酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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るろうに剣心・・・・・評価額1600円
2012年08月30日 (木) | 編集 |
速い!見えぬぞ、抜刀斎!

明治初頭を舞台に、流浪の剣客・緋村剣心の活躍を描く和月伸宏の人気コミック、「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の初の実写映画化。
監督は、元NHKで「龍馬伝」のチーフディレクターとして知られる大友啓史。
主演の佐藤健は、「龍馬伝」でも本作のキャラクターと被る“人斬り以蔵”を演じており、他にも香川照之や蒼井優ら共通するキャストが多い。
私は原作は未読だが、時代的にもちょうど明治維新直後の話なので、半分「龍馬伝」のスピンオフの様な感覚で楽しめた。

幕末の京都で、“人斬り抜刀斎”として恐れられた緋村剣心(佐藤健)は、明治の訪れとともに姿を消し、流浪人として各地を流れ歩く生活を送っている。
ある日、神谷道場師範代の神谷薫(武井咲)という少女を助けた事から、巷に抜刀斎を名乗る人斬りが現れた事を知る。
偽抜刀斎の正体は、アヘンの密売で莫大な財を成した武田観柳(香川照之) に雇われた用心棒、鵜堂刃衛(吉川晃司) だった。
医師の高荷恵(蒼井優)に、依存性の高い新型アヘンを作らせた観柳は、神谷道場一帯を埋め立てて港とし、全世界へアヘンを輸出する計画を立てており、住民を立ち退かせるために一体の井戸に毒を流すという暴挙に出る。
神谷道場の居候となっていた剣心は、苦しむ人々を見て、観柳の陰謀を阻止すべく、街の喧嘩屋である相楽左之助(青木崇高)と共に、200人の兵が守る観柳の屋敷に乗り込むのだが・・・・


近世と近代が入り混じる、狭間の時世を舞台とした、新しいタイプの時代活劇だ。
主人公の緋村剣心は、倒幕派と佐幕派が殺し合う幕末の動乱期に、倒幕派の暗殺者として活動し、その非情なる剣により“人斬り抜刀斎”として恐れられた人物。
彼は新しい時代を作り出すために、自ら鬼神となる覚悟で戦い、平和な明治の世になってからは過去を悔い、二度と人を斬らない「不殺(ころさず)の誓い」を立て、当て所のない贖罪の旅を続けている。
血塗られた手の戒めとするために、分身である刀も刃と峰が逆になった“逆刃刀”にしているほどだ。
つまり、普通に剣を振るっても、峰打ちの状態になるので人を斬ることは無いのである。

だが、新時代に平和な社会の希望を託す剣心とは逆に、いつの世にもひたすら利己主義を貫く者たちも存在する。
アヘンの密売で世界を牛耳ろうとする武田観柳は、古き秩序が力を失う中で、私利私欲を追求しようとする者であり、事実上のラスボスとなる偽抜刀斎こと鵜堂刃衛は、力こそが正義と信じ、社会を血と暴力が支配した過去に留め置こうとする者だ。
と、ここまで書けば、この作品のキャラクターの役割がクリストファー・ノーラン版の「バットマン」三部作によく似ている事がわかる。
自らを恐怖のシンボルとする事で、新時代の捨て駒となろうとする剣心はブルース・ウェインで、剣心の合わせ鏡であり、内面のダークサイドを抽出した様な刃衛は、ジョーカーやベインの様な存在と言えるだろう。

香港で経験を積んだ谷垣健治の手がけたアクションは、殺陣とワイヤーワークなどを巧みに組み合わせ、チャンバラというよりはスウォードアクションと呼んだ方がしっくりくる。
一見すると優男で強そうには見えない佐藤健が、アクションシーンになると文字通り目にもとまらぬ速さで縦横無尽に躍動するのだ。
おそらく、元々の身体能力も相当に高いのだろう。
単純に刀の斬り合いなら、例えば往年の近衛十四郎や嵐寛寿郎の殺陣のスピードと迫力にはさすがに及ばないかもしれないが、刀を使わない体術からしなやかなバネのある動きで魅せる。

そして敵のラスボスが、佐藤健とは肉体的には対照的なマッチョさを持つ吉川晃司だ。
アスリートとして鍛えられた逆三角系の体躯は、先ずは見た目で剣心を圧倒するが、この肉体の迫力があって初めて、剣心の中に埋もれた人斬り抜刀斎を呼び覚ます説得力が生まれる。
冒頭の鳥羽伏見の戦いから、数々のアクションシーンが散りばめられる本作の中にあっても、剣心と刃衛の一対一の死闘は、クライマックスとして見ごたえ十分。
この戦いのひとつ前に、元プロ格闘家の須藤元気演じる戌亥番神と左之助の中ボス対決を置き、ユーモラスな喧嘩屋のど付き合いとしてメリハリをつけているのも良い。
肉体と剣が一体となった総合的なアクション映画として、時代活劇に新しい風を吹き込んだと言えるだろう。

画作りの方向性は、全体に大河ドラマチック。
石坂拓郎のカメラは、柔らかく空気感を重視した繊細な物だが、ちょっと全体的に明るすぎないだろうか。
好みの問題かもしれないが、特に昼間の屋内シーンはやや光が回りすぎていて、セット感に繋がってしまっているように思う。
例えば、山田洋次監督の藤沢周平三部作などは、暗いところは本当に真っ暗で、得も言われぬリアリティをかもし出していた。
あそこまで徹底するかは別としても、もう少し明暗のコントラストを強くした方が、世界観として熟れた気がする。

あと少し気になったのは、若い俳優達の台詞回しや細かな所作だ。
剣心の「ござる」口調などは多分原作からのお約束だと思うが、やはり自分のものに消化しきれていない感覚が最後まで残る。
が、これは一朝一夕に会得できるような物ではないので、いっそシリーズ化してもらってその中でどんどんと進化してもらえば一番理想的だろう。
実際、「るろうに剣心」は、キャラクターといい、他に例のない世界観といい、これ一本で終わらせてしまっては勿体無い素材である事は間違いない。
聞くところによると、今回映画化されたのは原作のほんの一部に過ぎないという事なので、同じチームによる続編をぜひ観せて欲しい。
変革の時世を舞台に、葛藤する若き剣客の物語は、突き詰めればテーマ的にも今の時代に十分な重みを感じさせる事が出来るだろう。
「バットマン・ビギンズ」と「ダークナイト」の例を見るまでもなく、往々にしてコミック原作はキャラ紹介の終わった二本目の方が、物語に没頭できるので傑作になる確率は高いのである。

今回は、鳥羽伏見の戦いの舞台ともなった京都の酒処、伏見からキンシ正宗 の純米大吟醸「松屋久兵衛」をチョイス。
一言で言えば上品
良い意味で非常にあっさりした、純度の高い水の様な独特の味わいのお酒である。
好みは分かれるだろうが、10~12℃位の温度が一番美味しく飲め、いつの間にか一本が空になって酔っ払ってしまっている、そんなお酒だ。
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THE GREY 凍える太陽・・・・・評価額1550円
2012年08月26日 (日) | 編集 |
死に場所は、生き抜いた者にしか見つからない。

極北の石油採掘基地を飛び立った飛行機が、極寒の雪原に墜落。
厳しい自然の中、生き残った7人の男たちと、襲い来る狼の群との壮絶な戦いを描いたサバイバル・アクションだ。
原作はイーアン・マッケンジー・ジェファーズの短編小説で、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」 のジョー・カーナハン監督が、 主演のリーアム・ニーソンと再びタッグを組み、男臭い骨太の映画に仕上げている。
※ラストに触れています。

