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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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0.5ミリ・・・・・評価額1700円
2014年11月27日 (木) | 編集 |
この世界は、人生のモザイク。

流浪の押しかけヘルパー、山岸サワの人生の冒険を描く、上映時間実に197分に及ぶ大長編。
監督・脚本は安藤桃子、主演は妹の安藤サクラ、父親の奥田瑛二がエグゼクティブ・プロデューサーを務め、劇中に出てくる美味しそうな料理の数々は母親の安藤和津が担当と、安藤家総動員のファミリー・ムービーでもある。
はたして「0.5ミリ」という奇妙なタイトルの意味するところは何か?
老人介護というシリアスな題材を描きながら、ユーモラスで魅力的なキャラクターたちが織り成す人間ドラマは実にパワフルでウィットに富み、普通の映画2本分の長さを全く飽きさせないのだから大したものだ。

介護ヘルパーの山岸サワ(安藤サクラ)は、ある日派遣先の片岡家で、介護対象の昭三(織本順吉)の娘・雪子(木内みどり)から、「冥途の土産に、一晩お爺ちゃんと寝てほしい」という依頼を受ける。
もちろん、会社の規定ではそのような事は禁止されているが、昭三は殆ど寝たきりで、身動きもままならない。
サワは添い寝するだけ、という条件で了承するも、予期せぬ大事件に巻き込まれてしまう。
規定違反がバレて会社はもちろんクビになり、寮も追い出された上に、財布まで無くしたサワは、カラオケボックスでトラブっていた老人・康夫(井上竜夫)を、頼まれもしないのに無理やり助け、一晩のねぐらを確保する。
これに味を占めたサワは、街で老人たちを観察し、何か問題を抱えた老人の押しかけヘルパーになろうとするのだが・・・・


映画は変則的な四部構成となっている。
第一部は、ヘルパーのサワが、老人との添い寝という規則違反の仕事を引き受けてしまった事で、予想外の事件に巻き込まれ、職を失って流浪のホームレス人生を始めるイントロ部分。
ここは後述する様に、最終第四部と対の構造となる。
金なし、家なし、仕事なしの彼女が見つけた生きる道が、訳あり老人の弱みに付け込んで脅し、無理やり家に上がりこむという押しかけヘルパー。
ぶっちゃけ、やってる事は結構えげつないのだけど、強引でありながら基本思いやりと優しさがベースにあるサワの行動によって、老人たちはいつしか癒され、自らの終の生き方を変えてゆく。

物語上の役割という点では、サワは所謂“狂言回し”に近いが、老人たちとの暮らしが、やがて秘めたる静かな葛藤を抱えたサワ自身の生き方にも、大きな影響を与えてゆくのである。
押しかけヘルパーの対価は、つまり飯とねぐらという訳なのだが、彼女は一人の老人と出会い、別れる度に、まるで昔話の「わらしべ長者」の様に、何か一つのアイテムを譲られるのだ。
第一部で寮を追い出された上に、電車に上着を忘れ一文無しとなってしまったサワは、若干ボケが入った老人の康夫と偶然出会い、一晩カラオケボックスで盛り上がる。
そして翌朝の別れ際に、康夫は上着がなくて寒そうにしている彼女に、自分のコートをそっと着せる。
彼女は失ったものを、一晩の共有体験によって取り戻すのだ。

第二部で、彼女のターゲットとなるのは、元自動車修理工の茂。
彼には遠く離れて暮らす娘がいるが、子供の世話にはなりたくないと、意地をはって一人暮らししている。
しかし孤独から来るストレスに苛まれ、他人の自転車を盗んだり、壊したりして気分を紛らわせている現場をサワに抑えられ、家に上がり込まれる羽目になるのだ。
ところが、アホの坂田師匠が素晴らしい好演を見せる茂を狙っているのは、彼女だけではない。
昭和なボロ屋に暮らす一見パッとしない茂だが、実はコツコツとためた一財産を持っており、投資詐欺グループに狙われている。
無防備に相手を信用してしまっている茂を見かねて、サワは訪ねてきた詐欺犯相手に大立ち回りを演じてみせるのだ。
茂が求めていたのは、他者と自分の“人生の重なり”
詐欺犯との重なりは孤独が作り出した偽りの絆だったが、サワとの間に本物の重なりを感じた茂は、彼女に自分の宝物を譲って、終の住処へと去ってゆく。
それは昭和を代表する名車、いすゞ117クーペ、しかも希少な初期のハンドメイドモデル。
たぶん車の価値など知らなそうなサワは、茂が丹精込めて整備したエンジンの鼓動を感じながら、再び流浪の旅にでる。

