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おおかみこどもの雨と雪・・・・・評価額1800+円
2012年07月25日 (水) | 編集 |
命を産み育てるとはどういう事か。

「時をかける少女」「サマーウォーズ」のヒットで、一躍ヒットメーカーとなった細田守監督は、遂に驚嘆すべき作品を作り上げた。
これをファンタジックなだけのファミリー映画と思って観ると、少々痛い目に合う。
狼男に恋した一人の女性が、二人の間に生まれた「おおかみこどもの雨と雪」を様々な葛藤を乗り越えて育て上げる物語には、ファンタジーとかラブストーリーとかエコロジーとかのジャンルを超えた、本質的な生命の循環と魂の絆が描かれており、それは時として心が震えるほど衝撃的で厳しく、時として鳥肌が立つほどに荘厳で美しい。
2012年の夏、この大傑作を劇場で観られる事は、映画を愛する全ての者にとって至福の喜びとなるだろう。
※ラストに触れています。

19歳の大学生、花(宮崎あおい)が恋した相手は「おおかみおとこ」(大沢たかお)だった。
やがて二人の間には雪(黒木華/大野百花)という女の子と、雨(西井幸人/加部亜門)という男の子が生まれるが、「おおかみおとこ」はある日突然帰らぬ人となる。
人間とけものという二つの顔を持つ子供たちを抱えた花は、人目につかぬように山深い里へと引越し、自給自足しながら女手一つで子育てを始める。
二人が小学校に通うようになると、社交的な雪と孤独を愛する雨の世界は少しづつ変わり始め、やがて雨は学校へ行かずに森を学び舎とする様になる。
そしてある年の夏、遂に雨と雪は人間として生きるか、狼として生きるかの選択を迫られ、それは同時に花にとっても決断の時となるのだが・・・・


自分がアニメ作りに関わっていながら、こんな事を言うのもなんだが、私は人間性の表現において究極的にはアニメは実写にかなわないと思っていて、どんなに素晴らしいアニメを観ても、心のどこかで「この先はないのだろうか」と考えてしまっていた。
このブログを開設してからの7年で、純粋なアニメ作品に満点をつけた事がないのもそのためである。
しかし本作によって、私の中にあったこの考えはあっけなく打ち砕かれた。

冒頭のイメージシーンに漂う不思議な詩情で、既に本作が並の映画でないことは確信出来るが、大学に通う花と狼男の“彼”が運命の出会いをし、二人の生活が繊細な描写で綴られる前半の都会のシークエンスで、もうその愛おしさに涙が出てくる。
二人が自然に恋に落ちてから、狼男が自分の素性を打ち明け、花が全てを受け入れて結ばれ、子供達が生まれるまでの時間の流れが、ほとんどセリフもなく一続きの情景として描かれてゆく。
一見すると実写でもいけそうだが、この極限まで無駄を排した世界は、ある種のデザイン化されたイメージであり、アニメーションでしか絶対に描けない。
狼男との恋、そして狼と人間の二面性を持つ子供達の誕生は、もちろんメタファーであろうが、本作はアニメーションならではの比喩性、デザイン性をビジュアル・作劇に最大限活かし、実写で描ける世界とは全く異なるベクトルで、稀有な密度を持つ人間ドラマを成立させたという点で画期的なのである。

二つの世界に属する雨と雪を抱えた花は、何時の日か二人が自立する時に、何方の世界も選べるようにと、森と人里の境界に位置する北アルプスの山深い地に移り住む。
そしてこの美しくも厳しい土地で、花は自らの手で畑を耕し、作物を作り、雪と雨を育ててゆく。
いや、育つのは子供達だけではない。
若くして母となった花もまた、土地の古老や同世代の母親達との触れ合いに助けられながら、二人の子供の育児を通して逞しく成長してゆく。
この辺りの描写は、嘗ての国民的人気ドラマ「北の国から」を思わせ、次第に大きくなってゆく子供達に観客の大人たちもすっかり親目線になってしまうが、細田監督自身はまだ子供がいないというのだから驚きだ。
曰く「憧れで描いた」らしいが、全く恐るべき観察力と想像力である。