ならず者たちの掃き溜め、北極圏に近いアラスカの石油採掘基地。
オットウェイ(リーアム・ニーソン)は、作業員たちを野生の狼から守るために雇われた狙撃手だ。
愛する者を失い、人生に絶望した彼は、ここで世捨て人の様に辛うじて生きている。
ある日、オットウェイらを乗せた飛行機が雪原に墜落。
そこが狼のテリトリーのど真ん中である事を悟ったオットウェイは、生き残った6人の男たちを率い、脱出を決意する。
だが、猛烈な吹雪と、狡猾な狼たちの攻撃によって、男たちは次々と倒れてゆく・・・


これは言わば、婆さんをおっさんに、熊を狼に入れ替えた、ハリウッド版の「デンデラ」だ。
主人公のオットウェイは、どうやら最愛の妻を病で無くし、人生の全てに絶望している。
「デンデラ」の老婆たちが、拾った命を如何に使うのかに葛藤する様に、オットウェイもまた自らの生の意味を見失い、死への誘惑に負けそうになっているのだ。
食い詰め者たちが集う極北の石油基地に流れて来て、他の作業員ともあまり関わらず、狼を殺す仕事をしているのも、厭世的な気分故だろう。
そんな“死にたがり”の主人公が、極限状態の中で本物の死に直面することで、生きる事の意味を改めて見出すという物語はある意味王道である。

飛行機が墜落したのは見渡す限りの大雪原。
救助隊に発見されるのは何時になるかわからない上に、飢えた狼の群れに取り囲まれているという状況で、敵(狼)を知る唯一の男であるオットウェイは、南を目指して移動を決断。
頼みのライフルは墜落の衝撃で壊れ、ほぼ丸腰のまま絶望的なサバイバルの旅が開始される。
オットウェイが、天涯孤独で半分死に魅入られた男なのに対して、残りの6人はそれぞれに愛する家族と生きる理由があり、それがエネルギーになっているという対比も面白い。
だが、映画においては、生への渇望は同時に死をドラマチックにする燃料ともなる。
雪と霧によって視界が奪われる中、突然襲いかかる狼の群れ。
なんとか一頭を殺したものの、一行の中のお調子者が挑発した事から、敵の更なる怒りをかってしまう。
本当か嘘かは知らないが、オットウェイ曰く、「狼は復讐する唯一の動物」なのだそうな。

立ちはだかる自然の猛威、徐々に奪われる体力、どこまでも追いすがる狼の攻撃によって、男たちはジリジリと、だが確実に追い詰められ、一人また一人と倒されてゆく。
生を願う者が死に、死を望んでいた者が生き残る皮肉。
希望と絶望が激しく交錯する物語の終盤、ある登場人物が自ら死を受け入れる決断をする。
荘厳な自然の中、予期せぬ状況にも頑張って、頑張り抜いて、最高の充実を味わった。
既に十分に生き切ったと思えるなら、その先には何があるのか?
仮に生き延びたとしても、帰るところが元の糞みたいな人生なら、もうここで終わらせたい。
この諦めの美学とも言うべき究極の選択は、オットウェイに対しても、死を望んでいたはずなのに、なぜ生きようとするのか、改めて答えを迫るのである。

そして、大いなる意思に導かれる様にして狼の巣にたどり着いたオットウェイは、巨大な狼のボスと一対一で対峙する。
死に魅入られた者が、人間の思惑など無関係に存在する“自然”という巨大なシステムの中に放り込まれる事で、一個の生命として生きる意味を感じ、最後に自然の象徴である動物と対決するという、このラストがまた「デンデラ」なのだ。
絶体絶命の瞬間、オットウェイの脳裏に浮かぶのは、「Don't be afraid」と優しく語りかける妻の姿と、厳格で折り合いの悪かった父親の思い出。
極限状態の中、彼に最後の闘いに向かう勇気を与えるのは、詩人でもあった父親が残した一編の四行詩だ。
「もう一度闘って、最強の敵を倒せたら、その日に死んでも悔いはない、その日に死んでも悔いはない」
そう、オットウェイは、悔いなく死ぬために、先ずは全力で生きなければならなかったのである。

原題の「THE GREY」は、ハイイロオオカミの事であり、吹雪が作り出す灰色の風景でもあり、同時に主人公の心の色だろう。
最近のハリウッド映画には珍しく、極力CGを使わず、アニマトロニクスと半身着ぐるみで表現された狼の存在感。
日本人撮影監督、マサノブ・タカヤナギによるスクリーンから冷気が漂ってくる様なシャープな画作りも、本作にどこか20世紀の映画の様な、不思議な風格を与えている。
なお本作には、先日亡くなったトニー・スコットがエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねており、彼の遺作の一つとなってしまった。
如何に生き、如何に死ぬかを描いた本作には、自ら命を絶ったスコットの死生観が少しだけ透けて見える気がする。
きっと彼も、もう満足だと思えたのだと信じたい。

北国の酒といえばウォッカという事で、今回はアメリカを代表する銘柄に成長した「スカイ・ウォッカ」をチョイス。
もっとも、実際に製造されているのは温暖なカリフォルニアはサンフランシスコである。
ほぼ不純物無しのクリアな味わいに仕上がったウォッカは、シンプルすぎてそのまま飲むには物足りないが、カクテルベースにするにはちょうど良い。
日本には、その名も「雪国」というウォッカベースのカクテルも存在する。
ウォッカ40ml、ホワイトキュラソー10ml、ライムジュース10mlをシェイクし、砂糖でスノースタイルにしたグラスに注ぎ、最後にミントチェリーを沈める。
見た目も涼しげな、味わい深い一杯だ。
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The Best of Tony Scott
2012年08月26日 (日) | 編集 |
トニー・スコット監督が亡くなった。
8月19日に数々の映画が撮影された事でも知られるサンペドロのVincent Thomas Bridgeから飛び降りたという。
兄のリドリーと共に一時代を築いた映画作家であることは、誰も異論を唱えないだろうが、世に兄弟監督は珍しくなくても、作家として全く異なったスタイルを持ちながら、どちらも成功した兄弟というのは稀有なのではないだろうか。
生涯の監督作品は長編劇映画だけで16本。
元々CMディレクター出身なので、それらを含めると膨大な作品があるだろう。
スタイリッシュでスピード感のあるキレキレの映像は、私を含めて80年代当時自主映画を撮っていた8ミリ少年少女たちに絶大な影響を与え、ジェリー・ブラッカイマーを出世させ、トム・クルーズやデンゼル・ワシントンをハリウッドのトップスターに押し上げた。
ここでは、追悼の意味を込めて彼の作品の中でも、是非オススメしたい私的ベスト5を振り返ってみたい。

1.マイ・ボディガード(2004):
私的トニー・スコットのベスト。エンターテインメントの巨匠の風格を感じさせる一本である。
嘗て凄腕の暗殺者だった元軍人の主人公が、幼い少女のボディガードの仕事を受ける。最初は噛み合わない二人の間に、徐々に築かれる信頼と愛情。「レオン」や「アジョシ」など、アウトローと無垢なる少女という組み合わせの系譜に連なる作品で、デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングが素晴らしい。
大人たちの陰謀が少女を襲う時、死を賭して立ち上がるワシントンのカッコイイこと!

