酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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アメイジング・スパイダーマン・・・・・評価額1650円
2012年06月27日 (水) | 編集 |
蜘蛛男の熱い青春。

2012年、アメコミの夏の開幕を告げる切り込み隊長は、マーベルコミックの人気キャラクター、スパイダーマンのリブート作品だ。
サム・ライミ監督&トビー・マクガイア主演のコンビによる前三部作から僅かに5年。
監督は「(500)日のサマー」で脚光を浴びたマーク・ウェブに引継がれ、新スパイディ役には「ソーシャル・ネットワーク」で、facebookの共同設立者エドゥアルド・サベリンを演じたアンドリュー・ガーフィールド
ヒロイン役も前作までのMJではなく、ネコ顔で人気のエマ・ストーン演じるグウェン・ステイシーにバトンタッチ。
色々な意味でリニューアルし、ライミ版とはかなり様相の異なる「アメイジング・スパイダーマン」だが、このちょいイケメンでギークなピーター・パーカー像は悪くない。
シリーズ初の立体版を最大限意識したダイナミックな空間演出も見事で、新シリーズは上々の滑り出しを見せたと言えるだろう。
※ラストに触れてます。

ピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、あまりイケテない日常を送るギークな高校生。
科学者だった両親は、13年前に失踪し、以来伯父のベン(マーティン・シーン)とメイ(サリー・フィールド)夫婦と暮らしている。
ニューヨーク市警のステイシー警部(デニス・リアリー)を父に持つ、初恋相手の同級生グウェン(エマ・ストーン)には声もかけられず、悶々とした日々を送っていたある日、物置で父のカバンを見つけたピーターは、生物学者のコナーズ博士(リーズ・イーヴァンズ)が父の共同研究者だった事を知る。
両親の失踪の原因を知るために、オズコープ社で働く博士を尋ねたピーターは、たまたま入り込んだラボで遺伝子操作された蜘蛛に咬まれてしまう。
直後から、ピーターの体には力が漲りまるで自分が蜘蛛になったかの様な異変が起こりはじめる。
一方、ピーターの齎した情報によって、自らの研究を劇的に進める事が出来たコナーズ博士は、研究の最終段階の実験台に、自らの体を選ぶのだが・・・・


リブートと称しているが、要はリメイクである。
サム・ライミによる前シリーズが始まったのは、まだまだ記憶に新しい2002年の事で、最終作からは5年しか経っていない。
技術革新による映像の進化で、この種の作品の制作サイクルが短くなる傾向にあるとはいっても、例えばティム・バートンとクリストファー・ノーランの「バットマン」の間に流れた時間と比べても早すぎるという印象は否めない。
しかも、前シリーズは三部作合計で全世界で25億ドルを売り上げた大ヒット作であり、三本目でやや評価を落としたものの、作品的なクオリティもすこぶる高いのだ。

言わば、ワールドシリーズを制覇したチームを受継ぐ様な重責を背負わされたマーク・ウェブ監督は、強烈な個性を持つ作家監督であるライミの作り上げた世界を一度分解し、原作と改めてミックスした上で再構築している。
ウェブ版の「スパイダーマン」の世界は、良い意味でクセが弱くストレート
軽快なテンポのストーリーテリングは、ピーター・パーカーの青春の葛藤と、力を持った者の責任というテーマ性が上手くバランスし、夜のニューヨークを縦横無尽に疾走する。
ライミがあれ程引っ張ったヒーローの正体をヒロインに明かすという一大事も、本作ではそこは重要なポイントではないとばかりにあっさりスルー。
なるほど、自分から“アメイジング(すばらしい)”という形容詞を戻した自信は伊達ではないという訳だ。

新しいスパイダーマンのスタンスは、人間描写を見ればより明らかとなる。
本作には、基本的に悪しき人間が登場しないのだ。
まあベン伯父さんを殺した犯人という存在はあるものの、少なくとも劇中で彼の人間性や内面が描写される事はなく、単なるストーリー展開上の切っ掛けにすぎない。
リブートの最初のヴィランに、原作コミックではピーターと師弟関係にあるリザードを選んだのも面白い。
リザードに変身するコナーズ博士も、実験の失敗で自らの右手を失った経験を持ち、弱者無き世界を目指して、爬虫類の肉体再生能力を人間に応用する再生医療に取り組んでいる。
研究の完成を急がされ、自分自身で人体実験してしまったことから怪物化して理性を失ってしまうが、基本的には善意の人だ。
細かい所ではピーターの通う高校のジャイアン的存在で、スパイダーマンの能力を獲得したピーターにコケにされるフラッシュも、伯父を失ったピーターの喪失を共有しよとする優しさを見せる。

そう「アメイジング・スパイダーマン」は、ピーター・パーカーという心に大きな喪失感を抱えた少年が、悪に対する憎しみに一時我を忘れながらも、いつしか大きな力を持つ自己存在の意義と責任に目覚める青春物語なのである。
近年のアメコミ映画には珍しく、ヴィランを殺す事なく、死にゆく者も主人公に大きな成長を即すという結末も、本作の目指す世界を象徴する。
クリストファー・ノーランの「ダークナイト」の衝撃によって、良くも悪くもダークで複雑である事が最先端と見做される様になってしまったアメコミ映画の世界。
ジョーカーがバットマンの合わせ鏡である様に、マーク・ウェブは本作でも弱さと哀しみを知る似た者同士をヒーローとヴィランとしつつ、ある意味「ダークナイト」のアンチテーゼ的なストレートさで、今一度原点に立ち戻ろうとしている様に思えるのだ。

