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2013年04月01日 (月) | 編集 |
そこは出口の無い、愛の牢獄。
19世紀末の帝政ロシアの社交界を舞台に、青年将校と禁断の恋に落ちる人妻の悲劇を描いたトルストイの古典「アンナ・カレーニナ」。
過去に幾度となく映画化されてきた作品だが、「つぐない」で知られるジョー・ライト監督が作り上げたのは、“劇場”をモチーフにした超エキセントリックな実験映画だ。
物語の大筋は原作に忠実に、しかし愛憎“劇”の登場人物たちは、文字通り劇場に囚われている。
かつてクレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソーら錚々たる大女優たちが演じた、恋に狂う主人公アンナをキーラ・ナイトレイが熱演。
夫のカレーニンを老けメイクのジュード・ロウが、青年将校ヴロンスキー伯爵をアーロン・テイラー=ジョンソンが演じる。
おそらく好みはハッキリと分かれる作品だろうが、このチャレンジ精神は結構好きだな。
※ラストに触れています。
帝都サンクトペテルブルグに住むアンナ(キーラ・ナイトレイ)は、兄夫婦の浮気の仲裁に向かったモスクワで、青年将校ヴロンスキー伯爵(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出会い、恋に落ちる。
夫であるカレーニン(ジュード・ロウ)と別れ、ヴロンスキーとの結婚を願うアンナだったが、政府高官であるカレーニンは世間体を恐れて離婚に応じない。
ヴロンスキーの子を妊娠したアンナは、産後の肥立ちが悪く瀕死の状態となり、カレーニンに許しを請う。
妻を寛大に迎え入れたカレーニンだったが、回復したアンナは再びヴロンスキーの元へと走り、彼女の不貞は社交界全体に知れ渡る。
白眼視され、徐々に心の均衡を失ってゆくアンナは、ヴロンスキーが自分を捨てて若い女に走るのではないかという妄想にとりつかれてゆく・・・・
何だか変わった映画らしいという事は聞いていたが、実際に観て驚いた。
ジョー・ライト監督は広く知られた古典を現代に映画化するに当たって、サンクトペテルブルグとモスクワの貴族社会に生きる登場人物たちを、物語ごと“劇場”に閉じ込めるという大胆な奇策に出た。
もちろん、劇として演じられる「アンナ・カレーニナ」を、観客が見ているという単純な劇中劇ではない。
舞台の上で繰り広げられる貴族たちの煌びやかなパーティ、そして客席の人々もまた登場人物であり、ごちゃごちゃした舞台裏はそのまま貧民街の雑踏となる。
草原での逢瀬は、セットがそのまま自然の実景へとシームレスでつながり、再び舞台へと戻ってくる。
本作における“劇場”とは、アンナが生きる貴族社会、いや彼女にとっての“世界”そのものなのである。
では、なぜ劇場なのか?
ジョー・ライトによると、ありきたりな時代物では無い、独自の「アンナ・カレーニナ」を撮りたいと思っていた彼は、英国の歴史家オーランド・ファイジズの「19世紀のサンクトペテルブルグ貴族は、人生を舞台の上で演じているかのようだった」という記述にヒントをもらったという。
当時、急速に西欧化を進めるロシアでは、貴族たちの間に洗練された“フランス風”の文化が大流行しており、彼らはあらゆる面でフランスを真似る“演技”をしていた。
そこから、文化だけではなく一人ひとりもまた本音と建前的な意味で、それぞれの役割を人生という芝居の中で“演じている”というコンセプトが生まれたのだ。
ヴロンスキーと出会う前のアンナは“良妻賢母”を演じ、カレーニンも“寛大な夫”であり、“厳格な政治家”を演じている。
一見すると絢爛豪華な彼らの舞台は、実際には舞台裏である貧民街の犠牲によって成り立っているハリボテの虚飾の世界に過ぎないが、世界が劇場である事を認識していない登場人物たちは、自らが芝居の一部である事を知り得ない。
それ故に、社交界の掟という芝居のルールを犯したアンナは、もはやそこに居場所がない事を知りながらも、劇場から逃れる事が出来ないのである。
貴族たちが劇場に囚われる一方で、自らの意志で劇場を離れる者もいる。
地方の地主のリョーヴィンと、アンナの兄嫁の妹キティである。
ヴロンスキーへの恋にやぶれたキティは、自分を待ち続けたリョーヴィンの愛を受け入れ、二人でモスクワを去って地元の農民たちと共に暮らす道を選ぶ。
ライトは、彼らの暮らす田舎を劇場の外にある現実の世界として描写し、地に足をつけて純朴に生きる人々と、虚構の芝居を演じ続ける貴族社会を対比する。
ヴロンスキーとの愛欲に溺れたアンナは、常に彼の愛を求め続ける。
彼女にとって愛は与えられる物であり、だから相手の心がわからなくなると、それはイコール愛を失う事になってしまうのだ。
