酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「リトル・フォレスト 冬・春・・・・・評価額1700円」
2015年02月27日 (金) | 編集 |
巡りゆく命の四季。

雪に閉ざされた冬から、芽吹きの春へ。
東北のどこかにある、大自然に囲まれた小さな集落“小森”で、一人自給自足の生活を送るいち子の日常を描く、春夏秋冬四部作
原作は、実際に東北の田舎に移住した五十嵐大介の同名漫画。
3年間農業をして暮らしたという作者の体験が反映された、半ドキュメンタリー的な作品だ。
一つの季節をほぼ一時間で描き、二本ずつまとめて公開するというユニークな企画で、半年前に公開された夏・秋編に続いて、今回は後半の冬・春編となり、いち子の一年が完結する。

前作からしてそうだったのだけど、本作はドラマ性が希薄。
一応、いち子自身の生き方や、居場所を巡る葛藤は設定されているし、五年前に突然失踪した母親の話などもあるのだけど、じゃあ彼女が物語の中で積極的に考えたり、苦悩したりしているかというと、少なくとも描写としてはほとんど無い。
だから劇中で幼馴染の三浦貴大が「いち子ちゃん、本当は逃げてるんじゃないのかな」とか言いだしても、なんとなく唐突感がある。
綿密に描かれた感情のつながり、少女が成長する筋立ての面白さみたいな、普通劇映画に大切とされるものは、本作には必要最小限しか存在しないのだ。
でも、不思議とスクリーンから目が離せない。

映画が描写するのは、育て収穫し料理して食う
ぶっちゃけ、夏から春まで一年に渡って、ただそれだけを繰り返しているだけなのに、なぜこんなにもワクワク、ザワザワするのか。
他の映画とは、心の中の違う部分、普段映画を観ても触れられない部分を、絶妙に刺激されているような気がする。
それはたぶん、この四部作が一貫して描いていることが、生きる事に直結する“労働”だからだろう。
昨年の東京国際映画祭に出品されたグルジアの映画「コーンアイランド」は、冒頭20分にわたって台詞が無く、ただひたすら大地を開墾する老人の姿が描かれるのだが、このシークエンスの恐ろしく詳細な描写は、観る者の生物としての本能を刺激し、圧倒的な説得力があった。
本作に感じるザワザワした感覚も、おそらくは同質のものだと思う。
一見華奢ないち子の手からは、まるで魔法のように様々な食べ物が生み出される。
山里と同化し、生活に必要なあらゆるものを作ってしまういち子の生命力には、ロハスなんてヤワイ言葉とは似て非なる生物的な憧れがあり、だからいつもジャージ姿の橋本愛は、他のどの映画の彼女よりも官能的で美しい。

もっとも、ドラマ性が希薄とはいっても、ジャガイモパンに代表されるように、いち子の作っているものはより葛藤と結びつきを強め、母への想いと自分の立ち位置を巡る物語は、春編での意外な展開へとつながってゆく。
漫然とこのままの生活を続けていいのか、自分は本当にこの地に根を張って生きてゆきたいのだろうかという内面の問いと、自ら答えを求める青春の通過儀礼。
いち子の心に寄り添う瞬間が多くなる分、彼女の心を映し出す鏡として、三浦貴大や松岡茉優の役割も大きくなる。
まあ全ての葛藤が話の中で解消される訳ではないのだけど、本作の場合それは本質の一部でしかないので、このくらいで良いと思う。
人生は一見円に見えるけど、実は螺旋。
あらゆる命と同じく、いち子もまた小森でぐるぐると巡りながら、着実に今でないどこかへと歩んでゆくのである。
春夏秋冬を四部作で描くというフォーマットだけでなく、他に類似した作品が思い浮かばない、忘れ得ぬ独創の世界だ。

今回は、もう東北に近い北茨城の鴻巣市の地ビール、日本酒の菊盛で知られる木内酒造が作る「常陸野ネスト ホワイトエール」をチョイス。
伝統のベルギースタイルのライトな味わい。
ハーブの香りと小麦の酸味が胃を刺激し、飲めば飲むほどお腹が空いてくる。
夏に美味しいビールだけど、コタツやストーブでぬくぬくしながら、外の雪を眺めながらグイッとやっても絶品だ。
そういや今回もちょくちょく出てくるネコが可愛かったけど、あれはどうやらいち子が飼っているわけじゃなく、たまに遊びにくるご近所ネコなんだな。
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ショートレビュー「シェフ 三ツ星フードトラック始めました・・・・・評価額1550円」
2015年02月26日 (木) | 編集 |
これが男の生きる道。

突然仕事を辞めてしまった一流シェフの、ミドルエイジクライシスと再生の旅を描く、コミカルなヒューマンドラマ。
製作・監督・脚本・主演は「アイアンマン」シリーズの監督で、トニー・スタークの運転手、ハッピー・ホーガン役でも知られるジョン・ファブロー。
多分に、彼自身のキャリアが色濃く反映された、私小説的な物語でもある。
※核心部分に触れています。

ファブロー演じるカール・キャスパーは、ロサンゼルスのレストランの厨房を取り仕切る一流シェフ。
しかし、一見すると順風満帆の彼の人生は、大きな壁にぶち当たっている。
職場では、創作的な新メニューを出したいカールと定番メニューに拘るオーナーが対立、私生活では別れた妻と暮らす一人息子パーシーとの関係にも悩み、遂には有力フードブロガーに自分の料理をコケにされた事でブチ切れ、SNSオンチなくせにツイッターを使って大炎上してしまう。
仕事を辞める事を決めた彼は、小さくでも自分の城を持つべく、周囲や息子を巻き込んだささやかな冒険に踏み出すのである。

前半、ネットでの炎上から仕事を辞めること以外、特にドラマチックな大事件は何も起こらない。
基本的に“いい人”であり、エネルギッシュでクリエイティブ、仕事に対しても真摯な哲学を持つカールは、良き友人たちに恵まれている。
フロリダに飛んだカールは、第二の人生の舞台となるボロボロのフードトラックを譲り受けると、夏休みを利用して合流したパーシーと、嘗ての部下だったマーティンの三人でトラックをレストアすると、移動販売をしながら大陸を横断し、ロサンゼルスを目指す旅に出るのだ。
主人公のやりたいことは明確だから、一度心を決めたら一気呵成に物語は進んでゆき、ファブローはもはや余計な事件を作り出して、彼(つまりは自分自身)の旅路を妨げる事はしないのである。
あまりにも何も起こらないので、チョイ怪しげなジョン・レグイザモのマーティンが、いつトラックを盗むのか期待してしまったほど(笑
全てがとんとん拍子の調子の良さは好みが分かれそうだが、安心してストーリーに身を委ねられるという点で、これはこれでありだと思う。

