泥棒に間違えられ、テシクが立ち去ってしまうシーンの対となっている。
信じたかった時に立ち去ってしまった“おじさん”は、今は血だらけになりながらも自分を助けに来てくれた。
社会の片隅に生きる孤独な二つの魂は、愚劣な犯罪に巻き込まれた事で強く惹かれ合い、今度こそしっかりと抱擁を交わすのである。
それまで全くといっていいほど表情を変えなかったテシクが、ソミに見せる最後のはにかんだ笑顔はまさしく父親そのものだ。
孤独な少女は、ほんの束の間それまでずっと渇望してきた“愛”を得て、心を閉ざしたヒーローは漸く贖罪と言う牢獄から解き放たれたのである。
ロジカルに組み立てられた物語の妙、キャラの立った俳優達の魅力、そして素晴らしく切れ味鋭いアクションという娯楽映画のフルコースを堪能できる、韓国映画の底力を感じさせる傑作だ。
今回は、破壊力抜群の映画に合わせて韓国名物「爆弾酒」をチョイス。
なみなみと注いだビアジョッキに、焼酎のショットグラスを沈める。
世界中にあるビールと蒸留酒のカクテルの韓国流バリエーションだが、一杯でもかなり酔っ払い、量を飲めば二日酔い必至の凶悪な酒である。
私は怖くてやった事が無いが、逆に焼酎の中にビールのグラスを落す「水素爆弾酒」というのもあり、度数から言ってもより悪酔いしそうだ。
まあ映画のテシクなら何杯飲んでも平気な顔をしてそうだが(笑

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シリーズ中唯一、ポール・ウォーカーが登場せず、スピンオフ的な作品だった「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」から登板したジャスティン・リン監督が三度目のメガホンをとり、ウォーカーやヴィン・ディーゼルら主要キャストも続投。
マット・シュルツ演じるヴィンスや、タイリース・ギブソンのローマンら、第一作、二作から懐かしのキャラクターも結集する。
南米、リオの迷路の様な市街地を舞台に、彼らが狙うのは闇黒街のボスの持つ現金一億ドルが隠された巨大金庫だ。
売り物のカーバトルもさすがの迫力で、シリーズの集大成にしてベストと言える、パワフルなアクション巨編となっている。
※一部ネタバレあり。
三度逃亡者となったブライアン(ポール・ウォーカー)は、恋人のミア(ジョーダナ・ブリュースター)と共に、リオに暮らすヴィンス(マット・シュルツ)の元に流れてくる。
ヴィンスに持ちかけられた列車からクルマを強奪するヤマで、ドミニク(ヴィン・ディーゼル)に再会するブライアンだったが、実は獲物のクルマにはリオを牛耳る闇社会の帝王、レイエス(ホアキン・デ・アルメイダ)の隠し資金の情報が隠されていた。
捜査官殺しの罪を着せられたブライアンとドミニクは、嘗ての仲間を呼び集め、一億ドルというレイエスの金を丸ごと奪い取る計画を立てる。
同じ頃、リオの空港には二人の逮捕を命じられたホブス(ドゥエイン・ジョンソン)率いる特殊部隊が到着していた・・・
単にクルマと筋肉だけのバカ映画ではない。
凝った作劇にユニークなキャラクター、工夫を凝らしたアクションとなかなかによく出来ている。
長い逃亡生活に嫌気のさしたブライアンは、いい加減に人生を変えたいと思っているが、世界最強国家のアメリカから追われる身としては、自由を買うにも金が要る。
やむなく手を出した仕事が失敗したところへ恋人のミアの妊娠が発覚し、いよいよ足を洗わなければならない状況になったブライアンが、犯罪者としての最後の仕事に選んだのは、貧しいものを喰い物にする最悪の犯罪者から金を根こそぎ奪い取る大仕事という訳だ。
ミアのアニキでもあるドミニクは、昔馴染みの“チーム”を呼び集め、無頼漢たちがそれぞれのささやかな夢を賭けて巨悪に挑む物語は、わかりやすくも娯楽映画の王道だ。
景気付けの一発目のアクションは、砂漠の真ん中を走る列車から、押収されたワケアリのフォードGT40を強奪するというもの。
走る列車から一体どうやって・・・と思っていたら、オフロード仕様のトラックを列車と併走させ、貨物列車の側面を切り裂いて無理やり引っ張り出すという荒業だ。
まるで西部劇の列車強盗を思わせるシチュエーションだが、クルマを盗み出すギミック的な面白さだけではなく、強盗団の仲間割れに迫り来る鉄橋と、一つのシークエンスに幾つもの危機が重層的に織り込まれ、全く気を抜けない。
