■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
※noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
2012年11月30日 (金) | 編集 |
産まれて、生きて、そこにいる。
山本周五郎賞に輝いた窪美澄の同名小説を、「百万円と苦虫女」のタナダユキ監督が映画化。
不妊に悩む孤独な主婦は、高校生との危険な情事に溺れ、やがて物語は彼らの周りの人々を巻きこみながら、生きることに苦悩し、かすかな光を求めてあがく魂を赤裸々に描き出す。
永山絢斗と田畑智子が主演を務め、原田美枝子、窪田正孝、小篠恵奈らが青春群像劇のアンサンブルを形作る。
物語の背景にあるのは「性」とその先にある「生」、即ち「誕生」というモチーフだ。
※ラストに触れています。
産院を切り盛りする母・寿美子(原田美枝子)に、女手一つで育てられた高校生の斎藤卓巳(永山絢斗)は、ある日学友に連れられて訪れたイベントで、アニメマニアの主婦、岡本里美(田畑智子)と出会う。
地元が同じだった事から再会した二人は、何時しかコスプレ姿で逢瀬を重ねる仲となる。
だが妻の行動を怪しんだ夫が、二人の情事をビデオで隠し撮りし、動画をネット掲示板にアップした事から騒ぎとなり、卓巳は学校へ行けなくなってしまう。
卓巳の同級生で、年老いた祖母の面倒を見ながら暮らしている福田良太(窪田正孝)は、ある日バイト仲間のあくつ(小篠恵奈)が卓巳のコスプレ姿のビラをばら撒いている事を知ってしまうが・・・
人は皆、自分で方向を決めて、自らの足で人生を歩んでいると思っていても、実は見えない何かに縛られている。
それは出自だったり、人間関係のしがらみだったり、お金だったり様々で、本作の登場人物たちもまた然り。
おそらく原作を踏襲しているのだと思うが、向井康介の脚本は変則的な四章+エピローグという構成となっており、各章それぞれに一人の登場人物をフィーチャーし、彼らの“心の声”を表す字幕で締めくくられる。
第一章の主人公となるのは、高校生の斎藤卓巳。
イケメンで、産院を経営する母親と二人、何不自由なく満ち足りた生活を送っている。
そんな少年が、とあるイベントでアニメ好きの主婦・美里と出会った事から、彼女との情事に溺れてゆく。
二人のセックスは、ちょっと特殊だ。
里美の書いたシナリオに沿って、アニメキャラクターの役になり切って肌を重ね、美里は関係を維持するために卓巳に金まで渡している。
美人同級生に告白された事もあって、一度は別れを選ぶ卓巳だが、コスプレキャラを脱ぎ捨て、素をさらけ出した美里とのセックスで、再び彼女の虜となってしまう。
第二章は、第一章と同じ時系列を今度は里美の視点で描き、彼女の倒錯的な行為の裏側にある痛みを明らかにする。
実は彼女は、姑からの病的なまでのプレッシャーにさらされ、肉体的にも精神的にも非常に辛い不妊治療に耐えているのだ。
マザコンの気がある夫は、母親の言いなりで全く頼りにならず、里見はそんな日常から逃避し、子を産む機械としてではない理想のセックスを卓巳とのひと時に求めている。
現実には存在しないアニメキャラのコスプレは、彼女にとっての非日常性の象徴だ。
だが、秘密は呆気なく夫と姑にばれてしまい、それでもなお自分に子を求める彼らの狂気(としか里美には見えない)を目の当たりにして、里美は遂に日常を破壊する決意をする。
ここで描かれるのは、里美の中にある乖離した性と生を、再び一致させるための崩壊と再生のプロセスと言えるかもしれない。
主婦と高校生の倒錯的情事。
そんなわかりやすくセンセーショナルな出来事は、彼らから当たり前の日々を奪い去り、やがてそれは周りの人々にも影響を与えてゆく。
第三章は、卓巳の同級生の良太の物語だ。
