酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「プリズナーズ・・・・・評価額1600円」
2014年04月30日 (水) | 編集 |
囚われているのは誰か?

問題作「灼熱の魂」で、煉獄で苦悩する家族の壮大な悲劇を描き出した、ケベックの俊英ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のハリウッド進出第一作。
静かな田舎町で、サンクス・ギビングの日に幼い少女二人が失踪する。
目撃証言から容疑者として浮かび上がった男はしかし、証拠不十分で釈放されてしまう。
有力な情報は齎されず、時間だけが過ぎてゆく。
少女の父親は、釈放された容疑者が自分に漏らしたある言葉から、彼が犯人だと確信しているが、確たる証拠は見つからない。
警察の捜査力を見限った父親は、自らの力で娘を探すため、危険な一線を越えることを決意するのである。

ミステリーとしては意外と底が浅い。
脚本のミスリードが分かりやすく、伏線も丁寧すぎるほどに張り巡らされているため、人間関係を推測してゆくと、物語の中盤くらいで事件の全体像の想像がついてしまう。
しかし本作の場合、それは大きな問題ではない。
「灼熱の魂」がそうであったように、ヴィルヌーヴが描くのは、日常が崩れ落ち、予期せぬ極限状態に直面した時の人間たちの情念である。
前作ではエディプス神話を思い起こさせる、一つの家族の血塗られた歴史が浮き彫りとなったが、今回も宗教的な暗喩が全編に仕込まれ、物語を深読みするほどに面白い作品になっている。

ヒュー・ジャックマンが、血管切れそうなハイテンションで演じるケラー・ドーヴァーは、いわゆる終末論者だ。
信心深く、いつか聖書に記された通りに終末がやってきて、文明社会は終わると考えている。
そのために彼は、本質的な意味で今自分が生きているこの世界を信じていないのだ。
自分とその家族だけが真実であり、外の世界はいずれ滅びる運命の儚い幻の様な存在。
だから彼は誰にも頼らず、どんな状況でも生き延びられる様に息子に狩猟を教え、自宅の倉庫には膨大な食料やサバイバル道具を備蓄している。
彼は言わば、現代社会に生きるノアなのである。
信仰ゆえに終末を信じ、その準備をしている人は、アメリカ社会に少なからず存在し、彼らは決して特殊な人種ではない。

ドーヴァーから娘を奪った、犯人の動機が肝である。
その人物は神に対する戦いとして子供を攫い、殺すという。
劇中で明確な言及は無いものの、犯人は反キリスト者であり、信仰の対象はおそらくモレクだろう。
古代オリエントの神モレクに祈る者は、子供を人身御供として捧げる生贄の儀式を執り行っており、後にユダヤ・キリスト教においては神の名を穢す悪魔の眷属とされた。
ミルトンは「失楽園」の中で、モレクを「母の涙と子の血にまみれた魔神」と描写している。
つまりド-ヴァーは、世界が終わるよりも先に、愛娘の失踪により、黙示録の世界に足を踏み入れる事になってしまうのだ。

「プリズナーズ」と複数形のタイトルが、本作が何に関する物語なのかを示唆する。
この映画では、多くの登場人物が物理的、精神的な囚人と言えるだろう。
事件が起こるサンクス・ギビングは、本来キリスト教の祝日ではないが、一般的にはこの世界で愛する人たちと共に生きられる事を、森羅万象=神に感謝する日である。
しかしドーヴァーは、本当の意味でキリストの愛を理解していたのだろうか。
信仰の根源である原罪の意識と慈愛の精神を忘れ、周りの世界と共に生きる事を拒絶した彼は、七つの大罪のうち、“傲慢”“憤怒”という罪を犯し、自ら悪魔を呼び寄せた。
彼もまた、無意識に作り上げた見えない檻に囚われた、“プリズナー”だ。
そして一度悪魔に魅入られた者は、そう簡単には解放されないのである。

今回はビターな人間ドラマという事で、西海岸はサンフランシスコ・ベイエリアの若い醸造所、ハイウォーター・ブリューイングの「ホップ ライオット IPA」をチョイス。
“ホップの暴動”という変わった名の通り、ウリは圧倒的なホップ感。
苦味を前面に押し出したビター&フルーティな味わいは、緊迫したサスペンスに乾いた喉を十分に潤してくれるだろう。

しかし本作を観て、宗教はドラマツルギーを考える上で、もの凄く便利なモチーフだと改めて思った。
キリスト教やイスラム教圏に比べると、日本映画はこの一点でも大きなハンデを負っている気がする。
まあ自然へのアニミズム的アプローチなんて、日本ならではの表現もあるのだけど。

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キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー・・・・・評価額1700円
2014年04月26日 (土) | 編集 |
帰還兵たちの孤独な戦い。

アベンジャーズのリーダーにして高潔の人、キャプテン・アメリカの活躍を描く、シリーズ第2弾。
世界の平和を守るはずのS.H.I.E.L.D内部に巣食った意外な敵によって、キャプテンだけでなくブラック・ウィドウやニック・フューリーまでもが絶体絶命の危機に陥る。
そして彼らの前に現れる、キャプテンと同等の戦闘力を持つ謎の兵士“ウィンター・ソルジャー”との壮絶な戦い。
スーパーヒーローが体現する正義とはなんなのか、マーベル・ユニバースだけでなく、現実の安全保障の概念までもメタ的に俯瞰し、ある種のコンスピラシームービーとした構造には思わず唸った。
SFアクションとして前作を遥かに超えているのはもちろん、一連のアベンジャーズ・シリーズ中ベストと言ってよい見事な仕上がりである。
ファルコンやエージェント13(シャロン・カーター?)ら新キャラクターも登場し、いよいよ「アベンジャーズ2」への期待も高まってくる。
※核心部分に触れています。

アベンジャーズの闘いから2年。
スティーヴ・ロジャース(クリス・エバンス)は現代の生活への適応に苦労しつつ、諜報機関S.H.I.E.L.Dでキャプテン・アメリカとして世界平和のために活動している。
しかしブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)と共に、シージャックされた船の奪還作戦に従事した直後、S.H.I.E.L.D長官のニック・フューリーが何者かによって襲われ、彼を匿ったキャプテンもなぜかS.H.I.E.L.Dの戦闘部隊によって襲撃される。
実は理事のアレクサンダー・ピアース(ロバート・レッドフォード)率いる一派によってS.H.I.E.L.Dが乗っ取られ、組織に敵対しそうな人間を一斉に抹殺し、世界を支配する計画が密かに進行していた。
キャプテンはブラック・ウィドウと共に、暗号に示された嘗ての超人兵士計画の秘密基地を訪れるのだ、そこで彼を待っていたのは驚くべき人物だった・・・・