この作りは以降も同様で、リオのスラムをクルマではなく肉体を使って走り抜ける追跡劇、護送車を襲う殺し屋達との戦争映画さながらの銃撃戦、そして奪った巨大金庫を二台の車で引きずり回すクライマックスまで、アクションシーンは幾つもの仕掛けが複合して構成されており、作り手の「オラ!今までに観た事のない物を味わわせてやるぜ!」という熱い心意気を感じさせる。
重層的なのは物語の構造も同じだ。
基本となるのは、ブライアンとドミニクvsリオの闇黒街に君臨するレイエスなのだが、ここにアメリカから派遣されている元ロック様ことドゥエイン・ジョンソン演じるホブスの捜査チームが割って入り、三つ巴の戦いとなるのである。
ドゥエイン・ジョンソンとヴェン・ディーゼルという、共にスキンヘッドの巨漢同士の、壁をぶち破りながらの殴り合いのシーンなどは殆ど「ターミネーター」だ(笑
最初ブライアンたちは、レイエスからもホブスからも狙われており、レイエスとホブスは基本無関係という変則的な構図である。
ブライアンとドミニクは、レイエスの金庫を奪う計画を練りながら、ホブスの捜査から逃れる工作も同時に進めている。
ところが、この関係がある事件を切っ掛けにして変化し、ホブスとブライアンたちが対レイエスで共同戦線を張る様になる。
三つ巴の物語が、複雑に絡み合いながら徐々に形を変えるプロセスは手際よく、プロットもよく考えられている。
勿論、シリーズのもう一つの主役でもあるクルマ関連も相変わらず充実していて、300万円台のスバル・インプレッサSTIから8000万円オーバーのケーニッグセグCCXまで、まるでストリートパフォーマンスカーの見本市の様だ。
元々この映画自体、90年代に西海岸のアジア系を中心とした若者の間で、ヴェイルサイド系などの派手なエアロを纏った日本製スポーツカーが大流行した事から生まれた作品である。
それまでハリウッド映画のカーアクションは伝統的に欧米車が中心だったが、やたらと日本車が目立つのがシリーズの特徴。
何しろ主人公のブライアンの愛車は、米国では売られていなかった初代ハコスカGT-R(勿論右ハンドル!)なのである。
映画の最後には現行のニッサンGT-Rに買いかえられちゃってるみたいだが、彼はシリーズを通してGT-R使いとして描かれており、70年式のマッスル・カー、ダッチ・チャージャーを愛用するドミニクとは好対照。
もっとも最高の見せ場はアメ車が持っていってしまうのもお約束で、クライマックでビッグパワーに物を言わせ巨大金庫を引きずり回すのは、最新式のダッチ・チャージャー・ポリス仕様である。
それまでカーアクションが控えめな分、ブライアンとドミニクが水を得た魚の様にリオの市街を爆走するこのシークエンスは、本当に観た事も無い様なアイディアが満載されている。
いくらなんでもあんなにガンガンぶつかって、ワイヤーが切れない訳はないとか、余計な突っ込みはしてはいけない。
まるでルパン三世の様な痛快なネタ晴らしまで、正に緩急自在のアクションのフルコース。
お腹一杯のザ・クライマックスだ。
ところで、今回はエンドクレジットの途中にサプライズがあるので、さっさと退席しないように。
今回一番残念だったのは、やはりミッシェル姐さん演じるレティが居なかった事だろうが、2013年公開がアナウンスされている「The Fast and the Furious 6」では、もしかして?
一体どういう風に理由付けするのか、今から楽しみである。
今回は、映画同様にスカッと爽やかに、ブラジルのビール「ノヴァスキン」をチョイス。
他の熱帯のビール同様に、ブラジルのビールは全体に軽くて薄め。
酔っ払うという目的なら蒸留酒のピンガをベースにしたカイピリーニャなどがある分、こちらは精々ほろ酔い程度で、とにかく水分をとって喉の渇きを癒いたい時用なのだろう。
熱血のアクション映画の後に、頭を冷やすのにもちょうどピッタリだ。

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ドイツがイタリアとの同盟を強化すべく、ムッソリーニへの手土産にしたミケランジェロは、実は贋作。
本来の持ち主であるユダヤ人画商と、必死に絵を探すドイツ軍との騙し合いは、裏切りと駆け引きの連続で先を読ませない。
果たして本物の絵はどこにあるのか、主人公たちは無事スイスへの脱出を果たせるのか、緊張感と適度なユーモアの緩急も巧みで、作り手との知的なゲームを楽しめる濃厚な1時間46分だ。
※一部ネタバレあり。
風雲急を告げる1938年のウィーン。
ユダヤ人画商のカウフマン家は、数百年前にイタリアから盗まれたミケランジェロの絵を家宝として所有していた。
