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ゼロ・ダーク・サーティ・・・・・評価額1750円
2013年02月10日 (日) | 編集 |
この世界の、闇に生きる。

全世界に衝撃を与えたオサマ・ビン・ラディン殺害作戦の背景を、一人のCIA情報分析官の目を通して描いたサスペンスフルな問題作。
ジャーナリストでもある脚本家のマーク・ボールが、世界一漢な映画を作る女性監督、キャスリン・ビグロー監督と「ハート・ロッカー」に続いて再びタッグを組み、関係者への綿密な聞き取り調査を元に、闇に包まれた世界のもう一つの姿を白日の下に晒す。
地球全域を股にかける情報収集、拷問、謀略、そして暗殺、報復の連鎖。
ここにあるのは、血の流れない静かな諜報戦などではなく、殺った殺られたの命のやり取りであり、正に報道されない最前線の戦いだ。
タイトルの「ゼロ・ダーク・サーティ」とは、軍事用語で真夜中0時30分の事。
※ラストに触れています。

CIA情報分析官のマヤ(ジェシカ・チャスティン)は、アルカイダの最高司令官オサマ・ビン・ラディン追跡の任務を帯びてパキスタンの米国大使館に赴任する。
9.11から数年が経過しても、ビン・ラディンの行方は全く掴めておらず、世界はテロの脅威に晒されたままだった。
アルカイダの人間関係を調べ直したマヤは、アブ・アフメドという謎の人物が、ビン・ラディン直属の連絡員だと目星を付けるものの、上層部は単なる憶測だとなかなか取り合ってくれない。
アフメドの正体を探り始めたマヤだったが、別の人脈からビン・ラディンを追っていた同僚のジェシカ(ジェニファー・イーリー)のチームが、二重スパイの罠にハメられて爆殺される事件が起こる・・・


ビン・ラディンが殺害された日、私はちょうどアメリカで米国人の従姉妹の結婚式に出席していて、その一報はパーティの最中に届けられた。
既に盛り上がっていたその場は、更に異様な興奮に包まれたのを覚えている。
ビグローによれば、本作の構想がスタートしたのは2006年。
もちろん当時はまだビン・ラディンの所在は明らかになっておらず、作品はアフガニスタンのトラボラで失敗した彼の捕獲作戦を描く物になる予定だったそうだ。
その後、「ハート・ロッカー」の成功を受けて、企画を再始動した所でビン・ラディンが殺害され、一旦全てをストップしてゼロからやり直したのが本作である。
脚本のマーク・ボールは、ジャーナリストとして培った人脈を駆使し、ワシントンでの数ヶ月間に渡る関係者への聞き取りと、パキスタンや周辺国での現地調査を経て脚本を書き上げた。
結果的に、本作に描かれるエピソードは、その殆どがこの十年間にそれぞれの現場にいた人々が、実際に体験した内容で構成されているという。
劇中では2005年のロンドン同時多発テロ、2008年のマリオットホテル爆破、2010年1月の米軍基地内での自爆攻撃など、記憶に新しい事件も多く描かれ、単なるフィクションを超えた作品である事を強く印象づける。

本作の特異性は、やはり政治性を帯びた実話を元に作られた映画、「アルゴ」と比較すれば明らかだ。
イラン革命下での決死の脱出作戦を描いたあの作品では、アメリカ側が知りえない情報、例えばイラン当局がその時どう行動したかなどは、大胆に推測されて補われており、史実をモチーフにしてはいるものの、作品トータルでみれば限りなくフィクションの娯楽サスペンス映画としての色彩が強い作品となっている。
対して本作のスタンスは、「知らない事は描けない」という対照的なものだ。
映画は、CIAの若い女性情報分析官、マヤの体験をベースとして語られ、始まってから2時間がビン・ラディンの居場所を突き止めるまでの数年間に渡る諜報戦のパート。
そして終盤の40分を費やして描かれるのが、特殊部隊シールズによる、2011年5月2日未明から始まったビン・ラディンの隠れ家急襲作戦という変則的な構成となっている。

