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トータル・リコール・・・・・評価額1500円
2012年08月13日 (月) | 編集 |
本当の自分は何者か?

ポール・ヴァーホーヴェン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演で、1990年に大ヒットしたSFアクション「トータル・リコール」のリメイク。
元々はフィリップ・K・ディックの小説、「追憶売ります」の映画化だが、今回は原作ではなくヴァーホーヴェン版の映画がベースとなり、基本的な物語の流れは共通ながら、世界観の設定を大幅に変更、オリジナルとはまた違った面白さを生んでいる。
主人公のダグラス・クエイドはシュワルツェネッガーからコリン・ファレルへ、嘗てシャロン・ストーンが演じた妻のローリー役はケイト・ベッキンセール、レジスタンスのメリーナ役はレイチェル・ティコティンからジェシカ・ビールへとバトンタッチ。
監督は「アンダーワールド」シリーズのレン・ワイズマンだ。

最終戦争によって、人類の居住地が極度に狭まった世界。
世界は裕福な“ブリテン連邦”と貧困層が暮らす“コロニー”に二極化され、コロニーの住人は地球を貫く“フォール”という交通機関によって、安価な労働力としてブリテン連邦に通勤し、搾取される毎日を送っている。
コロニーに暮らすダグラス・クエイド(コリン・ファレル)は、妻のローリー(ケイト・ベッキンセール)と平凡な毎日を過ごしているが、ある日望みの記憶を売ってくれるというリコール社を訪れる。
ところが、自分が秘密諜報部員として活躍する記憶を買おうとした時、武装警官隊がリコール社を急襲しクエイドを逮捕しようとする。
その瞬間、クエイドは自分でも理解不能の戦闘能力を発揮し、瞬く間に警官隊を壊滅させてしまう。
慌てて家に帰ると、今度はローリーが突然襲ってきて、自分は妻ではない、ダグラス・クエイドという男は存在しないと言う。
訳もわからないまま、幾つかの手がかりに導かれ、ブリテン連邦にやって来たクエイドは、そこでメリーナ(ジェシカ・ビール)という謎の女に助けられるが、彼女はクエイドが夢の中で出会っていた女だった・・・


映画作家には幾つかのタイプがあるが、こと世界観の作り方に関しては大雑把に言って二つに分けられると思う。
アダムとイブでない限り、全ての人間が脈々と続いてきた歴史を受け継ぎ、その影響下にあることは誰も否定できないだろう。
当然ながら、映画作家も多くの先人たちによる創作の影響を受けており、作品はその記憶の集合体であるとも言える。
だが、例えばリドリー・スコットやポール・ヴァーホーヴェンらが、取り込んだ記憶を細かく分解し完全に自分の色形に作り替えてしまうタイプだとすれば、本作のレン・ワイズマンはごちゃまぜの記憶を元の形がわかる形状に喜々として組み立てるタイプだろう。
「プロメテウス」の世界が、どこからどう見てもリドリー・スコットという作家の美意識によって統一されているのに対して、本作はワイズマンのドヤ顔を通して、古今東西の様々な映画的記がそのまま透けて見える。

物語の基本的な構造は、ヴァーホーヴェンのオリジナルとそう変わらない。
うだつの上がらない毎日を過ごしている男が、フィクションの記憶を売るというリコール社に行ったことが切っ掛けで、自分の記憶が操作されていて、今の生活が全くの偽物だという事を知る。
果たして自分は何者なのか、本物の人生にどんな秘密が隠されているのかを探ってゆくというミステリアスな冒険物語だ。
オリジナルでは地球に暮らすクエイドが、実は抑圧された植民地である火星を救うヒーローだったという設定だが、リメイク版では戦争によって宇宙どころか地球上の大半が居住不可能になっており、人類は現在のイギリスを中心とした支配階級の住む“ブリテン連邦”と、オーストラリア大陸に当たる労働者階級の住む“コロニー”という二つの世界に分かれて暮らしている。
この二つの地域は、地球の中心を貫くチューブを高層ビルサイズの巨大エレベーターが行き来する“フォール”と呼ばれる交通機関で結ばれており、コロニーの住人は毎日ブリテン連邦に通勤し、二級市民として搾取されている。
要するに、オリジナルの地球がそのままブリテン連邦となり、火星植民地がコロニーという風に置き換えられた訳である。

