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2012年11月05日 (月) | 編集 |
神はどこにいる?
世界の平和を護る9人のサイボーグ戦士の活躍を描く、石ノ森章太郎原作のSFコミックの金字塔、「サイボーグ 009」32年ぶりの長編映画化。
その名も「009 RE:CYBORG」は、単なるリメイクではなく、原作、あるいは過去のアニメ作品の後日談的なオリジナルストーリーで、映像手法はセル調のCGアニメーションとなり、キャラクターデザインもモダナイズされ、3D版も用意される。
謎の“声”によって引き起こされた連続自爆テロが、全ての秩序を崩壊させつつある世界を舞台に、ゼロゼロナンバーのサイボーグたちの新たな物語を紡ぐのは「東のエデン」「攻殻機動隊 S.A.C.」の神山健治だ。
※ラストに触れています。
嘗て世界を救ってきたサイボーグ戦士たちは、それぞれの故郷で新しい人生を送っている。
だが、世界各地で超高層ビルを狙った自爆テロが続発し、ギルモア博士(勝部演之)はゼロゼロナンバーの招集を決断。
博士は、記憶を消去し日本で普通の高校生として暮らしている009:島村ジョー(宮野真守)を連れ戻す為に、005:ジェロニモ(丹沢晃之)と003:フランソワーズ(斎藤千和)を派遣する。
しかし、記憶を取り戻したジョーは、驚くべき事を口にする。
自分も頭の中に呼びかける“彼の声”を聞き、危うく六本木ヒルズに爆弾テロを仕掛ける寸前だったと言うのだ。
人々を操る“彼の声”の影響は拡散し、ジョーは核ミサイルを搭載したまま連絡を絶った米軍のB2爆撃機を阻止する為に、ドバイに飛ぶのだが・・・・
復活したサイボーグ戦士たちの相手は、人々の心を操る姿なき“声”、即ち“神”という壮大なスケールの物語である。
もっとも、このシリーズでは過去にも度々超越者がモチーフとなっている。
神に作られし人間が、神を超越するかのごとく生み出したサイボーグという存在を突き詰めると、人間とは何か、生命とは何かという問いの向こうに、神を見るのは自然な成り行きなのかもしれない。
原作の「天使編」では人類を“収穫”に現れ、出来が悪いのでリセットしようとする創造主が登場するし、そのリトライ版とも言うべき「神々との闘い編」では、ゼロゼロナンバーのサイボーグたちが、宇宙からやってきた神によってそれぞれの心を試される。
本作のキャッチコピー、「終わらせなければ、始まらない。」は、「天使編」の創造主の主張にも通じ、物語の直接の源流になっているのも、この二編と思って良いだろう。
“彼の声”を聞き、人類の再生のために自爆テロに走る人々。
映画は、世界各地に離散したサイボーグ戦士たちが、イスタンブールのギルモア財団に再結集するプロセスで、事件の核心に迫る幾つかのヒントを提示してゆく。
考古学者に転身していた008:ピュンマは、遺跡の発掘現場で天使の姿をした巨人の化石を掘り当て、多くの発掘スタッフが“彼の声”を聞くのを目の当たりにする。
アメリカで国家安全保障局に勤務する002:ジェット・リンクは、産軍複合体を牛耳る企業が、“彼の声”の意思によって行動している事、そして自分もまた得体の知れない力に操られている事を知る。
そして、ジョーの頭に響いたテロへの誘惑。
混沌に落ちた世界は、一度破壊しなければ再生しないのか?
“彼の声”は本当に神の啓示なのか?
観客は、サイボーグ戦士たちと共に、ミステリアスで先の読めない展開に翻弄される事になるのだ。
2001年から2002年にかけて放送されたテレビアニメから10年、3DCGによって作られた本作では、立体モデルに輪郭線を付ける所謂セルシェーディングの技法と手描き背景のタッチによって、慣れ親しんだセルアニメ調に仕上げられている。
物議を醸したキャラクターデザインも、オリジナルの面影を適度に残しながら巧みに立体化されており、個人的にはそれほど違和感は感じないし、ジョーと激しいラブシーンまで見せてくれる恋するフランソワーズとか、コスチュームまで妙に色っぽくて、むしろ大人アニメとして良い感じ(笑
3DCGならではのダイナミックなアクションも含め、映像的には今まで見た事のない世界を作り出し、楽しませてくれている。
核による終末が日常の裏側にあった、東西冷戦真っ只中に生まれたオリジナルに対し、カオスの時代にストレートに神を問う、リメイクの方向性は間違っていないと思うし、現代だから作り得るスペクタクルな見所も盛り沢山。
なかなかに面白い映画であり、力作なのは間違いない。
しかし、一本の独立した作品として観ると、後味が今ひとつピリッとしないのも確かなのである。
おそらく原因は、作者自身が“神”という大き過ぎるモチーフを掴み切れず、持て余しているからだと思う。
神の正体に関しては、中盤で004:ハインリヒが、まるで学校の講義でもやるかの様に、人間の進化の過程で脳が生み出した内的存在だという説をもっともらしく語ってくれる。
ならば、ピュンマが掘り出した“天使の化石”は何なのか?