もちろん、スーパーヒーロー物であるからには、アクションとVFXの見せ場も盛り沢山だ。
目新しい点としては、ライミ版のスパイディは手から直接蜘蛛糸を発射していたが、こちらでは原作にあるウェッブシューターを復活させている。
原作のスパイダーマンは、蜘蛛の様な身体能力を持っているものの糸を出すことは出来ず、糸そのものはピーターが発明したという事になっているが、いくらギークな高校生でもそれは無理があるので、糸の発生装置自体はオズコープからいただいて来て、撃ち出すためのシューターを発明したという設定だ。
これによって、ビジュアル的な格好良さだけでなく、スパイダーマンの弱点を作る事にもなり、クライマックスの盛り上げに一役かっている。
そして何よりも、本作の最大のウリはシリーズ初の立体映像が作り出すスパイダースウィングのダイナミズムである。
リザードの野望を阻止するために、傷つきながらもオズコープ社へ急ぐスパイダーマンを、以前彼に救われた市民が助けるというライミ版の第二作を思わせる描写は、先輩へのさりげないリスペクトを感じさせながら、ニューヨークの摩天楼という空間を使った、圧巻の見せ場へと繋がっている。
元々スパイダーマンというキャラクターは立体向きだと思っていたが、期待を上回る臨場感で、空を飛ばない立体映画としては過去最高の出来栄えだと断言しても良い。
これは追加料金を出しても、3D版で鑑賞すべき作品である。

今回は、蜘蛛の名を持つ「グリーン・スパイダー」をチョイス。
ウォッカ45mlとクレーム・ド・ミント・グリーン15mlを、氷を入れたグラスに注ぎ、ステアする。
甘口のカクテルだが、ミントの香りが爽やかに広がり、青春の味わい(笑
グウェンとの最後の会話は意味深だったが、果たして次回作のヒロインは?
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プレイ-獲物-・・・・・評価額1500円
2012年06月23日 (土) | 編集 |
強盗犯vs殺人犯vs女刑事!

狡猾な猟奇殺人鬼に連れ去られた娘を奪還するため、命がけで脱獄した服役囚と、彼を追う敏腕女刑事率いる捜査チームによる、フランス中を股にかける三つ巴の追撃戦を描くパワフルなサスペンス・アクション
主演は、ギャスパー・ノエの問題作「アレックス」や、自ら監督も務めたダークなコメディ「ベルニー」で知られるアルベール・デュポンテル
彼と対決する殺人鬼役をステファン・デバクが不気味に怪演し、強い印象を残す。
監督のエリック・ヴァレットは、日本映画「着信アリ」のハリウッド・リメイク版「ワン・ミスコール」で知られるフランス人だが、正直箸にも棒にもかからなかったあの映画よりも数段良い仕事をしている。

強盗の罪で服役中のフランク(アルベール・デュポンテル)は、冤罪が明らかになったとして出所する同房のモレル(ステファン・デバク)に、シャバの妻と娘の力になって欲しいと住所を教える。
ところが、数日後フランクを元憲兵隊のカレガ(セルジ・ロペス)が訪れ、モレルの正体は若い女ばかりを狙って殺すシリアルキラーだと明かす。
心配になったフランクが妻に連絡を取ろうとするが、その時妻と娘は既にモレルによって連れ去られた後だった。
刑務所を脱獄したフランクが、強盗事件の金の隠し場所に向うと、そこには惨殺された妻の遺体が横たわり、娘の姿はどこにも無かった。
一方、クレール刑事(アリス・ダグリオーニ)率いる捜査チームは、フランクの足取りを掴み始めていた・・・


実は観る前は、ナノマシンの群れが制御を失って暴走し、人間を襲い始めるという、マイケル・クライトン原作の同名小説の映画化だと思い込んでいた。
何しろ邦題がカタカナと漢字の組み合わせにプラスして、「‐」の入り方まで同じなので、公開後も間違える人が出てきそうな気がする。
しかし、SFスリラーではないものの、これはこれでなかなかに良く出来た娯楽映画だ。
一言で表すなら、フランス版の「逃亡者」か。
狡猾な殺人犯に嵌められた主人公が、連れ去れた家族を奪還するために刑務所を脱獄して、単身追跡を始めるという設定そのものはそれほど新味があるわけではないが、幾つもの複合する要素を裁くシナリオが巧みで、先を読ませない展開もスピーディーで飽きさせない。

先ず、冒頭で刑務所にいるフランクが、モレルを信頼してしまうまでを、所内の複雑な人間関係を使って作り上げるあたりが上手い。
強盗で得た金をある場所に隠しているフランクは、同じ事件で捕まっている共犯者から、金を独り占めするのではと疑われて、命を狙われている。
一方のモレルは一見すると非常に紳士的で、刑務所にいるのが不釣合いなほどの穏やかな人物。
彼のインテリ然とした態度が気に食わない無法者たちには、やはり目を付けられてしまっている。
やがて、モレルへの暴行事件が起こり、彼を助けたフランクは刑期が延長され、逆に冤罪が晴れたモレルは釈放と運命が分かれるのだが、何時しかモレルを信頼する様になっていたフランクは、彼の正体を知らずに、良かれと思って家族の個人情報を教えてしまうのだ。

