酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ALWAYS三丁目の夕日'64・・・・・評価額1650円
2012年01月28日 (土) | 編集 |
理想の昭和に逢える街、それが夕日町三丁目。

世界の映画史に類を見ないノスタルジックテーマパーク映画、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ第三作。
昭和33年の東京下町・夕日町三丁目を舞台に、建設中の東京タワーが戦後日本の復興と希望を象徴していた第一作、翌昭和34年の三丁目の人々のその後を描いた第二作
あれから早5年が過ぎ、映画の中でも東京オリンピックの到来と共に、いよいよ昭和30年代が終わりを告げ、作品と共に成長してきた登場人物たちの人生にも、大きな転機が訪れようとしている。
日本人の郷愁を誘う昭和のビジュアルは相変わらず出色の出来だが、世界観の定着と共に見世物的興味は薄れ、逆に物語は熟れてきて三丁目の住人たちの人生劇場は観応え十分。
また三作目にして現代へ向けた視点を持ったのも特徴で、内容的にはシリーズベストの仕上がりと言える。

1964年10月。
東京オリンピック開幕を控え、日本中が熱気に包まれている頃、夕日町三丁目では人々が多少浮き足立ちながらもいつも通りの生活を営んでいる。
小説家の茶川(吉岡秀隆)と結婚したヒロミ(小雪)のお腹には新しい命が宿り、高校生になった淳之介(須賀健太)は東大を狙えるほどに成績優秀だが、茶川の顔色は晴れない。
連載中の雑誌に、新進気鋭のライバルが登場し、人気の低迷している茶川の小説は打ち切り寸前なのだ。
淳之介は、そんな茶川の期待に応えようと、東大を目指して受験勉強中だが、内心では小説家になる夢を捨てられないでいる。
一方、鈴木オートに勤める六子(堀北真希)は、ふとした切っ掛けで出会った医師・菊池(森山未來)にほのかな恋心を抱くのだが・・・


第一作の時にも書いたが、私はこの作品の企画は原恵一監督の大傑作、「クレヨンしんちゃん 嵐をよぶモーレツ!大人帝国の逆襲」にインスパイアされて生まれたのではないかと思っている。
あの映画は、過去にこそ理想の世界があったと考える一団が、懐かしの昭和レトロを再現したテーマパークを作り、洗脳された春日部の大人たちとともに引き篭もってしまい、外の世界に取り残されたしんちゃんたちが、過去の幻影から未来を取り戻すべく奮闘する物語だった。
昭和という時代から、貧困や公害、治安の悪さなどのネガティブな部分を極力排除し、あくまでも美しくノスタルジックな思い出だけを抽出した理想郷を作るというアイディアは、言わば映像で観る昭和テーマパークという第一作のコンセプトに共通する。
実際、VFXで作り出された昭和33年の風景は、日本人の心の琴線に触れるとても魅力的な物だった。

だが、第一作は映像の見事さに比較して、明らかに物語が負けていたのも事実。
おまけに夕日町三丁目という舞台の縛りがある以上、世界観だけで映画を引っ張るには限界があるのは明らかである。
もちろん、そんな事は作り手も十分承知していたのだろうが、このシリーズは二作目、三作目と尻上がりに物語の完成度を高めてきた。
すっかり世界に馴染んだレギュラーの登場人物を使って、本作で山崎貴監督が描くのは「幸せってなんだろう?」というシンプルだがなかなかに深いテーマ。
今回は、鈴木オートに勤める六子の恋と、茶川家で育った淳之介の夢と現実という、物語を貫く二本のバックボーンを通して、それぞれの家族が本当の幸せを掴むために葛藤する姿が描かれる。

六子が恋する医師・菊池は、一見するとお洒落な遊び人だが、実は勤務先に睨まれながらも貧困層への無償医療のボランティアに取り組み、将来は故郷の寒村の診療所を継ごうとしている誠実な青年だ。
医師という肩書きはあっても、もし彼と結婚すれば、都会で裕福な生活をする道は閉ざされてしまう。
また血の繋がらない茶川に育てられた淳之介は、小説家になりたいと言う自分自身の夢と、彼に東大に進学して欲しいと言う茶川の願いとの狭間で悩む。
実質ヒロミのヒモの様な生活をしている茶川は、淳之介に自分の轍を踏ませたくないと言うのだが、それは淳之介にとっては憧れていた小説家としての茶川の自己否定に見える。
一体、人はどう生きれば幸せになれるのか。
山崎貴と古沢良太の脚本は、前作以上に練りこまれており、今まで描かれなかった茶川と父とのエピソードが、淳之介に対するある行動と繋がるなど、物語の伏線は丁寧に張り巡らされ、人間ドラマとしての仕上がりも上々。
それぞれの内面の葛藤が物語のテーマに収束する手際も良い。

本作の描く1964年は、高度成長期のど真中。
この国の社会が、生活が、そして何よりも人々の価値観が大きく変わった大変革期であり、東京オリンピックの開催や、東海道新幹線の開業があったこの年は、なるほど一つの時代を象徴するに相応しい。
日本人は、その日その日を必死に生きる戦後の貧さから解放され、将来を見据える余裕を持った事によって、物質的な豊かさと心の豊かさの分岐点に差し掛かったのである。
「幸せってなんでしょうなあ?」と問いかける、三浦友和演じる町医者の宅間先生の言葉がこの映画のキモだ。
みんなが上ばっかり見てる時代。
しかし幸せになるとは、お金持ちになるとか、出世するとか、そういう物質的な事だけなのだろうか。
山崎監督は、1964年の三丁目の人々を通して、この単純だが簡単ではない問いを現代の我々にも投げかける。

