酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ミッション:8ミニッツ・・・・・評価額1650円
2011年10月27日 (木) | 編集 |
この世界、果たしてホンモノか?

「月に囚われた男」で脚光を浴びた、ダンカン・ジョーンズ監督による長編第二作。
今回は、8分間という時間を無限ループする男の話で、言わば「時に囚われた男」。
厳密に考えれば異なるのだが、所謂タイム・パラドックスSFのバリエーションと言えるだろう。
主人公を演じるのは「ブロークバック・マウンテン」のジェイク・ギレンホール。
彼と心を通わせる二人の女性にヴェラ・ファーミガとミッシェル・モナハン、怪しげなマッドサイエンティスト、ラトレッジ博士にジェフリー・ライトと演技派が揃った。
斬新なアイディアとスピーディーな展開が魅力の、異色のSFサスペンスだ。
*一部ネタバレ注意。

コルター・スティーブンス(ジェイク・ギレンホール)は、ある朝列車の中で目覚める。
クリスティーナ(ミッシェル・モナハン)なる女性が、親しげに語りかけてくるが、コルターは彼女が何者なのか、自分がなぜここにいるのかも分からない。
何しろ彼は、アフガニスタンの戦場で、ヘリコプターを操縦していたはずなのだ。
トイレに駆け込んだコルターが見たものは、鏡に映った見知らぬ男の顔と、“ショーン・フェントレス”と名の書かれたIDだ。
次の瞬間、列車が大爆発を起こし、炎に包まれたコルターは、奇妙なコックピットで意識を取り戻す。
モニターに現れたグッドウィン大尉(ヴェラ・ファーミガ)によると、その日の朝7時48分、シカゴ行きの通勤列車で爆弾が爆発し、乗客全員が死亡。
軍は犠牲者の死の直前の意識の中に潜入できる、“ソース・コード”と言う極秘研究を使い、爆弾を仕掛けたテロリストを特定しようとしており、コルターは二ヶ月前からプロジェクトの一員になっていると言う。
再び爆発8分前の列車に戻されたコルターは、フェントレスの肉体を借りて犯人を探し始めるが・・・


ジェイク・ギレンホール演じる主人公、コルター・スティーブンス大尉が送り込まれる“ソース・コード”とは、ある種のヴァーチャル空間だ。
物語がどこまで科学的根拠に基づいているのかはわからないが、何でも人間は死んでもしばらくの間は脳の中に約8分間の短期記憶が留められているそうで、ソース・コードはこの短期記憶から作り出された再現世界の様な物である。
基本的にソース・コードの中は、時間のリミットはあるものの現実の世界と同じで、行動を変えれば世界の筋書きは変わる。
コルターは、ショーン・フェントレスという人物の記憶とシンクロする事で、爆弾が仕掛けられた列車内に送り込まれ、爆発までの8分間に爆弾の隠し場所を突き止め、乗客に紛れ込んだ犯人を見つけ出さなければならない。
しかもこの事件は、巨大な核テロにつながっていて、ソース・コードの中で犯人を特定しなければ、現実世界で更に大きな犠牲が出ると言うのだから責任は重大だ。

だが、自分の置かれた状況も理解出来ないまま任務に放り込まれたコルターは、最初は戸惑って失敗ばかり。
彼はその度に、灼熱の炎で焼かれる“死”を味わなければならないのである。
しかし、繰り返し同じシチュエーションを体験してゆくうちに、段々と要領を掴み、次第に事件の核心に迫ってゆく。
8分間という限られた時間で、爆弾犯人を探し出すというスリリングな展開。
前回はここで失敗した、次はどうなるんだろうという興味が、閉ざされた空間の中でのサスペンスを盛り上げ、観客を飽きさせない。

しかも物語が進むうちに、コルターはもう一つの謎に気づいてしまうのである。
彼はアフガニスタンで任務に付いていたはずなのに、過去二ヶ月間の記憶がなく、いつの間にか奇妙なマシンのコックピットに押し込められている。
当初は、ソース・コードで活動するために起こる記憶障害かと思っているのだが、何度もソース・コードへの侵入と帰還を繰り返すうちに、どうも様子が変わってくる。
コックピットの計器はひび割れ、不気味な液体が染み出てくる。
外部との通信も途切れがちとなり、電源も不安定で強烈な冷気に襲われる。
しかも、プロジェクトの責任者らしいラトレッジ博士は、コルターが“コックピット”にいると告げると何故か意外な反応を示すのだ。
一体、彼は本当は何処にいるのか?ソース・コードの秘密とは何なのか。
五回目に列車に戻った時、彼は爆弾犯を捜索しながら、クリスティーナにある事を頼む。
それは、アフガニスタンに行った“コルター・スティーブンス大尉”の消息を調べること。
ソース・コードの世界は時間の制限以外は現実と同じなのだから、コルターの記録もそこに存在しているはずなのだ。
だが、その結果として、彼は衝撃的な事実を知ってしまうのである。

脚本は「スピーシーズ3 禁断の種」のベン・リプリー
時空を超えるとはどういう事かを考察した結果、全く新しいアイディアを思いついた彼のアプローチに、プロデューサーのマーク・ゴードンが答え、主演に決まったジェイク・ギレンホールが、一緒に仕事をしたいと考えていたダンカン・ジョーンズを推薦したのだと言う。
ジョーンズは、リプリーのオリジナル脚本に少し手を入れている様だが、なるほど連絡担当のグッドウィン大尉とコルターの間に、次第に信頼関係が築かれてゆくあたり、前作「月に囚われた男」の主人公と、彼を手助けするコンピュター、ガーディの関係に近い。
いや、これは偶然かも知れないが、実は物語の全体構造自体、極めて前作によく似ているのである。
その事に気付いた人には、この映画の最大の秘密は、案外早くネタバレしてしまうかも知れない。

無限ループを繰り返すうちに、コルターは考える。
ソース・コードは爆発で死んだ人間の短期記憶から作り出された世界なので、爆発の瞬間に消滅するが、もしも爆発そのものを阻止して、死を免れたとしたら、その先には何があるのか。
ソース・コードは本当に単なる再現世界に過ぎないのか。
8分間という時に囚われた主人公が、自ら“生きる”ための究極の選択をするクライマックスは、それまで基本的に列車、研究室、コックピットという限られたロケーションで展開していたコンパクトな物語に、グッと広がりを与えることに成功している。
「ミッション:8ミニッツ」というB級っぽい邦題がちょっと引っかかるが、これはSF好きも唸らせる、秀逸なアイディアから練り上げられた、ユニークな娯楽映画だ。
ダンカン・ジョーンズは、既に老練さすら感じさせる見事な演出を見せているが、あえて言えば二作目にして既に前作との間に、テーマ的な既視感を感じさせている事が少し気になる。
演出力は十分に証明されたので、次は彼の中にある別の引き出しを観たい。

今回はソース・コードの先にある目的地、「シカゴ」の名を持つカクテルを。
ブランデー45ml、キュラソー2dash、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、シャンパン適量を用意。
シャンパン以外をシェイクして、砂糖でスノースタイルにしたグラスに注ぎ、最後にシャンパンを合わせる。
ブランデーの琥珀色に、シャンパンの泡立ちで、一見するとビールの様なルックスが特徴だが、実は味わいの方もなんとなくやや甘めでコクの強いビールを感じさせる。
店によってレシピがかなり違い、シャンパンを使わないバリエーションもある様だ。

