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2013年01月14日 (月) | 編集 |
砕け散る、日常の風景。
東京近郊の同じマンションに住む二人の女性を主人公に、東日本大震災による原発事故後の“日常”を描く力作である。
誰もが経験したことのない放射線という見えない恐怖に対し、大切な人を守るために行動を起こす人、思考停止して流れに身を任せる人、漠然とした不安に苛まれながらも何をすべきなのかわからない人。
曖昧な情報とデマが飛び交う中、分断されてしまった日本と日本人の姿が浮かび上がる。
幼い娘を抱え孤独な闘いを開始する主人公・サエコを、プロデューサーを兼務する杉野希妃、もう一人の主人公・ユカコを山下敦弘作品で知られる篠原友希子が演じる。
監督・脚本・編集は「ふゆの獣」で注目された内田伸輝。
日本を、巨大地震が襲った日。
東京近郊のマンションに住む写真家のユカコ(篠原友希子)は、混乱の中ようやく帰宅した会社員の夫・タツヤ(山本剛史)と、無事を喜び合う。
同じ頃、隣の部屋に住むサエコ(杉野希妃)は、夫のノボル(小柳友)に突然離婚を切り出され、幼い娘の清美(渡辺杏美)を抱えて途方にくれる。
政府が原発事故の影響について曖昧な言葉を繰り返す一方、ネット上には正反対の情報が溢れ、不安を募らせたサエコは、娘の通う幼稚園でその危険性を訴える。
しかし、周囲の親や園の反応は冷たく、特に電力関係に勤める夫を持つ典子(渡辺真起子)との対立は深まり、母娘は孤立してゆく。
一方、ユカコの心もまた、見えない不安によって少しずつ押しつぶされてゆくが・・・
虚構と現実の距離感が独特の作品だ。
ここに描かれているのは、大震災と原発事故という非日常が襲いかかった世界だが、それは二年前から我々のごく身近に存在するリアルな日常でもある。
登場人物たちに、私自身を含めた現実の友人・知人たちの姿が被って見えた。
頑なに政府の発表を信じ、被災地の食品を積極的に買っていた人。
関東での生活を諦め、幼い子供達と共に西日本へと移住した人。
震災後に人生を見つめ直し、離婚を決断したカップル。
家族が東電の社員で、福島の現場から何週間も帰ってこなかった人も知っている。
映画そのものはフィクションでも、スクリーンで起こっている事は現実にほかならない。
特に東日本の観客は誰でも、自分自身の記憶と照らし合わせながら、この作品を観ると思う。
映画は、緊急地震速報のけたたましいアラート音から幕をあける。
東京近郊のどこにでもある街の、どこにでもあるマンションに住む、二組の家族。
若い母親のサエコは、よりにもよって震災当日に夫のノボルから別れを切り出され、母子家庭となってしまう。
幼稚園児の娘を抱え、彼女は突如として当たり前の日常を失い、更に原発事故後の放射線の恐怖に怯える事になるのだ。
「娘を守れるのは自分だけ」という悲愴な覚悟が、サエコを行動に駆り立てるが、全ての人が今そこにある危機として原発事故をとらえているとは限らない。
自分で買い求めた放射線量計で幼稚園を測定し、子供を外で遊ばせないサエコを、他の母親たちは不安を煽るデマゴーグとして非難する。
サエコの隣人は、ある過去の出来事に、癒し難い心の傷を抱えた写真家のユカコとサラリーマンのタツヤの夫婦。
ユカコもまた、安全を強調する政府の言葉と、恐怖を流布するネットの声に、徐々に心のバランスを崩してゆく。
彼女らが直面しているのは、情報を巡る葛藤だ。
「ただちに影響はない」とオウムの様に繰り返し、曖昧な情報すら出し渋る政府・東電に、テレビで彼らの言葉を擁護し続ける御用学者たち。
対照的に虚実入り乱れるネット上の活発な議論は、人々の仮面を取り去り、結果明らかになるのはそれぞれの立ち位置と生き方のプライオリティだ。
そして、事なかれ主義から脱却出来ず、異なる意見を排除しようとする現実世界の抑圧的ムードは、この国が依然として大きなムラ社会であり、多様性に対する寛容度が決定的に低いという事実をも炙り出す。
あの日以来、この国は分断されてしまい、実はそれは今も続いているのである。
私自身の記憶を辿ると、震災後数日はまだ希望的だった。
最悪の事態を想定し、国民の健康と安全を守るために最善を尽くすのは、本来為政者の最重要義務であり、それは事故を起こした当事者である東電も同じのはずで、彼らは責任ある態度を見せるだろうと信じた。
ところが、どうやらこの国ではそうでない事が直ぐにわかってしまい、おまけに権力の中枢は嘘のつき方まで恐ろしく下手クソだったのだ。
