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■TITLE INDEX
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幕末の桜田門外の変で主君・井伊直弼を目の前で殺され、仇討を命じられた男と、襲撃者一党の中でただ一人、明治の世まで生き残った男。
時代に取り残されたラストサムライたちの、13年に及ぶ武士の誇りと人間としての生き方を巡る物語だ。
監督は「沈まぬ太陽」の若松節朗。
過酷な運命に生きる彦根藩士・志村金吾を中井貴一、水戸浪士・佐橋十兵衛 を阿部寛が演じる。
丁寧に作られた大人の時代劇であり、地味ながらじんわりと心に沁みる秀作だ。
原作は浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」 に収められている一編で、これは昔読んだことがあるが、実に上手く脚色していたと思う。
方向性としては物語のエッセンスは維持し、世界観を広げる事で二人の男の葛藤を掘り下げてゆくというもの。
誰もが駆け足で未来へと進む明治にありながら、もうどこにも無い江戸に生き、武士としての矜恃を捨てない、いや捨てることの出来ない男たちの悲哀。
しかし変化する事を禁じられた彼らの姿を通して、近代化、合理化の掛け声と共に日本人が失ってゆくアイデンティティが良く見えるのである。
ラスト30分の流れは、台詞も含めて原作とほぼ同じ。
桜田門外の変から13年後、明治6年2月7日の明治政府が仇討ち禁止令を発布した日、二人は遂に出会う。
名前を変え、車引きに身をやつしてひっそりと生きてきた十兵衛の車に、降りしきる雪の夜に金吾が乗り込んでくる。
お互いに相手が何者かは、以心伝心でうすうす分っており、ここからのクライマックスはある意味で苦しみを共有した13年間、心に抱えた本当の気持ちを少しずつ吐露する心理劇。
足場の悪い中車を引き続ける十兵衛が、自分を仇と狙う金吾に背を向けている事による緊張感はよく出ていた。
それぞれの大義のために自らの命を賭して、ひたむきに生きた二人は似た者同士。
刀と魂の激突の末に、十兵衛の中に自分を見た金吾は、ようやく本当の意味で忠義を果たし、武士の本懐を遂げるのである。
基本男たちの物語だが、金吾の妻・せつ役の広末涼子が素晴らしい演技をしている。
十兵衛との宿命の対決を終えた金吾に、ずっと封じてきた本音をぶつけ、物語を締める役割を果たすのは彼女なのである。
金吾にとっての寒椿とか、せつにとってのミサンガとか、おのおのに設定されたアイテムを上手く葛藤の解消の象徴として使っているのも印象深い。
もっともミサンガは元々アフリカにルーツを持つビーズのアクセサリだったはずで、あの時代に既に編み紐状のものがあったのかは疑問。
この辺り、気になる人には引っかかる部分だろう。
明治初頭が舞台で、過去に囚われたサムライたちの話というモチーフは、奇しくも同時期公開の「るろうに剣心」と同じで、テーマ的にもかなり通じるものがある。
あちらは思いっきりアクションに振って若々しく斬新、こちらは重厚な正統派人間ドラマ。
アプローチは違えど、どちらも見応えある素晴らしき日本映画である。
共にヒットしてくれれば嬉しいのだけど。
このいぶし銀の作品にはやはり日本酒。
東京の地酒である小澤酒造の「澤乃井 純米大辛口」をチョイス。
大辛口には本醸造もあるが、ちょっと尖がりすぎてギスギスした味わいに感じてしまう。
この純米版もかなり尖った感じだが、適度に角がとれて飲みやすくなっている。
これからの季節はぬる燗で飲むのも良いだろう。

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いやあ、これはヒットする訳だ。
本国での評判通り、ムチャクチャ楽しい映画だった。
全世界で6億3000万ドル超を稼ぎ出し、現時点での本年度最大のヒット作となった、マーベルコミック原作のコミカルなスペースオペラ。
自分の事しか考えない、一癖も二癖もある愛すべきアンチヒーローたちが、銀河の運命を握る秘宝を巡って大暴れ。
彼らはいつしかジャンプ漫画的熱血の絆によって結ばれ、本物のヒーロー「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」となってゆく。
監督・脚本はトロマ出身で、おバカ侵略SF「スリザー」や、なんちゃってヒーロー映画「スーパー!」で注目されたジェームズ・ガン。
オタク作家ならではの、カメオの数々やマニア泣かせの遊び心も楽しい。
※核心部分に触れています。
1988年、ピーター・クィル(クリス・ブラッド)はママが死んだ日にエイリアン・アブダクションされ、宇宙でトレジャーハンターのメンバーとして育てられる。
ある日、クィルは“オーブ”と呼ばれるお宝を盗み出すのだが、それは惑星を滅亡させるほどのパワーを持つ伝説の秘宝だった。
悪党たちとの争奪戦の末、逮捕されて刑務所に送られたクィルだったが、銀河のあちこちで破壊の限りを尽くすロナン(リー・ペイス)が、オーブの力で宇宙の秩序を守るザンダー星の破壊を狙っている事を知ると、刑務所の囚人同志で手を組んで脱獄を図る。
