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ヘルプ~心がつなぐストーリー~・・・・・評価額1700円
2012年04月03日 (火) | 編集 |
世界は、どんなところからでも変えられる。

昨年夏、口コミが口コミを呼ぶ形で予想外の大ヒットとなり、全米で四週連続NO.1に輝いた「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」が漸く日本公開。
舞台となるのは、まだまだ人種差別の激しかった1960年代初頭の南部ミシシッピー。
タイトルの“ヘルプ”とは、白人家庭で働く黒人のメイドたちの事で、同時に彼女たちの置かれた境遇からの“ヘルプ”の意味を掛け合わせた物となっている。
原作は映画の大ヒットもあって、実に1130万部も売れたと言うキャスリン・ストケットの同名小説で、ストケットとはミシシッピー州ジャクソンで育った幼少期からの幼馴染である、同郷のテイト・テイラー監督によって映像化された。
注目されたアカデミー賞では、オクタビア・スペンサーの助演女優賞のみに留まったが、アンサンブルキャストの素晴らしい演技が楽しめる、極めてクオリティの高い一本である。

公民権運動が勢いを増す、1960年代初頭。
大学を卒業して、ミシシッピー州ジャクソンの実家に戻ったスキーター(エマ・ストーン)は、故郷の人々が人種差別に何の疑念も抱かない旧態依然とした現状に陰鬱とした気分になる。
幼馴染の女性たちは、皆結婚して子供もいるが、裕福な白人家庭は“ヘルプ”と呼ばれる黒人メイドたちを雇って、子育てを彼女らに任せっぱなしにしている。
なのに、同級生のリーダーであるヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は黒人は不潔だと主張し、白人家庭の家の外に、メイド専用のトイレ設置を義務付ける法律の制定を呼びかけているのだ。
作家志望のスターキーは、メイドたちのホンネの証言を集めた本を書こうと思い立ち、友人のエリザベス(アーナ・オライリー)の家で働くエイビリーン(ビオラ・デイビス)に話を聞こうとするが、人種差別を告発する本に証言をする事は、南部では身の危険に晒される事を意味していた。
だが、ヒリーの家で働いていたミニー(オクタビア・スペンサー)が、家のトイレを使用して解雇され、証言を決意した事で徐々に人の輪が広がり始め、やがてスキーターの向こう見ずな行動は、田舎町に大騒動を巻き起こしてゆく・・・・


所謂南部バイブルベルトの中でも、ミシシッピーの保守性は筋金入りである。
嘗て南軍として南北戦争を戦ったこの州の州旗には、現在でも全米で唯一、南部連合の国旗“The Stainless Banner”がそのままのデザインであしらわれており、奴隷制の廃止を規定した合衆国憲法修正第13条を批准したのは何と1995年になってからで、50州の中で一番遅かった。
そんな土地柄だからこそ、ミシシッピーは公民権運動の最終目的地でもあり、最も激しい攻防の場ともなった。
1964年の夏、白人至上主義団体KKKのメンバーによって、活動家三人が殺害された事件は、アラン・パーカー監督の映画「ミシシッピー・バーニング」にも描かれたが、この事件によって盛り上がった国民的世論に押され、当時のジョンソン大統領は、ついに人種差別を禁じる公民権法を成立させるのである。

本作の舞台となるのは、正に公民権運動が急速に浸透しようとする1960年代初頭のミシシッピーの州都ジャクソン。
しかし、此処には激しい闘争や、政治的な駆け引きなどはない。
これはあくまでも日常の風景に根ざした、女性目線によるユーモラスでミニマルな、しかし勇気ある一歩を描いた物語だ。
主人公であるスキーターは、同級生が殆ど高卒で結婚し、家庭に入るのとは対照的に、大学で学び、作家を志す進歩的な女性として描かれる。
彼女にとっては、自分も自分の子供も黒人女性のメイドたちに育てられたのに、家のトイレすら使わせないという考え方があまりにも理不尽に感じられる。
きっと、メイドたちにだって心に秘めたホンネがあるはず、もしも彼女たちの境遇がそれを表に出す事を許さないなら、自分が本にして世間に問おう、そんな理想に燃えて執筆を試みるが、現実は甘くない。
当時のミシシッピーでは、その様な本を出す事自体が違法。
もしも証言者の身元がばれれば、単に解雇されるだけでなく、白人至上主義者の攻撃目標にされる事は必至で、最悪命の問題になってしまう。
さらに、メイドたちの多くは、白人からの差別という理不尽だけでなく、仕事がなく妻の稼ぎに頼る夫からの暴力にも晒されているのだ。
仕事を失えば、家の外にも中にも、彼女たちの居場所は無くなってしまうのである。
しかし、改めてそんな現実に直面したからこそ、スキーターは諦めず、やがて彼女はエイビリーン、次いでミニーから話を引き出すことに成功。
そして、ある事件を切っ掛けにして、多くのメイドたちが、今まで誰にも語った事の無いホンネを、スキーターに吐露し始める。