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一命・・・・・評価額1650円
2011年10月24日 (月) | 編集 |
猫様は見ていた。

「一命」は、滝口康彦の短編小説「異聞浪人記」を原作に、1962年に発表された小林正樹監督の「切腹」のリメイクである。
舞台は豊臣氏の滅亡により、天下太平の世が訪れた寛永年間の江戸。
オリジナルは、無用の長物となりながらも、侍のメンツに拘る武家社会の矛盾と、武士道精神の裏に隠された非人間性を暴きだした映画史上に残る大傑作だ。
三池崇史監督は、色々な意味で自らのカラーを前面に出し、弾けまくっていた昨年の「十三人の刺客」とは打って変わって、オリジナルを驚くほど忠実に、しかし確実にモダナイズし、なかなかに見事な二十一世紀版の社会派時代劇として成立させている。

太平の世の江戸では、食い詰めた浪人による狂言切腹が流行を見せていた。
大名家を訪れて、腹を切りたいので玄関先を貸してくれと迫り、迷惑に思う大名家から金銭をたかるのだ。
戦国の世では赤備えの武者の勇猛さで知られた名門・井伊家にも、浪人・津雲半四郎(市川海老蔵)が切腹を願い出て来る。
家老の斎藤勧解由(役所広司)は、半四郎を思いとどまらせるために、数ヶ月前に井伊家で腹を切った千々岩求女(瑛太)という若い浪人の話をする。
狂言切腹を狙ったものの井伊家は認めず、なんと持参の竹光で腹を切らされ、苦悶のうちに死んだという。
だが半四郎は話を聞いても全く動ぜず、自らの切腹の介錯人として、井伊家の中でも凄腕で知られる沢潟彦九郎(青木崇高)をはじめとする三人の侍の名を候補に上げるが、奇妙なことに三人とも行方不明となっていた。
訝しがる勧解由に、半四郎は千々岩求女が自分の一人娘の美穂(満島ひかり)の夫であった事を告げる・・・


原作は30分もあれば読み終わってしまう短編だが、非常に映画的な構成となっており、オリジナルの脚色を担当した橋本忍も本作の山岸きくみも、原作の構成を基本的に踏襲し、ディテールで変化を出している。
本作が、オリジナルと大きく異なる点は主に二つ。
非常に目立つのは、メタファーの多用である。
近年では、すっかりひこにゃんの兜のイメージになってしまったが、井伊の赤備えと言えば、戦国最強として知られる甲斐武田軍と並ぶ赤備えの代名詞。
オリジナルでも赤備えの鎧兜を武家の象徴として使っていたが、今回はカラーの分その色彩が際立つ。
まるで生きているかの様に、屋敷の奥に仰々しく飾られたそれは、クライマックスで半四郎に突き崩される事で、中身の無いがらんどうでありながら、体面ばかりに気を使う武家社会のメタファーとなるのである。

リメイクではさらに、求女と美穂、半四郎が分け合って食べる一つの饅頭が、家族の深い絆を象徴し、井伊家の屋敷と千々岩家のあばら家でそれぞれに飼われている猫が、この世の無常を象徴する。
二匹はどちらも良く似た白猫だが、一方は病気ですぐに死んでしまい、もう一方は冬の間も囲炉裏端でぬくぬくと過ごしている。
勝者と敗者などいつ入れ替わってもおかしくない、と半四郎が勧解由に言い放つ台詞をこの二匹が体言し、人間たちの馬鹿げた争いを、猫だけが悠然と見ているのは何とも皮肉である。

そして最も印象的なメタファーが、三池節が炸裂するクライマックスだ。
オリジナルでは正体を明かした半四郎VS井伊家家臣団の大乱戦となり、半四郎を殺すまでに井伊家にも多くの“病死者”が出る。
だが、本作で半四郎が抜く刀はなんと竹光
これはオリジナルとも原作とも異なる、意表をついた脚色上の工夫である。
歴戦の猛者である半四郎は、斬れないけどなかなか斬られない。
彼の存在そのものによって、刀の無意味さ、井伊家の面々が執着する武士道の虚飾がより明らかになるという寸法だ。

リメイク版のもう一つの特徴は、その他の描写を簡略化してまでも、中盤の知々岩家の生活描写のボリュームを大幅に増やしている事である。
貧しい中でも、如何に彼らが愛し合っていたか、明日の希望を信じていたのかがじっくりと描写され、台詞も多い。
オリジナルで岩下志麻が演じた“美保”は、ほとんど喋らないキャラクターだったが、満島ひかりの“美穂”はかなり台詞が多く、また役自体の比重も悲劇性も高められている。
千々岩家の慎ましくも幸せな暮らしをたっぷりと描写することで、人間性ではなく機械的な武家の理によって支配されている井伊家の冷たさとの対比となっているのである。

そして武家社会の硬直したシステムを際立たせるのが、求女の切腹シーンだ。
この描写はオリジナルでも相当にショッキングだったのだが、こっちはカラーになっている上に時間が長い。
もとより井伊家としては求女を見せしめにするつもりなので、腹に竹光を突き立てる求女の苦悶の表情を、周りで見守る家中の武士たち(と観客)に延々と見せつける。
実際の映像として特にグロテスクな訳では無いのだが、精神的にはかなり痛い。
「127時間」の例のシーンに匹敵する痛さだと言えば、想像できるだろうか。

全体に、半四郎の「ただ生きて、春を待っていただけ」という台詞に象徴されるように、オリジナルでは言葉や映像で描写されず、観客の想像力に任されていた部分が饒舌に語られ、分かりやすくなっている。
同時に人物造形がウエットになり、特に斎藤勧解由のキャラクターは演じる役所広司が元々良い人っぽいだけに、やや立ち位置が曖昧。
その分、求女の介錯人である沢潟彦九郎がドSキャラになっていたり、オリジナルとは作劇上の各登場人物の意味づけを変えようとした意図が見える。
まあこの辺りは今風であるとも言え、物語への入りやすさに繋がっているのは確かだが、反面オリジナルにあった独特の不気味さ、突き放したような冷たさが薄まっているのも事実で、好みは分かれそうだ。

少々気になったのは半四郎役の市川海老蔵と、それぞれ5歳、8歳違いの瑛太と満島ひかりが親子役という違和感である。
いや、オリジナルで半四郎を演じた仲代達矢だって撮影当事は29歳で、求女役の石浜朗とは2歳しか違わないのだが、仲代の低い声とモノクロの画像のおかげもあって、齢四十代半ばほどの中年男に見える。
対してリメイクは鮮明なカラー画像で、海老蔵の声も若いので、ここはもう少しビジュアルで老けさせても良かった様な・・・。

あと、細かい点だが、赤ん坊が医者にかかるのに必要な金が三両という設定は、いくらなんでも高すぎないか。
寛永年間は蕎麦一杯が四、五文の時代で、まだ緩いとは言え固定相場制が機能しており、金一両は四千文だったはず。
貨幣価値の換算は簡単ではないが、三両となると今の感覚ではおおよそ自動車が買えてしまう額だろう。
まあ、ビジュアルとしての小判を優先したのかもしれないが、時代劇を見慣れている人にはちょっと疑問の残る部分ではないだろうか。