幼馴染でありながら、良太の青春はソコソコ裕福な卓巳とは対照的。
父は既に亡く、男関係にだらしの無い母親は、街金から借金を重ねて家に寄り付かない。
良太は認知症の祖母を一人で介護しながら、必死にバイトに明け暮れ、明日をも知れぬ毎日を生きているのだ。
彼にとっては、卓巳がコスプレ姿のセックスビラをばら撒かれ、学校に来られなくなってしまうのも、それほど大した事とは思えない。
例え大恥をかいたとしても、卓巳は決して食うに困る事はないのである。
実際にビラを配っているのは良太のバイト仲間の少女、あくつだ。
偶然その事を知った良太は、彼女を責めるのではなく、イタズラっぽい目で一緒にやろうと言う。
もちろん、彼らを突き動かしているのは、卓巳への恨みや変な倫理観ではない。
本作でユニークなのが“団地”という存在だ。
私が子供の頃は、団地こそ中流の中の中流という感覚だったが、ここに描かれる団地は、例えばイギリス映画の「思秋期」に登場する“公営住宅地”と同じく、格差社会が作り出した貧困層の街のイメージとなっている。
良太もあくつも団地で生まれ団地で育ち、いつかこの街から脱出する事が彼らの夢であり希望。
街中にビラを撒くという行為は、彼らにとっての日常への抵抗であり、ある意味里美にとってのコスプレセックスと同じく、現状からのエクソダスを象徴するのである。
そして、卓巳の母親の寿美子がフィーチャーされる第四章は、それまでとは明確に様相が異なる。
最初の三つの章で描かれるのは、人生のそれぞれの状況下で、絶望を味わっている若者たちの物語である。
彼らは、自らが陥った地獄に、半ば諦めてしまっている。
里美はコスプレセックスに絶対に叶わない夢を見て、ビラを撒かれた卓巳は家に引きこもり、貧困に苦しむ良太は「なぜ自分を産んだのか」と母親に恨み節を言う。
対して、寿美子は既にそういうプロセスを経て人生を歩んできた“大人”なのである。
もちろん、寿美子にだって苦悩はある。
別れた夫は未だに自立出来ず彼女を悩ませるし、命を扱う助産師の仕事は患者やその家族みんなが納得してくれるとは限らない。
だがそれは、ただ状況に流されるままの受難ではなく、自らの意思で選択した結果なのだ。
それゆえに、この章は彷徨いはじめた卓巳を描いた第一章への、母親からの厳しくも優しいアンサー編となっている。
物語のエピローグは、寿美子の産院で卓巳が見守るなか、新しい命が産まれる「誕生」のシークエンスで幕を閉じる。
そして、それまでの四章と異なり、登場人物の声を借りた作者からの、こんなメッセージが映画を締めくくるのである。
「僕たちは、僕たちの人生を、本当に自分でえらんだか?」
人は誰も、生きて育ってゆくうちに色々な物に縛られて、自分でも気づかないうちにがんじがらめになってゆく。
でも、いつかは鎖を断ち切り、自分で自分の人生を選択する時がくる。
本作の三人の若者たちは、物語を通して自ら新しい一歩を踏み出す決意をし、彼らの周りにはこれからその選択を迫られる者もいる。
自らの意思で人生を選んだ結果は人それぞれ、幸福を掴む人も、不幸になる人もいるだろう。
でも誕生の瞬間は、誰もが祝福されるべく、全ての可能性を秘めて生まれてくる、そんな事を感じさせてくれる美しいラストであった。
今回は、天使の様な赤ちゃんの寝顔から「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライジン30ml、カルバドス15ml、アプリコット・ブランデー15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
林檎、杏とフルーティなお酒を組み合わせた、甘い香りの飲みやすいカクテルだが、味わいとは裏腹に非常に強い。
大人が飲み過ぎた顔は天使とはいかないのでご注意を(笑