カメラは徹底的にマヤら現場の視点に寄り添い、それ以外の要素、例えばアルカイダ側の動きなどは全く描写せず、そのため観客も登場人物以上の情報を得ることが出来ない。
言わば観客一人ひとりが、CIAチームの一員となった様な感覚となり、それがジリジリとした緊張感と危機感を煽るのだ。
「アルゴ」が、敵味方の描写が交錯させる事で、良い意味で古典的、映画的な追いつ追われつのスリルを作り出しているとすれば、こちらは情報を遮断することによって、全く別種のサスペンスを生み出しているのである。
その効果は、終盤の急襲作戦のシークエンスでも最大限発揮される。
敵側から見た描写が一切無いので、一体ターゲットがどこにいるのか、いつ撃ってくるのかまったく予測出来ない。
暗闇の中で本当に戦闘に参加しているかの様な臨場感は、ドキュメンタリー以外で殆ど経験した事のないものだ。

劇映画らしからぬ本作のスタイルは、キャラクターの内面の描写にも寄り添いながら、突き放すという独特の距離感を作り出している。
ビン・ラディンの影すら見えない中、長引く戦いは徐々にマヤをはじめとする登場人物たちを疲弊させてゆく。
情報を聞き出すために捕虜を拷問すれば、それは心の傷となって自らに跳ね返ってくるし、新たなテロを防げなければ、それもまた自分の責任として受け入れるしかない。
それに、諜報戦を戦っているのはCIAだけではない。
敵もまた総力をあげてCIAの動きを探り、情報を集めているのだ。
当然、身元を特定されれれば、永遠に暗殺リストに載る事となり、その危険は兵士の様に前線を離れれば安全という訳にはいかない。
街中だろうか、自宅だろうが、いつどこで襲われるかもわからず、身も心も休まる時の無い状況が何年も続く。
本作における諜報戦は、真剣勝負の殺し合いに他ならないのだ。
そして、仲間の死という過酷な現実を見せつけられた時、マヤの中で何かか壊れる。
彼女はそれまで以上にビン・ラディンに執着し、彼を見つけ出し、殺すという目標に、しばしば組織の上層部とぶつかり合いながらも取り憑かれた様に突き進んで行くのである。

「ゼロ・ダーク・サーティ」は、世界一有名なテロリストの追跡と殺害という極めて政治的題材を扱いながら、映画自体には政治性は殆ど皆無だ。
イデオロギーはもちろん、登場人物それぞれの主義・思想も全く描かれない。
本作におけるビン・ラディンは、作劇的にはある種のマクガフィンと言えるだろう。
生きているのか死んでいるのか、そもそも彼が本当にテロの指揮を執っているのかも不明で、実体を持った脅威というよりも、むしろ死と破壊の象徴という役割を、本人の思惑を飛び越えて持たされてしまった存在。
誰もがビン・ラディンによって振り回され、その影響から逃れられず、マヤもまた彼を追いながら、同時に人生を支配されているのである。
だから、長年追い続けたビン・ラディンが、呆気なくシールズによって射殺された瞬間、マヤは10年近くに渡って青春を捧げた目標を失ってしまう。
これは世界のダークサイドで、人の姿をした“恐怖のシンボル”に人生を縛られた、哀しき人間たちの熱いドラマだ。
超ハードなドラマの果てに、米国へと帰る輸送機の機中で、彼女が一人静かに流す涙の意味は何か。
グッと胸を締め付けられる余韻と共に、ラストの解釈はまた議論を呼びそうである。

今回は、任務を終えたマヤに心を癒して欲しいホームランドのお酒、キスラーの「シャルドネ ソノマ・コースト レ・ノワゼッティエール 」をチョイス。
レ・ノワゼッティエールはヘーゼルナッツの事で、その名のとおり独特のナッツの香りが特徴的。
柔らかくもしっかりとした味わい、ナッツとフルーツの混ざり合った複雑なアロマも楽しく、魚介系のカリフォルニア・キュイジーヌと合わせたら最高だろう。
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