内なる神の滅びへの誘惑に抗うモニュメントとして人間が作ったのだとしたら、なぜ化石に触れた人々の中に“彼の声”を聞く人が続出したのか?
エンドクレジット後に出てくる、月の裏側の巨大なモニュメントは誰が作ったのか?
そもそも、核爆発で死んだはずのジョーとジェット・リンクが目を覚ます場所は、登場人物が水の上を歩く(聖書のキリストを思わせる)描写を見ても、現実とは異なる異世界、つまりは天国と考えるのが妥当だろうが、もしも神が脳の機能の一部なら、天国が存在するのは明らかにおかしい。
少なくとも本作においては、神=脳内創造説は当てはまらないと思うし、では例えば宇宙人のような存在だとすると、それならそれで一体人類に何をやらせたいのかがよくわからない。
更には、サイボーグたちの前に現れる金髪の少女は一体何者なのか、忽然と現れては消えるジョーの同級生の存在など、描かれながらも放りっぱなしの要素も多い。
もちろん、最終的には観客に解釈を委ねるという考え方でも良いと思う。
しかし本作の場合は、辻褄のあわない事が多く、どうしても観念に逃げた印象となってしまった感は否めない。
ここは少なくとも作品世界の創造主たる作者の中では、ある程度“神"に関する自分の解を明確にしておくべきだったのではないか。
まあ、これが「プロメテウス」の様に“序章”に過ぎず、広げた風呂敷に関してはこれから畳むのだというなら納得なのだけど。
今回は石ノ森章太郎の故郷、宮城県登米市の酒蔵、石越醸造の「澤乃泉 特別純米酒」をチョイス。
北部宮城の代表的銘柄だが、こちらは特別純米と言いながら、精米歩合は55%とかなり力の入った一本である。
やや辛口でコクはあれど強い癖はなく、柔らかな喉越しで飲みやすい。
コストパフォーマンスはとても高いお買い得な酒だ。
料理を選ばない万能タイプで、これからの季節には燗で飲んでも美味しいだろう。
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世界の平和を護る9人のサイボーグ戦士の活躍を描く、石ノ森章太郎原作のSFコミックの金字塔、「サイボーグ 009」32年ぶりの長編映画化。
その名も「009 RE:CYBORG」は、単なるリメイクではなく、原作、あるいは過去のアニメ作品の後日談的なオリジナルストーリーで、映像手法はセル調のCGアニメーションとなり、キャラクターデザインもモダナイズされ、3D版も用意される。
謎の“声”によって引き起こされた連続自爆テロが、全ての秩序を崩壊させつつある世界を舞台に、ゼロゼロナンバーのサイボーグたちの新たな物語を紡ぐのは「東のエデン」「攻殻機動隊 S.A.C.」の神山健治だ。
※ラストに触れています。
嘗て世界を救ってきたサイボーグ戦士たちは、それぞれの故郷で新しい人生を送っている。
だが、世界各地で超高層ビルを狙った自爆テロが続発し、ギルモア博士(勝部演之)はゼロゼロナンバーの招集を決断。
博士は、記憶を消去し日本で普通の高校生として暮らしている009:島村ジョー(宮野真守)を連れ戻す為に、005:ジェロニモ(丹沢晃之)と003:フランソワーズ(斎藤千和)を派遣する。
しかし、記憶を取り戻したジョーは、驚くべき事を口にする。
自分も頭の中に呼びかける“彼の声”を聞き、危うく六本木ヒルズに爆弾テロを仕掛ける寸前だったと言うのだ。
人々を操る“彼の声”の影響は拡散し、ジョーは核ミサイルを搭載したまま連絡を絶った米軍のB2爆撃機を阻止する為に、ドバイに飛ぶのだが・・・・
復活したサイボーグ戦士たちの相手は、人々の心を操る姿なき“声”、即ち“神”という壮大なスケールの物語である。
もっとも、このシリーズでは過去にも度々超越者がモチーフとなっている。
神に作られし人間が、神を超越するかのごとく生み出したサイボーグという存在を突き詰めると、人間とは何か、生命とは何かという問いの向こうに、神を見るのは自然な成り行きなのかもしれない。
原作の「天使編」では人類を“収穫”に現れ、出来が悪いのでリセットしようとする創造主が登場するし、そのリトライ版とも言うべき「神々との闘い編」では、ゼロゼロナンバーのサイボーグたちが、宇宙からやってきた神によってそれぞれの心を試される。
本作のキャッチコピー、「終わらせなければ、始まらない。」は、「天使編」の創造主の主張にも通じ、物語の直接の源流になっているのも、この二編と思って良いだろう。
“彼の声”を聞き、人類の再生のために自爆テロに走る人々。
映画は、世界各地に離散したサイボーグ戦士たちが、イスタンブールのギルモア財団に再結集するプロセスで、事件の核心に迫る幾つかのヒントを提示してゆく。
考古学者に転身していた008:ピュンマは、遺跡の発掘現場で天使の姿をした巨人の化石を掘り当て、多くの発掘スタッフが“彼の声”を聞くのを目の当たりにする。
アメリカで国家安全保障局に勤務する002:ジェット・リンクは、産軍複合体を牛耳る企業が、“彼の声”の意思によって行動している事、そして自分もまた得体の知れない力に操られている事を知る。
そして、ジョーの頭に響いたテロへの誘惑。
混沌に落ちた世界は、一度破壊しなければ再生しないのか?
