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ノア 約束の舟・・・・・評価額1750円
2014年06月18日 (水) | 編集 |
選ぶべきは信仰か、それとも愛か。

鬼才ダーレン・アロノフスキーによる、旧約聖書の創世記、“ノアの方舟”の映画化である。
予告編からは、聖書をモチーフにしたハリウッド風味のありがちなスペクタクル大作の様に見えるが、そうではない。
確かに方舟を巡る戦いは、エンターテイメント的なハイライトとして大いに盛り上がるものの、この映画の核心は、世界が滅びた後に方舟の中で一体何が起こったかという事だ。
「ブラック・スワン」で、バレエという煌びやかな世界の裏側、プリマ・バレリーナの内なる闇を鮮烈に映像化したアロノフスキーは、大いなる意思の創造物としてなすべき使命と、人間としての愛の間で葛藤し、徐々に心の均衡を失ってゆくノアの姿を描く。
聖なる方舟という世界の胎内を舞台に、人間存在の真理を問うた珠玉の心理スリラー、まことに恐ろしく、じっくりと考えさせられる傑作である。
※ラストに触れています。

知恵の実を食べて楽園を追われたアダムとエバは、カイン、アベル、セトの三人の息子をもうけた。
だが、カインがアベルを殺し、カインの子孫は創造主に背いた者として地上に栄える。
一方、残ったセトの子孫は善なる者だったが、その数は少なく幾世代が過ぎるうちに、ノア(ラッセル・クロウ)とその家族だけになっていた。
ある時ノアは、地上に悪しき人間が増えすぎたために、大洪水を起こして世界を滅ぼすという天啓を受ける。
人間が滅びた後、再び地上を生命で満たすため、動物たちを守る事が自分の定めと考えたノアは、嘗て人間と共に地上に降りた堕天使の力を借りて、妻や息子たちと共に巨大な方舟を作り始める。
だが、方舟が完成に近づいた時、カインの子孫トバルカイン(レイ・ウィンストン)が率いる軍勢が現れ、舟を奪おうとするのだが・・・・


キリスト教徒でなくとも十分楽しめると思うが、なるべくなら創世記の第九章までのあらすじと主要な登場人物は抑えておいた方がより深く理解できるだろう。
日本語訳がキリスト教、ユダヤ教関係のサイトなどで公開されているし、大した文量は無いのでサクッと読めると思う。
もともと旧約聖書は小説などの物語文学と比べると、エピソードの断片の寄せ集めの様なもので、文章としてはスカスカ。
出来事だけが記載されていて、心理描写がほとんど全く存在しないので、登場人物が何を考えているのかは想像するしかない。
もっとも、だからこそ聖典なのだ。
全てが説明されていない分、記載された出来事や登場人物の行いの解釈を巡り、行間を考え、自ら心の中で創造主と対話することによって信仰は深まってゆくのである。

例えば創世記の第九章には、洪水が収まった後、ワインの醸造をしていたノアが、泥酔して裸で寝てしまう描写がある。
父の醜態を見た息子のハムは、兄弟のセムとヤペテにその事を言いつける。
だがセムとヤペテは父に敬意を表し、後ろ向きになって父を布で覆い、決して父の恥ずべき姿を見ることはなかった。
目覚めたノアはハムの行為に怒り、なぜかハム自身ではなく彼の息子であるカナンに呪いの言葉を投げつけるのである。
ぶっちゃけ、自分の失態を棚に上げて孫を呪うとは、選ばれし善なる人にしてはずいぶん俗っぽいが、聖書にはノアがそれ程怒った理由は書かれていないのだ。
なぜハムは父に恥をかかせたのか、ノアはハムの中に何を見たのか。
映画は、文章には書かれていない、出来事の裏側にある登場人物の“動機”に迫ってゆく。(注:映画には登場しないカナンに関しての描写は無い)
これはその意味で、ダーレン・アロノフスキーによる聖書の再解釈と言えるだろう。

本作の基本プロットは、聖書の話の流れにかなり忠実。
しかしその行間を補完し、それぞれのキャラクターの視点から物語を捉える事によって、未見性の強い新たなるノア像を描き出す。
アロノフスキーは、ストイック過ぎるノアの葛藤を通して、人間にとって信仰とは何か、人はなぜ存在し、なぜ生きるのかという大いなる問を投げかけ、その答えを導き出すために一点、聖書から大きな脚色をしている。
創世記では、方舟に乗るのはノアと妻、三人の息子たちとその妻たちであり、それぞれの妻が何者なのかという詳しい記述は無い。
映画ではセムの妻となるイラだけを設定し、彼女を幼い頃に負った傷が原因で子供が産めなくなった女としている。
弟のハムとまだ幼いヤペテには妻はいないのだ。

つまり、現状の家族構成では子孫を残せない一家が、重要な使命を与えられた理由を考えたノアは、恐るべき結論を導き出す。
創造主は、人間が生き残る事を望んでいない。
自分たちは、洪水の間動物たちを守り、再び地上へと解き放ったら、滅びねばならない存在なのだと。
だからノアは、愛する者を欲しがるハムが、トバルカインの野営地から妻として迎えるつもりで救い出してきた少女ナエルを見殺しにして、彼が子を持つ可能性を無理やり断ち切らせる。
人間は、もはや地に増えてはならないのだ。
だが、この非情な決断によって、ハムの心には父の信仰への疑念が生じ、彼は「人間は自分の意志によって生きるのだ」と言い切るトバルカインに、思想的アンチテーゼとして心惹かれる様になるのである。
トバルカインは、火と金属を扱う鍛冶職の祖とされる人物であり、神を恐れず、神を超えようとする者、文明の象徴の様なキャラクターだ。

