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東京家族・・・・・評価額1700円
2013年01月21日 (月) | 編集 |
移り変わる、家族の肖像。

今から60年前に公開された映画史上の金字塔、小津安二郎監督の「東京物語」をモチーフに、現代日本を代表する巨匠・山田洋次が、日本の家族を描く話題作。
事実上のリメイクといって良いほどオリジナルに忠実な作りだが、作品のベクトルが志向する先は明確に異なっている。
平成日本の縮図となる「東京家族」の面々には、橋爪功、吉行和子、西村雅彦、中島朋子、妻夫木聡、蒼井優ら実力者が揃った。

瀬戸内の島に住む平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、久しぶりに東京に住む子供たちを訪ねる。
舞台美術の仕事をしている次男の昌次(妻夫木聡)が品川駅に迎えに行くはずだったが、間違えて東京駅に行ってしまい、せっかちな周吉はタクシーで開業医をしている長男の幸一(西村雅彦)の家に向かう。
幸一の妻の文子(夏川結衣)が二人の歓迎準備をしていると、美容院を経営する長女の滋子(中島朋子)もやって来る。
やがて周吉ととみこが到着し、昌次も遅れてやって来て、家族は久々に同じ食卓を囲む。
だが、幸一と滋子は仕事が忙しく、昌次に両親の案内を押し付けるものの、周吉は昌次の行き当たりばったりな生き方を快く思っておらず、楽しいはずの東京観光も気まずい雰囲気になってしまう・・・


小津安二郎が「東京物語」を作ったのは、戦後8年が経過した1953年の事だ。
前年の52年にサンフランシスコ講和条約が発効した事で、日本は独立を回復。
朝鮮戦争特需で国内の産業も息を吹き返し、2年後の55年には一人当たりの実質国民総生産が戦前の水準を上回り、経済白書は結びで「もはや戦後ではない」と記した。
日本社会が大きく変貌する、高度成長期前夜の胎動の時代である。
小津はこの過渡期の東京を舞台に、家族というミニマムなコミュニティの喪失を描き、その先にある日本の伝統的な共同体意識の解体を予見して見せた。

そして、ちょうど60年後に作られた本作は、驚くほど小津のオリジナルにそっくりだ。
もちろん、東海道線の蒸気機関車は新幹線へと姿を変え、高層建築など影も形もなかった東京の風景は、一面の摩天楼に埋め尽くされている。
確実に世界は変わっているのだが、山田洋次は物語のプロットだけでなく、台詞の一部から俳優の演技、更には独特の空間の捉え方まで小津演出を踏襲しようとしている。
さすがに特徴的な超ローポジションとイマジナリーライン無視までは真似ていないが、元々これらのスタイルは狭くて建具が入り組み、畳の生活であった日本家屋の構造の中で、俳優の演技を活写する事に最大限のプライオリティを置く考えから生まれたもの。
空間が広がり椅子の生活が主流となった現代においては、真似ても意味をなさないので当然だろう。
しかし山田洋次が、今となっては不自然さすら感じさせる台詞もほぼそのままトレースし、俳優の自由な演技を押さえ込んでまで、オリジナルのコピーをさせたのは何故か?
何よりも本作を、今リメイクする理由は何か?

キーになるのは、妻夫木聡と蒼井優が演じる昌次と紀子のカップルだ。
実は、オリジナルでは昌次の姿は遺影でしか登場しない。
なぜなら彼は太平洋戦争で戦死してしまっており、原節子が演じた未亡人の紀子が、血の繋がった子供たちよりも周吉ととみこをいたわる事で、作品のテーマを浮かび上がらせているのである。
ぬぐい去れぬ戦争の影が若い二人を引き裂いていたのと逆に、平成のカップルは東日本大震災のボランティアとして出会ったという設定が象徴的だ。
本来、この作品は2011年にクランクイン予定だったが、震災の発生を受けて一次中断し、シナリオを練り直したという経緯があり、そのためにあえて物語の調和を壊してまでも、これが震災後の日本である事に言及する台詞と設定が幾つかある。

