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2013年04月20日 (土) | 編集 |
喪失、再生、そして仄かな戦慄。
観る前と後でこれほど印象が異なる映画も珍しい。
キービジュアルや予告編からは、桜の頃に幼い娘を失った両親が、長い時間をかけて心の再生を果たす映画の様に見える。
いや、別にそれは間違っていないのだが、本作はただの感動作というだけでは終わらない。
新津きよみの原作の発行元はハルキ・ホラー文庫。
そう、本作は大切な存在を失った事で、死にとらわれてしまった一組の夫婦を描く再生のドラマであるのと同時に、切ない情感を持った異色のオカルト・ホラーなのだ。
もっとも、別に怖い映画ではなく、あえて言えば、「永遠のこどもたち」や「アザーズ」などのスパニッシュホラー、日本映画で言えば「ふたりのイーダ」などの系譜に連なる作品だろう。
主人公の桐原容子を演じる広末涼子が圧巻だ。
彼女は、愛娘の加奈子を、楽しみにしていた小学校の入学式の日に不慮の事故で亡くし、娘を守れなかった自分を責める。
そして加奈子の魂は、今も家に留まり、自分にはその姿が見えると言い始めるのだ。
一方、夫の信樹にはそんな妻がおかしくなってしまった様にしか思えず、夫婦の間は次第にギクシャクしだす。
ところが、ある日を境にして加奈子の魂は桐原家から姿を消してしまう。
女子高生のシングルマザー、正美から生まれた女の子が、加奈子の転生した姿だと信じる容子は、正美と娘に寄り添い、成長を見守りながら、いつか再び“加奈子”と親子になれる日を待ち続けるのである。
映画は原作をかなり脚色している様だが、監督・脚本の栗村実は娘を思う容子の狂気ギリギリの愛を軸に、シングルマザーの正美、彼女の元担任で図らずも同時期に母になる砂織ら、ぞれぞれの女性たちの物語を平行に描き、ある年のふたびの桜の季節に起こる“奇跡”に向けて物語を収束させてゆく。
おそらく、それまでのミスリードを一気に覆す、突然のオカルト、もといスピリチュアルな展開を受け入れられるか否かが本作に対する評価の分かれ目となるだろうが、綿密に伏線が張られており、画作りも音の使い方もはじめからホラーテイストなので個人的にはほとんど違和感はなかった。
実際、子供は5歳くらいまでは自分が生まれた時の記憶を持ち、人によっては前世の記憶を語る例もあるらしい。
私は幼い頃病弱で、しょっちゅう病院のお世話になっていたのだが、病院に行く度に、“トンネル”を探していたそうだ。
「この病院のどこかに僕が生まれてきたトンネルがあるんだ。僕は暗いトンネルを通って、光の方へ行くと、先生が僕を引っ張りだしてくれたんだ」と言っていたらしい。
さすがに「前の母さん」の記憶は無かった様で、成長と共にこの種の記憶は忘れてしまったが、魂の神秘を感じるではないか。
本作はビジュアルも個性的。
垂直俯瞰のたゆたう様な独特のカメラワークは、加奈子の魂目線という事だろう。
知恵の輪をはじめとする全編に散りばめられた数々の円のモチーフは、「始まりと終わりは同じ」循環する生命のイメージか。
正直、カメラに関してはあまりにも狙った画が多すぎて、もう少し落ち着かせた方が良かったと思うが、俳優の演技によって人間ドラマをしっかりと見せつつ、映像言語でも物語を紡ぐ丁寧な作りは好感が持てる。
回収されなかった最後の伏線が、パズルの最後のピースとしてピタリと嵌り、少しだけ背中をゾクッとさせてくれるラストまで、なかなかにウェルメイドな一本であった。
舞台となるのは栃木県足利市という事で、今回は栃木の地酒、菊の里酒造の「大那 純米吟醸 那須五百万石」をチョイス。
純米酒らしい華やかな吟醸香、スッキリとした辛口の飲みやすい酒だ。