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
山本周五郎賞に輝いた窪美澄の同名小説を、「百万円と苦虫女」のタナダユキ監督が映画化。
不妊に悩む孤独な主婦は、高校生との危険な情事に溺れ、やがて物語は彼らの周りの人々を巻きこみながら、生きることに苦悩し、かすかな光を求めてあがく魂を赤裸々に描き出す。
永山絢斗と田畑智子が主演を務め、原田美枝子、窪田正孝、小篠恵奈らが青春群像劇のアンサンブルを形作る。
物語の背景にあるのは「性」とその先にある「生」、即ち「誕生」というモチーフだ。
※ラストに触れています。
産院を切り盛りする母・寿美子(原田美枝子)に、女手一つで育てられた高校生の斎藤卓巳(永山絢斗)は、ある日学友に連れられて訪れたイベントで、アニメマニアの主婦、岡本里美(田畑智子)と出会う。
地元が同じだった事から再会した二人は、何時しかコスプレ姿で逢瀬を重ねる仲となる。
だが妻の行動を怪しんだ夫が、二人の情事をビデオで隠し撮りし、動画をネット掲示板にアップした事から騒ぎとなり、卓巳は学校へ行けなくなってしまう。
卓巳の同級生で、年老いた祖母の面倒を見ながら暮らしている福田良太(窪田正孝)は、ある日バイト仲間のあくつ(小篠恵奈)が卓巳のコスプレ姿のビラをばら撒いている事を知ってしまうが・・・
人は皆、自分で方向を決めて、自らの足で人生を歩んでいると思っていても、実は見えない何かに縛られている。
それは出自だったり、人間関係のしがらみだったり、お金だったり様々で、本作の登場人物たちもまた然り。
おそらく原作を踏襲しているのだと思うが、向井康介の脚本は変則的な四章+エピローグという構成となっており、各章それぞれに一人の登場人物をフィーチャーし、彼らの“心の声”を表す字幕で締めくくられる。
第一章の主人公となるのは、高校生の斎藤卓巳。
イケメンで、産院を経営する母親と二人、何不自由なく満ち足りた生活を送っている。
そんな少年が、とあるイベントでアニメ好きの主婦・美里と出会った事から、彼女との情事に溺れてゆく。
二人のセックスは、ちょっと特殊だ。
里美の書いたシナリオに沿って、アニメキャラクターの役になり切って肌を重ね、美里は関係を維持するために卓巳に金まで渡している。
美人同級生に告白された事もあって、一度は別れを選ぶ卓巳だが、コスプレキャラを脱ぎ捨て、素をさらけ出した美里とのセックスで、再び彼女の虜となってしまう。
第二章は、第一章と同じ時系列を今度は里美の視点で描き、彼女の倒錯的な行為の裏側にある痛みを明らかにする。
実は彼女は、姑からの病的なまでのプレッシャーにさらされ、肉体的にも精神的にも非常に辛い不妊治療に耐えているのだ。
マザコンの気がある夫は、母親の言いなりで全く頼りにならず、里見はそんな日常から逃避し、子を産む機械としてではない理想のセックスを卓巳とのひと時に求めている。
現実には存在しないアニメキャラのコスプレは、彼女にとっての非日常性の象徴だ。
だが、秘密は呆気なく夫と姑にばれてしまい、それでもなお自分に子を求める彼らの狂気(としか里美には見えない)を目の当たりにして、里美は遂に日常を破壊する決意をする。
ここで描かれるのは、里美の中にある乖離した性と生を、再び一致させるための崩壊と再生のプロセスと言えるかもしれない。
主婦と高校生の倒錯的情事。
そんなわかりやすくセンセーショナルな出来事は、彼らから当たり前の日々を奪い去り、やがてそれは周りの人々にも影響を与えてゆく。
第三章は、卓巳の同級生の良太の物語だ。
幼馴染でありながら、良太の青春はソコソコ裕福な卓巳とは対照的。
父は既に亡く、男関係にだらしの無い母親は、街金から借金を重ねて家に寄り付かない。
良太は認知症の祖母を一人で介護しながら、必死にバイトに明け暮れ、明日をも知れぬ毎日を生きているのだ。