この時代があって、今がある。
真っ赤な夕日は48年前と変わらないとしても、他はどうか。
果たして日本人は、今まで本当に幸せになる道を選択してきたのだろうか。
見世物的昭和テーマパークだった第一作、ビジュアル中心から物語重視にシフトし、登場人物に血を通わせた第二作を経て、このシリーズは遂に現代から過去への一方的ノスタルジーを超えて、過去から現代へと通じるクリティカルな双方向性を獲得した。
山崎貴監督作品としても、ベストの出来栄えと言っても良いのではないだろうか。
噂によれば、第四作の舞台となるのは大阪万博のあった1970年だとか。
なるほど、1973年のオイルショックによって高度成長期が終わりを告げる直前にして、昭和レトロという括りからすると、ギリギリの時代であり、おそらくは最終作となるのだろう。
今まで劇中での経過時間と現実での経過時間を殆ど合わせてきたことからすると、制作されるのは5年後?
果たしてその時我々は、どの様な感慨を持って郷愁の昭和を眺める事になるのだろうか。

今回は、平成に蘇った昭和レトロの代表格、「ハイボール」をチョイス。
元々は昭和30年代に生まれたトリスバーの主力商品として、トリスウィスキーのハイボールが流行った事から日本で広まった。
私が酒を飲み始めた頃には、既にレトロなオヤジの飲み物だったが、本作にも出演している小雪のCMで、再び人気に火がつきリバイバルブーム。
冷蔵庫でキンキンに冷やしたウィスキーとソーダを1:3の割合で氷を入れたグラスに注ぐ。
泡立てず、マドラーでスッと一回だけ混ぜる。
お好みでレモンピールで香り付けすると、よりスッキリとした印象になる。

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琉神マブヤー THE MOVIE 七つのマブイ・・・・・評価額1550円
2012年01月24日 (火) | 編集 |
ウチナーがあぶない~♪

沖縄生まれのローカルヒーロー、「琉神マブヤー」まさかの映画化である。
テレビシリーズの続編ではなく、1stシーズンのリメイク的なオリジナルストーリーなので、これが初マブヤーの人でも安心して楽しめる。
全国公開の映画になっても、独特のゆるゆるなムードは相変わらずで、ビジュアルも「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」の映画版と比べてもかなりチープだが、本作の世界観ではそれがマイナスにはなっていない。
監督と脚本は佐野智樹と福原充則と本土の人材に代わっているものの、沖縄のマブイ(魂)はしっかりと受け継がれている様だ。
*ネタばれ注意。

ヒーローショーに出演しているウルマ(山田新太郎)は、いつかヒーロー役を演じたいと思っているが、バック転も出来ない運動音痴で、おまけに意思も弱いというダメ男。
主役のサイオン(ISSA)のやられ役すら満足にこなせず、仲間にも足手纏い扱いされ、密かに想いを寄せるアイリ(福本ジュディ幸子)に慰められる惨めな日々。
ところが、ひょんな事からウルマの中に、琉球王国の昔から沖縄の人々を悪の軍団マジムンから守ってきた守護戦士、琉神マブヤーのマブイが宿ってしまう。
復活したマジムンのボス、ハブデービル(ゴリ)はマブヤーを倒して沖縄にマジムン王国を作ろうとするのだが・・・


「琉神マブヤー」は、本作のエグゼクティブ・プロデューサーでもあり、沖縄でお土産物を扱う南西産業社長の畠中敏成が、「男の子向けのご当地キャラクターグッズを」と発案した事から生まれたという。
当初は早朝放送のテレビドラマと、本作で描かれた様なヒーローショーの二本立てで認知度をあげ、やがて沖縄での大ブームと共に徐々に本土でも知られる様になった。
そして2009年のディレクターズカット版DVDによって、漸く沖縄以外でもマブヤーが観られる様になると、一部でカルト的な人気を博す様になるのである。

実際、初めてドラマ版のマブヤーを観た時の驚きは忘れられない。
本作のヴィランであるマジムンたちは、沖縄の地霊というか、荒ぶる神々の様な存在だ。
彼らの目的は自然を破壊する人間から沖縄を取り戻すことで、人間を自滅させる為に沖縄の人々が大切にしてきたマブイを奪おうとする。
マブイは勾玉の様な秘宝、マブイストーンに宿り、これを奪われるたびに、方言であるとか、旅人を思いやる心とか、沖縄が大切にして来た価値観や文化を忘れてしまう。
沖縄の守護戦士であるマブヤーは、奪われたマブイを取り戻し、沖縄の人々のために平和を守ろうとする。

