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2014年03月20日 (木) | 編集 |
Let It Go!
伝統のディズニープリンセスの最新作は、アンデルセンの「雪の女王」をモチーフに、雪と氷の世界を舞台とした壮麗なミュージカルファンタジーだ。
今回は、全てのものを凍らせる秘密の力を持ったエルサと、天真爛漫なアナの姉妹を主人公とした史上初のダブルプリンセス!
既に全世界で10億ドル以上を稼ぎ出す特大のヒット作となっており、アニメーション映画歴代1位の「トイ・ストーリー3」の記録を塗り替えるのも確実。
上質なミュージカルナンバーと美しく丁寧なアニメーションは、小さいお友達も大きいお友達も、等しく夢の世界に誘う魔力に満ちている。
監督・脚本は「シュガー・ラッシュ」の脚本家として知られるジェニファー・リーで、「ターザン」のクリス・バックが共同監督を務める。
ジェニファー・リーは、意外にもディズニー本体の長編アニメーションでは初の女性監督であるという。
※核心部分に触れています。
アレンデール王国の王女エルサ(イディナ・メンゼル)は、生まれつき手に触れる物を凍らせる不思議な魔力を持っていた。
その力は成長するにつれて大きくなり、ある時遊んでいた妹のアナ(クリスティン・ベル)を傷つけてしまう。
トロルの元に運ばれたアナは治療を受け事なきを得るが、国王夫妻はエルサが力をコントロールする術を学ぶまで、城門を閉ざし人と関わる事を禁じる。
アナの心からも魔法の記憶は消され、その日からエルサは一人孤独に自室に閉じこもる事に。
ところが十数年後、国王夫妻が不慮の事故で亡くなり、成人したエルサは新女王として即位しなければならなくなる。
長年閉ざされた城門の中で育ったアナにとって、戴冠式の晩餐会は生まれてはじめてのパーティ。
はしゃぎまわった彼女は、早速他国の王子ハンス(サンティノ・フォンタナ)と親しくなって、出会ったその日に婚約する。
だが、その事を聞かされたエルサは怒り、思わず衆人の前で力を使ってしまう。
人々の好奇の目に晒されたエルサは、宮殿から失踪。
責任を感じたアナは、ハンスに後を任せてエルサの消えた雪山へと向かうのだが・・・・
アンデルセンの「雪の女王」と言えば、1957年に旧ソ連のソユーズムリトフィルムで製作されたセルアニメ版が有名だろう。
50年代は、世界中のアニメーションスタジオが巨人ディズニーをベンチマークしていた時代で、この作品もディズニー作品の影が見え隠れしているが、オリジナリティも高い。
特に女王に連れ去られた幼馴染の少年カイを救い出すため、困難な冒険に出る優しくて勝気な少女、ゲルダのキャラクター造形は日本のアニメ界に大きな影響を与え、後の「風の谷のナウシカ」などの行動するヒロイン像の原点となった重要な作品だ。
しかし、もしレフ・アタマノフ監督が、自作から半世紀以上後に作られた本作を観たら、ビックリして椅子から転げ落ちるのではないか。
永遠の冬を齎すという雪の女王の設定と、真実の愛が全てを溶かすという中核部分はキープされているものの、大幅な脚色を経た物語はもはや原作ともセルアニメ版とも別物である。
これは言わば、そもそも雪の女王はなぜ人々から恐れられる魔女となってしまったのだろう?という“御伽噺の常識”への疑問から生まれた「雪の女王:エピソードゼロ」だ。
しかも物語の結末はアンデルセンの原作には繋がらず、見ようによっては過去のディズニーアニメに対する現代からのアンチテーゼにも思えてくる。
最初のディズニープリンセス「白雪姫」の鏡の魔女から「塔の上のラプンツェル」のマザー・ゴーテルに至るまで、御伽噺の魔女は利己的で邪悪な存在として描かれてきた。
では、彼女らはなぜそんな寂しい人格になってしまったのだろう。
