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2013年10月08日 (火) | 編集 |
三つの物語、三つの選択、三つの愛。
予備知識無しで観たので、てっきりマルコ・ベロッキオが川端康成を映画化したのかと思っていたら、ぜんぜん違った。
イタリアで国論を二分した、エルアーナ・エングラーロの尊厳死事件という実話を題材に、三人の「眠れる美女」を巡る、三つの愛の物語が描かれる。
事故で17年間植物状態にあったエルアーナの両親は、娘の尊厳を守るために延命措置の停止を求めたが、自殺を大罪とするカソリックの影響の強いイタリアにあって、彼らは長い裁判を闘わねばならなかった。
ようやく2008年になって最高裁が両親の訴えを認める判決を出したものの、実際に延命措置の停止を行う病院の前には賛成・反対両派のデモ隊が陣取り、国会では保守派のベルルスコーニ首相も、エルアーナの延命措置を続行させる法案の採決を目指していた。
映画は、彼女の生死を巡りイタリアが深く葛藤していた、2009年2月を舞台に展開する。
一つ目の物語は、保守政党に属するウリアーノ・ベルファッディ議員とその娘のマリアの物語。
ウリアーノは妻を尊厳死させた経験があり、自らの信念を曲げてまでエルアーナの延命措置を続行させる法案に賛成票を投じるか迷っている。
一方、マリアは母の死に際しての父の行動に不信感を抱き、逆に延命賛成のデモに参加を決めるのだ。
ここでは、姿なきエルアーナの存在が、父娘の間に横たわる過去の傷を浮かび上がらせるのである。
二つ目は、真面目な医師バリッドと、自殺未遂して昏睡状態に陥る薬物依存症の女ロッサの物語。
彼の務める病院では、同僚の医師たちが患者の治療そっちのけで、エルアーナがいつ死ぬかを賭けの対象にしている。
そんな殺伐とした職場で、バリッドは死に魅せられた一人の患者を救うために、ただ彼女に寄り添う。
最後は、植物状態の娘の看護のために、栄光のキャリアを捨てた伝説的大女優と俳優志望の息子フェデリコの物語。
彼女は娘と同じ境遇のエルアーナの報道に心をかき乱され、ひたすら奇蹟を神に祈り続ける日々を送っている。
女優としての母を崇拝し、彼女からの愛に渇望する息子は、母を振り向かせるためにある行動に出るのだ。
ベロッキオは、エルアーナ事件に対するイタリア社会のあまりに保守的な反応への憤りから、この映画を企画したそうだが、着想から実際に制作するまでに二年かけている。
おそらくは考えに考えて、事実をそのまま映画化するだけでは、描ききれないと判断したのだろう。
ある種のマクガフィンとしてエルアーナの存在が背景にあるものの、それぞれのエピソード間に直接的なつながりは無く、三つの物語が断続的に平行して描かれ、最後まで絡み合う事はない。
この挑戦的な作劇のスタイルは、キャラクターへの安易な感情移入を拒絶し、観客に物語からの一定の距離感をキープさせるのである。
もちろん尊厳死の問題は、宗教的な部分も含む個人の死生観が大きく影響してくるから、これが正しいという結論を出すのは難しい。
本作の三つの物語も、明確なオチがある話は一つもないのだ。
ベロッキオ自身が一番自身の感情に近く描いているのは、やはり議員のウリアーノだろうが、映画そのものは特定のイデオロギーの立場をとらない。
観客は三人の眠れる美女を巡る、人間たちの葛藤とそれぞれの選択を冷静に眺め、自らの心に生じた波紋に対して自問自答する事になるのである。
物語に対して、完全な答えやメッセージを求める人には物足りないかもしれないが、人間を真摯に見つめた重厚なドラマは見応え十分だ。
本筋とは関係ないが、ちょっと面白かったのが、イタリアの議会に精神科医が常駐していて、建物の中に(?)ローマ風呂があるという描写。
議員たちが浴場のモニターで政局を眺めている画は、「テルマエ」っぽくてなかなかシュールだったが、これは本当にあるのだろうか。
カソリックの文化が重要な背景となっている本作だが、キリスト教ではワインはキリストの血に例えられる。
今回は今回は、イタリアはトスカーナからテヌータ・ディ・トリノーロ「レ・クーポレ・ディ・トリノーロ」の2009をチョイス。
パワフルなボディの赤で、滑らかな舌触り、フルーティさと微妙なスパイシーさのバランスも良い。
味のレベルを考えれば、コストパフォーマンスも抜群だ。