一家の息子ヴィクトル(モーリッツ・ブライブトロイ)は、ある時幼馴染のルディ(ゲオルク・フリードリヒ)に絵の隠し場所を教えてしまう。
だが、実はルディは密かにナチスに入党していて、オーストリアを併合したドイツ軍によって絵は奪われ、一家は収容所に送られてしまう。
時は流れ1943年、イタリアとの同盟強化を望むドイツは、ミケランジェロの寄贈を条件にムッソリーニの訪独を画策するが、カウフマン家から奪った絵は、贋作であることが判明する。
命令を受けたルディは、収容所からヴィクトルを連れ出し、本物の絵の在り処を聞き出そうとするのだが・・・・
「ミケランジェロの暗号」というから、「ダ・ヴィンチ・コード」の様に、絵そのものに暗号が隠されているのかと思ったら、実はそうではなくてカウフマン一族の長であるヤーコプが、息子のヴィクトルに伝えた本物の絵の在り処を示す暗号の事だった。
原題は「MEIN BESTER FEIND」で「私の最高の敵」という意味だそうである。
ここで言う“私”とは主人公のヴィクトル、“最高の敵”とは彼の幼馴染にしてナチス将校となったルディの事だろう。
ヴィクトルは裕福なユダヤ人画商の跡取り息子、ルディはカウフマン家の使用人の息子だが、兄弟の様に育ったことで、ヴィクトルはルディに心を許しているのだが、一方のルディはヴィクトルに劣等感を抱いている。
二人ともレナという同じ女性に恋し、彼女がヴィクトルを選んだ事も、ルディに裏切りを決意させた要因だろう。
原作・脚本のパウル・ヘンゲは、この数奇な運命によって結び付けられた、対照的な二人の男の対立と葛藤を軸に、様々な要素を彼らに絡める形で物語を展開する。
ナチスのスパイとなったルディは、絵の隠し場所を聞き出すと、ドイツ軍のオーストリア侵入と共に、ナチスSSの制服でヴィクトルの前に姿を現す。
一夜にして立場が入れ替わり、今度はルディが時代の勝ち組となり、哀れカウフマン一族は絶滅収容所送りになるのである。
ところが、カウフマン家から奪ったミケランジェロが贋作と判定された事から、事態は大きく動き出す。
ナチスの台頭を予感した当主のヤーコプが、いつの間にか本物とすり替えていたのだが、収容所に送られてから既に5年が経過し、本人はとっくに死亡している。
唯一の秘密の継承者と目されたヴィクトルと、彼から本物の在り処を聞き出す事を命じられたルディの運命が再び交錯し、物語は一瞬たりとも気を抜けないサスペンスフルな展開に突入するのである。
ぶっちゃけ、本物のミケランジェロに関しては、ヤーコプからヴィクトルに届けられた暗号と、ウィーンでのレナとルディの会話から、簡単に隠し場所の予測が付いてしまうので、作劇上はマクガフィンの様な物。
お話の興味は、絶体絶命の状況から、如何にしてヴィクトルがサバイバルするのかと、最終的に絵が誰の手に入るのかに絞られる。
移送されるヴィクトルとルディを乗せた輸送機がレジスタンスに撃墜され、上手い具合に二人だけが生き残ると、ヴィクトルはレジスタンスに捕まる事を恐れるルディに、自分の囚人服を着せる。
ところが、現れたのはレジスタンスではなくドイツ軍。
とっさに隠そうとしていたルディの制服を着込んだヴィクトルは、自分こそがSS大尉のルディだと欺いてドイツ軍に侵入するという大胆な行動に出る。
本物のルディがいくら真実を言っても、ネットで顔を確認する事も出来ない時代、SSの制服を着こなしたヴィクトルを疑う者はいない。
ミケランジェロの贋作を掴まされたルディが、今度は自分の贋作によって追い詰められるのだから、なんともシニカルな設定である。
彼ら二人のやり取りは、極めてスリリングではあるが、演じる役者のどこか三枚目的なキャラクターもあって、適度なユーモアが物語のスパイスとして効いている。
そういえば、ユダヤ人がドイツ軍から逃れるために、逆にドイツ軍人に成りすまし、ユダヤ人の特徴である割礼の痕をひた隠すあたりは、大戦下を生き抜くユダヤ人少年を描いたヘンゲの代表作「僕を愛したふたつの国/ヨーロッパヨーロッパ」でも見られたモチーフだ。
言わば獅子身中の虫となったヴィクトルは、ドイツ軍を騙して収容所の母を釈放させ、スイスへと脱出する事を試みるのだが、そのカギを握るのは、今はルディの婚約者となったレナである。
はたしてカウフマン家から託された財産を守るため、打算的にルディと婚約していたレナは、あっさりとヴィクトルとよりを戻す。
ここまでくると、信じていた相手も含め周りの全てが虚飾という事になるルディが少し可哀想になってくる(笑
