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2013年11月29日 (金) | 編集 |
おじいちゃんが、伝えたかった事。
これは愛すべき映画である。
1960年代の高度成長期、当時の西ドイツに移り住んだトルコ人のイルマズ家。
ほぼ半世紀の時が経ち、主のフセインはすっかりドイツ化した一族を連れて、遥かトルコ内陸部の故郷への旅に出る。
監督はトルコ系ドイツ人のヤセミン・サムデレリ。
実妹ネスリンと共に、自らの家族の体験を元に書き下ろしたオリジナル脚本は、二つの国と二つの文化に生きる移民家族の過去と今をユーモアたっぷりに描き出す。
おそらくはサムデレリ姉妹自身がモデルであろう、孫娘のチャナンの目線で語られる物語は、ニュートラルでありながら、家族のルーツたるトルコの魂に深い愛着を感じさせる。
現在のドイツでは、人口の1/5強を外国人、または外国出身者が占めると言う。
その先がけと成ったのが、第二次世界大戦の惨禍からの急速な復興期を支えたトルコ人たちだ。
チャナンが愛情たっぷりに語る物語の主人公、フセインは100万と1人目の移民労働者としてドイツへとやってくる。
やがて少しずつ蓄えを作ったフセインは、妻のファトマと三人の子供たちを呼び寄せ、一家でドイツで暮らし始めるのだ。
彼らはトルコの中でも、イスタンブールなどヨーロッパに近い都会ではなく、大陸深部の貧しいアナトリア地方の出。
当然ドイツ語など話せる訳も無く、全く異なる生活習慣から移民当初はトラブルの連続。
映画は、カルチャーショックから最初は戸惑いばかりだった一家が、徐々にドイツ化してゆく様を、適度に漫画チックにカリカチュアし、シニカルな笑いに包み込む。
そして現在。
トルコからやって来た子供たちと、ドイツで生まれた子や孫も含めて、三世代にまで広がったイルマズ家は、大きな転換期を迎えている。
フセインはファトマに引き摺られる様にして、しぶしぶながらドイツ国籍を取得。
チャナンはイギリス人の恋人と付き合っているが、妊娠してしまった事を家族に言い出せずにいる。
息子たちはそれぞれ失業や離婚の危機にあり、ドイツ人と結婚した三男の孫のチェンクは、学校で阻害されて自分はドイツ人なのかトルコ人なのかと悩む。
そんな時にフセインは、唐突に故郷の村に別荘を買ったと言い出すのだ。
彼はアイデンティティが薄れ、バラバラになろうとしている家族をもう一度一つにするために、故郷への長い旅に皆を連れ出すのである。
ドイツから遥か3000キロ、黄色いマイクロバスに乗って小アジアの奥地を目指すイルマズ一家。
大家族の中で、移民一世のフセイン、二世のチャナン、そして三世のチェンクという、世代も文化も違う三人でトライアングルを構成したのが上手い。
性格的に似たもの同士のフセインとチャナンの絆と家族への想い、そしてバスの中でチャナンがチェンクに語り聞かせる一族の“むかし話”を二つのコアに、それぞれの葛藤の解消へと向けてバスは走る。
それは、心のより所としての家族を再確認する時間であり、薄れながらも皆の心の奥底にあるトルコの血というアイデンティティを、肌で感じる経験でもある。
そして、旅の間に自分自身の内面と向き合った、家族それぞれが下す人生の決断。
移民問題という極めて社会的な題材を扱いながら、インサイダーとしてパーソナルで普遍的な家族の物語に落とし込み、ペーソス漂う賑やかな人情喜劇として仕上げたサムデレリ姉妹の手腕は見事。
主人公のフセインを演じるヴェダット・エリンチンをはじめ、個性たっぷりの俳優陣も好演している。
一家の旅を見届けた観客は、最後に出てくるこんな言葉に、深い共鳴を覚えるだろう。
「労働力を呼んだはずだが、やって来たのは人間だった」
その通り。“労働力”なんて生物はこの地球に存在しないのだ。