そして第三部で彼女が転がり込むのは、エロ写真集を万引きしようとした、元教師の義男先生の邸宅だ。
男やもめの茂とは違って、義男は認知症を患って寝たきりの妻と二人暮らし。
定期的に通ってくる正規のヘルパーを雇う余裕もあるが、地位も名誉もあるプライドの高い男ゆえに、もはや自分が社会に必要とされない存在であることを認められず、勉強会で教えていると嘘を行っては、出勤するフリをしている。
彼もまた、新たなる重なりを求め、サワとの暮らしに微かな喜びを見出してゆくのである。
だがやがて義男もまた認知症を発症し、嘗て海軍の軍人であった頃の記憶のループに陥ってしまうと、サワの居場所はまたも失われてしまう。
このエピソードで、サワが義男からもらう物は何か?
それは実にワンカット7分に及ぶ独白で語られる、戦争に纏わる義男の記憶そのものであり、彼女自身がおそらくは無意識に考え始めた、自分自身の生き方を見つめる新たな視点である。
サワはなぜヘルパーという仕事を続け、見ず知らずの老人たちと暮らしているのか。
その先に一体何があるのか。

最終の第四部。
サワが転がり込む先は、老人の家ではない。
物語の冒頭部分で、自らもその崩壊の一因となった片岡家の一人息子、マコトと再会したサワは、彼が父親と二人で暮らしている廃墟のような家に居候する。
マコトの父の健は、まだ老人というほどの歳ではないが、造船所で働いていると嘘をいっては、資源ごみを拾い集めてのその日暮らし。
僅かな収入は飲んでしまい、長年会っていなかったマコトは一言も言葉を発せず、意思の疎通もない。
マコトや健もまた、重なりを失った、あるいは重なりを拒否した人々なのである。
そして片岡家に隠されていたある秘密を知った時、サワは本物の自分をとりもどす決意をしたマコトと共に、次なる人生の旅路に踏み出してゆく。

物語を通じて、狂言回しであるサワ自身の葛藤は具体的には語られない。
しかし彼女は、197分の間に確かに感じ取るのである。
この世界に命を授かった無数の人々の人生は、それぞれにほんの少しずつ触れ合い、折り重なって、モザイクの様にこの社会を、いや世界を形作っている。
一人ひとりの重なりはたった0.5ミリくらいかもしれないが、そのほんの僅かな絆がなければ、人は生きてゆけないのである。
だから彼女は、自分よりもずっと長い時間を生きて、沢山の人と重なってきた老人たちをリスペクトし、彼らの秘められた思いを受け取り、ある意味で居場所を探すもう一人の自分であるマコトと共に、未来へと旅立つ。
「死ぬまで生きよう、どうせだもん。」という本作のコピーに込められた、生きること、生き抜くことの意味を探して。

主人公のサワを演じる安藤サクラが素晴らしく、キャリアベストと言って良い好演。
さすが姉さんは実の妹の生かし方をよく知っているし、妹も姉の映画に魂を与えている。
坂田師匠や津川雅彦ら、老優たちの人生の年輪を感じさせる演技も味わい深い。
上映時間の長大さを感じさせない大力作、パワフルな人間ドラマだ。

本作の舞台は高知県で、監督も高知在住。
今回は高知を代表する地酒、「酔鯨 純米大吟醸 山田錦」をチョイス。
銘柄は自ら「鯨海酔侯」と名乗った幕末の土佐藩主、山内豊信に因んだもの。
米の味わいを堪能できる、土佐の辛口の王様、もとい殿様。
フルーティな吟醸香も爽やかだ。
これからの季節は海鮮鍋料理などと共に、冷でいただきたい。

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インターステラー・・・・・評価額1800円
2014年11月25日 (火) | 編集 |
愛は、時空を超える。

鬼才クリストファー・ノーラン初の宇宙SF、「インターステラー」はやはりとんでもない作品であった。
物語の背景となるのは、気候変動や天変地異により、人類の母星・地球の寿命が尽きようとする近未来。
種の生存を賭け、居住可能な新たな星を探す命がけのミッションに挑む一人の父親と、いつ帰るとも知れない彼を待ち続ける娘の姿を通して、人間存在の核としての“愛”を描こうとする壮大かつ野心的なヒューマンドラマである。
主人公の宇宙飛行士を、ここ数年絶好調でキャリアを重ねるマシュー・マコノヒー、娘役をマッケンジー・フォイとジェシカ・チャスティンが演じ、過去のノーラン組からアン・ハサウェイやマイケル・ケインが脇を固める。
今まで見たこともない、深宇宙の幽遠なビジュアルに度肝を抜かれ、未知の世界での冒険に手に汗握り、人間たちの深い情愛に泣かされる。
圧倒的な演出力と膨大な情報量に裏打ちされた、疾風怒濤の169分!
これぞエンターテイメントだ!
※ネタバレ。観る前に読まないで。