花と子供達の13年の歳月は、ググッと映画的に凝縮され、やがて物語は成長著しい雪と雨、そして彼らを見守る花の目線が入り交じった物となり、幾つもの人生の分岐を経験するうちに、このちょっと不思議な家族の関係も変わってくる。
幼い頃は、快活な野生児の雪と臆病な都会っ子の雨という、コントラストがはっきりしていた二人のキャラクターは、小学校時代になるとすっかり逆転。
社交的ですっかり人間の子供達に馴染んでゆく雪とは対象的に、雨は森の主である老狐を“先生”と呼び、まるで記憶の彼方にいる父の面影を追うかの如く、森に入り浸った毎日を過ごすようになる。
そして、花と“おおかみこども”として生を受けた二人の子供達にとって人生最大の分岐点、自分の生きる世界を決める決断の瞬間が、真夏の嵐の夜にやって来る。

人間としての人生を選択する雪は、夜の校舎に初恋の相手と二人きりで取り残される。
この故・相米慎二監督の代表作、「台風クラブ」チックなシチュエーションで、雪がとるある意外な行動とその映像表現は、幻想的な美しさを漂わせる本作屈指の名シーン。
因みに本作の共同脚本家である奥寺佐渡子のデビュー作が、相米監督の「お引越し」であったことは偶然ではあるまい。
そして森に消えた雨を追った花は、彼が既に亡き夫の様な立派な大人の狼であり、死んだ老狐に代わって森を統べるべく狼の生を選択した事を知るのである。
数奇な運命に導かれ家族となった、三つの命が交錯し、それぞれが人生の決断を経験した全く新しい朝の情景の、何と瑞々しくも崇高な美しさに満ちている事か!

本作は映像だけでなく耳でも聞かせる。
高木正勝のリリカルなスコアは、キャラクターの心情に優しく寄り添い、独特のムードで本作の情感をグッと盛り上げる。
そして主人公の花を演じる宮崎あおいが圧倒的に素晴らしく、彼女の表現力なくしてはここまでの完成度はあり得なかったと思う。
もしも今、今年の日本映画の主演女優賞を決めろと言われれば、私は彼女の声を選ぶ。
アン・サリーの唄うエンディングテーマと共に、花のその後が細やかに語られる時、この循環する命の物語は、深い余韻とともに観客の心に永遠に刻まれるだろう。
日本アニメ100年が到達した歴史的な金字塔である。

この映画、日本では同日公開となったディズニー・ピクサーの「メリダとおそろしの森」と、人間が動物に変身する物語である事、母子の絆を描いた成長物語であるという事と不思議な符合がある。
一方は中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジックなCGアニメーションで、一方は現代日本を舞台にした写実的な手描きベースのアニメーションというコントラストも面白い。
どちらも素晴らしい作品なので、是非劇場で二本を観比べるという幸福を味わって欲しい。

今回は、舞台となる立山連峰の名を関した北陸屈指の酒蔵、立山酒造の「立山 大吟醸」をチョイス。
柔らかい吟醸香が立ち昇り、優しくも凛とした味わいは、子供達の旅立ちを見守る花のイメージ。
山の清流の様に冷やして飲めば、この季節にアルプスからの風を運んできてくれるだろう。
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メリダとおそろしの森・・・・・評価額1700円
2012年07月25日 (水) | 編集 |
母の愛は魔法よりも強し。