思うに、マーベル映画の中でもドル箱である「アイアンマン」シリーズで、経済的に大きな成功を掴んだ一方、クリエイターとしてのファブローはある種の閉塞感に苛まれていたのではないだろうか。
立派なレストランの一流のシェフとして賞賛されながら、自由に作りたいものが作れない現状に嫌気がさし、フードトラックで再起を図る男の物語は、ファブロー自身が演じている事もあって、そのまま現実の彼に被る。
ウワサによると、「アイアンマン3」で彼にオファーされたギャラは1000万ドルという破格なものだったという。
結局、プロデューサーとハッピー役の俳優としては、プロジェクトに残ったものの、監督の椅子は蹴って降板し、腰を据えて作ったのはこの作品。
もう雇われは嫌だ、誰かのレシピを料理するのではなく、小さくても良いから、自分が主役で自分が描きたい作品を作る、という彼の決意が伝わって来る。
元々ファブローが俳優としてブレイクする切っ掛けとなった「スウィンガーズ」も、自分の体験をもとに脚本を書き下ろしたユーモラスな青春映画で、私小説的な世界観は作家としての彼の特徴なのかもしれない。
マーベルユニバースからの、トニー・スタークとナターシャ・ロマノフの友情出演もまた、ファブローの新たな門出を祝うかの様で、低予算映画に華を添える。
フードブロガーとのSNS場外戦も、たぶん映画ブロガーに酷評されたりした経験からなのだろうな。

もちろん題材が題材ゆえに、次々に登場する美味しそうな食べ物は大きな見どころ。
トラックのメインメニューとなるキューバン・サンドイッチを筆頭に、彼らが旅の途中で立ち寄ってゆく、実在の有名店の看板メニューの数々、カールが息子の朝食に作るアツアツのサンドイッチや、スカーレット・ヨハンソンにごちそうするパスタまで、とにかく美味そう。
緩く笑えて、お腹が空く、愛すべき小品だ。
因みに本作の試写は、上映後にキューバン・サンドの夕食と懇談会付きという珍しいものだったが、なるほど映画に登場したメニューを実際に食べてもらうというのはグルメ映画の宣伝として理に適っている。
個人的には、この手法を他社もマネしてもらいたいものである(笑

今回は、キューバン・サンドと合わせたいカクテル「キューバ・リブレ」をチョイス。
タンブラーにライム1/2を絞り、クラッシュドアイスを入れ、ラム45mlを注ぎ入れた後でコーラで満たし、ライムを一切れ飾って完成。
19世紀末のキューバ独立戦争当時、独立派支援のためにキューバに駐留していた米軍将校が、アメリカのコカ・コーラとキューバのラムをミックスする事を考案し、独立派の愛言葉だった「ビバ・キューバ・リブレ(キューバの自由万歳)」がそのままカクテル名として定着したという。
ライムの酸味と炭酸の刺激が爽快で、食欲を増進させる。
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アメリカン・スナイパー・・・・・評価額1800円
2015年02月25日 (水) | 編集 |
スコープの中の戦場。

アメリカのゼロ年代は戦争の時代だ。
2001年の同時多発テロの衝撃から火が付き、アフガニスタンからイラクへと燃え広がっていった戦争は、アラブの政変などの影響を受けつつウィルスの如く変異を重ね、いまだにその出口すら見えていない。
今回、クリント・イーストウッドが描くのは、アメリカ海軍特殊部隊、ネイビー・シールズのスナイパーとしてイラクに派遣され、160人以上を射殺し、“ラマディの悪魔”として恐れられたクリス・カイルの人生。
彼自身が著した「ネイビー・シールズ最強の狙撃手(原題:American Sniper)」を基に、ジェイソン・ホールが脚色した物語は、ジャンル映画の話型を借りつつ、過酷な戦場を経験した兵士の心の深層をじっくりと描く。
ゼロ年代に入って「硫黄島二部作」で第二次世界大戦を、「グラン・トリノ」で朝鮮戦争の帰還兵を描いたイーストウッドは、現在進行形の21世紀の戦争をどう料理するのだろうか。
※ラストに触れています。

信心深く厳格な父親のもと、テキサスで生まれ育ったクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、1998年にナイロビとダルエスサラームで起こったアメリカ大使館爆破事件に義憤を覚え、ネイビー・シールズに入隊。
厳しい訓練を乗り越え、少年時代から培った射撃のセンスを買われて、スナイパーとして配属される。
私生活でもタヤ(シエナ・ミラー)と結婚し、幸せな新婚生活を送っていたが、9.11とそれに続く戦争が勃発。
イラクへと派遣されたカイルは多くの敵兵を射殺し、いつしか味方には“伝説”敵からは“悪魔”と呼ばれ、その首には高額の懸賞金がかけられるようになる。
そんな時、アルカイダの大物ザルカウィの捜索に参加したカイルは、1000メートルを超える狙撃を成功させる、元オリンピック選手の敵のスナイパー、ムスタファと遭遇。
彼を倒すことが自分の使命と考える様になってゆく・・・


殺し屋の類を別にして、戦場のスナイパーを主人公とした映画は意外と少ない。
このジャンルの元祖は、モンタージュ理論の確立に大きな役割を果たした事でも知られる、ソ連のセミョン・ティモシェンコが1932年に発表した「狙撃兵」だろうか。
近年では、ジュード・ロウが第二次世界大戦のスターリングラード攻防戦における、ソ連軍の伝説的スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフを演じた「スターリングラード」が記憶に新しいくらいだ。
基本的に一点から動かず、じっと敵を待ち構えて、ターゲットが現れたら冷徹に撃ち殺すという“仕事”ゆえに、動きのあるドラマを作りにくいというのが、あまり本数が作られない理由だろう。
本作でもカイルは基本的には一点から敵を監視し、狙い撃ちするのが任務だが、視点が限定されている事を逆手にとった、リアルタイムで状況が刻々推移するスリリングな演出が見事。
また海兵隊と行動を共にして突入任務に従事したり、チームリーダーとして敵の追跡を指揮したり、狙撃以外の描写もミックスして単調に陥るのを防いでいる。

