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2012年08月24日 (金) | 編集 |
あの国に、暮らすという事。
北朝鮮を“地上の楽園”と謳った帰国事業によって、10代で祖国に渡った兄が病気治療の名目で四半世紀ぶりに帰ってくる。
しかし兄には北から派遣された監視人がピタリと寄り添い、久しぶりの家族の対話も歳月が作った距離を埋められない。
一体、あの国は兄の何を変えてしまったのか。
朝鮮総連の活動に人生を掲げた両親を描いた「ディア・ピョンヤン」、実際に北朝鮮で暮らす兄の家族との交流を綴った「愛しきソナ」で注目を浴びたドキュメンタリスト、ヤン・ヨンヒ監督初の劇映画は、私小説的な視点で描くある家族の物語。
監督自身の分身である、主人公リエを安藤サクラが好演。
実際には三人いる監督の兄を一人に集約したキャラクターであるソンホを、以前は“ARATA”の芸名で知られていた井浦新、両親役を宮崎美子と津嘉山正種、そして北朝鮮からやって来る監視人を、「息もできない」のヤン・イクチュンが演じているのも話題だ。
※ラストに触れています。
1997年のある日。
難病の治療のために、三ヶ月という期限付きで北朝鮮から兄のソンホ(井浦新)が家族のもとへ帰ってきた。
だが、見知らぬ男(ヤン・イクチュン)が監視役として同行しており、ソンホの態度もどこかよそよそしい。
四半世紀ぶりの家族の団欒と、嘗ての旧友たちとの再会にも、ソンホはどこか素直に打ち解けられないでいる。
しかも、脳腫瘍と診断された病気は、三ヶ月では治癒が難しいと告げられる。
そんな時、ソンホは国家から命じられたある秘密を妹のリエ(安藤サクラ)に打ち明ける。
ショックを受けつつも、なんとか治療してくれる病院を探すリエたちだが、受け入れてくれそうな病院が見つかった矢先に、ソンホに突然の帰国命令が下る・・・・
1950年代から1984年まで行われた所謂“帰国事業”では、日本生まれで一度も祖国の土を踏んだ事すらない在日朝鮮人の若者たちや日本人妻子らも含め、9万人以上の人々が北朝鮮へと渡った。
当時、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と呼び、左派系の日本のマスメディアや、社会保障費の削減を狙った日本政府までもが“人道主義”を名目に事業を後押ししたのだ。
もっとも、今でこそアジア最貧国へと転落した北朝鮮だが、50年代当時は韓国よりも早くに朝鮮戦争からの復興を成し遂げ、経済力でも大幅に上回っていたのも事実であり、何よりもまだ資本主義と共産主義のどちらの経済体制が優れているのかという論争に決着がついていなかった時代である。
理想国家建設を夢見て海峡を渡った人達にとって、その後の惨状など想像だに出来ない未来だったのかもしれない。
本作に登場するのは、そんな歴史の虚実に翻弄されたある家族だ。
父親は朝鮮総連の幹部、つまり帰国事業を実行した立場の人間であり、息子を北朝鮮へと送り出した事に対して、民族としての理念と誇り、父親としての後悔と自責の念を同時に抱え込み、母親もまた同じ思いを抱いている。
本作の事実上の主人公であり、映画の視点となる歳の離れた妹のリエは、日本で自由を満喫しながら成長した存在として描かれ、幼い頃に別れた兄に対して、懐かしさと親しみを覚えている。
一家が再会して最初の団欒で、ソンホがビールを飲む時に、父親から口元を隠して飲む描写がある。
これは年長者の前で大っぴらに酒を飲むことを失礼と考える儒教社会の伝統だが、リエはそんなソンホの行動を笑い飛ばし、父の前でプッハ~と豪快に飲み干して見せるのだ。
また懐かしい面々が揃う同窓会でも、いずれ北へ戻るソンホに気兼して、皆なかなか突っ込んだ話が出来ない。
四半世紀の間に大きく変化してきた在日社会にあっても、体験も価値観も共有するものがあまりにも少ないソンホは、浦島太郎の様な存在になってしまったのだ。
やがて、徐々に明らかになるソンホの抱えている現実の重さ。
平壌に家族を残し、同時に脳腫瘍という病を抱えるソンホは、実質的に家族と自分の命を人質にとられているのと同じである。
日本での生活を数日送ったある日、ソンホは遂に隠していた重大な秘密を妹に打ち明ける。
国から密かに命じられた任務、それはリエを工作員に勧誘する事だった。
折しも舞台となる1997年は、警視庁が拉致被害者と推定される人々の具体的な人数を発表し、北朝鮮の拉致・対日工作が大きくクローズアップされた年でもある。
予想だにしなかったソンホの言葉はリエを打ちのめし、兄の住む世界が自由な自分の世界とは異なる事を改めて思い知らされる。
そして彼女は、家の前に張り付く監視人に対して「あんたも、あの国も大嫌い!」と言い放つのだ。
だが、監視人から返って来たのは「あなたが大嫌いというあの国で、お兄さんも、私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」という半ば諦めの様な静かな答え。