刑務所の中と外。
高い塀で別たれた自由な世界に解き放たれた瞬間から、モレルは恐るべき殺人鬼として復活し、哀れなフランクの家族がその最初の毒牙にかかる。
フランクの金を奪い、妻を殺害し、娘を自分の子に偽装して連れまわしながら、悠然と逃げるモレル。
その事に気付いたフランクが、刑務所を脱獄し、単身モレルを追い始めると、いよいよノンストップの追跡劇の幕が開く。
無実の罪を着せられた「逃亡者」と違って、フランクは元銀行強盗という犯罪者であり、刑務所からの脱出の仕方も、逃亡のプロセスもかなり荒っぽい。
温厚な仮面とその裏側の嗜虐性がユニークなモレルと、愚直なまでに正面突破で逃亡を図るフランクのキャラクターの違いが面白いコントラストになっている。
そこに割り込んでくるのが、敏腕女刑事のクレール率いる捜査チームだ。
最初、警察は単純に脱獄したフランクを追っているのだが、モレルが自分の過去の殺人までフランクになすりつける工作をした事から、次第に大事件の様相を帯びてくる。
映画は、優雅に逃亡するモレルと、傷だらけになりながらも彼を追うフランク、事件の真相を追うクレールという三者の物語を平行に描きながら、更にそこへ唯一モレルの正体を知るカレガ、過去にモレルに殺された娘の父親までもがからみあい、三つ巴が四つ巴になり、また三つ巴に戻りという複雑な激流へと突入し、クライマックスへと巧みに収束させてゆく。

正直、フランクの逃亡スタイルがあまりにも真っ向勝負過ぎるので、いくらなんでもこれは無理だろうという突っ込みどころも多々あるのだが、基本設定がそれなりにしっかりしているのと、矢継ぎ早の物語の展開にも助けられて、映画のテンションは最後まで落ちる事は無い。
いよいよ全ての登場人物が一同に会するクライマックスになると、それまであえて触れられていなかった、フランク自身も無罪放免とはいかない犯罪者であるという引っかかりが、大きな意味を持ってくる。
そこからのオチは、「お前はジェイソン・ボーンかよ!」と突っ込みたくなる様な少々強引な物で、フランクへの感情移入も含めて評価が分かれそうではある。
個人的には良い意味でB級テイスト漂う古典的なサスペンス・アクションとしては、まあアリかなあと思うけど。

しかし本作で何よりインパクトあったのは、 さすがデザイン大国だけあって、ラブホルームまで完備したフランスの刑務所が外観も内装もやたらオシャレだった事。
所謂迷惑施設では、日本でもゴミ処理場を奇抜な形にしているのはあるけど、刑務所もやったら良いのに。
厳ついコンクリートの塀も、意匠次第でオブジェにもなるんだからさ。

今回は、てんこ盛りの内容だけに、アニスの香りでリフレッシュ。
パスティスの代表的銘柄「リカール」をチョイス。
元々パスティスは、アブサンが禁止された後に代用品として広まった酒で、パスティスという言葉自体が贋作を意味し、アブサンが危険成分を抑えて復活した後も、既に定着したパスティスは独自のジャンルとして飲まれている。
独特な風味を好まない人も多いが、グラスに注いで水で割り白濁させ、氷を幾つか入れて冷やすと、複雑なハーブ香りが漂い、これからの季節にピッタリな清涼感を感じさせてくれる。
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愛と誠・・・・・評価額1500円
2012年06月18日 (月) | 編集 |
蘇る昭和の純愛神話。

梶原一騎原作、ながやす巧作画による1970年代の純愛劇画、「愛と誠」のまさかのリメイクである。
74年から76年にかけて三部作として映画化されたほか、テレビドラマとしても映像化されている作品だが、今回メガホンを取った三池崇史監督は、時代設定やプロットはほぼそのままに、全体を昭和歌謡ミュージカルに仕立て上げるという奇策に出た。
凝りに凝って作りこまれた三池ワールドの中で、やたらと老けた高校生達が歌い踊り殴りあうぶっ飛んだ世界観には、故・梶原一騎も草葉の陰で驚いている事だろう。
主人公の誠役は31歳で学ランが似合う男、妻夫木聡が演じ、愛役には18歳と実年齢どおりの武井咲。

額に三日月型の傷を持つ、超不良の大賀誠(妻夫木聡)は、復讐の情念を秘め東京へやって来た。
早乙女財閥の令嬢、愛(武井咲)は、大乱闘の現場で偶然誠と出会い、彼こそが幼い頃に自分を救ってくれた白馬の騎士だと確信する。
愛は、少年院に送られた誠を自分と同じ名門・青葉台学園に無理やり転入させ、アパートや生活費まで与えて立ち直らせ様とするが、彼は直ぐに暴力事件を起こして退学処分に。
不良たちの巣窟である花園実業に転入した誠は、過去に自分を捨てた母親の消息を探し始める。
一方、愛と彼女に想いを寄せる岩清水弘(斎藤工)も誠を追って、花園実業にやって来る。
おりしもスケ番グループに喧嘩を売った誠に、謎の裏番の魔の手が迫っていた・・・・