いずれにしても、半世紀近く昔の作品の忠実なリメイク故に、この物語の持つテーマの普遍性が際立つ。
硬直した封建社会に生きる、侍という曖昧な存在の苦悩と葛藤、彼らの身に降りかかる不条理は、そのまま現代社会に対する痛烈なアンチテーゼである。
太平の世には活躍する場所がないのは、大名家の武士たちも浪人も同じ。
貧乏浪人の一家の悲劇は勿論だが、武家社会の既得権にしがみつく井伊家の面々もまた、武士道という曖昧な概念によって支配され、その生殺与奪を握られているのだ。
400年前を舞台とした侍たちの物語は、この社会における体制と個の対立という、極めて根源的なテーマを改めて問いかけるのである。
それにしても三池崇史、歴史的な傑作時代劇を相次いでリメイクし、それぞれにオリジナルを知っていても唸らされる物を仕上げて来るとは、まこと恐るべし。
こうなって来ると、彼の演出で今まで映画化された事の無い、本格時代劇を観たくなって来る。

今回は、半四郎の出身地である安芸広島の代表的な地酒、白牡丹酒造の「千本錦吟醸酒」をチョイス。
白牡丹の創業は本作の舞台となる寛永年間から少し時代の下った延宝三年。
以来三百年以上の歴史を持つ、由緒ある酒蔵である。
これは広島特有の酒米、千本錦を使った吟醸酒で、非常にすっきりとしたキレのある喉ごしが楽しめる。
中国山地と瀬戸内海に挟まれた広島の地酒だけあって、海の物にも山の物にも合う、酒の肴の種類を問わない間口の広い酒だ。

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ランゴ・・・・・評価額1600円
2011年10月21日 (金) | 編集 |
西部劇魂!

三部作で全世界累計27億ドルを稼ぎ出した、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの生みの親、ゴア・ヴァービンスキー監督ジョニー・デップの黄金コンビが復活。
今度の冒険の舞台は、大海原から一転、不毛の荒野と奇岩が連なるワイルド・ウェストだ。
とは言っても、これは何と3DCGアニメーション。
人間に飼われていたお調子者のカメレオンが、冒険を通してニセモノの勇者からホンモノへと成長してゆくという、「サボテン・ブラザーズ」や「ギャラクシー・クエスト」の系譜に連なる作品である。
「ランゴ」というタイトルをはじめ、ウェスタンへのオマージュとパロディたっぷりの映像も楽しい。

灼熱の大地が広がるアメリカ西部、モハベ砂漠。
事故で車から投げ出されたカメレオン(ジョニー・デップ)は、何とか動物たちの暮らす小さな街へと辿り着き、自分を西部の英雄“ランゴ”と名乗る。
偶然、一発の銃弾で街の天敵であるレッドテールホークを倒した事から、ランゴは亀の町長(ネッド・ベーティ)から保安官に任命される。
だが就任早々大事件が勃発。
砂漠の街で一番貴重な水が出なくなり、銀行に保管されていた残り僅かな水までもが強盗団に盗まれてしまったのだ。
ランゴは、父の農場を守る男勝りのビーンズ(アイラ・フィッシャー)や街の男たちと共に、水を取り返す為の追撃隊を組織するのだが、実は事件の影には恐るべき陰謀が隠されていた・・・


人は誰でも、自分自身の物語から逃げ出す事はできない。
水槽の中で虚構の生を送ってきた、名も無きカメレオンが歩むべき物語とは?
「グラディエーター」や「ラスト・サムライ」といった漢の映画で知られる脚本のジョン・ローガンは、西部劇の設定に外の世界を知らないカメレオンの成長物語を組み合わせ、なかなか観応えのあるエンターテイメントとして成立させている。
カメレオン故に物真似は得意。
最初は他のガンマンの歩き方まで真似ようとしていたランゴが、ひょんな事から本物の保安官となり、次第に借り物ではなく、自らの物語を歩み出すプロットは、王道とは言え良く出来ている。

主人公のカメレオン、ランゴを演じるのは、もちろんジョニー・デップ
ヒロインで、父の残した農場を一人守っている砂漠イグアナのビーンズに、「お買い物中毒な私!」の名コメディエンヌ、アイラ・フィッシャー
他にアルフレッド・モリナーアビゲイル・ブレスリンといった芸達者が脇を固め、敵のボスキャラ、ガラガラ蛇のジェイクには「パイレーツ」繋がりの名優ビル・ナイ
いかにも胡散臭そうな亀の町長役に、「トイ・ストーリー3」で主人公たちを危機に陥れるピンクの熊ロッツオを演じた、ネッド・ビーティを当てている辺りは配役も芸が細かい(笑

それぞれ動物にカリカチュアされているものの、どこか本人のムードを留めるキャラクターで、美しいCGアニメーションを作り上げたのは、ルーカス・フィルム傘下の世界最高峰のVFXスタジオであるILMだ。
ILMは、2000年にも実験的な短編キャラクターアニメーション、「Work in progress」を制作したりして、着実にノウハウを蓄積していたが、ピクサーの分離独立後四半世紀を経て、ようやくというか、遂にというか、本格的にアニメーションフィーチャーフィルムへの参入を果たした。
写実的でありながらアニメーション的でもある独特の世界観は、ILMのクルーが参加した「WALL・E ウォーリー」の前半部分に近いが、その映像的なクオリティはさすがの一言。
まるでモハベ砂漠の一角に、進化した動物たちの暮らす街が、本当に存在しているかの様に錯覚してしまいそうだ。

この独特の世界観に展開するのは、数々の名作映画のパロディとそれに絡めた大冒険。
俎上に上がる映画はセルジオ・レオーネのマカロニ・ウェスタンを筆頭に多くの西部劇、そしてコッポラ、ルーカス、ポランスキーにギリアム、果てはコーエン兄弟まで。
タイトルロールである主人公のネーミングも、嘗てフランコ・ネロが演じたキャラクター“ジャンゴ”へのオマージュと思わせつつ、実は67年にABCが放送していた間抜けなテキサスレンジャー、“ランゴ”が活躍する同名のC級テレビドラマが元ネタであろう。
因みに、亀の町長からランゴがもらうバッジは通常の星型ではなく、輪の中に星を配したテキサスレンジャーと同タイプである。
ランゴの見るシュールな夢の描写などは、ちょっと「パイレーツ3」のスパロー船長の白日夢の様で、このあたりはヴァビンスキーのセルフ・パロディか。
マカロニを飛び出し、西部版「地獄の黙示録」&「スターウォーズ」となる追撃戦シークエンスのスピード感と迫力は、正にILMの真骨頂だ。

しかし、ヴァビンスキーの映画的記憶のハイライトは、やはりランゴがホンモノの勇者となる為に、その名も“Spirit of the West”に出会うシーンだろう。
何しろそれは、ゴルフカートに乗った“あの人”なのである。
声を担当しているのはティモシー・オリファントだが、低くくぐもった声色まで似せているので、本人かと思ったほど。
保安官という肩書きを与えられ、ちょっとした大物気分で調子にのっていたランゴは、水の支配を目論む亀の町長の遠大な陰謀と、冷酷な殺し屋ジェイクの圧倒的な力の前に、ただの無力なカメレオンである事を思い知らされる。
街の人々の失望と共に、自らバッジを外して街を出たランゴは、死を求めて荒野をさ迷うのだが、これは虚構の生しか知らないランゴにとってはネイティブ・アメリカンの若者の成人の儀式“ビジョン・クエスト”の様な物。
ランゴはビジョンの代わりに“Spirit of the West”に出会う事によって、本物の西部男の生き様とは何かを考え、いよいよ自分自身の物語を歩みはじめるのである。