観る前は、イラク戦争という題材的に、キャスリン・ビグロー監督が米軍の爆発物処理のスペシャリストを描いた傑作、「ハート・ロッカー」と被るのではないかと思っていた。
実際、戦場と銃後の故郷を対比して描く手法、少しずつ戦場のリアルが平和な日常を塗りつぶしてゆくプロセスなど、共通点は多い。
しかしこの二作、モチーフに対するアプローチが大きく異なるのだ。
原作は未読なのだが、ジェイソン・ホールの脚本は、事実関係をかなり変更しているようだ。
通算四回のイラク派遣や、それぞれの作戦で起こった事などは基本的に原作に基づいているらしいが、例えば最初に射殺した人物は異なるし、映画では宿命のライバルとして描かれるシリア人スナイパー、ムスタファは実際にはカイルと対決していないのだという。
キャスリン・ビグローは終始主人公に寄り添い、彼らが入手出来る以外の情報を徹底的に遮断する事で、まるでドキュメンタリーの様な張り詰めた臨場感を作り出し、観客に戦場を疑似体験させる。
対してイーストウッドは、実在の人物の手記を基にした実話ベースの物語にもかかわらず、あくまでも“劇映画”である事に拘るのである。
例えばカイルに愛する家族があるのと同じように、ムスタファの妻子を描写する事によって、観客が過度に主人公と一体化する事を防ぎ、フィクションとしての距離を保つ。

本作の話型は、少なくともその入口部分はクラッシックな西部劇を踏襲したものである。
主人公のカイルは、イラク戦争を始めたジョージ・W・ブッシュ大統領と同郷のテキサス人。
終盤で保安官のコスプレ(?)をするシーンがあるが、彼のメンタルは無法の荒野で街を守るヒーローそのものだ。
カイルの世界には、人間は狼と羊と番犬の三種類しかいない。
狼は羊を襲う悪人であり、羊は自らを守れない弱きもので、番犬は狼から羊を守る正義の味方。
守るべき価値があるものも、神と国家と家族の三つで、それらを脅かす狼は誰であろうが排除する。
彼にとってイラクで殺す相手は、西部劇の悪漢たちと同じく野蛮な賊であって、“正義”に関して他意は全くないのだ。
あえてムスタファを、いかにもヴィラン的なキャラクターとして配置しているのも、古典的ジャンル映画の体裁に落とし込むためだろう。

しかし、イーストウッドは1992年の「許されざる者」以降西部劇を撮っていない。
もはや勧善懲悪的な二元論が説得力を持たなくなった20世紀の末に、老ガンマンが銃を置く瞬間を描き、フロンティアの神話としての西部劇に幕を下ろしたのは彼自身だったはずだ。
ならばなぜ現在の戦争映画に、西部劇の構造を埋め込んだのか。
本作は、高潔なる保安官の心と、現実の矛盾を描く。
21世紀の戦争は、150年前の虚構の大西部のシンプルな善悪では割り切れず、その代償はカイルに重くのしかかってくる。
自分が殺しているのは敵だ、殺されて当然の悪だと信じていても、女子供すら撃たねばならない現実は、銃弾の一発ごと、一人の命を奪うごとに、確実にカイルの心に傷を刻んでゆく。
彼が本来善意の人だからこそ、その傷は深く、決して癒される事はないのである。

戦場の呪いは、遠くアメリカ本土へと帰還しても、カイルを自由にはしてくれない。
味方からは「伝説」と呼ばれ、帰郷中も彼に救われた帰還兵から感謝の言葉を贈られる一方、敵にとっては「悪魔」であり、賞金首だ。
“アメリカ軍の誰か”ではなく、“クリス・カイル”という個人が狙われている訳だから、戦場を離れたから100%安全とは限らない。
いつ何時、誰が襲ってくるか分からない恐怖が、本人も意識しないうちにジワジワとカイルを追い詰める。
バックミラーに映るワンボックスカーが、テロリストの車に見えて仕方がない。
インパクトレンチの音、犬の吠える声、日常に溢れる様々な“音”が彼の中の戦場を蘇らせ、そのたびに心は荒み、いわゆるPTSDの症状に悩まされるようになる。

戦いの記憶に支配された平和は、もはやカイルに安息を与えてくれず、だからこそ彼は戦場を離れられないのである。
神、国家、家族のため、良きことをするというシンプルな善意は、殺戮の日常の中で「伝説」の「悪魔」に育ち、いつしか彼自身をも飲み込もうとしているのだ。
映画のカイルがムスタファに拘るのは、第一義的には本来の動機である仲間の仇であり、最強の敵を排除するためだが、カイルにとって彼は同じ殺しのスキルを持ったもう一人の自分であり、ムスタファを倒すことは「伝説」の「悪魔」という“戦場の怪物”となってしまった自分殺しに他ならない。
だから最後の作戦で、遂にムスタファを射殺したカイルは、殆ど何も見えない砂嵐の中に、彼自身を象徴する狙撃銃、ヘルメット、そしていつも胸ポケットに入れていた聖書を落としてゆくのだ。
神と国家は消え、スナイパーとしてのクリス・カイルは、象徴的にムスタファと共に死んだのである。

派遣四回、通算約1000日間の戦いの日々を過ごし、ようやく除隊したカイルは、しかし最後まで戦争の呪縛から完全には逃れられなかったのだろう。
彼はずっと家で待っている妻に、アメリカに戻った事を伝えないのである。
良き兵士である事は辞めた。
では今の自分は何者なのか?良き父、良き夫として家に帰る前に、考える時間を必要としたカイルの心の中ではいかなる感情がうごめいていたのか。
米軍の公式な記録として160人、非公式には250人以上を射殺した男は、その後の人生にどう折り合いをつけたのだろうか?という疑問に、残念ながら映画は答えを出すことが出来ない。
2013年2月2日、最強のスナイパーは、射撃場で心を病んだイラク帰還兵のエディー・レイ・ルースという男に撃たれ、あっけなく38年の生涯を閉じるのである。
イーストウッドは、本編のラストを実際の彼の葬儀の記録映像とし、その後のエンドクレジットを無音とした。
この静寂の数分間、観客の胸に去来する感情は、おそらくアメリカと日本では大きく異なるだろう。
アメリカにおいてはカイルも、彼を射殺したルースも、アフガニスタン、イラク戦争を経験し、除隊後も心と体の傷に苦しむ数十万人の帰還兵の一人なのである。
なんと彼らのうち一日に20人が自殺を選び、自ら命を絶っているという。
ほぼ常時何らかの戦争を遂行しているアメリカは、誰もが身近に帰還兵を感じる社会だ。
だからこそ、リアルではあるが劇映画的に推移してきた物語が、ラストでいきなり現実となるインパクトは大きい。

