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フルートベール駅で・・・・・評価額1700円
2014年03月25日 (火) | 編集 |
明日は、もうやってこない。

2009年の1月1日未明、サンフランシスコ・ベイエリアのフルートベール駅で、丸腰の黒人青年オスカー・グラントが警官に射殺された事件をモチーフにした人間ドラマ。
特定人種への偏見が事件の一因である事は確かだが、単に人種差別を告発した作品ではない。
映画は、オスカー最後の一日を通して、彼が何者だったのかを私たちに知らしめる。
理不尽に奪われたのは、どこにでもいるごく普通の人の命であり、彼は私だったかもしれないし、あなただったかもしれないのである。
監督のライアン・クーグラーは、主人公と同じくベイエリア出身のアフリカ系で、これが長編監督デビュー作。
本作の脚本は2012年にサンダンス・インスティテュート・スクリーンライターズ・ラボに選出され、若い才能のためにプロデュースを買って出たのは、「大統領の執事の涙」での好演が記憶に新しいフォレスト・ウィテカーだ。

オスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)は、サンフランシスコのベイエリアで暮す22歳の青年。
過去にドラッグの売人として服役した事があり、今は恋人のソフィーナ(メロニー・ディアス)と愛娘のタチアナのために、生活を立て直そうと努力しているものの、現実は厳しい。
実は二週間前に仕事を首になってしまったのだが、その事はまだ言い出せずにいる。
大晦日は母のワンダ(オクタビア・スペンサー)の誕生日で、オスカーは家族と共に実家を訪れ、久しぶりの賑やかなディナーを楽しんだ後、サンフランシスコで新年のカウントダウンを見届けて、仲間たちと共に電車で帰宅の途につく。
しかし希望へと向かうはずの新年の始まりは、電車がフルートベール駅に差し掛かったとき、突然の暗転を迎える・・・・


本作を見ていて思い出したのは、黒木和雄監督の名作「TOMORROW 明日 」だ。
1945年8月8日から9日にかけて、長崎が原爆で消滅する前の24時間の人々の営みを描いた群像劇である。
観客は物語の終わりに何が起こるのか、登場人物たちに“明日”は永遠に来ないことを知っているので、彼らが口にする未来への希望が切ない。
そして69年前の長崎市民と同じく、本作の主人公であるオスカー・グラントにも明日はもう存在しないのだ。

映画は、オスカーの人生最後の一日に起こった事を淡々と描く。
彼にとって2008年の大晦日は、良くも悪くも少しだけ特別な日だ。
サンフランシスコの対岸のイーストベイに暮らす彼は、勤めていたスーパーマーケットを首になり、再びドラッグの販売に手を出しかかるも、ギリギリで思いとどまる。
恋人のソフィーナや幼いタチアナのためにも、刑務所に戻る訳にはいかないのだ。
そして過去に心配をかけた母親の誕生日を祝うために、高級品のカニを奮発し、親族たちと賑やかで暖かいひと時を過ごす。
そして新年のカウントダウン花火を楽しむために、気の置けない仲間たちと共に電車に乗ってサンフランシスコへと向かうのである。
しかし、彼の人生はあまりにもあっけなく、唐突に終わりを告げる。
この世界はいかに脆く、命は白昼夢の様に儚いのか。

オスカーはいくつかの葛藤は抱えているが、決して悪党ではなく、どこにでもいる普通の若者であり、幼い娘に愛を注ぐ父親だ。
もちろん自分の人生がもうすぐ終わる事を知っている訳もなく、本作にいかにも映画的なドラマ性は見出せない。
唯一、金を作るためにマリワナを売ろうとするシークエンスだけは、彼の抱えている問題がクローズアップされる。
買い手との約束の場所に向かうオスカーは、車に轢かれた野良犬をみとり、その孤独な最後に自分の姿を重ねる。
この部分は誰かと行動を共にしている訳でもないので、おそらくは映画の創作だろう。
結果、彼は堅気に踏みとどまるのだが、生活苦という問題そのものは当然ながら解決されることがない。
あえて言えば、主人公が葛藤を解消する機会が永遠に訪れないというのが、本作の持つ特異なドラマ性なのである。

