FC2ブログ
酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント
noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
■ FILMARKSアカウント
noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
そして父になる・・・・・評価額1700円
2013年09月30日 (月) | 編集 |
そして、家族になる。

出生時に病院で息子を取り違えられた、二組の家族の姿を描く骨太の人間ドラマ。
デビュー作の「幻の光」以来、市井の人々の様々な葛藤を描いてきた是枝裕和監督は、もしも愛した息子が他人の子供だったら?という状況を通して、親は無条件で子供に愛を注げるのか、家族にとって本当に大切なものとは何だろうと問いかける。
選ぶべきは血か、それとも共有した時間か。
実際に同年代の子供がいる人はもちろん、全ての観客にとって、自分に置き換えて究極の選択を迫られる様な映画だ。
主人公のいけ好かない金持ち父さんを福山雅治、対照的な貧乏父さんをリリー・フランキーが好演。
二人の妻を、それぞれ尾野真千子真木よう子が演じる。
子供への愛に関する男と女の感覚の違いも面白い。

大手建築会社に務める野々宮良多(福山雅治)は、妻のみどり(尾野真千子)と息子の慶多(二宮慶多)と都心の高層マンションで三人暮し。
人生の勝ち組としてエリート街道を迷うことなく突き進んできた。
ところがある日、病院からの連絡で息子が出生時に取り違えられていた事が判明する。
相手の家族は田舎街で小さな電気屋を経営する斎木雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)夫妻。
決して裕福とは言えない子沢山の一家だ。
病院は子供の交換を勧め、二組の家族は戸惑いながらも子供がお互いの家庭に慣れる様にと交流をはじめる。
そしていよいよ子供を交換する事になるのだが・・・・


是枝監督らしい、全く奇を衒った所の無い、どこまでも丁寧な作品である。
運命の悪戯によって、取り違えられてしまった二人の息子。
映画は、血のつながりか、共に過ごした歳月かの選択を迫られる二つの家族の一年を追いながら、じっくりとこの難しい問題の答えを探ってゆく。

もちろん、100組の家族がいれば100通りの家族の姿がある。
子供の取り違えだって、例えば赤ん坊の段階で発覚するケースもあれば、この映画の様に数年たって分かる事もあり得るだろう。
解決法だって家族の数だけあるはずだ。
少し前に、ブラジルで起こった事件の顛末をテレビで見たが、1歳の時に取り違えが分かった二組の夫婦は、息子を交換した上で近所に住んでお互いの姿を見られるようにしているという。
この映画は、ある種のシミュレーションとして、もしも自分に同じ事が起こった時どうするのかという問を通して、家族とは何かを考えさせる。

生まれてから経過した時間が6年という設定が絶妙だ。
ブラジルのケースの様に、子供がまだ一歳程度なら交換という選択の方が親にとっても子供にとっても傷は小さいというのはなんとなく理解できる。
しかし6年も経ってしまうと、もはや子供の人格もある程度出来上がっているし、当然親子の間の情も共に過ごした時間の分深まっている。
生物学的親子でないから、明日から赤の他人ですと割り切れる訳もあるまい。
逆に例えば10年とか15年が経ってしまえば、もう子供といっても半分大人な訳で、むしろ自分の人生を決めるのは彼ら自身、親による子供の交換はほとんどあり得ないだろう。
6年という歳月が、本作の登場人物たちの苦悩や葛藤の核心なのだ。

キャラクター造形は、是枝作品らしくしっかりと作り込まれている。
福山雅治演じる野々宮良多は、息子の取り違えが分かったときに開口一番こう言い放つ。
「やっぱり、そういう事か」
良多は今時珍しい仕事中毒のサラリーマン。
妻子と都心の高層マンションに住み、勤務先の大手建築会社では巨大プロジェクトを仕切り、家族との時間はほとんど持たない。
人生の勝ち組を自認する彼は、ひとり息子の慶多がおっとりとした性格で、自分のような強い男に育っていない事に内心苛立っていたのだ。
エリート意識丸出しで人を見下し、金でなびく相手と見るや、札束で頬を叩くような事も平気でする。
ダメ押しでイケメンという、ぶっちゃけ傲慢で鼻持ちならない男である。

対する斎木雄大は、リリー・フランキーがびっくりする位にはまり役。
彼は田舎町で今にも潰れそうな古い電機屋を営んでおり、妻のゆかりとの間に問題の子である長男の琉晴を筆頭に三人の子供がいる。
どこからどう見ても裕福とは言いがたく、取り違えが発覚しても、子供をどうするかよりも先に病院からいくら慰謝料を取れるかを皮算用する様な、子煩悩だが雑でセコイおっさんだ。
乗っている車も良多がレクサスの高級車なら、雄大は営業用の軽ワンボックスというのもいかにもなチョイス。