つまりマジムンもマブヤーも世界の見方が違うだけで、どちらも郷土LOVEは変わらない。
マジムンたちにマブイを奪われる事によって、普段当たり前と思っている沖縄の魂の美しさを教えられたマブヤーは、最終回において遂にマジムンのボス、ハブデービルに向かって「ありがとう」と言うのである。
単純な勧善懲悪がもはや成立しない時代、なぜ戦うのかという理由付け、そしてヴィランとの決着をどうつけるのかという落とし方が、ヒーロー物にとって極めて重要なのは言うまでもないが、敵を許すどころか感謝するヒーローというのは前代未聞だ。
一方の正義は他方からすれば悪かも知れないし、敵を倒すことで新たな憎しみが生まれ、それはいつかお互いを滅ぼすかもしれない。
だが、憎み奪おうとしている相手から「ありがとう」と言われれば、もはやどちらも戦う意味を見出す事が出来ない。
歴史上幾度となく、日本、中国、アメリカといった大国の角逐に巻き込まれてきた、小さな島国が培った文化の懐の深さ。
私はテレビシリーズの見事なオチに、大げさで無く「ダークナイト」に匹敵する衝撃を感じたのである。

映画は、ドラマ版のマブイストーンを、マブイを司る七つ星の星座、マブイスターに置き換え、全体をコンパクトに再構成しつつ、ドラマ版のテーマを別の切り口で見せてくれる。
今回はマブヤーに変身するウルマを、戦いを嫌がるヘタレのダメ男に設定し、彼の成長物語が物語のバックボーンとなるが、ライバル的キャラクターとしてISSA演じる“龍神ガナシー”が登場し、対照的な性格のダブルヒーロー物となっているのも見もの。
マジムン軍団にもジンベエーダーなる新キャラクターが登場し、彼が強烈な吸引力でマブイスターを吸い寄せ、飲み込んでしまう事で、人々のマブイが奪われる。
しかし、その吸引力が巨大隕石というマジムンたちも予期せぬ大きな災厄を引き寄せてしまい、沖縄そのものが消滅の瀬戸際に晒されてしまう。
沖縄の危機に対して、ヒーローとヴィランが、お互いに守りたいと思っている物が実は同じであるという事に気付き、力を合わせて“ゆいまーる”(沖縄古来の相互補助)を組むクライマックスは緊迫感もあり、映像のチープさを物語のテーマ性が補って余りある。

ただ、本作を単体の映画として観れば、幾つか残念な部分も感じた。
例えば、主人公のウルマをダメ男に設定するのはまあ良いとしても、いくらなんでもヘタレっぷりの度が過ぎている。
「こ、こわいんです」「ぼくには戦えません」などという碇シンジ的セリフは、巨大な使徒ならともかく、半分ユルキャラのマジムン相手に言ってもあんまり説得力がない。
彼のウジウジした葛藤を描くのにこれ程時間を使うなら、もう少しマジムンが奪おうとする七つのマブイ「勉、健、食、勇、忠、忍、情」の意味をきっちりと描いて欲しかった。
沖縄の人々には言葉だけでわかるにしても、ドラマ版を知らない本土の人には今ひとつピンと来ないだろう。

まあ、一般的な映画評価の基準で言えば珍品には違いないし、やはりテレビの1stシーズンほどのインパクトは無いものの、この作品の持つ深い精神性と娯楽性の融合は見事だ。
マブヤー誕生に大きな影響を与えたという、秋田のヒーロー“超神ネイガー”とのローカルヒーロー同士の共演や、沖縄神話の最高神、キンマムンさま役で友情出演の仲間由紀恵ら、何気に細かい所まで豪華な沖縄ゆかりの出演者たちを観るのも楽しい。
子供たちはもちろん、付き添いのお父さん、お母さんも思わず夢中になってしまうだろう。

今回はマジムンも大好きな沖縄のビール、「オリオン ドラフト生」をチョイス。
アサヒビールとの提携後、本土でもオリオン銘柄のビールは売られるようになってきたが、実は本土で買えるオリオンは殆どアサヒビールのOEM。
そして、明らかに沖縄の名護工場産のホンモノとは味が異なるので、本土のオリオンしか知らない人は、是非ホンモノを飲んでみて欲しい。
勿論ビールも地のものだから、沖縄で飲むのが格別なのだが、これだけでも南国気分は味わえる。
ラフテーや海ぶどうでも摘みながら、オリオンを飲んでいれば、確かに争い事などバカらしくなってしまうだろう。

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ロボジー・・・・・評価額1650円
2012年01月19日 (木) | 編集 |
ロボット爺ちゃん、がんばる。

「ひみつの花園」「スイングガールズ」などの作品で知られる矢口史靖監督の最新作は、畑違いのロボット開発を命じられた技術者が、破れかぶれで着ぐるみロボットの中に老人を入れてしまうという痛快なコメディ映画。
シンプルなアイディアから広がる物語は、いかにも万人受けしそうなライトなテイストだが、矢口監督は独居老人の問題や企業の捏造文化といった現代日本の世相を物語に巧みに盛り込み、適度なリアリティと皮肉を隠し味にしており、作品の仕上がりはなかなかにハイレベルだ。
*一部ネタバレ注意。

白物家電メーカーの木村電気に勤める小林(濱田岳)、太田(川合正悟)、長井(川島潤哉)の三人は、ワンマン社長の思いつきで専門外のロボット開発を命じられ、悪戦苦闘。
参加予定のロボット博を一週間後に控えて、漸く完成した試作ロボットの“ニュー潮風”をミスで大破させてしまう。
追い詰められた三人は、急場しのぎに一人暮らしの老人・鈴木(五十嵐信次郎)をロボットの中に入れ、とりあえずパフォーマンスさせようとする。
ところがロボット博の会場で、ニュー潮風が機械オタクの大学生、佐々木葉子(吉高由里子)を事故から危機一髪救った事がマスコミに取り上げられ、ニュー潮風は全国から引っ張りだこになってしまう・・・