日本でも、米国でも、本作に政治的なレッテルを貼ろうとする人はいるようで、主人公の愛国心に感動し、対テロ戦争の意義を高めたと賞賛する人もいれば、アラブ人の描き方が人間的でなく、国威発揚映画だと批判する人もいるという。
なるほど、確かに本作はどちらにも取れる危うさを内包しているのは事実だし、作品にレッテルを貼りたかったら貼れば良いし、自らの理念で攻撃したかったらすればいい。
84歳のイーストウッドには、その程度のわがままな観方を受け止めるくらいの度量はあるだろう。
だが、右や左の視点でしか本作を観ていない人は、この偉大な作品の本質を見落としていると思う。
最後のカイルの葬儀は、イーストウッドが作り出した創作ではなく現実だ。
無音の数分間に作者が込めた想いがなんなのか、せめてこの時だけでも理念から自由になって、戦場に生きた人たちの心に寄り添い、考えてみるべきではないだろか。

今回は、カイルの故郷テキサスの名を冠したバーボン、「ザ・イエロー・ローズ・オブ・テキサス」の12年をチョイス。
もっとも、作っているのはケンタッキー州の老舗、ケンタッキー・リザーヴ・ディスティリングなのだけど。
バーボンの中では比較的ライトな味わいが特徴だが、12年ものくらいになると適度なコクも出てくる。
とはいえ飲みやすさに変わりはなく、強い人なら結構簡単に一本空けてしまうだろう。
「テキサスの黄色いバラ」とは、は南北戦争の頃に兵士たちの間で流行したバラードで、テキサス美人の事。
当時の兵士たちも、辛い記憶を音楽と酒で癒していたのかも知れない。
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ラブストーリーズ エリナーの愛情/コナーの涙・・・・・評価額1600円
2015年02月20日 (金) | 編集 |
彼女と彼、すれ違う二つの世界。

ニューヨークを舞台に、崩壊しつつある一つの愛の顛末を、女と男双方の視点で「エリナーの愛情」「コナーの涙」という別々の映画に仕立て上げた異色作。
要するに、イーストウッドの硫黄島二部作のコンセプトをラブストーリーでやった訳で、国家間の最大の葛藤は戦争だけど、男女間の場合それは愛という事か。
心に大きな虚空を抱えた二人は、すれ違いと邂逅を繰り返してゆくが、彼らが見ていたのは果たして同じ世界だったのだろうか。
プロデューサーも兼務するジェシカ・チャステインがエリナーを、ジェームズ・マカボイが夫のコナーを演じ、ウィリアム・ハートやイザベル・ユペール、ヴィオラ・ディビスらベテランが脇を固める。
監督・脚本は、これが長編デビュー作となるネッド・ベンソン。

ニューヨークに住むエリナー(ジェシカ・チャステイン)とコナー(ジェームズ・マガボイ)は、子どもを失った事で大きな喪失感に苛まれ、エリナーの自殺未遂を切っ掛けに二人の結婚生活は破綻してしまう。
実家に戻ったエリナーは、父の務める大学で美術史の聴講生となり、辛い思い出の詰まったアメリカを離れ、ヨーロッパ留学を夢見る様になる。
一方のコナーは、経営するレストランの赤字が続き、外食業界の重鎮である父親の援助を受け入れるか否かの決断を迫られている。
別居以来、エリナーはコナーの事を避けてきたが、ある夜大学の講義を受けていたエリナーの前に、突然コナーが姿を現す。
驚いたエリナーは、コナーに酷い言葉を浴びせてしまうのだが・・・・


一つの愛を二つの視点で描くと言っても、単純に同じ事を分割して描いている訳ではない。
本作がユニークなのは、これが主観性とは何かに関する作品だという事だ。
人は、同じ出来事に対して、どれくらい違った体験をしているのだろうか。
芥川龍之介は、映画「羅生門」の原作ともなった短編小説「藪の中」において、一件の殺人事件を巡って、七人の登場人物にそれぞれに矛盾する証言をさせる事で、人間がいかに主観的存在であるかを描き出して見せた。
「藪の中」の場合、登場人物が明らかに嘘をついている事で、証言が食い違ってゆくのだが、本作のネッド・ベンソンは男女の視点を分ける事によって、そもそも人間は何かが起こった時点で異なる体験をしているのだと説く。

同じ出来事を描いていても、視点が異なれば、それが物語上同じ意味を持つとは限らないのである。
二本の作品が大きくオーバーラップするシーンが3つあるが、ここの描き方には要注目だ。
台詞そのものが変わっていたり、それを口にする人間が違っていたり、エリナーがコナーに背を向けていたり、抱き合っていたりとだいぶ異なる。
これは同じ出来事を男女がどのくらい違って見ているのか、その差異を味わう映画であって、基本的に両方が組み合わさって一本
日本では公開されない様だが、実際に海外では一本にまとめてしまったバージョンもあり、できれば二本続けて鑑賞したいところだ。
では、どちらを先に見る方が良いのか?という事だが、私が実際に観たのは「エリナーの愛情」から「コナーの涙」の順。
しかし個人的な意見としては、その逆が良いと思う。
なぜならば、「コナーの涙」の方がシンプルで入りやすく、しかし明らかに切り欠き部分が多く、単体の映画としては微妙に成立していないからだ。

