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2011年10月10日 (月) | 編集 |
1995年11月22日は、ピクサー・アニメーション・スタジオによる史上初の劇場用長編3DCGアニメーション映画、「トイ・ストーリー」が公開された日として、映画史に永遠に記録されている。
以来、長編アニメーションにおける世界の趨勢はすっかり手描きのセルアニメーションから3DCGに移り、観客も今では当たり前の表現として受けとめているが、コンピューターが作り出す魅惑的な映像世界は、わずか16年前には誰も観た事が無い物だったのだ。
そして、この映画史上のエポックが生まれるまでには、10年間の苦節の日々があった事はあまり知られていない。
2011年10月5日にスティーブ・ジョブズが56歳の若さで亡くなった。
死去を報じる日本のメディアでは、彼をアップルの元CEO、あるいは会長という肩書で呼び、コンピューター、あるいはiPhoneで世界を変えた男と紹介された物がほとんどだった。
確かにそれは間違いではないが、ジョブズ(Jobs)は名前の通り二つの仕事(Jobs)を持っていた。
一つは勿論アップルCEO、もう一つはピクサーの会長職である。
クパティーノのアップル本社とエマリービルのピクサーを往復するジョブズの自家用ヘリはサンフランシスコ・ベイエリアの名物だった。
彼は企業としてのピクサーの経営に専念し、映画ではほとんどプロデューサーを名乗る事がなかったために、こちらの仕事はアップルの片手間程度に思っている人も多い様だ。
だが、あえて言いたい。
今から四半世紀前、誰も観向きもしなかった3DCGによるキャラクターアニメーションの可能性を見抜き、実験段階の技術に長い時間と資金を投じて、遂に世界中を魅了する素晴らしい芸術として世に送り出し、映画史を永遠に変えたのはジョブズである。
このジャンルにおけるジョブズの功績は、ストーリー漫画の手塚治虫、セルアニメーションのウォルト・ディズニーに匹敵する。
元々ピクサーは、ルーカスフィルムで、主にVFX用CG制作ツールを開発していた部門がそのルーツ。
だが、ルーカスはここから生まれる新しい表現にビジネス的な可能性を見出す事は無かった様で、ピクサーはリストラ対象になってしまう。
この時に買収に手を上げたのがシリコンバレーの若き億万長者、ジョブズである。
ちょうど彼自身もジョン・スカリーとの確執で、自ら設立したアップルを追い出され、日がな一日スタンフォードのカフェに座り、その膨大な資産の使い道を探していた頃。
売却を急ぐルーカスフィルムの思惑と合致し、 たった1千万ドルでCG部門を買収し、ピクサーと名付ける。
当初はCGソフトを含んだハードウェアの開発を手がけていたが、その技術をアピールするために、ディズニー出身の若きアニメーター、ジョン・ラセターらがごく短い実験アニメーションを作っていたのがアニメーションスタジオとしての始まりだ。
ラセターの作った短編を観たジョブズは、ソフトウェアだけでなく、3DCGで作られたアニメーション自体が売り物になると考えるが、そこからすぐに「トイ・ストーリー」に繋がる訳ではない。
当たり前だが、誰も観た事の無い物の魅力を、他人に納得させるのは至難の技だ。
特に当時は「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」などの大ヒットで、ディズニーの手描きアニメーションが再び黄金期を迎え様とする時代。
海の物とも山の物とも知れないデジタルアニメーションに興味を持つハリウッドメジャーなど無かったのである。
また、3DCGの表現力自体もまだまだ未熟で、とても熟成された手描きアニメに勝てる代物では無かった。
だがジョブズは、何とかテレビCMなどの仕事を作りながら、全く儲けを出さないアニメーション部門を支え続けた。
そして1986年の「ルクソールJr.」でCGアニメーションとして初めてアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートを果たすと、1988年の「ティン・トイ」で遂に受賞。
この作品は、人間の赤ちゃんから意思を持ったおもちゃ達が逃げ回るという内容で、実質的に「トイ・ストーリー」のパイロット版としての性格を持っていた。