物語の発想は「リアル・スティール」の原作にもなった、リチャード・マシスンの短編小説「四角い墓場」を思わせる。
小説では、ロボット格闘技の試合直前に肝心のロボットが故障し、やむを得ずオーナーの元ボクサーが、ロボットのフリをして試合に出場する。
この話をハリウッドの王道の父子物の構造に作り変え、派手な格闘アクションたっぷりに映像化したのが「リアル・スティール」なら、同じ様なネタを少子高齢化の日本で作るとこうなるという訳だ(笑

チビ・デブ・ヤセとわかりやすりルックスを持つ家電メーカーの技術者トリオが、試作品のロボットが壊れた事を隠すために、一回だけのつもりで老人にロボットを演じさせるものの、なぜか人気者となってしまい、今更インチキでしたとも言えずにドツボにハマってゆく。
一つの小さな嘘が、どんどんと想定外の波紋を広げ、収拾不可能になるという物語の構造は、サスペンス映画などの王道の一つだが、これは実に上手く軽妙な笑いに結びつけている。
まあ、本当にこんな事をやったら、いくらなんでもバレない訳はない気もするが、実際最近の二足歩行ロボットは凄いのだ。
私もホンダの二足歩行ロボット、アシモのパフォーマンスを初めて見た時には、あまりにも滑らかで人間的な動きに、「もしかして小さい人が入ってるんじゃ・・・」と疑った事があるから、この映画の設定にもそれなりに納得できる。

主演は、予告編を観た時からずっとミッキー・カーチスだと思っていたら、エンドクレジットには“五十嵐信次郎”という見知らぬ名前が。
何でもハーフ故に純和風の名前に憧れていたカーチスは、意外にもオーディションで掴んだという本作の主演を第二のデビューと考えて、新たな芸名にしたのだとか。
しかも偽物のロボットの中の人が“しんじろー”とは、洒落が効いているではないか(笑
彼の演じる鈴木重光は、とにかく頑固で偏屈で、自分がいないと小林たちが困るのをいいことに、VIP待遇を要求するお調子者でもある。
だが、一人暮らしの彼は家族とも距離があり、自分の居場所を見つけられない孤独な老人という背景がしっかりと描かれているので、単なる意地悪爺さんというだけではなく、感情移入を誘う魅力的なキャラクターとなっている。

映画は、図らずもニュー潮風を人気者にしてしまった小林たち技術者トリオと鈴木老人の珍道中と、ロボット博の会場で助けられた事で、すっかりニュー潮風ファンになってしまい、ストーカーの様に追いかける理系大学生の佐々木葉子を交互に描いてゆく。
やがて、葉子が自分の通う大学の特別講義を小林たちに依頼する事を切っ掛けにして、物語は収束点に向かって動き出すのである。
最初は所詮学生と舐めてかかったものの、自分たちよりもずっとロボットに精通した若者たちに圧倒された小林たちは、質疑応答に託けて学生たちに本物のロボットの設計をやらせてしまうのだから面白い。
だが、本物が完成するという事は、鈴木老人にとっては再び自分の居場所を失うという事でもある。
そして、ある事件によってニュー潮風に“失恋”した葉子が、その中身が人間である事に気付いてしまい、怒り心頭でインチキを暴きたてようとする。
かくして、技術者トリオ、鈴木老人、葉子とそれぞれの登場人物の葛藤の高まりと共に、映画はいよいよクライマックスへ突入する。

まあ物語の構造から言っても、広げ過ぎた嘘の後始末を一体どうやってつけるのかが最大の見物という事になるのだが、結果的にニュー潮風の危機を救うのは、やはり鈴木老人なのだ。
それまで小林たちのインチキをマスコミに暴こうとしていた葉子を、今度は生身の鈴木老人が再び事故から救い、その瞬間に彼女は彼がニュー潮風の中の人であり、決して悪意ある人物ではない事を悟るのである。
このシーンは前半のロボット博のシーンと綺麗な対になっているが、本作では中盤のコスプレイヤーとの絡みなど、一見すると本筋に関係なさそうな描写まで、無駄なく伏線として機能して、最後の最後にキッチリ回収され効いてくる。
最終的には、思い直した葉子の計略によって、ニュー潮風はホンモノのロボットである事が証明されるのだが、そこに至るまでの巧みな脚本構成には唸らされた。

ただ、主人公の小林たちの行動原理は、基本的に失敗を取り繕うためという後向きの姿勢のままであり、更に撮影終了後に3.11が起こるという不運を差し引いても、企業のウソと隠蔽体質という、昨今の現状を考えると単にネタでは済まされない問題への踏み込みは弱く、後味にやや引っかかる部分を残す。
小林たちのやった事に憤っていた葉子まで、就職したらすっかりその色に染まっているのは、矢口流の現状への皮肉なのだと思うが、社会問題を物語に取り込むなら、もう少し作家のスタンスを明確にしても良かったと思う。
また大学生たちのロボットへの情熱を受ける形で、小林たちの中にも物作りの担い手としてのある種の“熱”を感じることが出来れば、より力のある映画になったのではないだろうか。