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予備知識無しで観たので、てっきりマルコ・ベロッキオが川端康成を映画化したのかと思っていたら、ぜんぜん違った。
イタリアで国論を二分した、エルアーナ・エングラーロの尊厳死事件という実話を題材に、三人の「眠れる美女」を巡る、三つの愛の物語が描かれる。
事故で17年間植物状態にあったエルアーナの両親は、娘の尊厳を守るために延命措置の停止を求めたが、自殺を大罪とするカソリックの影響の強いイタリアにあって、彼らは長い裁判を闘わねばならなかった。
ようやく2008年になって最高裁が両親の訴えを認める判決を出したものの、実際に延命措置の停止を行う病院の前には賛成・反対両派のデモ隊が陣取り、国会では保守派のベルルスコーニ首相も、エルアーナの延命措置を続行させる法案の採決を目指していた。
映画は、彼女の生死を巡りイタリアが深く葛藤していた、2009年2月を舞台に展開する。
一つ目の物語は、保守政党に属するウリアーノ・ベルファッディ議員とその娘のマリアの物語。
ウリアーノは妻を尊厳死させた経験があり、自らの信念を曲げてまでエルアーナの延命措置を続行させる法案に賛成票を投じるか迷っている。
一方、マリアは母の死に際しての父の行動に不信感を抱き、逆に延命賛成のデモに参加を決めるのだ。
ここでは、姿なきエルアーナの存在が、父娘の間に横たわる過去の傷を浮かび上がらせるのである。
二つ目は、真面目な医師バリッドと、自殺未遂して昏睡状態に陥る薬物依存症の女ロッサの物語。
彼の務める病院では、同僚の医師たちが患者の治療そっちのけで、エルアーナがいつ死ぬかを賭けの対象にしている。
そんな殺伐とした職場で、バリッドは死に魅せられた一人の患者を救うために、ただ彼女に寄り添う。
最後は、植物状態の娘の看護のために、栄光のキャリアを捨てた伝説的大女優と俳優志望の息子フェデリコの物語。
彼女は娘と同じ境遇のエルアーナの報道に心をかき乱され、ひたすら奇蹟を神に祈り続ける日々を送っている。
女優としての母を崇拝し、彼女からの愛に渇望する息子は、母を振り向かせるためにある行動に出るのだ。
ベロッキオは、エルアーナ事件に対するイタリア社会のあまりに保守的な反応への憤りから、この映画を企画したそうだが、着想から実際に制作するまでに二年かけている。
おそらくは考えに考えて、事実をそのまま映画化するだけでは、描ききれないと判断したのだろう。
ある種のマクガフィンとしてエルアーナの存在が背景にあるものの、それぞれのエピソード間に直接的なつながりは無く、三つの物語が断続的に平行して描かれ、最後まで絡み合う事はない。
この挑戦的な作劇のスタイルは、キャラクターへの安易な感情移入を拒絶し、観客に物語からの一定の距離感をキープさせるのである。
もちろん尊厳死の問題は、宗教的な部分も含む個人の死生観が大きく影響してくるから、これが正しいという結論を出すのは難しい。
本作の三つの物語も、明確なオチがある話は一つもないのだ。
ベロッキオ自身が一番自身の感情に近く描いているのは、やはり議員のウリアーノだろうが、映画そのものは特定のイデオロギーの立場をとらない。
観客は三人の眠れる美女を巡る、人間たちの葛藤とそれぞれの選択を冷静に眺め、自らの心に生じた波紋に対して自問自答する事になるのである。
物語に対して、完全な答えやメッセージを求める人には物足りないかもしれないが、人間を真摯に見つめた重厚なドラマは見応え十分だ。
本筋とは関係ないが、ちょっと面白かったのが、イタリアの議会に精神科医が常駐していて、建物の中に(?)ローマ風呂があるという描写。
議員たちが浴場のモニターで政局を眺めている画は、「テルマエ」っぽくてなかなかシュールだったが、これは本当にあるのだろうか。
カソリックの文化が重要な背景となっている本作だが、キリスト教ではワインはキリストの血に例えられる。
今回は今回は、イタリアはトスカーナからテヌータ・ディ・トリノーロ「レ・クーポレ・ディ・トリノーロ」の2009をチョイス。
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2013年10月08日 (火) | 編集 |
ぼくらのデ・パルマが帰って来た!
