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華麗なるギャツビー・・・・・評価額1600円
2013年06月20日 (木) | 編集 |
若きアメリカの青春と、その死。

F・スコット・フィッツジェラルドによる、アメリカ近代文学の不朽の名作「華麗なるギャツビー(グレート・ギャツビー)」の四度目の映画化である。
狂騒の20年代、ニューヨーク郊外の“城”で夜な夜な盛大なパーティを主催し、政官財芸能界のセレブたちを集める謎の男、ギャツビーとは何者なのか。
アメリカの世紀の幕開けを象徴するタイトルロールを、レオナルド・ディカプリオが演じ、語り部のキャラウェイにトビー・マグワイア、運命の女デイジーにキャリー・マリガンと、旬な俳優たちが顔を揃え、パワフルにドラマを盛り上げる。
「ロミオ+ジュリエット」以来17年ぶりにディカプリオとタッグを組む、オーストラリアの鬼才バズ・ラーマンは、自身初となる3D映像を駆使して絢爛豪華なパーティームービーを作り上げた。

1920年代のニューヨーク。
大学を卒業し、証券会社に就職したキャラウェイ(トビー・マグワイア)は、隣家の豪邸で毎週末に繰り広げられるパーティに招かれる。
ホストの名は、ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)という若き大富豪。
パーティーを訪れたキャラウェイに、ギャツビーは唐突に身の上話を始める。
名家の御曹司として生まれ、ヨーロッパで超一流の教育を受け、第一次世界大戦で戦争の英雄となり、アメリカに帰還。
その出来過ぎなほどドラマチックな人生に、キャラウェイはどこか違和感を覚えるのだが、次第にエネルギッシュなギャツビーに惹かれてゆく。
そんなある日、キャラウェイは従姉妹で人妻のデイジー(キャリー・マリガン)と引き合わせて欲しいとギャツビーに頼まれる。
どうやらギャツビーとデイジーは過去に因縁がある様なのだが・・・


フィッツジェラルドの代表作である「グレート・ギャツビー」はアメリカを語る上で欠かす事の出来ない、所謂セレブリティカルチャーのパイオニアの一つと言えるだろう。
元々ミネソタ州の地方都市に生まれたフィッツジェラルドは、23歳の時に「楽園のこちら側」の大ヒットで作家として身を立てると、大都会ニューヨークに出てパーティーとゴシップ三昧の日々を送る事になる。
ウッディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」で描かれた様に、妻のゼルダと共にしばしばヨーロッパを訪れる様になるのもこの頃からだ。
「グレート・ギャツビー」の物語は、空前の好景気を謳歌するニューヨークの、虚飾にまみれたバブルな日々から生み出されたのである。

謎の大富豪、ギャツビーの正体は名家の出身でも、オックスフォード卒の秀才でもなく、アメリカの田舎の極貧の家庭で育ったどこにでもいる平凡な男。
彼は5年前に出会い、一時は愛し合ったデイジーの事が忘れられず、今はもう人妻となった彼女を取り戻すためにニューヨークへとやってきたのだ。
偽の名士“ギャツビー”をでっち上げ、裏社会の広告塔となる事で巨額の資金を得て、毎週末のクレイジーなパーティーを主催するのも、いつかデイジーが噂を聞いてやって来る事を期待して。
ぶっちゃけ、ギャツビーのやっている事は、よくよく考えればストーカーと変わらないのだが、ただ一途な愛の為にここまでデカイ事をやってしまうと、もはやグレートとしか言いようが無い。
おそらくはフィッツジェラルド自身の、セレブ生活の虚しさの中で生まれた「グレート・ギャツビー」は、人間の果てしない欲望の核心に、究極の愛を求めるのである。
太く短く、刹那的に生きて死ぬギャツビー同様に、フィッツジェラルドも大恐慌時代の作家としての低迷、愛妻ゼルダの精神病での入院という悲劇を経て、44歳の若さでこの世を去るのだから、ある意味でギャツビーは作者自身をカリカチュアした様なキャラクターなのかも知れない。