世界観のビジュアルは、正に過去のSF映画のごった煮と言っていい。
ブリテン連邦は、同じディックの原作を元にした「マイノリティ・レポート」を思わせる整然とした未来都市として描かれ、対照的に東洋風の電飾が街をケバケバしく彩り、幾重にも折り重なった建造物が無秩序に伸びるコロニーの風景は、これまたディック原作の「ブレード・ランナー」を意識しているのが明らかだ。
また、ワイズマンの作品には、必ず一箇所はスピルバーグ映画のアクションの再現シーンがあるのがお約束だが、今回も終盤のあるシーンで「レイダース/失われたアーク」をやっている。
やはりワイズマンは、良くも悪くも永遠の映画少年であって、基本的には既存のイメージの再構成から一つの世界に組み直す、アレンジャータイプの人なのだ。
まあ既視感を感じさせること自体は別に悪い事ではなく、アレンジ故に味わえる面白さがある事も事実である。

もちろん、ヴァーホーヴェン版に対してもオマージュたっぷり。
クエイドと同僚との会話で、前作のシュワルツェネッガーのキャラクターが揶揄されたかと思うと、前後の脈略なく何故か三つの乳房を持つ女が出てきたり、サービス精神旺盛過ぎてやや唐突な物も含めて、オリジナルを観ているとニヤリと出来る描写があちこちに。
オリジナルでは火星に入国するシーンで、赤毛の太ったおばちゃんの体が割れて、中からシュワルツェネッガーが出てくる描写が話題になったが、今回はブリテン連邦の入国ゲートのシーンでそのおばちゃんそっくりな女性を登場させ、訳知りの観客をミスリードする遊び心も楽しい。
狭いが故に立体的な都市の構造を最大限利用して、これでもかと詰め込まれた様々な見せ場の連続は手に汗握るし、コアを横切る瞬間無重力になるというフォールの設定をうまく活かしたアクションのアイディアも秀逸だ。
ちなみに地球の裏側に行くなら、最短距離で地球の中心にトンネル掘ればいいじゃんという無茶なアイディアは、実は昭和の少年科学雑誌などにイラスト入りでよく登場しており、世代的に妙に懐かしかった。

俳優陣では、シュワルツェネッガーというカリスマから役を引き継いだコリン・ファレルは、だいぶ線は細くなったものの、それなりに説得力あるキャラクターを作り上げていたと思う。
だが、この映画で一番強烈なのは、やはりワイズマンの愛妻でもあるケイト・ベッキンセール演じる史上最恐の鬼嫁、ローリーだろう。
ヴァーホーヴェン版では途中であっさり殺られてしまう役だが、今回はターミネーター並みに不死身の殺し屋となって、執拗にクエイドを追い回す。
「アンダーワールド」のセリーンを思わせる身体能力で、コリン・ファレルをボコボコにするシーンの憎々しさは、演出家の愛を感じるもの。
主役以上の出番の多さもあって、本作で一番美味しいキャラクターになっていたのは間違いないだろう。
逆に割を食ったのは本来ヒロインであるはずなのに、すっかり印象が薄くなってしまったジェシカ・ビールか。

しかし、目まぐるしく展開する映画を観ているうちに、ビジュアルとはまた違った既視感を物語のムードに感じてくる。
それは時間が経つとともにどんどんと確信に近づき、エンドクレジットを見て納得した。
本作には2002年のヒット作、「リベリオン」のカート・ウィマーが共同脚本で参加しているのである。
細かい所はツッコミ無用とばかりに、結構アバウトなブリテン連邦のビッグブラザー的設定や、国家の代表という本来凄くエライ人であるはずのボスキャラの独裁者が、妙に行動的で前面に出て来るあたりはこの人のテイストだろう。
なるほど、それならそれでアクションも「リベリオン」で特徴的だったガン・カタを取り入れて欲しかったところだが、良い意味でB級テイスト漂うウィマー的世界と、童心いっぱいのワイズマンのコラボレーション、決して相性は悪くない。
もっとも、無邪気すぎて受け入れられないという人も相当にいそうな気はするが、あまり細かい所は気にせずに、未来世界で繰り広げられるダイナミックなアクションを楽しむのが正解だ。

今回は、夢から始まる映画なのでカクテルの「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40mlとオレンジ・キュラソーを20mlにペルノを1dash加え、シェイクしてグラスに注ぐ。
相性の良いオレンジ・キュラソーとブランデーのコンビネーションに、ペルノの香りでインパクトが演出されている。
 一杯だけなら夢に落ちるよりも、むしろスッキリさせてくれるかもしれない。

そういえば、オリジナルでは、劇中ではっきりとは描かれていないものの、実は映画の全てがクエイドの夢であったと後にヴァーホーヴェンが名言している。
果たして今回はどうだっただろう。
ラスト付近に注目してみるとヒントがあるかもしれない。
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