久々に鬼才の映像マジック全開の、ウェルメイドなサスペンス映画だ。
舞台となるのは、世界的広告代理店のベルリン支社。
ここを仕切るクリスティーンは、生馬の目を抜くこの業界で若くして成り上がったやり手。
その美貌に群がる男たちを転がし、会社の上層部には実績を猛烈にアピール。
ところが、親密な部下だったイザベルの手柄を横取りしたところ、思いがけず彼女からの手痛い反撃を喰らった事から、二人は熾烈な報復合戦を繰り返す。
そしてある夜、クリスティーンが何者かに惨殺される。
警察は当然イザベルを疑うが、イザベルの部下のレズビアンの女性や、クリスティーンとイザベルに二股をかけていた情夫も含めて人間関係は複雑。
はたして、イザベルは本当にクリスティーンを殺したのか、もし嵌められたなら真犯人は誰かのか?
白と黒のコントラスト、ブロンドに白い衣装のクリスティーンをレイチェル・マクアダムズ、ダークヘアに黒い衣装のイザベルをノオミ・ラパスが演じる。
デ・パルマのサスペンスと言えば「殺しのドレス」のナンシー・アレンや、「ボディ・ダブル」のメラニー・グリフィスら、魅力的なビッチたちが印象深い。
本作では以前ほど直接的ではないものの、セクシャルなイメージがサスペンスと絡み合う彼らしさも健在だ。
何しろ冒頭で、クリスティーンとイザベルが顔を寄せ合ってMacの画面見てるだけの描写すら、何とも言えない官能の香りを漂わせているのだから。
劇中ではバレエ「牧神の午後」が重要な意味を持つが、直接的なモチーフになっているのはバレエの元となったマラルメの詩「半獣神の午後」だろう。
これは半獣神がニンフたちとの目眩くエロスな体験を、はたしてあれは夢現かと思い出している様を描いたもので、物語の内容とも微妙に被っているのだ。
お互いに裏切られた女たちが、「やられたらやり返す!倍返しよ!」と叩きあっているうちにドツボにはまって行き、さらに人を呪わば穴二つとばかりに、予期せぬ落とし穴が待ち構える。
先の読めない展開を彩るのは、悪夢、双子、同性愛、変態セックス、マスクといったミステリアスなスパイス。
そして「私が、生きる肌」などアルモドバル作品で知られるホセ・ルイス・アルカイネの外連味たっぷりのカメラ!
物語がいよいよターニングポイントに差し掛かると、映像もまた登場人物の心象を反映し始める。
光と影が縞の様になった照明、不安感を強調する傾いた構図、スプリットスクリーン。
近年のデ・パルマ映画では、なりを潜めていた凝りに凝ったビジュアルが、ここぞとばかりにスクリーンから主張してくる。
音楽までも懐かしいテイストだなと思ったら、「レイジング・ケイン」以来20年ぶりのタッグとなるピノ・ドナッジオではないか。
サスペンス、ホラーで頭角を現し、一時はヒッチコックの後継者と呼ばれたブライアン・デ・パルマは、「アンタッチャブル」の大成功以降、徐々に軸足をジャンル映画から遠ざけていたが、本作はまるで80年代の再現の様な大胆な原点回帰。
ぶっちゃけB級テイストなのだけど、作劇ロジックもビジュアル演出も、一目でデ・パルマだと分かる押しの強さを見ていると、嘗ての映像の魔術師っぷりを知るオールドファンとしては、なんだかとても嬉しくなってしまうのである。
今回は主役の二人のイメージカラーから、白と黒のカクテル「ブラック・ベルベット」をチョイス。
スタウトビールとキンキンに冷やした辛口のシャンパンを、1:1の割合で静かにゴブレットに注ぐと、スタウトの黒と白い泡の綺麗なモノトーンが出来上がる。
深いコクとシャンパンの爽やかさを併せ持ち、名前の通りベルベットの様にきめ細かい泡の舌触りを楽しめる。
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久々に鬼才の映像マジック全開の、ウェルメイドなサスペンス映画だ。
舞台となるのは、世界的広告代理店のベルリン支社。
ここを仕切るクリスティーンは、生馬の目を抜くこの業界で若くして成り上がったやり手。
その美貌に群がる男たちを転がし、会社の上層部には実績を猛烈にアピール。
ところが、親密な部下だったイザベルの手柄を横取りしたところ、思いがけず彼女からの手痛い反撃を喰らった事から、二人は熾烈な報復合戦を繰り返す。
そしてある夜、クリスティーンが何者かに惨殺される。
警察は当然イザベルを疑うが、イザベルの部下のレズビアンの女性や、クリスティーンとイザベルに二股をかけていた情夫も含めて人間関係は複雑。
はたして、イザベルは本当にクリスティーンを殺したのか、もし嵌められたなら真犯人は誰かのか?