地球環境の激変によって、人類の生存圏は刻一刻と脅かされていた。
植物が枯れ果て、人類が滅亡するまで、残された猶予はわずか数十年。
嘗てNASAのパイロットだった農夫のクーパー・ハミルトン(マシュー・マコノヒー)は、ある日娘のマーフ(マッケンジー・フォイ/ジェシカ・チャスティン)の部屋で、本棚の本が勝手に動いて落下するという奇妙な現象に遭遇する。
落ちた本のパターンが荒野の中のある座標を示している事に気づいたクーパーが、マーフ共に車を走らせると、そこで待っていたのはクーパーの嘗ての上司、ブランド教授(マイケル・ケイン)だった。
既に解体されたはずのNASAは密かに存続しており、極秘の計画が進められていたのだ。
ブランドたちが“彼ら”と呼ぶ謎の知性によって、土星の近くに別の銀河に通じるワームホールが作られ、既に12機の宇宙船が探査の為に旅立ち、そのうち3機から生存可能な惑星にたどり着いたという信号が届いている。
ブランドはクーパーもまた“彼ら”に選ばれたと考え、3つの惑星のうち、人類の移住先を決める最後のミッションに参加するように要請する。
もしも旅立てば、二度と帰れないかも知れないが、このまま地球にいても、娘たちの世代を救う事は出来ない。
クーパーは悩んだ末に参加を決意し、ブランドの娘で生物学者のアメリア(アン・ハサウェイ)らと共に、人類を救うべく冒険へと旅立つ・・・・


いやはや毎度の事ながら、あまりの濃厚さに観終わってどっと疲れた。
環境破壊による地球滅亡の危機、ワームホールの旅、重力による時間のずれ、別次元に進化した未来の人類。
古今東西のSF小説から日本のアニメまで、本作に連なるアイディアやイメージを持つ作品は決して少なくないが、その中でも特に強い影響を感じる作品は二つ。
言わずと知れたスタンリー・キューブリック監督の金字塔、「2001年宇宙の旅」と、ロバート・ゼメキス監督がカール・セーガン博士の小説を映画化した「コンタクト」だ。
未知の空間に旅した人類の、次なる進化の可能性を見せる、という意味では前者であり、ワームホールを通じた父娘のドラマ、というストーリー的な部分では後者の影が強い。
実際、本作の企画者であり、プロデューサーの一人リンダ・オブストは「コンタクト」でもプロデュースを務めており、本作でエグゼクティブ・プロデューサーに名を連ね、科学考証を担当した理論物理学者のキップ・ソーンは、セーガンの友人だったという。

個別の要素に注目すると、未知の存在に導かれた宇宙船が先ず向かったのは、「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の場合木星、本作のエンデュランス号は土星。
どちらの船にも高度に発達した人工知能が搭載されており、本作に登場する自立型ロボット、TARSの姿はおそらく狙ってモノリスそっくりに造形されている。
私はブラックホールに落ちたアレが、五次元の“彼ら”に進化するのかと思った(笑
また「コンタクト」では、ヴェガの異星人から届いた通信の謎を解いて、ワームホールを作り出す巨大な装置を建設するが、本作では五次元に存在する“彼ら”に導かれ、“彼ら”の作り出したワームホールへと突入する。
更に本作の主演のマシュー・マコノヒーは、「コンタクト」でも物語のキーパーソンとなる重要な登場人物を演じていた。
今回彼の役どころは、幼い娘を地球に残し、宇宙の彼方へ旅立つ宇宙飛行士で、彼を待ち続ける娘との時空を隔てた愛と絆がドラマの核となるが、「コンタクト」では、ジョディ・フォスター演じる主人公が幼い頃に父を亡くした設定で、マコノヒーは実証主義者の彼女に「父への愛の証拠はあるか?」と問い掛けるのである。
本作のクライマックスでブラックホールに進入したマコノヒーは、五次元世界から娘へメッセージを伝えようとし、「コンタクト」ではワームホールを通り、ヴェガにたどり着いたフォスターが、父の姿をした異星人と出会うという裏返しの構造を持つ。
大きな違いは、「コンタクト」は科学的な実証と人間の主観の間にあるギャップを大きなテーマとしているが、ノーランの場合は、はじめから素直に主観に寄り添うという事だろう。

この様に、「インターステラー」はいわばキューブリックの孫で、ゼメキスの子供である。
特に「コンタクト」に対しては、ある種のアンサームービー的意味合いを持つと言っても間違いではないだろう。
スケールの大きさで考えれば、本作と「2001年宇宙の旅」は双璧。
しかしキューブリックが徹底的に現象だけを描くことで、登場後半世紀近くたっても全く色褪せない神話的な永久性を作品に与えたのに対して、やはりノーランの関心は特殊なシチュエーションの中での人間のエモーションなのだろう。
自分が誰かを救えるなら、大きな葛藤を抱えても行動しようとする主人公は、「ダークナイト」から一貫しており、その原動力は信念と愛だ。
その意味で本作はキューブリックよりは「コンタクト」により近いが、何よりも精神性に重きをおくノーランらしい作品であり、例えば手塚治虫の「火の鳥」に見られる様な科学的アプローチと精神的アプローチが同居している。
ノーランの考える人間の宇宙において、現象は常にエモーションによって変化するものなのである。
それはクーパーとマーフの関係もそうだし、科学者でありながら科学的な理論よりも愛の直観によって、恋人エドマンズの待つ星へ向かおうとするアメリアも同様だ。
たとえ宇宙という無限の空間で隔てられていても、精神という内なる無限によって人は繋がっている。
ここではマクロはミクロであり、ミクロはマクロなのである。
本作をゴリゴリのハードSFと捉えると、現象とエモーションで後者に重きを置くウェットさは評価の分かれ目になるかもしれないが、そもそも1億6000万ドルものバジェットを賭けた超大作が、限られたマニアのためのものである訳がない。
エンタメ色の濃い分りやすいヒューマンドラマというスタンスは、ハリウッド映画のあり方として誠に正しい。

