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J・エドガー・・・・・評価額1700円
2012年02月02日 (木) | 編集 |
権力の裏側で、男が守ろうとした“正義”の根にあったのは何か。

実に48年間に渡ってFBI長官としてアメリカの司法の世界に君臨し、クーリッジからニクソンまで8人の大統領に仕えた男、ジョン・エドガー・フーバー
政官財のVIPの秘密ファイルを握り、大統領すら手だし出来ないアンタッチャブルな権力を持つに至った彼の事を、ある者はコミュニストやアナーキストからアメリカを守った英雄と賞賛し、ある者は影の独裁者と批判した。
しかし、これは謎多き権力者の表層的な評伝ではなく、彼の生涯をモチーフにしたある種の冷徹な米国論であり、同時に余りにも巨大な重圧を背負ってしまった男の倒錯的ラブストーリーでもある。
誰もが知る“フーバー長官"ではなく、親しい人にしか呼ばせなかった“J・エドガー”という名をタイトルにした事が、本作のベクトルを示唆している。

1924年、29歳の若さで初代FBI長官に任命されたJ・E・フーバー(レオナルド・ディカプリオ)は、旧態依然としていた犯罪捜査の世界に最新の科学捜査の手法を導入し、大きな成果を上げる。
弁舌と政治力にも長け、次第にワシントンで存在感を増すフーバーは、特別な絆で結ばれた副長官のトルソン(アーミー・ハマー)と共に、半世紀に渡ってFBIを牛耳り、誰も手出しできないほどの絶対権力を作り上げる。
しかし、プライベートでは、母アンナ・マリーの愛の呪縛からは逃れられず、トルソンとの秘めたる愛を公にも出来ない。
厳格な法の執行者の立場と、倒錯した内面の間で、フーバーは少しづつ被害妄想に囚われる様になるのだが・・・


なにしろ世界最強の捜査機関、FBIを作った男の伝記映画である。
作り方によっては、いくらでも娯楽性を高める事は出来たはずだ。
ポリティカル・サスペンス的なアプローチも良いだろうし、フーバーの作り上げた組織や彼の功罪にトリビア的に焦点を当てた社会派ドラマでも面白い。
実際、司法省に入る前の図書館勤務時代に、全世界の図書館で採用された検索カードのシステムを考案したり、現場の捜査官が昔ながらの“刑事のカン”に頼っていた時代に、いち早く科学捜査の手法を導入したり、フーバーが非常に先見性に富んだクレバーな人物だったのは間違いないだろう。

だが、監督のクリント・イーストウッドとゲイの権利活動家、ハーヴェイ・ミルクを描いた「ミルク」で知られる、脚本のダスティン・ランス・ブラックは、歴史家によって散々研究され尽くしたフーバーの表の顔ではなく、噂レベルの話にとどまっている裏の顔に焦点を当てた。
この映画のフーバー、いやJ・エドガーは、極度のマザコンで女装癖があり、さらに同性愛者の男として描かれる。
彼は米国人としては珍しく、43歳の時に母親が死去するまで同じ家で暮らし、生涯独身を貫いた。
またFBIの長官・副長官として40年来のタッグを組んだクライド・トルソンとは、毎日必ず食事を共にし、二人で連れ立って休暇に出る事も多かった様で、彼らが“特別な関係”にあったという説は昔から囁かれている。
もっとも、こう言った人物像に明確な証拠は無く、憶測の域を出ない物であり、FBI的に言えば“推定無罪”の案件だろう。
本作が、近年のイーストウッド映画としては例外的に本国で酷評され、アカデミー賞レースでも無視される結果となったのは、フーバーという一時代を築いた人物へのアプローチとしては、フィルターがかかって矮小化されていると受け取る人が多かったのではないかと思う。
しかし、これを歴史上の人物をリアルに描いた実録物では無く、あくまでもJ・エドガーという一人の人間をモチーフとして、象徴的にとらえた映画だと思えば、また観方は違ってくる。