白と黒のコントラスト、ブロンドに白い衣装のクリスティーンをレイチェル・マクアダムズ、ダークヘアに黒い衣装のイザベルをノオミ・ラパスが演じる。
デ・パルマのサスペンスと言えば「殺しのドレス」のナンシー・アレンや、「ボディ・ダブル」のメラニー・グリフィスら、魅力的なビッチたちが印象深い。
本作では以前ほど直接的ではないものの、セクシャルなイメージがサスペンスと絡み合う彼らしさも健在だ。
何しろ冒頭で、クリスティーンとイザベルが顔を寄せ合ってMacの画面見てるだけの描写すら、何とも言えない官能の香りを漂わせているのだから。
劇中ではバレエ「牧神の午後」が重要な意味を持つが、直接的なモチーフになっているのはバレエの元となったマラルメの詩「半獣神の午後」だろう。
これは半獣神がニンフたちとの目眩くエロスな体験を、はたしてあれは夢現かと思い出している様を描いたもので、物語の内容とも微妙に被っているのだ。
お互いに裏切られた女たちが、「やられたらやり返す!倍返しよ!」と叩きあっているうちにドツボにはまって行き、さらに人を呪わば穴二つとばかりに、予期せぬ落とし穴が待ち構える。
先の読めない展開を彩るのは、悪夢、双子、同性愛、変態セックス、マスクといったミステリアスなスパイス。
そして「私が、生きる肌」などアルモドバル作品で知られるホセ・ルイス・アルカイネの外連味たっぷりのカメラ!
物語がいよいよターニングポイントに差し掛かると、映像もまた登場人物の心象を反映し始める。
光と影が縞の様になった照明、不安感を強調する傾いた構図、スプリットスクリーン。
近年のデ・パルマ映画では、なりを潜めていた凝りに凝ったビジュアルが、ここぞとばかりにスクリーンから主張してくる。
音楽までも懐かしいテイストだなと思ったら、「レイジング・ケイン」以来20年ぶりのタッグとなるピノ・ドナッジオではないか。
サスペンス、ホラーで頭角を現し、一時はヒッチコックの後継者と呼ばれたブライアン・デ・パルマは、「アンタッチャブル」の大成功以降、徐々に軸足をジャンル映画から遠ざけていたが、本作はまるで80年代の再現の様な大胆な原点回帰。
ぶっちゃけB級テイストなのだけど、作劇ロジックもビジュアル演出も、一目でデ・パルマだと分かる押しの強さを見ていると、嘗ての映像の魔術師っぷりを知るオールドファンとしては、なんだかとても嬉しくなってしまうのである。
今回は主役の二人のイメージカラーから、白と黒のカクテル「ブラック・ベルベット」をチョイス。
スタウトビールとキンキンに冷やした辛口のシャンパンを、1:1の割合で静かにゴブレットに注ぐと、スタウトの黒と白い泡の綺麗なモノトーンが出来上がる。
深いコクとシャンパンの爽やかさを併せ持ち、名前の通りベルベットの様にきめ細かい泡の舌触りを楽しめる。

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