今年は、ハリウッドが生んだ永遠のセックスシンボル、マリリン・モンローの没後50年にあたる。
これは、モンローが全盛期を迎えつつあった1956年に製作されたロマンチック・コメディ、「王子と踊り子」の撮影現場を舞台に、映画界に飛び込んだばかりの若い助監督と、世界が愛したスーパースターの秘められたロマンスを描いた物語。
実際に「王子と踊り子」のサード助監督だった、コリン・クラークの著した二冊の回想録を原作としており、こんな映画みたいな恋物語が本当にあったという事が驚きだ。
まあ、だからこそ映画になったんだろうけど(笑
現代ハリウッドの若手ではピカイチの演技派、ミシェル・ウィリアムズが完璧にマリリンを演じ切り、相手役のコリンには「ブーリン家の姉妹」のエディ・レッドメイン。
ケネス・ブラナー、ジュディ・デンチ、エマ・ワトソンら、イギリスを代表するビッグネームたちが脇を固める。
1956年、イギリス。
映画界に憧れるコリン・クラーク(エディ・レッドメイン)は、名優サー・ローレンス・オリビエ(ケネス・ブラナー)のプロダクションに職を得る。
おりしも、人気絶頂のハリウッドスター、マリリン・モンロー(ミシェル・ウィリアムズ)との共演作「王子と踊り子」のクランクインが迫っていた。
やがてマリリンは結婚したばかりの作家のアーサー・ミラー(ダグレイ・スコット)と共にロンドンに降り立つが、いざ撮影が始まると、演技スタイルの違いにオリビエとモンローは衝突し、ナーバスになったモンローは酒と睡眠薬で遅刻を繰り返す様になってしまう。
困り果てたオリビエは、コリンにモンローの見張り役を命じるのだが、やがてモンローはこの映画界に染まっていない若者にだけ、その秘められた心を開きはじめる・・・
半世紀以上前の伝説の裏側を、そっと覗き見る様な映画である。
何しろ本作が撮影されたのは、実際に「王子と踊り子」で使用されたパインウッド・スタジオ、劇中でモンローが滞在しているのも、本物の彼女が当時宿舎にしていたパークサイド・ハウスだという。
今年は何故か映画史をモチーフにした作品が多いが、「マリリン 7日間の恋」は言わばイギリス映画界から、ハリウッドの伝説に捧げられた大いなるオマージュだ。
ここには生身のマリリン・モンローと、映画という虚構の作り出す夢に魅入られた人々がリアルに存在している。
ミシェル・ウィリアムズがとにかく素晴らしい。
嘗てモンロー自身が、男性たちが求める“セクシーなお人形さん”では無く、真実の人間を演じようとした様に、ウィリアムズの演じるモンローは、単なるそっくりさんショーをはるかに越えて、時代のアイコンの内面にいる、繊細で孤独な一人の女性、ノーマ・ジーン・ベイカーを強く感じさせる。
今どきの言葉で言えば、超恋愛体質にして最強の女子力を持つ彼女の魅力に、対抗できる男はそういないだろう。
憧れの映画界に飛び込んだばかりのコリンも、あの愁を帯びた目に引き込まれ、余りにも危ういガラスのような素顔に触れて、“自分が彼女を守らなければ”と思い込んでしまうのである。
まあマリリンにしてみれば、勝負をかけた初プロデュース作で、勝手の違う異国での撮影にナーバスになっていた時に、ちょうど良い話し相手を見つけた位の感覚だったのかもしれない。
実際にコリンがマリリンと恋人として付き合ったなら、彼もいずれアーサー・ミラーや嘗て10日間だけ彼女の恋人だったと語るミルトン・グリーンの様に、彼女を持て余して、逃げ出したり薬でコントロールする様になったのかもしれないが、彼女の真意も含めて今となっては謎。
銀幕のクィーンのきまぐれが生んだ、プラトニック故に官能的な、たった一週間の淡い恋だからこそ、この映画は多分とてもロマンチックなのだ。
また映画史を描いた作品として観ると、メソッド演技の勃興がマリリンとローレンス・オリビエの葛藤に絡めて描かれているのも興味深い。
メソッド演技とは、形式や技術を重んじる従来の演技のスタイルに対して、キャラクターの内面からロジカルかつ丁寧に演技を組み立てる手法で、役作りのプロセスがまるで異なる。
ロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーにルーツを持つメソッド演技は、アメリカでアクターズ・スタジオの芸術監督、リー・ストラスバーグらニューヨークの演劇人よって1940年代に確立され、50年代に彼の元で学んだ多くの俳優たちがブレイクした事によって開花した。
マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、ジェームズ・ディーン、そしてモンローもまたセクシー女優からの脱却を目指し、アクターズ・スタジオの門を叩いた一人。
この映画に描かれているのは、リアリズムに基づく新世代の演劇という“黒船”に戸惑う、伝統的な英国演劇の葛藤でもあるのだ。
ビビアン・リーという妻がありながら、ちょこっとだけ浮気心も抱いていたローレンス・オリビエも、異様なほどメソッドのスタイルに拘るマリリンとの衝突にブチ切れながら、スクリーンに映し出される彼女の圧倒的な輝きを認めざるを得ない。
シェイクスピア俳優であり、現代のオリビエとも言うべきケネス・ブラナーに、「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている」で始まる「テンペスト」の有名な台詞を言わせる終盤のシーンは、マリリンと彼女が体現する映画という虚構の夢への切なくも狂おしい賛歌。
本作のテーマを象徴してまことに秀逸だった。
ちょっと面白いのは、エマ・ワトソンが「ハリー・ポッター」完結後の最初の仕事に本作を選んでいる事。
彼女の人気と知名度があれば、いくらでも華々しい大作の主演が巡ってきそうだが、あえて母国の名優たちの中に入って、地味な脇役から再スタートを切っているのは、イメージの払拭という点では実は正解かもしれない。
