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2014年01月15日 (水) | 編集 |
ミッドナイトに光はあるか?
1995年に封切られた「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」、その9年後の「ビフォア・サンセット」に続くリチャード・リンクレイター監督による人気シリーズ、18年目の第三弾。
共同脚本家でもある主演のイーサン・ホーク、ジュリー・デルピーはもちろん続投。
監督と二人の主演俳優が9年ごとに再会し、一緒に脚本を執筆し、物語とキャラクターを成長させるというのは、おそらく映画史的にも例がないのではないか。
第一作のウィーン、第二作のパリに続いて、今回は地中海に面した風光明媚なギリシャを舞台に、40代に突入したジェシーとセリーヌのミドルエイジ・クライシスが描かれる。
不思議な運命に導かれて出会った二人は、前作の思わせぶりなラストから、どんな人生を歩んできたのだろうか。
※核心部分に触れています。観る前に読まないことを強くおススメします。
小説家として活躍するジェシー(イーサン・ホーク)は、作家仲間の招きでギリシャでバケーションを過ごしている。
別れた妻との息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック )を、一緒に時間を過ごすためにシカゴから呼び寄せていたが、夏休みが終わり彼が帰国することになり空港へとやってくる。
そして、名残惜しみながらハンクを見送ったジェシーが駐車場へ戻ると、そこに待っていたのは・・・・
ヨーロッパを走る列車の中で、アメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが偶然出会ったのは23歳の時。
古都ウィーンの街を、ビフォア・サンライズ、即ち夜が明けるまでの時間ずっと歩き続ける二人の会話劇は、まるでドキュメンタリーを見ているかの様にナチュラル。
独特のストーリーテリングのスタイルは、阪神大震災の記憶をモチーフとしたNHKのドラマ「その街のこども」や、二人の男女23年間にわたる7月15日を描く「ワン・デイ 23年目のラブストーリー」など後発の作品にも大きな影響を与え、映画史のエポックの一つとなった。
心を通じ合った二人が再会の約束を果たすのは、共に32歳になった9年後。
ウィーンでの思い出の夜を小説として発表し、プロモーションのためにパリを訪れたジェシーを、懐かしいセリーヌが訪ねて来る。
今度はビフォア・サンセット、夕刻のジェシーの飛行機の時間まで、パリの街を巡る二人の物語がほぼリアルタイムで進行するのだ。
そして現在、初めての出会いから早18年が過ぎ、二人は41歳になっている。
前作のラストで、セリーヌのアパートを訪れたジェシーは、果たして飛行機に乗ったのか?その後二人はどうなったのだろう?
第一作と二作目と同様に、今回も9年という歳月が流れているが、思うにこの時期に経験する変化は20代から30代の間の変化よりもずっと大きい。
時間の流れはどんどん速く感じるようになり、仕事でもプライベートでも色々な意味で人生のターニングポイントに差し掛かっていることを実感させられる事が増えてゆく。
不惑を過ぎたジェシーとセリーヌの二人の関係も、前二作とは決定的に異なっている。
息子のハンクを空港で送ったジェシーが、駐車場へと戻ってくると、車にはセリーヌと共に、双子の娘が待っているのだ!
なんと、二人は結婚していたのである。
私は幸いにも予告編を始め、本作に関する情報に殆ど触れないまま鑑賞できたので、このオープニングはある意味衝撃であった。
前二作は、恋人未満な二人の微妙な関係が作りだす雰囲気が絶妙で、たぶんこの二人は結婚しないだろうなあと思っていたら、まさかのデキ婚とは(笑
もう二人は、たった一日の再会を愛おしく感じる、恋する若者ではないのである。
7歳の双子を持つジェシーとセリーヌの会話は、ウィーンやパリのワクワクする一日とは打って変わって生活感満載。
すっかり普通のおっさんとおばさんと化した二人に共感出来るかどうかが、シリーズとして本作を受け入れられるかどうかのキモであろう。
「やめてくれ、確かに現実的かもしれないけど、こんな所帯じみた二人を見たくなかったよ」という人も決して少なくはないだろうし、その意味で本作は前二作の創造的破壊であるとも言えるかも知れない。
明るい夜明けに向かう「サンライズ」、日暮れ前の「サンセット」、そして今回は「ミッドナイト」である。
光に向かい、光の中にいて、恋が夢を見させてくれる時代は過ぎ去り、もう日は落ちて夜は更けるばかり。
二人の前に広がるのは、暗闇だ。
空港からの帰り道、ジェシーが発した「シカゴにいる息子と暮らしたい」という何気ない一言が、一家の(もはや二人のではない)未来を左右する亀裂を広げてゆく。
それでも気の置けない仲間たちとのランチタイム、日暮れ前の町を巡る前二作を思わせるちょいロマンチックなシークエンスの間は、何とか抑えられている静かな感情の沸騰は、二人きりになったホテルの部屋で遂に大爆発するのである。
相変わらず完全な会話劇だが、そこにあるのはウィットに富んだ言葉のジャブの応酬による恋の駆け引きではなく、長年積もりつもったお互いの本音と不満をストレートにぶつけ合う、ユーモラスだが激しい大バトル。