“be a hero”
Spiritの言葉を受け止めて、ランゴが知恵を巡らせ巨悪に立ち向かうクライマックスは痛快だ。
一発の弾丸で七人を殺した伝説の男でなくても、生きるために水を求める皆の気持ちは纏められる。
一見不毛な荒野だが、その地下深くには豊かな水が流れているワイルド・ウェストは、言わば人生のステージのメタファーだ。
はたして自ら水を探し当てて、本物の勇者となれるのか、それとも肩書きに錯覚したまま、誰かの掌の上で干からびて死ぬのか。
ユーモラスな物語の端々には、結構本質的な問いが投げかけられている。
老若男女が楽しめる良質の娯楽映画だが、物語の核心部分は大人にこそ突き刺さってくるだろう。

今回は、やはりテキーラストレート。
ロバート・デ・ニーロが愛飲している事でも知られる、本場メキシコの高級品「ポルフィディオ アホネ 39度」をチョイス。
花をつけたサボテンのボトルは、正に本作で描かれた砂漠の中の豊潤を思わせるが、中身の方も芳醇な香りと濃厚な味わいのバランスが抜群。
雑味は全く感じられず、ストレートで飲むのが一番美味しいテキーラである。
これを飲み続ければ、いつか“Spirit of the West”に会えるかも知れない?

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エンディングノート・・・・・評価額1700円
2011年10月17日 (月) | 編集 |
娘の声で綴られる、亡き父の最期の旅立ち。
「エンディングノート」とは、遺言状ほど肩肘張らない、自らの死を如何に迎えるかに関する覚書の様な物。
戦後日本を支え、世界有数の豊かな国に育て上げた、所謂団塊の世代が老齢に差し掛かるにつれて、新しい死の準備の手段として急速に注目を集めているのだという。
この映画は、定年退職後に癌に倒れた元敏腕営業マン、砂田知昭さんの癌告知から亡くなるまでの半年間を、愛娘である砂田麻美監督が感謝と愛情たっぷりの視線で追ったドキュメンタリー。
死というシリアスな題材を扱っていても、ユーモラスな語り口のために、全体のムードはとても穏やかだ。

外資系企業の営業マンとして活躍し、役員にまで出世した主人公は、自称会社人間。
ようやくリタイアして、これからゆったりとした老後を過ごそうとしていた矢先、癌の告知を受ける。
そこから彼が行ったことは、自分が死を迎えるまでの間に、クリアしなければいけない課題を、エンディングノートに書き出すこと。
「アメリカに暮らす孫に会うこと」
「家族旅行に行くこと」
「葬儀の準備をすること」
「クリスチャンの洗礼を受けること」

そして、「妻に愛していると(初めて)言うこと」も。
サラリーマン時代の仕事の仕方そのままに、綿密に計画を立て、実行してゆく知昭さんと、そんな父の姿を、カメラを通して永遠に刻み付ける娘。
突然ではないが、少しずつ、しかし確実にやってくる死という現実。
人生でやり残した事がなければ、人は安らかな死を迎えられるのだろうか?
残された家族の悲しみも和らぐのだろうか?

その答えはYESであり、NOだ。
どんなに覚悟を決めて、準備をしてきたとしても、やはり愛する人との永遠の別れは悲しみ以外の何物でもない。
ドキュメンタリスト出身の是枝裕和監督の門下生でもある砂田麻美監督は、単に父の最期の半年間をカメラに収めただけでなく、彼の人生そのものを、懐かしい8ミリフィルムや家族写真を使って紐解きながら描写する。
砂田知昭さんとはどんな人物だったのか。
どの様な人生を送り、どの様な人柄で、どれほど家族を愛していたのか。
彼は戦争の時期に生まれた団塊の少し前の世代で、戦後に育ち、高度成長期の60年代初頭に青春を謳歌し、やがて生涯のパートナーと出会い大切な家族を育んだ。
丹念に描かれる彼の人生が、決して特別でないからこそ、観客は彼にどっぷりと感情移入する。
知昭さんは、観客にとって自分自身であり、父であり、夫なのだ。
だから映画の最後にやってくる彼との別れは、まるで自分の家族を亡くした様でとても悲しく、映画館ではすすり泣きの声があちこちから聞こえる。

同時に、彼の人生はとても幸せで、その幸せは死の瞬間までも続いていたのも事実だと思う。
エンディングノートのクライマックスは、最後の入院から亡くなるまでの五日間。
アメリカに暮らす長男は、予定を変更して家族で帰国、最愛の孫たちとも再び会えた。
念願のクリスチャンの洗礼は、ちょっとイメージとは違ったものの、本作の監督でもある次女の麻美さんによって授けられ、「パウロ」という洗礼名ももらった。
全ての計画を成し遂げた知昭さんは、病室で妻と二人きりになると、いよいよ残された最後の“課題”である「妻に愛していると言うこと」を実行する。
40年以上に渡って一緒に人生を歩んできた妻は、その言葉を聞いて涙ぐみ「一緒に行きたい」と答えるのだ。
なんとも男冥利に尽きるではないか。

映画を観ながら、そう言えば砂田知昭さんは自分の父と同い年なのだと思い至った。
そうか、父もこんなに歳をとっていたのか。
幸い彼は今もとても元気だけど、もしもの時のエンディングノートをもう頭に描いたりしているのだろうか。
いや、死は別に年齢に限らずやって来るのは先の震災でも思い知った通り。
自分にも、もしもの事があったらと思えば、果たしてエンディングノートはどうしよう?
先ずは愛猫の行き先を決めて、残すデータと残さないデータを決めて、財産なんて無いけど、遺品の一部はどこかへ寄付して・・・と、爽やかな涙に浸りながらも、色々な事を考えさせてくれる一本だった。
砂田監督は、知昭さんの死後しばらくは悲しみに暮れていたが、彼が生きていたころの楽しかった時間の自分に戻りたいという思いで、ようやく三ヵ月後から残された映像の編集作業を始めたのだと言う。
うん、天国のお父さんも納得の、最高のレクイエムになっていると思う。
やはり彼は幸せ者だ。

昭和のサラリーマンの酒と言えばやはり、ビールだろう。
飲み会の“とりあえずビール”という日本独特の風習も、一説には団塊の世代が発祥だとか。
旧財閥系グループの結束が強かった次代は、三菱系はキリン、三井系はサッポロとかの縛りもあった様だが、今ではかなりゆるくなっていると聞く。
今回は、昭和を代表するビールの一つ、「キリンクラッシックラガー」をチョイス。
キリンビールがキリンラガービールとなり、熱処理しない生ビールになった今、この昔ながらの熱処理ビールの味わいを残すクラッシックラガーは貴重な存在だ。
そう言えば、私が子供ながらに初めてビールの味を知ったのも、こんな味わいの頃のキリンビールだったと思う。
昭和の父さんたちの人生に乾杯。