イルマズ家は、もうすぐ四世代になる。
生まれてくる子供も、きっといつかおじいちゃんの家を訪ねるに違いない。
今回は、トルコの酒「イエニ ラク」をチョイス。
ラクはブドウのエキスとアニスから作られる蒸留酒で、水で割ると白く濁る事から、トルコでは「ライオンのミルク」とも言われる。
香草を使ったお酒に共通するが、独特の香りが強いので、好みははっきりと別れるだろうが、人によってはクセになる。
水割りのラクと水だけのグラスを用意し、両方を交互に口に含んで、口内で更に割る様にするのが現地の飲み方らしい。
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これは愛すべき映画である。
1960年代の高度成長期、当時の西ドイツに移り住んだトルコ人のイルマズ家。
ほぼ半世紀の時が経ち、主のフセインはすっかりドイツ化した一族を連れて、遥かトルコ内陸部の故郷への旅に出る。
監督はトルコ系ドイツ人のヤセミン・サムデレリ。
実妹ネスリンと共に、自らの家族の体験を元に書き下ろしたオリジナル脚本は、二つの国と二つの文化に生きる移民家族の過去と今をユーモアたっぷりに描き出す。
おそらくはサムデレリ姉妹自身がモデルであろう、孫娘のチャナンの目線で語られる物語は、ニュートラルでありながら、家族のルーツたるトルコの魂に深い愛着を感じさせる。
現在のドイツでは、人口の1/5強を外国人、または外国出身者が占めると言う。
その先がけと成ったのが、第二次世界大戦の惨禍からの急速な復興期を支えたトルコ人たちだ。
チャナンが愛情たっぷりに語る物語の主人公、フセインは100万と1人目の移民労働者としてドイツへとやってくる。
やがて少しずつ蓄えを作ったフセインは、妻のファトマと三人の子供たちを呼び寄せ、一家でドイツで暮らし始めるのだ。
彼らはトルコの中でも、イスタンブールなどヨーロッパに近い都会ではなく、大陸深部の貧しいアナトリア地方の出。
当然ドイツ語など話せる訳も無く、全く異なる生活習慣から移民当初はトラブルの連続。
映画は、カルチャーショックから最初は戸惑いばかりだった一家が、徐々にドイツ化してゆく様を、適度に漫画チックにカリカチュアし、シニカルな笑いに包み込む。
そして現在。
トルコからやって来た子供たちと、ドイツで生まれた子や孫も含めて、三世代にまで広がったイルマズ家は、大きな転換期を迎えている。
フセインはファトマに引き摺られる様にして、しぶしぶながらドイツ国籍を取得。
チャナンはイギリス人の恋人と付き合っているが、妊娠してしまった事を家族に言い出せずにいる。
息子たちはそれぞれ失業や離婚の危機にあり、ドイツ人と結婚した三男の孫のチェンクは、学校で阻害されて自分はドイツ人なのかトルコ人なのかと悩む。
そんな時にフセインは、唐突に故郷の村に別荘を買ったと言い出すのだ。
彼はアイデンティティが薄れ、バラバラになろうとしている家族をもう一度一つにするために、故郷への長い旅に皆を連れ出すのである。
ドイツから遥か3000キロ、黄色いマイクロバスに乗って小アジアの奥地を目指すイルマズ一家。
大家族の中で、移民一世のフセイン、二世のチャナン、そして三世のチェンクという、世代も文化も違う三人でトライアングルを構成したのが上手い。
性格的に似たもの同士のフセインとチャナンの絆と家族への想い、そしてバスの中でチャナンがチェンクに語り聞かせる一族の“むかし話”を二つのコアに、それぞれの葛藤の解消へと向けてバスは走る。
それは、心のより所としての家族を再確認する時間であり、薄れながらも皆の心の奥底にあるトルコの血というアイデンティティを、肌で感じる経験でもある。
そして、旅の間に自分自身の内面と向き合った、家族それぞれが下す人生の決断。