クィルとチームを組むことになったのは、ロナンに送り込まれた暗殺者だったガモーラ(ゾーイ・サルダナ)、遺伝子改造された凶悪アライグマのロケット(ブラッドレイ・クーパー)、彼の相棒で植物型ヒューマノイドのグルート(ヴィン・ディーゼル)、そしてロナンに家族を殺された復讐鬼ドラックス(デビッド・バウティスタ)の5人。
何とか刑務所からの脱獄には成功したものの、オーブを狙うロナンの軍団に追われた彼らは、いつの間にか銀河の未来を左右する存在になってゆく・・・
まさか宇宙SFで「ウガ・チャカ」を聞くとは(笑
少年時代にアブダクションされた主人公が大切にしているのが、SONYのウォークマン(しかも1st!)とママに貰ったカセットテープ。
そこには青春時代にママが大好きだったおススメ曲が沢山詰め込まれているのだが、彼女が死んでクィルがアブダクションされたのが1988年なので、必然的に70年代ヒットソングのオンパレード。
レッドボーンの「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」、デヴィッド・ボウイの「月世界の白昼夢」、ランナウェイズの「チェリー・ボム」がSF映画のBGMなんて思いっきりミスマッチなのだけど、それが逆に新鮮に感じるのだから面白い。
ちなみに本作で使われた歌曲だけを集めたアルバム、「Guardians of the Galaxy: Awesome Mix Vol. 1」は、ビルボードチャートで堂々の1位を獲得したそうだ。
プロップのカセットがデザインされたジャケも楽しくて、思わず私も衝動買いしたが、続編ではもちろん「Guardians of the Galaxy: Awesome Mix Vol. 2」が出るんだろうな(笑
元々緩めの作品が多いマーベル系作品だが、これはその中でも思いっきりおバカ方向に振り切れている。
何しろ主人公たちは全員小悪党のダメ人間(と宇宙人)、バカバカしい脱力系ギャグの応酬に、狙ってハズした70’sサウンド。
音楽が象徴する様に、映像のテイストもどこか70年代風のレトロテイストなのだけど、王道の「スター・ウォーズ」というよりは、むしろ「スペース・パイレーツ」とか「宇宙の七人」とか「銀河伝説クルール」とかのB級映画を思いっきりゴージャスにアップグレードした感じなのは、いかにもジェームズ・ガン。
映画だけでなく、ディテールにはアシモフの「ファウンデーション」シリーズや、E.E.スミスの「レンズマン」「宇宙のスカイラーク」シリーズ的な世界観も見え隠れする。
本作のビジュアルで非常に特徴的なのは、ド派手なカラーリングの宇宙船の数々だ。
日本のアニメではカラフルな宇宙船は結構あるが、ハリウッドは昔から白やシルバーの単色が主流だから物珍しく感じたのだが、ふと先日観た「ホドロフスキーのDUNE」でクリス・フォスがデザインした極彩色の宇宙船群にデジャヴ。
そう、嘗て「レンズマン」や「ファウンデーション」シリーズの表紙を描き、ホドロフスキーによって幻の映画「DUNE」のために集められた魂の戦士たちの一人、フォスが本作にコンセプトデザインを提供しているのである。
フォスの起用は監督たっての希望だったらしく、特徴的なオレンジとブルーの補色は本作のビジュアルのキーカラーとなっている。
キャスティングも趣味性全快だ。
アライグマのロケットの声が今をときめくブラッドレイ・クーパーだったり、ゾーイ・ザルダナが「アバター」の青いヒロインと対になる様な緑のヒロインだったりするのもネタっぽいが、私的な注目は終始「I am Groot.」としか言わないグルートの声を演じるヴィン・ディーゼル。
このキャラクターは、ディーゼルの隠れた代表作である、「アイアン・ジャイアント」の哀しき鉄巨人に被る。
そして、両方の映画を観た人はピンと来たと思うが、共に友達を守るために自己犠牲の精神を見せるこの二つのキャラクターの最期は、明らかに符合するように作られているのである。
グルートのオチの画は、その昔大流行したフラワーロックのパロディなのだけど、同時にブラッド・バードの名作に対するジェームズ・ガンからのアンサーにしてオマージュなのだと思う。
可愛らしく踊るちっちゃなグルードに、思わず15年前の感動が蘇って、ちょっと涙が出た。
他にも、ハワード・ザ・ダックの声がセス・グリーンだったり、ガンにとっては師匠格に当たるトロマのボス、ロイド・カウフマンや、「スリザー」で組んだ後に、テレビの「キャッスル ミステリー作家は事件がお好き」でブレイクしたネイサン・フィリオンを囚人役で出したり、マニアックなカメオ出演はクレジットが読みきれないほど。
もちろん、本作はオタクな趣味性だけでこれほどのヒット作となった訳ではない。
嘗てのB級SF映画やSF小説の数々をパロディに、脱力系のキャラとギャグで宇宙を彩りながらも、最終的には冒険、友情、努力に愛が前面に出る普遍的なエンタメの王道に落とし込んでいる。
主人公たちは、一人ひとりではとてもヒーロー映画の主役は張れそうもない半端者だが、冒険を通じて仲間との絆を育み、遂に宇宙最強のチームとして一体となるのである。
クライマックスの大バトルはそれまでの緩いムードを吹き飛ばす、危機また危機のパワフルな正統派スペースオペラ。
それでも、散々伏線を張っていた、ある80年代ネタを大トリに持ってきたのには、全く恐れ入った(笑
笑とスリル満載の素晴らしき122分。
大人やマニアは懐かしの映画・音楽・時事ネタや、全編に散りばめられた凝ったディテールにクスクスと笑い、そんなものは知らない子供たちにとっては明るくて派手なスぺオペとして楽しめる。