彼にとっては、卓巳がコスプレ姿のセックスビラをばら撒かれ、学校に来られなくなってしまうのも、それほど大した事とは思えない。
例え大恥をかいたとしても、卓巳は決して食うに困る事はないのである。
実際にビラを配っているのは良太のバイト仲間の少女、あくつだ。
偶然その事を知った良太は、彼女を責めるのではなく、イタズラっぽい目で一緒にやろうと言う。
もちろん、彼らを突き動かしているのは、卓巳への恨みや変な倫理観ではない。
本作でユニークなのが“団地”という存在だ。
私が子供の頃は、団地こそ中流の中の中流という感覚だったが、ここに描かれる団地は、例えばイギリス映画の「思秋期」に登場する“公営住宅地”と同じく、格差社会が作り出した貧困層の街のイメージとなっている。
良太もあくつも団地で生まれ団地で育ち、いつかこの街から脱出する事が彼らの夢であり希望。
街中にビラを撒くという行為は、彼らにとっての日常への抵抗であり、ある意味里美にとってのコスプレセックスと同じく、現状からのエクソダスを象徴するのである。
そして、卓巳の母親の寿美子がフィーチャーされる第四章は、それまでとは明確に様相が異なる。
最初の三つの章で描かれるのは、人生のそれぞれの状況下で、絶望を味わっている若者たちの物語である。
彼らは、自らが陥った地獄に、半ば諦めてしまっている。
里美はコスプレセックスに絶対に叶わない夢を見て、ビラを撒かれた卓巳は家に引きこもり、貧困に苦しむ良太は「なぜ自分を産んだのか」と母親に恨み節を言う。
対して、寿美子は既にそういうプロセスを経て人生を歩んできた“大人”なのである。
もちろん、寿美子にだって苦悩はある。
別れた夫は未だに自立出来ず彼女を悩ませるし、命を扱う助産師の仕事は患者やその家族みんなが納得してくれるとは限らない。
だがそれは、ただ状況に流されるままの受難ではなく、自らの意思で選択した結果なのだ。
それゆえに、この章は彷徨いはじめた卓巳を描いた第一章への、母親からの厳しくも優しいアンサー編となっている。
物語のエピローグは、寿美子の産院で卓巳が見守るなか、新しい命が産まれる「誕生」のシークエンスで幕を閉じる。
そして、それまでの四章と異なり、登場人物の声を借りた作者からの、こんなメッセージが映画を締めくくるのである。
「僕たちは、僕たちの人生を、本当に自分でえらんだか?」
人は誰も、生きて育ってゆくうちに色々な物に縛られて、自分でも気づかないうちにがんじがらめになってゆく。
でも、いつかは鎖を断ち切り、自分で自分の人生を選択する時がくる。
本作の三人の若者たちは、物語を通して自ら新しい一歩を踏み出す決意をし、彼らの周りにはこれからその選択を迫られる者もいる。
自らの意思で人生を選んだ結果は人それぞれ、幸福を掴む人も、不幸になる人もいるだろう。
でも誕生の瞬間は、誰もが祝福されるべく、全ての可能性を秘めて生まれてくる、そんな事を感じさせてくれる美しいラストであった。
今回は、天使の様な赤ちゃんの寝顔から「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライジン30ml、カルバドス15ml、アプリコット・ブランデー15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
林檎、杏とフルーティなお酒を組み合わせた、甘い香りの飲みやすいカクテルだが、味わいとは裏腹に非常に強い。
大人が飲み過ぎた顔は天使とはいかないのでご注意を(笑

記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
![]() カルヴァドス ブラー グランソラージュ 700ml 40度 Calvados Boulard Grand Solage カルヴァド... |
スポンサーサイト
| ホーム |