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2013年10月28日 (月) | 編集 |
壁の向こうに“家族”がいる。
昨年の東京国際映画祭で最高賞の東京サクラグランプリ、監督賞の二冠に輝いた作品が、ようやく劇場一般公開である。
大ヒット中の是枝裕和監督の「そして父になる」と同じ、新生児の取り違えをモチーフとした作品で、時節柄どうしても比較されてしまうが、この二作品は似て非なるもの。
ユダヤ系フランス人のロレーヌ・レビ監督による「もうひとりの息子」が是枝作品と大きく異なるのは二点。
一つは取り違えが発覚した時点で、子供たちがほぼ成人の年齢に達している事。
そしてこの悲劇に見舞われた二つの家族が、イスラエル人とパレスチナ人であるという事だ。
つまり、彼らは民族的には敵同士なのである。
イスラエル、テルアビブ。
この町に住むフランス系ユダヤ人一家シルバーグ家の息子、ヨセフ(ジュール・シトリュク)が兵役検査で健康診断を受ける。
ところがその結果は、ヨセフが両親と生物学的に親子で無いという驚くべきものだった。
母のオリット(エマニュエル・ドゥヴォス)が出産したのはちょうど湾岸戦争の時期で、イラクのミサイルを避けて避難した時、病院のミスで同じ日に生まれた男の子と取り違えてしまったのだ。
そしてオリットの本当の息子は、ヨルダン川西岸に暮らすアル・ベザズ家でヤシン(メディ・デビ)と名付けられ、パレスチナ人として育っている事が分かる。
対立する民族に属し、普段は分離壁で隔てられている二つの家族は、病院の手配で始めて面談する事になるのだが・・・
同じモチーフを扱っていながら、本作の家族が抱える葛藤は、「そして父になる」とは大きく異なる。
二人の子供たちは、5歳の幼児ではなく18歳という大人になりかけの年齢で、突然降りかかるアイデンティティの危機により、彼らの描く人生のグランド・デザインは大きな影響を受けざるを得ない。
ミュージシャン志望のヨセフは、生まれてからずっと信仰してきたユダヤ教のラビに、改めてユダヤ人になるために“改宗”を勧められ、徴兵検査は不合格となる。
国民皆兵のイスラエル社会では、それだけで異端の烙印を押される様なものだ。
一方、留学先のパリで医学の勉強をしているヤシンも、熱烈な民族主義者の兄に「お前は弟じゃない、敵だ」と罵られ、イスラエルへの憎悪が渦巻く西岸地区では、家族もヤシンの本当の出自をひた隠しにするしかない。
彼らの足元で、それまでの人生の基礎に当たる部分が、音を立てて崩れ落ちるのである。
単に子の取り違えというだけでなく、そこに民族対立も絡んでくるから親兄弟の葛藤もまた複雑だ。
豊かなイスラエルの街に暮らし、夫は軍の幹部で妻は医師という中流以上のシルバーグ家と、分離壁によって周りを囲まれ、許可書が無ければ壁を出ることすら出来ないアル・ベザズ家。
夫はエンジニアなのだが、村の外で仕事をする許可が出ないので、自動車の修理の仕事でなんとか生計を立てている。
普通に暮らしていれば、出会うことすら無いであろう両家は、突然民族も宗教もすっ飛ばして“家族”になってしまうのだ。
それでも女たちは、お互いに写真を見せあい、せっかく生んだのにキスすら出来なかった息子の存在を確かめ、交流を深めてゆく。
女たちが本能的にもう一人のわが子を受け入れてゆく一方、男たちが理念に囚われてなかなか現実を見ようとしないのとは対照的だ。
この辺り、「そして父になる」の真木よう子の鋭い台詞を思い出させ、男っていうのはどうやら世界中どこでも一緒なんだなあと苦笑い。
ユダヤ人とパレスチナ人は信じる宗教、言語や文化の違いはあるものの、元々何世紀もの間同じ土地に住み、人種的な差異はほとんど無い。
それ故に、この映画の二つの家族も、18年もの間全く気づくこと無く、取り違えられた子を育てていた訳だ。
はたして人間のアイデンティティを形作るのは、脈々と続いてきた血の繋がりなのか、それとも育った環境なのか。
監督のロレーヌ・レビの一族は、祖父がアウシュビッツでジェノサイドの犠牲となり、父は戦争中レジスタンスとして戦った歴史を持つ。
ユダヤ人迫害の歴史をその血で知るゆえに、フランス社会におけるマイノリティである自らのアイデンティティとルーツに自然と興味を持ったという。
遠い先祖の地で危機に陥った家族の物語を描くに当たって、彼女は現地でイスラエル人とパレスチナ人双方の人々の声を聞き、彼らの現実を物語に取り込んでいったそうだ。
だからだろう、映画は終始対照的な環境にある二つの家族をバランス良く描き、物語を地球上のどこでも理解される普遍的価値観に落とし込む。