“彼の声”は本当に神の啓示なのか?
観客は、サイボーグ戦士たちと共に、ミステリアスで先の読めない展開に翻弄される事になるのだ。
2001年から2002年にかけて放送されたテレビアニメから10年、3DCGによって作られた本作では、立体モデルに輪郭線を付ける所謂セルシェーディングの技法と手描き背景のタッチによって、慣れ親しんだセルアニメ調に仕上げられている。
物議を醸したキャラクターデザインも、オリジナルの面影を適度に残しながら巧みに立体化されており、個人的にはそれほど違和感は感じないし、ジョーと激しいラブシーンまで見せてくれる恋するフランソワーズとか、コスチュームまで妙に色っぽくて、むしろ大人アニメとして良い感じ(笑
3DCGならではのダイナミックなアクションも含め、映像的には今まで見た事のない世界を作り出し、楽しませてくれている。
核による終末が日常の裏側にあった、東西冷戦真っ只中に生まれたオリジナルに対し、カオスの時代にストレートに神を問う、リメイクの方向性は間違っていないと思うし、現代だから作り得るスペクタクルな見所も盛り沢山。
なかなかに面白い映画であり、力作なのは間違いない。
しかし、一本の独立した作品として観ると、後味が今ひとつピリッとしないのも確かなのである。
おそらく原因は、作者自身が“神”という大き過ぎるモチーフを掴み切れず、持て余しているからだと思う。
神の正体に関しては、中盤で004:ハインリヒが、まるで学校の講義でもやるかの様に、人間の進化の過程で脳が生み出した内的存在だという説をもっともらしく語ってくれる。
ならば、ピュンマが掘り出した“天使の化石”は何なのか?
内なる神の滅びへの誘惑に抗うモニュメントとして人間が作ったのだとしたら、なぜ化石に触れた人々の中に“彼の声”を聞く人が続出したのか?
エンドクレジット後に出てくる、月の裏側の巨大なモニュメントは誰が作ったのか?
そもそも、核爆発で死んだはずのジョーとジェット・リンクが目を覚ます場所は、登場人物が水の上を歩く(聖書のキリストを思わせる)描写を見ても、現実とは異なる異世界、つまりは天国と考えるのが妥当だろうが、もしも神が脳の機能の一部なら、天国が存在するのは明らかにおかしい。
少なくとも本作においては、神=脳内創造説は当てはまらないと思うし、では例えば宇宙人のような存在だとすると、それならそれで一体人類に何をやらせたいのかがよくわからない。
更には、サイボーグたちの前に現れる金髪の少女は一体何者なのか、忽然と現れては消えるジョーの同級生の存在など、描かれながらも放りっぱなしの要素も多い。
もちろん、最終的には観客に解釈を委ねるという考え方でも良いと思う。
しかし本作の場合は、辻褄のあわない事が多く、どうしても観念に逃げた印象となってしまった感は否めない。
ここは少なくとも作品世界の創造主たる作者の中では、ある程度“神"に関する自分の解を明確にしておくべきだったのではないか。
まあ、これが「プロメテウス」の様に“序章”に過ぎず、広げた風呂敷に関してはこれから畳むのだというなら納得なのだけど。
今回は石ノ森章太郎の故郷、宮城県登米市の酒蔵、石越醸造の「澤乃泉 特別純米酒」をチョイス。
北部宮城の代表的銘柄だが、こちらは特別純米と言いながら、精米歩合は55%とかなり力の入った一本である。
やや辛口でコクはあれど強い癖はなく、柔らかな喉越しで飲みやすい。
コストパフォーマンスはとても高いお買い得な酒だ。
料理を選ばない万能タイプで、これからの季節には燗で飲んでも美味しいだろう。

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