クリストファー・ノーラン一派のおかげで、ゼロ年代に入ってどんどんハード&ダークになり、良くも悪くもファミリー観客をすっかり忘れ去ってしまった、レジェンダリー系のDCコミック映画へのアンチテーゼとしても、これはアリだろう。
監督曰く、「『アベンジャーズ』はマーベルユニバースのビートルズ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はローリングストーンズ」なのだそうな。
なるほど、どうやらスター・ロードがミック・ジャガーの歳になるまで楽しませてくれそうだ(笑
今回は、冒険の海に出たくなる錨マークの「アンカースチーム」をチョイス。
港町サンフランシスコを代表する老舗地ビールは、ゴールドラッシュ時代の開拓民の喉を潤した、スチームビールの復刻版。
常温発酵ラガーの深いコクと華やぐ香りは、本作の楽しさをブーストアップしてくれるだろう。

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和月伸宏原作のコミックを基に 、2012年に公開された「るろうに剣心」の続編にして、完結編となる二部作。
前作は日本映画にスウォードアクションの新たなる地平を切り開き、伝統的な時代劇の創造的破壊を試みたが、その流れは更に加速。
良い意味で漫画チックでエキセントリックなキャラクターたちが、明治初頭の東京と京都で暗躍し、見たことも無いスピードで壮絶な死闘を繰り広げるのである。
浪人、狂人、悪人、警官、そして忍者までもが入り乱れる熱血バトルアクション。
こんなの面白くない訳がない。
大友啓史監督とタイトルロールの佐藤健をはじめ、主要スタッフ・キャストは続投。
新キャラクターも大挙登場するが、圧巻はミイラ男みたいなルックスで文字通りに燃える剣を振るう藤原竜也演じる志々雄真実だ。
東京の神谷道場で、平和な生活を送っている緋村剣心(佐藤健)に、内務卿大久保利通からの呼び出しがかかる。
嘗てもう一人の人斬りとして、維新勢力の裏仕事を請け負ってきた志々雄真実(藤原竜也)が、京都を拠点に明治政府の転覆を図っているという。
送り込んだ警官隊はことごとく返り討ちにされ、志々雄は増長するばかり。
そこで彼を止めるために、剣心に京都に行って欲しいというのだ。
自分たちの尻拭いを剣心にさせようとする政府に、薫(武井咲)や左之助(青木崇高 )は反発するが、剣心は申し出を受け入れて、京都へと旅立つ。
着々と勢力を広げる志々雄は、幕末の志士たちの計画を真似て京都に火を放ち、その後東京へと進撃する計画を密かに進め、その実行部隊となる十本刀の猛者たちに召集をかける。
一方、旅の途中で志々雄の放った刺客・瀬田宗次郎(神木隆之介)と対決した剣心は、逆刃刀を折られてしまうのだが・・・・
面白い!
前作からさらにパワーアップして、血湧き肉躍る大活劇となった。
「京都大火編」と「伝説の最期編」に分かれているが、実質一本の長い作品である。
しかし、特に「京都大火編」が素晴らしい。
多くの三部作もので、第二部が一番評価が高いのには訳がある。
キャラクターが次々に登場し、いわゆる役者が揃った状況となり、それぞれの抱える葛藤が極限に追い込まれてゆくと同時に、観客の期待もまたどんどんと高まってゆくのだから、劇的になりやすいのである。
本シリーズにも、そのジンクスは当てはまった様だ。
前作であれだけの物を見せられた訳だから、当然こちらのハードルも上がっている。
生半可な物じゃ驚かないぞ、と身構えていたら、いきなりオープ二ングで度肝を抜かれた。
鉱山の廃墟とおぼしき場所で、捕らえられた警官たちが無数の僧侶の読経の中、地獄の業火に焼かれてゆく。
そして炎の揺らめきの中から現れる、全身包帯で巻かれた異形の男。
日本映画史に残るスーパーヴィラン、志々雄真実のワクワクする登場シーンである。
このインパクト十分な開幕から、東京での剣心たちの平和な日常のコントラスト。
そして内務卿・大久保利通の暗殺を受けて、剣心が京都行きを決意するまでの第一幕は淀みなく進み、いよいよ剣心が旅路に足を踏み入れると、怒涛のアクションの釣瓶打ちが始まる。
ほとんど10分に一回くらいは、何らかの見せ場がある作りは正に危機また危機の連続活劇だ。
東海道の寒村での大乱戦の後は、志々雄との邂逅と宗次郎との前哨戦。
そして京都では折られた逆刃刀の代わりを探すエピソードに、十本刀の一人との対決を経て、京都大火を狙う志々雄の軍勢vs剣心と仲間たちの大バトルへとなだれ込み、息つく暇も無いほど。
そこに更に、幕末の悲劇を体験した、哀しき忍者たちまでもが巻き込まれてゆくのだからたまらない。
大風呂敷を広げるとはこの事で、アクション映画としてエキサイティングなだけでなく、様々なバックグラウンドを持つキャラクターたちの、複雑に入り組んだ思惑と葛藤が交錯し人間ドラマを盛り上げるのである。
主要登場人物全てが活躍の機会を与えられ、剣心と薫が絶体絶命の危機に陥り、キーパーソンとなるであろう謎の男(しかも「竜馬伝」との繋がりを強く意識させる福山雅治!)の登場という物凄く良い所で終わる「京都大火編」は、クライマックスへの橋渡しとして文句無しで、三部作の最良の第二部である。
だが、完結編となる「伝説の最期編」を観ると、さすがに広げ過ぎた様な気もする。
とりあえず個々の登場人物の葛藤に一応のけりをつけるのに精一杯で、物語はダイジェスト感が出て希薄化。