二人の父は分かりやすい対照を形作るが、金持ちだけど嫌な奴と貧乏だけど良い人という単純なステロタイプに陥らないように、雄大の側にもちょっとだけネガティブに見える部分を持たせており、観客はどちらの家族からも適度な距離をもって映画を眺める事が出来るようになっている。
そして挫折を知らないような良多の内面を徐々に描き、一見冷酷にも感じられる彼の行動の“なぜ”を明かしてゆく構造はさすがに上手い。
良多は幼い頃に自らも実母との別れを経験しており、それ故に慶多や琉晴がこれから乗り越えなければならない感情を良く知っている。
彼は完璧な夫、父という傲慢な仮面の下で自分なりに葛藤し、苦しみながら内なる父親像を模索しているのだ。

一方、男たち、特に良多がキッチリした決着をつけようとしているのに対して、女たちの反応は異なる。
彼女らもセレブ妻のみどりと切符の良い母ちゃんのゆかりとキャラクターは異なるものの、共に直感的に子供たちを愛し、むしろ現状維持を願っている。
これから成長するにしたがって、子供たちはどんどん相手の家族に似てくる。
それでも今まで通り愛せるか?という良多に対して、ゆかりは「愛せますよ、もちろん。似てるとか似てないとか、そんなことに拘ってるのは、子どもとつながってるって実感のない男だけよ」と即答するのである。
良多の頑なさに追い詰められ、苦悩を募らせるみどりも同様だ。
「やっぱり、そういう事か」という言葉に、歳月よりも血縁というはじめから結論ありきの良多の気持ちを感じ取っていたみどりは、遂に自らの胸のうちをぶつける。
四人の親たち、そして二人の息子の、お互いを思う気持ちのぶつかり合いに、ハラハラして物語の帰趨を見つめる観客の心も揺れ動く。

むろん、なぜ登場人物が子供たちに真実を伝えないのか、伝えた上で答えを共に探さないのかという疑問もある。
真実を明かさない事で生まれる矛盾を、端的に表現しているのが、子供を交換した後で良多が琉晴に自分を「パパ」と呼ぶようにと言うシーンだ。
「パパちゃうよ?」と言う琉晴に、良多はそれならばと「向こうはパパとママ、こっちはお父さんとお母さんと呼ぶんだ」と子供からすれば意味不明な事を要求する。
だが「なんで?」と聞き返す琉晴に、良多はきちんとした答えを返せず「なんでだろうなあ・・・」と言葉を濁すことしか出来ない。
真実を語っていないのだから当然である。
しかし、大人にも重すぎる事実を、子供に全てをオープンにして、彼らにも責任を負わせるという選択は、日本人の多くにとってリアルには感じられないのではないか。

生みの親と育ての親、血縁と歳月、そのどちらも真実には違いなく、何をどうすれば正しいのかという明確な線引きは難しい。
最も残酷な事実をうやむやなままに、可能な限り状況を繕おうとするのは良くも悪くも日本人の国民性と言えるだろう。
この映画の、優しすぎて真実を語る事を躊躇する大人たちもまた、リアルな日本人なのだ。
終盤の良多と慶多の長い散歩は本作の白眉だが、彼らの心が通じ合う様も良い意味で曖昧で、決して明快な言葉が紡がれている訳ではない。
その意味で、この映画は極めて日本的な物語であって、実に邦画らしい邦画だと言える。
海外での相次ぐ受賞は、むしろこの辺りのドメスティックなテイストが評価されたのではないかと思う。

家族とは単に結婚したとか子供が生まれれば、それだけで家族になれる訳ではない。
そこには共に積み重ねた歴史が必要だ。
この映画に描かれた二組の家族は、過酷な試練に直面し、それぞれに家族の一員として成長する。
そして静かな葛藤の末に、良多もまた自らを「できそこない」と認める事で、はじめて本当の“父”となり、新たな歴史を紡いでゆくのである。

本作は今年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したが、その時の審査員長だったスピルバーグのプロデュースで、米国でのリメイクが決定したそうだ。
思うにハリウッド版では、家族の間で真実の扱いはある程度変わってくるのではないだろうか。
おそらく子供に真実を早々に明かす展開になるような気がするが、それぞれの文化の家族観の違いが見られるかと今から楽しみである。

今回は主演の福山雅治のCMつながりでアサヒビールの「スーパードライ ドライプレミアム」をチョイス。
正統派ビールファンには邪道と言われる事もあるスーパードライだが、90年代初頭に世界中にドライビールのブームを巻き起こし、ジャパニーズビールの認知度を一気に高めた立役者であり、実際高温多湿の日本の気候で飲めば、実に美味しいビールであると思う。
ドライプレミアムはオリジナルのスーパードライよりも味に深みがあり、切れ味が鋭いのが特徴。
豊潤の秋に飲むにはオリジナルよりも合うだろう。
ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い




スポンサーサイト