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キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー・・・・・評価額1550円
2011年10月12日 (水) | 編集 |
その力は、平和のために。
マーベル・コミックのスーパーヒーロー大集合映画、「ジ・アベンジャーズ」の長い長い前フリも、遂に最終章。
いよいよアベンジャーズのリーダーにして高潔の人、キャプテン・アメリカの登場だ。
キャプテンを演じるのは、同じマーベルの「ファンタスティック・フォー」シリーズでヒューマン・トーチを演じていたクリス・エヴァンズ
彼は、図らずもマーベル最古のヒーローと、最古のヒーローチームのメンバーの両方を演じる事になった。
70年の歴史を持つコミックを脚色したのは「ナルニア国物語」シリーズのクリストファー・マルクスとスティーブン・マクフィーリー、監督は「ジュマンジ」のジョー・ジョンストン
ぶっちゃけ話は単純だが、映画の出来は良く、なかなか楽しめる。

第二次世界大戦下のアメリカ。
ひ弱な体ゆえに兵役につく事のできないスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)は、科学者のアースキン博士(スタンリー・トゥッチ)と出会い、彼の主導する超人兵士計画の被験者として志願する。
ドイツ人のアーキンスは、かつてナチスの中でもカルト的な秘密組織ヒドラ党の幹部で権力欲の強いシュミット(ヒューゴ・ウィーヴィング)を被験者に実験を行い、彼を世界の破滅を狙う怪人レッドスカルへと変貌させてしまった過去があった。
実験によって、以前とは比べ物にならない強靭な肉体を手に入れたロジャースだが、アースキンは密かに侵入していたスパイによって殺されてしまう。
アーキンスを失った軍は、超人兵士計画をキャンセルし、ロジャースは覆面ヒーロー“キャプテン・アメリカ”として戦意高揚キャンペーンの客寄せパンダに祭り上げられる。
しかし、幼馴染が属する107連隊がヒドラ党の捕虜となった事を知ったロジャースは、たった一人で彼らの救出に赴く事を決意する・・・・


第二次世界大戦中の1941年に、最初のコミックが出版された「キャプテン・アメリカ」は、初期の軍国的キャラクターから徐々に中道リベラル色を強めて来たキャラクターだが、その流れがそのまま映画の物語に取り込まれているのが面白い。
何しろ超人兵士となったロジャースは、「父親たちの星条旗」の主人公と同じ様に、戦時国債キャンペーンや戦争プロパガンダに駆り出され、人々の愛国心を煽るのだ。
やがて自分がメディアの中の虚飾のヒーローにすぎないという現実に直面したロジャースは、本物のヒーローとなるべく戦い始めるが、それは憎き敵を殺すためではない。

元々虚弱体質の青年だったキャプテン・アメリカは、弱きを知るヒーローである。
彼はソーの様な圧倒的な神様パワーも、アイアンマンの様なハイテク兵器も持たない。
少々超人化して身体能力が高まっているとは言え、他のスーパーヒーローに比べれば限りなく普通の人だ。
「ナチスを殺したいか?」と聞かれたロジャースは、「誰も殺したくはない」と答える。
軍隊に志願するのも、早く戦争を終わらせたいがためなのである。
アースキン博士の“超人化血清”は、肉体だけでなく心をも増幅させてしまう。
博士は嘗てナチスの中でも過激な科学技術を追求するヒドラ党の幹部、ヨハン・シュミットを最初の実験体に選び、結果的に彼を本作のヴィランであるレッドスカルへと変貌させてしまった。
人間の憎しみや欲望といった悪しき心が、いかに恐ろしいかよく知っているが故に、博士は善良な心を持つロジャースを選び、彼に良き兵士ではなく、良き人間であれと言い残すのだ。
だからキャプテン・アメリカは無益な殺生はしない。
彼のビジュアルを特徴付ける最大の武器が、銃でも剣でもなく、防御的な盾(Shield)であるのは象徴的だ。

キャプテン・アメリカが活躍する世界は、他のヒーローたちと違って第二次世界大戦という現実の戦争だ。
一応、直接の敵はドイツ軍そのものではなくて、ナチス内部の秘密結社ヒドラ党とその支配者であるレッドスカルだが、一歩間違えると生々しくなってしまいそうな設定である。
映画は、ヒドラ党をナチス本体へも反旗を翻す絶対悪とし、「マイティ・ソー」の世界と共通するコズミック・キューブのパワーによるトンデモ科学を駆使する漫画チックな集団と描写する事で、本作に過度なリアリズムを与えない様にバランスをとっており、超能力を操るヒーロー物に比べると、どうしても地味になりがちなアクションも、ヒドラ党の繰り出す秘密兵器がカバーする。
特に航空機の充実ぶりはなかなかで、おそらく映画初登場のフォッケウルフ・トリープフリューゲルVTOL戦闘機とか、アラドAr E.555/1全翼機の更に巨大なバージョン(機内に爆弾と一体化した様な戦闘機を搭載している!モデルはゾンボルトSo344か?)とか、飛行機ヲタには感涙物であり、何となくこのマニアックさは宮崎駿風(笑

ひょんな事からヒーローとなる一般人の主人公と、第二次世界大戦という舞台背景、セピアな色調でまとめられたレトロ色たっぷりのビジュアル、そしてメカ満載の空中のクライマックス。
このあたりのイメージは、世評は著しく低いが、個人的には結構好きな、ジョー・ジョンストン監督による1991年のコミックヒーロー映画「ロケッティア」ともどこか被る。
ジョンストンは元々ILMの創立メンバーで、「SW」の初期三部作のVFX部門のアートディレクターとして活躍(ボバフェットやヨーダをデザインしたのはこの人!)した後に、ルーカスの勧めで改めて南カリフォルニア大学の映画学科に入りなおして演出を勉強し、映画監督へと転身したという異色の経歴の持ち主だ。
オスカーを持ってる様な大物が生徒とは、先生もさぞやり難かったと想像するが、1989年に「ミクロキッズ」で監督デビューすると、「ジュマンジ」や「ジュラシックパーク3」などファンタジー色の強い作品を発表してきた。
また前記の「ロケッティア」や「遠い空の向こうに」など、空への憧れを描いた作品では、本人のヲタク心が刺激されるのか、作品全体にモチベーションの高さが感じられ、本作でもその持ち味は十分発揮されているのではと思う。

因みに本作にはアンクレジットながら、「ジ・アベンジャーズ」の監督・脚本を担当するジョス・ウェドンが脚本参加している。
コミックとは若干意味付が異なる様だが、キャプテンの出現は「ジ・アベンジャーズ」或いはウワサされる「S.H.I.E.L.D.」の映画で描かれるであろう、この組織の設立の秘密とも関わってくるものと思われる。
本作には更にロジャースの恋人としてペギー・カーター、戦友にコミックではキャプテンの後継者となるバッキー・バーンズ、アースキンの協力者としてハワード・スタークが登場し、これがマーベル・ユニバースの作品である事を強調する。
ラストで70年の眠りから冷めたロジャースが、ニック・フューリーに言うあるセリフがが、時空を超えてしまったヒーローの悲哀を感じさせて切ない。
彼の病室に現れた女性はもしかするとシャロン・カーターなのだろうか?

