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2011年11月01日 (火) | 編集 |
音楽が繋ぐ、血脈の絆。
アメリカ中部、オザーク高地の村を舞台に、貧しく閉鎖的な社会に暮らす一人の少女の、孤独な戦いを描いたハードなヒューマンドラマ。
ダニエル・ウッドレルの原作小説を、これが長編二作目となるデブラ・グラニック監督がプロデューサーのアン・ロッセリーニと共同で脚色し、映画化した。
主人公の少女、リーを演じるのは「あの日、欲望の大地で」「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の若き演技派、ジェニファー・ローレンス。
サンダンス映画祭グランプリ、本年度アカデミー賞主要4部門ノミネートなど、多くの映画賞に輝いた話題作だ。
ミズーリ州オザーク高地。
リー・ドーリー(ジェニファー・ローレンス)は17歳にして、幼い弟妹と心を病んだ母親の生活を支えている。
父親はドラッグの密造で逮捕され、保釈後に行方不明になった。
ある日、保安官の訪問を受けたリーは、家と土地が父の保釈金の担保になっており、彼が裁判に出廷しなければ、家を失う事を告げられる。
生活を守るために父の行方を捜し始めたリーは、貧困と犯罪が渦巻くオザークのダークサイドに足を踏み入れてゆく・・・
冒頭、主人公の住む薄汚れたログハウスの描写と共に、哀愁を帯びた素朴なメロディが流れる。
アメリカの音楽に詳しい人なら、これがミズーリ州の州歌でもある「ミズーリ・ワルツ」である事に気づくだろう。
元々この歌は、この地の吟遊詩人によって歌い継がれてきた、ヒルビリーと呼ばれる民謡の一つだった。
後に、カントリーミュージックの原型となるヒルビリーを生み出し、その名の由来となったのは、19世紀半ば以降にアメリカに渡って来たスコットランド人の農民たちだ。
遅れてきた移民である彼らは、肥沃な平地を購入することが出来ず、ある者はゴールドラッシュに沸く西部を目指し、ある者はアメリカ東部から中部にかけて広がるアパラチア・オザークの山間に入植し、ヒルビリーと呼ばれる様になる。
寒冷な山の入植地では、当然ながら穀物は十分に育たず、牧畜や狩猟などで補って何とか食つなぐが、やがて中西部の大穀倉地帯が開けると、山間の小規模農家はますます孤立する。
いくら働いても生活は豊かにならず、故郷から持って来た楽器で音楽を奏で、密造酒をあおって気を紛らわせる。
そんな山の民の音楽が、南部アフリカ系音楽と融合する事で独特の民謡音楽、ヒルビリーが生まれたのである。
更にアメリカ各地の様々な音楽の要素を取り入れて、今日のカントリーミュージックが確立するのは、20世紀に入りラジオが普及した以降の事だ。
言わば貧困が生み出した音楽であるが、実際この地方は今でも貧しいままだ。
主要産業である炭鉱は、第二次世界大戦後に閉山と機械化によって雇用が激減、それに代わる産業も育たなかったため、慢性的に失業率が高い。
主人公のリーの家も犯罪に手を染めた父親が失踪し、廃人同様になってしまった母と幼い弟妹の面倒を一人で見ているために学校にも行けない。
馬の干草すら買えず、森でリスを撃ったり、隣家の好意に甘えたりして、最低限の食べ物だけは確保する綱渡りの日々。
軍隊に入ることも考えたが、訓練所に家族を連れて行くことは出来ないと、あっさり門前払いされてしまう。
彼女の抱えている状況を見ると、これが世界で最も強大で、最も裕福な国の物語とはとても思えない。
まるで第三世界の映画を観ている気分になるが、これもまたアメリカの持つ秘められた一面である。
既に人生お先真っ暗、八方ふさがりの状況の中、更なる困難がリーを襲う。