アカデミー賞を名刺代わりに、ジョブズは本腰を入れて当時彩色技術などで関係を深めていたディズニーとの交渉に挑む。
いわば異業種のハリウッドへの参入、その相手が手描きアニメの総本山であるディズニーだったのも何ともジョブズらしいではないか。
90年前後から、実写のVFXとしてのCGが急速な進化を見せ、デジタル映像に対する認知度が高まって来たのも追い風だったかも知れない。
結局、ジョブズは粘り腰の交渉でディズニーとの提携と配給契約を結ぶ事に成功、更に3年の制作期間を経て遂に「トイ・ストーリー」が世に出るのだが、これが唯一プロデューサー(エグゼクティブ・プロデューサー)としてジョブズがクレジットされた映画である。
10年ほど前に、雑誌のインタビューで「なぜ映画の仕事をするのか?」と聞かれたジョブズは、こう答えている。
「映画の世界はゼロサムじゃないから。コンピュータービジネスには勝者と敗者しかいないんだ。ウィンドウを買った人は、もうマックは買わない。だけど、映画は違う。素晴らしい作品が何本もあれば、人々はそれを全部観る事だってあり得るんだ!」
そうなんだ。
映画は誰もが幸せになれる素敵な仕事なんだ。
ジョブズが死去した時、彼が作り上げたアップルとピクサーは共に公式サイトのトップに追悼のメッセージを掲げたが、そこにあった写真は対象的。
白黒で、眼光鋭いジョブズがシリアスな表情で見つめるアップルに対して、ピクサーの写真は若き日のジョブズを中心に盟友ジョン・ラセターとエド・キャットムルの三人が満面の笑顔で収まっている。
熾烈なIT業界で戦ってきたジョブズにとっては、映画は少し引いた位置から本当に楽しむ事の出来るオアシスの様なビジネスだったのかも知れないが、結果的に彼はこちらでも歴史を作った。
やはり彼はクリエイター、物作りの本質を知っている人だったと思う。
スティーブ、MacやiPhoneも勿論だけど、沢山の素晴らしいアニメーションをありがとう。
貴方のDNAは、今では世界中で作られている3DCGアニメーションの作り手達全てに受け継がれているよ。
しかし、こんなにワクワクをくれる経営者にはもう出会えない気もするな。
同時代を生きられて本当に良かった。貴方の事は、決して忘れない。
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以来、長編アニメーションにおける世界の趨勢はすっかり手描きのセルアニメーションから3DCGに移り、観客も今では当たり前の表現として受けとめているが、コンピューターが作り出す魅惑的な映像世界は、わずか16年前には誰も観た事が無い物だったのだ。
そして、この映画史上のエポックが生まれるまでには、10年間の苦節の日々があった事はあまり知られていない。
2011年10月5日にスティーブ・ジョブズが56歳の若さで亡くなった。
死去を報じる日本のメディアでは、彼をアップルの元CEO、あるいは会長という肩書で呼び、コンピューター、あるいはiPhoneで世界を変えた男と紹介された物がほとんどだった。
確かにそれは間違いではないが、ジョブズ(Jobs)は名前の通り二つの仕事(Jobs)を持っていた。
一つは勿論アップルCEO、もう一つはピクサーの会長職である。
クパティーノのアップル本社とエマリービルのピクサーを往復するジョブズの自家用ヘリはサンフランシスコ・ベイエリアの名物だった。
彼は企業としてのピクサーの経営に専念し、映画ではほとんどプロデューサーを名乗る事がなかったために、こちらの仕事はアップルの片手間程度に思っている人も多い様だ。
だが、あえて言いたい。
今から四半世紀前、誰も観向きもしなかった3DCGによるキャラクターアニメーションの可能性を見抜き、実験段階の技術に長い時間と資金を投じて、遂に世界中を魅了する素晴らしい芸術として世に送り出し、映画史を永遠に変えたのはジョブズである。
このジャンルにおけるジョブズの功績は、ストーリー漫画の手塚治虫、セルアニメーションのウォルト・ディズニーに匹敵する。
元々ピクサーは、ルーカスフィルムで、主にVFX用CG制作ツールを開発していた部門がそのルーツ。
だが、ルーカスはここから生まれる新しい表現にビジネス的な可能性を見出す事は無かった様で、ピクサーはリストラ対象になってしまう。