今回は、映画が撮影された北九州の溝上酒造の地酒「天心 純米大吟醸 “清夜の吟”」をチョイス。
これは以前九州で飲んで、印象に残っている酒。
やや辛口で、上品ながらもしっかりと味のあるボディの強い大吟醸。
魚介系や比較的淡白なお味の食事とよく合う。
個性の強さはニュー潮風のキャラクターにも通じるが、こちらは紛れも無く“ホンモノ”だ。

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哀しき獣・・・・・評価額1600円
2012年01月14日 (土) | 編集 |
クソ親父、駆ける。

2009年に公開された途方もなく恐ろしいスリラー、「チェイサー」で鮮烈なデビューを飾った韓国の俊英、ナ・ホンジン監督の待望の第二作である。
借金苦から殺人を請け負ってしまった一人の男が、予期せぬ犯罪と暴力の連鎖に巻き込まれて行く。
腹に一物ある多くの登場人物が入り乱れ、韓国の夜を縦横無尽に疾走する、怒濤のノンストップ・クライムアクションだ。
物語が複雑な分、とっ散らかった部分が多いのは残念だが、140分の長尺を一気に見せ切る演出力はやはりホンモノ、圧巻である。

中国とロシア、北朝鮮の国境の中国側に位置する、吉林省延辺朝鮮族自治州。
朝鮮族のタクシー運転手のグナム(ハ・ジョンウ)は、妻を韓国に出稼ぎに出すために作った6万元の借金に苦しんでいる。
借金取りに追われ、賭け麻雀に手を出すも、事態は悪化するばかりで、更には妻からの音信も途絶えてしまう。
そんな時、ヤクザのミョン(キム・ユンソク)に声をかけられたグナムは、韓国へ行ってある人物を殺したら借金を帳消しにする、と持ちかけられる。
グナムは、悩んだ末に借金返済と行方不明の妻を探すため、密航船で韓国に向かうのだが・・・


上映中トイレ厳禁。
ちょっと油断すると、驚速で展開する物語から置いていかれてしまう。
全体は「タクシー運転手」「殺人者」「朝鮮族」「黄海」の章題を持つ四章構成で、「黄海」はそのまま原題にもなっている。
中国で暮らす主人公が、幼い頃に見た狂犬病の犬の思い出を語る冒頭のモノローグは、その後の物語の流れ行く先を暗示する。
吉林省延辺は国境の朝鮮族自治州とは言え、中国政府の同化政策によって漢族の進出が進み、朝鮮族はもはや少数派。
おそらく食用であろう、犬の市場が開かれている猥雑な街の描写が良い。
檻の中に閉じ込められてもなお、吠え続ける犬たちが、社会の最下層へと貶められた人間たちのギラギラとした生き様を象徴する。
巨額の借金の返済と、妻が出稼ぎ先の韓国で浮気しているのではないかという猜疑心から、殺人を請け負ってしまう主人公、グナム。
だがそれは、闇夜でしか生きられない、獣たちが跋扈する世界への片道切符だ。

韓国に渡ったグナムは、指示されたとおりにターゲットをつけ狙い始めるのだが、いざ実行という時になって、予期せぬ事態が起こる。
突然、グナムとは別の暗殺者グループが現れ、先に殺しを実行されてしまうのだ。
だが、ターゲットが武道家だった事もあって、暗殺者たちも刺し違えて絶命。
一人生き残ったグナムは、現場に止まっている所を警察に目撃され、犯人として追われる事になる。
殺害の実行犯を送り込んだバス会社社長で、裏社会の顔役でもあるキム社長は、事件の真相が暴かれるのを恐れ、目撃者であるグナムを警察よりも先に消そうと躍起になる。
キム社長はグナムが延辺の朝鮮族である事を知ると、部下を送って密航組織の元締めであるミョンをも消そうとするのだが、逆にミョンの返り討ちにあい、韓国に乗り込んで来たミョンとそ一団に高額でグナム殺害を依頼する羽目になってしまう。
ここからはグナム、ミョン、キム社長、更には韓国警察による、四つ巴の目まぐるしい追跡劇となり、それぞれの思惑を抱えた裏社会の男たちがソウル、ウルサン、プサンと韓国中を駆け巡り、殺し合う。
例によって銃器を用いず、ハンマーだの斧だの牛刀だの、見るからに恐ろしげな凶器を使ったアクションは肉体の痛みを強烈に感じさせ、巨大なトレーラーまで動員したカーチェイスも迫力の仕上がりだ。

しかし、本作が何よりユニークなのは、主な登場人物が誰一人として、事件の全貌を理解しないまま盲目的に突っ走っている事にある。
ターゲットの名前以外一切を知らされていないグナムは勿論、彼を追うミョンやキム社長にしたところで、一体事件の発端が何で、自分たちが何故ややこしい事態に追い込まれているのか、全てを理解していない。
訳のわからないまま全力疾走し、とりあえず出会った者を片っ端から殺してゆく彼らの姿は、自分ではコントロール出来ない衝動に突き動かされ、ひたすら目の前の敵に噛み付こうとする狂犬そのものである。
さらに、グナムが韓国に来たもう一つの目的である妻探しも、不確かな情報を鵜呑みにした結果、彼は妻が死んだと思い込んでしまう。
その事が良くも悪くもグナムの覚悟を決めさせると、物語はいよいよ悲劇的な色彩を強め、最終章の「黄海」へと突入する。
壮絶な殺し合いの末に、最後に残ったグナムが全ての発端を知った時、彼が見せる何とも言いようの無い複雑な表情が印象的だ。
もしかしたらグナムは、ある人物に妻のイメージを見ていたのかもしれない。