2.クリムゾン・タイド(1995):
これは90年代を代表する潜水艦映画の傑作。外部との連絡が途絶する中、戦争勃発を信じ核ミサイルを発射しようとするジーン・ハックマン演じる艦長と、戦争を阻止しようとするデンゼル・ワシントン演じる副長の火花散る演技合戦。潜水艦という究極の密室を活かした、文字通り息の詰まりそうなサスペンスを味わえる。
最後の監督作品となった「アンストッパブル」まで5本で組んだスコット&ワシントンの最初のコンビ作でもある。

3.トゥルー・ロマンス(1993):
当時売り出し中だったタランティーノのノリノリの脚本を得て、ある意味トニー・スコット節が完成を見た一本。それまでの作品ではやや一本調子が目立っていたのだが、この作品を経験した事でストーリーテリングの重層化の必要性を認識したのではないだろうか。
ハンス・ジマーのテーマ曲は、本作がモチーフとしたテレンス・マリックの「地獄の逃避行」のテーマ曲へのオマージュだが、今ではオリジナルよりこっちのほうが有名になってしまった。

4.ハンガー(1983):
長編デビュー作。これ、封切りは確かシネマスクエアとうきゅうだったと思う。
カトリーヌ・ドヌーヴとデヴィッド・ボウイという異色の顔合わせで描かれるエキセントリックな吸血鬼映画。牙ではなく、小さなナイフで傷をつけて、そこから血を吸うのもユニーク。
賛否両論だったが、スピード感のある映像感覚は兄とはまた違った強烈な個性を感じさせ、スタイリッシュ系吸血鬼映画の系譜の源流となった一本。

5.エネミー・オブ・アメリカ(1998):
平凡な男が、偶然にも暗殺事件の証拠テープを手にしてしまった事から、“国家の敵”にでっち上げられる典型的な巻き込まれ型サスペンス。ちょうどインターネットが普及し始めていた時代で、情報とプライバシーというタイムリーなモチーフを物語にうまく使っている。
偵察衛星からの映像などを効果的に使い、秘密を握る主人公、隠蔽したい国家安全保障局(NSA)、更にはマフィアのボスなど、幾つもの視点が入り乱れるサスペンス演出がスリリングだった。

聞くところによると、トニー・スコットは「トップガン2」のプロジェクトに正式に入っていて、亡くなる二日前にもトム・クルーズとシナリオハンティングを行っていたという。
なぜ突然の死を選んでしまったのか、本当の所は本人にしかわからない。
確実なのは、彼の作り上げてきた映画は、これからも多くの人に愛され、映画監督トニー・スコットの名は、永遠に記憶され続けるという事のみである。
今まで、沢山の素晴らしい作品で楽しませてくれてありがとう。安らかに・・・合掌。

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かぞくのくに・・・・・評価額1650円
2012年08月24日 (金) | 編集 |
あの国に、暮らすという事。

北朝鮮を“地上の楽園”と謳った帰国事業によって、10代で祖国に渡った兄が病気治療の名目で四半世紀ぶりに帰ってくる。
しかし兄には北から派遣された監視人がピタリと寄り添い、久しぶりの家族の対話も歳月が作った距離を埋められない。
一体、あの国は兄の何を変えてしまったのか。
朝鮮総連の活動に人生を掲げた両親を描いた「ディア・ピョンヤン」、実際に北朝鮮で暮らす兄の家族との交流を綴った「愛しきソナ」で注目を浴びたドキュメンタリスト、ヤン・ヨンヒ監督初の劇映画は、私小説的な視点で描くある家族の物語。
監督自身の分身である、主人公リエを安藤サクラが好演。
実際には三人いる監督の兄を一人に集約したキャラクターであるソンホを、以前は“ARATA”の芸名で知られていた井浦新、両親役を宮崎美子と津嘉山正種、そして北朝鮮からやって来る監視人を、「息もできない」のヤン・イクチュンが演じているのも話題だ。
※ラストに触れています。

1997年のある日。
難病の治療のために、三ヶ月という期限付きで北朝鮮から兄のソンホ(井浦新)が家族のもとへ帰ってきた。
だが、見知らぬ男(ヤン・イクチュン)が監視役として同行しており、ソンホの態度もどこかよそよそしい。
四半世紀ぶりの家族の団欒と、嘗ての旧友たちとの再会にも、ソンホはどこか素直に打ち解けられないでいる。
しかも、脳腫瘍と診断された病気は、三ヶ月では治癒が難しいと告げられる。
そんな時、ソンホは国家から命じられたある秘密を妹のリエ(安藤サクラ)に打ち明ける。
ショックを受けつつも、なんとか治療してくれる病院を探すリエたちだが、受け入れてくれそうな病院が見つかった矢先に、ソンホに突然の帰国命令が下る・・・・


1950年代から1984年まで行われた所謂“帰国事業”では、日本生まれで一度も祖国の土を踏んだ事すらない在日朝鮮人の若者たちや日本人妻子らも含め、9万人以上の人々が北朝鮮へと渡った。
当時、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と呼び、左派系の日本のマスメディアや、社会保障費の削減を狙った日本政府までもが“人道主義”を名目に事業を後押ししたのだ。
もっとも、今でこそアジア最貧国へと転落した北朝鮮だが、50年代当時は韓国よりも早くに朝鮮戦争からの復興を成し遂げ、経済力でも大幅に上回っていたのも事実であり、何よりもまだ資本主義と共産主義のどちらの経済体制が優れているのかという論争に決着がついていなかった時代である。
理想国家建設を夢見て海峡を渡った人達にとって、その後の惨状など想像だに出来ない未来だったのかもしれない。

本作に登場するのは、そんな歴史の虚実に翻弄されたある家族だ。
父親は朝鮮総連の幹部、つまり帰国事業を実行した立場の人間であり、息子を北朝鮮へと送り出した事に対して、民族としての理念と誇り、父親としての後悔と自責の念を同時に抱え込み、母親もまた同じ思いを抱いている。
本作の事実上の主人公であり、映画の視点となる歳の離れた妹のリエは、日本で自由を満喫しながら成長した存在として描かれ、幼い頃に別れた兄に対して、懐かしさと親しみを覚えている。
一家が再会して最初の団欒で、ソンホがビールを飲む時に、父親から口元を隠して飲む描写がある。
これは年長者の前で大っぴらに酒を飲むことを失礼と考える儒教社会の伝統だが、リエはそんなソンホの行動を笑い飛ばし、父の前でプッハ~と豪快に飲み干して見せるのだ。
また懐かしい面々が揃う同窓会でも、いずれ北へ戻るソンホに気兼して、皆なかなか突っ込んだ話が出来ない。
四半世紀の間に大きく変化してきた在日社会にあっても、体験も価値観も共有するものがあまりにも少ないソンホは、浦島太郎の様な存在になってしまったのだ。

やがて、徐々に明らかになるソンホの抱えている現実の重さ。
平壌に家族を残し、同時に脳腫瘍という病を抱えるソンホは、実質的に家族と自分の命を人質にとられているのと同じである。
日本での生活を数日送ったある日、ソンホは遂に隠していた重大な秘密を妹に打ち明ける。
国から密かに命じられた任務、それはリエを工作員に勧誘する事だった。
折しも舞台となる1997年は、警視庁が拉致被害者と推定される人々の具体的な人数を発表し、北朝鮮の拉致・対日工作が大きくクローズアップされた年でもある。
予想だにしなかったソンホの言葉はリエを打ちのめし、兄の住む世界が自由な自分の世界とは異なる事を改めて思い知らされる。
そして彼女は、家の前に張り付く監視人に対して「あんたも、あの国も大嫌い!」と言い放つのだ。
だが、監視人から返って来たのは「あなたが大嫌いというあの国で、お兄さんも、私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」という半ば諦めの様な静かな答え。