スイスへの脱出作戦の進行と共に、ベルリンとウィーンのドイツ軍がいつ本当の事に気づくのかというサスペンスが、物語を一気に盛り上げるかと思われた時、なんとミケランジェロを巡る攻防戦は、ムッソリーニの失脚とイタリアの敗戦によって腰砕けとなってしまうのである。
だがここから、本作は更に二捻りほどしてくるのだ。
戦後収容所から出所したヴィクトルは、戦時中に撮られたSSの制服の写真からルディと間違われて戦犯として逮捕されてしまい、本物のルディはちゃっかり画廊のオーナーに納まり、悠々自適の戦後を送ろうとしている。
自分自身の仕掛けた罠に嵌ったヴィクトルは、何とか誤解を解いて釈放されると、ルディ相手の最後の勝負に挑むのである。
正直戦後のシークエンスはもう少し時間をかけて描いて欲しかった気もするが、映画全体とのバランスもあり、難しいところだ。
ミケランジェロの絵に翻弄された二人の男の、おそらくは人生最後の邂逅のシーンは、彼らの複雑な心中を想像させ、痛快だが少しだけビターな余韻を残す味わい深いものであった。
「ヒットラーの贋札」や「ゴーストライター」が好きな人にお勧めの一本だ。
今回は、毎年クリスマスに発売される事で知られるオーストリアはキャッスル社の長期熟成ビール「サミクラウス」をチョイス。
「サミクラウス」とはスイスドイツ語でサンタクロースという意味。
独特のモルト香とブランデー香が混ざった様な濃厚な香りと、アルコール14度以上のパワフルなボディをもつ独創のビール。
長期熟成が前提なので、大体5、6年位からが飲み頃と言われる。
ミケランジェロの絵ほどではないが、味わうには時の流れと我慢が必要な一本だ。

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北の大地の歓楽街、札幌はススキノを舞台とした東直己の小説、「バーにかかってきた電話」を原作に、あの「相棒」を大ヒットさせたチームが新たに作り上げた「探偵はBARにいる」は、いかにも東映らしい懐かしくも痛快なプログラムピクチャだ。
レトロなバーを事務所代わりにする探偵“俺”と、農大生にして空手の達人という相棒“高田”が一本の電話を切っ掛けに、ススキノを揺るがす大事件の謎に挑んで行く。
主演コンビを演じる大泉洋と松田龍平のコミカルな掛け合いも楽しく、これは是非シリーズ化を期待したい快作である。
※ネタバレ注意
ススキノのバー“ケラーオオハタ”を根城とする探偵“俺”(大泉洋)の元に、ある夜“コンドウキョウコ”と名乗る女から奇妙な依頼の電話がかかってくる。
キケンな香りを感じつつも、高額のギャラに釣られて仕事を請けた“俺”は、いきなりヤクザに捕まってもう少しで生き埋めにされる羽目に。
予想外の事態に怒りの収まらぬ“俺”に、再び“コンドウキョウコ”からの電話が入る。
“俺”は相棒の高田(松田龍平)と共に、彼女の依頼の裏側を探るうちに、いつの間にか一年前に起こったある殺人事件の真相に近づいてしまう・・・・。
作り手の、豊富な映画的記憶に裏打ちされた作品だが、観ながら特に二本のタイトルを強く連想した。
一本目は、今年5月に公開された「まほろ駅前多田便利軒」である。
共にバディムービーで、その片割れを演じているのがどちらも松田龍平という時点でかなり印象が被るのだが、作品世界全体が「傷だらけの天使」や「探偵物語」と言った70年代作品のテイストに、強くインスパイアされているあたりも共通する。
違いは、日常に根ざした人間ドラマを目指した「まほろ駅前~」に対して、こちらはグッとハードボイルドの色彩が強い事だろうか。
主人公の探偵を演じた大泉洋が抜群に良い。
この人はシリアスからコメディまで、何でも出来る才人だが、今回は彼の持つ特質が全て出た当り役と言える。
重すぎず、軽すぎず、浅すぎず、深すぎず、とにかくキャラが立っていてバランスが良いのだ。
実際にやっていることは相当に嘘くさいにも関わらず、この人が演じるとそこに生身の人間としての説得力が生まれるのである。
探偵とバディを組む高田役の松田龍平も、ますます父上の面影が強くなっているが、相方に負けず劣らぬインパクト。
北大で学ぶエリートでありながら、空手の達人にして探偵の運転手としてオンボロ車を乗り回す。
このあたりの設定は、ちょっと「グリーン・ホーネット」のブルース・リーを思わせるが、松田龍平の飄々としたキャラクターが、少年漫画的熱血漢の探偵と良いコントラストになっている。
彼らだけでなく、俳優達は皆楽しそうに自分の役を演じている。