ナ・ホンジンの演出は相変わらずパワフルで、先の見えない物語を力技でグイグイ引っ張るが、残念なのはやはり脚本の荒っぽさだ。
前作の「チェイサー」では、基本的に猟奇殺人犯と彼を追う元刑事の二人に視点が固定されていたが、遥かに多くの登場人物が韓国中を駆けずり回る本作は、視点の置き所が定まらない。
更に、物語の展開が非常に早い上に、寡黙な登場人物たちが内心を明かさずに行動するお陰で、観ている方は現状を理解する為に常に脳みそをフル回転させて考える必要に迫られ、ちょっとでも油断しようものなら、物語は無情に走り去り、置いてけぼりをくってしまう。
事件の全ての始まりが、驚くほどバカバカしい物だったというのも、狙いとしては面白いのだけど、唐突感に繋がってしまっているのも事実で、何というか脚本をシンプルにブラッシュアップしている途中で、時間切れになって撮影に突入してしまったのでは、と思わされる様な荒っぽい仕上がりなのである。
もうちょっと整理するだけで、ずっと観やすくなるのは確実なので、惜しい気がする。

キャストには、「チェイサー」の主役二人が今回も役割を変えて再登板。
あの映画で、恐るべき猟奇殺人犯を演じたハ・ジョンウがグナムを好演しているが、今回の儲け役は執拗にグナムを追い詰める密航組織のボス、ミョンを演じたキム・ユンソクだろう。
殆どジェイソンの如き不死身の殺戮マシーンは、狂犬たちのボスに相応しい迫力だ。
彼ら二人は共に朝鮮族であり、中国では二級市民と差別され、祖先の地でもある韓国でも溶け込む事は許されず、地べたを這い回るしかない。
それでも、犬は帰属意識の強い動物だという。
ようやく狂気から開放され、遅すぎた帰路に就いた“哀しき獣”の目指す先は、韓国名の“西海”ではなく、中国名の“黄海”でしかないのである。

今回は、パワフルな肉食系アクション映画に相応しく、韓国を代表する力技のカクテル(?)「爆弾酒」をチョイス。
でっかいビアジョッキに韓国ビールを注ぎ、そこにショットグラスに入れた韓国焼酎を放り込む。
世界中にあるビール+蒸留酒のバリエーションの一つで、猛烈に悪酔いするのが特徴である。
その分、さっさと酔っ払いたい場合には、これほど便利な酒も無いのだけど(笑

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フライトナイト/恐怖の夜・・・・・評価額1500円
2012年01月10日 (火) | 編集 |
お隣は、ヴァンパイア。

1985年に公開されたトム・ホランド監督の出世作、「フライトナイト」の四半世紀ぶりのリメイクである。
オリジナルは、郊外に住むごく普通の高校生と、隣に引っ越してきたヴァンパイアの戦いをコメディタッチで描いた異色のホラー映画。
21世紀版の“恐怖の夜”は、ホランドのオリジナル脚本を、テレビシリーズの「バフィー~恋する十字架~」のマーティ・ノクソンが脚色し、監督は「ラースと、その彼女」で注目されたグレイグ・ギャレスピーが努める。
基本プロットはそのままに、キャラクター造形などを今風にアレンジし、ビジュアルを大幅にパワーアップ。
完成度やインパクトではさすがにオリジナルには及ばないが、これはこれで話を知っていても楽しめる。

オタクな高校生のチャーリー・ブリュースター(アントン・イエルチェン)は、なぜか美貌の彼女エイミー(イモージェン・プーツ)をゲットし、人も羨む高校生活をエンジョイ中。
だがある日、友人のエド(クリストファー・ミンツ=プラッセ)から、最近引っ越してきた隣人のジェリー(コリン・ファレル)がヴァンパイアだと警告を受ける。
オカルトマニアのエドは、ジェリーが引っ越してきてから、失踪する住人が増えている事に気付き、密かに彼を監視していたのだ。
最初は取り合わなかったチャーリーだが、やがてエドも失踪し、チャーリーの背後にもジェリーの影が付きまとう様になる。
チャーリーは、ラスベガスのマジシャンでヴァンパイアハンターを自称するピーター・ヴィンセント(デヴィッド・テナント)に助けを求めるのだが・・・


アメリカの80年代は、郊外(suburb)の時代である。
70年代に新移民が流入し、過密化した都市から、白人中流層が郊外の新興住宅地に脱出。
新たなライフスタイルが広まった事で、大衆文化もまた大きな影響を受け、郊外はアメリカ映画にとって重要な舞台となって行く。
スティーブン・スピルバーグの「未知との遭遇」や「E.T.」、「ポルターガイスト」といった一連の作品は、郊外の平穏な日常の中に宇宙人や幽霊といった非日常が投げ込まれる事で事件が起こる、いわば郊外型ローファンタジーと言える新たなジャンルを確立した。
人々の生活空間は、大都市ほど近くは無く、かといって田舎ほど遠くも無い。
隣家との絶妙な距離感が導き出す、お隣の非日常というスタイルに、古典的なヴァンパイアというアイコンを埋め込んだのがオリジナルの「フライトナイト」だ。