とは言え、本作を観てホーキング博士の本を読んでいた事が、人生で初めて役に立った気がするのも事実。
そっち系の知識が全くないと、ワームホール?四次元?五次元?特異点?重力が時間を超える?と頭の中にいくつもの“?”を抱えながら観ることになるだろう。
もちろん全く知らなくても、全ての帰結する先は“愛”なので、ストーリー進行はちゃんと理解できるのだけど、感じられる物語の奥行きはかなり異なってきそうで、せめて相対性理論の概念くらいは頭に入れておいた方が楽しめると思う。
キップ・ソーンが、「史上初めて正確にワームホールやブラックホールを描いた映画」と豪語する様に、遥かなる宇宙の映像表現は、今まで観た事のあるSF映画とは一線を画するもので、IMAXなどの巨大スクリーンが相応しい。
まあ実際見たことがないから、これが本当にホンモノに近いのかは分からないし、あれ?なんでそうなるの?という一見嘘っぽい描写もあるのだけど、そもそも乏しい科学知識ではそれが正しいのか間違ってるのかも分からない(笑
何よりも大切なのは、たとえそれが映画的な嘘であろうが、作品の世界観の中で許容できる、芸術としての懐の深さである。
ストーリー、映像・音響、キャラクターが非常に高度なレベルで三位一体となっている「インターステラー」は、2014年のクライマックスに相応しいだけでなく、映画史に残るSFドラマの傑作だ。
それにしても、2014年は近年まれなSF映画の当たり年ではないか。
ラブストーリーにホラーにアメコミ、更には怪獣にドキュメンタリーまで数多くの秀作SFが生まれた年の終わりに、本作と「ベイマックス」という至高のエポックがやって来るとは、なんと贅沢、なんと幸せな冬だろうか。

今回は、ラストで再び旅立つクーパーに、たっぷり持たせてあげたいアメリカンビール「サミュエル・アダムス ボストン・ラガー」をチョイス。
第二代アメリカ大統領、ジョン・アダムズの兄として知られるサミュエルは、自身も政治家だが、元々実家の醸造所で働いていた経験を持つ。
彼の名を冠したボストンの地ビールは、ミラーやバドといったマスプロビールとは一線を画し、適度に濃厚でコクのある本格派のラガー。
ブラックホールを間近で眺めながら飲んだら最高だろうなあ。
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ショートレビュー「福福荘の福ちゃん・・・・・評価額1650円」
2014年11月18日 (火) | 編集 |
これは二十一世紀の「寅さん」だ!

森三中の大島美幸が“おっさん”を演じるのが話題だが、てっきり粗製乱造の吉本映画かと勘違いしてスルーするつもりだった。
しかし私が映画眼を信頼する何人かの人から、かなりの高評価を聞き方針転換。
ごめんなさい、やっぱ映画は観なければ分からない。
これは色物扱いしては全く失礼な、素晴らしい作品だった。

主人公は、今どき珍しい内廊下の昭和なアパート、というか下宿屋の福福荘に住む塗装工の福ちゃんこと福田辰男、32歳。
ぽっちゃり体型に丸刈り頭、面倒見が良く、男気もある人気者だが、恋愛には奥手で、同僚が世話を焼いて紹介してくれた女性ともまともに話ができず、上手くいかない。
一見天真爛漫だが、実は心に深い傷を抱える福ちゃんを大島美幸が好演。
女性が男性役を演じると聞くと、一瞬えっと思ってしまうが、俳優が自分とは別の性を演じる事は映画でも過去にもいくつも例があるし、そもそも日本には歌舞伎や宝塚の伝統があるのだから、それほど身構える必要もない。
福ちゃんも、30代のおっさんにしてはお肌がツルツル過ぎだけど、演技がキャラクターにぴったりはまっているので、女性であるという事はすぐに気にならなくなる。
むしろ良い意味で過去に演じた役柄などの“色”がついていない分、福ちゃんという究極の良い人キャラに説得力が生まれていると思う。

物語の前半は、福ちゃんと福福荘の愉快な仲間たちの日常と、水川あさみが演じる写真家志望の杉浦千穂の物語が平行に描かれる。
ぶっ飛んだキャラのカリスマ写真家に見出されて、会社を辞めて写真の世界に飛び込んだものの、師匠にセクハラされて仕事なし、つてなし、モチベーションなしの状況で後戻りできなくなってしまった千穂の状況はかなり悲惨。
一見関係なさそうな二つのストーリーラインがどう交わるのだろうと思っていたら、映画はかなりの力技を使って、後半一気に二人の抱える意外な過去との対決を描き出すのである。
実は千穂は福ちゃんの中学時代の同級生で、初恋の人。
千穂は、彼の気持ちを盛り上げるだけ盛り上げておいて、どん底に突き落とすという残酷なイジメを働いた事があるのだ。
福ちゃんが女性恐怖症なのも、初恋のトラウマがあるから。