ここには、国家という巨大なシステムと、そこに暮らす個人の関係性の決定的な乖離と葛藤がある。
例えリエが北朝鮮という国家に対して大嫌い宣言をしたとしても、そのシステムに暮らす個人にとってはどうしようも無い事なのだ。
ある意味子供っぽいリエの無邪気な感情の爆発を、システムのパーツとして生きざるを得ない監視人やソンホは受け取る事すらできない。
あの国に家庭を持つ彼らにとっては、もはや人生を後戻りする事はできず、好むと好まざるとに関わらず、「かぞくのくに」は北朝鮮以外に無いのだ。
リエ以外の家族も皆、諦めの境地と共にその事を受け入れてしまっており、だからこそ母親はなけなしの貯金を使って、監視人のために新しいスーツを設えるのである。

物語の終盤、帰国を控えたソンホは、思考を停止して国家に従わねば生きる事のできない無念を自虐的に語り、リエに対して「お前は自由に生きろ」と言う。
リエはまだ若く、自分を社会に縛り付ける柵を持たず、他の大人たちが流されてしまう状況にも良い意味で子供っぽく抵抗する。
ラストで、ソンホが懐かしい「白いブランコ」を口ずさみながら、愛する家族と絶望の待つ祖国へと向かう同じ時、大きなトランクを抱えて街を行くリエの姿は、自分自身の「かぞくのくに」は果たしてどこにあるのか、人生をかけて探しに行く決意を秘めている様に見える。
それはもちろん、ヤン・ヨンヒ監督の想いなのだろうし、リエの旅路は「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」、そしてこの映画へとダイレクトに繋がっているのだろう。

本作はインディーズの中でもかなりの低予算作品だが、映像の密度は極めて映画的に重厚で格調があり、“映画を観た”という充実感を感じさせてくれる。
高い演技力と鮮烈な存在感を放つ俳優たち、生活感と家族の歴史を感じさせる美術、そして家族の間に流れる気怠い空気までをも写し取るカメラ。
映画的なるモノ、とは決してお金の問題ではない事を本作の画面は雄弁に語る。
濃密なる100分の上映時間、ヤン・ヨンヒ監督の見事な劇映画デビュー作は、単に在日社会や北朝鮮の問題ではなく、全ての“家族”へ向けた重要な問いかけを含んでいる。

今回は、遠い国から来た懐かしい人と飲みたい日本のビール。
120年の歴史を持つ「エビスビール」をチョイス。
ドイツスタイルの本格的ビールは、日本で唯一ビールの銘柄から命名された東京の地名としても知られている。
濃厚でありながらサッパリ、日本の夏を潤すこれもまた伝統の一杯である。
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アベンジャーズ・・・・・評価額1750円
2012年08月18日 (土) | 編集 |
ヒーローたち、それぞれの動機。

ロンドン五輪は盛況のうちに幕を閉じたが、今度はスーパーヒーローたちの祭りが始まった。
老舗マーベルコミックの誇るキャプテン・アメリカ、アイアンマン、超人ハルク、マイティ・ソー、ホークアイ、ブラック・ウィドウら6人のヒーロー、プラス司令官ニック・フューリーが結集する超大作、「アベンジャーズ」が遂に公開である。
過去数年かけて各ヒーローの単独主演映画を次々に公開し、その中に本作に繋がる予告編的要素を組み込み、徐々に期待を盛り上げてゆくという仕掛けは、おそらく映画史的にも他に例のない冒険的プロジェクトと言えよう。
アメリカでは「ダークナイト」を超えて、アメコミ映画の歴代No.1の興行成績を叩き出し、日頃難解な言葉を駆使して映画論をぶっている評論家たちをも一気に童心に返らせ、高評価を引き出す事に成功した。
ヒーロー大集合という難しい題材を纏め上げたのは、「トイ・ストーリー」や「エイリアン4」の脚本家であり、監督としても2005年のSF映画「セレニティー」で注目を集めたジョス・ウェドン
※ほぼネタバレしてます。

アスガルドを追放されたロキ(トム・ヒドルストン)は、放浪の果てに強大な種族チタウリと手を組み、兄のソー(クリス・ヘムズワース)に復讐するため、地球侵略を決意する。
S.H.I.E.L.D.の研究所にあったコズミック・キューブを利用し地球に降り立ったロキは、コズミック・スピアの威力でホークアイ(ジェレミー・レナー)を惑わせると、キューブを奪って逃亡する。
キューブを使って侵略者を迎え入れる計画を察知したニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は、アイアンマン(ロバート・ダウニーJr.)とキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)を招集し、ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)に命じてキューブ追跡のためにブルース・バナー博士(マーク・ラファロ)を連れ戻す。
彼ら“アベンジャーズ”はドイツに現れたロキを急襲して捕虜にする事に成功するが、雷に乗って突如降臨したソーは全てを諦めてアスガルドに戻る様にロキを説得する。
しかし、全てはロキの計画だった。
破壊工作によってアベンジャーズの基地である空飛ぶ空母は大破し、ロキは逃亡。
ヒーローたちが散り散りとなった時を狙い、NYの空に開いた時空の扉を通って、チタウリが地球侵攻を開始する・・・


ぶっちゃけ、突っ込もうと思えば最初から最後まで突っ込みどころ満載である。
お話はありとあらゆるご都合主義を組み合わせた様な物だし、科学設定も恐ろしくアバウトだ。
だが、この手のお祭り映画では大味さも味わいのうち。
繊細かつ捻りのある脚本のロジックとか、物理学者を唸らせるような鉄壁のSF設定を求める人は、最初から観ない方が良いだろう。
パワード・スーツや突然変異する怪物程度ならまだ良いが、何しろ敵にも味方にも“神”がいる時点でもはや何でもアリ。
これは誰もが憧れるスーパーヒーローたちが、最初いがみ合いながらも、やがて葛藤を乗り越えて信頼と友情で結ばれ、遂には強大な敵に力を合わせて立ち向かうという、正しく全世界の少年少女と大人気ない大人たちが夢に描いた素晴らしき“漫画映画”なのだ。
ノーランの「ダークナイト・ライジング」の面白さが、野球に例えればワールドシリーズの決勝戦の様な緊迫した空気に満ちたものだとしたら、「アベンジャーズ」は正にオールスターゲームの大らかな楽しさに溢れているのである。

ジョス・ウェドンが本作で一番心を配っているのは、ヒーローたちのキャラクターを損なわず、それぞれのファンが納得する形で見せ場を作り、ドラマの中でしっかりと活躍の機会を与えるという事であり、それは十分に達成されていると言っていいだろう。
誰もが認める“良い人”キャプテン・アメリカをリーダーとして中心軸に置き、ソーとアイアンマンというエゴイスティックな傲慢系キャラ、ハルクという二面性のあるキャラをお互いの対立軸を明確にしつつキャプテンから同心円状に配す。
70年という長い眠りから覚めたものの未だ現代の世界に馴染めないキャプテン、ロキの義兄弟として複雑な想いを秘めるソー、中身は無力な人間故に逆に自己顕示欲の塊のようなアイアンマン、そして圧倒的な力を持ちながら、制御できなくなる恐怖から自らの中のハルクを否定したいバナー。
四者四様の葛藤がぶつかり合う中、ブラック・ウィドウとホークアイという本作の中では限りなく普通の人間に近いキャラにも過去の因縁を絡めながら、物語を前に進める役割を付与する。
主役級の共演というのは、野球で言えば四番バッターだけでラインナップを構成する様な物であり、一人を立てれば他方が立たず、かと言って全員目立たせようとすると、往々にして詰め込みすぎでグダグダになってしまう物で、成功例は非常に少ない。
本作では6人ものヒーローを集めているにもかかわらず、全員のキャラをキッチリ立て、バランスを損なわずに活躍させているのだから、ウェドンのセンスは大した物だ。