実際、マリリンに恋人を取られる衣装係役ながら、やはり登場シーンでは互角の可愛さなのだ。
ハーマイオニーとモンローを天秤に掛けるとは、羨まし過ぎるぞ、コリン(笑
今回は、どストレートに「マリリン・モンロー」という名のカクテルをチョイス。
彼女の名を冠したカクテルは世界中に様々なレシピが存在するが、これはスパークリングワインをベースにした一杯だ。
冷やしたアップルブランデー30mlとスパークリングワインまたはシャンパン120mlを静かにステアし、グレナデンシロップ1dashを加え、最後にチェリーを飾る。
アップルブランデーの深みのあるコクと繊細な泡の織りなすワクワク感は、モンローのイメージ通りの華やかさ。
そう言えば、あのラストの出来過ぎと言えば出来過ぎなエピソードは史実なのだろうか。
もしそうだとしたら、あのパブでは今でも語り草になっているのだろうな。

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アニメーション映画史上最大のヒット・シリーズとなった「シュレック」から、人気キャラクターの「長ぐつをはいたネコ」こと、プスを主役にしたスピンオフが誕生。
「シュレック2」の先日譚とも言える内容で、プスの生い立ちや何故長ぐつを履くようになったか、などの“ビギニング”的物語が、西部劇へのオマージュとパロディたっぷりの冒険活劇として展開する。
監督は、「シュレック3」のクリス・ミラーだが、ややマンネリズムが鼻に付いたあの映画よりも、今回の方がずっとイキイキしている様に思える。
声優陣には、タイトルロールにお馴染みアントニオ・バンデラス、勝気なヒロインのキティに「デスペラード」のサルマ・ハエック、腐れタマゴのハンプティ・ダンプティに「ハングオーバー!」のザック・ガリフィアナキス、更にはビリー・ボブ・ソーントンまで乱入する豪華さだ。
お尋ね者の長ぐつをはいたネコ、プス(アントニオ・バンデラス)は、悪漢夫婦のジャック(ビリー・ボブ・ソーントン)とジル(エイミー・セダリス)から、伝説の魔法の豆を盗み出そうと彼らの宿に忍び込むが、先客の女泥棒キティ(サルマ・ハエック)と出くわし、作戦は失敗。
実はキティのパートナーは、孤児院でプスと共に育ったハンプティ・ダンプティ(ザック・ガリフィアナキス)だった。
7年前にハンプティが起こしたある事件によって、ハンプティは刑務所に囚われ、プスはお尋ね者として追われる身となったのだ。
お互いに裏切られたと考えている二人は、ひとまず魔法の豆を手に入れるためにわだかまりを捨てて、キティと三人で共同戦線を張る事にするのだが・・・
いや~、イヌ派が幅をきかせるハリウッドにあって、これはまるでネコ派の妄想が炸裂したような一本だ。
主人公はネコ、相棒もネコ(とタマゴ)、アジトにもネコがいっぱい、フワフワでモフモフである( ;´Д`)
ちょっとした仕草の本物っぽさや、ネコのどんなところがカワイイのかの表現など、スタッフには相当なネコ好きが結集したとみえる。
プスとキティの対決で、“相手に屈辱を与えるダンス”などネコの習性を知らないと意味不明だろうけど、逆に知っていれば爆笑必至。
とりあえず、映画の内容以前にハリウッドでは貴重なネコ派映画であり、ネコ好きは必見である。
「シュレック」シリーズと言えば、ディズニー的な御伽噺の世界をブラックな笑で包んだパロディ映画だが、スピンオフのこちらも基本的な方向性は同じ。
元々プスのキャラクター自体、嘗てアントニオ・バンデラスが、自身の出世作となった「マスク・オブ・ゾロ」で演じた怪傑ゾロのパロディなのだけど、今回もティザーポスターがイースウッドの「許されざる者」ソックリだったり、全編に渡って西部劇のパロディが満載されている。
もっとも、元々の「シュレック」のノリが、どちらかというとディズニー的なお約束の世界をシニカルに笑い飛ばすものなのに対して、こちらは西部劇、特にセルジオ・レオーネのマカロニ・ウェスタンへの愛がたっぷりなのが特徴的だ。
全体には、プスとハンプティを軸に、童話の「ジャックと豆の木」と「ガチョウと黄金の卵」の設定を組み合わせた様な構成となっている。
レオーネの映画というと、男たちの友情と裏切りの物語という印象が強いが、本作におけるプスとハンプティの関係は、正にこのパターンでレオーネ節全開。
腕白で正義漢のプス、虐められっ子だが、頭が良く発明好きのハンプティは、対象的なキャラクターながら、お互いをリスペクトしながら孤児院で育つ。
彼らは、雲の上にある巨人の城に住む、黄金の卵を産むガチョウを手に入れる事を夢見ており、そのために天まで育つ豆の木になる、魔法の豆を探し求めているのだ。
しかし、何時の間にか心のどこかが歪んでしまったハンプティは、7年前に何も知らないプスを巻き込んで強盗事件を起こしてしまい、それ以来お互いを裏切り者として許し合えずにいる。
この、男たちの過去を描く回想の手法なども、レオーネの定番を上手く茶化して笑いに結びつけてあり、ファンは嬉しくてニヤニヤしてしまう。
もちろん、活劇としての見せ場も数多い。
プスとキティの迷路のような街を縦横無尽に駆け巡る追いかけっこ、荒野を突っ走る馬車を使った「レイダース」ライクな迫力ある追撃戦、そして豆の木を伝って辿り着くのは、「天空の城ラピュタ」ソックリの巨人の城。
子供の頃からの目標を叶えるまではトントン拍子だが、もはや無垢なる存在ではない登場人物たちの物語は、ここからが佳境。
因縁の故郷の街を舞台に、それぞれの思惑が交錯する中、ある者の飛来と共に起こる「大巨獣ガッパ」・・・いやいや「怪獣ゴルゴ」的な壮大な危機が、嘗て袂を別ったプスとハンプティの友情を再び試すのである。