とある理由から、当時のことを謝罪するために福ちゃんを訪ねた千穂は、大人になった彼の“顔”に魅せられ、彼の写真を撮ることを決意。
モデルになる事を頼まれた福ちゃんも、最初は戸惑うものの、やがて彼女への恋心を再び募らせてゆく。
贖罪と許しによって過去のトラウマが克服されると、新たに「美女と野獣」もとい「寅さん」的な葛藤が生まれるという訳だ。
ルックスも何もかもが全く対照的な二人の恋というメインプロットに、ユニークなサブキャラたちのエピソードも有機的に絡み合い、非常に上手い。
特に終盤の伏線にもなっているエキセントリックなカレー屋での一件は、大島美幸と古舘寛治のかけ合いが絶妙で、本編屈指の名シーンになっている。
このまま終われば大傑作だったのだけど、惜しむらくは映画のオチが現代の日本映画にありがちな描写過剰に陥ってしまった事だ。
あそこはもう観客は分かっているんだから、直接見せずに文字通りカレーのスパイスを匂わせる程度の方が余韻が残って良かったのになあ。
説明を尽くすより、観客の想像力を信じる勇気が欲しかった。

ところで本作の大島美幸や「小野寺の弟・小野寺の姉」の片桐はいりとか、超個性的なキャラクターの持ち主を、ダイレクトに生かす映画はもっとあって良いと思う。
バラエティ的にいじるだけの企画(本作もそんな映画かと観る前は思っていた)は多々あるが、真面目に映画に取り込んで生かした作品は少なすぎる。
まさに存在自体が言葉の要らない映像言語なのに!

今回は、東京23区内に唯一残る日本酒蔵、小川酒造「丸眞正宗  純米吟醸」をチョイス。
明治11年創業の蔵元は、都内の酒蔵が次々と閉鎖されてゆく時代の流れに抗い、今日まで赤羽岩淵の良質な水を用いて酒造りを続けてきた。
軽やかな吟醸香と柔らかな口当たりは、強い個性は無いものの、飽きの来ない味わいは季節や料理を選ばない。
福ちゃんの様に、日常の傍に存在を感じてホッとする、そんな酒だ。
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東京都内唯一の地酒。丸眞正宗 純米吟醸

東京都内唯一の地酒。丸眞正宗 純米吟醸
価格:1,600円(税込、送料別)


ショートレビュー「小野寺の弟・小野寺の姉・・・・・評価額1550円」
2014年11月13日 (木) | 編集 |
姉ちゃんは俺のために、俺は姉ちゃんのために。

早くに親を亡くしてから、一軒家にずっと二人で暮らしている小野寺家の姉、より子と弟の進。
恋に奥手な二人が、間違って配達された一通の手紙を巡り、人生を変える新たな出会いに翻弄されるユーモラスなヒューマンドラマ。
同名で同キャストの舞台があったから、てっきり舞台の映画化なのかと思ったら、原作は監督の西田征史の小説で、そのスピンオフとして舞台が作られたが、映画は小説を直接脚色したものなので舞台版とは全く違った話らしい。ややこしい。

とりあえず向井理と片桐はいりが同じ両親から生まれるとは思えないけど、このキャスティングが最強。
主役の二人は当て書きだと思うが、やっぱり片桐はいりは存在自体が劇的なのである。
設定年齢はよりこが41歳、進が33歳で共に独身。
本作が描くのは、「アナ雪」のアナとエルサもびっくりの強い絆で結ばれ、お互いを思う気持ちが強すぎるあまりに本当の優しさを見失い、前に進めなくなってしまった中年姉弟の葛藤だ。
進には過去に好美という恋人もいたのだが、彼女は家を出て二人で同棲する踏ん切りをつけられない進に愛想を尽かし、結局別れてしまった。
それ以来よけい奥手になってしまった進の将来を心配して、より子は常々世話を焼きたがるが、進は進で姉を差し置いて自分が幸せになる事に心苦しさを感じている。

歳の離れたより子は、進にとっては姉であると同時に親代り。
それだけではなく、進は嘗てより子の初恋相手に嫉妬するあまり、意地悪をして彼女を怪我させてしまったという負い目がある。
より子が恋をしなくなったのは、自分のせい。
もしも進が独立すれば、より子はこの家に一人ぼっちになってしまう。
だから彼女が幸せになれなければ、自分も幸せになってはいけないと、半分無意識のうちに自己を抑圧してしまっているのである。
ところが進は、間違って配達された手紙を届けた先で、駆け出しの絵本作家の薫に出会い、図らずも一目ぼれしてしまう。
時を同じくして、より子も勤務先の出入り業者の暁のとる思わせぶりな態度に、恋の予感を感じ取る。