舞台となるサンフランシスコ・ベイエリアは、私にとっても長年暮らした第二の故郷だ。
事件が起こったフルートベール駅も良く知っているし、オスカーが働いていたスーパー、Farmer Joe's は何度も行った事がある。
もしかしたら、どこかでオスカーと顔を合わせた事があったかもしれない。
そしてここは、全米でも最もリベラルな地域の一つである。
ベトナム反戦運動、公民権運動の中心地であり、ヒッピーの故郷にして世界最大級のゲイコミュニティが存在するマイノリティーの楽園。
ベイエリア、特にサンフランシスコや対岸のバークレーあたりで先進的な条例が制定されると、それは数年後には他の地域にも広まり、全米のモデルケースとなる事も多い。
ロス暴動の切っ掛けとなったロドニー・キング事件の様な事は、ベイエリアでは起こらないだろう。
多くの人と同様に、私もそう思っていた。
だからこそ、この事件が起こった時はとても驚き、悲しくなったのである。

しかし、この作品は人種差別の告発だけを目的とした映画ではないと思う。
確かに電車から黒人たちだけを引きずり出した警察の行動は、人種偏見があっただろう。
電車を管轄するBARTポリスたちは極めて横柄に描写されているが、基本的にアメリカの警察官は被疑者に対して威圧的なので、彼らだけが特別に酷いわけでもない。
だが発砲が意図的だったのか、それとも事故だったのかは、本作を観ても事件当時目撃者たちが撮影しネットにアップされた多くの映像からも、本当のところは分からないのだ。
もしかしたら裁判での証言どおり、若い未熟な警官が本当にティーザー銃と間違えて撃ってしまったのかもしれない。
押さえつけられている被疑者を背中から撃てば、ただでは済まないのは誰にでも分かる事だ。
実際オスカーを撃ったJohannes Mehserleは職を失い、実際に服役した期間は短かったとは言え、有罪判決を受けているのである。
射殺した側にとっても、2009年1月1日は悪夢の記憶だろう。
もしもこの事件を別のアプローチで描くならば、あの一瞬に交錯した被害者と加害者、双方の関係者の24時間を描くという方法もありかもしれない。
まあ、そうすると「クラッシュ」になってしまうし、それは作者が意図する事ではないのだろうけど。

本作が描いているのは、いまだ明けきらぬ夜の様に、アメリカ社会の歪として存在する人種の壁。
そしてそれ以上に、オスカー・グラントとは何者だったのかという事である。
この種の差別絡みの事件が起こると、世論は善悪の二元論に陥りがちになる。
多くのメディアやSNSでは警官は悪魔の様な人種差別主義者に描写され、逆に被害者は聖人に祭り上げられる。
政治的な立場によっては、その逆もしかりだ。
事件に対する社会的な反応、コミュニティニ内在する問題の顕在化という点では、それも必要かもしれない。
しかし事件そのものがフォーカスされるにしたがって、オスカーという青年はアイコン化され、彼の本当の記憶はそれぞれの立場の人々が作り上げる“物語”の中に塗り込められてしまう。
ライアン・クーグラーは、センセーショナルな事件の解釈からは距離を置き、最後の24時間を通じて一人の人間としてのオスカーと、彼の生きてきた世界を描く。
そこからどんなメッセージを受け取るかは、おそらく人によって異なるだろう。
しかし映画を観た人はきっと、いや決して忘れない。
サンフランシスコのベイエリアに、オスカー・グラントという、決して品行方正ではなかったが、平凡で心根の優しい男がいた事を。
そして彼の人生は、理不尽に奪われ、悲しみを抱えた人々が残された事を。
オスカー・グラントは、私であり、あなたであり、私たちの大切な誰かなのである。

今回は、長野県辰野町の小野酒造の「夜明け前 純米吟醸 生一本」をチョイス。
フルーティで柔らか、豊潤な米の味を存分に味わえる。
銘柄は島崎藤村の息子、島崎楠雄によって命名され「この名を使う以上は、命に代えても本物を追及する」という精神を表す。
この世界の夜は、もしかしたら人間が存在する限り永遠に明けないのかも知れない。
それでもいつか夜が明けると信じて、少しずつ、少しずつ歩み続けるしか道はないのだろう。
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