アクション面でもアイアンマン、ソー、ハルクといったハイテク・超人系に空中戦を、キャプテン、ホークアイ、ブラック・ウィドウらローテク・人間系には地上戦をとうまく割り振り、敵味方全員が一堂に会するニューヨークの決戦は大いに盛り上がる。
アベンジャーズのみならず、未知の敵の突然の攻撃に浮き足立つ警官たちを統率し、市民を救い出すキャプテンのリーダーシップ。
飛行能力を持たない事を逆手にとったブラック・ウィドウの思わぬ戦法と、ホークアイの文字通り鷹の目の射撃術。
ソーの一人反則な神様パワーに、縦横無尽に飛び周り、最後に愛する者の為に戦うことの意味を見出すアイアンマンの自己犠牲、そして人間性を取り戻したハルクの友情。
アイアンマンのマークⅦの新機能で、まさかハリウッド版の板野サーカスが見られるとは思わなかったが、後処理による3D変換ながら立体映像もなかなかの迫力である。

豪華すぎるアンサンブルの中では、ブルース・バナーを演じるマーク・ラファロが特に印象深い。
バナー役は「インクレディブル・ハルク」のエドワード・ノートンの降板を受けてラファロに引き継がれる形となり、「アベンジャーズ」作品の中では唯一キャストが交代したキャラクターなのだが、結果的にラファロで良かったと思う。
俺が、俺が、というアクの強いキャラクターたちの中にあって、バナーのちょっと控えめな大人しい個性は異彩を放ち、バランスをとる役割を果たしている。
また彼はハルクに変身してしまうと完全に別キャラになってしまうので、なおさら人間の時の演技が重要な訳で、その点でもラファロの奥行のある演技は光る。
一番華のあるキャラクターであるアイアンマンことトニー・スタークとの、真逆の個性を持つ天才同士のオタクな意地の張り合いは、物語のクライマックスともうまく繋がっていて面白かった。

物語の設定的には、敵がロキという事もあって、「マイティ・ソー」との繋がりが濃い印象だ。
まあ全ての作品が少しづつオーバラップはしているので、全部観ておくに越したことはないが、例えばロキに心を操られキューブで時空の扉を開いてしまうセルヴィグ博士や、エージェント・コールソンとソーとの関わりなども「マイティ・ソー」を観ておいた方がわかり易いだろう。
特にコールソンは、筋肉とメカとエゴをぶつけ合う、バラバラだったヒーローたちの心を一つにするための意外なキーパーソンとなる役柄なので、うろ覚えの人は要チェックだ。

ちなみに、マーベルユニバースの映画としては、本作を持って今までの流れが一応の大団円を見るのだが、これで終わりというワケではなさそうで、「アイアンマン3」「マイティ・ソー2」「キャプテン・アメリカ2」などが既に決定しており、さらにウェドンの続投を前提に「アベンジャーズ2」もアナウンスされた。
故に、本作でも例によってエンドクレジット途中と最後に二段オチのおまけがあるので、急いで席を立たないように。
途中のシーンには、おそらく次回のヴィランとなるであろう、あるキャラクターが登場している。
またクレジット後の最後のオチは、何でもワールドプレミア後に急遽追加撮影されたカットで、日米版以外には付いていないという貴重なモノらしい(笑
本作の爆発的な人気を横目に観て、ソニーピクチャーズが権利を持つ「スパイダーマン」やFOXの「X-メン」の合流のウワサなども熱を帯びてきたが、果たして実現なるか。
まあ、今回のメンバーはなかなかにバランスが良かったので、このままでも良い気はするのだが、早ければ2015年にも公開される「アベンジャーズ2」をワクワクしながら待ちたい。

今回は、昔色々あったらしい、ブラック・ウィドウとホークアイの名前を半分づつ持つカクテル「ブラックホーク」をチョイス。
バーボン30mlとスロー・ジン30mlをステアしてグラスに注ぎ、マラスキーノ・チェリーを沈める。
スロー・ジンはスローベリーの甘いリキュールで、バーボンと組み合わされる事で、甘味が適度に抑えられ、深いコクをもつ大人の味わいを持つカクテルとなる。
赤紫の中にマラスキーノ・チェリーが沈む色合いも涼しげだ。
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トータル・リコール・・・・・評価額1500円
2012年08月13日 (月) | 編集 |
本当の自分は何者か?

ポール・ヴァーホーヴェン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演で、1990年に大ヒットしたSFアクション「トータル・リコール」のリメイク。
元々はフィリップ・K・ディックの小説、「追憶売ります」の映画化だが、今回は原作ではなくヴァーホーヴェン版の映画がベースとなり、基本的な物語の流れは共通ながら、世界観の設定を大幅に変更、オリジナルとはまた違った面白さを生んでいる。
主人公のダグラス・クエイドはシュワルツェネッガーからコリン・ファレルへ、嘗てシャロン・ストーンが演じた妻のローリー役はケイト・ベッキンセール、レジスタンスのメリーナ役はレイチェル・ティコティンからジェシカ・ビールへとバトンタッチ。
監督は「アンダーワールド」シリーズのレン・ワイズマンだ。

最終戦争によって、人類の居住地が極度に狭まった世界。
世界は裕福な“ブリテン連邦”と貧困層が暮らす“コロニー”に二極化され、コロニーの住人は地球を貫く“フォール”という交通機関によって、安価な労働力としてブリテン連邦に通勤し、搾取される毎日を送っている。
コロニーに暮らすダグラス・クエイド(コリン・ファレル)は、妻のローリー(ケイト・ベッキンセール)と平凡な毎日を過ごしているが、ある日望みの記憶を売ってくれるというリコール社を訪れる。
ところが、自分が秘密諜報部員として活躍する記憶を買おうとした時、武装警官隊がリコール社を急襲しクエイドを逮捕しようとする。
その瞬間、クエイドは自分でも理解不能の戦闘能力を発揮し、瞬く間に警官隊を壊滅させてしまう。
慌てて家に帰ると、今度はローリーが突然襲ってきて、自分は妻ではない、ダグラス・クエイドという男は存在しないと言う。
訳もわからないまま、幾つかの手がかりに導かれ、ブリテン連邦にやって来たクエイドは、そこでメリーナ(ジェシカ・ビール)という謎の女に助けられるが、彼女はクエイドが夢の中で出会っていた女だった・・・


映画作家には幾つかのタイプがあるが、こと世界観の作り方に関しては大雑把に言って二つに分けられると思う。
アダムとイブでない限り、全ての人間が脈々と続いてきた歴史を受け継ぎ、その影響下にあることは誰も否定できないだろう。
当然ながら、映画作家も多くの先人たちによる創作の影響を受けており、作品はその記憶の集合体であるとも言える。
だが、例えばリドリー・スコットやポール・ヴァーホーヴェンらが、取り込んだ記憶を細かく分解し完全に自分の色形に作り替えてしまうタイプだとすれば、本作のレン・ワイズマンはごちゃまぜの記憶を元の形がわかる形状に喜々として組み立てるタイプだろう。
「プロメテウス」の世界が、どこからどう見てもリドリー・スコットという作家の美意識によって統一されているのに対して、本作はワイズマンのドヤ顔を通して、古今東西の様々な映画的記がそのまま透けて見える。