今回は、アメリカン・スピリットの象徴、キャプテン・アメリカの映画という事で、ブランドとしては世界一の販売量を誇るアメリカンビール「バドワイザー」をチョイス。
アンハイザー・ブッシュの販売する製品の中でも、このオリジナル・バドワイザーは1876年に発売され実に135年の歴史を誇る。
カラッとした西部の陽気にピッタリのビールだが、キャプテン・アメリカでスカッとしたあとは、ヘビーなアメリカン・フードとアメリカン・ビールも楽しみたい。

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Jobsの二つのJobs
2011年10月10日 (月) | 編集 |
1995年11月22日は、ピクサー・アニメーション・スタジオによる史上初の劇場用長編3DCGアニメーション映画、「トイ・ストーリー」が公開された日として、映画史に永遠に記録されている。
以来、長編アニメーションにおける世界の趨勢はすっかり手描きのセルアニメーションから3DCGに移り、観客も今では当たり前の表現として受けとめているが、コンピューターが作り出す魅惑的な映像世界は、わずか16年前には誰も観た事が無い物だったのだ。
そして、この映画史上のエポックが生まれるまでには、10年間の苦節の日々があった事はあまり知られていない。

2011年10月5日にスティーブ・ジョブズが56歳の若さで亡くなった。
死去を報じる日本のメディアでは、彼をアップルの元CEO、あるいは会長という肩書で呼び、コンピューター、あるいはiPhoneで世界を変えた男と紹介された物がほとんどだった。
確かにそれは間違いではないが、ジョブズ(Jobs)は名前の通り二つの仕事(Jobs)を持っていた。
一つは勿論アップルCEO、もう一つはピクサーの会長職である。
クパティーノのアップル本社とエマリービルのピクサーを往復するジョブズの自家用ヘリはサンフランシスコ・ベイエリアの名物だった。
彼は企業としてのピクサーの経営に専念し、映画ではほとんどプロデューサーを名乗る事がなかったために、こちらの仕事はアップルの片手間程度に思っている人も多い様だ。
だが、あえて言いたい。
今から四半世紀前、誰も観向きもしなかった3DCGによるキャラクターアニメーションの可能性を見抜き、実験段階の技術に長い時間と資金を投じて、遂に世界中を魅了する素晴らしい芸術として世に送り出し、映画史を永遠に変えたのはジョブズである。
このジャンルにおけるジョブズの功績は、ストーリー漫画の手塚治虫、セルアニメーションのウォルト・ディズニーに匹敵する。

元々ピクサーは、ルーカスフィルムで、主にVFX用CG制作ツールを開発していた部門がそのルーツ。
だが、ルーカスはここから生まれる新しい表現にビジネス的な可能性を見出す事は無かった様で、ピクサーはリストラ対象になってしまう。
この時に買収に手を上げたのがシリコンバレーの若き億万長者、ジョブズである。
ちょうど彼自身もジョン・スカリーとの確執で、自ら設立したアップルを追い出され、日がな一日スタンフォードのカフェに座り、その膨大な資産の使い道を探していた頃。
売却を急ぐルーカスフィルムの思惑と合致し、 たった1千万ドルでCG部門を買収し、ピクサーと名付ける。
当初はCGソフトを含んだハードウェアの開発を手がけていたが、その技術をアピールするために、ディズニー出身の若きアニメーター、ジョン・ラセターらがごく短い実験アニメーションを作っていたのがアニメーションスタジオとしての始まりだ。
ラセターの作った短編を観たジョブズは、ソフトウェアだけでなく、3DCGで作られたアニメーション自体が売り物になると考えるが、そこからすぐに「トイ・ストーリー」に繋がる訳ではない。

当たり前だが、誰も観た事の無い物の魅力を、他人に納得させるのは至難の技だ。
特に当時は「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」などの大ヒットで、ディズニーの手描きアニメーションが再び黄金期を迎え様とする時代。
海の物とも山の物とも知れないデジタルアニメーションに興味を持つハリウッドメジャーなど無かったのである。
また、3DCGの表現力自体もまだまだ未熟で、とても熟成された手描きアニメに勝てる代物では無かった。
だがジョブズは、何とかテレビCMなどの仕事を作りながら、全く儲けを出さないアニメーション部門を支え続けた。
そして1986年の「ルクソールJr.」でCGアニメーションとして初めてアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートを果たすと、1988年の「ティン・トイ」で遂に受賞。
この作品は、人間の赤ちゃんから意思を持ったおもちゃ達が逃げ回るという内容で、実質的に「トイ・ストーリー」のパイロット版としての性格を持っていた。
アカデミー賞を名刺代わりに、ジョブズは本腰を入れて当時彩色技術などで関係を深めていたディズニーとの交渉に挑む。
いわば異業種のハリウッドへの参入、その相手が手描きアニメの総本山であるディズニーだったのも何ともジョブズらしいではないか。
90年前後から、実写のVFXとしてのCGが急速な進化を見せ、デジタル映像に対する認知度が高まって来たのも追い風だったかも知れない。
結局、ジョブズは粘り腰の交渉でディズニーとの提携と配給契約を結ぶ事に成功、更に3年の制作期間を経て遂に「トイ・ストーリー」が世に出るのだが、これが唯一プロデューサー(エグゼクティブ・プロデューサー)としてジョブズがクレジットされた映画である。

10年ほど前に、雑誌のインタビューで「なぜ映画の仕事をするのか?」と聞かれたジョブズは、こう答えている。
「映画の世界はゼロサムじゃないから。コンピュータービジネスには勝者と敗者しかいないんだ。ウィンドウを買った人は、もうマックは買わない。だけど、映画は違う。素晴らしい作品が何本もあれば、人々はそれを全部観る事だってあり得るんだ!」
そうなんだ。
映画は誰もが幸せになれる素敵な仕事なんだ。
ジョブズが死去した時、彼が作り上げたアップルとピクサーは共に公式サイトのトップに追悼のメッセージを掲げたが、そこにあった写真は対象的。
白黒で、眼光鋭いジョブズがシリアスな表情で見つめるアップルに対して、ピクサーの写真は若き日のジョブズを中心に盟友ジョン・ラセターとエド・キャットムルの三人が満面の笑顔で収まっている。
熾烈なIT業界で戦ってきたジョブズにとっては、映画は少し引いた位置から本当に楽しむ事の出来るオアシスの様なビジネスだったのかも知れないが、結果的に彼はこちらでも歴史を作った。
やはり彼はクリエイター、物作りの本質を知っている人だったと思う。

スティーブ、MacやiPhoneも勿論だけど、沢山の素晴らしいアニメーションをありがとう。
貴方のDNAは、今では世界中で作られている3DCGアニメーションの作り手達全てに受け継がれているよ。
しかし、こんなにワクワクをくれる経営者にはもう出会えない気もするな。
同時代を生きられて本当に良かった。貴方の事は、決して忘れない。

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猿の惑星 : 創世記(ジェネシス)・・・・・評価額1700円
2011年10月06日 (木) | 編集 |
1968年に作られた、タイムパラドックスSFの金字塔「猿の惑星」のユニークなビギニング。
オリジナルで、チャールトン・ヘストン演じる主人公のテイラーが、砂に埋れた自由の女神を目撃する瞬間は、おそらく映画史上最も衝撃的なラストシーンであろう。
一体何故人類は滅びたのか?何故猿たちは劇的な進化を遂げたのか?
本作のルパート・ワイアット監督は、一人の科学者と一匹のチンパンジーの絆の物語を軸に、人類の終焉と星を継ぐものの誕生を、神話的なストーリーにのせて描き出す。
最新のVFXを駆使し、無数の猿達が人類からの独立を目指すスペクタクルな映像も見応え十分。
「127時間」の好演が記憶に新しいジェームズ・フランコが、図らずも歴史の転換点の引鉄を引いてしまう脳神経科学者を演じる。
※一部ネタバレあり。