1971年1月31日から3日間。
真冬のデトロイトで、ある公聴会が開かれた。
ベトナム戦争の帰還兵たちが、悲惨な戦争の真実を訴え、自分たちの人間性を取り戻すため、戦地で起こった残虐行為や戦争犯罪の数々を証言した“ウィンター・ソルジャー公聴会”である。
あまりにも生々しい彼らの言葉は主要メディアには黙殺されるも、有志の映画人によって「ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白」としてドキュメンタリー映画化され、末期のベトナム反戦運動に一定の影響を与える事になった。
本作の副題である「ウィンター・ソルジャー」の由来はこの公聴会であり、これが悲しき兵士たちの物語である事を示唆している。

「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」には3人の帰還兵が登場する。
一人はもちろんキャプテン、もう一人は彼がジョギング中に知り合い、後にアベンジャーズのメンバー“ファルコン”となるサム・ウィルソン、そして本作のヴィラン、ウィンター・ソルジャーこと、死んだと思われていたバッキー・バーンズ。
彼らの共通点は帰還兵である事と、全員が原作コミックで“キャプテン・アメリカ”を名乗った経歴を持つという事だ。
つまりキャプテン・アメリカとはスティーヴ・ロジャースだけの事ではなく、超常の力を持つ強く優しい帰還兵の象徴なのである。
彼らは皆戦場で生き残ったにも関わらず、戦争の影から逃れる事が出来てない。
特にキャプテンとウィンター・ソルジャーは、一枚のコインの表と裏の関係と言えるだろう。
同じテクノロジーによって生まれた二人は、お互いの運命が入れ替わっていても不思議はなかった。
スティーヴ・ロジャースを超人兵士に生まれ変わらせたアースキン博士は、キャプテンに「良き兵士である前に、良き人間であれ」と説いたが、バッキーを最強の暗殺者、ウィンター・ソルジャーにした者たちは違う。
彼は、人間性を奪われたもう一人のキャプテンなのだ。

人間を心無き殺人マシーンにして、“彼ら”が得ようとした成果は何か。
ウィンター・ソルジャーとキャプテンの関係は言わば本作の横軸であり、縦軸はシールド内部に巣食ったある集団の野望を挫く事だ。
S.H.I.E.L.Dは特殊なアルゴリズムを用いたプログラムを使い、人類に危険をもたらす存在、例えばテロ思想の持ち主などを事前に察知し、彼らが行動を起こす前に排除する計画を進めている。
だがキーマンであるアレクサンダー・ピアーズらの本当の狙いは、秩序維持を名目に自分たちに敵対する存在を地上から抹殺し、静かに世界を支配する事なのだ。
荒唐無稽と思う無かれ。
現実に危険な存在になってから敵を排除するのではなく、可能性の段階で芽を摘んでおくというのは、現代の安全保障、特にカウンターテロリズムにおいては基本だ。
範囲の違いはあれど、ピアーズらの考えは昨年大きな問題になったアメリカの政府機関、NSA(国家安全保障局)によるプリズムと呼ばれるシステムを用いた違法な情報収集や、米英豪など英語圏の国が運用していると言われるエシュロンによる全地球規模の通信傍受とさして大きくは変わらない。
代表作の一つ「大統領の陰謀」で、ニクソン大統領を盗聴疑惑で追い詰めたロバート・レッドフォードに、この役をやらせるシニカルなセンス。

キャプテンは、S.H.I.E.L.Dの計画は正義ではなく恐怖による支配だと批判する。
ファシズムを阻止するために超人兵士計画に志願した彼の体現する正義は、あくまでも“自由と博愛”に最大のプライオリティを置く。
可能性の未来によって人々を統制する計画は、本来彼が抗うべき価値観なのである。
だが、現実のアメリカ国民は、安全と自由のトレードオフをある程度認めてしまっているというのは何とも皮肉だ。
21世紀の現代に蘇ったキャプテンは、それでも決して自らの信念を揺るがせない。
ある意味前世紀の遺物であるマーベル最古の96歳のヒーローは、傷つき、葛藤しながらも「正義は、恐怖を内包するものなのか?アメリカよ、それで良いのか?」と問いかけるのだ。

もちろん、冒頭のシージャック襲撃から怒涛のクライマックスまで、パワフルな見せ場もてんこ盛り。
超音速で空を飛ぶことも、スパイダースイングも出来ないキャプテンは、基本的に普通の人間の強化されたバージョンであり、そのアクションもCG主体となる多くのスーパーヒーロー物とは趣が異なる。
本作の監督のルッソ兄弟は「フレンチ・コネクション」や「ヒート」といった作品が大好きだそうで、なるほど迫力のカーチェイスや緊迫感溢れる銃撃戦など、フリードキンやマイケル・マンの男臭いテイストを強烈に感じさせる。
もう一人の自分と、生身の肉体でドツキ合うクライマックスでは、前作が状況的な伏線として機能しているのも上手い。
ここでも一度救えなかった命を、二度あきらめる事は決してしない、キャプテンの優しさに泣ける。
アメコミ物は、話だけじゃなくて、ビジュアルまで漫画っぽ過ぎてどうも・・・と思っている人も、本作は正統派の本格アクション映画として楽しめるのではないだろうか。

まあ、空中空母からあんな方法で地上を射撃したら、街そのものが崩壊しちゃうじゃんとか、何で肝心要のチップの搭載位置があんな分かりやすくて無防備な所なのかとか、突っ込もうと思えば突っ込みどころは幾つもあるものの、物語のテーマは奥深く、しっかりと考えられているのだ。
話の軸がぶれないというやつである。
素晴らしい出来栄えの本作だが、あえて不満を言えば、ジョー・ジョンストンが宮崎駿ばりに趣味性全快で作った第一作に比べると、マニアックさが薄れていた事か。
“6万メートルの某博士”にはさすがマッドサイエンティストのワクワクを感じた(て言うか6万で容量足りるの?)けど、全体に前作よりも「アベンジャーズ」テイストが色濃い。
カラーの変化は監督の交代の他にも舞台が現代に移った事が大きいのだろうけど、せっかくスミソニアン博物館を出すのならレア物の変な飛行機を持ってきて欲しかったなあ。
ブラック・ウィドウを、飛行機のP-61ブラック・ウィドウに乗せるとかどうよ。

今回はウィンター・ソルジャーたちのために、温かいウィンター・ドリンク「ホット・ドラム」をチョイス。
耐熱グラスにドランブイ35ml、レモンジュース10ml、湯を適量注ぎステアする。
最後にオレンジピールを絞って香りをつけたら完成。
ドランブイのハチミツ成分は喉に優しく、体の底から温まるので直ぐに眠くなり、ナイトキャップにも最適だ。
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パタパタ・・・・・評価額1650円
2014年04月22日 (火) | 編集 |
この残酷で美しき世界。