異なる立場で同じ葛藤を抱えた二人の息子、ヨセフとヤシンはお互いの文化や生活を知ることで打ち解けて、何時しか本音を語り合う本当の兄弟の様になってゆく。
パーティーに行くためにドレスアップした二人が鏡の前に立った時、ヤシンは「見ろよ、イサクとイシュマエルだ」とつぶやく。
旧約聖書に登場するアブラハムの二人の息子、異母兄弟のイサクとイシュマエルはやがて異なる道を歩み、イサクはユダヤ人の太祖となり、イシュマエルはパレスチナ人を含む全てのアラブ人の始祖となった。
対立し憎み合う二つの民族も、元を辿れば同根。
図らずもお互いの人生をスワップしてしまったヨセフとヤシンは、それぞれが異なる宗教で信仰する神の見えざる手によって邂逅した、アブラハムの子たちなのかも知れない。
本作の場合、「そして父になる」と異なり、二つの家族の選択は最初から決まっていると言っても良いだろう。
18歳の青年が、それまでの人生を全て捨て、言葉も宗教も文化も異なるアイデンティティを選ぶことは現実的にはまずあり得まい。
取り違えの発覚は、彼らにとっては己が居場所を探す試練となったが、真実を知った後もヨセフは変わらずミュージシャンを目指して先に進むだろうし、ヤシンもまたパリへ戻って医学の勉強を続け、いつかは故郷の西岸に病院を建てるのかも知れない。
二人の親兄弟もまた、事態が落ち着けば再びありふれた日常へと戻ってゆくのだと思う。
ただ一つ、それまでと永遠に違うのは、壁の向こう側には“敵”ではなく“家族”がいるという事実。
喧嘩で傷ついたヨセフが「僕が死んだら、葬式はユダヤ式かイスラム式か」と自虐的なジョークを飛ばすと、民族主義者のヤシンの兄が「何を言っているんだ、命があってよかった、神に感謝しよう」と呼びかける。
家族のための祈りにユダヤもイスラムも無く、そこに小さな希望が見える。
イサクとイシュマエルの子孫は、数奇な運命を経て再び家族となったのである。
ユダヤ教とイスラム教は共にお酒の扱いには厳格だが、地中海気候のイスラエルはワインどころでもある。
今回はゴラン・ハイツ・ワイナリーの「ヤルデン シャルドネ」の2012をチョイス。
やや若いがしっかりとしたボディのドライな白で、洋梨やレモンの果実香、コストパフォーマンスも非常に高い。
来年、再来年辺りが飲み頃かもしれない。
このワイナリーのあるゴラン高原も、中東戦争以来の長年の係争地。
かの地に早く恒久的な平和が訪れる様に祈ろう。
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昨年の東京国際映画祭で最高賞の東京サクラグランプリ、監督賞の二冠に輝いた作品が、ようやく劇場一般公開である。
大ヒット中の是枝裕和監督の「そして父になる」と同じ、新生児の取り違えをモチーフとした作品で、時節柄どうしても比較されてしまうが、この二作品は似て非なるもの。
ユダヤ系フランス人のロレーヌ・レビ監督による「もうひとりの息子」が是枝作品と大きく異なるのは二点。
一つは取り違えが発覚した時点で、子供たちがほぼ成人の年齢に達している事。
そしてこの悲劇に見舞われた二つの家族が、イスラエル人とパレスチナ人であるという事だ。
つまり、彼らは民族的には敵同士なのである。
イスラエル、テルアビブ。
この町に住むフランス系ユダヤ人一家シルバーグ家の息子、ヨセフ(ジュール・シトリュク)が兵役検査で健康診断を受ける。
ところがその結果は、ヨセフが両親と生物学的に親子で無いという驚くべきものだった。
母のオリット(エマニュエル・ドゥヴォス)が出産したのはちょうど湾岸戦争の時期で、イラクのミサイルを避けて避難した時、病院のミスで同じ日に生まれた男の子と取り違えてしまったのだ。
そしてオリットの本当の息子は、ヨルダン川西岸に暮らすアル・ベザズ家でヤシン(メディ・デビ)と名付けられ、パレスチナ人として育っている事が分かる。
対立する民族に属し、普段は分離壁で隔てられている二つの家族は、病院の手配で始めて面談する事になるのだが・・・
同じモチーフを扱っていながら、本作の家族が抱える葛藤は、「そして父になる」とは大きく異なる。
二人の子供たちは、5歳の幼児ではなく18歳という大人になりかけの年齢で、突然降りかかるアイデンティティの危機により、彼らの描く人生のグランド・デザインは大きな影響を受けざるを得ない。
ミュージシャン志望のヨセフは、生まれてからずっと信仰してきたユダヤ教のラビに、改めてユダヤ人になるために“改宗”を勧められ、徴兵検査は不合格となる。
国民皆兵のイスラエル社会では、それだけで異端の烙印を押される様なものだ。
一方、留学先のパリで医学の勉強をしているヤシンも、熱烈な民族主義者の兄に「お前は弟じゃない、敵だ」と罵られ、イスラエルへの憎悪が渦巻く西岸地区では、家族もヤシンの本当の出自をひた隠しにするしかない。
