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はじまりのみち・・・・・評価額1750円
2013年06月04日 (火) | 編集 |
本当に大切なものは、立ち止まった時に見える。

現代アニメーションの第一人者、原恵一監督が初の実写映画に挑み、昭和の邦画黄金期を代表する巨匠、木下惠介監督との時空を超えたコラボレーションを試みた意欲作。
第二次世界大戦末期、映画を撮れなくなった木下惠介が、疎開のために病気の母親をリヤカーに乗せて山越えしたという実話を元にした本作は、人間ドラマと木下作品の映像アーカイブが混在する、劇映画としては極めてユニークなスタイルを持つ。
戦争という時代の荒波に抗い、あくまでも信念を貫こうとする息子と、彼を優しくも厳しい眼差しで見守る母親の情愛の物語は、正に木下映画への大いなるトリビュートであり、同時にきな臭さを増す現代日本社会に対する鋭い警鐘ともなっている。
※ラストに触れています。

昭和20年春。
映画監督・木下惠介(加瀬亮)は「陸軍」を完成させるが、そのラストシーンが戦意高揚的ではないと批判され、次回作の企画が中止されてしまう。
好きな物を撮れない時代に絶望した惠介は、松竹に辞表を提出して帰郷するも、浜松の実家も空襲で焼かれてしまう。
本土決戦の噂が広まる中、木下家は山奥の親戚宅に疎開する事を決めるが、問題は脳溢血で倒れ、体の不自由な母たま(田中裕子)をどう運ぶか。
バスで悪路を走る事が体に良くないと考えた惠介は、家族の反対を押し切って、リヤカーで峠を越えようとするのだが・・・・


原恵一監督の作品が、木下惠介と比較される様になったのはいつの頃からだっただろう。
彼の作品に登場するキャラクターたちは、アニメーション的なカリカチュアの中でも生身の俳優以上に人間のリアリティを感じさせ、充実のヒューマンドラマを演じきる。
「クレヨンしんちゃん」から「河童のクゥと夏休み」そして「カラフル」へと、どんどんと写実性を高めてゆくのを観て、「ああ、この人はいずれ実写を撮るだろうな」と思っていたが、それがなんと木下惠介の物語とは、何という巡り合わせだろう!

映画は、浜松の砂浜に置かれたスクリーンに、昭和18年に公開されたデビュー作、「花咲く港」が映し出されるところからはじまる。
同年「姿三四郎」でデビューした黒澤明と共に、将来を嘱望されていた新人監督はしかし、翌年発表した「陸軍」で挫折を味わう。
ラストで出征する息子を見送る母親の描写が女々しく、これでは戦意高揚にならないと軍からマークされ、次回作の企画を握りつぶされてしまうのだ。
芸術が戦争という現実に翻弄され、母親の子に対する当たり前の愛情、いや人間性すら否定される歪な時代である。
木下惠介はこの出来事によって一時映画界を離れ、浜松の実家に戻る事になるのだが、この頃に病床の母親をリヤカーに乗せて、山奥の疎開先まで徒歩とトロッコで運んだという史実に、原恵一は戦後花開くの木下映画の原点を見出した様だ。

物語は、実家から疎開先まで二日間かけて旅をするというシンプルな物だが、その行程には木下作品にインスパイアされ、原恵一によって生み出された幾つものゾクゾクする映画的瞬間が散りばめられている。
母親を息子が山へと運ぶ、というモチーフはもちろん姥捨て伝説を描いた「楢山節考」の反転であり、本作の旅は捨てるのではなく親子の情愛を再確認するためのものだ。
未舗装の山道を、惠介と兄の敏三、荷物を運ぶために雇われた便利屋の三人がリヤカーを引いて一歩一歩登ってゆく。
照りつける太陽はやがて豪雨となるが、荷台に横たわる母親は、ただ無言で耐えるのみ。
ぶっちゃけ、いくら悪路で乗り心地が悪いとはいえ、バスの方がお母さんも楽じゃないの?と思えなくもないが、そのあたりを含めて惠介がぶれない信念の人であり、その人格はこの母親あっての物である事が伝わってくる。
田中裕子の演じる母親像は、明らかに「陸軍」の田中絹代を意識して造形されており、宿屋に到着した惠介が、旅路で汚れた母の顔を拭き、髪に櫛を入れる瞬間は69年の時を経て両者が重なる。
このシーンの崇高さすら感じさせる母の表情は、本編の白眉の一つであり、「天城越え」の雨の中のシーンに匹敵する田中裕子のベストショットだと思う。