失踪した父が、家族の暮す家と土地を担保に保釈金を捻出していた事が分かり、彼が裁判当日に出廷しないと、逃亡したとみなされて一週間で家を没収されてしまうのだ。
そうなっても何処にも行く当てのないリーは、家族を守るために父の行方を捜し始める。
しかし、村中ほぼ親戚だらけで、その殆んどがならず者として犯罪で生計を立てている特殊な社会である。
当然リーの探索は歓迎されず、それどころかあちこちで妨害や脅しにあう始末。
やがて彼女は、どうやら父が一族の掟を破り、共犯者の名前を当局に売ったことで、密かに処刑されたらしい事を知る。
その悲劇的な事実すら、リーにとってはもはや驚くべき事ではなく、父が死んだなら死んだで、今度はその証拠として死体を探し出さねばならないのだ。
否応無しに、一家の主として振舞わざるを得ない彼女は、もはや若き肝っ玉母さんとして何者をも恐れず突き進むしかない。
そして、その行動は周囲との更なる軋轢を生み出すことになるのである。
ここで面白いのは、彼らの社会では男があまり前面に出てこない事だ。
リーの伯父で、一族の間でも恐れられているらしいティアドロップが、男性キャラクターで唯一能動的な役割を果たし、物語の終盤でリーの助けとなるが、基本的に男たちは裏社会で蠢いている得体の知れない存在として描かれる。
接触する事すら難しい閉鎖世界に引きこもった男たちに代わって、この作品の中で現実と向き合い、人生という物語を前に動かしているのは女たちだ。
主人公のリーは勿論のこと、乳飲み子を抱えながら彼女に手を貸す友人のゲイルも、一族のボスの妻で、リーに容赦なく制裁を加えるメラブも、それぞれの立場でしっかりと地に足をつけた強い女として描かれる。
永遠の冬に閉ざされた様な、何処にも希望の見えない世界の中でも、彼女たちはそれぞれの“守るべきもの”を認識し、そのためには犠牲も厭わない。
タイトルの「ウィンターズ・ボーン」の意味が明かされる瞬間、リーもまた悲しい壁を越え、父を探す孤独な戦いは、図らずも彼女にとってヒルビリーの伝統を受け継ぐ一人の女として、自立への道となるのである。
リーを演じるジェニファー・ローレンスの、凛とした目力が凄みを感じさせる。
当初、キレイすぎて山奥の娘には見えないと言われた彼女は、最終選考のあったニューヨークの会場にわざと深夜の直行便で駆けつけ、充血してギラギラした目でオーディションに挑んでこの役を勝ち取ったと言う。
見上げた女優根性ではないか。
彼女の作り上げたリーは、どんな絶望的な逆境にもめげず、傷だらけになっても家族のために立ち上がり、過酷な人生の試練に向かい合うタフさを見せる。
彼女の明日に待つものは一体何か。
この映画に悪役はいない。
あるのは因習と貧困が齎す絶望と、その中で懸命に生きている人間たちの姿だ。
たとえリーが家を失わなかったとしても、自転車操業のその日暮らしは変わらず、彼女自身にも、弟や妹にも豊かで満ち足りた未来があるとは思えない。
しかし、自ら傷つくことを恐れない彼女の必死の行動に、全てを諦めていたティアドロップが心の動揺を見せ、彼女の家に愛しげに小さな命を運び込む事に、微かな救いを感じる。
永遠の冬も、いつも吹雪だとは限らない。
代々受け継がれたバンジョーの奏でる素朴な音色は、厳しい土地に生きてきた逞しい人間の魂の音色だ。
希望はまだ見えない。
だが、リーが貫き通した強い心さえあれば、絶望に負けない事は出来るのである。
今回は、ヒルビリーの故郷スコットランドからスコッチウィスキーの代表的銘柄「グレンフィディック 18年エンシェントリザーブ」をチョイス。
スムースでフルーティな甘みと、パワフルだが温かみのあるフルボディな味わいは、まるでヒルビリーの女たちの様だ。
素晴らしい出来栄えのサントラを聞きながら、じっくりと味わいたい。
