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2013年06月09日 (日) | 編集 |
梅雨空の、プラトニック・ラブ。
新海誠監督の最新作は、新宿御苑(と思しき公園)を舞台に、雨の午前中に出会った一人の高校生と、歳上の女性との淡い恋を描くリリカルな佳作。
46分という上映時間が心地よい。
長過ぎず短過ぎず、ちゃんと「映画を観た」という満足を与えてくれる。
近年は長編も撮ったりしているが、本作を観るとやはり新海誠は中短編作家なんだと思う。
彼の名前が一気に知られる切っ掛けとなった「彼女と彼女の猫」も、短編ながら何気にフルバージョンよりも刈り込まれたショートバージョンの方が良かった。
本作では万葉集の短歌が象徴的に使われているが、これは言わば映像短歌とでも形容すべき作品なのかもしれない。
新海作品の特徴とも言える圧倒的に情報量の多い情景描写を、そのまま登場人物の心象とする語り口は、そぎ落とした引き算の映画文法の方がより生きてくるのは間違いなかろう。
高校一年生にして、靴職人を目指している主人公のタカオは、近藤喜文監督の「耳をすませば」の聖司をもうちょいリアルにした感じのキャラクター。
彼が、雨の日の午前中は学校をサボる、という自分で設定した“ルール”に従って、新宿御苑で出会うのが、チョコレートを肴に発泡酒を飲むミステリアスな女性、ユキノさんだ。
短歌に季語は不要なれど、ここでは“梅雨”という季語が非日常空間への導入としてうまく機能している。
過剰な程に細やかな雨のディテール描写は、1943年に発表された政岡憲三監督によるセルアニメーションの傑作、「くもとちゅうりっぷ」を思わせる・・・と言うかそっくりだ。
逆に言えば、70年も前に本作に匹敵する様なリアルな自然描写を作り上げていた日本人は、やはり季節や天気といった自然の変化に敏感で、これはそんな日本の風土と文化が生んだ作品なのかも知れない。
新緑の緑に囲まれた東屋で、めぐりあいを繰り返すうちに、タカオはやがて素性を知らないユキノさんに、憧れ以上の感情を抱く様になる。
本作のキャッチコピーは、「“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり。 」である。
これは万葉の時代に、「恋」を「孤悲」と書いた事に由来し、孤独に想い悲しむ気持ちなのだそうな。
なるほど、恋は何時の世も始まりは孤独、そして想いが強ければ強いほど悲しみも増える。
ユキノさんが心に抱える、ある大きな秘密を知った時、タカオは自らの無力さと幼さと向き合い、乗り越える勇気を持たなければならなくなる。
そう、いつだって恋と冒険は男の子を大きく成長させるのだ。
そしてユキノさんへの淡い憧れから始まった"孤悲ものがたり”は、ぶっちゃけ少年にとって理想的過ぎる展開を辿るが、これが許せてしまうギリギリの非日常性が新海誠の持ち味だろう。
昔と違って今回は一人で作ってる訳じゃないけど、これは久々の“一人ガイナックス”風味、なかなかの良作であった。
本編前には短編「だれかのまなざし」が同時上映される。
これは本来野村不動産グループによるイベントのために製作されたショートムービーで、僅か7分ほどの小品だが、実に味わい深い秀作なのだ。
一人暮らしをはじめた“あーちゃん”と家族の物語は、語りべである“だれか”によって見守られ、語られるのだが、この“だれか”がわかった時には思わず涙腺決壊。
ジンワリした余韻を保ったまま本編が始まるのも良かった。
今回は劇中でユキノさんが美味そうに飲んでいる「金麦」をチョイス。
タカオは「ビール」と言っていたけど、これは発泡酒だからね。
まあ、高校生から見たら全部ビールだろうから、劇中の台詞としては真に正しいのだけど。
本作を観ると、無性に新宿御苑で飲みたくなるが、映画の最後に驚愕の「お断り」がスクリーンに映し出される。
それによると現実の新宿御苑では飲食禁止らしい。残念!