リメイク映画の場合、新旧比較されるのが宿命だが、四半世紀ぶりにリメイクされた本作は、前記した様に大まかなプロットは比較的忠実ながら、キャラクター造形や物語上の役割などは結構細かく改変されている。
主人公カップルのうち、女子のエイミー方が積極的な性格なのは同じだが、リメイク版のチャーリーは、かなりオタクっぽいキャラクターになっており、エイミーと付き合うようになってから、オタクの過去を捨てようとしている。
イケてる彼女に合わせて、無理をして背伸びしようとするチャーリーが、ジェリーとの戦いを通じて等身大の自分と向き合えるようになるという成長物語が物語のバックボーン。

彼を助けるピーター・ヴィンセント役は、ロディー・マクドウォールの当たり役として知られているが、今回はホラー俳優からマジシャンへと設定変更され、演じるのはイギリスの人気SFドラマ「ドクター・フー」で、10代目ドクターを演じたデヴィッド・テナント
ピーターがチャーリーに加勢してジェリーと戦う理由も、オリジナルでは落ち目の俳優が自分の自信を取り戻すためなのに対して、リメイクではジェリーとの間に過去の因縁がある事になっている。
まあこの辺りの設定はやや唐突感があり、元のプロットにスムーズに組み込まれているとはあまり思えないのだが、良く知った物語に一定の新味を加える役割は果していると言えるだろう。

そして、この種の映画では花形であるヴァンパイアのジェリーは、ダンディなイメージのクリス・サランドンに代わって、野性味溢れるコリン・ファレル
変わったのはルックスだけでなく、行動もかなりマッチョだ。
「ヴァンパイアは、招かれない限り相手の家に入れない」というお約束も、オリジナルでは紳士的な物腰のジェリーがチャーリーの母親に取り入ってあっさり侵入に成功するが、リメイク版ではいきなりガス管に火をつけて家ごと爆破してしまうという荒っぽさ。
肉体的にもペンで手をさされただけで慌てて逃げ出していたのが、今回は刺されようが車で轢かれようが、さしたるダメージを受けず執拗に追ってくる。
ワイルドな肉食系ヴァンパイアとなったジェリーに相応しく、アクションはかなりパワーアップし、その分コメディ要素は薄まっている。

グレイグ・ギャレスピー監督は、オリジナルではキービジュアルにもなった“口裂け女”のシーンをコスチュームもそのままに再現したり、トム・ホランドの作り上げた独特のホラーワールドへのリスペクトは感じさせる物の、全体的にはオリジナルの持つ緩さを消し去り、モダーン&ハードに仕立て直すという最近のリメイク潮流に沿った作品に仕上げた。
まあオリジナルはとぼけたユーモアが重要な隠し味だった訳で、そのあたりが好きだった往年のファンにとっては評価の分かれるポイントかもしれない。
因みにゲイ・ムーブメントが盛り上がりを見せた80年代の作品らしく、オリジナルではジェリーにビリーという男性のパートナーがいたのだが、本作ではジェリーのマッチョ化と共にキャラクター自体が消滅しているあたりも、時代の移り変わりをさり気無く感じさせる。

今回は、劇中でピーターが殆ど肌身離さず飲み続けているサントリーのメロン・リキュール、「ミドリ」をチョイス。
もっとも、ピーターはストレートで飲んでいたが、普通の人には甘すぎるので、これを使った最も有名なカクテル「セックス・オン・ザ・ビーチ」を。
この刺激的な名前のカクテルは、トム・クルーズ主演のその名も「カクテル」という映画によって一気に有名になった。
ウォッカ15ml、ミドリ20ml、クレナデン・シロップ10ml、パインジュース80mlを氷を入れたタンブラーに注ぎ、ステアする。
甘くて飲みやすいが、アルコール度数はそれなりに高いので、油断するとヴァンパイアの毒牙にかかったかの様にメロメロになってしまう。
一応、安全な「セーフ・セックス・オン・ザ・ビーチ」というノンアルコールのカクテルもあったりする(笑

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ヒミズ・・・・・評価額1750円
2012年01月05日 (木) | 編集 |
これが、ポスト3.11のリアル。

「ヒミズ」は、昨年「冷たい熱帯魚」「恋の罪」という、人間のダークサイドを描いたパワフルな2作品で気を吐いた、園子温監督による最新作。
原作は古谷実の同名漫画で、今までオリジナル脚本に拘ってきた園監督にとって、はじめての原作物である。
3.11後の世界で、ごく普通の大人になりたいと願う中学生男女のビターな青春物語からは、前2作の様な過激なセックスと血飛沫は影を潜め、代わりにあるのは時代と正面から向き合った切実な葛藤と、未来への幽かな希望だ。