この時に買収に手を上げたのがシリコンバレーの若き億万長者、ジョブズである。
ちょうど彼自身もジョン・スカリーとの確執で、自ら設立したアップルを追い出され、日がな一日スタンフォードのカフェに座り、その膨大な資産の使い道を探していた頃。
売却を急ぐルーカスフィルムの思惑と合致し、 たった1千万ドルでCG部門を買収し、ピクサーと名付ける。
当初はCGソフトを含んだハードウェアの開発を手がけていたが、その技術をアピールするために、ディズニー出身の若きアニメーター、ジョン・ラセターらがごく短い実験アニメーションを作っていたのがアニメーションスタジオとしての始まりだ。
ラセターの作った短編を観たジョブズは、ソフトウェアだけでなく、3DCGで作られたアニメーション自体が売り物になると考えるが、そこからすぐに「トイ・ストーリー」に繋がる訳ではない。
当たり前だが、誰も観た事の無い物の魅力を、他人に納得させるのは至難の技だ。
特に当時は「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」などの大ヒットで、ディズニーの手描きアニメーションが再び黄金期を迎え様とする時代。
海の物とも山の物とも知れないデジタルアニメーションに興味を持つハリウッドメジャーなど無かったのである。
また、3DCGの表現力自体もまだまだ未熟で、とても熟成された手描きアニメに勝てる代物では無かった。
だがジョブズは、何とかテレビCMなどの仕事を作りながら、全く儲けを出さないアニメーション部門を支え続けた。
そして1986年の「ルクソールJr.」でCGアニメーションとして初めてアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートを果たすと、1988年の「ティン・トイ」で遂に受賞。
この作品は、人間の赤ちゃんから意思を持ったおもちゃ達が逃げ回るという内容で、実質的に「トイ・ストーリー」のパイロット版としての性格を持っていた。
アカデミー賞を名刺代わりに、ジョブズは本腰を入れて当時彩色技術などで関係を深めていたディズニーとの交渉に挑む。
いわば異業種のハリウッドへの参入、その相手が手描きアニメの総本山であるディズニーだったのも何ともジョブズらしいではないか。
90年前後から、実写のVFXとしてのCGが急速な進化を見せ、デジタル映像に対する認知度が高まって来たのも追い風だったかも知れない。
結局、ジョブズは粘り腰の交渉でディズニーとの提携と配給契約を結ぶ事に成功、更に3年の制作期間を経て遂に「トイ・ストーリー」が世に出るのだが、これが唯一プロデューサー(エグゼクティブ・プロデューサー)としてジョブズがクレジットされた映画である。
10年ほど前に、雑誌のインタビューで「なぜ映画の仕事をするのか?」と聞かれたジョブズは、こう答えている。
「映画の世界はゼロサムじゃないから。コンピュータービジネスには勝者と敗者しかいないんだ。ウィンドウを買った人は、もうマックは買わない。だけど、映画は違う。素晴らしい作品が何本もあれば、人々はそれを全部観る事だってあり得るんだ!」
そうなんだ。
映画は誰もが幸せになれる素敵な仕事なんだ。
ジョブズが死去した時、彼が作り上げたアップルとピクサーは共に公式サイトのトップに追悼のメッセージを掲げたが、そこにあった写真は対象的。
白黒で、眼光鋭いジョブズがシリアスな表情で見つめるアップルに対して、ピクサーの写真は若き日のジョブズを中心に盟友ジョン・ラセターとエド・キャットムルの三人が満面の笑顔で収まっている。
熾烈なIT業界で戦ってきたジョブズにとっては、映画は少し引いた位置から本当に楽しむ事の出来るオアシスの様なビジネスだったのかも知れないが、結果的に彼はこちらでも歴史を作った。
やはり彼はクリエイター、物作りの本質を知っている人だったと思う。
スティーブ、MacやiPhoneも勿論だけど、沢山の素晴らしいアニメーションをありがとう。
貴方のDNAは、今では世界中で作られている3DCGアニメーションの作り手達全てに受け継がれているよ。
しかし、こんなにワクワクをくれる経営者にはもう出会えない気もするな。
同時代を生きられて本当に良かった。貴方の事は、決して忘れない。

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