「ノーカントリー」のハビエル・バルデムの様な、妙な髪形をしたヤクザの殺し屋は、高島政伸が新境地を見せ、彼とは対照的な仁義に生きる古典的ヤクザを松重豊、バイセクシャルの新聞記者に田口トモロヲ、事件の鍵となる霧島社長役に西田敏行ら、脇を固める豪華な名優たちの味わい深い演技も見所だ。
何しろ今が旬の吉高由里子を、観客をミスリードさせる意図もあるのだろうが、驚く様な小さな使い方をしているのだから贅沢だ。
そして探偵たちを事件に巻き込む、ミステリアスなファムファタールが、小雪演じる高級クラブのオーナー、沙織だ。
コンドウキョウコの電話を受けた探偵は、事件を追ううちに彼女が一年前の放火殺人で既に亡くなっている人物である事を突き止める。
そして別の殺人事件で夫を失った未亡人の沙織が、実はコンドウキョウコなのではないかと推測するのである。
果たして電話の女の正体は誰なのか、一見無関係の二件の殺人の裏には、どんな秘密が隠されているのか、探偵と高田は電話の声に導かれる様にして、徐々に核心に迫ってゆく。
脚本の須藤泰司と古沢良太は相当な映画マニアと見える。
「傷天」から「グリーン・ホーネット」まで、古き良きプログラムピクチャを強く意識させる本作だが、物語の終盤に銃声と共に明らかにされる事件の全貌は、フランソワ・トリュフォーの異色作「黒衣の花嫁」が元ネタだろう。
そう、この物語は愛する人を奪われた悲しき女の復讐譚であり、探偵は知らず知らずのうちに彼女の計画の地ならしの役割を演じているのである。
「依頼人は絶対に守る」はずが、実は自ら地獄を選択した女の後押しという、正反対の事をしてしまっている皮肉。
それまで殆ど出ずっぱりの主役である探偵が、全く蚊帳の外になってしまう凄惨な復讐のシークエンスは、ある種のアンチクライマックスであり、明るい、笑える、泣けるなどのわかりやすいキーワードが幅を利かせる邦画界への、テレビと言う枠内で立派な“映画”を作って来たチームからの痛烈なアンチテーゼに思える。
橋本一監督の安定感抜群の演出もテンポ良く、ほろ苦い切なさと共に哀愁のある余韻を残す、なかなかに高度な大人のエンターテイメントである。
さて、この映画を観ながら連想したもう一本のタイトルとは実は「ルパン三世」だ。
アーノルド・シュワルツェネッガーが、ターミネーター役を演じるために生まれてきた様に、私は大泉洋はルパン三世を演じる事が運命付けられているのではないかと思う。
クールで軽妙、それでいながら心に熱血の血潮を燃やす本作の探偵像は、まんまダイレクトにルパンなれそうだ。
飄々としたポーカーフェイスながら、やるときはやるアクション派の松田龍平も、五右衛門のキャラクターにピッタリ。
この二人に、本作と似たテイストを持つ「まほろ駅前多田便利軒」から、瑛太に次元大介役で参戦してもらえばもう理想のルパン・キャストの完成だ。
銭形警部役には、本作でバルデム風ヤクザを演じた高島政伸でも面白いのではないか。
予想を上回るクリーンヒットとなった本作、多分シリーズ化は確実だろう。
実写ルパンは別企画も進んでいる様だが、是非このチームでも作ってもらいたいものである。
さて、本作でファムファタールを演じている小雪といえば、やっぱりハイボールのCMが印象的だが、ここはちょっと捻って劇中で高田が何時も飲んでいる「バーボンソーダ」をチョイス。
ん?一緒じゃないのと思う人もいるだろうが、基本的にバーボンソーダはバーボンウィスキー限定のソーダ割り。
ハイボールは一般的にスコッチウィスキーを使う事が殆どなので、この二つの差は大麦ベースのスコッチとトウモロコシベースのバーボンの違いという事になる。
舞台がだだっ広い北海道という事もあり、何となく本作のイメージしてる“ハードボイルド”は、ヨーロピアンよりもアメリカンな気がするので、観賞後は渋いバーでバーボンソーダをオーダーして、探偵気分に浸りたい。

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「女と銃と荒野の麺屋」は、コーエン兄弟のデビュー作として知られる、1984年製作のクライム・ムービーの傑作「ブラッド・シンプル」を、中国を代表する巨匠チャン・イーモウがリメイクした作品だ。
舞台はテキサスの片田舎から、古の中国の荒野に移され、ハードボイルドなタッチはコメディ調となったが、全体のプロットはオリジナルにかなり忠実で、今更ながらコーエン兄弟の創造した物語の面白さを実感する。
人里はなれた荒野で、麺料理屋を経営するワン(ニー・ダーホン)は、警官のチャン(スン・ホンレイ)から若い妻(ヤン・ニー)と従業員のリー(シャオ・シェンヤン)が浮気をしている事を知らされる。