移民問題という極めて社会的な題材を扱いながら、インサイダーとしてパーソナルで普遍的な家族の物語に落とし込み、ペーソス漂う賑やかな人情喜劇として仕上げたサムデレリ姉妹の手腕は見事。
主人公のフセインを演じるヴェダット・エリンチンをはじめ、個性たっぷりの俳優陣も好演している。
一家の旅を見届けた観客は、最後に出てくるこんな言葉に、深い共鳴を覚えるだろう。
「労働力を呼んだはずだが、やって来たのは人間だった」
その通り。“労働力”なんて生物はこの地球に存在しないのだ。
イルマズ家は、もうすぐ四世代になる。
生まれてくる子供も、きっといつかおじいちゃんの家を訪ねるに違いない。
今回は、トルコの酒「イエニ ラク」をチョイス。
ラクはブドウのエキスとアニスから作られる蒸留酒で、水で割ると白く濁る事から、トルコでは「ライオンのミルク」とも言われる。
香草を使ったお酒に共通するが、独特の香りが強いので、好みははっきりと別れるだろうが、人によってはクセになる。
水割りのラクと水だけのグラスを用意し、両方を交互に口に含んで、口内で更に割る様にするのが現地の飲み方らしい。

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![]() イエニラク イエニ ラキ トルコ アニス リキュール種類【トルコのお酒】 イエニ ラク 350ml 45... |
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2013年11月29日 (金) | 編集 |
壁の花だって、咲ければいい。
1999年に出版され、一躍ベストセラーとなった小説「The Perks of Being a Wallflower」を、原作者のスティーヴン・シュポースキー自ら脚色・監督して映画化した作品。
ありがちな異業種監督のお遊びではない。
素人とはとても思えない実に巧みな脚本構成と、映像的なセンスの良さに驚かされる。
物語は、作者の分身である主人公のチャーリーが、“誰か”に向けて書いている書簡という形式で語られ、簡単に言えば作家志望の内気な少年が、破天荒な上級生と彼の超美形の義妹と出会った事で世界が開け、濃密な青春を謳歌するというお話。
特に目新しい内容ではないが、主人公のチャーリーを演じるローガン・ラーマンをはじめ、彼を未知の世界へと導くパトリックとサムの兄妹役のエズラ・ミラーとエマ・ワトソンら、正に今が旬の若手俳優たちが素晴らしい存在感を見せ、全編が瑞々しく輝いている。
てっきり現代劇だと思い込んでいたので、強烈な同時代感覚に驚いた。
私ごとだが、本作の舞台となっている1991年は、私がアメリカで大学生をやっていた時代に重なる。
大学と高校の違いはあれど、パーティーで知らずに葉っぱ入りブラウニーを食べさせられて乱れるとか、週末ごとに地元の映画館で「ロッキー・ホラーショー」のパフォーマンスを楽しむとか、主人公たちがやってる事が、ほとんど私自身の青春時代のネタばかり。
いつの間にか、彼らの仲間になった気分で、映画の中に再現された思い出を楽しんでいた。
今ではだいぶ廃れてしまった様だが、当時は全米のあちこちの学生街の名画座で、週一とか月一で「ロッキー・ホラーショー」ナイトがあって、数奇者たちが喜々としてパフォーマンスやっていたものだが、そらサムみたいな娘がいたなら私も一緒に下着パフォーマンスやりたかったよ(笑
しかし、ほんの20年ちょっと前なのに、世の中ずいぶん変わったものだ。
画面の中の誰一人として、スマホもタブレットも持ってない世界の懐かしさ。
恋した相手にカセットテープを作って渡すなんて事も、iPodの出現以降滅び去ってしまった文化の一つだろう。
