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メランコリア・・・・・評価額1550円
2012年02月25日 (土) | 編集 |
憂鬱なる滅びの詩。

デンマークの異才、ラース・フォン・トリアー監督の耽美な終末譚は、突然出現した巨大な蒼い惑星・メランコリアの接近によって、この世界の終わりに直面する、ある姉妹の葛藤を描く物語だ。
トリアー監督の分身とも言える“鬱病気質の妹”を、本作でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したキルスティン・ダンストが演じ、彼女とは見た目も性格も対照的な“普通の人”である姉をシャルロット・ゲンズブールが演じる。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が響き渡る中、人々がこの世の終わりに何を感じ、どう行動するのかが、幻想的な映像によって、美しくも陰鬱に展開する。

結婚式を迎えたジャスティン(キルスティン・ダンスト)は、姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)とその夫ジョン(キーファー・サザーランド)が主催してくれたパーティーに大遅刻。
鬱病の気質を持つジャスティンは、華やかなパーティーの裏に蠢く人々の虚飾を感じ、次第に感情のコントロールが出来なくなり、不可解な行動を繰り返した挙句、一夜にして夫も仕事も失うという最悪の日となってしまう。
七週間後、太陽の裏側から現れた惑星メランコリアが地球に接近。
地球に衝突するのではないかと恐れるクレアを、ジョンは「惑星は5日後には通り過ぎる」となだめつつも、非常時の用意もしている。
そんな中、衰弱して立つことも出来なくなったジャスティンが、再び姉夫婦の邸宅にやってくる。
惑星が地球に衝突するという情報をネットで見つけ、「息子のレオはどこで育てるの?」と憔悴して泣くクレアに、「地球の生命は邪悪よ。無くなっても嘆く必要はないわ」と淡々と語るジャスティン。
そのジャスティンは、惑星が接近するにしたがって、まるで惑星からパワーを貰っているかの様に元気になってゆく。
やがて運命の日、屋敷に残った四人の目前に、巨大惑星が地平線から姿を現す・・・


トリアー監督は長年鬱病を患っており、常々映画を作るのは鬱病の治療薬としてだと語っている。
前作の「アンチクライスト」も相当にその気の強い映画であったが、そもそも企画のアイディア自体を心理セラピーのセッションから思い付いたというこちらは、更にド直球だ。
なにしろ、本作のタイトルであり、劇中で地球に衝突する巨大惑星の名でもある「メランコリア」とは、まんま“鬱病”を意味する言葉なのだから。
つまりこれは鬱病の主人公が、鬱病という名の惑星から終末のパワーをもらって元気になり、普通の人々が恐怖と絶望に涙する中、一人希望に満ちた滅びを迎えるという、途轍もなく憂鬱な映画なのである。

冒頭の数分間、スーパースローで表現された絵画の様に美しい映像が続く。
落下するたくさんの鳥、灰色の毛糸で絡め取られる花嫁、座り込む黒馬、子供を抱いてゴルフ場を歩く母親、そして地球に迫り来る巨大な惑星は、そのままちっぽけな地球に衝突し砕いてしまう。
荘厳な映像美と宇宙規模のスペクタクルに呆気にとられていると、メインタイトル「メランコリア」が映し出され、唐突に物語が始まる。
実はこの冒頭の映像は、これから起こる事のダイジェストにもなっているのだが、今まで色々なスタイルの映画を観て来て、一番最初にラストまでのネタバレを見せちゃうというのは、記憶を手繰ってみても初めての気がする。

映画は主人公である対照的なキャラクターの姉妹、それぞれの名を章題とした二つのチャプターに別れている。
前半は、キルスティン・ダンスト演じる妹の「ジャスティン」の結婚式だ。
本来は人生最良の日となるはずなのだが、いきなりの大遅刻を姉夫婦から叱責され、動揺するジャスティンは、愛人と出席し羽目を外す父親や、場を凍り付かせる辛辣なスピーチをする母親らを目の当たりにして、徐々に感情のコントロールを失ってゆく。
傲慢な上司を罵倒し、新郎の求めを拒否して、会ったばかりの若いインターンを犯す様にセックスするジャスティンは、翌朝には全てを失ってしまう。
トリアーの映画にはキリスト教的な暗喩がつきものであるが、この前半1時間に及ぶ結婚式のチャプターで描かれるのは、人間を罪に導くとされる、所謂“七つの大罪”であろう。
デヴィッド・フィンチャーの「セブン」でも引用されていた七つの大罪は「傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲」であり、ジャスティンと結婚式の出席者はこの全てを体現する、まことに罪深い存在なのである。