原題の「The Disappearance of Eleanor Rigby:Him/ Her(エリナ―・リグビーの失踪:彼にとって/彼女にとって)」が示唆する様に、二部作全体としての主人公は妻の方。
子どもの死という起点から、より大きな葛藤を抱え込んだのはエレナ―であって、コナーの主な葛藤はむしろ彼女の状態に誘発されたものであり、映画の関係としても「エリナーの愛情」がメインで「コナーの涙」によって保管される構造となっている。
そしてこれはたぶん作者が男性という事もあるのだろうけど、コナーの人間性はとても分かりやすい。
レストラン業界のレジェンドを父に持つボンボンながら、あえて親の援助は受けず、つっぱって同じ業界で勝負をかけるも、どうしてもうまくいかない。
おまけに子どもを亡くして、唐突に妻にも去られるという、泣きっ面に蜂状態だ。
仕事に行き詰まり、理解不能の妻の行動に翻弄されている彼が、何に葛藤し、何を求めているのかはドラマを通じて明確に伝わって来る。
彼の救済に必要なものが何なのかはイメージしやすく、コナーは感情移入キャラクターなのだ。
だが、物語上「コナーの涙」で解消されるのは、レストラン経営という物質的な問題までで、彼が抱えている葛藤の根本、即ち愛の部分は解消されず、ドラマ的には未完成のままである。

対するエリナーは、米仏のハーフで父親は大学教授という絵に描いたようなインテリ層で、彼女自身の人物像もかなり複雑に造形されている。
「エリナーの愛情」は、冒頭いきなり彼女の自殺未遂というショッキングなエピソードから始まり、徐々に彼女の過去に何が起こったのか、どんな問題を抱えているのかが少しずつ明かされてゆく。
ただコナーと違い、エリナーの内面は終始ミステリアスなベールに隠されていて、彼女が何を考えていて、何を欲しているのかはなかなか見えてこない
いや勿論、子どもを失った事が大いなる喪失なのは間違いないのだけど、そこから自殺未遂するまでの半年間、彼女の中でどんな感情が育ち、大きな葛藤となっていったのかというプロセスは、少なくともコナーほど単純ではないのである。
また人間関係という点でも、唯一の家族である父とも壁があり、友人も仕事関係の人しかいないコナーに対して、エリナーは両親や妹、甥っ子ら暖かな愛に囲まれている。
現実が充実しているからこそ、逆に喪失が彼女を苦しめるのだが、感情をあらわにしない彼女に感情移入するのはなかなか難しい。

だから個人的には、「コナーの涙」で作品世界にスッと入って、二人の抱えている複雑かつ異なる葛藤を理解しておいてから、「エリナーの愛情」で彼女の本質をじっくり考察した方が物語の言わんとするところが読み解きやすいのではないかという気がしている。
もちろん、人によってエリナーのほうがキャラクターとして分りやすいという人もいるだろうし、ミステリアスな「エリナーの愛情」から入って「コナーの涙」でその答えを考えるという観方もある。
確かなのは、「ラブストーリーズ」二部作は、愛をモチーフにした人生の物語の映画であり、たとえ多くの時間を共有している夫婦と言えど、それぞれの物語は異なっているという事だ。
大きな試練の時ほど見ている世界の差異は大きくなり、お互いを理解し共感するためには、真摯な努力が必要になってくるのだろう。
この事自体は当たり前の事なのだけど、改めて特異な構造を持つ映画として見せられると、自分自身と人との関係に置き換えても考えさせられる。
まあ、一本の映画に観客の数だけ解釈と感想が存在するのも、人がそれぞれ異なる物語を生きているからで、リア充の人はこの映画を観て語ることで、パートーナーとの絆が深まったりするのかもしれない。

今回は、劇中に出てきたノンアルコール・カクテル「シャーリー・テンプル」のアルコールあり版、「ダーティ・シャーリー」をチョイス。
ウォッカ30ml、スプライト又は7up150ml、グレナデン・シロップ1dashを大き目のグラスに注ぎ入れ、軽くステアする。
好みでライムジュースを適量加え、最後にマラスキーノチェリーを2粒加えて完成。
見た目も味も甘いソフトドリンクっぽいカクテルだが、スッキリしていてアルコールが苦手な人でも飲みやすいだろう。
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ミルカ・・・・・評価額1650円
2015年02月17日 (火) | 編集 |
天駆けるシクの伝説。

1950年代から60年代にかけて、世界最速を誇ったインドの中短距離競技の陸上選手、ミルカ・シンの半生を描くスポーツ伝記映画。
物語は、1960年に開催されたローマオリンピックで、トップを独走していたミルカが、ゴール直前で振り返るという失態を犯し、大敗を喫するというエピソードから始まる。
彼はなぜその様な事をしたのか?
やがて映画は、徐々にミルカの辿ってきた波乱の人生を遡ってゆく。
陸軍で陸上競技に出会った頃、貧民街でチンピラとして過ごした頃。
そして浮かび上がってくるのは、1947年のインド・パキスタン分離独立にはじまる分断国家の悲劇と、人々の心に刻み込まれた決して消えない恐怖と憎しみの歴史だ。
タイトルロールを演じるファルハーン・アクタルの、どこからどう見ても本物のアスリートにしか見えない肉体の存在感が圧巻。
※核心部分に触れています。

1960年インド北部。
チャンディガル行の汽車に乗り合わせた三人の男は、ネルー首相から派遣されたスポーツ担当大臣と二人の陸上競技コーチ。
彼らは、インドの国民的アスリートであるミルカ・シン(ファルハーン・アクタル)を説得しに向かうところだ。
ミルカは金メダルを期待されていたローマオリンピックで大敗した後、チャンディガルの自宅に引きこもり、インドとパキスタンの友好親善大会に団長として出場するようにというインド政府からの要請も固辞していた。
なぜ彼は頑なにパキスタン行を拒むのか。オリンピックでなぜ振り向いてしまったのか。
列車の旅の間、コーチとしてミルカを見出し、長年苦楽を共にしてきたグルデーウ(パワン・マルホトラ)は、彼の秘められた過去を語り始めた・・・・


“うすのろフォレスト”の疾走する人生を通して、アメリカ現代史を描いた「フォレスト・ガンプ/一期一会」、7人の大統領に仕えたホワイトハウスの執事の目で、80年間に渡るアフロ・アメリカン史を俯瞰した「大統領の執事の涙」、ある男の自殺の瞬間から、徐々に時間を遡りながら現代韓国のトラウマを浮かび上がらせた「ペパーミント・キャンディー」など、個人史を通して国や社会の歴史を描き出す映画は数多い。
伝説のアスリートの半生を描く本作からも、21世紀の今に至るまで影響を残す、インド独立を巡る激烈な歴史の葛藤が見えてくる。
世界最速の男は、オリンピックの決勝で、背後にいったい何を見たのだろうか?