アメリカの平和と安全を守る、そのために必要な事は断固としてやるというのが、彼の信念であり“正義”だ。
自らの正義に照らして、社会の害悪となり得ると判断した相手は、共産主義者であろうと、ギャングであろうと徹底的に追求し壊滅させる。
もしも相手が隙を見せないなら、時として法を捻じ曲げ、謀略の限りを尽くして陥れる事も厭わず、違法に調べ上げた秘密ファイルをネタに、大統領すら脅すのである。
一方で、彼は現場の捜査官達の手柄を横取りし、自分よりもマスコミ受けする部下が出ると、閑職に追いやるなど、組織を私物化。
コワモテで弁が立つ反面、誰とも本当の信頼関係が築けないコミュニケーション下手に加え、母の呪縛から逃れられないマザコン、更に女性とは付き合えない同性愛者という、絶対に人には知られたくない秘密を抱えているのだから、常に周りは敵だらけという被害妄想にとりつかれるのも道理である。
フーバーが、自らの存在その物が正義であると錯覚するのも、実は内面の矛盾を覆い隠そうとする故ではないか。
正義の遂行のためには、常にNo.1の立場にいなければならず、異なる正義を唱える者は、力を使ってでも排除するというフーバーの論理は、そのままアメリカという国家のキャラクターに通じ、高潔なる正義感の内側に、実は深刻な葛藤と自己矛盾を抱え込んでいるという点も共通している。
イーストウッドとブラックは、このエキセントリックなキャラクターに現代アメリカ史そのものを体現させている様に思えるのだ。

劇中で、年老いたフーバーは、若いFBIエージェントに、自らの回想録を執筆させている。
しかし、その内容は既にフーバーの記憶の中で虚実が入り混じり、彼自身にも何が本当に起こった真実なのか分からなくなってしまっているのである。
正義を行うには力が必要だという信念故に、自分の人生すら虚飾の闇に葬ってしまった男。
個人史の中で、最後の瞬間まで残ったただ一つの真実は、誰にも明かすことの出来ない、倒錯した愛だけだったというのは、なんともアイロニカル。
映画は、1919年から1972年までの半世紀を目まぐるしく行き来し、主演のレオナルド・ディカプリオは最近流行りのフェイシャル・アニメーションではなく、素晴らしいクオリティの特殊メイクの助けも借りて、アメリカの頑強さと繊細さを同時に象徴する特異な人物の青年期から老年期までを見事に演じ切っており、オスカーにスルーされたのが気の毒な位の熱演だ。
彼の心の恋人であるトルソンを、「ソーシャル・ネットワーク」アーミー・ハマー
脇では、トルソン以外ではただ一人、フーバーが心を許した秘書ヘレン・ギャンディを、ナオミ・ワッツがほぼ全編老けメイクで演じ強い印象を残す。

思うに、昨年の「ヒア アフター」あたりから、イーストウッドは人間への興味が少しシフトして来ているのでは無いだろうか。
描こうとする対象がより本質的になりつつあるというか、人の心に奥底に秘められた核心部分を思いもよらぬ方向から切り取って来る。
ジョン・エドガー・フーバーの正義の根幹にあるのが、彼自身の内面に潜む強烈なコンプレックスとは、誰が想像出来ただろうか。
いやはや、やはり凄い映画爺さんである。
おそらく、フーバーが“誰もが知っている人物”ではない日本では、この映画の人物像に違和感をおぼえる人は米国ほど多くないだろう。
一本の映画としては、本国より冷静な評価を得られるのではないかと思う。

さて、フーバーがそのキャリアの初期に戦った、ギャングやマフィアの大きな資金源は禁酒法時代の密造酒。
多くはバスタブに張った水に、蒸留器を沈めて作られたバスタブ・ジンと呼ばれる粗悪な酒で、健康被害も多かったと言う。
今回はバスタブ・ジンではなく、現代の本物のジンを使ったシンプルなカクテル「ジン・トニック」をチョイス。
氷を入れたタンブラーに、ジンとお好みの比率のトニック・ウォーターを注ぎ、軽くステアしてライムを添える。
元々熱帯のインドで生まれたと言われる清涼感のあるカクテルだけに、この映画の複雑な後味も綺麗に纏めてくれるだろう。

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