「京都大火編」で大活躍した幾人かの登場人物はもはや能動的な役割を与えられず、事態の傍観者となるしかない。
本来中ボスの役割を果たすはずの十本刀が、前作と合わせても精々二本刀程度で、そもそも誰が十本刀なのかも分らないという体たらくなのも勿体無い。
これなら無理に十本にしなくても良かったのに。
志々雄の計画もディテールが描かれない分、結構アバウトに見えてしまい、いっそのこと「伝説の最期編」を更に二つに分けて、四時間くらいかけてじっくり描いた方がベターだったのではないか。
もっとも、この映画がつまらないかといえば、そんな事は無い。
第二部に比べて作劇は明らかに弱いが、三部作のクライマックスたる完結編はその分剣で物語る。
本作の主要登場人物は、皆が幕末の戦いの中で希望と絶望を経験し、自分の中で大切な何かを失ってしまった者たちだ。
心に大きな穴を抱えた漢たちにとって、戦いこそが葛藤の吐露であり、一太刀、一太刀ごとに魂をスクリーンに刻みつける。
そして緋村剣心にとっては、「不殺(ころさず)の誓い」の真の意味を掴み、自らの生を肯定し、新しい時代に歩みだす覚悟を決めるプロセスでもある。
この作品において、アクションはドラマツルギーの中核をなす映像言語なのである。
福山雅治演じるオビ=ワン・ケノービ、もとい比古清十郎師匠と剣心の、奥義獲得のための良い意味で漫画的トレーニングシークエンスから、最強の称号を欲する忍者・四乃森蒼紫との決闘、そして志々雄の鋼鉄船を舞台とした宗次郎とのリターンマッチを含めた最期の死闘は、言わばスウォードアクションのフルコースで、お腹いっぱい見応え十分だ。
日本の時代劇は、圧倒的に強い主人公が、複数の敵を倒してゆくのが一般的。
しかしこの映画においては、完全にヴィランである志々雄様無双である。
志々雄vs剣心、斉藤一、左之助、蒼紫の一対四のいつ果てるとも知れない対決は、この映画が仲間たちとの友情、共闘を定番とするジャンプ漫画を元にしているのだと思い起こさせられた。
「るろうに剣心」三部作は、本気の人たちに、ちゃんとお金と時間を与えると、これだけの物ができるという証明になったのではないだろうか。
一作目ではこなれて無い感が強かった若い俳優達も、ここへ来て役をしっかりと自分の物にしていたし、物語のオチも観客がこうあって欲しいという素直なものなのも良かった。
それにしても、近世と近代の狭間であるこの時代のごった煮的な世界観は面白い。
本作のアクションのスタイル自体は他の時代でも使えるだろう。
だが、従来の時代劇ではあまり描かれなかった明治初頭という時代背景が、大きく時代劇の型を壊したこのシリーズに説得力を与えた一因になっているのは間違いない。
昨年の「許されざる者」もそうだが、明治を舞台としたネオ時代劇、案外と邦画の大きな鉱脈になるのではないだろうか。
今回は、伝統のビールで激闘の熱を冷まそう。
本作の時代設定から9年後の明治20年に創業した日本麦酒醸造會社をルーツに持つ、「エビスビール」をチョイス。
ドイツ人の技術指導によって作られたドルトムンダースタイルは今も健在。
150年近くにわたって、日本人の喉を潤し続けてきた伝統の味わいだ。

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2011年に公開されたリブート版「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」の、10年後の世界を描く新シリーズ第二弾、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」は驚くべき映画だ。
ルパート・ワイアットから監督を引き継いだマット・リーヴスは、絶滅に瀕した人類と進化した猿たちの予期せぬ出会いから始まる壮大な叙事詩を構築し、あっさりと前作を凌駕してみせた。
二つの種族10年ぶりの邂逅は、寛容と不寛容、愛と憎しみの連鎖を生み出し、大いなる葛藤に駆られた彼らは、いつしか破滅的な戦いへとなだれ込む。
前作でジェームズ・フランコが演じたウィル・ロッドマンは登場せず、物語の主役は完全にカリスマ的リーダーとなったシーザーに。
シェイクスピアもかくや、と思わされるほどにドラマチックに盛り上がる傑作である。
※ラストに触れています。
致死性ウィルスによって、人類の大半が死滅し、世界が崩壊してから10年。
僅かに生き残った人類は、都市の廃墟に小さなコミュニティを作って細々と暮らしていたが、文明の火を繋ぎとめていた備蓄燃料も間もなく底をつく。
リーダーの一人、マルコム(ジェイソン・クラーク)は水力発電所を稼動させるために、仲間と共に北部の森の中にあるダムへと向かう。
しかし、そこで彼らが出会ったのは、シーザー(アンディ・サーキス)に率いられた進化した猿たちだった。
10年前、森に消えた彼らは、自然と共生する独自の文化を築いていた。
突然の人間との再会に戸惑いつつも、シーザーはダムで作業したいというマルコムの申し出を受け入れるが、嘗て実験動物として切り刻まれ、人間に深い恨みを抱くコバ(トビー・ケベル)は、密かに人間を滅ぼすための最終戦争を画策する・・・
期待を遥かに上回る、素晴らしい仕上がりだ。
前作でウィル・ロッドマンが開発したアルツハイマー治療薬、ALZ-112を投与され、驚異的な知能を得たシーザーは、同じ薬によって進化した猿たちと共に、人類の支配から逃れ、人里離れた森の奥深くに独自の哲学を持った文化を開花させつつある。