ミルカ・シンはシク教徒である。
16世紀にグル・ナーナクが創始したシク教は、ヒンズー、イスラム双方の影響を受けつつ、それらのいいとこどりをしたような宗教だ。
カースト制度は否定し、神は唯一の存在なれど、輪廻転生や解脱は信じる。
人口は2300万人程度と、12億を擁するインド全体からすれば僅かに2%弱だが、男性信徒の髭面やターバン姿が特徴的なせいか、しばしばインド人のステロタイプ的なイメージとして描写されることも。

このシク教徒の社会を、1947年に悲劇が襲う。
第二次世界大戦の結果、疲弊したイギリスは、英領インド帝国の維持を断念するのだが、領域内のイスラム教徒とヒンズー教徒の対立から、インドとパキスタンに分離独立する事になる。
ところが英領インドの最後の総督であるマウントバッテン卿が、印パを分離させる声明を出してから実際に二つの国に別たれるまで僅かに2ヶ月しかなく、当然の如く国境付近は大混乱に陥ってしまう。
そしてシク教徒が最も多い場所こそが、国境となったパンジャブ州を中心としたエリアで、双方の支配地域から逃れ、難民化した人々の衝突によって、各宗派で実に100万もの人々が犠牲になり、両国の間に現代にまで尾を引く相互不信と憎しみの連鎖が残った。
シク教の祖、グル・ナーナクの出生地であるラホールも、今はパキスタン領だ。

ミルカもまた、この時に故郷を追われた難民の一人なのである。
映画の中でも彼の年齢は曖昧にされているのだが、実際正確な生年月日の記録は混乱で失われ、不明のままのようだ。
映画は、陸軍に入隊したミルカにアスリートとしての類稀な資質を見出したグルデーウと、国家代表となった後に世界最速の男に育て上げたランヴィールという二人のコーチを語り部に、ミルカの半生をじっくりと描いてゆく。
陸上競技に出会った新兵の頃から、更に時を遡って分離独立後の難民キャンプで不安に震える子供時代。
姉夫婦に保護されるものの、義兄との不仲から家に寄りつかず、孤児仲間と盗みを働いては小銭を稼ぐチンピラ暮らしへ。
そして思春期の恋を切っ掛けに、暮らしを改めるために軍隊への入隊にループすると、瞬く間に才能を開花させ、インドはおろか世界のトップアスリートへと駆け上がる。
常にライバルとなるのは今は別の国となったパキスタンの選手だが、ミルカはインドのプライドを守り続ける。
だが、そんな男がなぜオリンピックで痛恨のミスを犯したのか。

明かされるのは、ミルカを苦しめ続ける歴史の棘
印パ独立の混乱の中で、パキスタン領となる村を捨てる事を拒否し、戦うことを選んだ父母の記憶だ。
原題の「Bhaag Milkha Bhaag(走れ、ミルカ、走れ)」は、ミルカが最後に聞いた父の言葉。
その声を聞いて振り返った彼は、黒馬に乗った男に斬首される父の最後の姿を見てしまう。
ミルカがずっと走り続けてきたのは、ある意味この時の悪夢の記憶から逃れるため。
オリンピックの会場で、奇しくも同じ言葉を聞いた彼は、とっさに背後から追いすがる黒馬の男の幻影を振り返ってしまったのだ。
どんなに時間がたっても、植えつけられた恐怖は消えず、心の傷はうずき続ける。
だが政府の説得を受け入れ、13年ぶりに足を踏み入れたパキスタンで、思いがけぬ出会いがミルカを待っている。
歴史から消えてしまったと思っていた故郷は、予想もしない形でミルカの前に再び姿を現し、彼はようやく自らを支配してきたトラウマを払拭する事が出来るのだ。
ずっと過去から逃れるために走ってきたミルカが、今度は未来へ向かうために走る事を決めるエピソードは感動的である。
先日公開された、戦前の甲子園に出場した台湾代表チームの活躍を描く「KANO 1931海の向こうの甲子園」もそうだが、やはり歴史観を持った人間ドラマは面白い。
そこにスポーツ映画としての、勝ち負けのハラハラ、ドキドキが加わるのだからなおさらだ。

しかしミルカは女性関係は結構ダメダメで、待ちぼうけをくわせっぱなしのインド人の彼女とか、八つ当たりされたまんまほったらかしのオージーの彼女はカワイソス (´・ω・)
まあ本作の場合、日本公開されたのは186分ある全長版よりも33分も短い短縮版なので、もしかしたらそっちではちゃんとフォローがあるのかもしれない。
短縮版でも十分面白いが、どうせなら全長版での公開を望みたかったよ。
どんな映画でも何かミュージカル要素は入れたい事が伝わってくる、軍人のオッサンたちが浮かれたダンスに興じるシーンも、本当はもっと長いんだろうな。

今回はインドのビール「キングフィッシャー ラガー」をチョイス。
キングフィッシャーとはカワセミの事だそうで、ラベルに美しい鳥が描かれている。
南国のビールらしく、テイストはのど越しスッキリながら、適度なコクがありポップの風味も感じられる。
炭酸が強いのが特徴的で、スポーツで体が火照った後などに飲んだらさぞ気持ちよさそうだ。
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ショートレビュー「はじまりのうた・・・・・評価額1700円」
2015年02月12日 (木) | 編集 |
迷い星たちの、やさしい歌。

「ONCE ダブリンの街角で」の感動再び。
今回、ニューヨークの街角で出会うのは、恋に破れたイギリス人ソングライターと、人生崩壊中のアメリカ人音楽プロデューサー。
原題は「Begin Again(もう一度はじめる)」
負け組の二人が出会った時、不思議なケミストリーがマンハッタンの情景に素敵な音楽を奏ではじめるのである。
マーク・ラファロのエキセントリックなダメオヤジっぷり、歌うイメージの無かったキーラ・ナイトレイが、しっかりとした歌声を披露し共にキャラ立ち最高。
米国で僅か5館の封切りから口コミで評判が広まり、一気に1300館にまで拡大されたというのも納得の、素晴らしい音楽ドラマだ。