ここには、国家という巨大なシステムと、そこに暮らす個人の関係性の決定的な乖離と葛藤がある。
例えリエが北朝鮮という国家に対して大嫌い宣言をしたとしても、そのシステムに暮らす個人にとってはどうしようも無い事なのだ。
ある意味子供っぽいリエの無邪気な感情の爆発を、システムのパーツとして生きざるを得ない監視人やソンホは受け取る事すらできない。
あの国に家庭を持つ彼らにとっては、もはや人生を後戻りする事はできず、好むと好まざるとに関わらず、「かぞくのくに」は北朝鮮以外に無いのだ。
リエ以外の家族も皆、諦めの境地と共にその事を受け入れてしまっており、だからこそ母親はなけなしの貯金を使って、監視人のために新しいスーツを設えるのである。
物語の終盤、帰国を控えたソンホは、思考を停止して国家に従わねば生きる事のできない無念を自虐的に語り、リエに対して「お前は自由に生きろ」と言う。
リエはまだ若く、自分を社会に縛り付ける柵を持たず、他の大人たちが流されてしまう状況にも良い意味で子供っぽく抵抗する。
ラストで、ソンホが懐かしい「白いブランコ」を口ずさみながら、愛する家族と絶望の待つ祖国へと向かう同じ時、大きなトランクを抱えて街を行くリエの姿は、自分自身の「かぞくのくに」は果たしてどこにあるのか、人生をかけて探しに行く決意を秘めている様に見える。
それはもちろん、ヤン・ヨンヒ監督の想いなのだろうし、リエの旅路は「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」、そしてこの映画へとダイレクトに繋がっているのだろう。
本作はインディーズの中でもかなりの低予算作品だが、映像の密度は極めて映画的に重厚で格調があり、“映画を観た”という充実感を感じさせてくれる。
高い演技力と鮮烈な存在感を放つ俳優たち、生活感と家族の歴史を感じさせる美術、そして家族の間に流れる気怠い空気までをも写し取るカメラ。
映画的なるモノ、とは決してお金の問題ではない事を本作の画面は雄弁に語る。
濃密なる100分の上映時間、ヤン・ヨンヒ監督の見事な劇映画デビュー作は、単に在日社会や北朝鮮の問題ではなく、全ての“家族”へ向けた重要な問いかけを含んでいる。
今回は、遠い国から来た懐かしい人と飲みたい日本のビール。
120年の歴史を持つ「エビスビール」をチョイス。
ドイツスタイルの本格的ビールは、日本で唯一ビールの銘柄から命名された東京の地名としても知られている。
濃厚でありながらサッパリ、日本の夏を潤すこれもまた伝統の一杯である。
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北朝鮮を“地上の楽園”と謳った帰国事業によって、10代で祖国に渡った兄が病気治療の名目で四半世紀ぶりに帰ってくる。
しかし兄には北から派遣された監視人がピタリと寄り添い、久しぶりの家族の対話も歳月が作った距離を埋められない。
一体、あの国は兄の何を変えてしまったのか。
朝鮮総連の活動に人生を掲げた両親を描いた「ディア・ピョンヤン」、実際に北朝鮮で暮らす兄の家族との交流を綴った「愛しきソナ」で注目を浴びたドキュメンタリスト、ヤン・ヨンヒ監督初の劇映画は、私小説的な視点で描くある家族の物語。
監督自身の分身である、主人公リエを安藤サクラが好演。
実際には三人いる監督の兄を一人に集約したキャラクターであるソンホを、以前は“ARATA”の芸名で知られていた井浦新、両親役を宮崎美子と津嘉山正種、そして北朝鮮からやって来る監視人を、「息もできない」のヤン・イクチュンが演じているのも話題だ。
※ラストに触れています。
1997年のある日。
難病の治療のために、三ヶ月という期限付きで北朝鮮から兄のソンホ(井浦新)が家族のもとへ帰ってきた。
だが、見知らぬ男(ヤン・イクチュン)が監視役として同行しており、ソンホの態度もどこかよそよそしい。
四半世紀ぶりの家族の団欒と、嘗ての旧友たちとの再会にも、ソンホはどこか素直に打ち解けられないでいる。
しかも、脳腫瘍と診断された病気は、三ヶ月では治癒が難しいと告げられる。
そんな時、ソンホは国家から命じられたある秘密を妹のリエ(安藤サクラ)に打ち明ける。
ショックを受けつつも、なんとか治療してくれる病院を探すリエたちだが、受け入れてくれそうな病院が見つかった矢先に、ソンホに突然の帰国命令が下る・・・・
1950年代から1984年まで行われた所謂“帰国事業”では、日本生まれで一度も祖国の土を踏んだ事すらない在日朝鮮人の若者たちや日本人妻子らも含め、9万人以上の人々が北朝鮮へと渡った。
当時、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と呼び、左派系の日本のマスメディアや、社会保障費の削減を狙った日本政府までもが“人道主義”を名目に事業を後押ししたのだ。