海鮮料理店の水槽に囚われた一匹のサバが、海に帰ろうと奮闘する姿を描く長編CGアニメーション。
メインキャラクターは、ほとんどカリカチュアされていないリアルな魚たち。
しかもミュージカル仕立てという、韓国インディーズアニメーション界が放った超シュールな異色作だ。
窮屈な水槽と故郷の海を隔てるのはたった一枚のガラスだけだが、この僅か数ミリによって世界は永遠に分かたれる。
イ・デヒ監督が作り上げたのは、小さな水槽の中で展開する生と死の葛藤、そして絶望とその先にある希望の物語だ。
タイトルの「パタパタ(파닥파닥)」は、魚たちが常に“パタパタ”と動き回るサバにつけた呼び名。
※核心部分に触れています。

次々と魚が水揚げされる漁港。
網にかかったサバのパタパタ(キム・ヒジョン)は多くの仲間たちと共に、港の海鮮料理店に卸される。
水槽ではボスであるオールドヒラメ(ヒョン・ギンス)が、アナゴやアイナメら他の魚たちを支配していた。
彼らは、人間の前では死んだふりをする事で、何とか生き残っているのだ。
しかし、パタパタはそんな死を先送りするだけの生き方を受け入れず、海に帰る希望を捨てない。
店は海からほんの数メートルしか離れておらず、水槽の向こうには懐かしい風景が広がっているのだ。
毎日、仲間たちが活け造りにされ、人間たちに食べられるのを目の当たりにしながら、必死に脱出を試みるサバの姿は、いつしか魚たちの心を変えてゆく・・・・


魚が主人公のアニメーションと言っても、決して「ファインディング・ニモ」の様な愉快で楽しい映画を連想してはいけない。
あの映画にも観賞魚の水槽から脱出するエピソードがあったが、こちらは同じ水槽でも料理店のイケス。
魚目線で見れば、そこは正しくアウシュビッツの様な絶滅収容所である。
リアルな魚たちが、首を落とされ、内蔵を引き抜かれ、生きたまま刺身に捌かれるのだから、スプラッター以外の何物でもない。
おまけに子供の悪戯でクマノミ(ニモにしか見えない!)の水槽に入れられたサバが、クマノミを食べてしまう描写すらあるのだ。
大人ですら本作の鑑賞後には刺身を食べるのに抵抗を感じてしまうのだから、子供の頃に観たら魚料理がトラウマ化することは確実である。

本作における水槽の中は、人間社会のメタファーと言って良いだろう。
この小さな世界は、昼の間は水槽の底の蓋の下に隠れ、夜になると出てくる古株のオールドヒラメの下、ヒエラルキーによって支配されている。
ナンバー2はヒラメの腰ぎんちゃくである狡猾なアナゴ、最下位の地位にある若いアイナメは、毎夜ヒラメの権威を高めるために繰り返される理不尽なクイズの罰ゲームとして、他の魚から尾びれを食べられるという苛めに苦しんでいる。
養殖所育ちの彼らは、海生まれで、死んだふりによって人間の手を逃れる術を教えたヒラメを崇拝しているのである。
だがパタパタと呼ばれる新参者のサバは、そんな彼らの消極的な生に染まることを拒否する。
たとえ今日死んだふりで生き残ったとしても、明日、明後日、その先の未来は?
単に死を先延ばしするだけなら、たとえ過去に誰も成功した者がなかったとしても、脱出して海に帰る事を諦めない。
最初悪あがきにしか思っていなかった他の魚たちも、パタパタの必死の挑戦を見ているうちに少しずつ心を動かされてゆく。
やがて、水槽の支配者である頑ななヒラメにも変化が。

皆には海育ちと言っているヒラメも、本当は養殖所の生まれで海を知らない。
死んだふりを教えてくれた恋人は、遠い昔に彼を救って自分は人間に殺されてしまったのだ。
以来ずっと絶望を抱えて生きてきたヒラメは、決して諦めないパタパタを見ているうちに、彼女に対する反発とは裏腹に、心の奥底に封印してきた自由への渇望を目覚めさせてしまう。
どんな状況でも希望を持ち続けるパタパタに対して、既に絶望しているヒラメはアンチテーゼであり、二匹の葛藤の相互作用によってジンテーゼが導き出される。
物語の構造的に言えば、テーマを体現しているのはタイトルロールのパタパタよりもむしろヒラメであり、彼こそが本当の主人公と考えて良いだろう。
パタパタとヒラメの運命が交錯し、劇的な展開を見せるクライマックスは、それまでの伏線も上手く機能して大いに盛り上がる。
観客はいつしか晩御飯のオカズたちに感情移入し、彼らの運命に手に汗握り、最後には喝采すら送りたくなるのだから素晴らしい。

アニメーション表現的に感心したのは、魚たちの目の表現だ。
前記した様に、本作の世界観は非常に写実的で、魚たちも非常にリアルに造形されおり、それ故に我々の日常の片隅にある異世界としての水槽という設定が生きている。
唯一魚の目だけアニメーション的なカリカチュアがなされており、クルクルとよく動く瞳によって、魚たちの感情のかなりの部分が伝わってくるのだ。
瞳のないキャラクターの感情表現のむずかしさは、例えば「攻殻機動隊」のバトーの表情を見てもわかるが、本作は目の演技だけでも演出センスを感じさせる。
また唐突に入ってくる手描きのミュージカルパートも、ぶっちゃけ意図はよく分からないものの、インパクトは絶大。
とにかくこれがやりたいんだ~!という作り手の熱が伝わってくるし、ラストカットの意匠もこの部分があるから生きてくるとも言えるので、一つの見せ場としてアリだと思う。
まあ、こういったシュールさを含めて、好き嫌いははっきり分かれる作品だろうが、少なくとも世界のアニメーション史上で、他に似た作品のないオンリーワンの一本であることは間違いない。
大変な力作であり、意欲作である。

この作品がインディーズで作られ、それがCJの配給で劇場公開されるとは、韓国アニメーション界のサブカルパワー恐るべし。
しかし隣国で本作や「豚の王」といった挑戦的な長編インディーズアニメーションが作られているのに、どれも日本で正式公開に至らないのはまことに残念だ。
本作は韓国現代アニメーションを紹介する「花開くコリア・アニメーション」で鑑賞できたが、一般公開のめどは立っていないと聞く。
もちろん売りにくい作品であることは間違いなのだが、この壮絶なまでの情念渦巻く作家性にはスクリーンに惹きこまれる引力がある。
そういえば「豚の王」のヨン・サンホ監督の新作、「サイビ」や来年公開の次回作、「ソウル駅」も日本ではどうなるのか。
勇気ある配給会社の方々、単館でもいいから是非一般劇場での公開を!
ちなみに「花開くコリア・アニメーション」は5月31日と6月1日に名古屋でも開催されるので、当面はこれが日本で本作をスクリーンで観られるラストチャンスとなる様だ。