そう言えば、クシャクシャの札束で保釈金の残りを払ったのは、結局誰だったんだろう。
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アメリカ中部、オザーク高地の村を舞台に、貧しく閉鎖的な社会に暮らす一人の少女の、孤独な戦いを描いたハードなヒューマンドラマ。
ダニエル・ウッドレルの原作小説を、これが長編二作目となるデブラ・グラニック監督がプロデューサーのアン・ロッセリーニと共同で脚色し、映画化した。
主人公の少女、リーを演じるのは「あの日、欲望の大地で」「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の若き演技派、ジェニファー・ローレンス。
サンダンス映画祭グランプリ、本年度アカデミー賞主要4部門ノミネートなど、多くの映画賞に輝いた話題作だ。
ミズーリ州オザーク高地。
リー・ドーリー(ジェニファー・ローレンス)は17歳にして、幼い弟妹と心を病んだ母親の生活を支えている。
父親はドラッグの密造で逮捕され、保釈後に行方不明になった。
ある日、保安官の訪問を受けたリーは、家と土地が父の保釈金の担保になっており、彼が裁判に出廷しなければ、家を失う事を告げられる。
生活を守るために父の行方を捜し始めたリーは、貧困と犯罪が渦巻くオザークのダークサイドに足を踏み入れてゆく・・・
冒頭、主人公の住む薄汚れたログハウスの描写と共に、哀愁を帯びた素朴なメロディが流れる。
アメリカの音楽に詳しい人なら、これがミズーリ州の州歌でもある「ミズーリ・ワルツ」である事に気づくだろう。
元々この歌は、この地の吟遊詩人によって歌い継がれてきた、ヒルビリーと呼ばれる民謡の一つだった。
後に、カントリーミュージックの原型となるヒルビリーを生み出し、その名の由来となったのは、19世紀半ば以降にアメリカに渡って来たスコットランド人の農民たちだ。
遅れてきた移民である彼らは、肥沃な平地を購入することが出来ず、ある者はゴールドラッシュに沸く西部を目指し、ある者はアメリカ東部から中部にかけて広がるアパラチア・オザークの山間に入植し、ヒルビリーと呼ばれる様になる。
寒冷な山の入植地では、当然ながら穀物は十分に育たず、牧畜や狩猟などで補って何とか食つなぐが、やがて中西部の大穀倉地帯が開けると、山間の小規模農家はますます孤立する。
いくら働いても生活は豊かにならず、故郷から持って来た楽器で音楽を奏で、密造酒をあおって気を紛らわせる。
そんな山の民の音楽が、南部アフリカ系音楽と融合する事で独特の民謡音楽、ヒルビリーが生まれたのである。
更にアメリカ各地の様々な音楽の要素を取り入れて、今日のカントリーミュージックが確立するのは、20世紀に入りラジオが普及した以降の事だ。
言わば貧困が生み出した音楽であるが、実際この地方は今でも貧しいままだ。
主要産業である炭鉱は、第二次世界大戦後に閉山と機械化によって雇用が激減、それに代わる産業も育たなかったため、慢性的に失業率が高い。
主人公のリーの家も犯罪に手を染めた父親が失踪し、廃人同様になってしまった母と幼い弟妹の面倒を一人で見ているために学校にも行けない。
馬の干草すら買えず、森でリスを撃ったり、隣家の好意に甘えたりして、最低限の食べ物だけは確保する綱渡りの日々。
軍隊に入ることも考えたが、訓練所に家族を連れて行くことは出来ないと、あっさり門前払いされてしまう。
彼女の抱えている状況を見ると、これが世界で最も強大で、最も裕福な国の物語とはとても思えない。
まるで第三世界の映画を観ている気分になるが、これもまたアメリカの持つ秘められた一面である。
既に人生お先真っ暗、八方ふさがりの状況の中、更なる困難がリーを襲う。
