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2013年11月19日 (火) | 編集 |
王国の支配者は誰か?
癌に倒れた父の最期の日々を追った「エンディングノート」で注目された、若きドキュメンタリスト、砂田麻美監督が、「風立ちぬ」の制作が佳境を迎えた2012年秋から今夏の引退会見後までの一年間に渡って、宮崎駿に密着取材したドキュメンタリー。
ジブリの裏側を描いた作品は、映画の公開前後にテレビでも沢山放送されたが、本作は所謂メイキングとは趣が異なる。
建物からして異世界感覚満載の、スタジオジブリに迷い込んだ作者が、好奇心の目を開いて描き出すもの。
それは創造の夢にとり憑かれ、自らの内面の矛盾に葛藤する巨匠と、彼に関わる人々を巡る人間ドラマである。
砂田監督は同じ映画作家として、偉大な先輩でもある宮崎駿に大いなる尊敬と共感と興味を隠そうとせず、巨匠もまた他ではあまり見たことの無い本音トークで答える。
「風立ちぬ」は、おそらく宮崎駿が最後にして初めて、自己矛盾に対して向き合い、呪われた夢に一定の答えを出した作品だが、本作を観るとその根底にあるものが更に深く感じ取れるのは確かだろう。
しかし、宮崎作品によって世界で最も有名なアニメーションスタジオの一つとなった、スタジオジブリの未来は、決して順風満帆とは言い難い。
本作のポスターに並ぶのは宮崎駿、鈴木敏夫、そして高畑勲というジブリの創立メンバー三人である。
すっかり白髪となった今の彼らと比較する様に、砂田監督は80年代の創立当時やそれ以前の若き日の映像を挟み込む。
今年2013年は、実は「となりのトトロ」と「火垂の墓」が二本立て公開されてからちょうど四半世紀の節目の年であり、ほぼ一世代が経過した事になる。
数々の偉大な仕事を成し遂げ、アニメーション映画史を永遠に変えた彼らはもう若くない。
これから実際にどうなるかは分からないが、72歳の宮崎駿は引退表明し、78歳の高畑勲もその制作ペースから考えて、これから長編を作るのは難しいかもしれない。
大プロデューサー鈴木敏夫だって、もう65歳だ。
宮崎駿は「スタジオの将来?それはもう立ち行かなくなりますよ」と辛らつに言い放つ。
ポスト宮崎・高畑の時代にジブリというブランドはどうなるのだろう?と、皆がなんとなく思っていた事を、本人もやっぱりそう感じていた訳だ。
その言葉を受けた砂田監督は、後を託されたというよりもオヤジ世代に巻き込まれたと言った方が良いかも知れない宮崎吾朗、「かぐや姫の物語」の担当として過去8年間に渡って高畑勲と向き合った西村義明プロデューサーら若手スタッフの葛藤にも冷静な目を向ける。
宮崎駿のいわば愛弟子だが、ジブリという器の外で育ち、「エヴァンゲリヲン」という大輪の華を咲かせた、庵野秀明との奇妙な距離感も面白い。
そして、単にアニメーションスタジオとしてではなく、日本という巨大な共同体の一部としてのジブリ。
鈴木敏夫は「自由にモノが作れた時代は宮崎・高畑の時代で終わり」と言う。
民法のみならずNHKですら、作品内容に制約が多くなっていて、きな臭さを増す社会の大勢の意に沿わない作品は作りにくい世の中になりつつある。
元々高畑勲は東映動画の労組副委員長、宮崎駿は書記長出身というバリバリの左派であり、ジブリの社内には「NO 原発」の標語が張られる。
そんな人々や会社が居場所を失う時代が、もうすぐやってくるのかもしれない。
が、これからの日本社会の荒波に立ち向かうのは、言いたいことは言い尽くし、今去ろうとしている宮崎世代では無いのだろう。
彼の言葉からは、もどかしい想いと同時に、自分がどう抗おうとも、結局は次の世代の課題だという突き放しも感じるのである。
面白いのは、宮崎駿というエキセントリックな天才をフィーチャーすればするほど、画面にほとんど登場せず、まるで謎のカリスマの様な扱いの高畑勲の存在感が増してくる事だ。
作中、西村義明は言う。
「高畑勲が常に何かをはじめる」
それは1968年に封切られた、彼の長編監督デビュー作、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から始まる歴史を振り返ればよくわかる。
アイヌユーカラを元にした人形劇、「チキサニの太陽を」を原作とするこの作品は、厳しい自然の元で生きる少年ホルスが、自らの過酷な運命と闘いながら、重大な秘密を抱えるヒロインのヒルダや村人たちと力を合わせて、悪魔グルンワルドを倒すまでを描いた異世界ファンタジーだ。