ぶっちゃけ単なる痴話喧嘩なのだけど、作者たちの実体験が込められているのか、とにかく圧倒的リアリティを醸し出すのだ。
一度共感出来れば、男性の観客はジェシーの気持ちで、女性はセリーヌにどっぷり感情移入して、二人の口から流れ出す言葉の洪水を見守ることになる。
この二人の気持ちに入れるかどうかは、独り身か既婚者かというよりは、人生経験、あるいは年齢による差異が大きいかもしれない。
ジェシーとセリーヌに近い年の人なら、ほぼ間違いなく自分の夫や妻、あるいは恋人との会話を思い出して、「ああ!この会話あるある」と感じるはずだ。
例えばジェシーの決まり文句である「僕は論理的に話しているだろ!君が感情的過ぎるんだ!」は、殆どの男がパートナーに一度は言った事がある言葉ではないだろうか。
逆に、23歳の頃、32歳の頃の二人の物語から、この作品が全く想像できない様に、あまり若い人が観てもいま一つピンと来ない様な気がする。
しかし、本作の作り手は映画の夢を見せる事を完全に忘れた訳ではない。
激しくリアルな大喧嘩の後だからこそ、二人が改めて“出会い直す”ラストはほっとさせてくれる。
このシリーズ、今回で一応の三部作完結らしいが、出来れば監督と主演の二人が生きている限り続けて欲しい。
50代、60代のジェシーとセリーヌがどうなってゆくのか。
作り手も観客も映画と共に年を重ねて成熟してゆける物語なんて、そうそうあるものではない。
人生の時も一日のサイクルと同様に巡りゆくもの。
永遠の夜も永遠の昼もなく、お互いを思いやり、尊重し、何よりも本当に相手を愛する気持ちさえあれば、真夜中の次にやってくるのは、再びの夜明けなのである。
たぶん、いや、きっと(笑
今回は舞台となるギリシャの名産品、フレーバーワインの「クルタキス レッチーナ・オブ・アッティカ」をチョイス。
サヴァティアノ種から作られる安価な白ワインで、現地では1本5、600円程度だそうだが、醸造中に松脂を加えることで独特の風味を持たせている。
元々古代ギリシャ時代にワインの貯蔵に使われていたアンフォラと呼ばれる壷の蓋を封印するために松脂が使われており、結果的にそれが天然の酸化防止剤兼風味剤となった事から生まれた独特の酒である。
松脂の香りが強烈で、かなりクセのある味わいなので好みは別れるだろうが、映画同様に個性的であることは間違いない。
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1995年に封切られた「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」、その9年後の「ビフォア・サンセット」に続くリチャード・リンクレイター監督による人気シリーズ、18年目の第三弾。
共同脚本家でもある主演のイーサン・ホーク、ジュリー・デルピーはもちろん続投。
監督と二人の主演俳優が9年ごとに再会し、一緒に脚本を執筆し、物語とキャラクターを成長させるというのは、おそらく映画史的にも例がないのではないか。
第一作のウィーン、第二作のパリに続いて、今回は地中海に面した風光明媚なギリシャを舞台に、40代に突入したジェシーとセリーヌのミドルエイジ・クライシスが描かれる。
不思議な運命に導かれて出会った二人は、前作の思わせぶりなラストから、どんな人生を歩んできたのだろうか。
※核心部分に触れています。観る前に読まないことを強くおススメします。
小説家として活躍するジェシー(イーサン・ホーク)は、作家仲間の招きでギリシャでバケーションを過ごしている。
別れた妻との息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック )を、一緒に時間を過ごすためにシカゴから呼び寄せていたが、夏休みが終わり彼が帰国することになり空港へとやってくる。
そして、名残惜しみながらハンクを見送ったジェシーが駐車場へ戻ると、そこに待っていたのは・・・・
ヨーロッパを走る列車の中で、アメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが偶然出会ったのは23歳の時。
古都ウィーンの街を、ビフォア・サンライズ、即ち夜が明けるまでの時間ずっと歩き続ける二人の会話劇は、まるでドキュメンタリーを見ているかの様にナチュラル。
独特のストーリーテリングのスタイルは、阪神大震災の記憶をモチーフとしたNHKのドラマ「その街のこども」や、二人の男女23年間にわたる7月15日を描く「ワン・デイ 23年目のラブストーリー」など後発の作品にも大きな影響を与え、映画史のエポックの一つとなった。
心を通じ合った二人が再会の約束を果たすのは、共に32歳になった9年後。
ウィーンでの思い出の夜を小説として発表し、プロモーションのためにパリを訪れたジェシーを、懐かしいセリーヌが訪ねて来る。
今度はビフォア・サンセット、夕刻のジェシーの飛行機の時間まで、パリの街を巡る二人の物語がほぼリアルタイムで進行するのだ。
そして現在、初めての出会いから早18年が過ぎ、二人は41歳になっている。
前作のラストで、セリーヌのアパートを訪れたジェシーは、果たして飛行機に乗ったのか?その後二人はどうなったのだろう?