今回は、刺身に合う日本酒を(苦
島根県の地酒、池月酒造の「誉池月 燗専辛口 純米酒」をチョイス。
常温で飲んでも美味しいが、やはり燗専というくらいなのでぬる燗で飲むのがおすすめ。
辛口の中に感じられる旨さが増幅して感じられ、日本海の海の幸をいただきながら飲むとこれ以上の幸せはない。
ごめんねパタパタ。でもやっぱり刺身はやめられないわ!
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ショートレビュー「LEGO ムービー・・・・・評価額1650円」
2014年04月19日 (土) | 編集 |
破壊から始まる新しい世界。

誰もが知ってるデンマーク生まれの玩具、LEGOの世界を舞台とした夢いっぱいのアドベンチャー。
小さいお友達も、大きいお友達も、LEGOという共通のキーワードさえあれば、どっぷり浸って楽しめる。
一見するとコマ撮り風味の映像だが、実際にはブロック単位で精巧にモデリングされたCGアニメーションだ。
主人公は、全てがLEGOでできたブロックシティで、作業員をしているLEGOフィギュアのエメット。
朝起きてから一日の行動すべてをマニュアル通りにこなして、代わり映えのしない日常に何の疑問も抱かない“普通”を絵にかいたようなキャラクターだ。
ところが、ひょんな事から彼は世界を救う「えらばれし者」と間違われ、LEGOの世界を支配しようとするおしごと大王の野望を阻止するために、大冒険を繰り広げる事になる。

「くもりときどきミートボール」で知られるフィル・ロードとクリストファー・ミラー両監督は、ロボットの様に決められた毎日を送っている主人公が、“創造的破壊”を学ぶプロセスを通して、単なる成長ものとしてだけでなく、世界中で愛されるLEGOの哲学までも描いて見せる。
LEGOで遊んだ経験のある人ならわかるだろうが、このシンプルな玩具の魅力は、アイディア次第でなんでも作れる事にある。
建物や乗り物、恐竜や動物、あるいは街や自然のランドスケープまで。
100人が遊べば100通りのものが作り上げられ、そして完成したものをまたバラバラにする事でどんなものにも姿を変える。
ところがLEGO世界の権力者であるおしごと大王は、正しい秩序の名のもとに、LEGO世界を無限に変化させ続けるマスタービルダーたちの活動を停止させ、全てを接着剤で固定してしまおうとするのである。
面白いのは、マニュアル人間のエメットは、物語の最初においてはむしろおしごと大王と価値観を共有しているという事だ。
現状を繰り返す事以外の選択肢を知らなかった彼はしかし、突然現れたワイルドガールに「えらばれし者」と勘違いされると、マスタービルダーたちが作ったいくつもの世界をまたにかける冒険を通して、LEGO世界の広さと多様性を知り、少しずつ変わってゆく。
とは言っても、エメットがヒーロー化する訳ではない。
マニュアル依存癖はあるし、行動だってかなりドンくさく、最後まで普通の人のままだ。
でも、少なくとも彼は、この世界の自由と、変化する事の素晴らしさを理解するのである。

そして長い旅の末に、エメットはついに宇宙の壁を突き破ってしまう。
スーパーヒーローでもマスタービルダーでもない凡人が、未知の領域を開いて世界を救う痛快さ。
突如として出現する“上の人”の世界はLEGO世界の相互メタファーとして機能し、物語のテーマ的な意味づけを強化する。
LEGO世界をメタ構造で描いた物語は、ここへ至って我々の現実世界をもメタ的に俯瞰してみせるのだ。
かつてLEGOに夢中になり、いつしかその生き方の変化と共に、LEGOの本質的な面白さを忘れてしまった大きなお友達は、小さなお友達の屈託のない想像力によって、心の閉塞を打ち破られる。
そう、LEGOの遊びだって、現実の人生だって、前に進むには今まで積み上げてきたものの創造的破壊が不可欠なのである。

権利関係が大変だったろうなと想像するが、DCコミック系のLEGOフィギュア、特にバットマンが準主役で活躍するのは嬉しくなってしまう。
しかもその偏屈なキャラクターは、たとえLEGO化されていても、しっかりバットマンなのである。
他にも、LEGOフィギュアにラインナップされている各社の映画キャラが続々と・・・。
本作の世界的大ヒットを受けて、すでにアナウンスされている続編では、DC系とマーベル系フィギュアの夢の競演なども期待したくなるではないか。

今回はLEGOの故郷、デンマークの代表的なビールの銘柄「カールスバーグ」をチョイス。
世界四位の巨大ブランドだけあって、味わいは正に王道のピルスナー。
国内で売られているものは、殆どがサントリーのライセンス生産品である。
コク、キレ、苦みのバランスは適度で、のど越しはまろやかだが、後味はわりと力強い。
まあ洋ビールとしては癖がなさすぎるのが欠点と言えば欠点だが、その分どんな料理に合わせても美味しく頂ける。

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ショートレビュー「1/11 じゅういちぶんのいち・・・・・評価額1650円」
2014年04月15日 (火) | 編集 |
“キラキラ”を取り戻そう!

なんと瑞々しく、繊細な映画だろう。
「1/11 じゅういちぶんのいち」にあるのは青春の苦悩、焦燥、渇望そして情熱と希望。
ここには、「桐島、部活やめるってよ」のあふれ出る熱気と、「虹の女神」の喪失の切なさが同時に存在し、尚且つ清浄でストイックな空気は独特の情感を醸し出す。
サッカーをモチーフに、少年たちの自らの居場所を巡る葛藤と、彼らを見守りつつ、自らも思い迷う少女たちのまぶしいこと!
心地よい映画的時間に浸り、おっさんの心にも静かな炎を灯されるオンリーワンの80分。
新鋭、片岡翔監督の会心の長編劇映画デビュー作だ。