戦争からの復興の中で、伝統的家族のありかたを喪失した日本。
ならば、未曾有の大災害の先にあるのは、更なる喪失なのか?
山田洋次は、むしろそこに共同体再生への希望を見ている様に思う。
本作は、オリジナルよりも人間が優しいのである。
物語の後半を、蒼井優演じる紀子が牽引するのは変わらない。
だが、彼女以外の登場人物も、オリジナルよりもずっとマイルドに造形されている。
例えば、子供たちの中でも一番辛辣な滋子のキャラクターだ。
「東京物語」の終盤、とみこの葬儀後の昼食のシーンで、滋子が「どっちかと言えばお父さん先のが良かったわね」と口にする。
男やもめが残されれば色々と自分たちが面倒だ、という両親へ冷淡さを示す台詞だが、本作にこの一言は無い。
代わりに幾つかのシーンで、滋子が両親を思いやる描写が増えている。

メインキャラクター以外でも、このベクトルは顕著だ。
オリジナルでは、周吉ととみこが泊まった熱海の旅館で、若者がドンチャン騒ぎをしていて、なかなか眠れないというシーンがある。
翌朝、仲居さんたちが散らかしっ放しの客室を見て、若者たちを非難する台詞を言うのだが、本作においては横浜のホテルの若いスタッフが、部屋をきれいに使ってくれた周吉ととみこを称える描写に置き換わっている。
また終盤に登場する島の隣人も、オリジナルの周吉と歳の近い婦人から、溌剌とした女子中学生に変わっており、全体に若い世代が今後形作るであろう、新たな共同体への希望があちらこちらで強調されているのだ。

本作の志向する物が、喪失の先にある再生だと考えると、「東京物語」と被る部分をまるでカーボンコピーの様な作りにしているのも理解できる。
俳優たちの演技が、オリジナルを知る者には否が応でも笠智衆や原節子の記憶を呼び覚ます。
だが、現代の名優たちがいくら似せようとしても、両作の間に横たわる60年の歳月が同一視を拒絶し、観る者の中で二律背反する二つの家族の肖像が葛藤を引き起こすのだ。
思うに山田洋次は、「家族」の中に「物語」を内包する事で、太平洋戦争から東日本大震災へと繋がるループを形作り、喪失を克服する希望を、よりくっきりと浮かび上がらせる事が出来ると考えたのではないか。
その意味で、本作は単体でも楽しめるが、「東京物語」と合わせて観ると、より深みを増す構造となっている。
ラストの「小津安二郎監督に捧げる」の字幕は、旧作への意図的な誘導であろう。
単にリメイクやオマージュではなく、オリジナルを徹底的に研究した上での本歌取りであり、再創作した作品と言うべきかもしれない。

さすがの秀作だが、小さな疑問もある。
本作のテーマを象徴するのが、昌次と紀子であることは既に述べたが、実質的なオリジナルキャラクターである昌次の位置づけはやや曖昧に感じる。
彼は、舞台美術の仕事をしているが、おそらくは不安定なフリーの立場で、堅実さを美徳とする過去の日本社会では堅気とはみなされない人間だ。
そのために古い人間である周吉との仲も決して良いとは言えないのだが、二つの世代の確執は間に紀子が入っただけであっさりと氷解してしまう。
確かに紀子は素晴らしい女性かも知れないが、息子が良い相手と付き合っているからといって、それだけで長年の関係が変わるだろうか。
これが日本の縮図としての一つの家族の物語である以上、少なくとも周吉と昌次が直接向き合う描写は必要だった様に思うのだが。

本作で周吉ととみこが住んでいるのは瀬戸内の島という設定だが、「東京物語」では大林宣彦の映画でも知られる広島の尾道だった。
今回は小津安二郎にリスペクトを捧げ、尾道の地酒・吉源酒造場の「おのみち 純米吟醸」をチョイス。
やや甘口で、瀬戸内の海の幸との相性抜群。
同社には「寿齢上撰」という戦前から存在する普段飲みの酒もあり、きっと周吉たちも飲んでいたに違いない。
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