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新海誠監督の最新作は、新宿御苑(と思しき公園)を舞台に、雨の午前中に出会った一人の高校生と、歳上の女性との淡い恋を描くリリカルな佳作。
46分という上映時間が心地よい。
長過ぎず短過ぎず、ちゃんと「映画を観た」という満足を与えてくれる。
近年は長編も撮ったりしているが、本作を観るとやはり新海誠は中短編作家なんだと思う。
彼の名前が一気に知られる切っ掛けとなった「彼女と彼女の猫」も、短編ながら何気にフルバージョンよりも刈り込まれたショートバージョンの方が良かった。
本作では万葉集の短歌が象徴的に使われているが、これは言わば映像短歌とでも形容すべき作品なのかもしれない。
新海作品の特徴とも言える圧倒的に情報量の多い情景描写を、そのまま登場人物の心象とする語り口は、そぎ落とした引き算の映画文法の方がより生きてくるのは間違いなかろう。
高校一年生にして、靴職人を目指している主人公のタカオは、近藤喜文監督の「耳をすませば」の聖司をもうちょいリアルにした感じのキャラクター。
彼が、雨の日の午前中は学校をサボる、という自分で設定した“ルール”に従って、新宿御苑で出会うのが、チョコレートを肴に発泡酒を飲むミステリアスな女性、ユキノさんだ。
短歌に季語は不要なれど、ここでは“梅雨”という季語が非日常空間への導入としてうまく機能している。
過剰な程に細やかな雨のディテール描写は、1943年に発表された政岡憲三監督によるセルアニメーションの傑作、「くもとちゅうりっぷ」を思わせる・・・と言うかそっくりだ。
逆に言えば、70年も前に本作に匹敵する様なリアルな自然描写を作り上げていた日本人は、やはり季節や天気といった自然の変化に敏感で、これはそんな日本の風土と文化が生んだ作品なのかも知れない。
新緑の緑に囲まれた東屋で、めぐりあいを繰り返すうちに、タカオはやがて素性を知らないユキノさんに、憧れ以上の感情を抱く様になる。
本作のキャッチコピーは、「“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり。 」である。
これは万葉の時代に、「恋」を「孤悲」と書いた事に由来し、孤独に想い悲しむ気持ちなのだそうな。
なるほど、恋は何時の世も始まりは孤独、そして想いが強ければ強いほど悲しみも増える。
ユキノさんが心に抱える、ある大きな秘密を知った時、タカオは自らの無力さと幼さと向き合い、乗り越える勇気を持たなければならなくなる。
そう、いつだって恋と冒険は男の子を大きく成長させるのだ。
そしてユキノさんへの淡い憧れから始まった"孤悲ものがたり”は、ぶっちゃけ少年にとって理想的過ぎる展開を辿るが、これが許せてしまうギリギリの非日常性が新海誠の持ち味だろう。
昔と違って今回は一人で作ってる訳じゃないけど、これは久々の“一人ガイナックス”風味、なかなかの良作であった。
本編前には短編「だれかのまなざし」が同時上映される。
これは本来野村不動産グループによるイベントのために製作されたショートムービーで、僅か7分ほどの小品だが、実に味わい深い秀作なのだ。
一人暮らしをはじめた“あーちゃん”と家族の物語は、語りべである“だれか”によって見守られ、語られるのだが、この“だれか”がわかった時には思わず涙腺決壊。
ジンワリした余韻を保ったまま本編が始まるのも良かった。
今回は劇中でユキノさんが美味そうに飲んでいる「金麦」をチョイス。
タカオは「ビール」と言っていたけど、これは発泡酒だからね。
まあ、高校生から見たら全部ビールだろうから、劇中の台詞としては真に正しいのだけど。
本作を観ると、無性に新宿御苑で飲みたくなるが、映画の最後に驚愕の「お断り」がスクリーンに映し出される。
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2013年06月09日 (日) | 編集 |
鏖殺の庭へ、ようこそ。
初のハリウッド映画にも、気負いなし。
怒涛のシャレードの嵐は、どこからどう観てもパク・チャヌク印の作家映画である。
西部劇マニアのキム・ジウンが、古き良き大西部にオマージュを捧げた「ラストスタンド」といい、韓国黄金世代は異国へ行っても良い具合に持ち味を発揮してる。
「復讐三部作」をはじめ、一貫して人間の心に潜む暗い情念に纏わる物語を描いてきたパク・チャヌクが、渡米第一作に選んだのは、事故死した父の葬儀の日に、突然現れた謎めいた“叔父さん”と不思議な超感覚を持つ少女を巡る、スタイリッシュなスリラーだ。
パク・チャヌクと言えば才気の塊の様な映像テクニックの人だが、本作でもそれは健在。
車から降り立つ少女が“何か”をしているオープニングから、凝りに凝った画面にグッと引き込まれる。
自由奔放、大気の波にたゆたう様な流麗なカメラは、韓国時代からの相棒チョン・ジョンフンだ。
しかし、しばしばテクニックに溺れて、物語が破綻しがちなのもパク・チャヌク映画の特徴であり、魅惑の映像と相対的に弱い構成力は彼の大きな欠点だった。
本作の場合、ウェントワース・ミラーによるオリジナル脚本である事も幸いしたと思う。
思春期の少女を巡る赤ずきんちゃん話型のバリエーションと言える物語は、クールかつロジカルに構成され、パク・チャヌクが自分で書いた時に陥りがちな、勢いがつきすぎてつんのめる様な破綻が無い。
本作の原題「Stoker」は、主人公一族のファミリーネームであるのと同時に、“火をくべる者”という意味の名詞でもある。