二人にそれぞれ巡って来た新たな出会いは、姉弟の関係の変化の契機ともなる。
姉と弟のどちらも感情移入キャラだが、基本的に葛藤の軸となるのは、姉離れ出来ないシスコンの弟だ。
彼は“優しさとはなにか”をテーマにした、薫の新作絵本のストーリー作りに協力するうちに、自分自身が姉に向けている気持ちの正体を直視し始める。
優しさや思いやりだと考えているそれは、本当は同情だったり罪悪感であったり、自分の中の罪の意識が作り出した利己的な感情ではないのか?という事に、彼はようやく気づくのである。
だが人間、何十年も抱き続けた感情が突然180度変わることはないし、人生もそんなに都合よく劇的には展開しない。
前に踏み出す勇気を持てなかった者に、運命の女神は微笑まず、大いなる期待は往々にして残酷に裏切られる。
全体的にほんわかと柔らかな語り口だが、物語そのものはビターテイストで媚びない辺りに作り手の矜恃を見た。

結局、葛藤は完全に解消されないが、二人とも小さな一歩は歩み出す。
他人から見ると「え?」と思う様な小さな事が、しばしば人生を左右する大きな葛藤の始まりだったりするが、とりあえず進にとってのトラウマの大元は解消されたし、これから小野寺の姉弟は、もっと素直に、ありのままの自分で生きる事が出来るだろう。
愛すべき姉弟の、愛すべき小品である。

今回は小野寺の姉弟と飲みたい、東京の地酒「屋守 純米生詰 ひやおろし」をチョイス。
「金婚」で知られる東村山市久米川町の豊島屋酒造の四代目が、「東京の旨い酒を全国に発信したい」と15年ほど前に立ち上げた銘柄。
なるほど東京にこの酒あり!というクオリティに仕上がっており、今や酒好きの間で知らない者はいないだろう。
ひやおろしはひと夏寝かせることによって熟成が程よく進み、芳醇な果実香と旨くて甘い柔らかな米の味わいが楽しめる。
冷酒はもちろん、ぬる燗でも美味しくいただける。
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ショートレビュー「誰よりも狙われた男・・・・・評価額1650円」
2014年11月11日 (火) | 編集 |
“A most wanted man”は誰だ?

スパイ小説の名手、ジョン・ル・カレが2008年に発表した同名小説をもとに、古今東西のスパイのメッカ、ドイツを舞台に、9.11後の諜報の世界を描くいぶし銀の秀作だ。
監督は伝説的なロック・フォトグラファーであり、映画監督としてもデビュー作の「コントロール」で高い評価を得たアントン・コービン。
また今年2月に46歳で急逝した、フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作の一つ(主演作としては最後)でもある。
なるべく予備知識無しで、集中力を切らさずに観るのが吉だろう。
※だから観る前は読まないで!

複雑なプロットと込み入った人間関係を特徴とするル・カレの原作なので、まあ一筋縄ではいかないとは思っていたが、今回も作劇は凝っている。
彼の代表作である「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を映画化した「裏切りのサーカス」に比べると、メインの登場人物はそれほど多くなく、観やすいことは観やすいものの、ちょっとしたところにも重要な伏線が隠されていたりするので油断は禁物だ。
皆が英語を喋っているので、誰が何人なのか一瞬戸惑うが、ホフマンが演じるのは港湾都市のハンブルグで、テロ対策チームを率いるドイツ諜報機関のリーダー、ギュンター。
彼はイスラム過激派の疑いありとされる密入国者の青年、イッサに目をつける。
イッサがまだ完全な過激思想に染まっていないと考えたギュンターは、法的な保護と引き換えに彼をおとりに仕立て上げ、イスラム過激派の資金源と見なされる“ある大物”を摘発しようとする。
要するに海老で鯛を釣ろうという訳だが、彼の前に立ちはだかるのは、おとりを使うリスクを回避し、疑わしきは片っ端から捕えろと主張するCIA。

「世界を平和にする」目的は同じでも、そのアプローチは真逆。
作戦遂行の過程に関わる、関係者一人ひとりの人生まで、なるべく救いたいというギュンターの理想と、大きな目的のためには個人の犠牲は厭わない、CIAの冷徹かつ乱暴な理論。
しかもギュンターはCIAの横やりによって、大きな挫折を味わった過去がある。
まさに最大の障害は身内という訳だが、ギュンターは何とかCIA強硬派を懐柔しつつ、イッサを支援する人権派の弁護士や、彼の父親の資産を握る銀行マンなどに飴と鞭をちらつかせて味方に取り込み、徐々にイッサの心をつかむことに成功。
あとは従順な“エサ”となった海老に、鯛が食い付くのを待つ作戦の最終局面に駒を進める。