サンフランシスコの製薬会社、ジェンシスの研究所で働くウィル・ロッドマン(ジェームス・フランコ)は、開発中のアルツハイマー病治療薬、ALZ112を投薬したチンパンジー“9番”の知能が劇的に向上している事に驚き、人間への治験開始を願い出る。
しかし、そのプレゼンテーションの日に、9番が突然暴れ出し、研究所をパニックに陥れた挙句に射殺されてしまう。
実は9番は誰にも知られずに子供を産んでおり、赤ん坊を守ろうとして暴れたのだった。
チンパンジーを使った実験は中止され、ウィルはシーザー(アンディ・サーキス)と名付けた赤ん坊を家に連れ帰り、5年の間育てながら観察を続けるが、成長したシーザーは人間を上回る認知能力を持つ超類人猿である事が明らかになる。
ウィルは、データを元にチンパンジーでの実験を再開し、より強力な治療薬ALZ113を完成させるが、ある時偶然の事故でシーザーが人間を傷付け、アニマルシェルターに強制収容所されてしまう。
そこでシーザーが見た物は、冷酷な監視員のドッジ(トム・フェルトン)に虐待される猿達の姿だった。
次第に人類に対する疑念を深めたシーザーは、密かにシェルターを抜け出しALZを盗み出すとシェルターの猿達に吸引させる。
高度な知能を得て、シーザーをリーダーに団結した猿達は、ついに人類に反旗を翻す。
一方のウィルはALZ113の持つ、ある致命的な欠点にまだ気付かずにいた・・・


一応おさらいしておくと、旧シリーズは1968年の「猿の惑星」から73年の「最後の猿の惑星」までの五作が作られている。
第一作では、猿が人間を支配する惑星に不時着した宇宙飛行士のテイラーが、猿の科学者コーネリアス博士らに助けられながらも、冒険の末にそこが人類文明が滅びた後の未来の地球である事を発見する。
第二作「続・猿の惑星」では、猿と地下世界でミュータント化した人間の戦争が起こり、絶望したテイラーが最終兵器コバルト爆弾を起爆し、地球は消滅してしまう。
第三作「新・猿の惑星」では、消滅した地球を脱出し、時間を遡って現代の地球に到達したコーネリアス達と、猿に支配される自分たちの未来を知った人類との間で軋轢が起こる。
そして第四作「猿の惑星・征服」では、疫病で犬や猫が死滅し、地球に到達した猿達の子孫が人類の奴隷となっている近未来。コーネリアスの息子のシーザーが、自由を求めて人類に対して反乱を起こす。
旧シリーズは、この後に最終作「最後の猿の惑星」が作られ、猿達のリーダー、シーザーによって猿と人類との間に和平が結ばれ、共存の道が築かれる。
つまり、最終作のラストはパラレルワールドとなり、第一作には直接繋がらないのである。
本作は、基本的には第二作以降の旧シリーズとは無関係とされているが、ベースとなっているのは聖書の「出エジプト記」を思わせる第四作「猿の惑星・征服」であろう。
主人公のシーザーという名前、人類に隷属化した猿達の反乱劇という内容も共通点が多い。
本作の後に続編が作られれば、また異なるパラレルワールドが作られそうだが、現時点ではオリジナルの「猿の惑星」に直接繋がるビギニングとして成立している。

アルツハイマー治療薬によって、劇的に知能が向上したチンパンジー、“9番”から生まれたシーザーは、物心つく頃からウィルの家で育てられ、人間としての感情を学ぶ。
彼にとっては人間イコール父親代りであり、心から信頼するウィルなのである。
ウィルは、アルツハイマー病を患っている父チャールズと同居しており、人間的な優しさを知っているシーザーは彼に対しても思い遣りの心を見せる。
だが人間社会の中では、所詮チンパンジーはチンパンジー。
彼の自由は屋根裏の窓から見える世界でしか無い。
次第に自己存在の矛盾に直面するシーザーは、ある時その優しさ故にチャールズを守ろうとして、隣人を傷付けてしまう。
裁判所命令によって多くの猿達が暮らすシェルターに収容されたシーザーは、そこで始めて他の生物の支配者として君臨する人間の恐ろしい側面を目撃し、やがて覚醒する。
最初はおどおどした子供の様だったシーザーの表情が、次第に確固たる信念を持ったリーダーの顔に成ってゆく様は見所だ。

旧シリーズの猿達は、ジョン・チェンバース率いる20世紀FOXのメイクアップ・デパートメントのスタッフによって特殊メイクで作られたが、21世紀の本作ではピーター・ジャクソンによって設立されたVFX工房、WETAのテクノロジーで創造されたデジタルキャラクターだ。
「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラム役や「キング・コング」のコング役で、この種のパフォーマンス・キャプチャ俳優の第一人者となったアンディ・サーキスが素晴らしい演技でシーザーに命を吹き込んでいる。
彼は単純に猿になり切っているのではない。
猿でありながら、頭脳は人間をも上回り、複雑な内面の葛藤を抱えるという難しいキャラクターだ。
ウィルへの想いを残しながら、シーザーが人間に絶望してゆく様が切ない。
もう家に帰る事が出来ないと悟った時、彼は牢獄の壁に幸せだった幼い頃、外の世界を見ていた屋根裏部屋の窓を描く。
そしてそれは、反乱を起こした猿の軍団が掲げる自由へのシンボルとなるのである。

猿達はサンフランシスコから脱出して、海峡を挟んだ街の北側に広がる広大な原生林、ミュアウッズを自分たちの新たな王国とすべく目指すが、そのためにはゴールデンゲートブリッジを通らねばならない。
クライマックスは、ミュアウッズに向かう猿の軍団と、橋を封鎖する警官隊の激突。
立体的な吊り橋の構造を巧みに利用した、ダイナミックな3次元アクションは興奮度抜群だ。
シェルターで一人ハミゴにされていたゴリラが、シーザーに救われた恩を返すためにとったある行動と、その後にシーザーが見せる人間への完全な決別のシーンは、映画的カタルシスに鳥肌が立つ。
まさかゴリラの男気に泣かされるとは思ってなかったよ。

もっとも、突っ込みどころも無くはない。
最大の物は、やはり猿達の数が多すぎじゃないの?という事だろう。
終盤ではサンフランシスコ中に猿が出没しているが、基本的にアニマルシェルターに収容されていた仲間とサンフランシスコ動物園から逃がした分の、精々数十頭だったはずだが、何時の間にか明らかに数が増えている(笑
また動物園の猿はALZを吸引してないのだから、知能は普通なままのはずで、あんな統率のとれた行動は出来ないだろう。
まあ、物語は小気味良いテンポで一気に進んでゆくので、観ている間にはそんなに気にならないのだけど。
因みに、人間サイドの主人公、ウィル・ロッドマンの役名は、オリジナル「猿の惑星」の脚本を執筆した、ロッドマン“ロッド”・サーリングへのトリビュートになっている。
本作には他にもキャラクター名などに、オリジナルシリーズへのオマージュが散りばめられているのも、オールドファンには嬉しいポイントだ。

猿たち反乱劇とその裏で、人知れず進行するある恐るべき事態によって、やがて人類は滅び、猿達がこの惑星を継ぐ事が示唆されて、物語は幕を閉じる。
本作で素晴らしい仕事をしたワイアット監督は、既に続編のアイディアはあると語っている様だが、はたしてこの新たな「猿の惑星」は、そのままオリジナルへと繋がるのか、それとも新たなパラレルワールドが作られるのだろうか。
確実に作られるであろう次回作を、楽しみに待ちたい。