やがて大洪水が起こり、地上が滅びるとノアを更なる葛藤が襲う。
奇跡によって、イラが妊娠してしまうのである。
人間の絶滅こそが使命と信じて、ナエルを殺し、助けを求める多くの人々を見捨てたのに、創造主はまだ自分を迷わせる。
もはやノアには本当になすべき事が何なのか確信を持てず、かといって自分の行いを否定する事も出来ないのだ。
日本語字幕では残念ながら「神」と凡訳されてしまっているが、劇中ノアはただの一度も「God」という言葉を発しない。
彼は終始「Creator」という言葉で彼の導き手を呼んでいる。
これはもちろん、明確に意図された事だろう。
Godだと人間と神は相対化され、客観的な信仰の対象としての意味が強くなるが、Creator即ち“創造主”という言葉には、自らは創造された存在で、創造主の一部であるというニュアンスが色濃くなる。
この映画の世界では、天と地は現在よりもずっと近い。
それ故に、信仰はより内外一体なものであり、創造主の否定は自己存在の否定と同一なのである。
だからこそノアは、愛と信仰に内面を引き裂かれながらも「赤ん坊が女の子ならいずれ子を産むだろうから、生まれた時点で殺す」とセムとイラに言い放つしかないのだ。
信仰ゆえに家族を殺そうとするのは、創世記のもう一人の重要人物であるアブラハムが、彼の信心を試そうとする創造主の命によって、一人息子のイサクを生贄に捧げようとするエピソードに被る。

だが見方を変えれば、奇跡を否定するノアは既に創造主の御心に従っていない。
彼は天地が創造された時、全ての存在は善なるものであり、人間という悪が調和を破壊したという二元論のくびきに囚われてしまっているのである。
人間の多くは自分の中に善悪を併せ持つ事を認識しており、だからこそ悪事を働くにも心のストッパーが働く。
本当に恐ろしいのは、世界は悪に満ちているが、自分の中に悪は無いと思い込んでいるノアの様な人だ。
彼は無意識のうちに、自分の考えと創造主を同一視して、独善という悪を働いている事に気付かないのである。
ノアがカインの血族であるトバルカインを滅ぼすのは、カインによるアベル殺害からの連環であり、ノアもまた無原罪の存在ではなく、“人間”に他ならないのだ。
愛する家族を殺すか、生かすかという究極の決断によって、ようやくノアは真の意味での自己の確立を果たすのだが、それは同時に過去の自分を否定する事でもある。
陸地にたどり着いて使命を果たしたのに、ノアがワインでヤケ酒を煽るのには、深刻な自己嫌悪、そして自分が滅ぼしたトバルカイン的なる意識を自己の内面にも認識せざるを得ないからだろう。

映画は前記した泥酔事件の後ハムが父と袂を分かち、一人旅立つところで終わっているが、創世記によるとハムには四人の息子がいて、その末っ子がノアに呪われたカナン。
そして長男のクシュの息子ニムロドはこの世界に初めて王権を築いた人物であり、彼が建てた街こそが、後に人間が再び天の怒りに触れるバベルなのである。
アベルを殺し、創造主に背いたカインの血は洪水によって滅びたが、映画ではトバルカインの殺害を介して、反逆の血はハムの中に芽生えた事が示唆される。
無原罪の人間はありえず、それでも創造主は人間の存在を許した。
人は生きてゆく限り、自己存在について考え、善をなすために己が中の悪と葛藤しなければならない。
それこそが、贖罪と慈愛へと通じる唯一の道なのであろう。

ノアを演じるラッセル・クロウはさすがの名演。
もともとこの役はクリスチャン・ベールにオファーされていたそうだが、彼でイメージすると余計にホラーテイストが強くなりそうで、クロウでちょうど良かったと思う。
アロノフスキーは「レスラー」でのミッキー・ローク、「ブラックスワン」のナタリー・ポートマンらを見ればわかる様に、俳優の演技を引き出すのは抜群に上手いので、俳優陣は総じてキャラ立ちして印象的。
特に、赤子を抱えて狂気のノアと対決するシーンの、イラ役のエマ・ワトソンの演技は圧巻で、彼女が役者としてものすごく成長しているのがよく分かる。
「ハリポタ」以降は、二番手三番手のわりと地味目の役でじっくりキャリアを積んでいるけど、そろそろ主役を張っても良い頃ではないか。

今回は古代文明の地、レバノンからイクシール・レバノンの「グランド・レゼルヴ・レッド」をチョイス。
レバノンは実に5000年の歴史を持つ世界最古のワイン産地の一つ。
さらに旧宗主国のフランスからもたらされた技術によって、近代的なワイン産業が発展している。
グランド・レゼルヴ・レッドはフレンチオーク樽で12ヶ月の熟成を経て出荷され、ぎゅっと濃縮された果実味と、滑らかなビロードの様な柔らかい口当たり。
古の時代、この地でワインを作っていたのは、ノアの何代目の子孫なのだろうか。

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