ピクサー・アニメーション・スタジオの長編第十三作目は、古のスコットランドを舞台に、初めて女性を主人公としたプリンセス物だ。
とは言っても、ディズニーの伝統的なプリンセスたちを想像してはいけない。
本作に登場するメリダは、王子たちとのロマンスを拒否し、馬で森を駆け抜け、得意の弓で男たちを凹ませる超アクティブな少女であり、彼女の自由な人生への渇望が、王国を揺るがすとんでもない事態を引き起こす。
監督は短編作品「ワンマンバンド」で注目されたマーク・アンドリュースと、ドリーム・ワークスの「プリンス・オブ・エジプト」で知られるブレンダ・チャップマンで、彼女の原案を元にしたオリジナルストーリーである。
物語のコアとなるのは、子の幸せを願いつつ、王族としての責任を果たそうとする母と、自分の足で人生を歩みたいと願う娘の間に生まれる葛藤だ。
※ラストに触れています。

スコットランドのとある王国。
王女メリダ(ケリー・マクドナルド)は、父ファーガス王(ビリー・コノリー)から贈られた弓に夢中。
やがて男勝りの勝気な性格に育った彼女は、おしとやかに育てたいと願う母、エリノア王妃(エマ・トンプソン)とは喧嘩ばかりしている。
ある日、エリノアから同盟を結ぶ三部族の族長の息子の誰かと結婚する様に言われたメリダは、森の奥に住む魔女に自分の運命を変える魔法を願う。
ところが魔女の作ったケーキを持ち帰ったメリダが、エリノアにそれを食べさせると、彼女はみるみるうちに巨大なクマに変身してしまう。
慌てたメリダは、クマとなったエリノアを連れて城を抜け出し、魔女の元へと向かうが、運悪く魔女は不在。
それどころか、二度目の夜が明けるまでに、魔法を解かないと人間に戻れなくなってしまう事がわかり・・・


これは予期せぬ事態に直面した母親と娘が、共に成長する寓話的物語である。
作品のカラーがピクサーっぽくないとか、「もののけ姫」みたいだとか、ドリームワークスっぽいとか、公開前からいろいろ言われていたが、ピクサーは長編CGアニメーションというカテゴリを創始した企業であり、その黎明期から自らの技術的な進化に従って、異なる物語、異なる表現に挑戦し続けてきたチャレンジャーだ。
最初期は人間の表現が難しかったために、ツルンとした質感のオモチャたちを主人公にし、わかりやすいファミリー映画として「トイ・ストーリー」を作り、幅広い層にこの新しい表現を認知させた。
そして昆虫や魚、フワフワの毛のモンスターといった有機的なキャラクターで経験をつみ、「Mr.インクレディブル」で遂に人間を主人公にしたのは、「トイ・ストーリー」から9年目の事だった。
もしも本作が「もののけ姫」の様だとしたら、それはピクサーがようやくジブリ的なる物を表現する技術的な裏付けと自信を得たという事だろう。

確かに、本作は女性が主人公である事、凝った物語のテーマ性も含め、基本“男の子の会社”だった従来のピクサー作品とは一線を画する部分がある。
中世ヨーロッパを舞台としたプリンセス物というディズニーチックな枠組みなれど、例えばいかにもファンタジー然とした「塔の上のラプンツェル」と比べると、鬱蒼とした森に覆われ実写とアニメの境界線ギリギリに作りこまれた世界観は、むしろドリーム・ワークスの傑作CGアニメ「ヒックとドラゴン」に近い。
メリダを運命に導く鬼火のデザインなどは、なるほどジブリアニメを思わせるし、何よりもモップの様な真っ赤な髪をなびかせるメリダのキャラクターは、過去のどのピクサー作品よりも生身の人間を感じさせる複雑なキャラクターだ。