一方の人間は、猿インフルエンザウィルスと化したALZ-113のパンデミックによって、人口の90%は死滅。
文明は崩壊し、ウィルスへの免疫を持った僅かな生存者が、都市の廃墟に留まって人類の再興を目指している。
10年の間に片方は増え、もう片方は大幅に減った。
この数的均衡状態にある二つの知的生物が出会ったとき、“星を継ぐもの”の地位を巡る新たな戦いが始まるというのが本作の骨子である。
映画の世界観は、完全に現代社会の縮図として機能する。
人間と猿の対立の要因となる水力発電所は、即ちエネルギー資源だ。
それは猿たちの暮らす森の真っただ中にあり、電気を必要としない彼らには何の意味も持たないが、人間たちにとっては文明を維持する最後の希望である。
発電所を金や石油などに置き換えれば、これが世界中で有史以来繰り返されてきた資源を巡る争いのメタファーとして描写されているのは明らかだ。
他人のテリトリーの中にある“どうしても欲しい何か”という分かりやすいトリガーによって、二つの種族の葛藤に火がつく。
もっとも、人も猿も一枚岩ではない。
絶滅寸前に追いやられた人間たちは、誰もが猿インフルエンザによって大切な人を亡くしている。
別に猿たちが意図的に広めた訳ではないものの、災いを媒介した存在として猿は忌み嫌われている様なのだ。
また前作の事件の直後にパンデミックが始まったせいか、猿たちが知性を持った顛末については知られておらず、突如として現れた言葉を話す類人猿は、人間たちにとっては未知のモンスターなのである。
それ故に猿たちを単なる動物として駆除を主張する者もいれば、新たな知性であることを認めて交渉しようとするマルコムの様な者もいる。
同時に、人間のキャラクターよりもむしろ個性が描き分けられている猿たちも、嘗ての支配者との再会に、複雑な反応を見せる。
最終的には袂を別ったものの、ウィルとの幸せな幼少期の記憶を持つシーザーは、人間にも様々なタイプがいて、皆が悪人でない事を理解している。
だから彼はマルコムの申し出を受け入れるのだが、研究所の実験動物として残酷な仕打ちを受けてきたコバの様に、人間への不信感を拭い去れない者もいる。
銃を持った人間の出現は、嘗ての恐怖を呼び起こし、同時に文明を失いつつある人間に対する復讐心と野心を覚醒させてしまうのだ。
コバは人間との歴史を知らない、シーザーの息子のブルーアイズら若い猿たちを抱き込み、やがて謀略によってシーザーを葬り、恐怖によって猿たちを支配すると、人間と猿との最終戦争を画策する。
ここにあるのは、王に対する謀略と裏切りであり、父と子の対立であり、異民族との遭遇と軋轢、仇敵への復讐、平和への渇望と戦争への欲求、絶望からの救済と予期せぬ破壊、これら全て絡み合う壮大かつ神話的な物語だ。
例えばこの映画を構成する要素を、ジョルジュ・ポルティが定義した36の劇的局面に当てはめてみると、25局面くらいは当てはまるだろうか。
これほど重層的なプロットを2時間10分という比較的コンパクトな上映時間にまとめ上げた脚本チームの仕事は称賛に値する。
前作の出来事を巧みに伏線として利用しながら、一見さんであってもちゃんと理解できるように、本当に必要な部分は物語に組み込んでさりげなく説明するあたりもセンス良い。
視覚的な見せ場も前作以上に凝って作りこまれており、SFアクションとしても見応えは十分だ。
廃墟の都市に砦を作り、守りを固める人間たちに対して、馬に乗った猿の軍団が襲い掛かるシークエンスは、明らかに西部劇の白人入植者vs先住民をイメージしているのだが、この戦いに人間側、猿側どちらにも感情移入キャラクターが加わっていないのがミソ。
客観的に見られるので、激しければ激しいほどに戦いの愚かしさが強調されるという訳だ。
「猿は猿を殺さない」というセリフに象徴される様に、嘗ての支配者である人類とは異なる存在を目指していたはずの猿たちが、物語が進むにつれてどんどん人間化するのも皮肉かつ面白く、それ故に最後のシーザーの選択は心に突き刺さる。
自分たちが人間と変わらないという事実を身をもって知った彼には、もはや他の道は存在しない。
ラストの重厚なシーザーの姿が、「ゴッドファーザー」で生き方の覚悟を決めたマイケル・コルレオーネに重なって見えたのは私だけだろうか。
それにしても、フィルモグラフィに続編やリメイクが多いからか、あまりその作家性が話題にならないが、「モールス」といい本作といい、名作レベルのオリジナルをさらっと超えてくるマット・リーヴスの演出力は全く侮れない。
地味に斬新な「クローバーフィールド/HAKAISHA」もそうだが、さりげなくすごい物見せるのはこの人の特徴かも知れない。
そして本作の成功に決定的な役割を果たした人物がもう一人。
遂にファーストロールにクレジットされた、シーザーを演じるアンディ・サーキスだ。
この人はゴラムとキングコングとゴジラとシーザーの中の人という、映画史上類のないとんでもない俳優なのだが、特に今回のカリスマリーダーはCGのスキンの向こうに圧巻の存在感を見せる。
伝え聞くところによると最近監督業への転身を図っている様だが、ハリウッドはそろそろこの希代の表現者の奮闘に応えるべきだろう。
アカデミー主演男優賞が難しいなら、パフォーマンスキャプチャに対する新たな部門を創設したらどうか。