同時にギャツビーが体現するのは、ヨーロッパの衰退によって、世界一の超大国へと浮上する、若きアメリカの夢そのものでもある。
第一次、第二次世界大戦間のつかの間の平和な時代は、アメリカの世紀の幕開けでもあった。
過去数世紀に渡るヨーロッパの軛に挑むアメリカの姿は、ニューヨークの社交界へ颯爽と現れたギャツビーの姿に被る。
あり余るエネルギーで瞬く間に世界の中心に立ったものの、新参者の成金故に伝統的なる社会にコンプレックスを抱えているのも同じ。
ギャツビーがオックスフォードでの学歴やヨーロッパ戦線での戦歴を詐称するのも、金以外の拠り所を持たないからであり、今もアメリカ人の意識に潜む、ヨーロッパ文化や貴族社会の持つ悠久の歴史に対する強い憧れの源泉がここに見える。

もっとも、古き階級社会の頭目たちも、ギャツビーが象徴する新興勢力も、その力の源が金であることは変わらない。
異なるのは、その目的である。
ギャツビーは金によって支配されず、彼が湯水の様に金を使って求めたのは、たった一つの愛だけ。
しかし、自らが作りあげた虚像の崩壊によって、それすらも幻の様に消えてしまうのだ。
究極の純情が滅びる時、アメリカの青春の夢もまた潰え、残るのは心の無い資本主義の原理原則によってのみ、支配される人間たちである。
本作の原作が出版されたのは1925年の事で、その4年後の1929年には大恐慌が起こるのだから、やはり時代に呼ばれた作品であったのだろう。
本作の語り部が、証券会社に務めるキャラウェイというのも暗示的だ。
彼は誰よりも資本主義の本質に近いところにいるからこそ、物質主義の象徴たる金を利用して、愛という精神を求めたギャツビーに惹かれてゆき、そして彼の死に絶望するのである。

本作は本質的に心の距離を描いた作品だが、バズ・ラーマン監督は、ギャツビーとデイジーの間に横たわる5年という歳月のギャップを、両者を隔てる空間の距離に置き換えて、3Dの奥行きを持って表現するというユニークなチャレンジをしている。
ギャツビー邸の対岸のデイジーの屋敷の桟橋に光る緑のライトは、手が届きそうで届かないデイジーの愛のメタファーだ。
夜の闇の中で光に手を伸ばす彼の後ろ姿は、そのまま過去の愛という幻想を、今現実に取り戻そうとする心情を雄弁に物語る。
まあ、彼らの間の距離は、決して埋める事の出来ない男と女の見ている世界の違いでもあるのだが、元来ロマンチストでナルシストなラーマンは、その辺りは比較的優しくに描いている様に思う。

本作を観ていて、私はロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた1974年版に比べると、ずいぶんとマイルドな印象を持ったのだが、何よりも大きく異なるのはデイジーの描き方だ。
ミア・ファローが演じた74年版のデイジーは、映画史上最悪のヒロインと評する人がいるくらいにヒドイ女で、観ているうちにどんどんとレッドフォードが可哀想になって来るほど。
対してキャリー・マリガンが可憐に演じる本作のデイジー像は、そこまで男性目線ではなく、優柔不断ではあるものの、彼女の迷いもまた理解できる様に描かれている。
ギャツビーの考える愛と、デイジーが考える愛は、おそらく別のものなのだ。
最も純粋な男が心に秘めていた感情は、アメリカの青春を象徴する「グレート・ギャツビー」と共に永遠に死んだのである。

今回は劇中のパーティーでも供されている「ハイボール」をチョイス。
これはアメリカ開拓時代にルーツを持つ歴史あるカクテルで、蒸気機関車のボール信号が名前の由来であるという説が有力だ。
日本ではウィスキーや焼酎のソーダ割が一般的だが、本場のハイボールはバーボンが原則。
氷を入れたグラスにバーボン1に対してソーダを3〜4の比率で注ぎ、マドラーでサッと混ぜる。
乾燥した西部の開拓地では、酔っ払えてソーダの清涼感もあるハイボールはさぞ美味かった事だろう。
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