まあ、作劇的には最後まで予定調和を壊すことは無いのだが、もとよりこれは「シュレック」シリーズが作り上げてきたパロディ版の御伽の国の世界観を、西部劇にまで広げた物語であり、作り手の映画的記憶で愛情たっぷりのダシをとり、若干の毒をスパイスにした仕上がりは、十分に期待通りで満足できる物だ。
そう言えば、今年のオスカーを本作と競った「ランゴ」もまた大西部への想いが詰まった一本で、作品の志向する方向はよく似ている。
だが、「ランゴ」は良くも悪くもゴア・ヴァービンスキーの作家映画であり、彼の趣味性が先鋭的に表現されていたのに対し、「長ぐつをはいたネコ」はあくまでも「シュレック」のスピンオフという器があるからか、良い意味でハリウッドの法則の範囲内に収まり、マニア以外にも観易い、間口の広い作品になっていると思う。
例えば、ジョージ・マーシャル監督の「砂塵」以来、西部劇の定番ネタである“酒場でミルクを頼む”にしても、「ランゴ」でも同様のシチュエーションがあったが、本作では更に主人公がネコである事が上手く絡められ、とても自然に感じられる。
全体にオマージュ部分が「ランゴ」ほど突出せずに、より世界観の中にナチュラルに埋め込まれており、古典西部劇をよく知らない人でも、もとい本作のオリジナルである「シュレック」を一本も観たことが無くても、ちゃんと楽しめる様に出来ているのは大したものだ。
大人にも子供にも、一応イヌ派にもオススメ出来る、春休みらしい一本である。
今回は、ミルク好きのプスに合わせて「カルーアミルク」をチョイス。
カルーア40mlとミルク80mlを、氷を入れたタンブラーに注いでステアし、最後にミントの葉を添える。
カルーアとミルクの分量はあくまでも好みだが、甘くてビターなコーヒーリキュール、カルーアと、人間の味覚の原体験であるミルクのコンビネーションは、口当たりマイルドでとても飲みやすい。
因みにカルーアの代わりにバーボンとミルクのコンビネーションにすると、「カウボーイ」というこれまたそれっぽいカクテルになる。
私は、この考案者は多分西部劇の“酒場でミルク”からヒントを得たんじゃないかと思っていたのだが、実際にはウィスキーとミルクのレシピは古くからアイルランドなどで飲まれており、それがアメリカに広まって、この名前で知られる様になったらしい。

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昼はハリウッドのスタントマン、夜は犯罪者の“逃がし屋”として、都市の日陰で生きる孤独な男が、ふとした切っ掛けで知り合った隣家の母子を救うために、裏社会の大物相手に命懸けの戦いに挑む。
まるで往年の西部劇の様なシンプルなプロットを、独特のムードのあるクライム・ムービーの佳作に仕立て上げたのは、ニコラス・ウィンディング・レフン監督。
主人公の“ドライバー”に、このところ出演作が相次いでいるライアン・ゴズリング、薄幸の人妻にこちらも人気急上昇のキャリー・マリガン。
ぶっちゃけ物語的には全く新味は無いが、ハリウッド映画とは思えないヨーロピアンなムードは、観客をスクリーンに釘付けにするのに十分な魅力を持っている。
カンヌ監督賞という勲章が示す様に、演出力の光る異色作だ。
※ラストに触れています。
家族も友人も持たず、昼はスタントマン、夜は逃がし屋としてステアリングを握る運転手“ドライバー”(ライアン・ゴズリング)。
ある日、たまたまアパートの隣部屋に住む人妻のアイリーン(キャリー・マリガン)と幼い息子ベニチオ(ケイデン・レオス)が、車の故障で困っていたところを助けた事で、言葉を交わすようになる。
彼は次第にアイリーンに惹かれ、母子と親しくなってゆくが、刑務所にいた彼女の夫が出所。
再び孤独な生活に戻るドライバーだったが、夫が犯罪組織から仕事を強要されている事を知り、アイリーンのために足を洗う手伝いを買って出る。
しかし、それはマフィアの裏金を巡る危険過ぎる罠だった・・・
主人公は凄腕のドライバーで、タイトルも「ドライヴ」だが、例えば「ワイルド・スピード」シリーズの様なアクション映画ではない。
ドライバーが走りのテクニックを発揮する見せ場もあるにはあるが、その作りは大量の火薬とリアリティを無視したCGの見せ場が連続するハリウッド超大作を観慣れた目には、古典的にすらうつるだろう。
かと言って、登場人物の内面が綿密に描きこまれているとか、捻りに捻って最後にどんでん返しがある様な、凝った物語が存在する訳でもない。
この映画を一言で表すなら、“情感のあるムードを楽しむ作品”という事になるだろう。
何しろ、主人公に関する一切のバックグラウンドが描かれないのだ。
一体彼が何者で、何処から何のためにロサンゼルスに流れて来たのか、圧倒的なドライビングテクニックをどうやって修得したのか、全てが謎のまま。
いや、それどころか彼には“ドライバー”という肩書き以外、名前すら与えられていないのである。
この辺りのキャラクター造型は、まるで嘗てクリント・イーストウッドが演じた「ペイルライダー」の謎の牧師、あるいはその元ネタでもある「荒野のストレンジャー」の幽霊ガンマンを思わせる。
殆ど全てのシーンで、白いTシャツの上に毒のあるサソリのスカジャンの一張羅という衣装も、極めて記号的だ。
もっとも、主人公以外の登場人物も描き方はそう変わらない。
彼が密かに想いを寄せる、美しい人妻アイリーンも、若くに結婚して子供を設けたが、夫は刑務所にいること位しか語られず、出所してきた夫に関しても、刑務所入りした理由も含め、殆ど背景は描かれない。
主人公を罠にはめる悪役たちにしても、観客に与えられるインフォメーションは、ごく断片的である。
しかし、その結果として浮かび上がってくるのは、それぞれのキャラクターのシンプルかつ強い感情だ。
シチュエーション毎に移り変わるような、複雑な内面の葛藤ではなく、「アイリーン母子を守りたい、幸せな人生を送ってもらいたい」というストレートで切実な感情。