そして旅の途中の山中の宿場で、本作の語り部でもある宮崎あおい演じる“先生”との一瞬の邂逅は、「二十四の瞳」の原風景となり、惠介が映画監督だと知らない、カレー好きの便利屋によって語られる「陸軍」への想いは、観客の声として惠介の心を大きく動かす。
ここで原恵一は便利屋の回想という形で、約5分間の「陸軍」のラストシークエンスを丸ごと見せるのである。
勇ましく行進する新兵たちの中に息子を見た母は、二度と帰らないかもしれない彼の姿を追って必死に走る。
その悲壮な表情に戦意高揚の意図がない事は明らかだが、逆に言えばこれほどに我が子を想う母に感情移入しない人もいないだろう。
「自分の息子に、立派に死んでこいなんて言う母親はいない!」という木下に、映画に深く感動したという便利屋は「こんな映画をもっと観たい」と答えるのだ。

本作の上映時間はわずか96分だが、そのうちほぼ20分間を木下作品の引用が占めるという、特異な構造となっている。
冒頭の「花咲く港」のタイトルに、この「陸軍」のラストシークエンス、そして映画の終幕15分間近くに渡って繰り広げられるのは原恵一セレクション、戦後木下映画の圧巻の名場面集だ。
長い旅路の果てに、疎開地へとたどり着いた惠介に、脳卒中で言葉が不自由になった母は思いの丈を綴った手紙を書く。
戦争という抑圧の時代に、表現者としての夢を諦めかけていた惠介は、便利屋の言葉に続いて、母の手紙に力強く背中を押され、本名の木下正吉から映画監督・木下惠介への復帰を決める。
原恵一は、母と歩んだ道を今度は一人で戻ってゆく惠介の背中に、タイトルの「はじまりのみち」の意味を重ね合わせるのである。
母に、いつかこんな映画を作りたいとアイディアを語った「わが恋せし乙女」から、便利屋と主人公の頑固オヤジのキャラクターが被る「破れ太鼓」、日本初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」、そして「二十四の瞳」から「日本の悲劇」へ。
これら名場面集は、そこまでの物語をしっかりと受けて全体構成の一部となっているので、突然そこにポンとはめ込まれている様な違和感はない。
そして最後を飾る「新・喜びも悲しみも幾歳月」の大原麗子のある台詞は、「陸軍」の田中絹代の対となって本作のテーマを象徴する。

一人の映画作家が過去の作家に対して、これほど真摯に正面から向き合い、作品の中に作品を内包する形で映画を作るのは、おそらく世界的にも過去に例が無いのではないか。
その意味でこれは一本の劇映画であると同時に、原恵一による木下惠介の作家論とも言える。
ただ、原恵一は偉大な先人に対する最大限のリスペクトを捧げつつ、ノスタルジーには決して走らない。
戦争の記憶が風化し、右傾化する日本全体がいつか来た道に向こうとしている現代、一貫してヒューマニズムを原点にして人間を描き続けた木下作品は、今だからこそ強い説得力を持つ。
原恵一は、本作を通じて木下作品の持つ映画力を蘇らせるのと同時に、自らもその精神性を継承する宣言をした様に思えるのである。

本作は冒頭の「花咲く港」と最後の「新・喜びも悲しみも幾歳月」という木下作品の括弧で閉じられているが、本当のラストカットは、息子の引くリヤカーの荷台で、母が見上げている雲の画である。
ここはアニメーション監督・原恵一ファンとしては、嬉しくなる「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」へのセルフオマージュ。
あの映画の冒頭とエンディングでは、お姫様がぽっかり空に浮かんだ雲を眺めて、密かに愛しい人を想っている。
例え離れていても、見ている空は同じ。
母にとっての青空侍は、木下惠介その人だったのだろう。

今回は遠州の地酒、英君酒造株式会社の「緑の英君 純米吟醸」をチョイス。
名前の通り初夏の森を思わせる爽やかな吟醸香、適度な酸味とやや辛口の味わいのバランスも良い。
劇中で便利屋が、まるで落語家の蕎麦の様に美味そうにエア食していた、白魚のかき揚げなんかを肴に飲んだら最高だろう。
※本当は本作の満足度は1800円だが、これはあくまでも木下作品があっての作品。木下惠介監督に敬意を表して1750円にしました。

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