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マン・オブ・スティール・・・・・評価額1650円
2013年09月02日 (月) | 編集 |
ヒーローは皆、十字架を背負う。

なるほど、タイトルが「スーパーマン」でない事も納得である。
「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン製作、「ウォッチメン」のザック・スナイダー監督という、アメコミ映画の両雄が手を組んだリブート版の「マン・オブ・スティール」は、ぶっちゃけ今までのシリーズとは別物だ。
ラッセル・クロウ、ケビン・コスナー、ダイアン・レイン、マイケル・シャノンら錚々たる名優たちが、クリプトン人として生を受け、地球人として育った宿命の子を導き、やがて若き超人は二つの世界の命運を託される。
これは黙示録の時代に生まれた、滅びと再生の神話であり、描かれるのは昏い葛藤を心に秘めた、新たな救世主の誕生の物語だ。

高度な文明を持つ惑星クリプトンが滅亡の時を迎えていた。
科学者のジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、生まれたばかりの息子カル・エルを、小型宇宙船に乗せて宇宙へと送り出す。
地球に到達した赤ん坊は、カンザスの農夫ジョナサン(ケビン・コスナー)とマーサ(ダイアン・レイン)のケント夫妻に拾われ、クラークと名付けられる。
人間の子としてすくすくと育つクラークだが、成長するにしたがって不思議な力を発揮する様になり、他の子供たちとの違いに悩むようになる。
やがて成長したクラークは、謎の物体が太古の氷に埋もれているというニュースを聞き、カナダへ。
それは大昔に地球へ探査に来て、そのまま打ち捨てられたクリプトンの宇宙船だった。
ジョー・エルの残した映像から、自分が何者で、何のために地球へとやって来たのかを知るクラークだが、偶然居合わせたジャーナリストのロイス・レイン(エイミー・アダムズ)に正体を見られてしまう。
時を同じくして、クラークが宇宙船を起動した事を、宇宙を彷徨っていたクリプトンの生き残り、ゾッド将軍(マイケル・シャノン)が感知。
クリプトン再興の鍵を握る“コデックス”を、ジョー・エルが息子と共に脱出させた事を知るゾッドは、クラークがコデックスを持っていると考え、進路を地球へと向けるのだが・・・


映画、テレビシリーズ、アニメと過去何度も映像化された「スーパーマン」の中で、誰もが知る決定版は1978年に作られたリチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の映画だろう。
この作品は、その後2006年にブライアン・シンガーが監督した「スーパーマン・リターンズ」に至るまで、共通のカラーを持ったシリーズを形作る。
しかし今回、クリストファー・ノーランとザック・スナイダーのチームが作り上げたのは、ドナー版の持つ作品イメージの軛から逃れ、異なる世界観と哲学を持った全く新しい映画だ。
例えばオリジナルへ深いオマージュを捧げ、世界観を生かした上で、新しいイメージを付与するJ.J.エイブラムスの「スター・トレック」とは、同じリブートという言葉を使っていても、アプローチは真逆と言えるだろう。
スナイダーの「マン・オブ・スティール」は、過去のシリーズを完全な“レガシー”とする事で成立しているのである。

ストーリー的には、旧シリーズの第一作と、リチャード・レスター監督による第二作を組み合わせた様なプロットとなっている。
滅びゆく惑星クリプトンから、地球へと送り込まれた宿命の子が、ゾッド将軍との戦いの中で自らの存在の意味をつかみとり、スーパーマンとなるまでの物語であり、即ち今後作られてゆくであろう新シリーズの“ビギニング”に位置付けられる作品だ。
もっとも、基本的ストーリーラインとキャラクター設定に共通点は見えるものの、本作のチームは最低限のリスペクトをさりげなく表現する以上に、旧作との関連付は行わない。
その意味で、本作は今までの作品を観た事が無い、一見さんにこそフィットする作品となっているのかも知れない。