アンナを含め、カレーニンもヴロンスキーも、劇場の登場人物は基本的に欲望にのみ正直で、一度手に入れた物は手放したがらない人々として描写される。
対照的に、リョーヴィンが妻子に伝えようとした“言葉”とは一体何だったのか。
生まれたばかりの我が子を優しく見つめる彼の愛は、誰かから与えられるものではなく、大切な存在を守り、抱くためのものだ。
終始自分の欲望に忠実に生きたアンナは、虚飾の劇場で悲劇的な最期を迎えなければならなかったが、愛する者のために生きる事を決めたリョーヴィンは、現実の世界で幸せを掴んだのである。
カレーニンと亡きアンナの忘れ形見たちが遊ぶ花畑が、彼らもまた決して劇場から出られない事を示唆するラストは、人間の業を感じさせて切ない。
21世紀の現代に蘇った「アンナ・カレーニナ」は、物語と登場人物をそのまま“劇場”というモチーフに閉じ込める事で単純化・象徴化するというユニークな試みによって、記憶に残る作品となった。
その作りから多分に演劇的な要素を持つ本作は、いわば歌を封じられたミュージカルの様でもあり、実際いつ登場人物が歌い出したとしても違和感は無かっただろう。
だがこの手法によって、逆にキャラクターと観客との心理的な距離は遠くなった様に思う。
人間心理のメタファーと化した貴族社会の人々は、誰もが感情移入を拒否するのだ。
もっとも、リョーヴィンとキティ夫婦の描写は例外的に劇場の象徴性から解放され、登場時間的にはごく短いにも関わらず、虚飾の中の真実として強い印象を残す。
テーマを考えれば距離感は計算されたものなのだろう。
今回は、凍てつく様な冬のロシアと貴婦人アンナのイメージから「ホワイトレディ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
半透明のホワイトが名前の通り雪を思わせる美しいカクテルで、フルーティで華やかな味わいを辛口のジンがキュッとまとめ上げている。
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19世紀末の帝政ロシアの社交界を舞台に、青年将校と禁断の恋に落ちる人妻の悲劇を描いたトルストイの古典「アンナ・カレーニナ」。
過去に幾度となく映画化されてきた作品だが、「つぐない」で知られるジョー・ライト監督が作り上げたのは、“劇場”をモチーフにした超エキセントリックな実験映画だ。
物語の大筋は原作に忠実に、しかし愛憎“劇”の登場人物たちは、文字通り劇場に囚われている。
かつてクレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソーら錚々たる大女優たちが演じた、恋に狂う主人公アンナをキーラ・ナイトレイが熱演。
夫のカレーニンを老けメイクのジュード・ロウが、青年将校ヴロンスキー伯爵をアーロン・テイラー=ジョンソンが演じる。
おそらく好みはハッキリと分かれる作品だろうが、このチャレンジ精神は結構好きだな。
※ラストに触れています。
帝都サンクトペテルブルグに住むアンナ(キーラ・ナイトレイ)は、兄夫婦の浮気の仲裁に向かったモスクワで、青年将校ヴロンスキー伯爵(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出会い、恋に落ちる。
夫であるカレーニン(ジュード・ロウ)と別れ、ヴロンスキーとの結婚を願うアンナだったが、政府高官であるカレーニンは世間体を恐れて離婚に応じない。
ヴロンスキーの子を妊娠したアンナは、産後の肥立ちが悪く瀕死の状態となり、カレーニンに許しを請う。
妻を寛大に迎え入れたカレーニンだったが、回復したアンナは再びヴロンスキーの元へと走り、彼女の不貞は社交界全体に知れ渡る。
白眼視され、徐々に心の均衡を失ってゆくアンナは、ヴロンスキーが自分を捨てて若い女に走るのではないかという妄想にとりつかれてゆく・・・・
何だか変わった映画らしいという事は聞いていたが、実際に観て驚いた。
ジョー・ライト監督は広く知られた古典を現代に映画化するに当たって、サンクトペテルブルグとモスクワの貴族社会に生きる登場人物たちを、物語ごと“劇場”に閉じ込めるという大胆な奇策に出た。
もちろん、劇として演じられる「アンナ・カレーニナ」を、観客が見ているという単純な劇中劇ではない。
舞台の上で繰り広げられる貴族たちの煌びやかなパーティ、そして客席の人々もまた登場人物であり、ごちゃごちゃした舞台裏はそのまま貧民街の雑踏となる。
草原での逢瀬は、セットがそのまま自然の実景へとシームレスでつながり、再び舞台へと戻ってくる。
本作における“劇場”とは、アンナが生きる貴族社会、いや彼女にとっての“世界”そのものなのである。
では、なぜ劇場なのか?