ぶっちゃけ、「愛と誠」は70年代に既に“ネタ”だったと思う。
タイトル、そして主人公二人の役名の由来になっているのは、本作にも引用されている、後にインド首相となるジャワハルラール・ ネールが、獄中から娘(後のガンジー首相)に宛てて送った有名な手紙。

『愛は平和ではない 愛は戦いである 武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで それは地上における もっともはげしい きびしい みずからをすててかからねばならない戦いである わが子よ この事を覚えておきなさい』

この手紙と言うよりも詩の様な文章の持つスピリットを、どストレートに物語にしたのが本作の原作であり、「君のためなら死ねる」とか「私の白馬の騎士」などの、今なら韓流メロドラマでも言わない様なこっぱずかしい名(珍)台詞は当時の小学生の物まねギャグの定番だった。

40年前の時点で古色蒼然としていた原作を、そのままリメイクしてももはやギャグにしかならない。
ならば開き直って、徹底的に作り物の世界にしてしまおう、というのが本作の基本コンセプトだろう。
企画としては思いっきりチャラく、しかし決して安っぽくはなく、オバカな物をプロフェッショナルな拘りを持って作るというのは、例えば「ヤッターマン」などでも見られた三池流プログラム・ピクチャへのスタンス。
いきなりアニメーションで始まる冒頭から、見事に作りこまれた1972年のカオスな新宿の大乱闘へ、林田裕至による「ムーラン・ルージュ」ばりの美術は、昭和の東京のダークサイドをカリカチュアした様で、観客を映画のイリュージョンへと誘いこむ。
不良たちが歌い踊る最初のミュージカルシーンで流れるのは、74年の大ヒット曲「激しい恋」だが、これは同じ年に作られた最初の映画で大賀誠を演じた西条秀樹へのオマージュか。
以降も「空に太陽があるかぎり」「夢は夜ひらく」、最近ではたむらぱんのカバーが有名な「狼少年ケンのテーマ」や急逝した尾崎紀世彦の代表作「また逢う日まで」など、全編を昭和歌謡のミュージカルが彩り、総尺に占める割合は殆どボリウッド映画並だ。

元々コミックだから当たり前だが、漫画チックにキャラ立ちした登場人物と演じる俳優の相性もまずまずだ。
31歳の妻夫木聡、岩清水役の斎藤工も30歳となぜか男子学生は高年齢だが、極めつけは座王権太役の伊原剛史、48歳!
いくらなんでも高校生というには無理がありすぎるのだけど、“おっさんにしか見えない病”なる設定をでっち上げて笑いに繋げてしまうあたり、お見事(笑
女生徒たちはさすがに実年齢に近いのだが、中でも年長の安藤サクラ演じるガムコの純情はいかにも少年漫画的で良かった。
ちょっと驚いたのは、今までテレビドラマやCMでチラッと観た印象しかなかった武井咲
まあ芝居の上手い下手を問われる役ではないし、三池監督の演技指導の巧みさもあるのだろうが、出来すぎなまでに原作通りのお嬢様像にはまっていて、なかなかのインパクトだった。

作品の外側を思いっきり作り物で飾り立て、結果として正面から語るのも躊躇する様なピュアすぎる愛を、作品世界の中心に浮き立たせるという思惑は、一定の成功を収めていると思う。
派手なミュージカルにある種の異世界として作り込まれた世界観のビジュアル、不良たちの壮絶なアクション、そして誠の抱える母への哀しい情念というバックグラウンド、正にエンタメのごった煮的な猥雑感は、密度の濃い映画を観たという充実に繋がっているし、オバカな内容とは裏腹に、妥協の無い画作りの完成度は極めて高い。
惜しむらくは、三池崇史監督のミュージカル的なセンスが正直なところあまり高くない事だろう。
海外でも、ミュージカル監督はスペシャリストが多い事からもわかる様に、これほど映画作家の資質が問われるジャンルは無いと思う。
本作の場合は、群舞のシーンでもカメラワークのダイナミズム、肉体の躍動が、映画的カタルシスに上手く繋がらない。
おまけに基本フルコーラス故に、一曲一曲の描写が冗長に感じてしまうのである。
2時間14分というプログラム・ピクチャとしては少々長すぎる尺も、全体に占めるミュージカルシーンが多い故だろう。
もう少しミュージカルシーンを刈り込むか、歌と踊りでもストーリーを進行させるなどの構成上の工夫をして2時間以内にまとめた方が、全体のバランスも良かった様に思う。
もっとも、売り物のミュージカルがどこか堅苦しさを感じさせる半面、歌と踊りが三池演出の真骨頂とも言うべきバイオレンスに切り替わると途端に生き生きしてくるので、両者がもう少し融合していたら、更に面白い映画になってたのではないだろうか。

今回は昭和歌謡を歌いながら飲みたい焼酎割り、「ホッピー」をチョイス。
甲種焼酎とホッピーを1:5の割合でジョッキに注ぎ入れると、ビールテイストのカクテルが出来上がる。
ホッピーは、元々ビールが高級品だった大正時代に、代用品として低価格のノンアルコールビールのブームが起こった事から、本物のホップを使った本格的ノンアルコールビールとして研究・開発が進められた。
実際の発売は戦後の1948年で、焼酎とのミックスもこの時代に考案された飲み方だった様だ。
何れにしても安価なビールの代用酒だった物が、今となっては昭和の味わいを感じさせる懐かしい一杯だ。