原作コミックは未読。
物語の構成はちょっとユニークだ。
前半はサッカー部を作るために、必死で部員集めをする安藤ソラを中心とした青春群像劇
真摯にサッカーに向き合い、いつかプロになって世界一の“1/11”を目指すと語るソラの周りにいるのは、野球で挫折した越川凛哉やクラブチームのユースからドロップアウトして、なぜか今は演劇部に所属している野村瞬、写真オタクの柏木千夜子や演劇部部長の小田麻綾といった個性的な面々。
ある者はひたむきに好きなものに打ち込み、ある者は情熱をぶつける先を失ったり、見つけられなかったり、それぞれの葛藤を抱えている。
「自分の写真を撮ってくれ」と言う凛哉に、千夜子は首を横に振ってこう答える。
「(あなたは)キラキラしてない」
彼らはいつしかソラの持つ不思議な引力に引き付けられ、彼を合わせ鏡として自らの心と向き合い、やがて自分のいるべき場所を見出してゆくのである。

なるほど良い話だけど、ちょっとソラのキャラクターが出来過ぎじゃないかと思っていると、物語は後半思いもよらぬ方向へと展開する。
そこで語られるのは、才能に自信を失いサッカーをあきらめていたソラが、再びピッチに立つことを決意するまでの、少しだけ過去の物語。
ソラとある人物との奇妙な邂逅、そしてそのエピソード裏に隠された驚くべき種明かし。
筋立てとしてはたしてこの構成がベストなのか?という事は議論の余地があると思うが、物語上のご都合主義的な引っかかりが、ある種のミスリードとして機能し、後になってから感動を増幅しているのは紛れもない事実だ。
ソラは決して届かないある人の背中を懸命に追い、皆はそんなソラを見て、自分の青春を少しづつ良い方向へと導いてゆく。
過去からの風が現代へと優しく語りかけ、物語が未来へと向かって力強く走り出す終盤の静かなカタルシスは、実に映画的である。

「1/11 じゅういちぶんのいち」は、どこからどう見ても低予算の小品だ。
ストーリーとテリングにはぎこちなさが残り、若い俳優たちは殆どが知らない顔で、正直なところ演技も皆が上手いとは言い難い。
しかしこの映画には、どんな超大作にも負けない、青春のキラキラがたっぷりと詰まっているのである。
スクリーン上で葛藤し、躍動する若者たちの姿と、彼らと共に苦闘したであろう作り手が込めたこぼれんばかりの熱い想いは、感涙を誘うには十分だ。
決して器用な作品ではないが、観た人に長く愛され、語り継がれる、忘れられない一本になるだろう。
ああ、でもこの映画には高校生のころに出会いたかったな!

若々しい本作には「フレッシュ」をチョイス。
オリオンビールが主催したアガイティーダカクテルコンペティションで、沖縄ハーバービューホテルの野倉清隆氏が作った創作カクテル。
「いきいきとした朝日は、フレッシュな気持ちにさせてくれる!まるで挑戦し続けるあなたのように」とは正に本作にピッタリだ。
アガイティーダ30ml、フレッシュグレープフルーツジュース30ml、ライムシロップに浸したパイナップル少量をブレンダーにかけ、グラスに注ぎミントの葉でデコレーション。
アガイティーダはシークァーサーの果皮をアルコールで漬け込み蒸留したスピリッツに泡盛をブレンドしたもので、フワリと立ち上るフルーティな香りが心地良い。
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ショートレビュー「チョコレートドーナツ・・・・・評価額1650円」
2014年04月14日 (月) | 編集 |
ほんとうの家、ほんとうの家族とは。

1970年代のアメリカ。
ひょんな事から家族となった、ゲイのカップルとダウン症の少年。
しかし彼らの幸せな時は、世間の偏見と不寛容によってあっけなく終わりを迎える。
共同脚本家のジョージ・アーサー・ブルームが、昔住んでいたアパートの住人たちをモデルに書きかげた脚本は、20年間忘れ去られていたという。
彼の息子で本作の音楽監修を担当しているPJブルームが、トラヴィス・ファイン監督に持ち込んでようやく実現した難産の作品だが、世界各国の映画祭で、数多くの“観客賞”に輝いたというのも納得だ。
これは優しくて、厳しい、人々を苦悶させながらも惹き付けてやまない、まことに愛すべき作品なのである。

1960年代に吹き荒れた公民権運動の嵐の結果、人種的マイノリティは少なくとも法的には平等な権利を獲得した。
しかしこの運動で、誰もが自由になった訳ではない。
公民権運動は抑圧されたマイノリティを社会的に覚醒させる役割を果たしたが、宗教的・倫理的タブーとされた同性愛者にとってはまだまだ生き難い時代が長く続く。
例えば保守的な南部バイブルベルト辺りでは、ゲイであることを明かすことはダイレクトに命の問題で、カミングアウトする事自体が、現代では考えられないくらいに大変な決断だったのである。

そんな時代に、主人公のルディは歌手になることを夢見て、ゲイバーのショーで生計を立てている。
見た目のキャラも分かりやすいオカマの彼は、ある日店にやって来たポールと瞬く間に恋に落ちるのだが、こちらはゲイである事を隠しているお堅い法律家というコントラスト。
自由奔放なルディと真面目なポールというカップルが、薬物依存の母親にネグレクトされた隣家の子供で、ダウン症というハンデを持つマルコを育てる事になる。
社会から阻害された者同士、無償の愛という血よりも濃い絆によって結びつけられた不思議な“家族”のつかの間の平和。
だが、ルディとポールがゲイである事が周囲に知られると、マルコは強制的に彼らと引き離され、あろうことか自分を捨てた親の元へと戻される。
今でこそ様々な方法で子供を持つ同性愛のカップルは珍しくないが、70年代ではそうはいかない。
“普通”“異常”という、本来曖昧な境界を明快な二元論に断じてしまう言葉の恐ろしさ。
裁判官や検事に象徴される“社会”は同性愛者の里親という自らが理解できない“異常"な存在よりも、薬物中毒で子供を虐待する実の親という分かりやすい“普通”を選択するのである。

ルディを演じるアラン・カミングが素晴らしい。
彼自身もバイセクシャルを公言しているが、エキセントリックでありながら、深い葛藤と情愛を感じさせるキャラクターを見事に演じ切っている。
マルコを奪われたルディが、ボブ・ディランの「I Shall Be Released」を切々と歌い上げるシーンは、心を切り裂かれる様な魂の歌声で背筋がゾクゾク。
さすがはトニー賞受賞のミュージカル俳優である。

邦題の「チョコレートドーナツ」は、劇中のマルコの好物から。
これだと何となく柔らかな感動作の様に思えるが、物語の意外な結末には観客全てが優しく打ちのめされるだろう。
原題の「Any Day Now」は「いつ何時でも」とでも訳せるだろうか。
この世に、正義なんてものは最初から存在しないのかも知れない。
それでも諦めずに人々が戦い続けた結果、21世紀の社会は同性愛者にもだいぶ寛容になったのは紛れもない事実だろう。
しかし、この映画の裁判官の様な事を言う人は今でも決して珍しくない。
偏見と不寛容によって起こる不作為の罪は、いつ何時でも起こりえるのである。
例えそれが声無き弱者を追い詰める事だとしても。