人間は不寛容な動物で、自分たちと異なる事、普通でない事を恐れる。
生まれつき魔法が使える人がいたら、周りは忌むべき力として迫害したかもしれない。
故郷を石もて追われた彼女らは、孤独の中で人々を呪い、魔女と呼ばれる様になってしまったのではないだろうか。
氷の宮殿に子供を攫う雪の女王にも、そんな過去があったのかもしれない。
もしも魔女が心に傷を抱えた哀しい女性なら、それは滅ぼすのではなく、慈愛をもって赦し、凍てついた心を癒すべき存在ではないのか。
本作のエルサも、自ら望んだ訳でもないのに、触れた物を一瞬で凍らせ、どこにでも雪を降らせる魔力をもっている。
愛娘がどんどんと強くなる力を制御出来ず、人を傷つけたり、奇異の目で見られる事を恐れた両親は、彼女を実の妹を含む世界から隠す事を選んだ。
それはもちろんエルサの為を思っての事だが、ありのままの自分を否定される事で、エルサは本人も意識しないうちに、内面に大きな歪を抱え込んでしまうのである。
自分の力を知られ、城から逃げ出したエルサは、魔法で二体の生きている雪だるまを作る。
一体は、彼女が無意識のうちに作ってしまい、本作の軽妙なコミックリリーフともなっているオラフ。
エルサが幼い頃に作った雪だるまと似たこのキャラクターは、言わば彼女の童心であり、素の心のメタファーだ。
もう一体は、氷の宮殿を守るために意図的に作り出した巨大な雪の番兵である。
他人が彼女の領域に侵入するのを拒むこちらは、孤独に凍った現在の心をカリカチュアして増幅した存在といえるだろう。
エルサが幸運にも御伽噺の魔女にならなかったのは、魔力を恐れずに受け入れ、人と違う自分を無条件に愛してくれるアナの存在があったからだ。
きっとアンデルセンの童話に出てくる雪の女王には、彼女の心を溶かしてくれる妹はいなかったのだろう。
エルサは自分を犠牲にしてでもアナの幸せを願い、アナもまた命をかえりみずエルサを助けようとする。
永遠の冬さえも溶かす事の出来る“真実の愛”とは、即ち自分の事よりも大切な誰かを思いやる事で、それはなにも男女の間にだけあるとは限らない。
ディズニープリンセスもので、まさか姉妹愛をクライマックスに持ってくるとは!
呪いの魔法を解くのは恋の成就という観客のテンプレ的な思い込みを逆手にとった、実に鮮やかな一手であった。
それにしても、ますますモダンに魅力的になるプリンセスたちに比べて、嘗ては女の子の憧れであったはずのプリンス側のブランドの失墜はどうだ。
ここしばらくのプリンセスの相手役は泥棒だったり氷売りだったり、「プリンセスと魔法のキス」では王子は王子でも呪いでカエルに変身させられて、ヒロインにキスをねだる体たらくで、圧倒的に女性主導のカップル。
本作のハンスに至っては、プリンセスを亡き者にして王国の乗っ取りを計るという、お見事な中身クソ野郎っぷりである。
これは昔であれば魔女の役割であり、理想のお相手どころかいよいよ完全な悪役に転落してしまった。
もはや白馬のプリンスは出来過ぎて信用ならざる人物であり、こんな男との結婚は全くリアリティが無いのだろう。
これが時代が変わるという事なのか。
ミュージカルファンタジーとしての白眉は、やはり魔力を人々に見られたエルザが宮殿から失踪し、雪山の中で「Let It Go」を歌い上げるシークエンスだ。
本年度アカデミー賞の最優秀歌曲賞を受賞したこのナンバーは、エルザがたとえ孤独であっても自分らしく生きる事を決意し、幼い頃からずっと背負ってきた重荷から解き放たれた歓喜の爆発である。
ミュージカルシーンその物はそれほど多くないが、要所でメリハリ良く使われていて一つ一つが印象深い。
中世北欧をモデルとした世界観、中でもエルサが魔法で作り上げる氷の宮殿をはじめ、雪と氷のビジュアルはCG立体映像との親和性も高く、特に空間の中で無数の雪の結晶が静止しているイメージは幻想的な美しさだ。