花見のシーズンは終わってしまったが、これからの季節は冷で楽しみたい。
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観る前と後でこれほど印象が異なる映画も珍しい。
キービジュアルや予告編からは、桜の頃に幼い娘を失った両親が、長い時間をかけて心の再生を果たす映画の様に見える。
いや、別にそれは間違っていないのだが、本作はただの感動作というだけでは終わらない。
新津きよみの原作の発行元はハルキ・ホラー文庫。
そう、本作は大切な存在を失った事で、死にとらわれてしまった一組の夫婦を描く再生のドラマであるのと同時に、切ない情感を持った異色のオカルト・ホラーなのだ。
もっとも、別に怖い映画ではなく、あえて言えば、「永遠のこどもたち」や「アザーズ」などのスパニッシュホラー、日本映画で言えば「ふたりのイーダ」などの系譜に連なる作品だろう。
主人公の桐原容子を演じる広末涼子が圧巻だ。
彼女は、愛娘の加奈子を、楽しみにしていた小学校の入学式の日に不慮の事故で亡くし、娘を守れなかった自分を責める。
そして加奈子の魂は、今も家に留まり、自分にはその姿が見えると言い始めるのだ。
一方、夫の信樹にはそんな妻がおかしくなってしまった様にしか思えず、夫婦の間は次第にギクシャクしだす。
ところが、ある日を境にして加奈子の魂は桐原家から姿を消してしまう。
女子高生のシングルマザー、正美から生まれた女の子が、加奈子の転生した姿だと信じる容子は、正美と娘に寄り添い、成長を見守りながら、いつか再び“加奈子”と親子になれる日を待ち続けるのである。
映画は原作をかなり脚色している様だが、監督・脚本の栗村実は娘を思う容子の狂気ギリギリの愛を軸に、シングルマザーの正美、彼女の元担任で図らずも同時期に母になる砂織ら、ぞれぞれの女性たちの物語を平行に描き、ある年のふたびの桜の季節に起こる“奇跡”に向けて物語を収束させてゆく。
おそらく、それまでのミスリードを一気に覆す、突然のオカルト、もといスピリチュアルな展開を受け入れられるか否かが本作に対する評価の分かれ目となるだろうが、綿密に伏線が張られており、画作りも音の使い方もはじめからホラーテイストなので個人的にはほとんど違和感はなかった。
実際、子供は5歳くらいまでは自分が生まれた時の記憶を持ち、人によっては前世の記憶を語る例もあるらしい。
私は幼い頃病弱で、しょっちゅう病院のお世話になっていたのだが、病院に行く度に、“トンネル”を探していたそうだ。
「この病院のどこかに僕が生まれてきたトンネルがあるんだ。僕は暗いトンネルを通って、光の方へ行くと、先生が僕を引っ張りだしてくれたんだ」と言っていたらしい。
さすがに「前の母さん」の記憶は無かった様で、成長と共にこの種の記憶は忘れてしまったが、魂の神秘を感じるではないか。
本作はビジュアルも個性的。
垂直俯瞰のたゆたう様な独特のカメラワークは、加奈子の魂目線という事だろう。
知恵の輪をはじめとする全編に散りばめられた数々の円のモチーフは、「始まりと終わりは同じ」循環する生命のイメージか。
正直、カメラに関してはあまりにも狙った画が多すぎて、もう少し落ち着かせた方が良かったと思うが、俳優の演技によって人間ドラマをしっかりと見せつつ、映像言語でも物語を紡ぐ丁寧な作りは好感が持てる。
回収されなかった最後の伏線が、パズルの最後のピースとしてピタリと嵌り、少しだけ背中をゾクッとさせてくれるラストまで、なかなかにウェルメイドな一本であった。
舞台となるのは栃木県足利市という事で、今回は栃木の地酒、菊の里酒造の「大那 純米吟醸 那須五百万石」をチョイス。
純米酒らしい華やかな吟醸香、スッキリとした辛口の飲みやすい酒だ。
花見のシーズンは終わってしまったが、これからの季節は冷で楽しみたい。