様々な意味で、日本アニメーション史における重要なターニングポイントとなったこの映画を今観ると、キャラクター造形やテーマ性、世界観など、私たちの感じる“ジブリ的なるもの=宮崎駿的なるもの”のイメージが全て備わっている事に気付く。
ホルスは宮崎駿が場面設計・美術設計担当のメインスタッフとして初めて本格的に関わり、同時にその恐るべき才能を最大限発揮した作品だが、もちろん監督は高畑勲である。
誤解を恐れずに言えば、生涯一アニメーターを自認する宮崎駿の原点は「ホルス」で、彼は50年間ずっとその延長線上でぶれていない。
私たちの知っているジブリ的なるイメージは、ぶっちゃけると高畑勲が基礎を作り、宮崎駿がそこに建て、長年改築を続けてきた家の様なものだ。
もちろんそれはすばらしい仕事なのだが、一方の高畑勲は最初に建てた家などには目もくれず、次々と全く新しいコンセプトの家を建て続けているのである。
それは単に見た目でわかる作品のスタイルという事だけではなく、映像制作の技法からプロダクションの方法論にいたるまで多岐に渡る。
例えば実写映画を作る時は、事前にロケ地を調査するロケーションハンティングが行われるが、現在ではアニメーションでも現実世界の話はもちろん、架空の世界が舞台でもモデルとなる土地に出向いてロケハンするのは普通の事だ。
作中で鈴木敏夫も言っていたが、私の知る限りでも、日本のアニメで初めて本格的な長期ロケハンを行ったのは、「アルプスの少女ハイジ」のプリプロダクション時が最初だと思う。
今では、アニメの舞台となった実際の土地をファンが訪れる“聖地巡礼”などという言葉もあるが、徹底的にホンモノを調べ上げ、アニメーションという絵の中に閉じ込めたのは高畑勲がパイオニアなのである。
また、声と俳優の表情を先に録音・録画するプレスコ手法にこだわり、徹底的な演技のリアリズムを追求したり、世界の度肝を抜いた「となりの山田くん」でのデジタルツールを使いながら水彩の様な映像、そして実に8年の歳月を費やしたという「かぐや姫の物語」に至る78歳の今もなお、常に新しい何かを追い続けている。
だが、しばしば暴走気味に独自の世界に拘る結果問題も多く、予算と時間不足の「ホルス」では見せ場の多くが静止画フィニッシュになってしまい、「火垂るの墓」の時は封切に完成が間に合わず、一部のシーンが未彩色の線画のまま公開された。
「かぐや姫の物語」も当初「風立ちぬ」と同時公開の予定が、遅れに遅れて11月に先送りされたのは本作中にあるとおり。
変幻自在ゆえに知名度や興行実績では大きな差が出来てしまったものの、宮崎駿を最初に大抜擢したのは高畑勲であり、出版人だった鈴木敏夫に映画のノウハウを教えたのも彼。
結果的に今のジブリを描けば、そのバックボーンたる高畑勲の存在を感じざるを得ないという事だろう。
もちろん誰にでも二面性はあるだろうし、モノ作りに携わる人間など皆どこかに夢と狂気を両方宿している。
しかし良い意味でストレートで、面白さも欠点もわかりやすい宮崎駿が、本作のタイトルが言うところのジブリの“夢”を象徴する人物だとすれば、誰も観た事のないもの、言い換えれば出来上がるまでは誰にもその魅力が理解できないものを作り続ける高畑勲こそは、ジブリの真の“狂気”なのかも知れない。
「夢と狂気の王国」は、基本的に宮崎駿と「風立ちぬ」巡る人々とその歴史を描いたドキュメンタリーだが、観終わって最後に強い印象を残すのは、意外にもほとんど画面に登場しないが、全ての人々に影響を与え、彼らの創作の原点となっている高畑勲の影だった。
今週末にはいよいよ「かぐや姫の物語」が公開されるし、まさかこれもジブリ一流のマーケティングの結果ではないだろうが、何とも不思議な印象の映画である。
ジブリ作品にたびたび出演する猫キャラクターのモデル(?)である、スタジオ猫の牛柄のウシさんがとても可愛く、癒されたのを付け加えておく。
辛口な言葉も多い宮崎駿。
今回はジブリからもそれほど遠くない東京都青梅市の地酒、小澤酒造の「澤乃井 純米 大辛口」をチョイス。
純米酒の柔らかさを持ちながら、キリッと引き締まった辛口の味わい。
この蔵の大辛口には本醸造もあるのだけど、そちらはちょいキレキレすぎる。
食事と一緒に味わいを楽しむなら、日本酒らしい旨味の強いこちらの純米バージョンがお勧めだ。