シュポースキー監督は1970年の生まれだそうで、だとすれば実際に高校生活を送ったのは80年代の後半という事になる。
あえて91年を舞台とした理由は、この時代がパソコンとネット、それに続くモバイルディバイスの登場で、私たちの日常が劇的に変わる前夜だったからではないだろうか。
再び私事で恐縮だが、私はちょうどこの年に、大学でコンピューターのクラスを履修し、最初のパソコンとしてマッキントッシュ・クラッシックⅡを購入した。
この映画の世界は、当時を知る元若者には懐かしく、逆に今の若者には新鮮に映ると思う。
時代性と普遍性は本作のキーワードだ。
当時から大きく分かったものもあれば、変わらないものもあり、スクールカーストもその一つ。
内向的で心の奥底にトラウマを秘めたチャーリーは、自他ともに認めるカーストの最下層。
パトリックと遊び友達となり、サムに恋をする事で、壁の花の境遇から脱出し、いわゆるジョックとクイーンビーの様な学園の保守本流とは異なるが、尖がった“はみ出し者”の枠で高校生活を大いに楽しむ。
だが、幼少期のある経験から、心の奥に深刻なトラウマを隠しているチャーリーはもとより、人気者のパトリックや誰が見ても美少女のサムも、それぞれに大きな葛藤を抱えている。
映画は、チャーリーにとっては高校に入学して最初の一年、上級生のパトリックたちにとっては大学進学を控えた最後の一年を通して、恋や失恋、喪失の痛みや発見の喜びを丁寧に描く。
彼らは皆、不安に苛まれ、挫折を知り、同時に希望を抱き、可能性を知る。
そして最後に、無限の世界へそれぞれの新しい一歩を踏み出すのだ。
原作小説は、アメリカでは新世代の「ライ麦畑でつかまえて」と評されているそうだが、なるほど内容からも“誰か”に語りかけるスタイルからもそれはわかる気がする。
残念ながら未読なので、はたしてサリンジャーの様に古典として残るかどうかはわからないが、少なくとも映画版は才能豊かな若手俳優たちの、今しかない輝ける時を活写した青春映画の佳作として、長く愛される様になるのではないだろうか。
スティーヴン・シュポースキー監督には、ぜひまた映画を撮ってもらいたいものである。
今回は、22年前にサムと飲みたかったカクテル「オレンジ・ブロッサム」をチョイス。
冷やしたジン 45mlとオレンジジュース15mlを、シェイクしてグラスに注ぐ。
美しいイエローのカクテルだが、そのルーツは禁酒法時代に粗悪な密造酒の匂いをオレンジの風味で誤魔化した事とも言われる。
現在のオレンジ・ブロッサムは、シャープなジンの味わいをオレンジの甘味と酸味が引き立てる、洗練された大人のカクテルだ。
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1999年に出版され、一躍ベストセラーとなった小説「The Perks of Being a Wallflower」を、原作者のスティーヴン・シュポースキー自ら脚色・監督して映画化した作品。
ありがちな異業種監督のお遊びではない。
素人とはとても思えない実に巧みな脚本構成と、映像的なセンスの良さに驚かされる。
物語は、作者の分身である主人公のチャーリーが、“誰か”に向けて書いている書簡という形式で語られ、簡単に言えば作家志望の内気な少年が、破天荒な上級生と彼の超美形の義妹と出会った事で世界が開け、濃密な青春を謳歌するというお話。
特に目新しい内容ではないが、主人公のチャーリーを演じるローガン・ラーマンをはじめ、彼を未知の世界へと導くパトリックとサムの兄妹役のエズラ・ミラーとエマ・ワトソンら、正に今が旬の若手俳優たちが素晴らしい存在感を見せ、全編が瑞々しく輝いている。
てっきり現代劇だと思い込んでいたので、強烈な同時代感覚に驚いた。
私ごとだが、本作の舞台となっている1991年は、私がアメリカで大学生をやっていた時代に重なる。