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![]() 栃木県の銘酒です!!【日本酒】大那(だいな)純米吟醸 那須産五百万石 720ml/栃木県/菊の里... |
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2013年04月20日 (土) | 編集 |
リアル・エクソシスト。
2005年に、ルーマニアで実際に起こった事件を基にした作品だ。
悪魔祓い、というと日本人にはなんだか遠く感じられるが、要は「狐憑き」などの民間療法として行われる憑き物おとしと同じ事である。
ハリウッド映画ではおなじみの題材だが、実際に悪魔祓いの結果、“憑かれた”とされる人物が命を落とす事件は記録にある限りでも何度か起きている。
1976年にドイツで起こった事件では、当時23歳のアンネリーゼ・ミシェルが衰弱死。
実際に悪魔祓いを行った神父と両親が、適切な治療を受けさせなかったとして裁判で罪に問われた顛末が、「エミリー・ローズ」として映画化されたのは記憶に新しい。
本作の基となった事件は更に新しく、たった8年前の現代、しかし舞台となるのがヨーロッパの中でも最貧国にして、数々の伝説と因習に彩られる魔女と吸血鬼の故郷、ルーマニア。
しかも、周囲と隔絶した田舎の修道院の話という事で、登場人物の中世さながらの思考や行動も説得力がある。
主人公となるのは二人の女性。
ドイツで働いているアリーナは、同じ孤児院で育った幼馴染のヴォイキツァと再開するために、故郷へと戻ってくる。
一緒にドイツへ来て欲しいというアリーナに、修道女となり俗世を捨てたヴォイキツァは、戸惑いを隠せない。
どうやらこの二人は、単なる親友同士というよりは、過去に同性愛的な関係にあった事が示唆され、それ故に信仰と背徳の狭間でヴォイキツァは葛藤するしかない。
だが、彼女の煮え切らない態度に苛立つアリーナは、次第に精神を病み、修道院に対する敵意をむき出しに、暴力的な言動をする様になって行くのである。
本作にはいくつもの対立構図が組み込まれている。
修道院という聖域と荒んだ俗世、姿を見せぬ神と顕著化する悪魔、神父が体言する宗教と病院に象徴される科学。
そしてヴォイキツァを挟んだアリーナと神との三角関係。
アリーナは無信心故にそもそも愛する人を奪った神がどこにいるのかわからない。
修道院の信仰の対象である特別なイコンを、「本当はそんな物ないんでしょ?」と挑発し、淫靡な言葉で神父を侮辱する。
エスカレートするアリーナに、神父は遂にエクソシストの機密を実行するのである。
名目は俗世に染まり、悪魔に憑かれた哀れな女を救うため。
しかし、聖域は周りに広がる俗世があるから聖域なのであって、決して俗世から隔絶された存在ではあり得ないのである。
信者たちの不審をかわない様に、アリーナの存在はひた隠しにされ、神の家に“都合の悪い者”は次第に衰弱してゆく。
彼らは自分でも気づかないうちに不寛容と独善に溺れ、俗世の者たちと同じ事なかれ主義を実践している事に気づかない。
風の音、雪を踏み鳴らす足音、遠くから響く工事、もしくは飛行機のエンジン音の様な環境音が、ヴォイキツァの内面をかき乱す。
「生きるのが怖い?」とアリーナは問う。
なるほど俗世は誘惑と悪に満ちているが、真に悪魔に魅入られたのは、そこから逃げ出して、神の名の下に身を寄せ合う弱き者たちの方だったのかもしれない。
今回は、ワインどころでもあるルーマニアの血の様なフルボディな赤、「ダヴィーノ フランボヤード2009」をチョイス。
ドラキュラでも酔いつぶれそうなパワフルな赤は、ルーマニア固有品種のフェテアスカ・ネアグラをカベルネ・ソーヴィニオンとメルローで包んだワイン。