今回は、チョコレートドーナツの様な甘味なカクテル「カルーアミルク」をチョイス。
カルーアとミルクをお好みの分量でステアし、氷を入れたタンブラーに注ぐ。
コーヒーリキュールの濃厚さとミルクのマイルドさが融合し、絶妙に美味しい。
コールドでも良いが、個人的にはミルクを温めてホットにするのが更に好みだ。
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アデル、ブルーは熱い色・・・・・評価額1700円
2014年04月09日 (水) | 編集 |
さらば、青春のブルー。

平凡な高校生アデルが、青い髪の美大生エマと出会い、人生を変える情熱的な愛を知る鮮烈なファースト・ラブ・ストーリー
ジュリー・マロのバンデシネ「ブルーは熱い色」を原作に、鬼才アブデラティフ・ケシシュ監督が、人を想い愛する事の喜びと痛みを、赤裸々な性愛描写と共に描く。
昨年のカンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールが史上初めて監督と二人の主演女優の三人に贈られたことでも話題となった。
愛の葛藤に寄り添う濃密なる3時間、ヘビーだが見応えは十分だ。
※映画・原作の核心部分に触れています

高校生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、街で見かけた青い髪の女性に心惹かれる。
上級生のボーイフレンドとの付き合いが破局し、好奇心から友人と同性愛者の集まる街の一角へと出かけたアデルは、そこで偶然青い髪の女性と再会。
エマ(レア・セドゥ)と名乗った彼女と、不思議な絆を感じたアデルは、急速に接近する。
やがてアデルの内側に芽生えた抑えがたい熱情。
二人はキスを交わし、エマのアパートで激しく求め合う。
数年後、教師となったアデルは、画家として将来を嘱望されるエマのモデルをしながらパートナーとして共に暮らしている。
しかし二人が友人たちを招いたパーティの席上、アデルはエマと親しげに話す画家仲間のリーズとの仲を疑い始めるが・・・・


先に原作のバンデシネを読んでいたので、映画には良い意味で驚かされた。
原作ではクレモンティーヌ(クレム)という主人公の名前が、なぜか映画ではアデルに変わっているのだが、その理由も観て納得。
主人公が青い髪のファムファタール、エマと出会い、自らの内面から湧き上がる性の衝動に苦悩する前半部分は比較的忠実、しかし成人した二人を描く後半部分から、映画は原作から大きく離れてゆく。
自らもレズビアンであるというジュリー・マロのバンデシネは、15歳の頃からクレムが書き続けた日記を後年にエマが読むという形式で語られ、同性愛を巡る青春の葛藤にページ数のおおよそ5/6が費やされている。
大人になった二人を描くごく短い終盤で、クレムの浮気から二人が破局するのは映画と共通だが、その後精神を崩壊させて薬物依存となったクレムは、若くして帰らぬ人となり、自らの喪失によって愛の永続性を証明するのだ。
ケシシュは、この21世紀版「ベティ・ブルー」的な物語の精神性を大きく変更し、原作と映画の主人公はいわばパラレルワールドの様に、全く別の道へと進んでゆく。
出発点は同じでも、映画のアデルと原作のクレムは、物語の終わりには名前の通りに別人となっているのである。

幼さを残す顔立ちにいつも半開きの口元、自分と同名のアデルを演じるアデル・ エグザルコプロスが素晴らしい。
執拗なまでのクローズアップの連続で、ケシシュは彼女の内面を覗き込む。
ホモとヘテロ、エリートと大衆、リベラルと保守、アデルの人生には幾つもの対立構造が配置されており、彼女はエマと出会ってしまった事で次々と障壁にぶつかり、葛藤を深めてゆく。
またこのキャラクター、とにかく良く食べて、良く寝るのだが、この二つのシチュエーションは、アデルという人物を描写する上で重要な要素となっている。
例えばアデルの家では、いつも安価なパスタ(しかも大量)ばかりを食べているが、対照的に彼女がエマの実家に招かれたとき、用意されていたのはフレッシュな牡蠣と白ワイン。
牡蠣はもとより甲殻類も苦手だというアデルだが、要するに比較的低所得な彼女の家では高価な海の幸は供されないので食わず嫌いなのである。
パスタと牡蠣は二人の育った環境と文化の格差を表現するだけでなく、そのまま二人の性愛のメタファーともなっている複合性もユニーク。
そして葛藤した後には、アデルは必ずといって良いほど爆睡する。
まことに、生物として正しい生き方である(笑
前評判の高かったハードな性描写は確かに長いし印象的だが、それだけが突出しないのは、本作がセックスとは日々の日常、食べて、寝るのと同じく生きる事の一部である事をしっかり抑えているからだ。

映画版では、アデルの高校時代は前半で終了し、後半は数年が経過し社会人となった二人が同居している所から始まる。
自分の中の同性愛的衝動を認めるか否かという十代の葛藤は原作とは相対的に希薄化し、変わってフォーカスされるのは、アデルの心に吹き荒れる愛の嵐だ。
前半では初恋の熱情によって掻き消されていた二人の見ている世界の違いは、やがて大人になったアデルの心をかき乱し、引き裂いてゆくのである。
志望どおり教師となった彼女は、地に足をつけた堅実な人生を歩んでおり、同性愛者である事も職場には隠している。
一方、新進画家として大切な時期にさしかかっているエマは、嘗てアデルが心惹かれた青く染めた髪も地の色に戻し、成功へとまい進している。
自宅のパーティに業界の友人たちを招き、アデルが腕によりをかけた料理(やっぱりパスタ!)を振舞うのも、将来に向けた人脈を確保するためで、作業と称して家に戻らない事も多い。
エマの世界は華やかに大きく広がりつつあり、アデルは彼女に置いて行かれる様な不安を感じているのである。
アデルに文章の才を見出しているエマは、物語を書くことを薦めているが、アデルにとっては“そっち側”には今一歩踏み込む事が出来ないのだ。