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癌に倒れた父の最期の日々を追った「エンディングノート」で注目された、若きドキュメンタリスト、砂田麻美監督が、「風立ちぬ」の制作が佳境を迎えた2012年秋から今夏の引退会見後までの一年間に渡って、宮崎駿に密着取材したドキュメンタリー。
ジブリの裏側を描いた作品は、映画の公開前後にテレビでも沢山放送されたが、本作は所謂メイキングとは趣が異なる。
建物からして異世界感覚満載の、スタジオジブリに迷い込んだ作者が、好奇心の目を開いて描き出すもの。
それは創造の夢にとり憑かれ、自らの内面の矛盾に葛藤する巨匠と、彼に関わる人々を巡る人間ドラマである。
砂田監督は同じ映画作家として、偉大な先輩でもある宮崎駿に大いなる尊敬と共感と興味を隠そうとせず、巨匠もまた他ではあまり見たことの無い本音トークで答える。
「風立ちぬ」は、おそらく宮崎駿が最後にして初めて、自己矛盾に対して向き合い、呪われた夢に一定の答えを出した作品だが、本作を観るとその根底にあるものが更に深く感じ取れるのは確かだろう。
しかし、宮崎作品によって世界で最も有名なアニメーションスタジオの一つとなった、スタジオジブリの未来は、決して順風満帆とは言い難い。
本作のポスターに並ぶのは宮崎駿、鈴木敏夫、そして高畑勲というジブリの創立メンバー三人である。
すっかり白髪となった今の彼らと比較する様に、砂田監督は80年代の創立当時やそれ以前の若き日の映像を挟み込む。
今年2013年は、実は「となりのトトロ」と「火垂の墓」が二本立て公開されてからちょうど四半世紀の節目の年であり、ほぼ一世代が経過した事になる。
数々の偉大な仕事を成し遂げ、アニメーション映画史を永遠に変えた彼らはもう若くない。
これから実際にどうなるかは分からないが、72歳の宮崎駿は引退表明し、78歳の高畑勲もその制作ペースから考えて、これから長編を作るのは難しいかもしれない。
大プロデューサー鈴木敏夫だって、もう65歳だ。
宮崎駿は「スタジオの将来?それはもう立ち行かなくなりますよ」と辛らつに言い放つ。
ポスト宮崎・高畑の時代にジブリというブランドはどうなるのだろう?と、皆がなんとなく思っていた事を、本人もやっぱりそう感じていた訳だ。
その言葉を受けた砂田監督は、後を託されたというよりもオヤジ世代に巻き込まれたと言った方が良いかも知れない宮崎吾朗、「かぐや姫の物語」の担当として過去8年間に渡って高畑勲と向き合った西村義明プロデューサーら若手スタッフの葛藤にも冷静な目を向ける。
宮崎駿のいわば愛弟子だが、ジブリという器の外で育ち、「エヴァンゲリヲン」という大輪の華を咲かせた、庵野秀明との奇妙な距離感も面白い。
そして、単にアニメーションスタジオとしてではなく、日本という巨大な共同体の一部としてのジブリ。
鈴木敏夫は「自由にモノが作れた時代は宮崎・高畑の時代で終わり」と言う。
民法のみならずNHKですら、作品内容に制約が多くなっていて、きな臭さを増す社会の大勢の意に沿わない作品は作りにくい世の中になりつつある。
元々高畑勲は東映動画の労組副委員長、宮崎駿は書記長出身というバリバリの左派であり、ジブリの社内には「NO 原発」の標語が張られる。
そんな人々や会社が居場所を失う時代が、もうすぐやってくるのかもしれない。
が、これからの日本社会の荒波に立ち向かうのは、言いたいことは言い尽くし、今去ろうとしている宮崎世代では無いのだろう。
彼の言葉からは、もどかしい想いと同時に、自分がどう抗おうとも、結局は次の世代の課題だという突き放しも感じるのである。
面白いのは、宮崎駿というエキセントリックな天才をフィーチャーすればするほど、画面にほとんど登場せず、まるで謎のカリスマの様な扱いの高畑勲の存在感が増してくる事だ。
作中、西村義明は言う。
「高畑勲が常に何かをはじめる」
それは1968年に封切られた、彼の長編監督デビュー作、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から始まる歴史を振り返ればよくわかる。
アイヌユーカラを元にした人形劇、「チキサニの太陽を」を原作とするこの作品は、厳しい自然の元で生きる少年ホルスが、自らの過酷な運命と闘いながら、重大な秘密を抱えるヒロインのヒルダや村人たちと力を合わせて、悪魔グルンワルドを倒すまでを描いた異世界ファンタジーだ。