プロット構造が、ちょっと面白い。
映画はナイトレイ演じるソングライターのグレタが、友人のスティーブが出演する小さなバーのライブに呼ばれ、戸惑いながらも自分の歌を聞かせるところから始まる。
それをたまたま見ていたのが、音楽プロデューサーのダン。
このライブを全体の起点として、まずはそこに至るまでのグレタの物語、次いでダンの物語が順番に描かれるのだ。

グレタは、恋人でやはりミュージシャンのディヴがアメリカでブレイクしたので、共にニューヨークにやって来る。
しかし彼女を残してツアーに出たディヴが、スタッフの女と浮気に走るというお約束の展開となり、怒り心頭のグレタは旧友スティーブのアパートに転がり込み、成り行きでライブ出演したという訳。
一方のダンは、嘗て一世を風靡した音楽プロデューサーだが、拘りが強すぎてここ数年間は鳴かず飛ばず、自分で立ち上げたレーベルからクビを宣告されたばかり。
家庭もある出来事によって崩壊中で、妻のミリアムとは別居、思春期の娘のバイオレットにはウザがられる始末。
まさに人生のどん底、自暴自棄になってライブハウスのバーで飲んだくれていたら、探し求めていたダイヤの原石を見つけてしまうのである。

ギター一本で歌うグレタを眺めている内に、ダンの脳内で妄想バンドが演奏を始める描写は、いかにも映像的で楽しかった。
心の底から世に出したいと思う、ホンモノの音楽は見つかった。
ここで映画は最初のライブ後の二人の出会いに戻り、一気呵成に動き出す。
アルバム制作をグレタに持ち掛けたものの、デモ版を作る金もないダンは、いっそニューヨークの色々なところでゲリラライブをやり、街の様々な音をそのまま取り込んでレコーディングしようと提案。
仲間を集めてバンドを結成し、バックストリートや公園、工場の屋上などマンハッタンの様々な場所を転々としながら、まだ誰も聞いたことのない音楽を作り上げてゆく。
このプロセスは、ジョン・カーニー監督の面目躍如。
ニューヨークの名所を巡りながらも、あえて観光地的には撮らない。
だが劇中の言葉通り、誰も注目しない様なごく普通の場所が、音楽の奇跡によって特別なシーンに姿を変えてゆくのである。

アルバムの制作と並行して語られるのは、グレタとデイヴとダン、ダンとグレタとバイオレット、そしてダンとバイオレットとミリアムの家族、いくつもの葛藤のトライアングル
こっちが切れたら、そっちが繋がった式の、安直なラブストーリーにしなかったのも良かった。
いくつも音符が組み合わさって新しい音楽が生まれてゆく様に、人々の葛藤の連鎖が物語を作り上げ、迷い星たちは再び光はじめる。

ぶっちゃけ出来過ぎな位都合の良い物語だが、人生に疲れた時、爽やかに笑わせてくれて、ドンと背中を押してくれる、老若男女全てにオススメできる、王道の娯楽映画だ。
日本でも、昨年末の「あと1センチの恋」に続くミニシアター系クリーンヒットの予感。
とりあえず、観終わってすぐにサントラを注文する人が続出するだろう。

今回は舞台となる「ニューヨーク」の名を冠したカクテルを。
ライまたはバーボンウィスキー45ml、ライムジュース15ml、グレナデン・シロップ1/2tsp、砂糖1tspをシェイクしてグラスに注ぎ、オレンジピールを絞りかけて完成。
スッキリとした味わいで、グレナデン・シロップの生み出す鮮やかなオレンジは、大西洋から上るニューヨークの朝日を思わせる。
キーラ・ナイトレイが深夜のバーで飲んでいたら、すごく似合いそうだ。

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ショートレビュー「ミュータント・タートルズ・・・・・評価額1500円」
2015年02月12日 (木) | 編集 |
カワバンガ!また来たよ!

映画の中のニューヨークの下水道は、不思議生物のワンダーランドだ。
巨大ワニから、人間大の人食いゴキブリ、果てはミュータント化したホームレスまでなんでもあり。
そんな巨大都市の地下生活者たちの中でも、最も有名なのが四人組のティーンエイジャーでミュータントでニンジャという、ややこしい設定のタートルズだろう。
突然変異したカメというSF要素とオリエンタルなサムライ・ニンジャを合体させ、当時のポップカルチャーのスパイスを振りかけた原作コミックは、80年代後半にアニメ化されると、アメリカの子供たちを熱狂の渦に巻き込んだ。
登場から30年たった今では、もはやアメリカを代表するキャラの一つとして定着しているが、当時の人気の凄まじさは、今の日本の「妖怪ウォッチ」以上だったのだ。

そして、2007年のCGアニメ版を経て、20年ぶりの実写リブートとなる本作はドカーン、バカーン、ボカーンの安心のマイケル・ベイクオリティ。
いや、実際は予想以上の仕上がりである。
1990年のスティーブ・バロン監督版から続いた旧三部作は、思い切り子供向けで、正直あんまり面白くなかった。
タートルズの造形などはコミックのイメージそのままで、当時としてはなかなか良くできていたけど、お話の適当さは相当なもので、しかも2作目、3作目とブーストがかかって雑さが加速。
ますます、大人の鑑賞には耐えられなくなっていったのである。

ぶっちゃけ、今回のプロットもお世辞にもち密で丁寧とは言えないのだが、とりあえず最低限の整合性はとれているし、何よりもテンポよくスピーディーだ。
基本最初から最後までアクションのつるべ打ちだが、タートルズと人間のパートナーであるエイプリルをはじめ、主要キャラクターの描写はしっかりと押さえられ、単純ながら背景となるドラマもそれなりにきちんと構成されている。
ニッケルオデオン作品なので、基本キッズムービーなのは変わらないが、画作りの方は全く手抜き無し。
マッチョなカメのニンジャと仙人みたいなネズミ先生が、パワードスーツのサムライと戦うと言う、「トランスフォーマー」シリーズ以上に荒唐無稽かつ精神年齢は低めな設定ではあるけど、逆にこの世界観さえ受け入れられるなら、派手なアトラクション映画として大いに楽しめると思う。
監督は「世界侵略:ロサンゼルス決戦」のジョナサン・リーベスマンだが、やたら長くなる傾向が固定化しているベイ自身の監督作より、サクッと気楽に観られると言う点ではむしろ好印象だ。