しかし、スリリングな物語の展開と共に、徐々に湧き上がる不安感と疑問。
一見すると、ギュンターは悪戦苦闘しながらも全てをコントロールし、順調に作戦を進めているように見えるが、何かがおかしい。
一体、タイトルにある「A most wanted man」とは、誰の事なのか?
冠詞が“The”ではなく“A”である事がミソである。
本当の“エサ”が明かされ、綿密に組み上げられたプロットのすべての要素が一点に収束するラストは、物語のカタルシスに思わずニヤリ。
スパイ映画とは言っても、基本的に誰も死なないし「007」や「ミッション・インポッシブル」の様な派手なアクションは皆無だが、これは戦慄の心理戦
何者かの意思によって絡め捕られ、人知れず人生が破滅してゆくこっちの方がずっと恐ろしい。
舞台となるハンブルグは、ル・カレがMI6のスパイだった冷戦時代に、実際に勤務していた街だ。
今回も周到な取材を元に執筆しているはずで、きっと現在の世界でもこの映画みたいな事が本当に起こっているのだろうなと思わされる十分な説得力がある。
まあギュンター的には「ファ~ック!!!」と叫びたくなる気持ちは分かるが、スパイ・ミステリとして実に鮮やか。
名優ホフマン最後の台詞は、正しく魂の絶叫であった。

今回はハンブルグに本拠を置く、「ホルステン プレミアム」をチョイス。
1516年にバイエルン公ヴィルヘルム四世が制定し、現在もその効力を持つ世界最古のビール法、ピルスナー純粋令に基づき大麦、ホップ、水、酵母のみから作られる伝統的製法を頑なに守ってきた老舗銘柄。
会社としてのホルステン・ブリュワリーは1879年創業だが、その醸造の歴史は実に800年に及ぶという。
辛口で淡麗シンプルな味わい、適度はコクとホップ感は、いわゆるドイツビールのスタンダード。
緊張感溢れる映画で乾いた喉を、すっきりと潤してくれる。
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「ミニスキュル~森の小さな仲間たち・・・・・評価額1650円」「メアリーと秘密の王国・・・・・評価額1600円」
2014年11月04日 (火) | 編集 |
森は、魔法と秘密に満ちている。

今回は、小さな小さな世界を舞台にした、素晴らしい洋画アニメーションを2本まとめて。
フランスの「ミニスキュル~森の小さな仲間たち~」は、南フランスの自然を背景に、昆虫たちの冒険を描く同名テレビシリーズのザ・ムービーだ。
元々テレビと映画を同時に制作する企画だったらしく、映画版は単体で完全に独立した話になっており、一見さんでも全く問題ない。
テレビ版は1話2~5分の短編だったが、こちらは89分と大幅にスケールアップ。
物語の前半では、羽を失い家族とはぐれてしまったテントウ虫の子供が、思いがけない縁で角砂糖を運ぶ黒アリのキャラバンの仲間になり、アリ塚までの長い旅をする。
そして後半は、砂糖を狙う強大な赤アリの大軍から、アリ塚を守るための大バトルが繰り広げられるという、まるで「ロード・オブ・ザ・リング」三部作をミニミニ化したような、スペクタクルなロードムービーになっている。

極小世界で壮大な“サガ”を描く本作は、色々な意味で極めてユニークな作品だ。
まず昆虫たちの鳴き声以外、台詞は存在しない。
キャラクターデザインも、特徴的な大きな目以外ほとんどカリカチュアされていないが、ユーモラスな動きと目の演技でちゃんと感情が伝わってきて、最後にはブーとかピーという鳴き声もなんとなく何を言っているのか想像出来る様になるのだから、たいしたもの。
自然に「やめて~」とか「今行くぞ~」とか脳内アフレコしながら観てしまう(笑
アニメーション表現において、瞳の存在がいかに大切かよくわかる作品だ。
小さな命にどっぷり感情移入すると、テントウ虫も黒アリも、おそらくジブリアニメへのオマージュであろう、足の生えたまっくろくろすけ風のクモも、実に愛らしく感じられるようになり、思わずグッズが欲しくなるだろう。

昆虫たちが比較的リアルな造形なのは、技術的な理由もある。
本作はCGアニメーションでありながら、引き画には美しい南フランスの森や草原の実景が、効果的に使われているのだ。
冒頭では、人間の若い夫婦が森にピクニックに来るシーンが実写で描かれる。
妊娠中の妻が突然産気付いて、夫婦は広げたシートを片づける間もなく慌てて立ち去ってしまう。
彼らが残した食べ物に昆虫たちが群がり、その中の角砂糖が入ったコンテナを巡って物語が展開するという訳だ。
CGの昆虫たちを現実の風景にコンポジットし、あえて被写界深度を浅くしたマクロっぽいカメラで捉える事によって、昆虫たちの世界を覗き込んだら、こんなドラマが展開していた!というリアリティを感じさせるのである。
よった画では背景もCGに置き換わるが、綿密に照明が計算され、ほとんど実景とCGがシームレスとなった映像は見事な仕上がりだ。