あるいは悪役サイドからしたら、「欲望の邪魔になる奴は、とりあえず排除する」の様な、根源的な欲求である。
可能な限り、キャラクターの感情以外の情報を排除し、台詞すらも最小限。
物語るのはムーディな俳優たちと、映画作家の卓越した映像テクニックである。
ニコラス・ウィンディング・レフンは、特に主人公のドライバーに寄り添い、寡黙なアウトローの純愛を軸にストーリーを展開する。
彼の長編デビュー作の「プッシャー」は、ダークでスタイリッシュな映像が印象的なクライム・ムービーだったが、今回もシャープで疾走感のある映像と緩急自在の抜群の編集技術が光る作品だ。
スローモーションの演出を駆使して、静寂な日常に不意にハードなバイオレンスを放り込む様な、静と動の切り替えに見えるセンスなどは、どこか北野武を思わせる。
感情の機微を印象付ける音楽・音響演出も秀逸で、視覚と聴覚からアウトローとして生きてきた主人公の、自分には絶対に手に入れられない幸福への渇望が、パワフルなエモーションとなって観客の心にダイレクトに響いてくるのだ。
ロン・パールマン、アルバート・ブルックスという、いかにも凶悪そうな悪役たちとの戦いによって、彼らを永遠に黙らせるのと引換に、ドライバーもまた深い傷を負う。
映画ははっきりと描写しないが、彼はたぶん自分の死期を悟っているのだろう。
物語の最後で、黙々と車を走らせる彼の目線の先にあるものは、幸せに暮らすアイリーンたちの幻なのかもしれない。
おそらく、映画ファンの多くは、この映画のラストにデジャヴュを感じるだろう。
薄幸の母子への、アウトローからの報われる事の無い無償の愛。
これは、デンマーク出身の監督による、ハリウッド映画史への大いなるオマージュ、馬を車に大西部を都会の暗闇に置き換えた、現代版の「シェーン」であり、主人公は「ペイルライダー」のイーストウッド同様に、映画という神話に生きる存在なのである。
そう言えば「シェーン」でも、平原の彼方に去ってゆく主人公は、実は既に死んでいるのではという議論があった。
映画のアウトローは、スクリーンの彼方に消え去る事によって、逆説的に永遠の命を持つヒーローとなるのである。
今回は、クール&ウエットな情感の余韻を味わいながら、作品の舞台と同じ名前を持つ「ロサンゼルス・アイスド・ティ」をチョイス。
ミドリ20ml、ウォッカ15ml、ジン15ml、ラム15ml、トリプルセック15ml、ライムジュース20ml、ガムシロップ20mlを氷と一緒によくシェイクする。
グラスに注いだところを適量のソーダで割り、スライスしたライムを添えて完成。
有名なロングアイランド・アイスド・ティのバリエーションだが、ミドリのグリーンが爽やかなドライでシャープな輪郭のカクテルだ。

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平凡な男が、大災害の予知夢を見てしまった事から恐怖に取り憑かれ、一心不乱に庭に避難用シェルターを作り始めるという心理劇。
エグゼクティブ・プロデューサーを努めるのは、「AVP2」や「スカイラインー征服ー」で知られる、特撮ヲタクのストラウス兄弟だが、ちょっとしたVFXシークエンスは散在しているものの、いわゆる終末のカタストロフィとか、そっち系の映画ではない。
本作が長編ニ作目となる新鋭ジェフ・ニコルズ監督は、喪失への恐れによって混乱する男の心の闇を、シェルター作りという行為に比喩する事で、極めてユニークな人間ドラマの佳作を作り出した。
じわじわと悪夢に蝕まれる主人公をマイケル・シャノンが怪演し、妻役は「ツリー・オブ・ライフ」で注目されたジェシカ・チャスティンが演じる。
※ラストの一部に触れています。
土木関係の会社に勤務するカーティス(マイケル・シャノン)は、妻のサマンサ(ジェシカ・チャスティン)と聾唖の娘ハンナ(トーヴァ・スチュワート)と幸せな人生を送っているが、ある夜から突然悪夢を見るようになる。
空を厚い雲が覆い尽くし、オイルの様な雨を降らせる大嵐が到来、その雨を浴びて凶暴化する人や動物がカーティスたちに襲いかかる。
連夜の悪夢は、単なる夢というには余りにもリアルで、やがて恐怖に囚われたカーティスは、これが近い将来に起こる事の予知夢だという考えに取り憑かれてしまい、家の庭に大掛かりなシェルターを作り始める。
カーティスの悪夢は、日を追う毎にますます生々しくなり、彼は“その時”が近づいている事を確信するのだが、常軌を逸した言動を理解できない家族や友人達は、次第に不信感を募らせてゆく・・・
終末の啓示を受けた者で、最も有名なのは旧約聖書に登場するノアだろう。
彼もまた世界の終わりを確信し、巨大な箱舟を作り始めて人々に嘲笑されたが、彼の場合は信心深い家族は最初から味方だったし、協力もしてくれた。
ノアに比べれば、本作の主人公であるカーティスはずっと孤独な戦いを強いられる。
日に日にリアルになってゆく悪夢は、恐怖と不安によってカーティスを支配するが、何しろ夢なので、他の人にそれを理解しろと言っても無理な話である。
端から見たら単に頭がおかしくなった様にしか見えないのだから、当然と言えば当然ながら、周りの人々はカーティスを心配し、やがてその言動に別種の恐れを抱く。
なんでも監督のジェフ・ニコルズは、幸せいっぱいの新婚生活を満喫している時に、この作品の着想を得たらしい。
人は、人生において自分以上に大切なものを持った時、失いたくないという思いから、不安や恐れを感じる。
カーティスの場合は、それは妻と娘である。
家族と過ごす時間に満ち足りた幸福を感じていれば、幸せを失う事への漠然とした不安もまた、潜在意識の中で成長を続ける。
そんな時に、もしも恐ろしくリアルな予知夢を見てしまったとしたら?
