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2015年04月06日 (月) | 編集 |
魂を、叩きつける!
恐ろしいまでの緊迫感が持続する、超クールな音楽映画。
全米No.1の音楽大学を舞台に展開するのは、たった一人の天才を育てたい教師と、偉大な音楽家になりたいと願う生徒の、“指導”なんて緩い言葉は全く相応しくない、壮絶な“音バトル”だ。
お互いの全存在をかけた闘いは、観客の目を釘付けにし、心を鷲掴みにしてはなさない。
監督・脚本のデミアン・チャゼルは、元々ミュージシャン志望で、高校時代にジャズ・ドラムに打ち込んでいたという。
だからだろう、音楽シーンのリアリティは圧倒的。
全編100%キレキレ、ただの1カットも無駄が無く、スタイリッシュに編集されたビジュアルの一つ一つのイメージが視覚の音符となり、本編全体が完璧に構成された106分の「セッション」のようだ。
ジャズ・ドラマーを目指すニーマン(マイルズ・テラー)は、入学した音楽大学でスクールバンドを率いるフレッチャー教授(J・K・シモンズ)にスカウトされる。
学校を代表するバンドのメンバーになれれば、コンテストに参加してプロのスカウトの目に留まる可能性もあり、音楽家としての将来は大きく広がる。
喜び勇んで練習に参加したニーマンだったが、そこで目にしたのは一切の妥協を許さず完璧な演奏を追求する、狂気すら感じさせる地獄のレッスンだった。
常人には理解できない細かなミスに罵声を浴びせられ、時には暴力すら辞さないフレッチャーの要求に応えられなければ、無慈悲に切り捨てられライバルと交代させられる。
生活から音楽以外の要素を一切排除した練習漬けの毎日が続くなか、ニーマンは次第にバンド内でフレッチャーの信頼を得るようになってゆく。
だが大切なコンテストの当日、会場へと向かうニーマンを、予期せぬアクシデントが襲う・・・・
いやはや参った。
こんな凄まじい音楽映画は、過去に観たことがない。
これはもう、弾丸の代わりに意地と欲望と音符が飛び交う命がけの決闘だ。
芸術を志す若者と指導者の物語というと、高校演劇部を舞台に生徒と挫折した演劇人の先生を描く「幕が上がる」が記憶に新しいけど、さすがに本作は“教育"の範疇には収まるまい。
芸術教育というのは、創作を志す生徒をスキルアップさせ、可能な限り全員の可能性を伸ばし、そのフィールドで生きていける様に成長させるもの、と一般には認識されている。
本作のフレッチャーは、ある意味でそんな常識へのアンチテーゼなのである。
なにしろ彼の目標は、第二のチャーリー“バード”パーカー、音楽史に革命をもたらす偉大な天才を育て上げること、それだけなのだ。
確かに、芸術教育に携わる人間は、みんなどこかにフレッチャーの様な欲求は持っているだろう。
他の誰とも異なる、独自の音楽言語や映像言語を操る、伝説になりうる表現者を自らの手で育て上げたい。
だが実際にはダイヤの原石を見出し磨き上げることは、太平洋に沈んでいる一本の針を探し当てる様なもの。
だから、普通はそれなりの人材を育てる事で良しとするのだが、フレッチャーは違う。
彼は、凡才を育てようとは、最初から考えていないのである。
わずかでも可能性がありそうな若者を見つけたら、あらゆる手段を使ってその才能を開花させようとする。
そのためには、強烈なプレッシャーを与えて完璧を追及させるだけでなく、天才候補者をその気にさせるためには他の生徒を当て馬にする事も厭わない。
元々そんなに力がないのに、教師のエゴに利用されるだけの生徒にとってはたまったものではないが、フレッチャーにとっては、まだ見ぬ天才こそがオンリーワンの“作品”であって、たった一人を育てられれば、あとは全員潰しても良いと思っているのだ。
本作の主人公であるニーマンも、フレッチャーに選ばれた天才の可能性を持つ一人。
何も知らずにフレッチャーのバンド練習に参加した彼は、あまりに過酷な練習に思いっきりビビりながらも、いつしか生活の全てを音楽に捧げ、何とか超ハイレベルな要求に食らいついてゆく。
実はこの男も、温和な仮面の下に、フレッチャーに劣らぬ相当に曲者の素顔を隠している。
平凡な両親のもと、音楽とは縁遠い家庭に育ち、全米No.1の音大のスクルールバンドの主奏者に抜擢されても、家族や親しい人たちにその価値がわかるほど素養のある者はいない。
彼にとっては、プロとして音楽界の伝説になる事が、承認欲求を満たす唯一の手段なのだ。
だから、フレッチャーのバンドに誘われ、練習漬けの毎日が始まると、自分から口説いた彼女すら、足手まといだからとあっさり捨てる。
当然、そんなエゴイスティック性格では友達もいない。
ニーマンもまたフレッチャーと似た一面を秘めつつ、練習量に比例して強烈な自信と共に対抗心を育ててゆくのだ。