失踪した父が、家族の暮す家と土地を担保に保釈金を捻出していた事が分かり、彼が裁判当日に出廷しないと、逃亡したとみなされて一週間で家を没収されてしまうのだ。
そうなっても何処にも行く当てのないリーは、家族を守るために父の行方を捜し始める。
しかし、村中ほぼ親戚だらけで、その殆んどがならず者として犯罪で生計を立てている特殊な社会である。
当然リーの探索は歓迎されず、それどころかあちこちで妨害や脅しにあう始末。
やがて彼女は、どうやら父が一族の掟を破り、共犯者の名前を当局に売ったことで、密かに処刑されたらしい事を知る。
その悲劇的な事実すら、リーにとってはもはや驚くべき事ではなく、父が死んだなら死んだで、今度はその証拠として死体を探し出さねばならないのだ。
否応無しに、一家の主として振舞わざるを得ない彼女は、もはや若き肝っ玉母さんとして何者をも恐れず突き進むしかない。
そして、その行動は周囲との更なる軋轢を生み出すことになるのである。
ここで面白いのは、彼らの社会では男があまり前面に出てこない事だ。
リーの伯父で、一族の間でも恐れられているらしいティアドロップが、男性キャラクターで唯一能動的な役割を果たし、物語の終盤でリーの助けとなるが、基本的に男たちは裏社会で蠢いている得体の知れない存在として描かれる。
接触する事すら難しい閉鎖世界に引きこもった男たちに代わって、この作品の中で現実と向き合い、人生という物語を前に動かしているのは女たちだ。
主人公のリーは勿論のこと、乳飲み子を抱えながら彼女に手を貸す友人のゲイルも、一族のボスの妻で、リーに容赦なく制裁を加えるメラブも、それぞれの立場でしっかりと地に足をつけた強い女として描かれる。
永遠の冬に閉ざされた様な、何処にも希望の見えない世界の中でも、彼女たちはそれぞれの“守るべきもの”を認識し、そのためには犠牲も厭わない。
タイトルの「ウィンターズ・ボーン」の意味が明かされる瞬間、リーもまた悲しい壁を越え、父を探す孤独な戦いは、図らずも彼女にとってヒルビリーの伝統を受け継ぐ一人の女として、自立への道となるのである。
リーを演じるジェニファー・ローレンスの、凛とした目力が凄みを感じさせる。
当初、キレイすぎて山奥の娘には見えないと言われた彼女は、最終選考のあったニューヨークの会場にわざと深夜の直行便で駆けつけ、充血してギラギラした目でオーディションに挑んでこの役を勝ち取ったと言う。
見上げた女優根性ではないか。
彼女の作り上げたリーは、どんな絶望的な逆境にもめげず、傷だらけになっても家族のために立ち上がり、過酷な人生の試練に向かい合うタフさを見せる。
彼女の明日に待つものは一体何か。
この映画に悪役はいない。
あるのは因習と貧困が齎す絶望と、その中で懸命に生きている人間たちの姿だ。
たとえリーが家を失わなかったとしても、自転車操業のその日暮らしは変わらず、彼女自身にも、弟や妹にも豊かで満ち足りた未来があるとは思えない。
しかし、自ら傷つくことを恐れない彼女の必死の行動に、全てを諦めていたティアドロップが心の動揺を見せ、彼女の家に愛しげに小さな命を運び込む事に、微かな救いを感じる。
永遠の冬も、いつも吹雪だとは限らない。
代々受け継がれたバンジョーの奏でる素朴な音色は、厳しい土地に生きてきた逞しい人間の魂の音色だ。
希望はまだ見えない。
だが、リーが貫き通した強い心さえあれば、絶望に負けない事は出来るのである。
今回は、ヒルビリーの故郷スコットランドからスコッチウィスキーの代表的銘柄「グレンフィディック 18年エンシェントリザーブ」をチョイス。
スムースでフルーティな甘みと、パワフルだが温かみのあるフルボディな味わいは、まるでヒルビリーの女たちの様だ。
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