私も昨年の震災以来、大地震の夢を繰り返し見る。
それは自分でも夢だと分かっているのだが、現実感もあり、生々しい。
もしも一緒に暮らす家族がいたなら、何とか最悪の事態が来ても大丈夫な様に、用意だけはしておきたいと考えるのは理解できる感情だ。
まあ日本の場合、大地震はもはや確実な過去であり未来なのだが、実際に夢以外に何の予兆もない状態で、行動を起こするとなると、事はそう簡単にはいかない。
恐怖を理性で抑えられなくなったカーティスは、娘の人工内耳手術のためにお金がいるにもかかわらず、巨額の謝金をして庭にシェルターを作り始める。
それどころか、会社の機材を勝手に使ったことがバレて、クビを言い渡されても彼は工事を止める事が出来ない。
状況が悪化すればするほど、彼の中で恐怖という感情が、怪物の様に育ってゆくのである。
しかも、カーティスがノアの様に、全く“啓示”に疑いを抱かない人であれば、物語は“一人の変人vsその他”という単純な図式に収まるのだが、一方でカーティスは自分自身を信じ切れない理由も持っている。
それは、彼が10歳の頃に、母親が妄想型統合失調症を患い、以降25年間も精神病院に入院しているという事実。
母親が発症したのは、今のカーティスと同じ30代。
彼の心は夢に対する恐れと同時に、自分もまた同じ病気なのではという別種の不安によっても圧迫されているのである。
大災害の予知夢という外から来る脅威と、精神の病という内なる不安。
二つの恐怖に曝されるカーティスにとって、シェルターとは最後の最後に逃げ込める、自分自身の“心”の象徴だ。
だが、猜疑心を募らせるカーティスの中で、二つの恐怖はある時遂に一つになる。
予知夢の中で、愛する家族までもがカーティスにとって恐怖の対象になってしまうに至って、彼は大きな自己矛盾に直面する。
一体自分は、何から家族を守ろうとしているのか?
終末の嵐からなのか?それとも、自分自身の狂気から?
小さな嵐によってシェルターに逃げ込んだカーティスと家族は、遂に彼の中に巣食う恐怖の正体と対峙せざるを得なくなるのである。
以前、マイケル・ムーアの映画で「アメリカでは、人々に恐怖を感じさせて消費に走らせる」という主張があったが、不安や恐れとは、言わば幸せの反作用だ。
満ち足りて失いたくないものが多ければ多いほど、人は漠然とした恐怖に囚われやすくなる。
災害、戦争、犯罪、環境、そして原発も含め、多くの恐怖を内包するこの豊かな社会にあって、カーティスの様な事は実は誰にでも起こり得るのだろう。
そして、この映画のラストが示唆する様に、妄想と現実の境界も、実は非常に曖昧なのかも知れない。
今回は、悪夢から一転、美味しい夢「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジ・キュラソー20ml、アブサン1dashをシェイクしてグラスに注ぐ。
ブランデーベースにオレンジの強い風味が印象的な甘口のカクテルで、アブサンのクセのある香りがアクセントとなっている。
甘口と言ってもアルコール度数はかなり高いので、飲み過ぎるとせっかくの夢がまた悪夢になってしまうかも知れない。

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第一次世界大戦を生き抜いた一頭の軍馬(War Horse)と、数奇な運命に導かれその馬と邂逅する人間たちの織り成す物語を描いた歴史ドラマ。
マーティン・スコセッシが、デジタル技術を駆使し映画の先駆者メリエスへの大いなるオマージュを捧げれば、既に「タンタンの冒険」でデジタルを遊び倒したスピルバーグは、一転してアナログの夢を追求し、フィルムの歴史に最後の花を咲かせようとする。
原作は1986年に出版されたマイケル・モーパーゴの同名小説「戦火の馬」で、2007年に舞台化され高い評価を得た。
本作のプロデューサーであるキャスリン・ケネディとフランク・マーシャル夫妻が、舞台版に深く感動し映画化権を取得、彼らに薦められて観劇したスピルバーグは、直ぐに自分で監督する事を決めたという。
そして、企画開始からクランクインまで僅か7ヶ月という、ハリウッド大作としては異例のスピードで映画化された。
※ラストに触れています。
イングランド、デヴォン。
村の小作農家の息子アルバート(ジェレミー・アーヴァイン)は、父親のテッド(ピーター・マラン)が意地を張って競り落としたサラブレッドの仔馬、ジョーイと不思議な絆で結ばれ、兄弟の様に育つ。
だが、第一次世界大戦が勃発し、凶作で小作料が払えなくなったテッドは、ジョーイを軍馬としてイギリス軍に売ってしまう。
ジョーイを買った騎兵隊の将校、ニコルズ大尉(トム・ヒドルストン)は戦争が終わったらきっと馬を返すとアルバートに約束するが、しばらく後に戦場から届いた便りは、ニコルズの戦死とジョーイが行方不明となった事を告げるものだった。
数年後、ヨーロッパ大陸の戦場には、イギリス軍の一兵卒として出征したアルバートと、敵であるドイツ軍の軍馬となったジョーイの姿があった・・・
