■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
※noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
2014年08月15日 (金) | 編集 |
スティーブン・スピルバーグの同名映画の元となった舞台劇。
第一次世界大戦の軍馬の歴史に興味を持ったマイケル・モーパーゴが、1982年に児童小説として発表した「ウォー・ホース〜戦火の馬〜」は、2007年になってニック・スタフォードによって戯曲化され、ロンドンでの初演は大きな成功を収めた。
この舞台に感動したプロデューサーのフランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ夫妻が作品をスピルバーグに紹介し、映画化されたのが2011年。
映画を切っ掛けに始まった海外公演ツアーが、ようやく極東の国にもやって来た。

本作を鑑賞すると、映画版と構成が非常によく似ている事に驚かされる。
プロットの流れはほぼ一緒と言っても良いが、146分の映画に対して、舞台はおおよそ130分弱くらいか。
若干短くなっている分、登場人物の数や役割はある程度変わっている。
例えば、映画では戦いの中で騎手を失った馬のジョーイとトップソーンが、複数のドイツ軍人との邂逅を繰り返してゆくが、舞台では厭戦気分から戦いを離脱しようとするドイツ軍のミューラー大尉が、終盤まで二頭の庇護者となる。
また、基本的に馬が主人公であり、ジョーイを軸に物語を進めてゆく映画に比べると、こちらはやや人間より、特にジョーイを必死に探す飼主のアルバート少年の比重が大きくなっている。
映画の方がジョーイを狂言回しとして、象徴的、寓話的で、舞台はジョーイとアルバートの絆の物語としての色彩がより強い。
とはいえ、舞台でもジョーイをはじめとした馬たちの存在感は抜群だ。
南アフリカのハンドスプリング・パペット・カンパニーによる、実物大パペットの演技はいつの間にか本物より本物らしく見えてくる。
なんでも創立者のエイドリアン・コーラーとバジル・ジョーンズは、文楽人形からパペットによる演技の可能性の広がりを確信したのだという。
なるほど中に入ってる二人と頭担当の一人の組合せは、確かに文楽の三人遣い。
文楽では頭を操作する主遣いは素顔を出している事もあるが、こちらも頭の担当は常に素顔のままパペットの横に張り付いている。
もっとも、競馬場の中継映像などで、馬の横で人が手綱を引いてるイメージがあるせいか、あまり違和感は感じず、むしろ物語が進むにつれて、迫真性を増す彼らの演技に魅せられ、そこに魂を感じるのである。
逆に馬パペット以外の舞台装置などは、極力シンプル。
強いストロボ光で時間がスローモーションになる様な、映画的手法を実に演劇的空間の中に使ってるのが興味深い。
本作が描くのは、恐怖と不条理が支配する戦争の時代だ。
物言わぬジョーイが人々の希望の象徴となり、たとえどんなに悲惨で苛酷な状況にあっても、人間の心には決して失われないものが確かにあるというテーマが浮かび上がるのは映画と共通。
もちろん舞台だけでも十分に感動できるが、映画を観ている人は同じ話で同じテーマを描いた、映像言語と演劇言語との違いを比べてみると二重に面白い作品だと思う。
スピルバーグが惚れ込んだのも納得の、素晴らしい作品だ。
渋谷シアター・オーブにて、8月24日まで。
ちなみにカーテンコールのみだが、撮影OKなのも嬉しい。
馬パペットの繊細な動きをじっくり見たい人は、オペラグラス持参がおススメだ。
記事が気に入ったらクリックしてね
第一次世界大戦の軍馬の歴史に興味を持ったマイケル・モーパーゴが、1982年に児童小説として発表した「ウォー・ホース〜戦火の馬〜」は、2007年になってニック・スタフォードによって戯曲化され、ロンドンでの初演は大きな成功を収めた。
この舞台に感動したプロデューサーのフランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ夫妻が作品をスピルバーグに紹介し、映画化されたのが2011年。
映画を切っ掛けに始まった海外公演ツアーが、ようやく極東の国にもやって来た。

本作を鑑賞すると、映画版と構成が非常によく似ている事に驚かされる。
プロットの流れはほぼ一緒と言っても良いが、146分の映画に対して、舞台はおおよそ130分弱くらいか。
若干短くなっている分、登場人物の数や役割はある程度変わっている。
例えば、映画では戦いの中で騎手を失った馬のジョーイとトップソーンが、複数のドイツ軍人との邂逅を繰り返してゆくが、舞台では厭戦気分から戦いを離脱しようとするドイツ軍のミューラー大尉が、終盤まで二頭の庇護者となる。
また、基本的に馬が主人公であり、ジョーイを軸に物語を進めてゆく映画に比べると、こちらはやや人間より、特にジョーイを必死に探す飼主のアルバート少年の比重が大きくなっている。
映画の方がジョーイを狂言回しとして、象徴的、寓話的で、舞台はジョーイとアルバートの絆の物語としての色彩がより強い。
とはいえ、舞台でもジョーイをはじめとした馬たちの存在感は抜群だ。
南アフリカのハンドスプリング・パペット・カンパニーによる、実物大パペットの演技はいつの間にか本物より本物らしく見えてくる。
なんでも創立者のエイドリアン・コーラーとバジル・ジョーンズは、文楽人形からパペットによる演技の可能性の広がりを確信したのだという。
なるほど中に入ってる二人と頭担当の一人の組合せは、確かに文楽の三人遣い。
文楽では頭を操作する主遣いは素顔を出している事もあるが、こちらも頭の担当は常に素顔のままパペットの横に張り付いている。
もっとも、競馬場の中継映像などで、馬の横で人が手綱を引いてるイメージがあるせいか、あまり違和感は感じず、むしろ物語が進むにつれて、迫真性を増す彼らの演技に魅せられ、そこに魂を感じるのである。
逆に馬パペット以外の舞台装置などは、極力シンプル。
強いストロボ光で時間がスローモーションになる様な、映画的手法を実に演劇的空間の中に使ってるのが興味深い。
本作が描くのは、恐怖と不条理が支配する戦争の時代だ。
物言わぬジョーイが人々の希望の象徴となり、たとえどんなに悲惨で苛酷な状況にあっても、人間の心には決して失われないものが確かにあるというテーマが浮かび上がるのは映画と共通。
もちろん舞台だけでも十分に感動できるが、映画を観ている人は同じ話で同じテーマを描いた、映像言語と演劇言語との違いを比べてみると二重に面白い作品だと思う。
スピルバーグが惚れ込んだのも納得の、素晴らしい作品だ。
渋谷シアター・オーブにて、8月24日まで。
ちなみにカーテンコールのみだが、撮影OKなのも嬉しい。
馬パペットの繊細な動きをじっくり見たい人は、オペラグラス持参がおススメだ。

記事が気に入ったらクリックしてね
スポンサーサイト
| ホーム |