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この空の花 -長岡花火物語・・・・・評価額1800円
2012年06月13日 (水) | 編集 |
大林宣彦のシネマティック・ワンダーランド。

「この空の花 ー長岡花火物語」は、驚くべき映画である。
新潟県の地方都市、長岡で毎年夏に打ち上げられる花火に纏わる物語は、時間も空間も、生と死も、現実と虚構の壁も軽々と超え、一つの宇宙を形作る。
幕末の戊辰戦争、昭和の太平洋戦争、今世紀初頭の新潟県中越地震・・・ここに描かれるのは、何度も戦争と天災に翻弄されながら、その都度復活を遂げてきた小さな街の記憶と、過去から未来へと響く“声”の力であり、やがてそれは東日本大震災へと繋がってゆく。
これは現時点における大林映画の集大成で、冒頭の字幕によって示唆される様に、74歳の老匠からのおそろしくパワフルな遺言とも言える渾身の力作だ。
今、是が非でも観るべき映画を一本選ぶとするなら、本作だと私は思う。

2011年の夏、天草の地方紙の記者、遠藤玲子(松雪泰子)は長岡を訪れる。
ずっと昔に別れた元恋人の片山健一(高嶋政宏)から、突然届いた手紙に心惹かれたからだ。
山古志に住む高校教師の健一は、教え子の元木花(猪股南)が書いた「まだ戦争には間に合う」という芝居を長岡花火の夜に上演するので、見にきて欲しいと言うのだ。
観光用の花火大会ではなく、戦争や災害で亡くなった人の鎮魂祭として、8月1日の長岡空襲の夜に打ち上げられる花火。
長岡の新聞社に勤める井上和歌子(原田夏希)の案内で、街に残る戦争の痕跡を辿り始めた玲子の旅は、やがてこの土地の壮大なクロニクルを紡ぎ出す・・・


久しぶりに大林宣彦の凄みを感じ、鳥肌が立つ至高の映画体験をさせてもらった。
しかし、さすが元祖“映像の魔術師”ゆえに言葉にするのがとても難しい作品だ。
主人公の新聞記者、遠藤玲子は九州の島原に住む長崎原爆の被曝二世。
そんな彼女の元へ、18年前に別れた恋人の健一から手紙が届き、摩訶不思議な映像ワンダーランドを巡る旅が始まる。
それは長岡という小さな街が持つ遠大な記憶と、それを声として伝える人々との出会いの旅。
戊辰戦争による荒廃下、目先の金よりも未来を担う人材育成を、と説いた小林虎三郎の米百俵の故事から、太平洋戦争へ。
開戦当初の連合艦隊司令長官、山本五十六の出身地である長岡の戦争への縁は、長崎型原爆“ファットマン”の模擬弾の投下実験地だったという知られざる戦争秘話から、市街地の八割を焼き尽くし、多くの犠牲者を出した長岡空襲の記憶へ、そして鎮魂の想いは遥か海を超えてパールハーバーへと広がってゆく。
この土地で生き、死んでいった多くの人々を忘れず、復興、追悼、祈りのための花火が長岡花火なのである。
それ故に、この花火は普通の花火大会の様な土日ではなく、長岡空襲のあった8月1日夜10時30分から2日、3日と打ち上げられる。

松雪泰子演じる玲子は、言わば観客に代わって時空を超えた過去からの声を聞く役回り。
語り部となるのは、戦争を生き残り想いを今に伝える人々、そして映画のマジックによって再び声を与えられた死者達である。
この映画では幽霊が平然と生者と語らい、俳優とそのモデルが共に画面に登場し、登場人物がスクリーンの向こうから観客に直接語りかける。
教科書的な文法は一切無視、しかしこのあまりにも自由な映画の持つ圧倒的なエネルギー、スクリーンから放たれる熱の強烈さと言ったら!
狂気と破綻ギリギリの、作り手の迸る意欲が、そのまま夜空を彩る花火の様に、創作の燃料として爆発的に燃焼しているのである。
怒涛の如き情報量は、2時間40分という長尺をもってしても、とてもじゃないが完全に消化されていているとは言い難い。
しかし、この映画はそれで良いと思う。
玲子の様に、観た人がワンダーランドを巡る一人の旅人として何かを感じ、自分の一歩を踏み出す切っ掛け、未来へ目を向けて切実に考えるヒントとなるのがこの映画の役割なのだろう。

死者を弔う事は、同時に彼らからの声を聞く事である。
玲子を案内する和歌子は、戦争経験者の話を聞き取り「まだ戦争には間に合う」という記事を書き、玲子の元恋人である健一もまた同じタイトルの芝居を上演しようとしている。
戦争は手続き上は1945年8月15日に終わったかもしれないが、その惨禍を生き延び、大切な誰かを亡くした人々の中では、命尽きるまで終わることは無い。
そして今は「まだ戦争には間に合う」おそらく最後の時代なのである。
現代という時空は、突然そこに存在している訳ではない。
脈々と受け継がれた人々の歴史と記憶という長い長い川の過程として、我々が生きている“今”がある。
だから過去を生きた魂の声は、全て未来を形作る大切なピースだ。