この物語は、原作者のモーパーゴが故郷のデヴォンに暮らす、古老の退役軍人から聞いた話が元になっている。
第一次世界大戦における人と軍馬の歴史に興味を抱いたモーパーゴは、独自に研究を続け、その結果第一次世界大戦中にイギリスだけでも100万頭の軍馬が犠牲になり、生き残ったのは僅かに6万2千頭だという事を知る。
これは、英軍の人間の戦死者88万人をも上回る数だ。
人間にも動物にも残酷な、戦争という時代。
今まで幾つもの作品で戦争をモチーフとしてきたスピルバーグは、今回自身初となる第一次世界大戦の物語を描く。
戦争終盤の1917年からの参戦だった事もあり、アメリカではもはや忘れられた遠い昔の戦争だが、だからこそ記憶が生々しい過ぎず、一歩引いた視点から古典的な寓話劇として歴史を俯瞰できる事は、スピルバーグが本作を選んだ理由の一つかもしれない。
驚くべき事に、本作には本来の意味での主人公は存在しない。
ジョーイの飼い主であるアルバート少年も、ジョーイが軍馬となった後は、後半自分自身が出征するまで一時間近くも出てこないのである。
あえて主人公を探すなら、アルバートに愛情深く育てられ、サラブレッドながら農耕馬の頑丈さを併せ持ち、地獄の戦場を力強く生き抜く事になる、タイトルロールの“War Horse”ジョーイだろう。
映画は、ジョーイとアルバートの家族としての絆のシークエンスを冒頭と結末に配し、全体をサンドイッチにする構造を持たせることで、ジョーイをある種の狂言回しとして物語の軸に置く事に成功している。
固定された人間からの視点を持たないため、この作品には敵も味方も、善玉も悪玉も登場せず、ただ歴史の流れと、その中で翻弄されながらも、必死に生きようとする人間たちがいるだけだ。
激動の4年間に、ジョーイは幾人もの人間たちと一期一会の出会いを繰り返す。
二番目の主人であるニコルズ大尉を失った後、ジョーイは僚馬のトップソーンと共にドイツ軍に捕獲されるが、今度はドイツ軍の兄弟兵士が二頭を駆って前線からの脱走を試みる。
そして、老いた農夫と病弱な孫娘、エミリーが暮らすフランスの農場で、つかの間平穏な時を過ごした後、再びドイツ軍に徴用されたジョーイとトップソーンは、泥濘の中巨大な大砲を引く過酷な任務につくのだが、そこでも密かに馬たちに愛情を注ぐドイツ兵と心を通わせる。
ジョーイと出会った人間たちは、明日の生死すら知れぬ戦場で、皆一様に彼の優しい目と力強く美しい姿に未来への儚い希望を見るのである。
人間たちは一人、また一人と時代の荒波の中に倒れてゆくが、彼らの託した命は物言わぬジョーイの中に受け継がれているのだ。
やがて、苦楽を共にした友でありライバルでもあるトップソーンまでもが力尽きた時、ジョーイは遂に人間のくびきを逃れ、敵味方入り乱れる戦場を、怒涛の勢いで疾走する。
戦車を飛び越え、塹壕を突っ切り、砲弾飛び交う中、鉄条網を引きずりながらも止まらない。
このシークエンスは、前半のアルバートと共に荒地に畑を切り開くシーンの対にもなっており、言葉を持たない馬が、はじめてその感情を大爆発させる圧巻の映像スペクタクルだ。
「シンドラーのリスト」以来、この人抜きにスピルバーグ映画は語れない、撮影監督のヤヌス・カミンスキーの作り出すビジュアルは、もはや映画の神が乗り移っているのではと思わせる。
冒頭の、まるでオールドハリウッドのテクニカラーを思わせる色調で描かれる、緑鮮やかな中に生命が溢れる雄大な田園の風景、凶作に戦争が重なり、徐々に映画から彩度が失われてゆく中盤、豪雨の中に硝煙が立ち込め、死のイメージが充満する戦場。
何より、それぞれの風景の中にあって、常に圧倒的な存在感を放つジョーイの姿。
物語による感動とは別に、観ただけで鳥肌が立つ様な数々の名ショットは、映像の魔術となって観客の心に鋭く入り込む。
そして、無数の鉄条網に絡め取られたジョーイを、霧の立ちこめる神秘的な敵味方中間地帯で、イギリス兵とドイツ兵が協力して助け出すシーンは、ちょっと第一次世界大戦の休戦秘話を描いた「戦場のアリア」を思わせるシチュエーションだ。
ここは、鉄条網に比喩される戦争の不条理によって囚われたジョーイ(と彼の体現する希望)が、人間の勇気と思いやりによって解き放たれるという、本作のテーマを象徴する最も重要なシーンである。
たとえどんなに悲惨で苛酷な状況にあっても、人間の心には決して失われないものが確かにあるとスピルバーグは説く。
ここからのジョーイとアルバートの奇跡の再会劇と、やはり前半と対になるように設定された“競り”のシーンの帰趨も含め、物語の終盤は出来過ぎな位の予定調和なのだが、例えわかっていても素直に感動させられてしまうのだから、さすがとしか言いようが無い。
スピルバーグにしてみれば、この題材を選んだ時点からの計算通りという事だろう。
シネマスコープの巨大な画面を見事に使い切った鮮やかなラストカットまで、見事なまでに映画的であり、巨匠の巨匠たる所以を実感できる秀作である。
今回は馬のラベルで有名なカリフォルニアのアイアンホース ヴィンヤーズから、スパークリング「クラッシク・ヴィンテージ・ブリュット」をチョイス。