彼らが何よりも優先しているのが自らの責任逃れである事は明白だったが、何より恐ろしかったのは、この期に至っても日本社会に過去への復元力が強く働く事を実感した事だ。
自分の身はある程度自分で守らねばと感じた私は、サエコの様に線量計を買い、今も定期的に自宅周辺で計測している。
幸いにも、今までに大きく数値が跳ね上がる事は無かったが、「うちに線量計がありますよ」と言った時の人々の反応は面白い。
「貸して欲しい」という人もいれば、「そこまでしなくても」という人もいるし、なかには無言の中にある種の嫌悪感を態度に現す人もいる。
本作で渡辺真起子が演じた典子の様に、政府発表に疑いを挟まず、あくまでも3.11以前の日常がいまだに存在すると信じたい人たちだ。
いや、正確に言えば典子もまた事実には気づいているし、恐れを感じてもいる。
だが、それを認めてしまえば、彼女がずっと信じてきた来た価値観と人生の平和が壊れてしまう。
ゆえに、典子の目にサエコは排除すべき日常の破壊者に映るのだが、実は二人とも 日常を失う恐怖と子供たちを蝕む放射線の恐怖という、震災と原発事故がもたらした別種の恐れに支配されており、どちらをより恐ろしく感じるかという違いしか無いのである。
本来、人間は一人ひとり違うもので、立場も思想も異なるのが当然であり、子供の安全を最優先したいサエコやユカコと、平穏な暮らしを維持したい典子らの立場はどちらも間違っているとは言えない。
だからこそ、命と安全に関わる最低限の価値観を共有するための情報の誠実さは、市民社会の成熟には必要不可欠なのだ。
何よりも問題なのは、自分たちの直面する現実に対する忘却と無関心である事は間違いないだろう。
本作に描かれた「おだやかでない日常」は今も続いているし、残念ながらこれからも終わることはない。
私たちの敵は「意見の異なる誰か」では無く、恐ろしく根深い、この社会の事なかれ主義なのである。
今回は、津波で大きな被害を出した宮城県石巻から、墨廼江酒造株式会社の「墨廼江 特別純米酒」をチョイス。
東北の酒らしく辛口で味のバランスに優れる純米酒で、お米の旨みがストレートに味わえる。
柔らかい喉越しと適度なコクを持ち、ゆっくりと食事をしながら冷で楽しみたい一本だ。
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東京近郊の同じマンションに住む二人の女性を主人公に、東日本大震災による原発事故後の“日常”を描く力作である。
誰もが経験したことのない放射線という見えない恐怖に対し、大切な人を守るために行動を起こす人、思考停止して流れに身を任せる人、漠然とした不安に苛まれながらも何をすべきなのかわからない人。
曖昧な情報とデマが飛び交う中、分断されてしまった日本と日本人の姿が浮かび上がる。
幼い娘を抱え孤独な闘いを開始する主人公・サエコを、プロデューサーを兼務する杉野希妃、もう一人の主人公・ユカコを山下敦弘作品で知られる篠原友希子が演じる。
監督・脚本・編集は「ふゆの獣」で注目された内田伸輝。
日本を、巨大地震が襲った日。
東京近郊のマンションに住む写真家のユカコ(篠原友希子)は、混乱の中ようやく帰宅した会社員の夫・タツヤ(山本剛史)と、無事を喜び合う。
同じ頃、隣の部屋に住むサエコ(杉野希妃)は、夫のノボル(小柳友)に突然離婚を切り出され、幼い娘の清美(渡辺杏美)を抱えて途方にくれる。
政府が原発事故の影響について曖昧な言葉を繰り返す一方、ネット上には正反対の情報が溢れ、不安を募らせたサエコは、娘の通う幼稚園でその危険性を訴える。
しかし、周囲の親や園の反応は冷たく、特に電力関係に勤める夫を持つ典子(渡辺真起子)との対立は深まり、母娘は孤立してゆく。
一方、ユカコの心もまた、見えない不安によって少しずつ押しつぶされてゆくが・・・
虚構と現実の距離感が独特の作品だ。
ここに描かれているのは、大震災と原発事故という非日常が襲いかかった世界だが、それは二年前から我々のごく身近に存在するリアルな日常でもある。
登場人物たちに、私自身を含めた現実の友人・知人たちの姿が被って見えた。
頑なに政府の発表を信じ、被災地の食品を積極的に買っていた人。
関東での生活を諦め、幼い子供達と共に西日本へと移住した人。
震災後に人生を見つめ直し、離婚を決断したカップル。
家族が東電の社員で、福島の現場から何週間も帰ってこなかった人も知っている。
映画そのものはフィクションでも、スクリーンで起こっている事は現実にほかならない。