本作の骨格を形作るのは、カル・エル、クラーク・ケント、そしてスーパーマンという三つの名を持つ主人公と、彼の三人の“父”との物語である。
実の父であるジョー・エルは、崩壊するクリプトンから命を賭して赤ん坊のカル・エルを地球へと脱出させ、死してなお思念として成長した息子を導く。
重要なのは、文明が進み過ぎた結果硬直化してしまったクリプトンでは、全ての子供は遺伝的に“設計”され、人工子宮から生まれるという設定である。
科学者も、戦士も、政治家も、生まれた時からその運命が決定されており、可能性の未来があり得ない世界。
カル・エルは、禁じられた自然出産で生まれたクリプトン最後の子であって、父ジョー・エルにもその将来は予測できない、しかしだからこそ“希望”なのである。

地球へと到達したカル・エルに、クラーク・ケントという名を与え、人間の子供として育てるのが、養父ジョナサン・ケントだ。
彼はクラークが異星人であり、人智を超える能力を持つこと知りながら自分の息子として受け入れ、この世界で生きるための知恵と目的を授ける役回りだ。
ジョナサンは、自らのアイデンティティに葛藤する息子に、ここへ来た事の意味を考えさせる一方で、その力を人類はまだ受け入れられない事を悟り、彼が独り立ちする日まで、秘密を守り抜こうとする。
朴訥なカンザスの農夫の信念はしかし、ジョー・エルと同じように、息子のためなら自らの命をも惜しまない程に強い物であり、この父にして真理を追い求める善良なアメリカ人、クラーク・ケントが形作られるのである。

そして、クリプトンと地球という二つのアイデンティティを受け入れたクラークを、スーパーマンへと成長させるのが、ジョー・エルを殺しクリプトン再興のためにカル・エルを追って地球へと襲来するゾッド将軍だ。
もちろん、彼はクラークの生物学的な父でもなければ育ての親でもない。
しかし、彼の理念と大義はジョー・エルの対であり、クラークが地球の人々を導くスーパーマンとなるために、彼との対決は避けて通ることの出来ない壁として立ちはだかる。
地球をクリプトン型惑星へとテラフォーミングし、人類を絶滅させてでも母星の人々を蘇らせるというゾッドの大義は、戦士として設計され、クリプトン人を守る事だけを存在意義とする彼にとっては至極当然。
自由な未来を自分で選択できるクラークと違って、哀しきゾッドは定められた宿命に抗う事は出来ないのだ。
生まれてすぐに超えるべき父を失ったクラークにとって、この最強のヴィランとの対決は擬似的な父殺しに他ならない。

では、それぞれに役割を持つ、三人の父に育てられたスーパーマンとは何者か。
ジョー・エルによって、人々を導く存在になると示唆される彼は、超常の力を持つ奇跡の人であり、現代アメリカにおけるキリストのメタファーである。
「スーパマン・リターンズ」のブライアン・シンガーは、9.11以降の暗雲に覆い尽くされた世界で、なぜスーパーマンが必要なのかを説いてみせる。
元々アメリカは、迫害された清教徒たちが、自由と博愛を求めて作り上げた理想主義的な実験国家だ。
もちろん、その歴史が理想通りでない事は事実だが、自由・博愛・平等の精神は、依然として多くのアメリカ人にとって理想であり、無償の善意が尊ばれる社会である事には変わりがない。
ところが、いつの間にか世の中は変わってしまい、善意のはずのアメリカは世界中で嫌われ者となり、猜疑心が新たな敵を生むという悪循環に陥ってしまった。
シンガーは、そんな世界で自己の存在意義に葛藤するスーパーマンに、愚直なまでの無償の善意という原点への回帰、傷つき、倒れても、人々のために行動する、アメリカが本来理想としていたはずの美しいキリスト教精神を体現させたのである。