登場人物の殆どが女性、男性は言わば刺身のツマ状態だが、面白いのはそんな女性たちの中でも、特に白人のキャラクターがあえてステロタイプに造形されている事だ。
先進的な思想を持ち、理想主義者として描かれるスキーター、対照的にヒステリックな人種差別主義者のヒリー、そんなヒリーの取り巻きで、確固たる考えを持たず、流される事しかできないエリザベス、そして白人だが貧しい生まれで、ヒリーら裕福な白人コミュニティからは爪弾きにされ、痛みを知るが故に誰に対しても差別心を抱かないセリア。
彼女らは、当時の白人社会に存在した女性たちの特徴をカリカチュアさせた様なキャラクターで、それぞれの役割を持って物語り上に配置されている。
そうして記号化された白人たちと対比される事で、黒人メイドたちが人間的に生きるために、ブレイクスルーしなければならない差別という見えない壁の姿をクッキリと浮かび上がらせ、彼女たちのホンネがより深みを持って描かれるのである。
また、人物造形が単純化された事で、シリアスなテーマにも関わらず、生々しく成りすぎず、良い意味で漫画チックなユーモアに繋がり、物語をエンターテイメントとしてとっつき易くしている。
例えば劇中のキーになる“ウ○コパイ事件”など、ブライス・ダラス・ハワードがヒリー役を嫌な女っぷりMAXに演じているからこそ生きてくるし、大いに笑えるのだ。

監督・脚本のテイト・テイラーは、物語を通して“差別は何か”という点に対しても考察する。
実は、本作の敵役であり、(今日的な視点からは)人種差別主義者として描かれるヒリーは、自分自身がしている事を差別だと感じていない。
彼女は、過激な白人至上主義者たちを嫌悪し、自分は不潔な環境にいる黒人たちのために、お金をかけて立派なトイレを作ってあげる人格者だと思っている。
ここで浮かび上がるのは、差別だけに留まらず、虐待や苛めなど他者を虐げる者は、往々にして自分自身を悪魔だと思っておらず、ただ自らのコンプレックスから、無意識に相手を貶めているという事実だ。
明確なのは、差別とは差別する側から見たものではなく、あくまでも差別を受けた側によって定義されるべきだという事であり、この映画は単に半世紀前の歴史を寓話的に描いただけでなく、現代の我々にとっても“我が振り”を映し出し自問自答するためのであるという事である。
鏡に見えるのは、スキーターだろうか、それともヒリーだろうか。

更に、物語の終盤になると、キャラクターの役割が大きく異なってくる。
本作の語り部的なポジションにいたのは、本の著者であるスキーターだったが、いつの間にか物語はエイビリーンよって語られている。
いや、物語の主役自体、当初はスキーターだったのが、物語の終盤では彼女はアンサンブルの一人となり、映画の中心軸はエイビリーンに移り、彼女はそのまま物語にオチをつける役割をも担う。
これは映画を観ていると若干の違和感を残すのだが、それを承知で計算された物だろう。
スキーターは本を企画し、抑圧され物言わぬメイドたちから、秘められたホンネを引き出したが、その言葉はあくまでも彼女たちのものである。
劇中、エイビリーンの亡くなった息子が、「いつかクラーク家から作家が出る」と予言していたというエピソードが語れるが、一度解き放たれ自由な心は、もはや語ることを止める事は出来ないのだ。
映画は、少しビターな結末を迎えるが、エイビリーンが歩いて行く先に見えているのは、決して絶望ではなく、明らかな希望である。
人間の社会という物は、前進と後退を繰り返しながらも、長いスパンで見れば、着実に良い方向に進んでいるものだと思う。
この映画の時代、南部の黒人が自由を叫ぶ事は命がけだった。
半世紀後の2012年、映画の舞台であるミシシッピー州ジャクソンの市長は黒人のハーヴェイ・ジョンソン、そしてホワイトハウスの主もまた、黒人のバラク・オバマ大統領なのである。

実は何事も保守的なミシシッピー州は、人種差別が撤廃されるのも遅かったが、悪名高き禁酒法が撤廃されるのも全米で一番遅く1966年だった。
そのためか飲酒文化に関しても、言及される事の極めて少ない州でもある。
今回は、ミシシッピーはミシシッピーでも、ミシシッピー川の河口の町、ニューオーリンズが生んだ酒、サザン・カンフォートを使ったショットカクテル「ソコ・ライム・ショット」をチョイス。
サザン・カンフォート30ml、ライムシロップ10mlをシェイクして、ショットグラスに注ぎ、お好みでカットしたライムを添える。
夜の始まりを告げる景気付けの一杯だが、甘口で飲みやすい事もあって、酒を飲み慣れていない若者の間で大流行。
もし禁酒法時代のミシシッピーにこの酒があれば、もっと早く撤廃されていたかも?

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