第一作と二作目と同様に、今回も9年という歳月が流れているが、思うにこの時期に経験する変化は20代から30代の間の変化よりもずっと大きい。
時間の流れはどんどん速く感じるようになり、仕事でもプライベートでも色々な意味で人生のターニングポイントに差し掛かっていることを実感させられる事が増えてゆく。
不惑を過ぎたジェシーとセリーヌの二人の関係も、前二作とは決定的に異なっている。
息子のハンクを空港で送ったジェシーが、駐車場へと戻ってくると、車にはセリーヌと共に、双子の娘が待っているのだ!
なんと、二人は結婚していたのである。
私は幸いにも予告編を始め、本作に関する情報に殆ど触れないまま鑑賞できたので、このオープニングはある意味衝撃であった。
前二作は、恋人未満な二人の微妙な関係が作りだす雰囲気が絶妙で、たぶんこの二人は結婚しないだろうなあと思っていたら、まさかのデキ婚とは(笑
もう二人は、たった一日の再会を愛おしく感じる、恋する若者ではないのである。
7歳の双子を持つジェシーとセリーヌの会話は、ウィーンやパリのワクワクする一日とは打って変わって生活感満載。
すっかり普通のおっさんとおばさんと化した二人に共感出来るかどうかが、シリーズとして本作を受け入れられるかどうかのキモであろう。
「やめてくれ、確かに現実的かもしれないけど、こんな所帯じみた二人を見たくなかったよ」という人も決して少なくはないだろうし、その意味で本作は前二作の創造的破壊であるとも言えるかも知れない。
明るい夜明けに向かう「サンライズ」、日暮れ前の「サンセット」、そして今回は「ミッドナイト」である。
光に向かい、光の中にいて、恋が夢を見させてくれる時代は過ぎ去り、もう日は落ちて夜は更けるばかり。
二人の前に広がるのは、暗闇だ。
空港からの帰り道、ジェシーが発した「シカゴにいる息子と暮らしたい」という何気ない一言が、一家の(もはや二人のではない)未来を左右する亀裂を広げてゆく。
それでも気の置けない仲間たちとのランチタイム、日暮れ前の町を巡る前二作を思わせるちょいロマンチックなシークエンスの間は、何とか抑えられている静かな感情の沸騰は、二人きりになったホテルの部屋で遂に大爆発するのである。
相変わらず完全な会話劇だが、そこにあるのはウィットに富んだ言葉のジャブの応酬による恋の駆け引きではなく、長年積もりつもったお互いの本音と不満をストレートにぶつけ合う、ユーモラスだが激しい大バトル。
ぶっちゃけ単なる痴話喧嘩なのだけど、作者たちの実体験が込められているのか、とにかく圧倒的リアリティを醸し出すのだ。
一度共感出来れば、男性の観客はジェシーの気持ちで、女性はセリーヌにどっぷり感情移入して、二人の口から流れ出す言葉の洪水を見守ることになる。
この二人の気持ちに入れるかどうかは、独り身か既婚者かというよりは、人生経験、あるいは年齢による差異が大きいかもしれない。
ジェシーとセリーヌに近い年の人なら、ほぼ間違いなく自分の夫や妻、あるいは恋人との会話を思い出して、「ああ!この会話あるある」と感じるはずだ。
例えばジェシーの決まり文句である「僕は論理的に話しているだろ!君が感情的過ぎるんだ!」は、殆どの男がパートナーに一度は言った事がある言葉ではないだろうか。
逆に、23歳の頃、32歳の頃の二人の物語から、この作品が全く想像できない様に、あまり若い人が観てもいま一つピンと来ない様な気がする。
しかし、本作の作り手は映画の夢を見せる事を完全に忘れた訳ではない。
激しくリアルな大喧嘩の後だからこそ、二人が改めて“出会い直す”ラストはほっとさせてくれる。
このシリーズ、今回で一応の三部作完結らしいが、出来れば監督と主演の二人が生きている限り続けて欲しい。
50代、60代のジェシーとセリーヌがどうなってゆくのか。
作り手も観客も映画と共に年を重ねて成熟してゆける物語なんて、そうそうあるものではない。
人生の時も一日のサイクルと同様に巡りゆくもの。
永遠の夜も永遠の昼もなく、お互いを思いやり、尊重し、何よりも本当に相手を愛する気持ちさえあれば、真夜中の次にやってくるのは、再びの夜明けなのである。
たぶん、いや、きっと(笑
今回は舞台となるギリシャの名産品、フレーバーワインの「クルタキス レッチーナ・オブ・アッティカ」をチョイス。
サヴァティアノ種から作られる安価な白ワインで、現地では1本5、600円程度だそうだが、醸造中に松脂を加えることで独特の風味を持たせている。
元々古代ギリシャ時代にワインの貯蔵に使われていたアンフォラと呼ばれる壷の蓋を封印するために松脂が使われており、結果的にそれが天然の酸化防止剤兼風味剤となった事から生まれた独特の酒である。
松脂の香りが強烈で、かなりクセのある味わいなので好みは別れるだろうが、映画同様に個性的であることは間違いない。

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