そして、必然的にやってくる破局。
この映画を端的に言えば、アデルの狂おしくも色褪せないあまりに長い初恋、その始まりから終わりまでを描いた愛のクロニクル
エマに振り向いてもらえない寂しさに、男性との浮気に走った事によって、二人の生活は終わりを告げる。
しかし青春を捧げたエマに拒絶されたアデルは、そう簡単に割り切る事が出来ない。
ここで原作のクレムは、薬に頼りながら二人で暮らした過去に留まり、自らの死をもって時間の環を閉じる。
クレムにとってエマのもたらしたブルーの衝撃は青春の、いや人生の全てであり、彼女は初恋に生きて初恋に死んだのだ。
しかし、映画のアデルはそうではない。
破局から更に数年後、彼女は画家として成功したエマに招かれ、彼女の個展を訪れるのだが、その時に彼女が身にまとっているのは鮮やかなブルーの服である。
人生の転機となり、全ての情愛を捧げたブルー、しかし嘗てのパートナーはその色に特に大きく反応する事はない。
エマによって火をつけられ、今も自らの中に静かに燃える青い炎を抱えたまま、アデルは遂に時の環を脱して、初恋を過去のものとするのである。
なるほど青春の象徴であるブルーを、原作とは違う意味付けで使ったオチがまこと秀逸で、思わず唸った。
同性愛をモチーフとしてはいるものの、本作で描かれている事は、苦しくて切なくて、そしてあとから思い出すとちょっとだけ気恥ずかしくもある普遍的な初恋の情景。
ケシシュは、3時間の濃密な映画的時間を通して、観客の心に秘められた人を愛する事の痛みを呼び起こすのである。

ところで、原作と映画で主人公の名前が違うのは前記した通りだが、映画版の主人公の名前が“アデル”なのはもしかしたらケシシュからフランソワ・トリュフォーへのオマージュなのではないだろうか。
トリュフォーの「アデルの恋の物語」の主人公も、あまりにも一途に初恋を追い求め、精神のバランスを失ってしまう悲しき女性であった。
そしてこれまた原作とは異なる本作の原題「La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2(アデルの人生 第一章と第二章)」 と、「アデルの恋の物語」の原題「L'Histoire d'Adèle H (アデル・Hの人生)」もどこか共通しているではないか。
ラストのクール&ウェットな情感も、トリュフォーっぽく感じたのは、たぶん私だけではないと思うのだけど。

今回は青春のブルーに乾杯!ということで、海の様に青いフランスのスパークリング「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアのシンボルカラーである事から、縁起物として結婚式などのパーティでよく供されるブルースパークリング。
ソーヴィニヨン・ブランで作られるこちらは、やや辛口で口当たりも良く、柑橘系の爽やかな香りと適度な酸味を持ち、アペリティフとしても料理に合わせても美味しくいただける。
透明感のある美しいブルーは、見ているだけで涼しい気分にさせてくれるだろう。

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ショートレビュー「ローン・サバイバー・・・・・評価額1600円」
2014年04月04日 (金) | 編集 |
鎮魂のサバイバル。

2005年6月、アフガニスタンの山岳地帯で、タリバン幹部の暗殺を狙った海軍特殊部隊ネイビー・シールズによる“レッド・ウィング作戦”が失敗し、多数の死傷者を出した事件の顛末を、4人の先遣偵察隊唯一の生存者であるマーカス・ラトレルの手記を元に描いた実録物だ。
偵察中にタリバンの拠点の村の山羊飼いに遭遇したマーカスらは、深刻なジレンマに直面する。
解放すれば確実にタリバンに通報され、圧倒的多数の敵に追われる事になるのは確実。
だが、もしも丸腰の山羊飼いを口封じに殺せば、これまた間違いなくにシールズは全世界の非難を浴びる事になる。
苦悩の末に彼らは山羊飼いたちを解放するのだが、結果的にこの判断によって地獄へと突き落とされる事になるのだ。

冒頭、シールズの過酷な訓練の記録映像が映し出される。
単なるフィクションでなく、現実の延長線上にある“True event”を描いた作品であることを主張するオープニング。
なるほど、この冒頭が示唆する様に、本作は極めて特殊な劇映画であり、観客と戦争との距離によって、作品の持つ意義が全く異なる作品だと思う。
端的に言えば、これはアフガニスタンで亡くなった兵士の死に意味を与え、鎮魂と慰霊のために作られた作品である。
その意味で、本作の想定する観客は第一義的には米軍関係者、二義的にはアメリカ国民、あるいは戦争に派兵したその他の国々の関係者、アフガニスタンの人々も含まれるだろうか。
戦死者の遺族、あるいは戦いで生き残り、心身に傷を抱えた者たちにとっては、本作の様な作品によって精神的に救われるケースもあるだろう。

ポイントは、ラトレルが自力で生還したのではなく、現地の住人によってタリバンから守られたという点だ。
日本にいると意識しないが、我々が日々受動的に見ている情報は相当に偏っている。
アフガニスタンやイラクの米軍は現地の人々から嫌われており、それ故に攻撃の対象になっているというイメージも正にそうで、現地メディアや実際にその土地にいる人の声を聞けば、現実はそんな単純でない事は直ぐにわかる。
タリバンはアフガニスタンを5年間に渡って恐怖政治で支配した集団であり、実際のところ現地の人々は圧倒的多数がタリバンを嫌っているという。
もちろん、だからといって彼ら皆が米軍を歓迎している訳ではないだろうが、往々にして現地の声はマスコミからは聞こえてこない。
現実にそこに暮らし、同じ脅威に対する住民を重要な要素とする作りからも、この映画の持つ“兵士の本音”という部分が見えている気がする。

本作は、戦争の是非やその意義に関しては全く描写しない。
ただひたすら死地に趣いた兵士一人ひとりが、如何にして運命に抗い、最後まで生きようと苦闘したかを描写するのに終始する。
イデオロギー的に観れば政治的立場によって否定も肯定も出来るだろうし、どの立場からしても米軍に都合の良過ぎる作品であることは間違いなかろう。
だが、これを戦場の兵士に寄り添い、称え、スクリーン上に映し出されたある種の慰霊碑だとすれば、これはこれでありだと思う。

たぶん、ピーター・バーグ監督は家族か自分の大切な人が軍人なのではないか。
作風は真逆のおバカ映画だったが、前作「バトルシップ」も含めて、彼の作品からはミリタリーサービス、特に海軍へのリスペクトを非常に強く感じる。
これで例えばイーストウッドくらい達観した視点があれば、イデオロギーの頚木から逃れられるのだけど、良くも悪くもバーグはそこまでの境地には至っていないか、そもそもその気がないのだろう。
もっとも、作り手がが意図したような当事者意識が観客に無かったとしても、戦争サバイバル映画として良く出来ているのはさすがハリウッド。
軍人の家族もアフガニスタンの友人もいなければ、四人の偵察隊VS圧倒的多数のタリバンの壮絶なバトルアクションとして、単純に楽しんでしまっても良いのである。
なにしろこれは映画なのだから。
色々な意味で、現代アメリカならではの作品と言えるだろう。
それにしても、銃で撃たれるよりも何度も岩山を転がり落ちる方がよりイタタに感じたよ。
私ならあれだけで確実に死ぬ自信がある。