今回は、サンフランシスコを舞台にした映画なので、この地を代表する地ビール「アンカースチーム」をチョイス。
西海岸の地ビールでは最も高い知名度を誇る歴史ある銘柄だ。
薄味が主流のアメリカンビールの中では、しっかりとしたコクを持つヨーロピアンなテイストが特徴。
このビールで懐柔したら、猿も人類と共存してくれるかもしれない(笑


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ツレがうつになりまして。・・・・・評価額1550円
2011年10月04日 (火) | 編集 |
もしも、愛する人が“うつ病”になってしまったら?
「ツレがうつになりまして。」は、ある日突然夫が心の病にかかってしまった夫婦を描く、細川貂々原作のベストセラーエッセイ漫画の映画化。
「日はまた昇る」などで知られる佐々部清監督は、予期せぬ病と向き合う事になった若い二人の、それぞれの心の変遷を適度なユーモアを交えながら描き出す。
主人公の売れない漫画家ハルさんを宮崎あおい、生真面目な“ツレ”を堺雅人が好演している。

漫画家の高崎晴子(宮崎あおい)は、外資系企業のカスタマーサービスセンターに勤める夫の幹夫(堺雅人)とペットのイグアナの二人と一匹暮らし。
慎ましくも幸せな日々を送っていたが、次第に幹夫の様子がおかしくなる。
繊細で生真面目な幹夫は、うつ病を発症してしまったのだ。
働けなくなった幹夫に変わって、図らずも一家の大黒柱になってしまった晴子は、必死に仕事を得ようとするのだが、連載していた漫画も打ち切りが決まってしまう・・・


「うつは心の風邪」という台詞が出てくるが、確かに周りを見渡しても、風邪と同じ位うつの人がいる。
今、都会で暮らしている社会人で、職場や私生活に全くうつの知人・友人がいないという人はまずいないのではないだろうか。
勿論これは、単に現代人のストレスでうつに罹る人が増えただけでなく、心の病に対する理解が進んだ事で、今までは見過ごされていた人が患者と認定される様になった事が大きいのだろう。

本作の主人公である高崎夫婦は好対照だ。
子供はまだおらず、物言わぬイグアナをペットに、妻ハルさんの趣味であるちょっと古いガラス瓶や、細々した“面白そうな物”に囲まれて暮らしている。
まあ漫画家という仕事からも想像は出来るが、ハルさんは良い意味でちょっとアバウト。
凝り性で、感情を隠さず、直感的な生き方をする女性だ。
対して、夫の“ツレ”こと幹夫は、ハルさんが爆睡している早朝から、毎日会社に持ってゆく弁当を調理し、毎日種類を変える付け合わせのチーズを、曜日ごとに小分けしているほどキッチリした性格。
仕事は外資系ソフトウェア企業の実質的なクレーム担当で、おまけに職場は相次ぐリストラで一人一人の仕事量が激増している状況である。
正に、うつになるべくしてなった、人と環境と言えるだろう。

体調の異変を感じて病院に行ったツレは、そこでうつ病の診断を受ける。
真面目一徹の仕事人間にとってこれはショックだ。
もちろんうつの辛さは男女共通だろうが、特に男性は自分が社会(会社)に必要とされているという、妙な自信が自己存在の拠り所だったりするケースが多いので、会社に行けないイコール自己否定に繋がってしまう。
本作のツレも働く事が出来なくなり、亀の様に布団に篭って泣き暮らし、遂には自殺願望に取り憑かれるほどに追い詰めれれてしまうのである。

そんな時に彼を救うのは、愛妻ハルさんの存在だ。
もちろん、彼女にとっても生活を支えて来た夫が倒れた事は一大事。
改めてプロの漫画家としてお金を稼がねばならなくなり、結果的に自分が何を表現したいのかという根源的テーマに向き合う事になる。
その事がツレとの衝突を生む事にもなるのだが、基本的に彼女は根が楽天的。
葛藤を深めながらも、そこから新しいアイディアを生み出す柔軟な心を持っている。
もしもハルさんがツレに輪をかけた様な真面目人間だったら、こんなにホンワカした映画にはならなかっただろう。
ツレの心を思いやりながらも、ポジティブな未来を信じるハルさんは、心が暗いトンネルに迷い込んでしまったツレにとって、出口へと導いてくれる灯りの様な存在だったのかもしれない。

ハルさんを演じる宮崎あおいがカワイ過ぎる
ぶちゃけ、どんなに辛い仕事でも彼女が家で待ってると思うだけで、気分はハイテンション、うつになんてなり様が無い気もするが、まあそれは性格次第なのだろう。
宮崎あおいと結婚してもうつになっちゃうツレを演じるのは、今や日本映画随一の性格俳優となった堺雅人だ。
この人の微笑は独特の味わいがあるが、今回もその泣き笑いのような表情で、コミカルさを感じさせつつも、心が壊れてゆく様を繊細に演じている。
基本的には困難に直面した夫婦の心のあり様を描いた作品なので、他の登場人物は流れの中で彼らに絡む程度。
上映時間の殆ど、二人が殆ど出突っ張りの状況が続くが、佐々部清監督は病からの回復に必要な長い時間を季節感たっぷりに描き、一本調子に陥る事を防いでいる。

世界観やビジュアルの遊び心も良い。
二人の暮らす昭和を感じさせるレトロな平屋は、手作りのイグアナ小屋や可愛い小物が並び、良い意味で生活感が溢れている。
ハルさんが凝っている古いガラス瓶集めは、実際に細川貂々の趣味だというから、多分生活の描写は原作者の実生活から結構インスパイアされているのかも知れない。
また、ツレがうつになる前は、良くも悪くも曖昧なスタンスで描き続けて来た漫画という表現に、はじめて必死に向き合ったハルさんが、ようやく描くべき物語を見つけたとき、漫画のキャラクターがCGアニメとなって飛び出す、ちょっと「ミス・ポター」を思わせる描写がある。
それまでの流れからはやや異質なので、賛否が別れそうなポイントだが、個人的には映画的ファンタジーとしてアリだと思う。
佐々部監督の作品は、しばしば生真面目過ぎるのと、ストーリーテリングのテンポが悪いのが欠点だが、今回はうまい具合に肩の力が抜け、作家の特質が作品に上手くフィットしているのではないか。

ただし、物語終盤の説明的冗長さ、特に前半ツレを精神的に追い詰めたクレーマーが、講演会で姿を表すシーンの唐突さは気になった。
まあ、あの声の主は何らかの形で絡んでくるのだろうなとは思っていたが、物語の流れから明らかに浮いており、ゲストスターの顔を無理やり見せただけの様な印象になってしまっている。
せっかく気持ちの良い物語の終りに、映画の世界から一気に引き戻されてしまうのはちょっと残念だった。

今回は、遊び心のある和のテイストという事で微発泡日本酒「月うさぎ」をチョイス。
日本酒の重さは微塵も無く、仄かに甘い独特のテイストだ。
この種の微発泡酒は低アルコールで、味も淡白で、ぶっちゃけ酒飲みには全く物足りないのだけど、お腹も心も疲れ切っている様な時には、こんな淡いお酒も良い物である。
そんでもって隣にハルさんみたいな女性がいてくれたら、もう何もいらないんだけど(笑

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