映画は、子供の頃から快活で自由を求めるこの現代的な姫君と、娘を立派な王族として育て上げようとする母親の葛藤を軸に、世界中の民話や伝説を巧みに織り込んで構成されている。
人間がクマに変身してしまうというのは、イヌイットの伝承を元に作られたディズニーアニメ「ブラザー・ベア」を思わせるが、もちろん単なるオマージュではない。
元々人間と動物の変身譚には、動物の世界と人間の世界を、ある種の合わせ鏡と考える狩猟民族の世界観が反映されているという説がある。
そして、クマは親が子供をしっかりと教育した上で、親離れ子離れをする動物であり、クマになるという設定がメリダとエリノアの関係のメタファーなのは明らかだ。
そう考えると、本作でクマに変身するのが主人公のメリダではなく、母親の方なのは面白い。
もちろん、メリダが変身してしまうと物語のバランスとか、キャラ立ちとか色々と問題があるのは確かだが、結果としてこの物語のなかで一番成長したのは、クマとなったことで嫌が応でも娘との関係を見つめ直す事になったエリノアなのである。

親にとっては、子供は幾つになっても子供で、幸せにするために守り、導いてあげなければいけない存在であり、人生の経験値を持っている分、自分の失敗や成功の記憶を、そのまま子供にも当てはめてしまうこともある。
しかし子供はいつしか自我に目覚め、敷かれたレールではなく自分で切り開いた道を歩み始める。
本作のメリダとエリノアは正にこの時期にある。
エリノアは、屈強な王の妻として生きてきた自分の人生に、充実と満足を覚えているからこそ、正反対の育ち方をしている様に見えるメリダの人生を正そうとする。
王族として国を纏める立場にある以上、自分の意思を殺してでも今ある秩序を守るのが、メリダの勤めであり、幸せにもつながると言うエリノア。
そんな母に反発し、自由に生きたいというメリダの願いが、彼女をクマに変身させてしまう。
ハリウッド映画の作劇法則に反して、本作では起承転結の“承”にあたるこの部分まで、母娘の葛藤が全編の1/3を費やして描かれているが、それは二人の関係性がこの物語にとってそれだけ重要だからである。
そして、本作の原題である「BRAVE(勇気)」に込められた意味が描かれるのはここからだ。

エリノアを救うために、メリダが見せる本物の勇気、それは自らの過ちを認め、身を危険に晒しても愛する者を守ろうとする直向きさ。
エリノアがメリダに見てきた幼さゆえの無責任さや、弱さはそこには無い。
ずっと子供だと思っていた娘は、白馬の王子に頼らなければ生きていけない受身のプリンセスではない事を、エリノアは知るのである。
自分の行いの責任をとり、正そうとする勇気を見せることで、メリダは母親に子離れを自覚させ、二人はお互いを一個の人間として認め合う。
だから、本作で魔法を解かれるのはプリンセスではなく、ディズニーアニメでは大概悪役として描かれる母親の方で、魔法を解くのも王子のキスではなく、娘の真実の心なのだ。

思うに、この映画に一番感情移入するのは、子供達よりもむしろ子育て中のお母さんではなかろうか。
その意味で、本作はファミリー映画ではあるが、どちらかといえば大人向けの一本と言える。
まあ三人の王子を袖にしたことによる王国の危機に関しては、結局強引に先延ばししただけの気もするが、冒頭の人喰い熊の襲撃、片足を喰われた王のクマ嫌いなどの設定をクライマックスの伏線とする作劇の巧さ、クマになったエリノアや三人のチビ王子のユーモアたっぷりの演技など、映像的にも物語的にもさすがのクオリティ。
親子の絆を笑いとアクションたっぷりに伝えてくれる傑作ファンタジーだ。

今回は、映画の舞台となるのがスコットランドなので、定番のシングル・モルト・スコッチ「ザ・グレンリヴェット18年」をチョイス。
バニラ、洋梨など複雑なアロマと、熟成されたはちみつの様ななめらかな深みが特徴だ。
スコッチ・ウィスキーの起源は明らかでないが、スコットランドに蒸留技術を伝えたのは、5世紀に活躍した聖パトリキウスという伝承もある様で、この映画の時代には原型が存在していた可能性もある。
男勝りのメリダ王女、そのうち王やフィアンセ候補ともこんな酒を酌み交わす様になる?
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