手描き時代から多くのプリンセスたちをスーパーバイズしてきた、リードアニメーターのマーク・ヘンによるアナとエルサのキャラクターも、手描きの可愛らしさを保ったまま巧みに3Dモデリングされており、クールビューティーなエルサと活発で親しみやすいアナの差別化も上手くいっている。
同時上映の短編、「ミッキーのミニー救出大作戦」も粋な遊び心に溢れた一本だ。
一見すると1930年頃の旧作?と思わせておいて、実は・・・・。
この僅かな尺の中に、スタンダードからビスタ、シネスコへ、モノクロからカラーへ、手描きからCGへとアニメーション映画史が凝縮されているのだからたまらない。
しかし、いわば過去作品の反転である「アナと雪の女王」、名作のビハインド・ザ・シーンを描く「ウォルト・ディズニーとの約束」など、最近のディズニー作品は自らの遺産を良い意味で上手く使っている。
夏休み映画の「マレフィセント」も、魔女側から見た「眠れる森の美女」になっていそうで、本作とは違う視点で過去作品をどう新解釈するのか楽しみだ。
こういう企画が出来るのも1920年代から現代まで、一貫して自社制作を行って来た老舗ならでは。
まさしく、継続は力なりである。
今回はフランス産プレミアムウォッカの逸品、「シロック」をチョイス。
通常ウォッカは麦類やジャガイモなどグレイン系を原料とする蒸留酒だが、このシロックはなんとブドウのみから作られる世界で唯一のウォッカなのだ。
カクテルベースにしてももちろん美味しいのだが、ここはぜひロックで飲みたい。
最初の一口でフワリと舌の上に広がる爽やかな柑橘香が、キツイ蒸留酒にありがちなアルコール感を殆ど感じさせず、エレガントな後味を残す。
美しい冬の風景を舞台とした、ゴージャスなアニメーションにピッタリだ。
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伝統のディズニープリンセスの最新作は、アンデルセンの「雪の女王」をモチーフに、雪と氷の世界を舞台とした壮麗なミュージカルファンタジーだ。
今回は、全てのものを凍らせる秘密の力を持ったエルサと、天真爛漫なアナの姉妹を主人公とした史上初のダブルプリンセス!
既に全世界で10億ドル以上を稼ぎ出す特大のヒット作となっており、アニメーション映画歴代1位の「トイ・ストーリー3」の記録を塗り替えるのも確実。
上質なミュージカルナンバーと美しく丁寧なアニメーションは、小さいお友達も大きいお友達も、等しく夢の世界に誘う魔力に満ちている。
監督・脚本は「シュガー・ラッシュ」の脚本家として知られるジェニファー・リーで、「ターザン」のクリス・バックが共同監督を務める。
ジェニファー・リーは、意外にもディズニー本体の長編アニメーションでは初の女性監督であるという。
※核心部分に触れています。
アレンデール王国の王女エルサ(イディナ・メンゼル)は、生まれつき手に触れる物を凍らせる不思議な魔力を持っていた。
その力は成長するにつれて大きくなり、ある時遊んでいた妹のアナ(クリスティン・ベル)を傷つけてしまう。
トロルの元に運ばれたアナは治療を受け事なきを得るが、国王夫妻はエルサが力をコントロールする術を学ぶまで、城門を閉ざし人と関わる事を禁じる。
アナの心からも魔法の記憶は消され、その日からエルサは一人孤独に自室に閉じこもる事に。
ところが十数年後、国王夫妻が不慮の事故で亡くなり、成人したエルサは新女王として即位しなければならなくなる。
長年閉ざされた城門の中で育ったアナにとって、戴冠式の晩餐会は生まれてはじめてのパーティ。
はしゃぎまわった彼女は、早速他国の王子ハンス(サンティノ・フォンタナ)と親しくなって、出会ったその日に婚約する。
だが、その事を聞かされたエルサは怒り、思わず衆人の前で力を使ってしまう。
人々の好奇の目に晒されたエルサは、宮殿から失踪。