人間が森に残したアイテムを、昆虫たちがどう使うかも面白い。
執拗に角砂糖を狙う赤アリに追われながらも、黒アリのキャラバンとテントウ虫は何とかアリ塚にたどり着く。
しかし貪欲な赤アリは、大軍を仕立てて攻めてくるのだ。
ナチュラルな雰囲気の黒アリのアリ塚に対して、赤アリのアリ塚がなんだかローマ帝国風だったり、キャラクターデザインとは違ってアリ社会の世界観はかなり戯画的。
ひっつき虫の投石器(笑)なども投入して圧倒的に攻める赤アリに対して、黒アリたちは人間たちが森に捨てたり忘れたりした物の貯蔵庫をもっており、その中の“ある物”を戦いの切り札にしようとする。
だがそれを使うには、もう一つ別のアイテムが必要で、友達となった黒アリたちを助けるために、テントウ虫が単独でそれを取りに行く。
黒アリvs赤アリの攻城戦と、アリ塚が攻め落とされるまでに、必要アイテムをゲットして帰還しなくてはならないテントウ虫の冒険という2本のプロットが絡み合うクライマックスは、本家「ロード・オブ・ザ・リング」もかくやというスリリングな展開。
悠久の森の命の循環を感じさせるラストまで、極めて完成度の高い秀作である。

二本目は、ウィリアム・ジョイスの絵本「The Leaf Men and the Brave Good Bugs」を原案に、ジョイス自らも参加して脚色したアファンタジー、「メアリーと秘密の王国」だ。
監督は「アイス・エイジ」「ロボッツ」で知られるクリス・ウェッジで、プロダクションも同じブルー・スカイ・スタジオ。
本国公開から既に一年半が過ぎ、日本公開はもう諦めて海外版Blu-rayで鑑賞済みだったが、なかなかの出来栄えなので大スクリーンで観られるのはうれしい。
これも森の中のミニミニの世界を描くファンタジーという点は共通だが、「ミニスキュル」とはだいぶ装いが異なる。

主人公となるのは、ティーンエイジャーの少女、メアリー・キャサリン(M.K.)。
彼女は母の死によって、疎遠だった父親の元にやって来るのだが、父親は森に住む小人を発見することに人生を捧げた変人で、今どきの娘であるM.K.は、当然そんな戯言を信じておらず、全力で父親の生き方を否定する。
ところが、ひょんな事から彼女は妖精の女王から森の未来を決める“ツボミ”を託され、ミニサイズになって冒険を繰り広げる事になるのだ。
命を再生する聖なる力を持つ女王の森には、カラフルな妖精たちと守護戦士、リーフマンたちの王国と、腐敗を好み、すべてを枯らそうとするボーガンという勢力があり、女王が代替わりする今はボーガンたちが王国の支配を狙っている。
ツボミは明るい月光の下で開花させる必要があり、もしも暗闇で開花してしまえば、次期女王から聖なる力は失われてしまう。
M.K.は、森の運命をかけた光と闇のツボミ争奪戦に巻き込まれ、やがて自らの意思でリーフマンたちと冒険へと旅立つ。

本作の設定は、リック・ベッソン監督の「アーサーとミニモイ」シリーズに少し似ているが、ぶっちゃけこっちの方がはるかに面白い。
作品のベースの部分に、少女と父親との葛藤があり、冒険の帰結する先と葛藤の解消がしっかりと結びついているから、物語の展開に説得力があるのだ。
映画の中で何度も出てくるキーワードが“全てのことは関係している”ということである。
この世界に偶然は無く、全ては必然によって結びつき、物事は巡って行く。
父親が小人の研究者であることも、M.K.がそれに反発していることも、女王から森の運命を委ねられたことも、この世界の理による必然。
一歩間違えるといわゆる“御都合主義”に陥ってしまうところだが、本作はエピソードが有機的に絡み合い、バランスよく展開する。

CGアニメーションとしてのクオリティは高く、同じブルー・スカイ・スタジオの「リオ/初めての空へ」同様、森の中を飛び回るシークエンスの素晴らしい飛翔感は見ものだ。
相当に立体効果が高そうで、日本では3D版が用意されないのが何とももったいない。
本作も「ミニスキュル」も、国内ではイオンシネマ系の独占公開となる。
買い物ついでの親子連れの囲い込みを狙ったマーケッティングなのだろうが、最近日本ではマイナー扱いの洋画アニメーションが、郊外型のシネコンで独占公開されるケースが増えている。
もちろん劇場スルーよりはずっとマシなのだけど、どうしても客単価を抑えざるをえないので、3D版も字幕版も用意されないのは、大きなお友だちとしては残念だ。
まあ「ミニスキュル」に関しては元から台詞がないから、字幕は関係ないけど。
どちらの作品もクオリティと作品規模から言えば、もっと大々的に公開されて良いはずだが、これが日本における洋画アニメーションが置かれた現状
劇場で観られただけで、幸運というべきか・・・。

今回は森をイメージさせるカクテル、「グリーンピース」をチョイス。
“豆”ではなくて“緑の平和”の意。
サントリーMIDORIを30ml、ブルー・キュラソー20ml、パイナップル・ジュース15ml、レモンジュース1tsp、生クリーム15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
フルーティなフレーバーを生クリームがスムーズにまとめ、パインとレモンの酸味がアクセントに。
甘口の優しい味わい、ターコイズカラーの見た目も美しいカクテルだ。

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