彼らの足元で、それまでの人生の基礎に当たる部分が、音を立てて崩れ落ちるのである。
単に子の取り違えというだけでなく、そこに民族対立も絡んでくるから親兄弟の葛藤もまた複雑だ。
豊かなイスラエルの街に暮らし、夫は軍の幹部で妻は医師という中流以上のシルバーグ家と、分離壁によって周りを囲まれ、許可書が無ければ壁を出ることすら出来ないアル・ベザズ家。
夫はエンジニアなのだが、村の外で仕事をする許可が出ないので、自動車の修理の仕事でなんとか生計を立てている。
普通に暮らしていれば、出会うことすら無いであろう両家は、突然民族も宗教もすっ飛ばして“家族”になってしまうのだ。
それでも女たちは、お互いに写真を見せあい、せっかく生んだのにキスすら出来なかった息子の存在を確かめ、交流を深めてゆく。
女たちが本能的にもう一人のわが子を受け入れてゆく一方、男たちが理念に囚われてなかなか現実を見ようとしないのとは対照的だ。
この辺り、「そして父になる」の真木よう子の鋭い台詞を思い出させ、男っていうのはどうやら世界中どこでも一緒なんだなあと苦笑い。
ユダヤ人とパレスチナ人は信じる宗教、言語や文化の違いはあるものの、元々何世紀もの間同じ土地に住み、人種的な差異はほとんど無い。
それ故に、この映画の二つの家族も、18年もの間全く気づくこと無く、取り違えられた子を育てていた訳だ。
はたして人間のアイデンティティを形作るのは、脈々と続いてきた血の繋がりなのか、それとも育った環境なのか。
監督のロレーヌ・レビの一族は、祖父がアウシュビッツでジェノサイドの犠牲となり、父は戦争中レジスタンスとして戦った歴史を持つ。
ユダヤ人迫害の歴史をその血で知るゆえに、フランス社会におけるマイノリティである自らのアイデンティティとルーツに自然と興味を持ったという。
遠い先祖の地で危機に陥った家族の物語を描くに当たって、彼女は現地でイスラエル人とパレスチナ人双方の人々の声を聞き、彼らの現実を物語に取り込んでいったそうだ。
だからだろう、映画は終始対照的な環境にある二つの家族をバランス良く描き、物語を地球上のどこでも理解される普遍的価値観に落とし込む。
異なる立場で同じ葛藤を抱えた二人の息子、ヨセフとヤシンはお互いの文化や生活を知ることで打ち解けて、何時しか本音を語り合う本当の兄弟の様になってゆく。
パーティーに行くためにドレスアップした二人が鏡の前に立った時、ヤシンは「見ろよ、イサクとイシュマエルだ」とつぶやく。
旧約聖書に登場するアブラハムの二人の息子、異母兄弟のイサクとイシュマエルはやがて異なる道を歩み、イサクはユダヤ人の太祖となり、イシュマエルはパレスチナ人を含む全てのアラブ人の始祖となった。
対立し憎み合う二つの民族も、元を辿れば同根。
図らずもお互いの人生をスワップしてしまったヨセフとヤシンは、それぞれが異なる宗教で信仰する神の見えざる手によって邂逅した、アブラハムの子たちなのかも知れない。
本作の場合、「そして父になる」と異なり、二つの家族の選択は最初から決まっていると言っても良いだろう。
18歳の青年が、それまでの人生を全て捨て、言葉も宗教も文化も異なるアイデンティティを選ぶことは現実的にはまずあり得まい。
取り違えの発覚は、彼らにとっては己が居場所を探す試練となったが、真実を知った後もヨセフは変わらずミュージシャンを目指して先に進むだろうし、ヤシンもまたパリへ戻って医学の勉強を続け、いつかは故郷の西岸に病院を建てるのかも知れない。
二人の親兄弟もまた、事態が落ち着けば再びありふれた日常へと戻ってゆくのだと思う。
ただ一つ、それまでと永遠に違うのは、壁の向こう側には“敵”ではなく“家族”がいるという事実。
喧嘩で傷ついたヨセフが「僕が死んだら、葬式はユダヤ式かイスラム式か」と自虐的なジョークを飛ばすと、民族主義者のヤシンの兄が「何を言っているんだ、命があってよかった、神に感謝しよう」と呼びかける。
家族のための祈りにユダヤもイスラムも無く、そこに小さな希望が見える。
イサクとイシュマエルの子孫は、数奇な運命を経て再び家族となったのである。
ユダヤ教とイスラム教は共にお酒の扱いには厳格だが、地中海気候のイスラエルはワインどころでもある。
今回はゴラン・ハイツ・ワイナリーの「ヤルデン シャルドネ」の2012をチョイス。
やや若いがしっかりとしたボディのドライな白で、洋梨やレモンの果実香、コストパフォーマンスも非常に高い。
来年、再来年辺りが飲み頃かもしれない。
このワイナリーのあるゴラン高原も、中東戦争以来の長年の係争地。
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