責任を感じたアナは、ハンスに後を任せてエルサの消えた雪山へと向かうのだが・・・・
アンデルセンの「雪の女王」と言えば、1957年に旧ソ連のソユーズムリトフィルムで製作されたセルアニメ版が有名だろう。
50年代は、世界中のアニメーションスタジオが巨人ディズニーをベンチマークしていた時代で、この作品もディズニー作品の影が見え隠れしているが、オリジナリティも高い。
特に女王に連れ去られた幼馴染の少年カイを救い出すため、困難な冒険に出る優しくて勝気な少女、ゲルダのキャラクター造形は日本のアニメ界に大きな影響を与え、後の「風の谷のナウシカ」などの行動するヒロイン像の原点となった重要な作品だ。
しかし、もしレフ・アタマノフ監督が、自作から半世紀以上後に作られた本作を観たら、ビックリして椅子から転げ落ちるのではないか。
永遠の冬を齎すという雪の女王の設定と、真実の愛が全てを溶かすという中核部分はキープされているものの、大幅な脚色を経た物語はもはや原作ともセルアニメ版とも別物である。
これは言わば、そもそも雪の女王はなぜ人々から恐れられる魔女となってしまったのだろう?という“御伽噺の常識”への疑問から生まれた「雪の女王:エピソードゼロ」だ。
しかも物語の結末はアンデルセンの原作には繋がらず、見ようによっては過去のディズニーアニメに対する現代からのアンチテーゼにも思えてくる。
最初のディズニープリンセス「白雪姫」の鏡の魔女から「塔の上のラプンツェル」のマザー・ゴーテルに至るまで、御伽噺の魔女は利己的で邪悪な存在として描かれてきた。
では、彼女らはなぜそんな寂しい人格になってしまったのだろう。
人間は不寛容な動物で、自分たちと異なる事、普通でない事を恐れる。
生まれつき魔法が使える人がいたら、周りは忌むべき力として迫害したかもしれない。
故郷を石もて追われた彼女らは、孤独の中で人々を呪い、魔女と呼ばれる様になってしまったのではないだろうか。
氷の宮殿に子供を攫う雪の女王にも、そんな過去があったのかもしれない。
もしも魔女が心に傷を抱えた哀しい女性なら、それは滅ぼすのではなく、慈愛をもって赦し、凍てついた心を癒すべき存在ではないのか。
本作のエルサも、自ら望んだ訳でもないのに、触れた物を一瞬で凍らせ、どこにでも雪を降らせる魔力をもっている。
愛娘がどんどんと強くなる力を制御出来ず、人を傷つけたり、奇異の目で見られる事を恐れた両親は、彼女を実の妹を含む世界から隠す事を選んだ。
それはもちろんエルサの為を思っての事だが、ありのままの自分を否定される事で、エルサは本人も意識しないうちに、内面に大きな歪を抱え込んでしまうのである。
自分の力を知られ、城から逃げ出したエルサは、魔法で二体の生きている雪だるまを作る。
一体は、彼女が無意識のうちに作ってしまい、本作の軽妙なコミックリリーフともなっているオラフ。
エルサが幼い頃に作った雪だるまと似たこのキャラクターは、言わば彼女の童心であり、素の心のメタファーだ。
もう一体は、氷の宮殿を守るために意図的に作り出した巨大な雪の番兵である。
他人が彼女の領域に侵入するのを拒むこちらは、孤独に凍った現在の心をカリカチュアして増幅した存在といえるだろう。
エルサが幸運にも御伽噺の魔女にならなかったのは、魔力を恐れずに受け入れ、人と違う自分を無条件に愛してくれるアナの存在があったからだ。
きっとアンデルセンの童話に出てくる雪の女王には、彼女の心を溶かしてくれる妹はいなかったのだろう。
エルサは自分を犠牲にしてでもアナの幸せを願い、アナもまた命をかえりみずエルサを助けようとする。
永遠の冬さえも溶かす事の出来る“真実の愛”とは、即ち自分の事よりも大切な誰かを思いやる事で、それはなにも男女の間にだけあるとは限らない。
ディズニープリンセスもので、まさか姉妹愛をクライマックスに持ってくるとは!