この映画はサーキスの存在なくしては成立せず、俳優とCGアーティストのコラボレーションによって生み出された“演技”は、もはや映画表現の中核と言っても過言ではないのだから。
「猿の惑星:新世紀(ライジング)」はエキサイティングかつエモーショナルで、最後には猿たちを鏡に自らについて深く考えさせる社会派SFの傑作だ。
間違いなく、今年を代表する作品の一つとして映画史に名を留めるだろう。
惑星の支配権をかけた戦争が始まり、おそらくシーザーが究極の決断を迫られるであろう次回作は、既に2016年の公開がアナウンスされている。
果たして物語は、最終的に1968年の伝説的な第一作に繋がるのか否か、2年後が待ち遠しい!
今回は、猿の暴動ならぬ“ホップの暴動”をチョイス。
映画でシーザーたちが暮らす森からもほど近い、サンフランシスコ・ベイエリアのチコにある若い醸造所、ハイウォーター・ブリューイングの「ホップ ライオット IPA」は、変わった名の通り圧倒的なホップ感が売り物だ。
苦味を前面に押し出したビター&フルーティな味わいはバランスに優れ、とても美味。
パワフルな映画で心地よく疲れた脳を、刺激的に癒してくれるだろう。

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やたらお腹の空く映画だった。
原作は、「海獣の子供」「カボチャの冒険」などで知られる五十嵐大介の同名漫画。
大自然に囲まれた東北の小さな村を舞台に、一人自給自足の生活を送るいち子の日常を描く春夏秋冬の四部作で、実際に東北に移り住んだ作者の体験をもとにしている。
一つの季節がほぼ一時間で語られ、それを2本ずつ纏めて公開するという企画性もユニーク。
今回公開されるのは先ず夏・秋の二編で、来年2月に残りの冬・春編が公開予定。
旬な俳優にカタカナタイトル、食をモチーフとしたストーリーなど、一見ロハス系オシャレ映画っぽいムードだが、本質的に異なる魅力がある不思議な作品だ。
ポイントはスローライフに憧れ田舎に渡った都会っ子ではなく、あくまでそこで生まれ育った土地っ子の話という事。
作業着姿もなかなか板についている橋本愛演じるいち子は、とにかく生きてゆくのに必要なあらゆる食べ物を自分で作ってしまう。
小さな農地を持っているから、米や野菜は当たり前。
野菜からは更にウスターソース、米からは醗酵米サワーそしてそれが沸きすぎると即ちどぶろくになるのだろう。
野に生えている栗や胡桃は動物たちと競争で採り、そこからもまた色々な美味しいものが魔法の様にどんどん出来てくる。
きっと人類文明が滅びたとしても、いち子はこの土地でなら生きていけるのではないか(笑
元々彼女は母の福子と二人暮らしだったらしいのだが、福子は7年前に突然村を去り、いち子は一度町に出た後に村に戻ったUターン組。
一体彼女らの過去に何が起こったのか、夏・秋編の二時間の間に四部作全体のテーマは何となく示唆され、後半に繋がる“ドラマの種”は撒かれるものの、特にダイナミックな展開は無く、基本ず〜っといち子が食物を育て、収穫し、料理して、食べるの繰り返し。
しかし彼女が何かを作り始めると、不思議とワクワクする。
これはおそらく連載漫画の構成をそのまま取り込んだのだろうが、彼女が何か料理を作るたびに、“1st Dish”とか“2nd Dish”とか字幕が出て、漫画の扉ページの様な役割を果たし、一体今度はどんな美味そうなものを作るんだろう?と期待してしまうのだ。
映画を観てると無性に胃袋を刺激されて、満腹のはずなのに胃の中のカエルが鳴く(笑
それもただ食べたくなるのでは無く、きちんと料理して食べたくなるのが面白い。
農業とまではいかなくても、家庭菜園などをやっていたりすると余計に刺激的だろう。
私も自宅兼事務所の屋上で、ささやかな野菜畑を作っているけど、“トマトは強くて弱い”という話などは「うん、そうそう」と頷き、あのウスターソースもどきはウチでも作って作れなくは無いなあ・・・などと観ながら考えていた。
なんと言うか、私たちは毎日生きてゆくために食べ、食べるために育てるのだという事を、まったりした時間の中で、自然に意識させてくれるのである。
この映画のムードは何か近い作品があった気がしたのだけど、そうだ「北の国から」だ。
年齢はだいぶ違うけど、主人公が一度都会に出てUターンしてきたという設定も同じだし、年季の入ったいち子の家はどことなく五郎さんの家に似ている。
いち子の暮らしはロハスはロハスでも、ファッションではなく経験に裏打ちされた(この作品の場合はたぶん原作者の)ものなのだろう。
残り半分でいち子とゆう太の微妙な関係や、ある日突然姿を消したという母・福子はどう絡むのだろうか。
厳しい東北の冬と、命芽吹く雪解けの春も楽しみだ。
あといち子が飼っているのか、それとも単に居ついているだけなのかわからないが、たまに出てくる猫が凄くカワイイのです( ;´Д`)
今回はロケ地となる岩手県を代表する地酒、株式会社南部美人の「南部美人 純米吟醸 ひやおろし」をチョイス。
ひと夏貯蔵された酒は新酒の荒々しさが消えてすっかりまろやかになり、まさに飲み頃。
吟醸香は芳醇、スッキリとした味わいは、山海の秋の幸との相性は抜群。
毎年この季節にしか買えない、米の豊かな味を十分に味わえる一本だ。
そういえば橋本愛と幼馴染のきっこ役の松岡茉優は、二人とも「桐嶋」&「あまちゃん」組だ。
じぇじぇじぇ!