物語の基本的な構造は、ヴァーホーヴェンのオリジナルとそう変わらない。
うだつの上がらない毎日を過ごしている男が、フィクションの記憶を売るというリコール社に行ったことが切っ掛けで、自分の記憶が操作されていて、今の生活が全くの偽物だという事を知る。
果たして自分は何者なのか、本物の人生にどんな秘密が隠されているのかを探ってゆくというミステリアスな冒険物語だ。
オリジナルでは地球に暮らすクエイドが、実は抑圧された植民地である火星を救うヒーローだったという設定だが、リメイク版では戦争によって宇宙どころか地球上の大半が居住不可能になっており、人類は現在のイギリスを中心とした支配階級の住む“ブリテン連邦”と、オーストラリア大陸に当たる労働者階級の住む“コロニー”という二つの世界に分かれて暮らしている。
この二つの地域は、地球の中心を貫くチューブを高層ビルサイズの巨大エレベーターが行き来する“フォール”と呼ばれる交通機関で結ばれており、コロニーの住人は毎日ブリテン連邦に通勤し、二級市民として搾取されている。
要するに、オリジナルの地球がそのままブリテン連邦となり、火星植民地がコロニーという風に置き換えられた訳である。

世界観のビジュアルは、正に過去のSF映画のごった煮と言っていい。
ブリテン連邦は、同じディックの原作を元にした「マイノリティ・レポート」を思わせる整然とした未来都市として描かれ、対照的に東洋風の電飾が街をケバケバしく彩り、幾重にも折り重なった建造物が無秩序に伸びるコロニーの風景は、これまたディック原作の「ブレード・ランナー」を意識しているのが明らかだ。
また、ワイズマンの作品には、必ず一箇所はスピルバーグ映画のアクションの再現シーンがあるのがお約束だが、今回も終盤のあるシーンで「レイダース/失われたアーク」をやっている。
やはりワイズマンは、良くも悪くも永遠の映画少年であって、基本的には既存のイメージの再構成から一つの世界に組み直す、アレンジャータイプの人なのだ。
まあ既視感を感じさせること自体は別に悪い事ではなく、アレンジ故に味わえる面白さがある事も事実である。

もちろん、ヴァーホーヴェン版に対してもオマージュたっぷり。
クエイドと同僚との会話で、前作のシュワルツェネッガーのキャラクターが揶揄されたかと思うと、前後の脈略なく何故か三つの乳房を持つ女が出てきたり、サービス精神旺盛過ぎてやや唐突な物も含めて、オリジナルを観ているとニヤリと出来る描写があちこちに。
オリジナルでは火星に入国するシーンで、赤毛の太ったおばちゃんの体が割れて、中からシュワルツェネッガーが出てくる描写が話題になったが、今回はブリテン連邦の入国ゲートのシーンでそのおばちゃんそっくりな女性を登場させ、訳知りの観客をミスリードする遊び心も楽しい。
狭いが故に立体的な都市の構造を最大限利用して、これでもかと詰め込まれた様々な見せ場の連続は手に汗握るし、コアを横切る瞬間無重力になるというフォールの設定をうまく活かしたアクションのアイディアも秀逸だ。
ちなみに地球の裏側に行くなら、最短距離で地球の中心にトンネル掘ればいいじゃんという無茶なアイディアは、実は昭和の少年科学雑誌などにイラスト入りでよく登場しており、世代的に妙に懐かしかった。

俳優陣では、シュワルツェネッガーというカリスマから役を引き継いだコリン・ファレルは、だいぶ線は細くなったものの、それなりに説得力あるキャラクターを作り上げていたと思う。
だが、この映画で一番強烈なのは、やはりワイズマンの愛妻でもあるケイト・ベッキンセール演じる史上最恐の鬼嫁、ローリーだろう。
ヴァーホーヴェン版では途中であっさり殺られてしまう役だが、今回はターミネーター並みに不死身の殺し屋となって、執拗にクエイドを追い回す。
「アンダーワールド」のセリーンを思わせる身体能力で、コリン・ファレルをボコボコにするシーンの憎々しさは、演出家の愛を感じるもの。
主役以上の出番の多さもあって、本作で一番美味しいキャラクターになっていたのは間違いないだろう。
逆に割を食ったのは本来ヒロインであるはずなのに、すっかり印象が薄くなってしまったジェシカ・ビールか。

しかし、目まぐるしく展開する映画を観ているうちに、ビジュアルとはまた違った既視感を物語のムードに感じてくる。
それは時間が経つとともにどんどんと確信に近づき、エンドクレジットを見て納得した。
本作には2002年のヒット作、「リベリオン」のカート・ウィマーが共同脚本で参加しているのである。
細かい所はツッコミ無用とばかりに、結構アバウトなブリテン連邦のビッグブラザー的設定や、国家の代表という本来凄くエライ人であるはずのボスキャラの独裁者が、妙に行動的で前面に出て来るあたりはこの人のテイストだろう。
なるほど、それならそれでアクションも「リベリオン」で特徴的だったガン・カタを取り入れて欲しかったところだが、良い意味でB級テイスト漂うウィマー的世界と、童心いっぱいのワイズマンのコラボレーション、決して相性は悪くない。
もっとも、無邪気すぎて受け入れられないという人も相当にいそうな気はするが、あまり細かい所は気にせずに、未来世界で繰り広げられるダイナミックなアクションを楽しむのが正解だ。

今回は、夢から始まる映画なのでカクテルの「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40mlとオレンジ・キュラソーを20mlにペルノを1dash加え、シェイクしてグラスに注ぐ。
相性の良いオレンジ・キュラソーとブランデーのコンビネーションに、ペルノの香りでインパクトが演出されている。
 一杯だけなら夢に落ちるよりも、むしろスッキリさせてくれるかもしれない。

そういえば、オリジナルでは、劇中ではっきりとは描かれていないものの、実は映画の全てがクエイドの夢であったと後にヴァーホーヴェンが名言している。
果たして今回はどうだっただろう。
ラスト付近に注目してみるとヒントがあるかもしれない。
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プロメテウス・・・・・評価額1600円
2012年08月08日 (水) | 編集 |
“奴ら”は何処からやって来た?