芳醇な香りとともにがっつりした葡萄の味わいに圧倒される。
血の滴る肉料理にぴったりだ。
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2005年に、ルーマニアで実際に起こった事件を基にした作品だ。
悪魔祓い、というと日本人にはなんだか遠く感じられるが、要は「狐憑き」などの民間療法として行われる憑き物おとしと同じ事である。
ハリウッド映画ではおなじみの題材だが、実際に悪魔祓いの結果、“憑かれた”とされる人物が命を落とす事件は記録にある限りでも何度か起きている。
1976年にドイツで起こった事件では、当時23歳のアンネリーゼ・ミシェルが衰弱死。
実際に悪魔祓いを行った神父と両親が、適切な治療を受けさせなかったとして裁判で罪に問われた顛末が、「エミリー・ローズ」として映画化されたのは記憶に新しい。
本作の基となった事件は更に新しく、たった8年前の現代、しかし舞台となるのがヨーロッパの中でも最貧国にして、数々の伝説と因習に彩られる魔女と吸血鬼の故郷、ルーマニア。
しかも、周囲と隔絶した田舎の修道院の話という事で、登場人物の中世さながらの思考や行動も説得力がある。
主人公となるのは二人の女性。
ドイツで働いているアリーナは、同じ孤児院で育った幼馴染のヴォイキツァと再開するために、故郷へと戻ってくる。
一緒にドイツへ来て欲しいというアリーナに、修道女となり俗世を捨てたヴォイキツァは、戸惑いを隠せない。
どうやらこの二人は、単なる親友同士というよりは、過去に同性愛的な関係にあった事が示唆され、それ故に信仰と背徳の狭間でヴォイキツァは葛藤するしかない。
だが、彼女の煮え切らない態度に苛立つアリーナは、次第に精神を病み、修道院に対する敵意をむき出しに、暴力的な言動をする様になって行くのである。
本作にはいくつもの対立構図が組み込まれている。
修道院という聖域と荒んだ俗世、姿を見せぬ神と顕著化する悪魔、神父が体言する宗教と病院に象徴される科学。
そしてヴォイキツァを挟んだアリーナと神との三角関係。
アリーナは無信心故にそもそも愛する人を奪った神がどこにいるのかわからない。
修道院の信仰の対象である特別なイコンを、「本当はそんな物ないんでしょ?」と挑発し、淫靡な言葉で神父を侮辱する。
エスカレートするアリーナに、神父は遂にエクソシストの機密を実行するのである。
名目は俗世に染まり、悪魔に憑かれた哀れな女を救うため。
しかし、聖域は周りに広がる俗世があるから聖域なのであって、決して俗世から隔絶された存在ではあり得ないのである。
信者たちの不審をかわない様に、アリーナの存在はひた隠しにされ、神の家に“都合の悪い者”は次第に衰弱してゆく。
彼らは自分でも気づかないうちに不寛容と独善に溺れ、俗世の者たちと同じ事なかれ主義を実践している事に気づかない。
風の音、雪を踏み鳴らす足音、遠くから響く工事、もしくは飛行機のエンジン音の様な環境音が、ヴォイキツァの内面をかき乱す。
「生きるのが怖い?」とアリーナは問う。
なるほど俗世は誘惑と悪に満ちているが、真に悪魔に魅入られたのは、そこから逃げ出して、神の名の下に身を寄せ合う弱き者たちの方だったのかもしれない。
今回は、ワインどころでもあるルーマニアの血の様なフルボディな赤、「ダヴィーノ フランボヤード2009」をチョイス。
ドラキュラでも酔いつぶれそうなパワフルな赤は、ルーマニア固有品種のフェテアスカ・ネアグラをカベルネ・ソーヴィニオンとメルローで包んだワイン。
芳醇な香りとともにがっつりした葡萄の味わいに圧倒される。
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