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類似する作品が思い当たらない、非常にユニークな佳作だ。
シアーシャ・ローナン演じる心に傷を抱えた少女が、突如勃発した核戦争の中、愛する少年の待つ家を目指すサバイバルロードムービー。
ある種の終末ものであり、少女の成長を描いた瑞々しい青春映画でもある。
同じような設定でも、ハリウッドだと「若き勇者たち」みたいにアクション中心になっちゃうが、こちらはいかにも英国映画らしいとんがったジュブナイルだ。
ケヴィン・マクドナルド監督とジェレミー・ブロック、ペネロピ―・スキナー、トニー・グリゾーニの脚本チームは、徹底的に主人公のデイジーの心をフィーチャーし、説明的な要素を排する事で、本作を“彼女が見ている世界”に閉じ込める。
アメリカ人のデイジーは、夏休みの間ホームステイするため、イギリスの田園地帯にある伯母の家にやって来る。
デイジーの母親は彼女の出産の時に亡くなった事、父との間に大きな蟠りがある事、そしてどうやら家族との関係が作り出した精神的な苦痛によって、彼女は他人が自分の領域に入ってくる事を極端に嫌う偏屈なパンク少女になってしまった事が何となく示唆されるが、詳細なバックグラウンドは殆ど語られない。
それは世界観に関しても同様で、物々しい空港の様子やテレビニュースの断片から、イギリスがテロリストによる攻撃に曝されていて、欧州は第三次世界大戦の瀬戸際にあるらしい、という事はわかるものの具体的に誰と誰が敵対しているのか、戦争の原因は何なのかは一切描写されない。
デイジーの心象世界でもあるこの映画における戦争は、心を閉ざした少女が生きる事の意味を見出して行くための寓話的装置なのである。
物語の前半は、思いっきりつっけんどんな態度だったデイジーが、いとこの三兄妹との田舎暮らしの中で、徐々に心の武装を解いてゆくプロセス。
しかしやがてテロリストによる核攻撃を切っ掛けに戦争がはじまり、出張中だった伯母は行方不明に。
静かな田園地帯にも段々と死と硝煙の臭いが漂いはじめ、不安が未来を消し去ろうとする中、デイジーはいとこの長兄であるエディーと愛し合う様になるのである。
4人の少年少女が取り残された家は、いわば死が支配する世界の中に、ポツンと浮かんだデイジーの理想郷。
世界がどうなろうとも、この家で生きようと彼女が決意を固めた時、戦争はいよいよ牙をむいて少女の人生に襲いかかってくるのだ。
進駐して来た軍は女性と男性を別々に連行し、デイジーとエディーは別れ別れに。
しかし大人たちによって愛と自由を奪われた少女は、理想郷を取り戻すべく密かに旅の準備を整え、年少の従妹を連れて戦火の中逃亡を企てる。
目指すはエディーの待つ、遥かなる“我が家”だ。
面白いのは、他人の声をシャットアウトするかの如く、ヘッドホンをつけているデイジーが、内面で常に相反する“心の声”を聞いているという部分で、これが上手く物語に生かされている。
葛藤が作り出す内なる命令によって、自ら心を縛り付けていたデイジーは、戦争という寓話的装置の中で外側から抑圧されて、初めて自由の本当の意味を知り、生と死を隔てる壁の脆さを目の当たりにする事で、自らの生きる道を定めてゆく。
大地に足をつけ、愛する人と共に力強く歩む彼女には、もはやパンクルックの鎧は必要ないのである。
日常と非日常が静寂の中に同居する全体のムードは、なんとなくダニー・ボイル監督の「28日後」を思わせるが、あれも終末設定のイギリス製サバイバルロードムービー。
黙示録の青春を描く本作は、 ハリウッドとはまた違った先鋭的なスタイルと独自の美学を持つ、なかなかに見応えあるヤングアダルト映画だ。
本来はティーン向けの作品なのだろうけど、大人が見ても十分面白い。
英国の神秘的な森が舞台となる作品なので、イギリスはオックスフォード州ウィットニーの森に潜むウィッチウッド・ブルーワリ―から、「ホブゴブリン ストロングエール」をチョイス。
ペールモルトにチョコレートモルトを少量ブレンドして醸造されており、独特のアロマを楽しめる。
ボディは強いが、比較的スッキリとした口当たりで飲みやすい。
ファンタジー映画の様なラベルもユニークな一本だ。

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チリのピノチェト独裁政権の退陣に繋がった、1988年の国民信任投票を背景にした異色のポリティカルドラマ。
強大な力で国を支配する政権側に対して、反体制派に与えられたのは一日僅か15分のテレビ放送枠のみ。