1979年に第一作が公開されたSFホラーの古典、「エイリアン」シリーズと世界観を共有する、ある種の前日譚
あの映画で、宇宙貨物船ノストロモ号のクルーが発見し、全ての始まりとなった異星人の奇怪な宇宙船と、そこに横たわる巨人の死体、“スペース・ジョッキー”の謎が紐解かれる。
それまで男性のものだったSFの世界に風穴をあけた戦うヒロイン、リプリーの魂を継承するのは、オリジナル版「ドラゴン・タトゥーの女」のリスベット役で大ブレイクしたノオミ・ラパス
監督は、シリーズの産みの親であるリドリー・スコットが、33年ぶりにメガホンをとる。
できれば、「エイリアン」の第一作をおさらいしてからの鑑賞がオススメだ。
※完全ネタバレしてます。

21世紀末。
年代の異なる世界中の古代遺跡から、同じ星座のモチーフが発見される。
考古学者のエリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)とチャーリー・ホロウェイ(ローガン・マーシャル=グリーン)は、これを人類を創造した“エンジニア”からの招待状と受け取り、巨大企業ウェイランド社の支援の元、探査船プロメテウス号で星座に示された星、LV-223へと降り立つ。
人工の遺跡を発見したショウら探検隊だったが、そこで目にしたのはおびただしい数の“エンジニア”の死体と、何かに追い立てられるかの様に逃げ惑う、彼らの姿を記録したホログラム映像だった。
一体、この星で何が起こったのか。
ウェイランドから送り込まれているアンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)が、遺跡で発見された壺状の容器に入った謎の有機体を、密かにホロウェイに飲ませると、彼の体には不気味な感染症の症状が現れる。
一方、嵐の到来で遺跡に取り残された隊員たちの前に、蛇に似た奇妙な生物が姿を表すが・・・


物語の全体的な構造は、第一作の「エイリアン」に極めてよく似ている。
謎の星に降り立ったノストロモ号をプロメテウス号へ、主人公をリプリーからショウ博士へ、密命を帯びたアンドロイドのアッシュをデヴィッドへと置き換えれば、両作が半分リメイクと言って良いほどに相似形を形作る事がわかる。
構造的には、後半でノストロモ号が離陸しなかったバージョンの「エイリアン」と言っても良いだろう。

とは言っても、映画として目指すベクトルが「エイリアン」と相当に異なる事は、タイトルロールとなっている宇宙船の名前が象徴的に示唆している。
「エイリアン」に登場したノストロモ号の名は、リドリー・スコットのデビュー作「デュエリエスト/決闘者」の原作者でもあるイギリスの小説家、ジョセフ・コンラッドの同名小説が元ネタだ。
これは南米の架空の国の革命を舞台に、港湾労働者のノストロモが隠された銀を巡って権力に利用され最後には死んでしまう物語で、「エイリアン」におけるリプリーら乗組員と、彼らをエサにしてもエイリアンを手に入れようとする極悪企業、ウェイランド湯谷(本作ではまだ合併前なのか、“湯谷”の名は社名に無い)の関係が透けて見える。

対するプロメテウス号は、劇中でピーター・ウェイランドが語っている通り、人類に文明を与えたギリシャ神話の神の名であり、本作が人間と創造主の関係性をメインに描こうとしている事が明らかだ。
冒頭の、まるで修道僧を思わせる姿の“エンジニア”や、劇中での創造論と進化論の議論など、本作はキリスト教的な世界観が物語のバックボーンになっているのである。
余談だが、アンドレイ・タルコフスキー監督のSF映画史の金字塔、「惑星ソラリス」の舞台となるのも宇宙ステーション“プロメテウス”であった。
結果、ホラー色の強い「エイリアン」に対して、「プロメテウス」は相対的に哲学的で、謎解き要素が強い。

一応、本作は「エイリアン」の前日譚と言われているが、実は一致しない部分もある。
「エイリアン」の年代設定は2122年なので、2093年を舞台とする本作はその29年前の物語という事になるが、発見される異星人の宇宙船やスペース・ジョッキーの容姿がほぼまんまなのに対して、到着する星の名前がレクチル座ゼータ星系のLV-223とLV-426と異なっていたり、“エンジニア”の生き残りの最後が符合しなかったり、もしかすると完全な続き物というよりも、微妙にずれたパラレルワールドと理解した方が良いのかもしれない。
そう考えれば、本作と「エイリアン」の間に、ウェイランド社が遺跡の再調査を行わなかった事もしっくり来る。

ちなみに、こちらの記事では、LV-223は旧約聖書のレビ記22章3節(Leviticus 22:3)の比喩であると指摘している。
これはイスラエルの人々に対し、「もしもあなたの子孫が汚れた身で儀式に現れ、捧げ物に近づく事あらば、その者は私の下から断たれる。私は主である」と警告する一節である。
なるほど、物語との見事な符号は本作の宗教性を考えれば、リドリー・スコットが潜ませた映画を紐解くヒントなのかもしれない。

ノストロモ号の時は、ジョン・ハート演じるケインがフェイスハガーに襲われて、直ぐに離陸してしまったが、本作ではショウ博士率いる探検隊によって遺跡の詳細な調査が行われ、様々な謎が明らかになる。
どうやら、この星は“エンジニア”であるスペース・ジョッキーたちのバイオ工場の様な施設であり、彼らは遺伝子を突然変異させる有機体を作っていて、それは宿主の体内で様々な作用を起こすらしい。
人間そのものを怪物の様に変化させてしまうバリエーションもあれば、人間の胎児として怪物が育つバリエーション、オリジナル「エイリアン」の様に中間体を経て怪物が産まれるタイプもある。

元々H.R.ギーガーが、男性器をモチーフにデザインしたエイリアンは、女性を支配しようとする男性社会の象徴で、それを女性が倒すことでフェミニズム的な意味を持つという解釈がなされて来た。
今回も子供を産めない身体のショウ博士が、巨大なフェスハガーへと成長する幼体を“妊娠”してしまう展開は、ジェンダーの問題がこのシリーズの隠し味である事を改めて示唆する様で興味深い。
本作を「エイリアン」シリーズの前日譚とするなら、おそらくはラストでスペース・ジョッキーから生まれたアレが、キャメロン版のエイリアン・クイーンへと進化するのだろうが、ギーガーデザインの“エイリアンそのもの”は出て来なくても、人間を変異させる蛇状の生物や部屋いっぱいに広がる巨大フェイスハガーなど、モンスターSFとしてもある程度満足させてくれる。

しかし、ジョン・スパイツと「LOST」で知られるデイモン・リンデロフが手がけた脚本は、謎解きのワクワクは十分でも物語のディテールは結構荒っぽく、あまり練り込まれているとは言えないフィニッシュだ。
宇宙船と遺跡という閉鎖空間が舞台の群像劇なのに、登場人物が無駄に多すぎて、キャストの半分はほぼエキストラ状態になってしまっている。
「エイリアン」と基本構造が似通っている事は前記したが、後半は人間vsエイリアンというシンプルな展開になるあちらと違って、今回は探検と謎の解明に怪物対策とやる事が多く、一人一人のキャラクターに十分な時間がかけられていないのである。
シャーリズ・セロンのキャラクターなんて、せっかく出てきたのに物語上の意味は無きに等しく、これならマイケル・ファスベンダー演じるデヴィッドと統合してしまった方が良かったのではないか。
クライマックスで船長らが人類を救うために自らを犠牲にして“特攻”する選択にも、そこまでにキャラクターが描かれて無いので葛藤が見えない。
特殊メイクで素顔の全くわからない、ピーター・ウェイランド役のガイ・ピアーズはよく出演したものだが、彼とデヴィッドとの関係も不明瞭で、何を命じていたのかもよくわからない。
全体に、登場人物を2/3位の人数に絞って、行動原理を整理した方が観やすくなったと思う。

まあ、色々と突っ込みたい所はあるのだが、やはり「エイリアン」シリーズという確立された世界観があるので、今まで隠されていたその裏設定を探るというコンセプトは興味深く、今回明らかになった新たな謎とシリーズの繋がりを妄想するだけでも十分楽しいのは紛れもない事実。
作劇手法としては諸刃の剣だが、宗教性を隠し味に謎が謎を呼ぶ形でファン心理を刺激し、最後まで飽きさせない辺り、「LOST」や「エヴァンゲリオン」などとも共通するかもしれない。
既に続編の決定がアナウンスされているが、次回は本来の「エイリアン」シリーズとは大きく異なる世界に飛躍する事は確実で、今から非常に楽しみである。
果たして、船が飛び立った先は“パラダイス”か、それとも“エデン”なのだろうか。