細やかな泡が美しく、味わいもクリーミーかつ芳醇な4年熟成酒。
スピルバーグ映画に相応しい華やかな一本だ。
このヴィンヤーズのあるソノマ・ナパ周辺には牧場も多く、馬で丘陵を巡るホース・バック・ライディング・ツアーも盛ん。
私も何度か挑戦した事があるけど、一日乗ってると結構お尻が痛くなるんだよね・・・。

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これは、巨匠マーティン・スコセッシ監督が、21世紀のデジタルテクノロジーを駆使し、110年前に作られた最初の“物語映画”と、偉大なる“映画の父”との時空を超えたコラボレーションを試みた壮大なシネマティック・クロニクル。
1930年代のパリを舞台に展開する、幻想的に美しい3Dワールドは、映画を愛する全ての人の心を魅了するだろう。
スコセッシのエンスージャスティックな映画への想いが結実した、珠玉の傑作である。
*ラストシーンに触れてます。
1930年代のパリ。
駅の時計台に隠れて暮らす孤児のヒューゴ・カブレ(エイサ・バターフィールド)は、時計職人だった父(ジュード・ロウ)の形見の、文字を書く機械人形を修理している。
ある日、駅のおもちゃ屋から部品を盗もうとしたヒューゴは、店主のジョルジュ(ベン・キングズレー)に捕まってしまい、罰として店で働く事になる。
やがて人形の修理は完了するが、人形を動かすためのカギがどうしても見つからない。
ジョルジュの家で暮らす冒険好きの少女イザベラ(クロエ・グレース・モレッツ)と友達になったヒューゴは、彼女が持っているハート型のカギが、なぜか機械人形のカギ穴にピッタリな事に気づく。
カギを差し込まれた機械人形はゆっくりと動きだすが、人形が書いたのは文字ではなく奇妙な絵だった・・・
フランス人、マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエスは、今日では“映画の父”として知られている。
映画の発明者はリュミエール兄弟。では何故メリエスが“父”なのか。
劇中でも触れられている様に、映画の起源は先史時代の洞窟壁画まで遡る事が出来る。
暗い洞窟の中、炎を灯して壁画を見た古代人たちは、その揺らぐ光によって絵が動く様な錯覚を感じていたと考えられており、洞窟は言わば太古の映画館だったのだ。
ぐっと時が経った産業革命以降、ゾートロープやプラクシノスコープといった“アニメーション機械”が相次いで発明され、これらは1888年にフランスのシャルル・エミール・レイノーによって、初の映写するアニメーション機械、テアトルオプティックに発展する。
そして大西洋を超えたアメリカで、トーマス・エジソンが実写をフィルム撮影し、それを観るというキネトグラフ・キネトスコープを発明、この時点で映画のハードウェアがほぼ完成するのだが、キネトスコープはスクリーンに映写するのではなく、箱の中を覗き込む形式だった。
これをフランスのリュミエール兄弟が、テアトルオプティックの様に、スクリーンに映写し、同時に多くの人々が観賞出来る様にした事をもって、今日では映画の発明とされている。
だが、リュミエール兄弟ら最初期の映画製作者たちが作ったのは、単純にある現象を記録をするだけの物だった。
1895年に、パリのグランカフェで歴史上初めて上映された映画、「列車の到着」は汽車が駅に入ってくるだけだし、「工場の出口」は工員の帰宅風景を撮ったもので、驚かせよう、という他に何かを表現しようという積極的意図は見られず、基本的には“動く写真”という見世物以上の物では無かったのだ。
しかし、リュミエール兄弟のシネマトグラフに衝撃を受け、まだ誰も観た事のない芸術を創造する可能性に取り憑かれた一人の若いマジシャンがいた。
それがメリエスである。
1896年から映画の研究に没頭したメリエスは、マジシャンとして培った様々なアイディアを盛り込んで、膨大な数の短編で経験を積み、1902年に歴史を変える一本の映画を発表する。
ヴェルヌの小説に材をとった「月世界旅行」は、複数の場面(シーン)が連続する構造を持ち、ステージのノウハウを融合させたギミックを駆使して、奇想天外な物語を展開させるという、それまでの映画とは全く次元の異なる一本であった。
この作品で一躍時の人となったメリエスは、次々と作品を発表し、その総数は1913年までに記録に残っているだけで実に553本にのぼる。
独自のスタジオを持ち、脚本を書き、俳優の演技指導をした彼は、最初の“職業映画監督”として、映画を産業として確立した立役者であるだけでなく、映画作りにおける多くの技術的な発明も行った。
例えば、今我々が何気なく見ているフェードイン・フェードアウトやディゾルヴ(オーバーラップ)などの場面転換のテクニックも、メリエスが元祖なのである。
ハリウッドのサイレント期の巨匠、D・W・グリフィスの「私の全てはメリエスからの借り物」という言葉は有名だ。
だが、メリエスが火をつけた映画の進化は、やがて彼自身を時代遅れにしてしまい、資金繰りの悪化に加え、第一次世界大戦の勃発が駄目押しとなって、メリエスは表舞台を去ることになる。