恐怖政治による長年の抑圧の結果、民衆は、いや政治家すらも変革の可能性をすっかり諦めてしまっている。
一体どうすれば、有権者は投票所に来て政権へ「NO」の票を投じてくれるのか。
これは、移ろいやすい民衆の心を動かし、内なる良心を呼び起こすために、本来政治には無縁だった広告マンたちが、絶対不利の戦いに挑んだ27日間の物語だ。
陸軍総司令官だったピノチェトが、クーデターでアジェンデ社会主義政権を倒し、権力を握ったのは1973年。
以降反対派は徹底的に弾圧・粛清され、数千人が処刑されたり、行方不明になったりしたという。
ピノチェトと軍部は暴力と恐怖によって、人々の声を封じ、以降15年に渡ってチリを支配する。
そして1988年、世界では冷戦が終わりつつあり、東西対立の中で放置されていたチリの国情は徐々に国内外からの批判を浴びるようになり、ピノチェトは自分の任期をさらに8年延長する事の是非を国民投票にかける事を約束する。
とは言っても、長年の独裁によって野党組織はズタズタにされ、テレビも新聞・雑誌も有力なマスコミは全て政権の息がかかった所ばかり。
反体制派がかろうじて国民への呼びかけに使えるのは、投票までの27日間、視聴率の低い深夜に設定されたテレビ放送枠だけなのだ。
だが、十分な人も金も無い反体制派にとって、15分を埋めるだけでも一苦労。
しかも彼らには、テレビという媒体で人々に考えを伝えるノウハウなど無い。
そこで集められたのが、メディアとそれを観る民衆の心理を知り尽くした、広告プロフェッショナルたちという訳だ。
ちょっと潤んだ小鹿の様な目をしたガエル・ガルシア・ベルナルが、無理難題に挑む広告クリエイターを好演。
はたして、時代にマッチした強力な表現とは何か。
ただ深刻にピノチェトの罪を羅列したところで、委縮した人々は動かない。
むしろ恐怖を呼び起こし、マイナスの効果を生み出すかもしれない。
しかし、長年にわたって犠牲を出しながら政権と戦ってきた反体制派には、どうしてもこれだけは訴えなければならないという、絶対に譲れない一線もある。
様々な立場のグループが寄り集まった中、広告マンたちは硬軟のバランスを取りながら、過去との対決と未来への希望の象徴として「NO」を時代のアイコンとして広めてゆく。
体制側の「YES」陣営と、反体制の「NO」陣営の熾烈な広告合戦。
最初のうちは余裕綽々だった政権が、だんだんと追い詰められ、遂にはネガティブキャンペーンの泥仕合に突入せざるを得なくなるプロセスは、まるで静かに白熱するチェスの試合を見るかの様だ。
一応、政権側からの妨害工作や脅迫の類もあるのだが、映画的には場外乱闘の描写はほどほどにしておいて、基本的に双方の広告マン同士の頭脳戦を軸にしているのが良かった。
1:1.40のアスペクト比、RGBが滲んだ懐かしのアナログテレビ風の映像も雰囲気を高めるが、ユニークなレトロタッチの映像を実現するために、本作の撮影には最新のデジタルカメラでもフィルムカメラでもなく、80年代当時の日本製のテレビカメラ、池上通信機の HL-79EALが使用された。
この工夫によって、現代に作られたドラマ部分が、作中に使用されている当時のドキュメンタリーフッテージや、テレビ番組とイメージ的にシームレスとなり、まるで全体が記録映画であるかのようなリアリティを感じさせる。
本作は四半世紀前のチリで起こった歴史の転換点を描いた作品だが、非常に普遍性のある物語となっている。
権力が良識の声を封じようとする時、あるいは多数の正義が少数の正義を黙殺しようとする時、いかにして戦えば良いのか、いかにして人々の意識を変えるのか。
1988年の10月、ペンならぬカメラが剣に勝利した歴史的な事実は、今の日本のみならず、世界中の色々な社会葛藤に当てはめてみる事が可能だろう。
これこそ、シンプルでありながらスリリングで奥深い、今の時代にマッチした強力な表現と言えるのではないか。
チリと言えば南米のワインどころだが、夏の終わりにはチリのビール「ソット ストロングエール」をチョイス。
ゾットはアメリカの実業家ケヴィン・ソットが2006年にチリで立ち上げた新しい銘柄で、まだ生産量は少ないながらも世界的に高い評価を受けている。
幾つかのタイプを製造しているが、ストロングエールは複雑で重層的な香りとコク、いかにも正統派エールらしい適度な苦みを楽しめる。
ノンフィルター、低温殺菌せず、瓶内二次発酵させた高品質のクラフトビールだ。
ちなみにソットではメルローのワイン作りも始めているそうで、いつか手に入れて飲んでみたい。

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