激怒したワンは、15貫という巨額の金を提示し、チャンに二人の殺害を依頼する。
だがチャンは、二人を殺したフリをして金をせしめると、妻から盗んだ拳銃でワンを射殺して逃亡。
店に戻ったリーは、血だらけで死んでいるワンと、その傍らに置かれた妻の銃を発見し、彼女がワンを殺したと早合点してしまう。
事件を隠滅しようと、一人ワンの死体を運び出し、荒野に埋めようとするリー。
一方、現場に決定的な証拠を残してきた事に気づいたチャンも、それを取り戻すために再び店に戻るのだが・・・
本作が作られたのは、先日公開された「サンザシの樹の下で」よりも早い2009年。
ほぼコンスタントに日本公開されてきたチャン・イーモウ作品としては、ずいぶん時間がかかったが、なるほど観て納得。
いや、別に出来が悪い訳ではないが、商品としては何とも売り難い珍品なのである。
巨匠の重厚な時代劇を期待する観客は、突然目に飛び込んでくるチープな極彩色の世界に、三池崇史の映画に迷い込んだのかと戸惑う事だろう。
冒頭、麺屋にやって来た奇怪な姿をした西洋人が、妻に銃を売りつける。
荒野の街道にあるこの店には、傲慢な店主のワンと彼に虐待されている妻、修行中の麺職人のリー、凹凸カップルのジャオとチェンの5人が暮らしている。
一応設定としては、清朝頃の中国の様だが、火星を思わせるオレンジ色の荒野に、ポツンと店が建っているシュールな風景、ド派手な衣装のエキセントリックな店の住人たち、まるでパトカーのサイレンのような音を響かせる奇妙な風車を装備した、黒ずくめの怪しげな警官隊など、ビジュアルはまじめな時代劇というよりもほとんどファンタジーだ。
そもそも誰一人として客のいない店の店主が、何故か大金持ちという設定は、どう考えても無理があるのだが、漫画的にぶっ飛んだ世界観のおかげであまり気にならない。
27年前に、若きコーエン兄弟が作り上げたオリジナルの「ブラッド・シンプル」は、テキサスの茹だる様な日差しの中、日常の倦怠感を纏った登場人物たちが繰り広げる、ハードでシニカルなスリラーだった。
チャン・イーモウは、おそらくその出来過ぎなほどに凝った作劇と、誤解と不信渦巻く人間模様に滑稽さを感じたのだろう。
オリジナルの隠し味であるブラックなユーモアを強調し、どちらかと言えばサスペンスフルなコメディとして本作をリメイクしている。
コーエン兄弟の物語に、彼らの盟友でもあるサム・ライミの外連味を加え、更にコテコテの中華味調味料で仕上げたという感じだろうか。
オリジナルでは、妻の浮気を知った酒場の店主が、探偵に“仕事”を依頼するが、本作では麺屋の主人ワンが金に目の眩んだ警官のチャンを買収する。
ニー・ダーホン演じる、まるで麿赤兒と南部虎弾を合体させたみたいなワンと、スン・ホンレイ演じる、真っ黒な鎧に身を包んだ警官チェンという、二人の悪党キャラクターが出色だ。
特に、ほとんど台詞を話さず、現場でも慎重の上にも慎重に行動し、一見するとものすごく“出来る男”っぽいチェンが、いちいち細かいミスを犯して状況を悪化させてゆくあたりは、本作にオリジナルには無い面白さを付与していると言って良いだろう。
無表情にミスに気づき、無表情にシマッタ感を漂わせるスン・ホンレイの芝居には、大笑いしてしまった。
だが対照的に、彼らと対立する妻とリー、特にリーのキャラクターが弱い。
理由は簡単で、オリジナルでは妻と若い愛人は本当に浮気しているのだが、こちらではリーはワンに隠れて妻の虐待の傷を治療しているだけ。
彼は妻に言い寄られてはいるが、実際に浮気をする勇気の無いヘタレなのである。
それぞれに心にやましい所のある登場人物たちが、ちょっとした勘違によってお互い疑心暗鬼になり、その結果滅びてゆくオリジナルとは人間関係が微妙に異なり、欲望が作り出す因果応報の面白さという構図が崩れている。
更に、本来のシンプルな四角関係に、コミックリリーフの凹凸カップルという笑わせるための要素が追加されていたり、事情を知らない妻がリーに不信を募らせる描写が殆ど無い為に、必然的にリーの比重が軽くなり、どうしてもワンとチェンというおっさん二人の強烈さに負けてしまうのである。
少なくとも凹凸カップルの件は、物語的に素晴らしく活かされている訳でも無いので、いっその事切ってしまっても良かった様な気がする。
もっとも、コメディ色が強いものの、殺人を巡る話の流れは意外なほどコーエン兄弟のオリジナルに忠実に展開し、そのプロットが絶妙に組まれている事に改めて唸らされる。
正直前半部分は少々退屈な時間もあるが、リーがワンの殺害に気づき、チャンとリーがそれぞれの思惑で動いてすれ違いを繰り返す辺りから、映画は徐々に緊迫感を増してゆく。