しかし我々日本人は、その事をしばしば忘れてしまってはいまいか。
本作において、長岡が日本の縮図として描かれている事は明らかである。
この街には明治維新、そして太平洋戦争の起点と終点であるパールハーバーと原爆の記憶があり、更に東日本大震災より前に新潟県中越地震を経験した。
その全てで亡くなった魂への鎮魂と、未来への希望を象徴するのが、長岡花火なのである。
長岡には、過去からの声が今も息づいているが、日本全体として考えた時、我々はその声に耳を傾けてきただろうか?むしろ忘れる事によって今の平和を享受してはいまいか。
そのことの危うさを、我々は昨年来身をもって思い知らされている気がしてならない。
3.11後のこの国で、広島、長崎の教訓は活かされたのか?先人たちが必死で守ろうとした物は守られたのだろうか?
長岡の過去というワンダーランドを彷徨う旅の果に、本作が見据えているのが、ポスト3.11の日本の、そして世界の未来である事は間違いなかろう。

そして、この映画の本当の凄さ、圧倒的な映画力の証明は、逆説的だがそのテーマを映像にも言葉にも頼らずに感じさせてくれる事にある。
人間の持つ最も偉大な力は想像力
この映画のカメラは被災地に入らない、それどころか大林宣彦という一人の作家が作り上げた、脳内ワンダーランドから一歩も出ない。
そこは生者と死者が共に語らい、時間も空間も混ぜこぜになった小さな世界だ。
だが、この作り物の世界は、被災地で撮影されたどんなフィクション、ノンフィクションよりも、3.11の先、フクシマの先にある未来を感じさせ、考えさせるのである。
この映画にその答えはない。
だが、是非とも映画館で観て、人々と稀有な映画体験を共有して欲しい。
それは、より希望に満ちた未来を創造するための、大切な切っ掛けになるに違いないのである。

今回は、長岡の歴史を感じさせる地酒、創業460年の吉乃川のその名も「極上吉乃川 純米吟醸」をチョイス。
柔らかな吟醸香と純米酒らしいふくらみのある味わいは、端麗でバランスの良く、どんな料理にも合う。
夏の納涼花火を見ながら一杯飲むのにもピッタリだが、今年の夏は酔いつぶれる前に、過去からの声に耳を澄まして、未来を真剣に考えてみよう。
我々一人一人の時間は、決して無尽蔵ではないのだから。
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ムサン日記~白い犬・・・・・評価額1650円
2012年06月09日 (土) | 編集 |
ただ、幸せになりたかっただけなのに。

名匠イ・チャンドンの元で、「ポエトリー アグネスの詩」の助監督を務めた、パク・ジョンボムの長編監督デビュー作は、心に深く染み入る秀作である。
監督自身が演じる主人公のスンチョルは、韓国全体で2万3千人以上にのぼると言われる脱北者の青年だ。
命がけで故国を脱出し、何年も潜伏先の中国で苦労して、ようやく辿り着いた韓国もまた、彼らにとっては安住の地とは言い難い。
同じ民族でありながら、そこにあるのは二級市民としての偏見と差別、そして貧困。
映画は、脱北者というアイコンをモチーフに、はたして人間の幸せとは何か?幸せになる為には他者の犠牲が必要なのか?という普遍的かつ重い問いを投げかける。

ポスター貼りの仕事で細々と暮らすスンチョル(パク・ジョンボム)は、北朝鮮のムサン出身の脱北者だ。
希望を抱いて韓国にやって来たものの現実は厳しく、資本主義社会のイロハも知らない脱北者に稼ぎの良い仕事は見つからない。
同郷の友人、ギョンチョル(チン・ヨンウク)は、犯罪ギリギリの危ない仕事に手を出している。
スンチョルにとって、辛い毎日の中の唯一の救いは信仰だった。
彼は教会の聖歌隊に所属する美しい女性、スギョン(カン・ウンジン)に憧れているが、声をかけることすら出来ず、遠くから見つめるだけ。
そんなある日、捨てられた白い犬を拾ったスンチョルは、その犬をペックと名付けて飼う事にするのだが・・・


南海キャンディーズの山ちゃんの様な、おかっぱ頭にどんぐり眼のスンチョルが強烈。
元々このキャラクターは、監督の友人で実際に脱北者でもあった同名のスンチョルという人物がモデルとなっている。
いつか一緒に映画を撮ろうと誓った二人は、2008年に本作の原型となる短編映画「125チョン・スンチョル」を完成させるのだが、残念ながら本物のスンチョルさんはその僅か数日後に癌のために亡くなってしまったという。
この短編を観たイ・チャンドンがパク監督を自作の助監督に抜擢し、そこから本作の実現へと繋がってゆくのである。

短編版のタイトルにもなっている「125」とは、韓国の住民登録番号の事。
脱北者にはこの125を含む番号が割り振られるため、住民登録証を見れば、その人が脱北者かどうかわかってしまうのだ。
彼ら脱北者は、言わば韓国社会の招かれざる客であり、大都市ソウルという大海の中で、ゆらゆらと波間を彷徨う様な不安定な存在として描かれる。