失意のうちに映画界から身を引いた彼は、パリのモンパルナス駅で実際におもちゃ屋を営んで細々と暮らしていたそうで、映画はこのあまり知られていないメリエスの晩年を題材に虚実を織り交ぜ、父を亡くした孤独な少年が、形見の機械人形の再生によって、忘れられた“映画の父”を再発見するという寓話的な物語となっている。
血と暴力に彩られた、ハードな人間ドラマを得意とするスコセッシ作品としては異色の題材という気もするが、彼は自他共に認めるシネフィルであり、歴史に埋れた映画を発掘し、修復・保存する活動にも熱心に関わっているので、その意味ではピッタリ。
また、これはスコセッシの12歳になる愛娘、フランチェスカちゃんに向けて作られた作品なのだそうで、果たして子供がこの内容やメッセージを理解出来るかどうかはさておき、少年少女を主人公にする事で、自らの映画作りの原点に立ち返った作品とも言えるだろう。
本作のタイトルロールである孤児のヒューゴは、スコセッシの様に映画を愛し、優れた時計職人だった父を亡くした後、迷路のような駅の壁の裏側で人知れず時計のメンテナンスをしながら、自らの“役割”を探している。
役割の無い人間はいない、誰もがなすべき役割を持って生まれて来ているはずだと考える彼は、やがて溢れんばかりの才能を持ちながらも、時代という大河に押し流され、人々から忘れ去られた孤独な老人ジョルジュ、そして冒険の扉を開くハートのカギを持つ少女イザベルと出会う。
動き出した機械人形が描いた一枚の奇妙な絵を手掛かりに、少年と少女は心を閉ざした老人の正体が、絶望から夢も希望も失ってしまった、嘗ての偉大な映画の始祖メリエスである事を知る。
頑なに自分の過去を否定する事で、未来をも閉ざしてしまっているメリエスの心を開放するために、ヒューゴは自分の役割を父と同じく“修理する事”と定め、メリエスの内面で凍りついている、映画への愛と情熱を蘇らせるために、彼の心を修理する事を誓う。
その過程で体験する小さな冒険を通して、ヒューゴは人生の悲喜こもごもを見て成長するだけでなく、図らずも身の回りの人々の人生までも変えてしまう。
そして、遂に彼の想いを受けとめたメリエスによって語られる、映画黎明期の情景の何と瑞々しく美しいこと!
有無を言わさぬ映画の魔法に掛かっては、この辺りの多少強引な物語展開もすんなりと納得させられてしまうではないか。
例によって、本作にも2D版と3D版の二つが用意されているが、作品のコンセプトから言っても、これは是非とも3Dで観るべき映画である。
デジタル映像時代のエポックとなった「アバター」以来、3D演出は飛び出し感よりも、奥行きの広がりを強調し、観客にまるでその場にいるかのような臨場感を抱かせるものが主流となっているが、本作はむしろ嘗ての見世物としての3Dに近い。
雪の舞うパリの鳥瞰図から、一気にリヨン駅構内にカメラが入り、時計の文字盤の奥にいるヒューゴの表情に寄るという掴みのファーストカットは勿論だが、とにかく飛び出す。
特に終盤などはちょっとやり過ぎでは?と思えるほどに人物の立体感が強調されているが、これらは当然計算された物だ。
本作における3Dの意義とは、映画の誕生の瞬間に、人々が感じた衝撃の追体験に他ならない。
リュミエール兄弟の「列車の到着」を観ていた観客が、こちらに向かってくる汽車に轢かれると思って逃げようとする“伝説”の描写に象徴される様に、止まった写真しか知らない人々にとって映画とは正に飛び出す映像だったのである。
また、背景をセピア調に抑え、カラーの人物だけを抽出して浮かび上がらせる様なイメージは、劇中のメリエス作品に見られる人工着色と同じ意味付であり、同時に観客にキャラクターと対面しているという感覚を増幅させる。
ラストでこちらに向って思いっきり飛び出しながら、「Come and dream with me」と観客を映画の夢へと誘うメリエスの姿は、スコセッシ自身の投影でもあるのだろう。
創作の喜びが詰まった、映画の再発明とでも言うべき傑作、存分に堪能した。
因みに、現実のメリエスは、劇中の設定より少し早く、20年代の終わり頃から再評価が進み、現代でも多くの作品を観る事が出来る。
だが、彼と同時代に活躍しながら、彼ほど名前が残っていないフェルディナン・ゼッカやセグンド・ド・ショーモン、アリス・ギイらの作品は残念ながら観るチャンスすら殆ど無いのが現実だ。
この作品を機会に、映画史への関心が高まったりすると嬉しいのだけど。
今回は、元祖SF映画「月世界旅行」繋がりで、美しいブルーのカクテル「ルナ・パーク」をチョイス。
ウォッカ20ml、クレーム・ド・バイオレット20ml、ドリンクヨーグルト10ml、アセロラジュース10mlをシェイクしてカクテルグラスに注ぎ、リンゴを三日月型に、レモンピールを星型にカットしてグラスに飾る。
1994年に登場した新しいカクテルだが、甘酸っぱい味わいとファンタジックなルックスで、舌と目を両方楽しませてくれる。

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