ところで、今回は蛇状の生物に寄生された人間が、宿主とされるのではなく、そのまま不気味な姿に変異してしまう描写があるが、この設定はジョン・カーペンター監督による「遊星からの物体X」とも酷似している。
昨年公開されたリ・ブート版「遊星からの物体X ファーストコンタクト」では南極大陸に埋まっている巨大な宇宙船の描写もあり、意図した訳では無いだろうが、奇しくも二つの古典SFホラーの世界観が本作でオーバーラップする様で面白かった。

今回はモンスターがウリのSF映画に相応しく、コンパスボックス社のスコッチウィスキー、「ピートモンスター」をチョイス。
2000年創業の比較的新しいボトラーブランドだが、早くも一定のファン層を獲得している。
ラベルに描かれたモンスターは、ギーガーというよりはB級映画の深海モンスター風?
ピートモンスターはカリラの10年、11年と アードモアの12年から17年の樽をブレンドした物で、名前の通りスモーキーな味わいだが、フルーティさとスパイシーさのバランスも良く、ウィスキー好きなら広く好まれる味わいだと思う。
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ゴッド・ブレス・アメリカ・・・・・評価額1550円
2012年08月04日 (土) | 編集 |
虚構の国の正義とは。

人生に絶望した中年男と妙にハイテンションな女子高生がコンビを組み、“生きるに値しないクズども”を殺戮しながらアメリカ大陸を横断するロードムービー。
監督・脚本は、コメディアンとしても知られるボブキャット・ゴールドスウェイトだが、ユーモラスではあるもののお笑い色は意外と薄く、タイトルからしてアメリカそのものを皮肉った毒気たっぷりの風刺劇と言った感じか。
現代版ボニー&クライドを気取るのは、ビル・マーレイの弟でもあるジョエル・マーレイとこれが劇場用映画初主演となるタラ・ライン・バー

妻子に去られ一人暮らしの中年男、フランク(ジョエル・マーレイ)は、夜な夜な繰り返される隣人の騒音や、テレビに映し出される下品な番組に怒り、いっそこいつらを皆撃ち殺してやったらどんなに気分がいいだろうと妄想を募らせている。
そんなある日、フランクはセクハラの汚名を着せられて突然会社をクビになり、健康診断では脳腫瘍が見つかり、余命僅かと告げられる。
茫然自失のまま拳銃自殺を決意するフランクだが、偶然テレビのリアリティ番組で金持ちの家庭でワガママ放題に育った女子高生、クロエの姿を観て頭の中で何かが弾ける。
隣人の車を盗んだフランクは、クロエを探し当てると彼女を射殺し、再び自殺しようとする。
だが、事件の一部始終を見ていたロキシー(タラ・ライン・バー)という女子高生が押しかけ、「殺すべき人間はまだまだ沢山いる」と説得するのだが・・・


クソ真面目で人生どん詰まりの主人公が、ある日突然ブチ切れて大暴れするという物語は、ジョエル・シュマッカー監督、マイケル・ダグラス主演の「フォーリング・ダウン」を思わせる。
そこに、「キック・アス」的な美少女バイオレンスを組み合わせ、パロディ版の「俺たちに明日はない」に纏め上げたという印象だ。
余談だが、フランクが真っ先に殺すのが“クロエ”と言うのは偶然だろうか(笑
まあ、ありがちな話ではあるが、くたびれた中年男とエキセントリックな女子高生という対照的なキャラクターが面白く、飽きさせない。

主人公のフランクは、とにかく世の中全てが気に入らない人だ。
毎夜騒音の元となる隣人も、テレビで流れる下品なリアリティ番組も、政治ショーの超保守派の論客の言動も、知的障害者を笑い者にするオーディション番組も、そしてゴシップの話ばかりしている同僚たちも。
彼にとっては、何もかも間違っていて、それを受け入れる人々もおかしいと思えるのだ。
狂った世間の中で自分自身は正しく生きている、にも関わらず現実はなぜかフランクを追い詰める。
離婚した妻と暮らす娘は、「面白くないから」と面会日にもフランクと過ごしたくないとゴネる。
想いを寄せた女性にはセクハラを疑われ、長年務めた会社を解雇、極めつけは脳腫瘍での余命宣告だ。

正しい人生を歩んだはずの自分が、文字通りのデッドエンドに追い詰められているのに、テレビのリアリティ番組では大金持ちのワガママ娘が傍若無人な振る舞いをしている。
キャデラックを買ってくれと泣き喚く彼女と、自分の娘が重なった瞬間、フランクは切れる。
普段真面目な人ほど一度壊れ始めると止まらない物だが、彼の場合クロエを殺した後に更に狂気の燃料を投下するロキシーの登場によってますますアンストッパブルに。
人生をやり尽くした結果全てが気に入らないフランクと、人生を知らないが故に全てを壊したいロキシーという異色の相互補完カップルは、映画館の迷惑者、ティーパーティーのデモ隊、保守派の論客ら“殺すべき者たち”を次々と血祭りにあげてゆく。
しかしながら、「フォーリング・ダウン」のマイケル・ダグラスが、ロバート・デュバルに実は自分こそが悪人だと知らされるまで、自分は正義を行っていると信じて疑わなかった様に、フランクとロキシーも大いなる勘違いをしている事には気づかない。

フランクとロキシーが殺しているのは、実は殆どテレビで見かけただけの人々である。
リアリティ番組が本当にリアルかどうかは分からないし、高圧的な物言いの保守派論客だってテレビ用のキャラかもしれないのだ。
何しろパートナーのロキシーすら、フランクに決定的な嘘をついているし、その人間の本当の姿など誰にもわからない事に、彼らは思い至らないのである。
また単なるおっさんと小娘である主人公に、自らは正義の執行者と思い込ませてしまうのは、簡単に人を打ち負かせる“銃”という魔法のアイテムがあるからだ。
モーテルで二人が熱く語り合うアリス・クーパー論と、そのクーパーの「ハロー・フレイ」の流れる中で、フランクとロキシーがJFKとジャクリーンとなり、あのダラスの暑き日を再現する悪夢のシーンは、テレビと銃とロックで出来た劇場国家、アメリカの姿をシニカルに表現している。

そして虚構と現実の入り混じった世界を象徴する様に、クライマックスの舞台はハリウッドだ。
どこかで見たようなオーディション番組に乗り込んだフランクは、ある人物の発言によって、自分たちがぶっ殺してきた者たちが、実はアメリカという壮大な茶番劇の登場人物で、自らもその一部であることを知る。
フランクとロキシーの正義は、突き詰めれば自殺に等しいのである。

しかし、これが映画の中だけの話で終わらないのがアメリカの恐ろしい所で、特に映画館のシーンとクライマックスの劇場のシーンは、先日コロラド州の映画館で起こったあの痛ましい事件とモロに重なってしまって観ていてどうしても戸惑いが残る。
もちろん、事件は映画の責任ではないし、実際作った時点ではこんな事が現実になるなんて事は思ってもいなかっただろうけど、結果的に非常に残念な形で、本作が社会を鋭く突いていたことの証明になってしまった。

さて、今回はクセが強く、複雑な映画の後味をスッキリさせてもらうために、最もオーディナリーなアメリカンビール「バドワイザー」をチョイス。
苦味が少なく水のようにあっさり、いくらでも飲めるライトなテイストは、ビールとしてはやや物足りなく感じる事もあるが、茹だるような日本の夏を和らげるのにはピッタリだ。
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