呪いの魔法を解くのは恋の成就という観客のテンプレ的な思い込みを逆手にとった、実に鮮やかな一手であった。
それにしても、ますますモダンに魅力的になるプリンセスたちに比べて、嘗ては女の子の憧れであったはずのプリンス側のブランドの失墜はどうだ。
ここしばらくのプリンセスの相手役は泥棒だったり氷売りだったり、「プリンセスと魔法のキス」では王子は王子でも呪いでカエルに変身させられて、ヒロインにキスをねだる体たらくで、圧倒的に女性主導のカップル。
本作のハンスに至っては、プリンセスを亡き者にして王国の乗っ取りを計るという、お見事な中身クソ野郎っぷりである。
これは昔であれば魔女の役割であり、理想のお相手どころかいよいよ完全な悪役に転落してしまった。
もはや白馬のプリンスは出来過ぎて信用ならざる人物であり、こんな男との結婚は全くリアリティが無いのだろう。
これが時代が変わるという事なのか。
ミュージカルファンタジーとしての白眉は、やはり魔力を人々に見られたエルザが宮殿から失踪し、雪山の中で「Let It Go」を歌い上げるシークエンスだ。
本年度アカデミー賞の最優秀歌曲賞を受賞したこのナンバーは、エルザがたとえ孤独であっても自分らしく生きる事を決意し、幼い頃からずっと背負ってきた重荷から解き放たれた歓喜の爆発である。
ミュージカルシーンその物はそれほど多くないが、要所でメリハリ良く使われていて一つ一つが印象深い。
中世北欧をモデルとした世界観、中でもエルサが魔法で作り上げる氷の宮殿をはじめ、雪と氷のビジュアルはCG立体映像との親和性も高く、特に空間の中で無数の雪の結晶が静止しているイメージは幻想的な美しさだ。
手描き時代から多くのプリンセスたちをスーパーバイズしてきた、リードアニメーターのマーク・ヘンによるアナとエルサのキャラクターも、手描きの可愛らしさを保ったまま巧みに3Dモデリングされており、クールビューティーなエルサと活発で親しみやすいアナの差別化も上手くいっている。
同時上映の短編、「ミッキーのミニー救出大作戦」も粋な遊び心に溢れた一本だ。
一見すると1930年頃の旧作?と思わせておいて、実は・・・・。
この僅かな尺の中に、スタンダードからビスタ、シネスコへ、モノクロからカラーへ、手描きからCGへとアニメーション映画史が凝縮されているのだからたまらない。
しかし、いわば過去作品の反転である「アナと雪の女王」、名作のビハインド・ザ・シーンを描く「ウォルト・ディズニーとの約束」など、最近のディズニー作品は自らの遺産を良い意味で上手く使っている。
夏休み映画の「マレフィセント」も、魔女側から見た「眠れる森の美女」になっていそうで、本作とは違う視点で過去作品をどう新解釈するのか楽しみだ。
こういう企画が出来るのも1920年代から現代まで、一貫して自社制作を行って来た老舗ならでは。
まさしく、継続は力なりである。
今回はフランス産プレミアムウォッカの逸品、「シロック」をチョイス。
通常ウォッカは麦類やジャガイモなどグレイン系を原料とする蒸留酒だが、このシロックはなんとブドウのみから作られる世界で唯一のウォッカなのだ。
カクテルベースにしてももちろん美味しいのだが、ここはぜひロックで飲みたい。
最初の一口でフワリと舌の上に広がる爽やかな柑橘香が、キツイ蒸留酒にありがちなアルコール感を殆ど感じさせず、エレガントな後味を残す。
美しい冬の風景を舞台とした、ゴージャスなアニメーションにピッタリだ。

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