ジョー・ライトによると、ありきたりな時代物では無い、独自の「アンナ・カレーニナ」を撮りたいと思っていた彼は、英国の歴史家オーランド・ファイジズの「19世紀のサンクトペテルブルグ貴族は、人生を舞台の上で演じているかのようだった」という記述にヒントをもらったという。
当時、急速に西欧化を進めるロシアでは、貴族たちの間に洗練された“フランス風”の文化が大流行しており、彼らはあらゆる面でフランスを真似る“演技”をしていた。
そこから、文化だけではなく一人ひとりもまた本音と建前的な意味で、それぞれの役割を人生という芝居の中で“演じている”というコンセプトが生まれたのだ。
ヴロンスキーと出会う前のアンナは“良妻賢母”を演じ、カレーニンも“寛大な夫”であり、“厳格な政治家”を演じている。
一見すると絢爛豪華な彼らの舞台は、実際には舞台裏である貧民街の犠牲によって成り立っているハリボテの虚飾の世界に過ぎないが、世界が劇場である事を認識していない登場人物たちは、自らが芝居の一部である事を知り得ない。
それ故に、社交界の掟という芝居のルールを犯したアンナは、もはやそこに居場所がない事を知りながらも、劇場から逃れる事が出来ないのである。
貴族たちが劇場に囚われる一方で、自らの意志で劇場を離れる者もいる。
地方の地主のリョーヴィンと、アンナの兄嫁の妹キティである。
ヴロンスキーへの恋にやぶれたキティは、自分を待ち続けたリョーヴィンの愛を受け入れ、二人でモスクワを去って地元の農民たちと共に暮らす道を選ぶ。
ライトは、彼らの暮らす田舎を劇場の外にある現実の世界として描写し、地に足をつけて純朴に生きる人々と、虚構の芝居を演じ続ける貴族社会を対比する。
ヴロンスキーとの愛欲に溺れたアンナは、常に彼の愛を求め続ける。
彼女にとって愛は与えられる物であり、だから相手の心がわからなくなると、それはイコール愛を失う事になってしまうのだ。
アンナを含め、カレーニンもヴロンスキーも、劇場の登場人物は基本的に欲望にのみ正直で、一度手に入れた物は手放したがらない人々として描写される。
対照的に、リョーヴィンが妻子に伝えようとした“言葉”とは一体何だったのか。
生まれたばかりの我が子を優しく見つめる彼の愛は、誰かから与えられるものではなく、大切な存在を守り、抱くためのものだ。
終始自分の欲望に忠実に生きたアンナは、虚飾の劇場で悲劇的な最期を迎えなければならなかったが、愛する者のために生きる事を決めたリョーヴィンは、現実の世界で幸せを掴んだのである。
カレーニンと亡きアンナの忘れ形見たちが遊ぶ花畑が、彼らもまた決して劇場から出られない事を示唆するラストは、人間の業を感じさせて切ない。
21世紀の現代に蘇った「アンナ・カレーニナ」は、物語と登場人物をそのまま“劇場”というモチーフに閉じ込める事で単純化・象徴化するというユニークな試みによって、記憶に残る作品となった。
その作りから多分に演劇的な要素を持つ本作は、いわば歌を封じられたミュージカルの様でもあり、実際いつ登場人物が歌い出したとしても違和感は無かっただろう。
だがこの手法によって、逆にキャラクターと観客との心理的な距離は遠くなった様に思う。
人間心理のメタファーと化した貴族社会の人々は、誰もが感情移入を拒否するのだ。
もっとも、リョーヴィンとキティ夫婦の描写は例外的に劇場の象徴性から解放され、登場時間的にはごく短いにも関わらず、虚飾の中の真実として強い印象を残す。
テーマを考えれば距離感は計算されたものなのだろう。
今回は、凍てつく様な冬のロシアと貴婦人アンナのイメージから「ホワイトレディ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
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