だが、同じく現代に蘇ったキリストだとしても、本作のスーパーマンの運命は、シンガーの解釈がもはや牧歌的に見えるほどにハードだ。
キリストが人類全ての原罪を一身に負って、ゴルゴダの丘で磔にされた様に、脚本のデヴィッド・S・ゴイヤーは、スーパーマンに途轍もなく残酷な十字架を背負わせる。
彼の肉体には、ジョー・エルによって“コデックス”に記録されていた全てのクリプトン人のDNAデータが書き込まれており、彼の存在そのものがクリプトンの箱舟なのだ。
もしもゾッドの計画に協力すれば、結果的に育ての親である人類を滅ぼす事になり、逆にゾッドを倒せば自らの種であるクリプトンの再興が潰える。
人類かクリプトンか、スーパーマンは一つの種族にとって救世主となり、もう一つの種族にとっては絶滅を宣告する大悪魔となる、究極の選択を余儀無くされるのである。
二つの種族の間で思い悩むスーパーマンが、教会に立ち寄って牧師と話をするというシーンは象徴的だ。
「ゾッドも、地球人も、どちらも信じられない」というスーパーマンに対して、牧師は「まずは信じてみる事だ」と答えるのだが、この言葉は本作のテーマとも直結し、物語のターニングポイントともなっている。

そして妥協や共存の余地のないゾッドの計画を阻止し、地球人の可能性を信じたスーパーマンは、過去のシリーズでは例のない圧倒的な都市破壊の後に、人類を導く救世主として姿を現す。
このクライマックスのシーケンスは、ローランド・エメリッヒも真っ青、二人の超人の格闘だけで世界が滅んでしまうのではないかと思う程の凄まじさだ。
おそらく巻き添えだけで何千、何万も死んでいそうだが、スーパーマンは最終的にその場に居合わせた一組の家族を救うというミニマムな状況で、ただ一人残った同族を殺し、自らの種を滅ぼす決断をくだす。
ブライアン・シンガーは、原点への回帰はまだ間に合うと信じたが、本作は現代のキリストは大破壊によるアポカリプスを経て、彼自身も再び重い十字架を背負わなければ現れないと説く。
映画を社会の鏡だと考えるならば、どうやら世界はあまり良い方向には進んでいないようだ。

デヴィッド・S・ゴイヤーの見事な脚本を得て、ザック・スナイダー監督は、クリストファー・ノーランの闇の神話「ダークナイト」の系譜に連なる、新たな光の神話を作り上げた。
しかし、古きスーパーマンを愛する一ファンとしては、この作品は素直には受け止められない、複雑な感慨を抱かせるのも事実だ。
あまりにもストイックな鋼の男には、嘗てのスーパーマンの味わいであったユーモアやロマンチシズムが微塵も感じられない。
飛行シーンも、気持ちよく風にのるというよりは、足にロケットでもついているかの様に、風を切り裂く感じで、ロイス・レインと優雅なニューヨークの空中デートを楽しむ様には見えないのである。
何よりもスーパーマンが、周りの犠牲を顧みず、街をぶっ壊しながら暴れまわるというのは、どうしても違和感が拭えないのだ。
最後の最後で、顔の見える個々の市民を守るために行動するものの、前記した様にその結果はあまりにも重い。
自由な大空を思わせるスカイブルーから、ダークなネイビーブルーとなったコスチュームが象徴する様に、この映画には私の愛したアイディアリズムのロマン溢れるスーパーマンは、もはやいないのである。

マッシブな鋼の男には、甘いカクテルなどは似合わない。
鳥だ!飛行機だ!どころではなくロケット級にスピーディーな本作には「レッドロケット・エール」をチョイス。
カリフォルニアのワインどころで作られる、パワフルなボディを持つスコティッシュ・レッドエールだ。
独特の強い香りと強い後味はクセになる魅力があり、濃密な143分でカラカラとなった喉を潤してくれるだろう。

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