スンチョルは中国経由で脱北したので中国語が出来るが、125ナンバーの脱北者には絶対に中国のビザは出ない。
故に唯一の特技である中国関連の仕事に着くことが出来ないスンチョルは、街のポスター貼りの様な日雇い労働でしか生きる道はないのだ。
だが、この仕事は競争が激しく、良い場所はすぐに占領され、同業ライバルの暴力の洗礼を受ける事すらある。
僅かな日当で細々と食いつなぐ日々に将来は見えない。
一方で、同郷の脱北者でルームメイトのギョンチョルは、さっさと資本主義社会に馴染み、脱北仲間の金を中国経由で違法に北朝鮮に送金するという、危ないビジネスに手を染めている。
羽振りも良く、ガールフレンドともよろしくやっているギョンチョルにとっては、あまりにも愚直なスンチョルの生き方は何とも不器用に見え、色々と世話を焼いている。

なかなか韓国での生活に馴染めないスンチョルだが、通っている教会の聖歌隊に所属するスギョンには仄かな恋心を抱いている。
もちろんギョンチョルと違って女性に積極的に声をかける勇気は無く、まるでストーカーの様に遠くから彼女を見つめるだけ。
だが、彼女の実家がカラオケ屋を営んでいる事を知ったスンチョルは、脱北者である事を隠して、何とかその店で仕事を得る事に成功する。
ほんの僅かに希望が見えてきた頃、スンチョルは捨てられた白い犬を飼い始める。
韓国語で白を意味する「ペック」と名付けられたその犬は、心の純粋さを象徴するもう一人のスンチョル自身に他ならない。
ソウルという大都会の片隅で出会った一人と一頭は、少しづつ心を通じさせ家族になってゆくが、そんな細やかな幸せすら長続きしないのである。
スギョンの店で働き始めたものの、スンチョルは毎夜の様に失敗の連続。
しかも当然客商売の経験など無い彼は、自分の何が問題なのかも理解する事が出来ないのだ。
そして、スンチョルが脱北者とは露知らぬスギョンは、彼を単なる非常識な男と思い込み、解雇してしまう。

北朝鮮にも、中国にも、韓国にも見つけられない“幸せになれる場所”
物語の終盤、スンチョルはスギョンの前で自分が脱北者である事と、ずっと心の奥底に隠してきた秘密、飢餓の北朝鮮で、僅かな食料を得るために人を殺したという彼にとっては忌むべき過去の記憶を吐露する。
スンチョルが信仰に惹かれる訳、他者と距離を置こうとする訳がこれで明らかとなる。
豊かな韓国へ来れば、ただひっそりと幸せに暮らせると信じ、しかしそれが幻想である事を悟ったスンチョルは、嘗て生きるために人を殺した様に、ビジネスの失敗で窮地に陥っていたギョンチョルを裏切るのだ。
それは、スンチョルが純白に生きる事を自ら否定した瞬間である。

幸せになるためには、誰かを犠牲にしなければならないのか。
インタビューによると、これはパク・ジョンボム監督自身にとっても、重くのしかかるテーマなのだという。
何故なら、亡くなった親友の脱北という経験の上に、この映画が成立している訳であって、自身の成功は親友を利用した結果なのではないのか?という考えがどうしても拭えないとの事。
本作のラストは、おそらく全ての観客に驚きをもたらすだろう。
告白によって再びスギョンの店に迎えられ、忙しくもいきいきと働くスンチョルが街へ出ると、手持ちカメラによる長回しで、彼を背後から追ってゆく。
彼の顔は写らないので表情は見えない、しかしこれから何かが起こり、それは決して歓迎すべき事態ではないという事を、カメラは強烈に示唆する。
そして、スンチョルが歩んで行く先にあったものとは・・・。
衝撃と共に余韻を残す切ないラストは、作者自身の深い葛藤からしか生まれ得ないものだったのかも知れない。

今回は、劇中スギョンのカラオケ店で出されていた韓国の代表的な銘柄「ハイト」をチョイス。
スッキリと喉越し軽い典型的な韓国ビールだが、これからのジメジメした季節にはちょうど良い。
ズシリと重い映画の余韻は、韓国屋台料理にハイトをチビチビやりながら、じっくりと噛みしめたい。
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外事警察 その男に騙されるな・・・・・評価額1650円
2012年06月05日 (火) | 編集 |
目を凝らしていても、騙される。

所謂カウンターテロリズム、カウンターインテリジェンスのスペシャリストとして、日本で暗躍する国際テロリストや外国の諜報員対策などに奔走する、警視庁公安部外事課、通称「外事警察」の活躍を描く骨太のサスペンス映画。
2009年にNHKで放送された同名連続テレビドラマのザ・ムービーだが、ほぼ独立した映画として構成されており、ドラマを観ていなくても問題ない。
朝鮮半島から流失したウランを巡る、諜報の世界に生きる男たちの丁々発止の騙し合いは観応え十分だ。
NHKお得意のざらっとした銀残し風の画作りも効果的で、引き締まった映像は128分の間緊迫感を持続させる。
※核心部分に触れています。

東日本大震災直後の東北。
原発事故の立ち入り禁止区域から、核関連の機密情報が何者かに盗まれ、同時に朝鮮半島からウランが日本に持ち込まれたという情報がもたらされる。
警視庁公安部外事課の住本(渡部篤郎)は、以前からマークしていた韓国人の奥田正秀こと金正秀(イム・ヒョンジュン)が経営する奥田交易が事件に関わっていると考え、正秀の夫人の果織(真木ようこ)を調査し、彼女の弱みを使って協力者に仕立て上げる。
正秀が核爆弾の部品を持っている事を確認した住本らは、泳がせてウランの所在を突き止める作戦に出るが、事件の核心まであと一歩と迫った時、正秀は従業員の安民鉄(キム・ガンウ)に殺されてしまう・・・