特に終盤、追い詰められた妻がチャンと対決するクライマックスでは、お笑い要素もほとんど引っ込み、イーモウの演出もコーエン兄弟へのリスペクトに溢れているので、両作を見比べても面白い。
オリジナルで印象的だった、撃ち込まれた銃弾の穴からもれる光の描写が、ある物を使ってそっくり再現されているのも見所だ。
思うにコーエン兄弟とチャン・イーモウは、国籍だけでなく作家性でもチリビーンズと中華麺位離れた存在。
中国版「ブラッド・シンプル」を期待して行くと裏切られた気持ちになるが、あくまでもあの作品にインスパイアされた別物と思えば、これはこれでなかなかに楽しめる一本だ。
今回は、乾燥した砂漠気候をキーワードに、中華料理にもアメリカ南西部でポピュラーなテクスメクス料理にも合う、ベトナムのビール「333」をチョイス。
旧フランス植民地ながら、熱帯のベトナムは非常にビールの人気が高く、このサイゴン・ブリューワリーの「333」は「シェア7割という国民的ビールで、南国らしくスッキリ爽やか。
「333」という数字は、西洋のラッキー7と同じで幸福のナンバー。
たっぷりとしたグラスに、氷を入れて飲むのがベトナム流で、暑さで溶ければ氷を継ぎ足す。
ベトナム料理屋さんによると、単に量を水増しするだけじゃなくて、悪酔い防止効果もあるらしいけど、本当かな?

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「ローズマリーの赤ちゃん」「テス」「戦場のピアニスト」など、映画史を彩る数々の傑作を生み出してきた巨匠、ロマン・ポランスキー監督による、正統派の巻き込まれ型サスペンス。
政治スキャンダルの渦中にある、イギリス前首相の自叙伝を担当する事になったゴーストライターが、ひょんな事から米英両国の関係に絡む重大な機密を知ってしまう。
良い意味で古典的、上質の探偵小説を読んでいる様な、知のカタルシスを味わえるさすがの秀作である。
原作は、ナチスが第二次大戦に勝利した世界を描いた「ファーザーランド」などで知られる英国人作家、ロバート・ハリスの小説「The Ghost(邦題:ゴーストライター)」で、ハリスとポランスキーが共同で脚色している。
イギリス前首相のアダム・ラング(ピアーズ・ブロスナン)の自叙伝の執筆を依頼されたゴーストライター(ユアン・マクレガー)は、あまり気乗りしないままラングの滞在する米国東海岸の孤島にある別荘を訪れる。
彼の前任者は、長年ラングの側近を務めた男だったが、フェリーから転落して謎の死を遂げていた。
ところが執筆を始めた途端、ラングは在任中にテロ容疑者を違法にCIAに引渡し、拷問に加担したとして、政敵で元外相のライカート(ロバート・パフ)によって、国際刑事裁判所に告発されてしまう。
押しかけたデモ隊によって、別荘に軟禁状態になってしまったゴーストは、ふとした事から前任者が遺した奇妙な写真を発見するのだが・・・
“回転ドア”と揶揄されるほど、首相がコロコロ変わる日本ではあまり馴染みがないが、それなりの長期政権が多い欧米では、首相や大統領が退任すると、必ずと言って良いほど自叙伝や回想録が出版される。
戦争や政争、経済問題などからプライベートに至るまで、在任中には立場的に言えなかった、国家の首脳のホンネが垣間見られるこの種の本は、元々国民の政治意識が高い事もあり、ベストセラーも珍しくない。
ただ、当たり前だが、彼ら政治家は弁舌は巧みであっても作家ではないので、数百ページにも及ぶ本を面白く仕上げる術など持っていない。
そこで、コッソリと本人に成り代わって本を仕上げるお助け人、ゴーストライターの登場となるのである。
それにしても、ゴーストライターとは上手い言葉だと思う。
タテマエとしては存在しない、いわば公然の秘密である彼らは、どんなに本が売れたとしても決してスポットライトを浴びる事はなく、一般に名前を知られる事もない。
だから本作の主人公も、役名すら与えられず、最初から最後まで幽霊扱いである。
何しろ彼はクライアントのラングに出会った時、名を名乗るのでは無く「私は貴方のゴーストです」と自己紹介するのだ。
本来、ゴーストライターは、クライアントの文体を真似、自身の作家性を消し去ってオーダー通りに本を仕上げるある種の職人である。
だが、本作のゴースト氏は、ほんの少し“ホンモノの作家”に未練を持っている。
物書きとしてプライドが高く、事務的な回想録ではなく、作者(つまりは自分の)のハートを感じさせる物をと主張し、ニセモノと言われれば傷つく。