もっとも、今でこそアジア最貧国へと転落した北朝鮮だが、50年代当時は韓国よりも早くに朝鮮戦争からの復興を成し遂げ、経済力でも大幅に上回っていたのも事実であり、何よりもまだ資本主義と共産主義のどちらの経済体制が優れているのかという論争に決着がついていなかった時代である。
理想国家建設を夢見て海峡を渡った人達にとって、その後の惨状など想像だに出来ない未来だったのかもしれない。
本作に登場するのは、そんな歴史の虚実に翻弄されたある家族だ。
父親は朝鮮総連の幹部、つまり帰国事業を実行した立場の人間であり、息子を北朝鮮へと送り出した事に対して、民族としての理念と誇り、父親としての後悔と自責の念を同時に抱え込み、母親もまた同じ思いを抱いている。
本作の事実上の主人公であり、映画の視点となる歳の離れた妹のリエは、日本で自由を満喫しながら成長した存在として描かれ、幼い頃に別れた兄に対して、懐かしさと親しみを覚えている。
一家が再会して最初の団欒で、ソンホがビールを飲む時に、父親から口元を隠して飲む描写がある。
これは年長者の前で大っぴらに酒を飲むことを失礼と考える儒教社会の伝統だが、リエはそんなソンホの行動を笑い飛ばし、父の前でプッハ~と豪快に飲み干して見せるのだ。
また懐かしい面々が揃う同窓会でも、いずれ北へ戻るソンホに気兼して、皆なかなか突っ込んだ話が出来ない。
四半世紀の間に大きく変化してきた在日社会にあっても、体験も価値観も共有するものがあまりにも少ないソンホは、浦島太郎の様な存在になってしまったのだ。
やがて、徐々に明らかになるソンホの抱えている現実の重さ。
平壌に家族を残し、同時に脳腫瘍という病を抱えるソンホは、実質的に家族と自分の命を人質にとられているのと同じである。
日本での生活を数日送ったある日、ソンホは遂に隠していた重大な秘密を妹に打ち明ける。
国から密かに命じられた任務、それはリエを工作員に勧誘する事だった。
折しも舞台となる1997年は、警視庁が拉致被害者と推定される人々の具体的な人数を発表し、北朝鮮の拉致・対日工作が大きくクローズアップされた年でもある。
予想だにしなかったソンホの言葉はリエを打ちのめし、兄の住む世界が自由な自分の世界とは異なる事を改めて思い知らされる。
そして彼女は、家の前に張り付く監視人に対して「あんたも、あの国も大嫌い!」と言い放つのだ。
だが、監視人から返って来たのは「あなたが大嫌いというあの国で、お兄さんも、私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」という半ば諦めの様な静かな答え。
ここには、国家という巨大なシステムと、そこに暮らす個人の関係性の決定的な乖離と葛藤がある。
例えリエが北朝鮮という国家に対して大嫌い宣言をしたとしても、そのシステムに暮らす個人にとってはどうしようも無い事なのだ。
ある意味子供っぽいリエの無邪気な感情の爆発を、システムのパーツとして生きざるを得ない監視人やソンホは受け取る事すらできない。
あの国に家庭を持つ彼らにとっては、もはや人生を後戻りする事はできず、好むと好まざるとに関わらず、「かぞくのくに」は北朝鮮以外に無いのだ。
リエ以外の家族も皆、諦めの境地と共にその事を受け入れてしまっており、だからこそ母親はなけなしの貯金を使って、監視人のために新しいスーツを設えるのである。
物語の終盤、帰国を控えたソンホは、思考を停止して国家に従わねば生きる事のできない無念を自虐的に語り、リエに対して「お前は自由に生きろ」と言う。
リエはまだ若く、自分を社会に縛り付ける柵を持たず、他の大人たちが流されてしまう状況にも良い意味で子供っぽく抵抗する。
ラストで、ソンホが懐かしい「白いブランコ」を口ずさみながら、愛する家族と絶望の待つ祖国へと向かう同じ時、大きなトランクを抱えて街を行くリエの姿は、自分自身の「かぞくのくに」は果たしてどこにあるのか、人生をかけて探しに行く決意を秘めている様に見える。
それはもちろん、ヤン・ヨンヒ監督の想いなのだろうし、リエの旅路は「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」、そしてこの映画へとダイレクトに繋がっているのだろう。
本作はインディーズの中でもかなりの低予算作品だが、映像の密度は極めて映画的に重厚で格調があり、“映画を観た”という充実感を感じさせてくれる。
高い演技力と鮮烈な存在感を放つ俳優たち、生活感と家族の歴史を感じさせる美術、そして家族の間に流れる気怠い空気までをも写し取るカメラ。
映画的なるモノ、とは決してお金の問題ではない事を本作の画面は雄弁に語る。
濃密なる100分の上映時間、ヤン・ヨンヒ監督の見事な劇映画デビュー作は、単に在日社会や北朝鮮の問題ではなく、全ての“家族”へ向けた重要な問いかけを含んでいる。
今回は、遠い国から来た懐かしい人と飲みたい日本のビール。
120年の歴史を持つ「エビスビール」をチョイス。
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