そして、後半の章題となるのは姉の「クレア」だが、ここで描かれるのは罪の回収であり、その結果としての滅びのプロセスだ。
惑星メランコリアは前半では登場せず、結婚式の七週間後という設定の後半では既に地球にかなり接近している。
実は七つの大罪は、四世紀のエジプトではじめて定義された時には、“八つの枢要罪”として定義の中に「憂鬱」もあり、後に「憂鬱」が「怠惰」に統合されて七つになった経緯がある。
つまり七つの大罪を犯した罪人たる人類が、突然現れたもう一つの罪「メランコリア(憂鬱)」によって滅びの時を迎えるという皮肉な設定なのだ。
このメランコリアという言葉は、キリスト教よりもさらに古い、古代ギリシャのヒポクラテスの提唱した“四体液説”に由来する。
これは、人間の体と心の健康状態は、四種類の体液のバランスによって決まるという物で、黄胆汁質の人は短気、黒胆汁質の人は陰鬱、粘液質の人は鈍重、多血質の人は楽天的なのだという。
このうち、ギリシャ語の「黒い胆汁」が語源のメランコリアが、鬱の気質を表す言葉となるのだが、劇中のジャスティンは、まさしく黒胆汁が溢れかえっている状態だろう。
憂鬱に支配されたジャスティンは、接近する巨大惑星に終末の希望を見ているのである。
だが、急激に回復し、月光浴ならぬメランコリア浴をして滅びののエネルギーを受け取る妹の姿は、罪人である事を自覚していない姉のクレアにとっては絶望の予兆だ。
映画は、二人の対照的な主人公の、互いに突き放しながらも絡み合う内面の葛藤を描きつつ、遂に終末の時を迎える。

思うに、トリアーは一人のキリスト教徒として、鬱病である事に潜在的な罪悪感を持っているのではないだろうか。
彼はジャスティンが自分の投影で、クレアは普通の人の投影であると考えている様だが、たぶんどちらも分裂したトリアーの内面と考えた方がしっくりする。
なぜなら、決して馬が渡ろうとしない小さな橋が象徴する様に、舞台となるこの閉ざされた世界は、初めからトリアーの心象風景だからである。
いくつもの大罪を犯し、その元凶である憂鬱による根源的な滅びに救いを見出すトリアーと、罪を罪と思わずあるがままの生命を求めるトリアー、二つの対立する内面が溶け合う場所こそ滅びの瞬間の“魔法のシェルター”なのであろう。
しかし、前作の「アンチクライスト」にあった様な、ドロドロして屈折した感情は、意外にもこの作品からはあまり感じない。
文献によれば、メランコリアとは鬱状態だけでなく、しばし創造性をもたらす気質とも定義される。
作者自ら鬱病治療薬と言っているのだから、この映画にそれ以外の意味を積極的に見出すのは困難だが、映像は美しく、心理劇としてもなかなか興味深い。
たぶん、今の彼にとっては綺麗さっぱり滅びてしまった方がまだ楽なのだろうが、トリアーの映画作りによるセルフセラピー、薬としても映画としても、それなりに成功しているのではないだろうか。

今回はタイトル繋がりで「メランコリー・ベイビー」をチョイス。
グラスにクラッシュド・アイスを入れ、サントリーのメロン・リキュール、ミドリ45mlを注ぎ、スライスしたライムを絞ってグラスに落す。
惑星メランコリアは美しい蒼い星だったが、こちらは鮮やかなグリーンだ。
ミドリの甘みをライムの酸味が爽やかに引き立て、憂鬱な心を明るく染めてくれるだろう。

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