中学三年生の住田祐一(染谷将太)は、池の畔でボート屋を営む母親(渡辺真起子)と二人暮らし。
彼の夢は、普通の生活をする平凡な大人になることで、子供に無闇に大きな夢を見せようとする大人たちには反発を感じている。
一方、住田を崇拝する茶沢景子(二階堂ふみ)の夢は、愛する人と支え合いながら共に人生を歩む事。
だが、住田の母親が突然愛人と出奔し、更に別れた父親(光石研)が闇金から巨額の借金をしている事が明らかとなり、住田は中学生にして生活を守るために働かざるをえなくなる。
そして父親の理不尽な暴力に耐えかねた住田は、ある事件を起こしてしまうのだが・・・


原作は未読。
だが園子温監督は、「2001年に書かれた原作のスピリットを尊重しつつ、2011年のリアルを描いた」という趣旨の事を語っていたので、映画はあくまでも“今”に立脚した独立した作品という理解で良いのだろう。
冒頭、いきなり津波で破壊された被災地の風景と、その荒涼たる世界で彷徨う登場人物たちが映し出される事に驚く。
何でも、この映画の準備中に東日本大震災が起こり、急遽脚本を大幅にリライトして撮影に挑んだそうである。
3.11を理由として企画の凍結、内容の変更を行った作品は、伝え聞くだけでも何本もあるのだが、本作はそれらの中で実際に作品として結実した最初の一本かもしれない。

タイトルの「ヒミズ」とは、日本列島の固有種である小型モグラの一種。
浅い土中や落ち葉の下に潜み、夜になると餌を探して地上を徘徊する事もあるが、決して太陽の下には出て来ない、文字通りの“日みず”な生き物だ。
誰にも注目されず、気付かれる事すらなく、ひっそりと生きて死んでゆく。
主人公の住田祐一は、そんなヒミズの様に平凡に生きたいと思っている中学生。
だが、本人の意思とは裏腹に、彼には熱心な崇拝者が多数存在する。
その筆頭である同級生の茶沢景子は、祐一の印象的な発言を全て書き出して部屋中に貼り付けているほどの信者で、殆どストーカーの様に彼に付きまとう。
またボート小屋の周辺には、ブルーシートの家に住むホームレスの大人たちが住み着いており、彼らはどうやら震災と津波によって全てを失ってしまった人々の様である。
この大人たちもまた祐一を褒め称え、時に自らを犠牲にしても彼の支えになろうとする。
何故、凡人の宣言をしている祐一が、そんなに持ち上げられるのか。
それは、彼が“普通の日常”がもはや存在しないポスト3.11の世界で、未来への希望を体現する存在だからに他ならない。

丁度震災を挟んで作られた、園子温の前作「恋の罪」と「ヒミズ」は、3.11のビフォアーアフターとして捉えると非常に興味深い。
すっかり映画監督業が板についたが、彼は元々“ジーパンを履いた朔太郎”と呼ばれた詩人であり、その表現は文学的な暗喩性を特徴に持つ。
「恋の罪」は、カフカの「城」をモチーフとしたセクシャルな心理サスペンス。
主人公が、決して入ることの出来ない「城」に翻弄される物語は、キリスト教社会では人間が決して触れられない存在、イコール神の比喩と論じられる事が多いが、日本で作られた「恋の罪」の場合は、むしろ人間存在という掴みどころの無いものの象徴として引用されていた様に思う。
そして「恋の罪」が、閉塞した日常に立脚し、非日常へと堕ちて行く構造を持っているとすれば、荒涼とした被災地の風景にフランソワ・ヴィヨンの詩が響き渡る「ヒミズ」は、もはや日常が存在しない世界から、必死で日常を求める映画と言えるだろう。
どちらの映画でも、物語の最後に主人公が疾走する。
だが「恋の罪」で、水野美紀演じる女刑事がゴミ収集車を追って走ってゆく先が、自らの内面という閉じた非日常なのに対して、本作において祐一と景子が「頑張れ!住田!!」という魂の叫びと共に走り出すのは、未来という開かれた日常に向けてなのである。

地震、津波、そして今も続く原発事故によって、国土が放射能で汚染され、広大なエリアが今後何十年も人の住めない無人地帯となるという現実は、3.11を経験する前であればぶっちゃけSF的与太話であったはずだ。
実は我々は、あの日以来ずっと非日常の世界に生きており、3.11以前の日常はもう何処にも存在しない。
そんな物語の立脚点が崩壊してしまった世界においては、「普通の大人になりたい」という夢とも言えない未来を語るにも、大きな犠牲と葛藤が必要となる。
その事を表現者の覚悟を持って、圧倒的な映画力で観せてくれた本作は、まさしくポスト3.11時代の幕開けに相応しい衝撃的な傑作である。
黙示録の時代を生きる中学生カップルを演じた染谷将太と二階堂ふみは、本作の素晴らしい演技で、ヴェネチア国際映画祭の新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞をダブル受賞。
彼らもまた、日本の未来であることは間違いない。

今回は被災地の宮城県から一ノ蔵の純米吟醸「蔵の華」をチョイス。
繊細な吟醸香が鼻腔に広がり、まろやかでスッキリとした純米吟醸らしいフルーティな味わいが、新年の華やぐ気分を盛り上げてくれる。
3.11では東北地方の多くの酒蔵もダメージを受けたが、たくましくも復興へ向けて動き出している。
酒飲みとしては、安全性に留意しつつもなるべく東北の酒を呑んで、支援したいと思う。
この国のパンドラの箱は開いてしまったが、希望だけはまだ残っているのだから。

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