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ヒューゴの不思議な発明・・・・・評価額1800円
2012年03月02日 (金) | 編集 |
さあ、一緒に夢を観ましょう。

これは、巨匠マーティン・スコセッシ監督が、21世紀のデジタルテクノロジーを駆使し、110年前に作られた最初の“物語映画”と、偉大なる“映画の父”との時空を超えたコラボレーションを試みた壮大なシネマティック・クロニクル
1930年代のパリを舞台に展開する、幻想的に美しい3Dワールドは、映画を愛する全ての人の心を魅了するだろう。
スコセッシのエンスージャスティックな映画への想いが結実した、珠玉の傑作である。
*ラストシーンに触れてます。

1930年代のパリ。
駅の時計台に隠れて暮らす孤児のヒューゴ・カブレ(エイサ・バターフィールド)は、時計職人だった父(ジュード・ロウ)の形見の、文字を書く機械人形を修理している。
ある日、駅のおもちゃ屋から部品を盗もうとしたヒューゴは、店主のジョルジュ(ベン・キングズレー)に捕まってしまい、罰として店で働く事になる。
やがて人形の修理は完了するが、人形を動かすためのカギがどうしても見つからない。
ジョルジュの家で暮らす冒険好きの少女イザベラ(クロエ・グレース・モレッツ)と友達になったヒューゴは、彼女が持っているハート型のカギが、なぜか機械人形のカギ穴にピッタリな事に気づく。
カギを差し込まれた機械人形はゆっくりと動きだすが、人形が書いたのは文字ではなく奇妙な絵だった・・・


フランス人、マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエスは、今日では“映画の父”として知られている。
映画の発明者はリュミエール兄弟。では何故メリエスが“父”なのか。
劇中でも触れられている様に、映画の起源は先史時代の洞窟壁画まで遡る事が出来る。
暗い洞窟の中、炎を灯して壁画を見た古代人たちは、その揺らぐ光によって絵が動く様な錯覚を感じていたと考えられており、洞窟は言わば太古の映画館だったのだ。
ぐっと時が経った産業革命以降、ゾートロープやプラクシノスコープといった“アニメーション機械”が相次いで発明され、これらは1888年にフランスのシャルル・エミール・レイノーによって、初の映写するアニメーション機械、テアトルオプティックに発展する。
そして大西洋を超えたアメリカで、トーマス・エジソンが実写をフィルム撮影し、それを観るというキネトグラフ・キネトスコープを発明、この時点で映画のハードウェアがほぼ完成するのだが、キネトスコープはスクリーンに映写するのではなく、箱の中を覗き込む形式だった。
これをフランスのリュミエール兄弟が、テアトルオプティックの様に、スクリーンに映写し、同時に多くの人々が観賞出来る様にした事をもって、今日では映画の発明とされている。

だが、リュミエール兄弟ら最初期の映画製作者たちが作ったのは、単純にある現象を記録をするだけの物だった。
1895年に、パリのグランカフェで歴史上初めて上映された映画、「列車の到着」は汽車が駅に入ってくるだけだし、「工場の出口」は工員の帰宅風景を撮ったもので、驚かせよう、という他に何かを表現しようという積極的意図は見られず、基本的には“動く写真”という見世物以上の物では無かったのだ。
しかし、リュミエール兄弟のシネマトグラフに衝撃を受け、まだ誰も観た事のない芸術を創造する可能性に取り憑かれた一人の若いマジシャンがいた。
それがメリエスである。
1896年から映画の研究に没頭したメリエスは、マジシャンとして培った様々なアイディアを盛り込んで、膨大な数の短編で経験を積み、1902年に歴史を変える一本の映画を発表する。
ヴェルヌの小説に材をとった「月世界旅行」は、複数の場面(シーン)が連続する構造を持ち、ステージのノウハウを融合させたギミックを駆使して、奇想天外な物語を展開させるという、それまでの映画とは全く次元の異なる一本であった。
この作品で一躍時の人となったメリエスは、次々と作品を発表し、その総数は1913年までに記録に残っているだけで実に553本にのぼる。

独自のスタジオを持ち、脚本を書き、俳優の演技指導をした彼は、最初の“職業映画監督”として、映画を産業として確立した立役者であるだけでなく、映画作りにおける多くの技術的な発明も行った。
例えば、今我々が何気なく見ているフェードイン・フェードアウトやディゾルヴ(オーバーラップ)などの場面転換のテクニックも、メリエスが元祖なのである。
ハリウッドのサイレント期の巨匠、D・W・グリフィスの「私の全てはメリエスからの借り物」という言葉は有名だ。
だが、メリエスが火をつけた映画の進化は、やがて彼自身を時代遅れにしてしまい、資金繰りの悪化に加え、第一次世界大戦の勃発が駄目押しとなって、メリエスは表舞台を去ることになる。