ミア・ワシコウスカ演じる異常に鋭い五感を持つ女子高生のインディアは、心の奥底に暗い炎を隠した赤ずきんちゃんだ。
ただし、この物語における狼=叔父さんは、赤ずきんを食べに来たのではない。
インディアと同じく超感覚を持つ彼は、一族の血に潜む獣性が彼女に受け継がれいる事を確信し、少女を自らのパートナーとして覚醒させるため現れたのだ。
スカートの下に入り込む蜘蛛、明らかに性行為をイメージさせるピアノの二重奏、そして突然の殺人。
温和な仮面の下に、恐るべき嗜虐性を秘めた叔父さんによって、少女は徐々に女に目覚め、同時に自分自身の正体に気づいていて行くのである。
彼女の内面に隠れていた本性を最初から知っていたのは、叔父さんだけではないだろう。
亡き父親は、燻る炎をコントロールさせようとインディアに狩猟を学ばせ、ニコール・キッドマン演じる母親もまた、女としての直感で彼女の中の獣を忌み恐れている。
年齢はだいぶ離れているが、黒髪ロングのミア・ワシコウスカは「親切なクムジャさん」のイ・ヨンエを思わせる。
処女性を感じさせる女の内面に、ダークに渦巻く情念というモチーフは、おそらくパク・チャヌク好みなのだろう。
オープニングとリンクする戦慄のラストカットで見せる、捕食者となったインディアの不気味な笑顔には、思わず背筋がゾクッ。
生まれ育った“無垢なる庭”に無数の墓標を残し、狼は赤ずきんちゃんの皮を被った美しきシリアルキラーとなって、スクリーンの幻影の向こうに去ってゆくのである。
今回はカクテルの「グリーン・スパイダー」をチョイス。
ウォッカ45mlとクレーム・ドミント・グリーン15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぐ。
爽やかな緑が印象的な、フレッシュで甘口のカクテルだが、本作のインディアの様に見た目とは裏腹に相当に強い。
飲みすぎると、気付いた時には狩られている、多分。
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怒涛のシャレードの嵐は、どこからどう観てもパク・チャヌク印の作家映画である。
西部劇マニアのキム・ジウンが、古き良き大西部にオマージュを捧げた「ラストスタンド」といい、韓国黄金世代は異国へ行っても良い具合に持ち味を発揮してる。
「復讐三部作」をはじめ、一貫して人間の心に潜む暗い情念に纏わる物語を描いてきたパク・チャヌクが、渡米第一作に選んだのは、事故死した父の葬儀の日に、突然現れた謎めいた“叔父さん”と不思議な超感覚を持つ少女を巡る、スタイリッシュなスリラーだ。
パク・チャヌクと言えば才気の塊の様な映像テクニックの人だが、本作でもそれは健在。
車から降り立つ少女が“何か”をしているオープニングから、凝りに凝った画面にグッと引き込まれる。
自由奔放、大気の波にたゆたう様な流麗なカメラは、韓国時代からの相棒チョン・ジョンフンだ。
しかし、しばしばテクニックに溺れて、物語が破綻しがちなのもパク・チャヌク映画の特徴であり、魅惑の映像と相対的に弱い構成力は彼の大きな欠点だった。
本作の場合、ウェントワース・ミラーによるオリジナル脚本である事も幸いしたと思う。
思春期の少女を巡る赤ずきんちゃん話型のバリエーションと言える物語は、クールかつロジカルに構成され、パク・チャヌクが自分で書いた時に陥りがちな、勢いがつきすぎてつんのめる様な破綻が無い。
本作の原題「Stoker」は、主人公一族のファミリーネームであるのと同時に、“火をくべる者”という意味の名詞でもある。
ミア・ワシコウスカ演じる異常に鋭い五感を持つ女子高生のインディアは、心の奥底に暗い炎を隠した赤ずきんちゃんだ。
ただし、この物語における狼=叔父さんは、赤ずきんを食べに来たのではない。
インディアと同じく超感覚を持つ彼は、一族の血に潜む獣性が彼女に受け継がれいる事を確信し、少女を自らのパートナーとして覚醒させるため現れたのだ。
スカートの下に入り込む蜘蛛、明らかに性行為をイメージさせるピアノの二重奏、そして突然の殺人。
温和な仮面の下に、恐るべき嗜虐性を秘めた叔父さんによって、少女は徐々に女に目覚め、同時に自分自身の正体に気づいていて行くのである。
彼女の内面に隠れていた本性を最初から知っていたのは、叔父さんだけではないだろう。
亡き父親は、燻る炎をコントロールさせようとインディアに狩猟を学ばせ、ニコール・キッドマン演じる母親もまた、女としての直感で彼女の中の獣を忌み恐れている。
年齢はだいぶ離れているが、黒髪ロングのミア・ワシコウスカは「親切なクムジャさん」のイ・ヨンエを思わせる。
処女性を感じさせる女の内面に、ダークに渦巻く情念というモチーフは、おそらくパク・チャヌク好みなのだろう。
オープニングとリンクする戦慄のラストカットで見せる、捕食者となったインディアの不気味な笑顔には、思わず背筋がゾクッ。
生まれ育った“無垢なる庭”に無数の墓標を残し、狼は赤ずきんちゃんの皮を被った美しきシリアルキラーとなって、スクリーンの幻影の向こうに去ってゆくのである。
今回はカクテルの「グリーン・スパイダー」をチョイス。
ウォッカ45mlとクレーム・ドミント・グリーン15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぐ。
爽やかな緑が印象的な、フレッシュで甘口のカクテルだが、本作のインディアの様に見た目とは裏腹に相当に強い。
飲みすぎると、気付いた時には狩られている、多分。

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