特に東日本の観客は誰でも、自分自身の記憶と照らし合わせながら、この作品を観ると思う。
映画は、緊急地震速報のけたたましいアラート音から幕をあける。
東京近郊のどこにでもある街の、どこにでもあるマンションに住む、二組の家族。
若い母親のサエコは、よりにもよって震災当日に夫のノボルから別れを切り出され、母子家庭となってしまう。
幼稚園児の娘を抱え、彼女は突如として当たり前の日常を失い、更に原発事故後の放射線の恐怖に怯える事になるのだ。
「娘を守れるのは自分だけ」という悲愴な覚悟が、サエコを行動に駆り立てるが、全ての人が今そこにある危機として原発事故をとらえているとは限らない。
自分で買い求めた放射線量計で幼稚園を測定し、子供を外で遊ばせないサエコを、他の母親たちは不安を煽るデマゴーグとして非難する。
サエコの隣人は、ある過去の出来事に、癒し難い心の傷を抱えた写真家のユカコとサラリーマンのタツヤの夫婦。
ユカコもまた、安全を強調する政府の言葉と、恐怖を流布するネットの声に、徐々に心のバランスを崩してゆく。
彼女らが直面しているのは、情報を巡る葛藤だ。
「ただちに影響はない」とオウムの様に繰り返し、曖昧な情報すら出し渋る政府・東電に、テレビで彼らの言葉を擁護し続ける御用学者たち。
対照的に虚実入り乱れるネット上の活発な議論は、人々の仮面を取り去り、結果明らかになるのはそれぞれの立ち位置と生き方のプライオリティだ。
そして、事なかれ主義から脱却出来ず、異なる意見を排除しようとする現実世界の抑圧的ムードは、この国が依然として大きなムラ社会であり、多様性に対する寛容度が決定的に低いという事実をも炙り出す。
あの日以来、この国は分断されてしまい、実はそれは今も続いているのである。
私自身の記憶を辿ると、震災後数日はまだ希望的だった。
最悪の事態を想定し、国民の健康と安全を守るために最善を尽くすのは、本来為政者の最重要義務であり、それは事故を起こした当事者である東電も同じのはずで、彼らは責任ある態度を見せるだろうと信じた。
ところが、どうやらこの国ではそうでない事が直ぐにわかってしまい、おまけに権力の中枢は嘘のつき方まで恐ろしく下手クソだったのだ。
彼らが何よりも優先しているのが自らの責任逃れである事は明白だったが、何より恐ろしかったのは、この期に至っても日本社会に過去への復元力が強く働く事を実感した事だ。
自分の身はある程度自分で守らねばと感じた私は、サエコの様に線量計を買い、今も定期的に自宅周辺で計測している。
幸いにも、今までに大きく数値が跳ね上がる事は無かったが、「うちに線量計がありますよ」と言った時の人々の反応は面白い。
「貸して欲しい」という人もいれば、「そこまでしなくても」という人もいるし、なかには無言の中にある種の嫌悪感を態度に現す人もいる。
本作で渡辺真起子が演じた典子の様に、政府発表に疑いを挟まず、あくまでも3.11以前の日常がいまだに存在すると信じたい人たちだ。
いや、正確に言えば典子もまた事実には気づいているし、恐れを感じてもいる。
だが、それを認めてしまえば、彼女がずっと信じてきた来た価値観と人生の平和が壊れてしまう。
ゆえに、典子の目にサエコは排除すべき日常の破壊者に映るのだが、実は二人とも 日常を失う恐怖と子供たちを蝕む放射線の恐怖という、震災と原発事故がもたらした別種の恐れに支配されており、どちらをより恐ろしく感じるかという違いしか無いのである。
本来、人間は一人ひとり違うもので、立場も思想も異なるのが当然であり、子供の安全を最優先したいサエコやユカコと、平穏な暮らしを維持したい典子らの立場はどちらも間違っているとは言えない。
だからこそ、命と安全に関わる最低限の価値観を共有するための情報の誠実さは、市民社会の成熟には必要不可欠なのだ。
何よりも問題なのは、自分たちの直面する現実に対する忘却と無関心である事は間違いないだろう。
本作に描かれた「おだやかでない日常」は今も続いているし、残念ながらこれからも終わることはない。
私たちの敵は「意見の異なる誰か」では無く、恐ろしく根深い、この社会の事なかれ主義なのである。
今回は、津波で大きな被害を出した宮城県石巻から、墨廼江酒造株式会社の「墨廼江 特別純米酒」をチョイス。
東北の酒らしく辛口で味のバランスに優れる純米酒で、お米の旨みがストレートに味わえる。
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