様々な意味で、日本アニメーション史における重要なターニングポイントとなったこの映画を今観ると、キャラクター造形やテーマ性、世界観など、私たちの感じる“ジブリ的なるもの=宮崎駿的なるもの”のイメージが全て備わっている事に気付く。
ホルスは宮崎駿が場面設計・美術設計担当のメインスタッフとして初めて本格的に関わり、同時にその恐るべき才能を最大限発揮した作品だが、もちろん監督は高畑勲である。
誤解を恐れずに言えば、生涯一アニメーターを自認する宮崎駿の原点は「ホルス」で、彼は50年間ずっとその延長線上でぶれていない。
私たちの知っているジブリ的なるイメージは、ぶっちゃけると高畑勲が基礎を作り、宮崎駿がそこに建て、長年改築を続けてきた家の様なものだ。
もちろんそれはすばらしい仕事なのだが、一方の高畑勲は最初に建てた家などには目もくれず、次々と全く新しいコンセプトの家を建て続けているのである。
それは単に見た目でわかる作品のスタイルという事だけではなく、映像制作の技法からプロダクションの方法論にいたるまで多岐に渡る。
例えば実写映画を作る時は、事前にロケ地を調査するロケーションハンティングが行われるが、現在ではアニメーションでも現実世界の話はもちろん、架空の世界が舞台でもモデルとなる土地に出向いてロケハンするのは普通の事だ。
作中で鈴木敏夫も言っていたが、私の知る限りでも、日本のアニメで初めて本格的な長期ロケハンを行ったのは、「アルプスの少女ハイジ」のプリプロダクション時が最初だと思う。
今では、アニメの舞台となった実際の土地をファンが訪れる“聖地巡礼”などという言葉もあるが、徹底的にホンモノを調べ上げ、アニメーションという絵の中に閉じ込めたのは高畑勲がパイオニアなのである。
また、声と俳優の表情を先に録音・録画するプレスコ手法にこだわり、徹底的な演技のリアリズムを追求したり、世界の度肝を抜いた「となりの山田くん」でのデジタルツールを使いながら水彩の様な映像、そして実に8年の歳月を費やしたという「かぐや姫の物語」に至る78歳の今もなお、常に新しい何かを追い続けている。
だが、しばしば暴走気味に独自の世界に拘る結果問題も多く、予算と時間不足の「ホルス」では見せ場の多くが静止画フィニッシュになってしまい、「火垂るの墓」の時は封切に完成が間に合わず、一部のシーンが未彩色の線画のまま公開された。
「かぐや姫の物語」も当初「風立ちぬ」と同時公開の予定が、遅れに遅れて11月に先送りされたのは本作中にあるとおり。
変幻自在ゆえに知名度や興行実績では大きな差が出来てしまったものの、宮崎駿を最初に大抜擢したのは高畑勲であり、出版人だった鈴木敏夫に映画のノウハウを教えたのも彼。
結果的に今のジブリを描けば、そのバックボーンたる高畑勲の存在を感じざるを得ないという事だろう。
もちろん誰にでも二面性はあるだろうし、モノ作りに携わる人間など皆どこかに夢と狂気を両方宿している。
しかし良い意味でストレートで、面白さも欠点もわかりやすい宮崎駿が、本作のタイトルが言うところのジブリの“夢”を象徴する人物だとすれば、誰も観た事のないもの、言い換えれば出来上がるまでは誰にもその魅力が理解できないものを作り続ける高畑勲こそは、ジブリの真の“狂気”なのかも知れない。
「夢と狂気の王国」は、基本的に宮崎駿と「風立ちぬ」巡る人々とその歴史を描いたドキュメンタリーだが、観終わって最後に強い印象を残すのは、意外にもほとんど画面に登場しないが、全ての人々に影響を与え、彼らの創作の原点となっている高畑勲の影だった。
今週末にはいよいよ「かぐや姫の物語」が公開されるし、まさかこれもジブリ一流のマーケティングの結果ではないだろうが、何とも不思議な印象の映画である。
ジブリ作品にたびたび出演する猫キャラクターのモデル(?)である、スタジオ猫の牛柄のウシさんがとても可愛く、癒されたのを付け加えておく。
辛口な言葉も多い宮崎駿。
今回はジブリからもそれほど遠くない東京都青梅市の地酒、小澤酒造の「澤乃井 純米 大辛口」をチョイス。
純米酒の柔らかさを持ちながら、キリッと引き締まった辛口の味わい。
この蔵の大辛口には本醸造もあるのだけど、そちらはちょいキレキレすぎる。
食事と一緒に味わいを楽しむなら、日本酒らしい旨味の強いこちらの純米バージョンがお勧めだ。

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