しかしこれ、劇場の選択肢があるなら4DXをチョイスすべきかもしれない。
私は普通の3D版で観たのだけど、完全に動きのないシーンが殆ど無いし、特に終盤の雪原でのチェイスから、クライマックスの高層ビルでの立体的な大バトルなどは、大いに盛り上がるのではないか。
そもそも向きでない作品を観てしまうと、効果は低いわ集中できないわで悲劇でしかない4DXだけど、これはおそらく希少なピッタリ作品だと思う。
亀忍者に3000円オーバーというのは、なかなか勇気が要るけど・・・。

今回はライトなアトラクション映画という事で、ニューヨークの地ビール「ブルックリンラガー」をチョイス。
アメリカンビールとは言っても、禁酒法以前のニューヨークに多く存在した、ドイツ系醸造所の味を復活させるため、伝統のウィンナースタイルで作られるこのビールは、バドやミラーといった一般的なマスプロビールに比べれば、ずっと欧州風。
適度な苦みと深いコク、ホップ感は食欲を刺激して、タートルズじゃなくてもピザが欲しくなってしまう。

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ショートレビュー「ドラフト・デイ・・・・・評価額1650円」
2015年02月05日 (木) | 編集 |
静かなるプレシーズンマッチ。

タイトルのまんま、アメリカンフットボールのNFLドラフト会議を舞台としたスリリングな交渉劇。
ケビン・コスナー演じるクリーブランド・ブラウンズのGM(ゼネラルマネジャー)サニーは、チームの成績不振によって、崖っぷちに追い込まれている。
ドラフト会議の朝、そんな彼の元に全米NO.1選手の指名権を巡る大型トレード話が持ち込まれ、その決断は自らのチームだけでなく、NFLのライバルチームや、プロ入りを狙う大学の有望選手たちの思惑を巻き込んで、複雑な葛藤と駆け引きを生み出してゆくのだ。
はたして、トレードは起死回生の秘策となるのか、それともサニーを破滅に追い込むのか。
巨額の金が動くドラフト会議の舞台裏で、海千山千のプレイヤーたちが入り乱れる、先の読めない頭脳戦に目が離せない。
最近は息子の方が目立っていた、アイヴァン・ライトマンの演出も若々しく、見事な健在っぷりが嬉しい。
※核心部分に触れています。

スポーツ超大国アメリカにあって、チーム制プロスポーツの頂点に君臨するのが、全米に32チームを擁するNFLである。
嘗ては野球のMLBと人気が拮抗していたが、90年代のストライキなどでMLBのファン離れが進んだ結果、今日では名実ともにトップとなった。
今年も先日開催されたチャンピオン決定戦、スーパーボウルは、試合そのものはもちろん、ハーフタイムショーのパフォーマンスや、スポンサー各社がこの1日だけオンエアするスペシャルバージョンのCMなど、隅々まで見どころ満載の一大エンターテイメントだ。
そして、翌シーズンのチーム戦力を左右する、スタジアム外の重要な一戦が、毎年4月に行われるNFLドラフト会議なのである。

プロスポーツの裏側を描いた作品は、最近だとMLBのGMを主人公とした「マネーボール」が印象深い。
あの映画はシーズンを通したシブいヒューマンドラマだったが、本作はわずか1日で決着がつくドラフト会議1巡目をモチーフとした交渉劇で、圧倒的にエンタメ色が強い。
ドラフトのシステムにはリーグごとにそれぞれ独自のルールがあるが、本作の場合は映画が始まる前に簡単な解説ムービーが流れるので、全く知らなくても大丈夫。
覚えておくべき基本的なポイントは3つだ。
1. ドラフトは完全ウェーバー方式で、前年度の成績が悪かったチームから順に指名できる。
2. 指名権の順位は、他のチームと何度でもトレードする事が出来る。
3. 指名には10分間の持ち時間があって、その間に決断しないと、次のチームに指名権が移ってしまう。

ブラウンズの本来の指名順は7位だが、サニーは1位のチームから今年の指名権のトレードを持ち掛けられ、その代償は来年以降3年分の一巡目の権利という訳。
全体1位なら、全米が注目する大学NO.1のクォーターバックを獲得可能。
だが観客動員につながる話題が欲しいオーナーを喜ばせることは出来るが、現場を預かる監督のチーム構想にはフィットしない。
しかも、その選手はどうも人間性に問題がある事が発覚。
一度成立したトレードを今更なかった事には出来ないが、全体1位に誰を指名するかはまだサニーの裁量の範囲内である。
オーナー受けする選手をとって、とりあえずの保身を図るか、それとも現場の要望を聞き入れて、勝てるチームを作り上げるか、板挟みになった彼はどんな決断を下すのか。
まあ、ハリウッド映画ゆえに、ここまではお約束。
この映画が面白いのは、一つの決断が切っ掛けとなって、ドラフト会議全体が予測不能の混乱に突入し、更なるコンゲームが展開してゆくこと。
勝者が次の瞬間には敗者となるこの勝負、戦略と時の運も絡み合い、二転三転最後まで本当の勝者が分からない。
またサニーには、元ブラウンズの監督で、自らクビにした父に関する苦悩があり、父の突然の死と恋人の妊娠という予期せぬ事態が、フットボールを愛し、家業として受け継いでゆくファミリーの再生のドラマとして、物語を重層化させ適度な深みを感じさせる。
これは人生で本当に大切なことは何か?に迷った中年オヤジが、公私ともに最良の答えを出すために、大いに葛藤する一日の物語である。
最終的に、物語に関わる人間がオールウィナーとなるのは、ちょっと都合がよすぎる気もするが、観終わってとても気持ちの良い作品であることは間違いない。

いかにもアメリカンな題材のパワフルなドラマの後は、アメリカンビールの代表格「ミラードラフト」をチョイス。
典型的なのど越し重視のライトな味わいだが、スポーツバーでNFLを観ながら飲むのにはこの位の軽さがちょうど良い。
ピザでも傍らにあれば、ますますジョッキが進む。
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