邦画が本格的にインテリジェンスの世界を描いたのは、もしかしたら阪本順治監督の「KT」以来じゃないだろうか。
冒頭、朝鮮半島の某国(例によって国名はぼかされている)から核兵器級のウランが流失し、ほぼ時を同じくして震災の爪痕が禍々しく残る東北の立ち入り禁止区域から、核爆弾の製造に欠かせないある技術が盗まれる。
北の核問題に福島の原発事故、現実に日本が直面する二つの“核”をモチーフにした事は、本作にフィクションを超えるリアリティを与えているが、同時にテーマ的な矛盾を抱え込ませてもいる。
古沢良太の脚本は、日本映画ではタブー視されていた娯楽映画での“核”というキーワードに大胆に切り込み、ドラマ版も手掛けた堀切園健太郎監督は、人間心理のリアルを武器に、日本でもこんな事が本当に起こっているかもしれないと、この世界の日常の裏側を説得力たっぷりに描写してゆく。

本作の主人公である住本健司は、身内からも“公安の魔物”と揶揄されるある種のダークヒーローとしてキャラクター造形されている。
国益を守る為なら平然と嘘をつき、民間人の弱みを握って恫喝し、危険に晒すことすら厭わない。
まるでカメレオンアクターの様に、相手によって見せる顔を変え、本心では何を考えているのかまるでわからない謎めいた男を渡部篤郎が好演。
このキャラクターをどう捉えるかによっても、おそらく本作の印象はだいぶ変わってくるだろう。
彼によって、外事警察の協力者に仕立て上げられ、夫をスパイする事になる薄幸のヒロインに真木ようこ
彼女の、暗い情念を感じさせるパワフルな演技は本作の見所の一つである。
そして、人間関係のトライアングルを形作るもう一人が、四半世紀前に祖国を原子力の光で照らすという夢を抱いて日本を去った在日二世の核科学者で、事件のキーマンである徐昌義だ。
田中泯が只者でない存在感で演じるこの男こそが、本作のテーマ的な核心を体現するキャラクターなのである。

映画は、住本ら外事警察と韓国の諜報機関である国家情報院(NIS)、原爆を製造しテロリストに売り飛ばそうとすグループ、そして徐昌義のそれぞれの思惑が入り混じり、虚々実々の駆け引きに果織の現在と過去が絡む形で進行する。
なかなかに複雑なプロットだが良く練られており、わかり難さは無いが、何しろ登場人物に正直な人間が一人もいない話である。
“事実”として物語上に提示される事象も、後から実は嘘でしたという展開が多く、サブタイトル通り「その男に騙されるな」と身構えていてもやられてしまう。
東京とソウルを行き来しながら、諜報のプロフェッショナルたちがウランと起爆装置を奪い合うプロセスは、先を読ませずにスリリングに展開し、スクリーンから目が離せない。
荒唐無稽なスーパーヒーローとしてではなく、リアリズムに立脚したスパイ物、いやインテリジェンス物として、なかなかに良く出来た作品である。

しかし、“核と日本”というタイムリーかつ挑戦的なモチーフは、テーマとしては今一つ消化しきれていない様に思う。
その原因は、朝鮮半島の核と日本の核という実は全くベクトルの異なるモチーフをまとめて扱ってしまっているために、作劇上の焦点が絞りきれず、作り手のスタンスもぶれてしまっている事にある。
物語のクライマックスである、徐昌義による核テロリズムの動機は、要するに「シュリ」のチェ・ミンシクと同じだ。
夢を抱いて渡った北朝鮮(あ、言っちゃった)に対する絶望故に、テロによって戦争を起こす事で、祖国の滅亡を願うという事だが、ここでは核は単なる手段に過ぎない。
その力の恐怖を体現し、本来テーマに直結しなければならない彼の問いかけは、ある種の国家論に終始し核とは何かの本質ではないのである。
さらにはクライマックスの舞台を東京でなくソウルに設定した事、ハリウッド映画ライクな銃撃戦の末の爆弾解除という良くも悪くも予定調和な筋書きとした事も、本作のスタンスを暈してしまった。
だから、余貴美子演じる内閣官房長官が「日本はあえて核なき世界という綺麗ごとを目指す」と言う、半分皮肉を込めたテーマの核心部分が本筋から遠く感じるのだ。
もっともそれは、過去ではなく今の日本と核というモチーフを正面から描こうとして、攻めに攻めた結果であり、少なくともその志は高く評価されて良いと思う。
「007」とは異なり、魑魅魍魎も裸足で逃げ出しそうな、アジア的な情念渦巻くインテリジェンスの世界をリアルに感じさせてくれただけでも、本作は十分に観る価値のある一本だ。

今回は、日本のスパイ映画に似合う日本のウィスキーブランド、ニッカの「フロム・ザ・バレル」をチョイス。
熟成されたモルトウイスキーとグレーンウイスキーの原酒をブレンドの後、再貯蔵して数ヶ月馴染ませ、加水せずにそのままボトルに詰めたウイスキー。
51.4度の原酒ならではの重厚な味わいに深いコクと香りを楽しめる。
そして特筆すべきは、クオリティに対するコストパフォーマンスの高さだ。
これなら官房機密費を使わなくても日常的に楽しめるだろう。
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