それ故に、姿無きゴーストの枠をはみ出して、自分の好奇心を追求した結果、歴史の裏側に暗躍する別種のゴーストである、諜報の世界に首を突っ込んでしまう、というプロットは中々にシニカルだ。
本作はポリティカル・サスペンスのカテゴリに入る作品だが、殆ど出ずっぱりで主人公のゴーストを演じる、ユアン・マクレガーの飄々とした役作りのおかげもあって、堅苦しさはない。
彼を予想もしない状況に巻き込むラングを、元ジェームズ・ボンド俳優のピアーズ・ブロスナンに演じさせるというキャスティングも、作り手の粋なセンスを感じさせる。
傲慢だが人を惹きつける政治家らしい魅力のあるラングには、政治的な盟友でもあるルースという妻がいるが、どうやら秘書のアメリアとも不倫関係にあるらしい。
映画の前半部分は、ラングの別荘にやって来たゴーストが、腹に一物抱え、密かな火花を散らす住人たちの関連性を、傍観者として観察してゆく描写が続く。
やがて、ゴーストはルースとの関係を深めてゆくのだが、それぞれの登場人物の見せる感情や細かなやり取りにも、後々効いてくる物語のキーが巧妙に隠されているのである。
そして、ラングが戦犯容疑者として告発され、ゴーストが前任者の謎の死を追及し始めると、映画はいよいよサスペンス色を強めてゆく。
だがそれは、派手な銃撃戦とかカーチェイスとか、ビジュアル的なスリルを追求したものではなく、前半部分に綿密に仕掛けられていた伏線を手がかりに、少しづつ謎の真相に近づいてゆくという推理物の王道のスタイル。
前任者は本当に事故死したのか?それとも殺されたのか?だとすると、一体彼はラングの何を知ってしまったのか?
ポランスキーは、隅々まで計算された作品世界で、遊び心のスパイスを効かせながら登場人物を動かし、人間の心理という最もミステリアスな要素から事件の核心に迫ってゆく。
逃げ場の無い孤島に建つ、モダーンで無機質なラングの別荘と、ゴーストの宿泊する安ホテルのレトロな佇まい、闇夜に光を放つ岬の灯台。
凝った舞台装置が作り出す、いかにも映画的コントラストや、クラシカルでありながら外連味を感じさせる音楽の使い方も作品の不穏なムードを高めて行く。
軽快なテンポで物語が紡がれ、全盛期のヒッチコック映画の様に、スリルと適度なユーモアがうまい具合に共存しているのだ。
原作のロバート・ハリスは、口さがない筋からは“ブッシュのプードル”と蔑まれた元イギリス首相のトニー・ブレアと親交があったらしいが、飼い犬どころかイギリス自体が人知れずCIAに支配されているという本作の筋書きは、自国に対する相当に自虐的なシニシズムに溢れている。
うがった見方をすれば、ロマン・ポランスキーが本作を撮ったのも、この視点を面白がった故とも思えるのである。
よく知られている様に、ポランスキーは、ハリウッドで活躍していた1977年に、少女への強姦容疑をかけられて逮捕され、裁判中にアメリカを出国し、以来34年間に渡って逃亡生活を続けている。
ポランスキー本人は冤罪を主張しているが、本作でラングが国際刑事裁判所に告発され、同条約を批准していないアメリカに事実上の逃亡者として滞在しているのは、ポランスキー自身の合わせ鏡の様だ。
「アメリカ以外に行ける国は」と聞くラングに、弁護士が「イラクに北朝鮮にイスラエル・・・」と答えるのは強烈な意趣返しだろう。
28歳の時に「水の中のナイフ」で鮮烈なデビューを飾って以来、波乱万丈の人生を送りながら、ポランスキーの創作に懸けるエネルギーが半世紀にも渡って枯渇しないのは、彼を取り巻く世界に対する反骨精神が、映画作りの原動力になっているからかもしれない。
今回は、極上の白ワインの様な映画だったのだが、実はカリフォルニアのサンタ・クルーズ・マウンテンには、その名も「GHOSTWRITER」と言うワイナリーがある。
ナパなどメジャーなワインカウンティに比べると産地の知名度も低く、残念ながら日本には殆ど入っていないが、今回はその「シャルドネ2009」を合わせたい。
所謂シャルドネらしさは持っているが、若い頃のポランスキーの映画の様に、実験精神旺盛なユニークな味わいのワイン。
リンゴを思わせるフルーティな香りに、やや酸味が強めでくっきりとした輪郭が特徴的だ。
現地でのお値段は30ドル前後と、カリフォルニアワインとしてはそれなりだが、円高の今なら相当にお買い得である。
サンフランシスコ方面に旅行の際は、お土産としてお勧めだ。
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