彼が父親と観に行く映画が、ジュールズ・ダッシンの名作ノワール「男の争い」なのは象徴的。
これは赤狩りでアメリカを追われたダッシンが、フランスで撮った最高傑作だが、宝石強盗とそれに続くギャングの争いを通して、逆境に対する人間の気高さ、湧き上がる怒りを表現した作品である。
偉大な音楽家になるには、ニーマンはフレッチャーの狂気に支配される事なく、不屈の闘志で跳ね返さねばならないのだ。
ハイテンションな名シーンが連続する本作でも、拗れに拗れた関係の二人のエゴイストが、和解に見せかけて激突するクライマックスは、お互いにもう後が無い魂の果し合い。
復活の舞台で、意表をつく罠を仕掛けたフレッチャーに対して、ニーマンもまた予想だにしない行動で逆襲。
二人の男の意地と野心、音楽への飽くなき欲求が生み出す音が、奇跡のセッションを生み出し、観客はもはや瞬きも、息をする事すら忘れてスクリーンに吸いつけられる。
「ラスト9分19秒の衝撃」というキャッチコピーに全く偽りはなく、全てが終わるのがあと1分遅かったら、私は酸欠になっていたかもしれない。
それにしても、最後フレッチャーはどこまで計算していたのだろう。
「第二のチャーリー・パーカーは絶対に潰されない」という言葉から推測するに、自分の復讐心に嘘はなく、ニーマンが本物かどうかには確信がない。
あの仕打ちで彼が諦めるならば所詮それまで。
ところがニーマンからの思わぬ反撃を受けて、今まさに伝説を発掘してる、という確信に変わっていった様に思うのだが。
原題の「Whiplash」とは、劇中で主人公が練習しているハンク・レヴィによる有名な楽曲だが、「鞭で打つ」という意味を持ち、フレッチャーのスパルタ教育と掛けられている。
まあ映画だから良いけど、さすがに本当にコレやっちゃうと、天才を育てる前に自分が潰されちゃうだろうなあ。
今回は、音楽をモチーフとした映画という事で、久々に「オーパス・ワン」の2011をチョイス。
元々、力強いボディに繊細でフルーティな香り、絶妙の酸味に滑らかなフィニッシュと、バランスの良さが魅力の高級ワインではあったものの、某マンガに取り上げられたおかげで、日本での販売価格がバカみたいに高くなってしまった。
最近はある程度落ち着いたものの、それでも国外の良心的ショップで買う場合の倍位はするので、送料を入れても現地購入が吉。
寝かせても、若くても美味しいワインだが、2011だともうしばらくは置いた方がベターだろう。
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恐ろしいまでの緊迫感が持続する、超クールな音楽映画。
全米No.1の音楽大学を舞台に展開するのは、たった一人の天才を育てたい教師と、偉大な音楽家になりたいと願う生徒の、“指導”なんて緩い言葉は全く相応しくない、壮絶な“音バトル”だ。
お互いの全存在をかけた闘いは、観客の目を釘付けにし、心を鷲掴みにしてはなさない。
監督・脚本のデミアン・チャゼルは、元々ミュージシャン志望で、高校時代にジャズ・ドラムに打ち込んでいたという。
だからだろう、音楽シーンのリアリティは圧倒的。
全編100%キレキレ、ただの1カットも無駄が無く、スタイリッシュに編集されたビジュアルの一つ一つのイメージが視覚の音符となり、本編全体が完璧に構成された106分の「セッション」のようだ。
ジャズ・ドラマーを目指すニーマン(マイルズ・テラー)は、入学した音楽大学でスクールバンドを率いるフレッチャー教授(J・K・シモンズ)にスカウトされる。
学校を代表するバンドのメンバーになれれば、コンテストに参加してプロのスカウトの目に留まる可能性もあり、音楽家としての将来は大きく広がる。
喜び勇んで練習に参加したニーマンだったが、そこで目にしたのは一切の妥協を許さず完璧な演奏を追求する、狂気すら感じさせる地獄のレッスンだった。
常人には理解できない細かなミスに罵声を浴びせられ、時には暴力すら辞さないフレッチャーの要求に応えられなければ、無慈悲に切り捨てられライバルと交代させられる。
生活から音楽以外の要素を一切排除した練習漬けの毎日が続くなか、ニーマンは次第にバンド内でフレッチャーの信頼を得るようになってゆく。
だが大切なコンテストの当日、会場へと向かうニーマンを、予期せぬアクシデントが襲う・・・・
いやはや参った。
こんな凄まじい音楽映画は、過去に観たことがない。
これはもう、弾丸の代わりに意地と欲望と音符が飛び交う命がけの決闘だ。
芸術を志す若者と指導者の物語というと、高校演劇部を舞台に生徒と挫折した演劇人の先生を描く「幕が上がる」が記憶に新しいけど、さすがに本作は“教育"の範疇には収まるまい。
芸術教育というのは、創作を志す生徒をスキルアップさせ、可能な限り全員の可能性を伸ばし、そのフィールドで生きていける様に成長させるもの、と一般には認識されている。