今回は、映画の緊張感から解放してくれるアメリカンビール「ミラードラフト」をチョイス。
典型的なスッキリさっぱりのアメリカンな味わいだが、胃にもたれないのでいくらでも飲めてしまう。
これからの季節に野外で楽しむのには丁度良いビールだ。
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ショートレビュー「パラダイス3部作 愛/神/希望」
2014年04月04日 (金) | 編集 |
現世にはありえない、三つの愛のパラダイス。

オーストリアの異才ウルリヒ・ザイドルが、同じ一族の三人の女性たちのひと夏を通して、彼女らが求める愛と理想郷の喪失を描く三部作。
アフリカのリゾートで、現地の男たちとの愛欲に溺れる母親、車椅子となった異教徒の夫を見捨て、キリストの愛を求める叔母、そしてずっと年上の男性への想いを、密かに燃え上がらせる娘。
三本はどれも独立した作品だが、同じ時系列で平行して物語が進行し、一部がオーバーラップする構造となっており、バラバラで観ても面白いが、一気に鑑賞するとより深みを増す。

「パラダイス:愛・・・・・評価額1600円」
「愛」「神」「希望」という三部作の副題は、それぞれの主人公が欲するものを表している。
第一部の主人公、50代のシングルマザーのテレサは、娘のメラニーを妹のアンナに預け、一人アフリカのリゾートへとやってくる。
やがて彼女は、現地の逞しい若者が売る“愛”に夢中になってしまうのだ。
ビーチで金持ちのヨーロッパ人女性を待ちうけ、ひと時の快楽と引き換えに稼ぎを得る男たち。
ヨーロッパ人の愛は即物的だが、アフリカの愛は永遠だと語り、でっぷりと太った自分を女として愛でてくれる彼らの腕に抱かれるうちに、テレサは戯れを真実の愛と錯覚し、蟻地獄に墜ちた蟻の様に抜け出せなくなる。
男たちはあくまでも自然な恋愛を演出し、セックスの対価として金を要求しない。
家族が病気になったので援助して欲しいとか、村の小学校の見学費用などと称して巧みに金をださせるので、愛そのものは本物なのだと思い込んでしまう。
リゾートという非日常の空間に、束の間のパラダイスを見たテレサの夢はしかし、ある瞬間にあっけなく砕け散り、喪失の悲しみが彼女に重くのしかかるのである。

「パラダイス:神・・・・・評価額1650円」
三部作の中でも最もシュールで、異色の愛を描くのがこの第二部だ。
何しろ主人公のアンナが欲しているものは、文字通り“神”の愛なのである。
信心深いレントゲン技師の彼女は、夏休みになっても姉の様にリゾートに出かける事も無く、聖母マリア像を担いでひたすら伝道に明け暮れる日々を送る。
ところがある日、彼女の元に車椅子に乗ったエジプト人イスラム教徒の夫、ナビルが帰ってくるのだ。
一年ぶりの再会にも、アンナはまるで忌むべき者を見る様に、夫の愛を拒絶する。
そもそもなぜこの二人が結婚したのかと思っていると、彼女はナビルが事故に遭い、半身不随となってから信仰にのめりこむ様になったらしい。
アンナにとっての信仰は、イエスに対するある種の擬似恋愛であり、本作は現実に背を向けたアンナが、ナビルとキリストを両天秤にかけた奇妙な三角関係の物語なのである。
中盤、アンナがキリスト像を使ってある行為をするシーンは、アンナの倒錯した愛と自己矛盾を描き出し、本作は三部作の中でも極めて寓話性の強い物語である事が明確となる。
信仰によって武装した彼女の世界は、夫の帰還によって徐々に狂い始め、遂に決定的な亀裂を作り出してしまう。
しかし、当然ながらイエスは普通の男の様に彼女を愛してはくれず、神の愛はあくまでも一方通行である事が明らかとなる時、アンナの理想郷もまた崩れ落ちるのである。

「パラダイス:希望・・・・・評価額1550円」
第一作と第二作の主人公が年配の女性だったのとは対照的に、こちらの主人公はテレサの一人娘である13歳のメラニーだ。
母親同様にかなりぽっちゃり体型である彼女は、夏休みを利用してティーン向けのダイエットキャンプにやってくる。
軍隊の様な厳しい日課とダイエット食の鬱憤を、夜の間に恋愛話で発散する日々。
そして、恋に恋するメラニーは、父親程に歳の離れたキャンプの医師に、叶わぬ想いを抱くのである。
時に無邪気に、時に大胆に接近するメラニーに対して、どうやら微妙にロリコンの気があるらしい医師は自制するのに必死。
良くも悪くも純粋な13歳の求める愛の理想郷は、社会の規範や柵によって規制される中年医師の受け入れられる愛とは異なるものである事を、メラニーはまだ理解できない。
ストレスの溜まるキャンプで、満たされない恋の炎に身を焦がす彼女にとって、愛とはまだ漠然とした“希望”なのである。

三部作に共通するのは、主人公がそれぞれの状況で孤独を抱え、ささやかなパラダイスを夢見ているという事。
一応、「愛」「神」「希望」という順番は設定されているものの、実質的にはどの話から観ても問題は無いが、どれから観るかによってやや全体の印象が異なるかもしれない。
私は順番どおりに観たが、第二作「神」の冒頭の「セックスに溺れる者たちをお救いください」の台詞で示唆される様に、「神」と「愛」はお互いがアンチテーゼとしてシニカルな対立構造になっている。
まあどちらも救いの無い話であるものの、真理を突いているのと、さり気ないユーモアが隠し味的に効いていて、後味はビターだが嫌な感じはしない。
そして対照的な年配女性二人の絶望的な愛の物語を観た後で「希望」を観ると、報われないのは同じでも、まだまだ愛の全てを知らない13歳の未来には「あんたはまだ若いんだからさ!」と本当に希望を感じるのである。

今回はオーストリアの長期熟成ビール「サミクラウス」をチョイス。
サミクラウスとはサンタクロースの事で、毎年クリスマス前に限定販売され、ワインの様に何年も熟成できるが、飲み頃は大体5年目くらい。
まるで熟成されたウィスキーの様な濃厚さで、知らない人が目隠しして飲んだらこれがビールとは思わないかもしれない。
三人の主人公にも、次のクリスマスにはサンタクロースから素敵な愛のプレゼントが届きます事を。

関係ないけど、「神」に出てきた猫がずーっと怒っていたのが気になる(笑

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