失意のうちに映画界から身を引いた彼は、パリのモンパルナス駅で実際におもちゃ屋を営んで細々と暮らしていたそうで、映画はこのあまり知られていないメリエスの晩年を題材に虚実を織り交ぜ、父を亡くした孤独な少年が、形見の機械人形の再生によって、忘れられた“映画の父”を再発見するという寓話的な物語となっている。
血と暴力に彩られた、ハードな人間ドラマを得意とするスコセッシ作品としては異色の題材という気もするが、彼は自他共に認めるシネフィルであり、歴史に埋れた映画を発掘し、修復・保存する活動にも熱心に関わっているので、その意味ではピッタリ。
また、これはスコセッシの12歳になる愛娘、フランチェスカちゃんに向けて作られた作品なのだそうで、果たして子供がこの内容やメッセージを理解出来るかどうかはさておき、少年少女を主人公にする事で、自らの映画作りの原点に立ち返った作品とも言えるだろう。

本作のタイトルロールである孤児のヒューゴは、スコセッシの様に映画を愛し、優れた時計職人だった父を亡くした後、迷路のような駅の壁の裏側で人知れず時計のメンテナンスをしながら、自らの“役割”を探している。
役割の無い人間はいない、誰もがなすべき役割を持って生まれて来ているはずだと考える彼は、やがて溢れんばかりの才能を持ちながらも、時代という大河に押し流され、人々から忘れ去られた孤独な老人ジョルジュ、そして冒険の扉を開くハートのカギを持つ少女イザベルと出会う。
動き出した機械人形が描いた一枚の奇妙な絵を手掛かりに、少年と少女は心を閉ざした老人の正体が、絶望から夢も希望も失ってしまった、嘗ての偉大な映画の始祖メリエスである事を知る。
頑なに自分の過去を否定する事で、未来をも閉ざしてしまっているメリエスの心を開放するために、ヒューゴは自分の役割を父と同じく“修理する事”と定め、メリエスの内面で凍りついている、映画への愛と情熱を蘇らせるために、彼の心を修理する事を誓う。
その過程で体験する小さな冒険を通して、ヒューゴは人生の悲喜こもごもを見て成長するだけでなく、図らずも身の回りの人々の人生までも変えてしまう。
そして、遂に彼の想いを受けとめたメリエスによって語られる、映画黎明期の情景の何と瑞々しく美しいこと!
有無を言わさぬ映画の魔法に掛かっては、この辺りの多少強引な物語展開もすんなりと納得させられてしまうではないか。

例によって、本作にも2D版と3D版の二つが用意されているが、作品のコンセプトから言っても、これは是非とも3Dで観るべき映画である。
デジタル映像時代のエポックとなった「アバター」以来、3D演出は飛び出し感よりも、奥行きの広がりを強調し、観客にまるでその場にいるかのような臨場感を抱かせるものが主流となっているが、本作はむしろ嘗ての見世物としての3Dに近い。
雪の舞うパリの鳥瞰図から、一気にリヨン駅構内にカメラが入り、時計の文字盤の奥にいるヒューゴの表情に寄るという掴みのファーストカットは勿論だが、とにかく飛び出す。
特に終盤などはちょっとやり過ぎでは?と思えるほどに人物の立体感が強調されているが、これらは当然計算された物だ。
本作における3Dの意義とは、映画の誕生の瞬間に、人々が感じた衝撃の追体験に他ならない。
リュミエール兄弟の「列車の到着」を観ていた観客が、こちらに向かってくる汽車に轢かれると思って逃げようとする“伝説”の描写に象徴される様に、止まった写真しか知らない人々にとって映画とは正に飛び出す映像だったのである。
また、背景をセピア調に抑え、カラーの人物だけを抽出して浮かび上がらせる様なイメージは、劇中のメリエス作品に見られる人工着色と同じ意味付であり、同時に観客にキャラクターと対面しているという感覚を増幅させる。
ラストでこちらに向って思いっきり飛び出しながら、「Come and dream with me」と観客を映画の夢へと誘うメリエスの姿は、スコセッシ自身の投影でもあるのだろう。
創作の喜びが詰まった、映画の再発明とでも言うべき傑作、存分に堪能した。

因みに、現実のメリエスは、劇中の設定より少し早く、20年代の終わり頃から再評価が進み、現代でも多くの作品を観る事が出来る。
だが、彼と同時代に活躍しながら、彼ほど名前が残っていないフェルディナン・ゼッカやセグンド・ド・ショーモン、アリス・ギイらの作品は残念ながら観るチャンスすら殆ど無いのが現実だ。
この作品を機会に、映画史への関心が高まったりすると嬉しいのだけど。

今回は、元祖SF映画「月世界旅行」繋がりで、美しいブルーのカクテル「ルナ・パーク」をチョイス。
ウォッカ20ml、クレーム・ド・バイオレット20ml、ドリンクヨーグルト10ml、アセロラジュース10mlをシェイクしてカクテルグラスに注ぎ、リンゴを三日月型に、レモンピールを星型にカットしてグラスに飾る。
1994年に登場した新しいカクテルだが、甘酸っぱい味わいとファンタジックなルックスで、舌と目を両方楽しませてくれる。

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