本作のフレッチャーは、ある意味でそんな常識へのアンチテーゼなのである。
なにしろ彼の目標は、第二のチャーリー“バード”パーカー、音楽史に革命をもたらす偉大な天才を育て上げること、それだけなのだ。
確かに、芸術教育に携わる人間は、みんなどこかにフレッチャーの様な欲求は持っているだろう。
他の誰とも異なる、独自の音楽言語や映像言語を操る、伝説になりうる表現者を自らの手で育て上げたい。
だが実際にはダイヤの原石を見出し磨き上げることは、太平洋に沈んでいる一本の針を探し当てる様なもの。
だから、普通はそれなりの人材を育てる事で良しとするのだが、フレッチャーは違う。
彼は、凡才を育てようとは、最初から考えていないのである。
わずかでも可能性がありそうな若者を見つけたら、あらゆる手段を使ってその才能を開花させようとする。
そのためには、強烈なプレッシャーを与えて完璧を追及させるだけでなく、天才候補者をその気にさせるためには他の生徒を当て馬にする事も厭わない。
元々そんなに力がないのに、教師のエゴに利用されるだけの生徒にとってはたまったものではないが、フレッチャーにとっては、まだ見ぬ天才こそがオンリーワンの“作品”であって、たった一人を育てられれば、あとは全員潰しても良いと思っているのだ。
本作の主人公であるニーマンも、フレッチャーに選ばれた天才の可能性を持つ一人。
何も知らずにフレッチャーのバンド練習に参加した彼は、あまりに過酷な練習に思いっきりビビりながらも、いつしか生活の全てを音楽に捧げ、何とか超ハイレベルな要求に食らいついてゆく。
実はこの男も、温和な仮面の下に、フレッチャーに劣らぬ相当に曲者の素顔を隠している。
平凡な両親のもと、音楽とは縁遠い家庭に育ち、全米No.1の音大のスクルールバンドの主奏者に抜擢されても、家族や親しい人たちにその価値がわかるほど素養のある者はいない。
彼にとっては、プロとして音楽界の伝説になる事が、承認欲求を満たす唯一の手段なのだ。
だから、フレッチャーのバンドに誘われ、練習漬けの毎日が始まると、自分から口説いた彼女すら、足手まといだからとあっさり捨てる。
当然、そんなエゴイスティック性格では友達もいない。
ニーマンもまたフレッチャーと似た一面を秘めつつ、練習量に比例して強烈な自信と共に対抗心を育ててゆくのだ。
彼が父親と観に行く映画が、ジュールズ・ダッシンの名作ノワール「男の争い」なのは象徴的。
これは赤狩りでアメリカを追われたダッシンが、フランスで撮った最高傑作だが、宝石強盗とそれに続くギャングの争いを通して、逆境に対する人間の気高さ、湧き上がる怒りを表現した作品である。
偉大な音楽家になるには、ニーマンはフレッチャーの狂気に支配される事なく、不屈の闘志で跳ね返さねばならないのだ。
ハイテンションな名シーンが連続する本作でも、拗れに拗れた関係の二人のエゴイストが、和解に見せかけて激突するクライマックスは、お互いにもう後が無い魂の果し合い。
復活の舞台で、意表をつく罠を仕掛けたフレッチャーに対して、ニーマンもまた予想だにしない行動で逆襲。
二人の男の意地と野心、音楽への飽くなき欲求が生み出す音が、奇跡のセッションを生み出し、観客はもはや瞬きも、息をする事すら忘れてスクリーンに吸いつけられる。
「ラスト9分19秒の衝撃」というキャッチコピーに全く偽りはなく、全てが終わるのがあと1分遅かったら、私は酸欠になっていたかもしれない。
それにしても、最後フレッチャーはどこまで計算していたのだろう。
「第二のチャーリー・パーカーは絶対に潰されない」という言葉から推測するに、自分の復讐心に嘘はなく、ニーマンが本物かどうかには確信がない。
あの仕打ちで彼が諦めるならば所詮それまで。
ところがニーマンからの思わぬ反撃を受けて、今まさに伝説を発掘してる、という確信に変わっていった様に思うのだが。
原題の「Whiplash」とは、劇中で主人公が練習しているハンク・レヴィによる有名な楽曲だが、「鞭で打つ」という意味を持ち、フレッチャーのスパルタ教育と掛けられている。
まあ映画だから良いけど、さすがに本当にコレやっちゃうと、天才を育てる前に自分が潰されちゃうだろうなあ。
今回は、音楽をモチーフとした映画という事で、久々に「オーパス・ワン」の2011をチョイス。
元々、力強いボディに繊細でフルーティな香り、絶妙の酸味に滑らかなフィニッシュと、バランスの良さが魅力の高級ワインではあったものの、某マンガに取り上げられたおかげで、日本での販売価格がバカみたいに高くなってしまった。
最近はある程度落ち着いたものの、それでも国外の良心的ショップで買う場合の倍位はするので、送料を入れても現地購入が吉。
寝かせても、若くても美味しいワインだが、2011だともうしばらくは置いた方がベターだろう。

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