大学と高校の違いはあれど、パーティーで知らずに葉っぱ入りブラウニーを食べさせられて乱れるとか、週末ごとに地元の映画館で「ロッキー・ホラーショー」のパフォーマンスを楽しむとか、主人公たちがやってる事が、ほとんど私自身の青春時代のネタばかり。
いつの間にか、彼らの仲間になった気分で、映画の中に再現された思い出を楽しんでいた。
今ではだいぶ廃れてしまった様だが、当時は全米のあちこちの学生街の名画座で、週一とか月一で「ロッキー・ホラーショー」ナイトがあって、数奇者たちが喜々としてパフォーマンスやっていたものだが、そらサムみたいな娘がいたなら私も一緒に下着パフォーマンスやりたかったよ(笑
しかし、ほんの20年ちょっと前なのに、世の中ずいぶん変わったものだ。
画面の中の誰一人として、スマホもタブレットも持ってない世界の懐かしさ。
恋した相手にカセットテープを作って渡すなんて事も、iPodの出現以降滅び去ってしまった文化の一つだろう。
シュポースキー監督は1970年の生まれだそうで、だとすれば実際に高校生活を送ったのは80年代の後半という事になる。
あえて91年を舞台とした理由は、この時代がパソコンとネット、それに続くモバイルディバイスの登場で、私たちの日常が劇的に変わる前夜だったからではないだろうか。
再び私事で恐縮だが、私はちょうどこの年に、大学でコンピューターのクラスを履修し、最初のパソコンとしてマッキントッシュ・クラッシックⅡを購入した。
この映画の世界は、当時を知る元若者には懐かしく、逆に今の若者には新鮮に映ると思う。
時代性と普遍性は本作のキーワードだ。
当時から大きく分かったものもあれば、変わらないものもあり、スクールカーストもその一つ。
内向的で心の奥底にトラウマを秘めたチャーリーは、自他ともに認めるカーストの最下層。
パトリックと遊び友達となり、サムに恋をする事で、壁の花の境遇から脱出し、いわゆるジョックとクイーンビーの様な学園の保守本流とは異なるが、尖がった“はみ出し者”の枠で高校生活を大いに楽しむ。
だが、幼少期のある経験から、心の奥に深刻なトラウマを隠しているチャーリーはもとより、人気者のパトリックや誰が見ても美少女のサムも、それぞれに大きな葛藤を抱えている。
映画は、チャーリーにとっては高校に入学して最初の一年、上級生のパトリックたちにとっては大学進学を控えた最後の一年を通して、恋や失恋、喪失の痛みや発見の喜びを丁寧に描く。
彼らは皆、不安に苛まれ、挫折を知り、同時に希望を抱き、可能性を知る。
そして最後に、無限の世界へそれぞれの新しい一歩を踏み出すのだ。
原作小説は、アメリカでは新世代の「ライ麦畑でつかまえて」と評されているそうだが、なるほど内容からも“誰か”に語りかけるスタイルからもそれはわかる気がする。
残念ながら未読なので、はたしてサリンジャーの様に古典として残るかどうかはわからないが、少なくとも映画版は才能豊かな若手俳優たちの、今しかない輝ける時を活写した青春映画の佳作として、長く愛される様になるのではないだろうか。
スティーヴン・シュポースキー監督には、ぜひまた映画を撮ってもらいたいものである。
今回は、22年前にサムと飲みたかったカクテル「オレンジ・ブロッサム」をチョイス。
冷やしたジン 45mlとオレンジジュース15mlを、シェイクしてグラスに注ぐ。
美しいイエローのカクテルだが、そのルーツは禁酒法時代に粗悪な密造酒の匂いをオレンジの風味で誤魔化した事とも言われる。
現在のオレンジ・ブロッサムは、シャープなジンの味わいをオレンジの甘味と酸味が引き立てる、洗練された大人のカクテルだ。

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